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シンとトニーのムーンサルトレター 第051信

第51信

鎌田東二ことTonyさんへ

 ボンジュール、ムッシュー・トニー・パリ・カマターニュ!わたしは、パリに行ってきましたよ。ルーブル美術館の地下の催事場で「サロン・ド・マリアージュ」というブライダル産業見本市が開かれ、それに参加すべく同業者の方々と一緒に渡仏したのです。個人的には、セーヌ河のほとりをたっぷりと歩き、久しぶりにルーブル、オルセー、オランジェリーの各美術館も再訪して至福の時を過ごしました。



エッフェル塔の前で「ボンジュール!」

モロッコ最大のモスク=ハッサン2世大モスクの前で
 パリへはモロッコから入りました。モロッコは初めてです。アフリカ大陸も初めてです。カサブランカをはじめ、フェズ、メクネス、ラバトといった、モロッコの諸都市を巡りました。映画史を飾る名作「モロッコ」や「カサブランカ」の世界が甦り、気分はゲイリー・クーパーやハンフリー・ボガートでしたが、ここでの最大の目的は結婚式の視察でした。じつは、モロッコの伝統的結婚式は世界で一番豪華で派手とされているのです。

 モロッコ王国はイスラム教の国であり、他のイスラム諸国と同様に、男性中心で世の中が動いており、女性の姿を見かけることの少ない社会です。ただし、例外として結婚式では女性が完全に主役となり、美しい民族衣装を着飾った女性たちが会場を占拠し、踊りまくり、歌いまくります。

 特筆すべき点としては、「ミーダー」と呼ばれる儀式があります。それは、なんと桶に乗った花嫁が会場を練り歩き、結婚式に参列している人々は花嫁に向って祝福の言葉を投げかけるのです。宗教上の理由で、イスラム社会の女性は顔をベールで隠す人も多い中で、結婚式の日だけは花嫁が公衆の面前に堂々と素顔をさらけ出すことのできる唯一の日です。

 花嫁以外の女性たちも同じく、この日ばかりは堂々と素顔をさらけ出すことができます。会場中央に設けられたステージには、多くの新婦側の友人たちが集まって踊ります。それも腰をくねらせ、かつてのバブル全盛時の「ジュリアナ東京」のお立ち台を彷彿とさせるようなセクシー・ダンスを披露してくれるのです。新郎側の友人は基本的に踊りません。ただ、じっと踊る女性たちを見つめているだけです。結婚式は夜を通して行なわれますが、その後、未婚の男性たちは女性たちに声をかけます。つまり、モロッコの結婚式は「こんな女性がいるのか」と男性たちに知らせる、集団お見合いパーティーというか、一種の花嫁見本市の要素があるのです。普段はベールで顔を隠しているわけですから、いかに結婚式で素顔になることの情報性が高いか想像がつくと思います。



花嫁を桶に乗せるモロッコの伝統的結婚式

ベールを脱いで踊る新婦の友人たち
 いま、日本では「婚活」の重要性が叫ばれています。結婚式場を経営するわが社でも「婚活塾」を開催していますが、モロッコの伝統結婚式の在り方は大いに参考になりました。参列者が踊りまくるところは沖縄のカチャーシーを連想させましたが、沖縄の結婚式などに導入できる要素は多いと思います。

 今回は弊社以外にも、日本の儀式産業を代表する大手冠婚葬祭互助会の経営者の方々が参加されていましたので、各社が足並みを揃えて企画すれば、一気に日本の結婚式にイスラムのテイストが入ることも夢ではないと思います。もともと信仰とは別に、演出の視点からキリスト教を導入したのが日本のブライダル産業です。日本の冠婚葬祭は「いいとこどり」「何でもあり」なのです。ならば、世界で一番派手なイスラム教の結婚式の演出が入り込んでいいじゃありませんか!世界中のあらゆる宗教のエッセンスを取り込んで編集し、それを日本流に加工するところが、世界の平和に貢献できる日本の「強み」だと思うのです。そして、日本の冠婚葬祭がその器の機能を果していると思うのです。

 さて、約1週間のモロッコ&パリの海外視察から帰国した翌日、わたしは早朝からバスの車中にいました。サンレー本社の社内旅行で四国に向うためです。どんなにハード・スケジュールで体が辛くとも、「良い人間関係づくり」を最優先するわたしは、何よりも社内旅行というものを重視しているのです。小倉から岡山へ、そこから瀬戸大橋を渡りました。瀬戸大橋は初めて訪れたのですが、いやぁ、想像以上に大きかったですね。

 四国では金刀比羅宮を参拝して、こんぴら温泉の湯に浸かりました。温泉に入ると、長旅の疲れも癒されます。翌日は、大山祇神社を参拝。バスの中では、御恵贈いただいたTonyさんの新刊『超訳 古事記』(ミシマ社)を読みました。とても読みやすいというか、不思議な言語感覚で書かれた良質のファンタジー作品を読んだような気がしました。

 たとえば、最初の「体をもったふたりの神」の項は次のようにはじまります。
「しゅうう・・・ ふぅう・・・ しゅうう・・・ ふぅう・・・
 しゅうう・・・ ふぅう・・・ しゅうう・・・ ふぅう・・・
 風が 吹く
 風が 吹く
 天が 宙が 風を 吹く」

 まるで、宮沢賢治の『風の又三郎』に出てくる「どっどど どどうど どどうど どどう」を思わせるダイナミックな風の響き。わたしは、まるで賢治が神懸りになって『古事記』を語っているような錯覚にとらわれました。でも、それはまったくの錯覚ではありません。なぜなら、賢治と同じく「オニ」という異界の存在を幼少の頃から見つづけてきた幻視者であるTonyさんの神語りだからです。

 この本の訳し方は、超越的なやり方で行なわれたそうですね。2009年7月31日、さいたま市大宮にあるTonyさんの自宅の畳の部屋で、そして翌日の8月1日、東京の自由が丘にあえるミシマ社の畳の部屋で、Tonyさんが横になって目をつぶり、記憶とイメージだけを頼りに『古事記』の神物語を口語で語ったとか。参考文献も何ももたず、ひたすら心の中に浮かんでくる言葉を語ったというのには心底驚きました。それをミシマ社の三島邦弘さんが録音したのですね。Tonyさんは、「あとがき」に書かれています。

 「その場にいるのは、三島さんとわたしだけ。わたしは、大上段に構えて言えば、現代の稗田阿礼になって、“わが古事記”を物語ったのです。つまり、この本は、鎌田東二が“鎌田阿礼”として『古事記』を語り、それを、三島さんが現代の太安万侶、すなわち“三島安万侶”となって記録し、まとめてできあがった本です。」

 それにしても、Tonyさん、とんでもない方法で『古事記』を超訳されましたね。こんな凄いこと、本居宣長や平田篤胤や折口信夫にだってできやしませんよ!こんな超越的な本づくりに高天原も呼応したのか、いよいよ『古事記』語りをスタートするという段になって、突如、空がうす暗くなり、バリバリと雷鳴が轟き、ピカピカと稲光りが走り、激しい雨がザァッーと地面を打ちつづけて、気温は10度くらい一気に低下したとのこと。

 そんな劇的な状況の中で、Tonyさんは死者が棺桶に入ったような姿勢になって、寝たまま『古事記』を語り始めたのですね。なんとも素敵すぎますよ、このシチュエーション! Tony節も冴え渡って、血湧き肉躍る「あとがき」となっていますが、強く心に残ったのは、Tonyさんが10歳のとき、『古事記』に出会い、救われたというくだりです。Tonyさんにとって、何よりも『古事記』は「救いの書」「癒しの書」だったわけですね。

 じつは、わたしも「救いの書」「癒しの書」についての本を上梓いたしました。『涙は世界で一番小さな海〜「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方』(三五館)という本です。わたしは日頃から童話を愛読していますが、中でも、アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリの4人の作品には、非常に普遍性の高いメッセージ、いわば、「人類の普遍思想」のようなものが流れているように思います。

 特に、アンデルセンの『人魚姫』『マッチ売りの少女』、メーテルリンクの『青い鳥』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の5作品は、そのヒントをふんだんにもっており、さらには深い人生の真理さえ秘めています。わたしは、これらの作品を「ハートフル・ファンタジー」と名づけました。ハートフル・ファンタジーは、ある意味で現代のメルヘンです。これらの作品は、やさしく「死」や「死後」について語ってくれるばかりか、この地上で人間として生きる道も親切に教えてくれます。さらには、「幸福」というものの正体さえ垣間見せてくれます。

 ルドルフ・シュタイナーによれば、ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。そして、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の宣言だと思います。

 というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです。

 ある意味で、メルヘンが子どもへのメッセージならば、ハートフル・ファンタジーとは老人へのメッセージかもしれません。天上界を忘れて地上で生きていくための物語がメルヘンならば、これからもう一度、天上界へと戻ってゆく人々のための物語がハートフル・ファンタジーではないでしょうか。「死」の本質を説き、本当の「幸福」について考えさせてくれるハートフル・ファンタジー。それは、読む者すべてに「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に与えてくれます。どんなに理路整然とした論理よりも、物語のほうが人の心に残るものです。神話にしろ、メルヘンにしろ、ファンタジーにしろ、物語の力は偉大です。『古事記』のような神話、そしてメルヘンと同様に、ハートフル・ファンタジーは、人類最大のミステリーである「死」や「死後」についての説明をし、さらには人間の心に深い癒しを与えてくれるものと確信します。

 『涙は世界で一番小さな海』は11月6日の刊行予定ですので、また送らせていただきます。ご批判下されば幸いです。
 それでは、ムッシュー・トニー・パリ・カマターニュ、オルボワール!

2009年11月3日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 シンさん、パリですかあ。わたしの故郷セーヌのほとりにたっぷり浸って来られたとか。羨ましい限りでんなあ。われは、ジャポンで仕事三昧でござります。

 モロッコの結婚式。大変、面白そうですね。行ってみたいところです。そこもまた、エッジ・オブ・ザ・ワールドの一つ。この世の岬なのでしょう。わたしにとっては、パリ・セーヌも、この世の果て、岬の突端です、なぜか。

 さてさて、シンさんは、またまた新刊『涙は世界で一番小さな海〜「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方』(三五館)を上梓された由。超多忙な社長業をしながら、よくもまあ、これだけ次々と本を出せるもんじゃわいなあと感心しています。その筆力、情熱、知力。つい最近、シンさんは監修本『よくわかる 世界の怪人事典』(廣済堂文庫)を出しましが、シンさん自身が「怪人」ですよ。

 アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリ。この4人の童話をつらぬく「普遍思想」に目を付けるなんて。隅に置けませんな。シンさんらしい目の付け方ですよ。

 わたしの方は、シンさんが紹介してくれたように、『超訳 古事記』(ミシマ社)を出しました。たぶん、こんな馬鹿げた訳し方は誰も試みないでしょうね。わたしが「稗田阿礼」に成りきって現代語訳するなんて手法を実践するんだから。まったく、ドン・キホーテ的訳ですよ。

 でもね。これこそが『THE KOJIKI』だとわたしは自負しています。というのも、『古事記』とは、何よりも、「叙事詩」であり、「神語り」の言葉だからです。その「詩」を、「神語り」を現代に蘇らせるためには、そんな、超越的な“夢暴”な“跳躍”の試みが必要でしょう。そんな「超訳」に挑戦してみたのです。

 実際、それをやってみるまでは、うまくいくかどうかなんて、本当にわかりませんでした。自信もないし、進行プランもないし。ただただ、お任せ、しかないというお寒い状況。逃げ場のない背水の陣で、というより、「稗田阿礼さん、お任せしまっせ〜!」という、他力本願で臨んだ次第。

 ところが、そんな無計画・準備なしの空っぽの頭と口から、するすると次から次に淀みなく言葉が出てくるんだなあ、これが。11年間、神道ソングライターとして、「でまかせ、でたらめ、でかせぎ」の3Dライフをしてきた修行が無駄じゃなかったよ〜、と思いましたね。もっとも、3Dライフの第3番目「出稼ぎ」だけは11年たった今でも実現せず、むしろ「持ち出し」の赤字ですけどね。2001枚と2003枚自主制作したCDは大量に売れ残り、それぞれ、21枚とか、23枚くらいしか、売れてないようだし……。

 でもね、そんな下積み生活の苦労をしてきたせいで、「でまかせ、でたらめ」は実に堂に入ったものがありましたよ。まったく、『超訳 古事記』には苦労しませんでしたから。こんなに苦労せずに1冊の本が仕上がったのは初めての経験でした、ホント。超、楽、でした。そして、楽しかった。

 何より嬉しかったのは、『古事記』がわたしの中で生きていると実感できたこと。わたしは『古事記』を勉強したり、研究したりする前に、『古事記』に救われ、『古事記』を生きてきたのだ、と思いました。それは、実に時代錯誤的な『古事記』との関わり方だと思いますが、しかし、それこそが「神話を生きる」あるいは「神話と共に在る」ということではないかとも思っています。

 ともかく、まずは読んでほしい。何の先入主もなしに、『超訳 古事記』を読んでいただきたい。そして、さらに『古事記』原文や、学術的にしっかりした口語訳を読んでいただきたい、と思います。わたしの役割は、その橋渡しをすることだと思っています。



近藤高弘アートワーク『天河火間』 次に、『超訳 古事記』下巻や、『超訳 日本書紀』神代巻や、『超訳 古語拾遺』や、『超訳 旧事本紀』を「超訳」してみたいなあ、と思いますが、これまたうまくいくかどうか、まったく自信も見込みもありません。ただ、そうすることが、自分の役割のような気がして。やってみる価値と意義はあるかな、と思うのです。

 ところで、わたしたちのもう一人の義兄弟の造形美術家の近藤高弘さんの個展が天河大辨財天社で行なわれます。ぜひ見に来てください。天河大辨財天社の禊殿(鎮魂殿)前に「世界一美しい窯」である「天河火間」が完成したのです。そこで、その禊殿(鎮魂殿)で、11月2日から11月28日まで近藤高弘さんの『行者シリーズ』3部作やその他の作品のインスタレーションが行われるのです。

 そして、11月22日(日)には、窯の火入れ式である「初窯式」と奉納ライブも行われます。わたしも、天河護摩壇野焼き講講元兼神道ソングライターとして参加し、「弁才天讃歌」「神」「神ながらたまちはへませ」「猫神様のお通りじゃ〜!」などの歌4曲を歌う予定です。乞うご期待! ぜひ見に、聴きに来てください。近藤高弘さんも自作詞の新曲「MIST」を歌います。新人歌手としてデビューするのですよ! まあ、近藤さんの尾崎豊の曲「 1 1ove You」は絶品ですからねえ。プロとしても十分通用する歌唱力だとは前から思ってたけどね。

 それはそれとして、8月9日付けのムーサルトレター48信の最後に書いたように、今こそ、生きるために、「詩」が必要だと思っています。「詩」は魂の栄養です。神話も、詩も、魂の基礎栄養となる、「魂食」です。

 10月31日(土)、11月1日(日)の2日にわたり、NPO法人東京自由大学では、屋久島で生涯を閉じた詩人の山尾三省さんを偲び顕彰する「三省祭り〜〜アニミズムという銀河へ」を行ないました。31日には、作家の立松和平さん、詩人で三省さんの実妹の長屋のり子さん、沖縄の詩人の高良勉さん、元山と渓谷社の出版部編集長で三省さんのゲーリー・スナイダーとの対談本『聖なる地球の集いかな』などの本を編集した三島悟さんとわたしの5人で、三省さんについてとことん語りました。

 そして、翌日の11月1日には、シンガーソングライターのKOWさん、ギタリストの野村雅美さん、縄文土笛奏者の宇々地さんの奏でる音楽に乗って、参加者が自由に三省さんの詩を朗読するとことん浸るポエトリー・リーディングを、三省さんの本を出している地湧社の協力の下に行ないました。

 わたしはその催しの呼びかけ文として、次のような文章を書きました。


「三省祭り」の開催にあたって NPO法人東京自由大学理事長 鎌田東二

 山尾三省さんが亡くなったのは、2001年8月28日のことだった。享年62歳。まだまだこれからという年齢だった。
 だが、三省さんはたくさんの言葉の財産を残して逝った。それらは珠玉の未来性のあるメッセージだ。
 たとえば、「静かさについて」という詩。

この世で いちばん大切なものは
静かさ である
山は 静かである
雲は 静かである
土は 静かである
稼ぎにならないのは 辛いけど
この世で いちばん大切で必要なものは
静かさ である

 そのとおりである。付け加える言葉はない。そうだ、そのとおりだ、という声だけが木霊する。
 またたとえば、「一日暮らし」という詩。

海に行って
海の久遠を眺め
お弁当を食べる

山に行って
山の静かさにひたり
お弁当を食べる

 これまた付け加える言葉はない。そうだ、そのとおりだ、そんな「一日暮らし」をしたいと魂が言う。
 さらにまたたとえば、「祈りのことば」という詩。

祈りのことばは
わたくしが 人間としてたどりついた
最初のことばにすぎないが
最終の ことばでもある

 そうだ、そのとおりだ。それ以上付け加える言葉はない。だからわたしは、ただ神道ソングを心から歌うだけだ。それがわたしの祈りだから。「最初のことば」であり、「最終のことば」だから。「最終のことば」は、祈りか歌か詩にならざるをえないのだ。「祈りがやむとき/存在は 存在することをやめた と呼ばれる」と三省さんは綴る。存在即祈り。そして祈り即静かさ。その祈りや静かさこそが「霊性」の別名である。そしてそれがまた三省さんの言う「アニミズムという希望」でもあるのだ。三省さんの「アニミズム」とは祈りであり静かさであり希望だ。
 三省さんは言う。「詩人というのは、世界への、あるいは世界そのものの希望(ヴィジョン)を見出すことを宿命とする人間の別名である」と。
 そんな「詩人」の言葉と魂を、わたしたちはいつも思い出していたい。それは現代の「真言(マントラ)」であり、「聖歌」である。そんな、三省さんの「希望」を受け継ぎ、語り、さらに未来につなげる詩の銀河祭、それがわたしたちがこれから毎年継続して行なう「三省祭り」である。
 三省さんは、そんな心と言葉を持って、神仏に対する新しい感受と祈りの作法をぼくたちに伝えてくれる。アニミズムとは森羅万象の声に感応する道。自分もまたそれらの声の合唱の中のポリフォニックな一つのメロディやリズムとなってハモること。そんなハモり方を身につけること。
 三省さんは現代の芭蕉や蕪村や一茶のように、あるいは西行や山部赤人のように、万象に対する畏怖畏敬と慈愛の祈りを伝えてくれる。
 彼にとって、「アニミズム」は未来への「希望」であり、生成する「銀河」そのものだった。「アニミズムという銀河」の中で、万象の声に照らされ、その反射の中で輝いていた星。三星=三省。
 そんな三省さんに「星」という詩がある。

星を見て つつしむ
星を浴びて いのちを甦らせる
星を定めて 死の時を待つ

星を見て はなやぐ
星を浴びて カミを浴びる
星を定めて 天にまじわる

星を見て 究極する
星を浴びて 地に在る
星を定めて そこに還る

 ぼくたちは星のかけらだ。星の一片であり、一辺だ。星の声の一声であり、すべての星星の大交響楽の一節である。それが「アニミズムという希望」である。
 三省(三星)祭りは、現代の「ケンタウロスの祭」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)である。ぼくたちは、その日、星を見ながら「究極」し、地に在りつつ、星に還り、未来に向かって散らばっていこう。


 三省さんは、東京自由大学の立ち上げ時から顧問として支援してくださったばかりか、年に1度屋久島から出てきて自由大学で講義をしてくれました。それは、わたしたち、自由大学の貴重な財産となっています。その三省さんの遺志をきちんと受け継ぎ、さらに力強いものに鍛え上げながら、次に伝えたいと思っているのです。

 『古事記』を「超訳」したのも、「詩」を必要としているわたしの魂の求めです。わが求道の道程におのずとそれが実現したのだと思います。これからも、「詩」を求め、「詩」を生きていきたいと思います。オルボワール、シン! また逢う日まで。

2009年11月4日 鎌田東二拝