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シンとトニーのムーンサルトレター 第046信

第46信

鎌田東二ことTonyさんへ

 先月は、なかなか返信が来ませんでした。Tonyさんに何かトラブルでもあったのかと思って心配しましたが、何ごともなくて本当によかったです。

 さて、今年の1月14日に中央大学の高窪統教授が殺害されましたが、容疑者として教え子のアルバイト店員が逮捕されましたね。ショックでした。捜査本部は、容疑者が大学時代に教授へ不満を持って一方的な思い込みから恨みを募らせたとみて調べていました。8日の「朝日新聞」夕刊によると、容疑者は警視庁の調べに、「忘年会で高窪さんに疎外されていると感じた」などと供述しているとか。

 事件の直後に、わたしは北九州市立大学の某教授とお会いしました。そのとき、まだ犯人がわかっていないにも関わらず、その教授は「おそらく犯人は教え子のような気がする」と言われていました。彼によれば、自分も学生から殺意にも似た敵意を感じることがあるというのです。それも、試験の点数があまりにも低く落第させたような学生、それに授業中に叱責した学生から逆恨みされることが多々あるというのです。

 わたしは北陸大学の客員教授をしていますが、講義のときに私語などをする学生がいれば、しばらくは放置しておきます。でも、目にあまる場合は他の学生の授業妨害にもなるため注意、あるいは叱責することにしています。今年の第1回目の講義でもそういった場面がありました。今年は受け持ちの学生が260名くらいいるのですが、その中には約半数の130名ほどの中国人留学生も含まれています。彼らを前にして講義をしていたとき、一人だけ金髪の学生が私語を続けているので軽く注意したところ、ヘラヘラと笑い出したのです。小倉生まれの玄海育ち(♪)で、口も荒けりゃ気も荒い(?)わたしは、彼の前に仁王立ちして「何がおかしいんだ?」と尋ねましたが、どうやら中国からの留学生で、しかも日本語がほとんど理解できないようでした。それでも、仁王のごときわが形相から怒っていることは明確にわかったはずですが、さらにヘラヘラと愛想笑いのような笑みを浮かべるのです。わたしはまさに「怒髪天を衝く」思いで、言葉の通じない相手にボディ・ランゲージで怒りを表現したのです。すると、わたしの表現力があまりに豊かだったのか、彼の顔からはついに笑みが消え、困惑の表情が濃く浮かんでいました。他の罪のない学生たちが呆然としていたのは言うまでもありません。

 その数日後、わたしは「グラン・トリノ」という映画を見ました。クリント・イーストウッド監督作品ですが、イーストウッド扮する孤独なアメリカの元軍人の隣家に中国の少数民族の家族が住みつくという話です。なかなか心あたたまる内容ですが、その中で中国人の少女が主人公に、「中国のある民族は他人から怒られると笑みを浮かべるけど、それは照れ笑いであって、けっして馬鹿にしているんじゃないの」と説明する場面が出てきたのです。それを見た瞬間、わたしは「もしかして、あの学生も!」と思いました。知らなかったこととはいえ、異文化理解の難しさを深い悔悛の念とともに痛感しました。

 それにしても、学生を叱るというのは本当に嫌なものです。かの夏目漱石のエピソードを思い出します。漱石が東京帝国大学で教壇に立っていたとき、懐手をしている学生がいたので、「手を出しなさい」と注意したところ、彼は片腕のない身体障害者でした。それを知った漱石は非常に動揺したものの、「自分も無い知恵を無理やり出しているのだから、君も無い腕を出してみたまえ」と苦し紛れのジョークを放ったとか。事実なのかどうかは知りませんが、とても有名なエピソードです。その後の漱石の落ち込みぶりは、想像するに余りあります。教壇に立つことをやめた原因の大部分を占めていたかもしれません。

 漱石といえば、わたしは現在、『DNAリーディング』という新しい発想の読書論を構想しています。その中に「近代日本文学のDNA」という章がありまして、夏目漱石→芥川龍之介(あるいは志賀直哉)→太宰治→三島由紀夫→村上春樹という影響関係の流れを整理しているところです。漱石の文学的遺伝子が現代の村上春樹にまで受け継がれているという仮説を立て、立証してみたいという無謀なことを考えているのです。

 そのDNAアンカーとしての村上春樹の長編小説をここのところ集中して読みました。きっかけは、今年の2月15日にイスラエルで行われた例のスピーチです。そう、エルサレム賞受賞スピーチの内容(「高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私は常に卵の側に立とう」という言葉はあまりにも有名になりました)を知り、「村上春樹の全作品をどうしても、いま、読まなければならない」と強く感じたのです。

 そういうわけで、デビュー作の『風の歌を聴け』から『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『国境の南、太陽の西』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』『アフターダーク』へと至る彼の長編小説を一気に固め読みしました。その中には既読のものもありましたが、未読の作品もあり、きわめて短期間に村上ワンダーランドにどっぷり浸かった直後に『1Q84』が発売され、満を期して読み始めたのです。

 なにしろ、5月29日の発売日の時点ですでに4刷、68万部という超話題のベストセラーです。1984年に刊行されたジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』とは逆に、2009年の未来からの近過去小説、それが『1Q84』です。とにかく、冒頭からハラハラドキドキ、文字通り寝食を忘れて読み耽ってしまう面白さでした。「小説とは、こんなにも面白いものか!」と久々に思わせてくれる作品でした。やはり、ノーベル文学賞に一番近い作家とされるだけあって、その筆力は当代一ではないでしょうか。そこには実に奇妙な世界が描かれています。1Q84年は、本来の1984年とはまったく異なった世界なのです。セックス描写のみならず殺人描写までがこれ以上は不可能なほど具体的に描かれていますが、紛れもなく人間の「こころ」を深く見つめた作品だと思います。

 その理由は主に三つ。第一に、『1Q84』は純愛小説だからです。一組の男女が、10歳のときに手を握ります。ともに特殊な家庭環境にあった二人は、その後20年間も会わないのに、相手のことを忘れずに深く愛する。こんな純粋な恋愛が他にあるでしょうか!ラスト近くでは、相手を愛するがゆえの究極の自己犠牲の姿まで描かれています。著者の代表作『ノルウェイの森』は「100%の恋愛小説」と謳われましたが、『1Q84』はさらにその上をゆくピュアな純愛小説だと思います。

 第二に、『1Q84』は宗教小説だからです。これまで、著者は『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』などのノンフィクション作品で「宗教」をテーマとしていますが、長編小説で真正面から扱ったのは今回が初めてです。いくつかの宗教団体が登場しますが、架空の教団の名で描いていても、そのモデルがエホバの証人、ヤマギシ会、そしてオウム真理教であることは一目瞭然です。教団の裏側を描き、「信仰」や「祈り」の本質に迫る部分は、篠田節子の『仮想儀礼』にも通じるリアリティがあります。著者がずいぶん宗教団体について調べたことがわかります。おそらくは、『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』のインタビューが大いに役立ったことと思われます。

 主人公の一人である天吾は、「誰に世界のすべての人々を救済することができるだろう?」と自問します。「世界中の神様をひとつに集めたところで、核兵器を廃絶することも、テロを根絶することもできないのではないか?アフリカの旱魃(かんばつ)を終わらせることも、ジョン・レノンを生き返らせることもできず、それどころか神様同士が仲間割れして、激しい喧嘩を始めることになるのではないか。そして世界はもっと混乱したものになるかもしれない。」と思います。これは、明らかにエルサレムで繰り広げられているユダヤ・キリスト・イスラムの宗教衝突を揶揄しています。

 また、「宗教とは真実よりもむしろ美しい仮説を提供するもの」であるとか、「非力で矮小な肉体と、翳りのない絶対的な愛」があれば「宗教を必要としない」とか、『1Q84』には神や宗教の本質についての著者の結論のようなものが、ある種の覚悟をもって直球で明言されているのです。こんなにもストレートに宗教を語るくだりは文中にも登場するドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を連想させます。1Q84年の日本に、大審問官がよみがえる!その他にも、オーウェルの『1984』はもちろん、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』など、さまざまな世界の名作が気前良く作品中に登場してきます。小説のみならず、なんと民俗学の古典中の古典であるフレーザーの『金枝篇』までも!ある意味で、『1Q84』は日本には珍しい教養小説の側面も持っているのです。

 純愛小説にして宗教小説。「こころ」を深く描いている第三の理由は、この「ムーンサルトレター」にふさわしいものです。そう、『1Q84』が月を描いた小説だからです。わたしは、かつて拙著『ロマンティック・デス』で、『ノルウェイの森』の真の主人公は月ではないかと指摘したことがありますが、今回も月が物語の重要な役割を果たしています。それも、1Q84年の世界では、空には二つの月が浮かんでいるのです。アーサー・C・クラークは、『2001年宇宙の旅』の続編である『2010年宇宙の旅』で空に二つの太陽を浮かべましたが、村上春樹は二つの月です。月とは人間の心のメタファーであり、「ハートフル」とは「心の満月」です。そして、愛する二人は同じ月を見ている。

 かつて、同じ月を見ていた人々がいました。ユダヤ・キリスト・イスラムの三姉妹宗教のルーツは月信仰にあったと、わたしは考えています。同じ月を見て同じ神を信仰していた人々が、三つの宗教に分かれ、傷つけ合い、血を流し合いました。そう、純粋な「愛」を説き、「宗教」なるものを真正面からとらえた、このシュールな月の小説は、あのエルサレムでの著者のスピーチにつながっているのです。たぶん。

 『1Q84』が100万部を超えて社会現象となった6月4日、アメリカのオバマ大統領はエジプトを訪れカイロ大学で演説しました。彼は、「世界中のイスラム教徒と米国の間に相互の尊敬に基づく新たな始まりを求め、ここに来た」と訴えました。ブッシュ前政権によって深刻化したイスラム社会の反米感情や宗教間の対立が和らぐことを願うばかりです。この2009年(200Q年?)に始まったオバマの世直しから目が離せません。

 Tonyさんは『1Q84』をもう読まれましたか?まだでしたら、ぜひお読み下さい。この「愛」と「宗教」と「月」を三位一体で描いた稀代の霊性小説を『霊性の文学誌』の著者であるTonyさんがどう読むか、とても興味があります。次の満月はもしかすると二つ空に浮かんでいるかもしれませんね。それでは、また。オルボワール!

2009年6月8日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 先回は、お返事が遅れに遅れ、心配をおかけし、申し訳ありませんでした。今回もいろいろと問いかけのあるレター、ありがとうございます。

 中央大学の教授殺害事件のことは、確かに他人事ではありませんね。いつでも、どこでも起こりうる事態が一つの事件として生起したにすぎないと受け止めています。日本の社会では、オウム真理教事件と酒鬼薔薇聖斗事件の後、「ありえないことなどありえない」という状況に突入したと思っています。何がどのように起こっても不思議はないほど、社会の秩序も心のコントロールもはたらかなくなっていると感じています。今この瞬間にも何が起こるかわからない、という不定形感覚の中でかろうじて生きている、生き延びている、未来に向かって何事かをなそうとしている、ということだと思っています。そして、そのような未来への投企がどのような有効性を持ちえるかは、もちろん自分にも誰にも予測もつかないという、不定形の中にあります。

 人類は崖っぷちに立っていると思います。環境、資源、健康、医療、経済、政治、文化、教育、家族、共同体、社会…etc。あらゆるシステムと原理がホメオスタシスと予定調和的バランスを崩し、次なるシステム構築も安定も見えない中で浮遊している、というカオス状態に陥っているような。この世界システム不全はどこから、どういう修復をすればいいのか、誰もわからない、というのが実状ではないでしょうか。もちろん、それぞれが自分の現場で立ち起こってくる問題を解決していく必要があるのですが、でもそれでは追いつかないでしょうね。

 先行き悲観を述べているのではなく、人類史を眺めてみて、わたしたちが認識できる範囲でここまで総体的に危機に立ち至ったのは初めてではないでしょうか? その意味では人類史未曾有の事態で、小手先の政策などではにっちもさっちも行かないでしょう。

 こころの未来研究センターで、わたしは「こころ観研究会」の研究代表をして、研究プロジェクトの一つを運営していますが、5月に日本医科大学教授の長谷川敏彦さんに来てもらって、「超高齢化社会の医療システムとこころの諸問題」という発表をしてもらいました。

 長谷川俊彦氏は大阪大学医学部出身で、外科医の臨床経験を積んだ後、米国のハーバード大学などに8年ほど留学して修士課程を修了し、日本に最初に医療人類学を紹介した人です。アメリカでは、ビートニックの詩人アレン・ギンズバーグやフリッチョフ・カプラなやケン・ウィルバーと対談などもしていて、当時の最先端アメリカン・カルチャーを日本につないだ人です。

 帰国後、長谷川氏は、滋賀医科大学の助手をした後、厚生省に入省して医療行政に関わり、国立がんセンター運営部企画室長、厚生省大臣官房老人保健部老人保健課課長補佐、国際協力事業団医療協力部医療協力課課長、厚生省九州地方医務局次長、国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長、国立保健医療科学院政策科学部部長などを務め、現在、日本医科大学管理医療学主任教授として医療管理学を教えています。

 主著には、『医療安全管理辞典』(編著、朝倉書店、2006年)、『医療を経済する』(編著、医学書院、2006年)、『病院経営戦略』(編著、医学書院、2002年)、『病院経営のための在院日数短縮戦略』(編著、医学書院、2001年)などがあります。

 長谷川さんによると、未来モデルはよくも悪しくも日本が先駆けとなると予測します。日本にとっては、人口は江戸時代へ逆行し、超高齢化して、国の型が革わり、世界にとっては、日本がパイロット(モデル)となり、究極の社会へ、近代3度目の舵取り(①明治維新期の土地取りゲーム=軍事大国化、②戦後の金取りゲーム=経済大国化、③平成現代の年取りゲーム=高齢大国化)をするというのです。

 「超高齢」社会は、はたして「長寿」社会と言えるのか? という問いともなります。長「寿」という「寿」のあり方が問われるのです。わたしはかつて『翁童論』四部作を世に問いましたが、21世紀日本の超高齢化社会の中での「翁童文化」のありようがリアルに問われています。それにどう応えるか?

 長谷川さんは、医療については、①病気が革わる(単独から複数へ、そして継続へ、死亡が増加する)、②目的が革わる(1つから5つの医療へ、絶対治癒から相対医療へ)、③体制が革わる(連携の重要性、さばいてつなぐ人が必要である)と予測し、地球にとって人類史のどん詰まりに立ち至るけれども、そのどん詰まり=崖っぷちは、次の飛躍を生み出す可能性をも持っているとポジネガ両面から見ています。その飛躍への一里塚として、街にとっては、老人に優しいまちづくりと地方都市の再建が必須になり、心にとっては、新たな医学と身体観が必須になります。もしここで、死生観や健康観や健康対策を含め、健康転換できたならば、人類史的展開における日本の先駆けモデルの成功は人類史の希望となるが、それがアウトとなれば、日本も人類社会も……。というような、未来図を描くのです。

 実は、わたしは今から39年前に長谷川さんと出会っていたのです。1970年5月から6月にかけて、われわれは、大阪の心斎橋の一角で「ロックンロール神話考」という芝居を上演しており、それを大阪大学医学部4回生の長谷川敏彦さんがフラリと観に来てくれて、評価してくれたのでした。そして、わたしは彼の桃谷の家に遊びに行ったり、晩御飯をご馳走になったり、花火をして遊び、ロケット花火をフーテン頭の挑発の中にぶち込み、髪の毛をチリチリに燃やしたりして「セイシュン」していたのですよ。嗚呼、1970年の真夏の世の想い出!

 それから、39年。お互いに、お互いの道で、それぞれの活動をしてきて、途中で何度か不思議な交差もしていますが、最近ふたたび猛接近しているのです。長谷川氏が空海とミトラ教との関係に夢中になり、わたしが超高齢化社会の問題に頭を悩ませ、互いが抱えてきた問題群がそれぞれ飛び火して、魂のスパークスを生んでいるのです。おもろいことに。まことにマカふしぎなことに。

 そんなこんなで、超高齢化社会に一番乗りする日本において、いったい「幸福」とか、「人生の質」とか、「生き甲斐」とか、「死にがい」とは何かを問い、かつそれを生きなければならないのです。うまくいくかどうかは別にして。

 長谷川さんは、そこで「2つの危険」があると警告しています。一つは集団が「システム不全」になることであり、もう一つは個人が「個的不全」に陥ることです。わたしは、もうすでに、日本の社会も個人も、「システム不全」や「個的不全」が深刻に進行しているように見えます。「平成」になった時から、こうした事態をおおよそ直感していましたが、その「不全」のメカニズムは予想以上の複雑連鎖で、どこからどう修復していけばいいか、追いつかない情勢です。

 今日、わたしは京都大学のすぐ東隣の吉田山に鎮座する吉田神社に参拝と見学と比叡山フィールドワークに出かけていました。そこに、応仁の乱の後に、吉田神社の神主であった中世最大の神道家・吉田兼倶が建てた「大元宮」があります。わたしは20代から、この吉田兼倶と平田篤胤と上田喜三郎(出口王仁三郎)を「三田さん」と呼び、神道史の可能性の中心は彼らの仕事の中にあると思い続けてきました。その可能性の中核は、「霊性」と「幽冥界」、誤解を恐れずに言えば、神道密教の発見と発明にあると思ってきました。

 吉田兼倶さんは、神道を「顕露教」と「隠幽教」の二種に分け、前者の典拠となるのが『古事記』や『日本書紀』や『先代旧事本紀』で、後者の「隠幽教」の典籍が、『天元神変神妙経』と『地元神通神妙経』と『人元神力神妙経』の三部神経であると主張したのですが、この「三部神経」は「偽書」なのです。

 「偽書」と言えばたいへん聞えは悪いですが、それはよく言えば、創作であり、「発明」です。新しい神道を彼は「発明」したのです。それが、具体的には、八角形の前代未聞の建造物である「大元宮」だったのです。それは、神道史にまったく新機軸をもたらすスピリチュアル・デサインでした。吉田兼倶は、伊勢の神宮の内宮の神=天照大神と外宮の神=豊受大神がこの吉田山=神楽岡に飛来し、また、全国の延喜式内社に祀られている神々3132座の神々が全部ここに集結し鎮座したと主張しました。「唯一宗源神道」の「発明」。これが、応仁の乱・文明の乱という、未曾有の戦乱の「戦後処理」だったのです。吉田兼倶さんの。



吉田神社の大元宮
(撮影:ともに、大石高典氏)

大元宮の扁額
 それは、すごい「発明」だったよ。そんな突拍子もない「発明」が現代にも必要なんだよ。比叡山に向かってひたすら歩き続けながら、吉田兼倶の「発明」の「必然」について、考えていました。戦時中、そして、戦後をどう生きるか。吉田神社の経済も、人脈も、あらゆる「システム不全」に陥った時に、彼は「システム再生」のための「新神道」を発明したのです。それは、守旧派にも、常識ある知識人や教養人に猛烈に批判されましたが、彼は自説を堂々と展開し、混乱の極みの時代に一つの神道による統一モデルを提示したのでした。

 比叡山の山頂から大原の里を望み、また、琵琶湖や比良山を望み見ながら、この時代の「システム不全」を再生せしめる発明の方策と道を求めながら、とにかく、くるりくるりとまずはバク転をしてみるのでした。

2009年6月9日 鎌田東二拝