京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター 第086信

第86信

鎌田東二ことTonyさんへ

 もう9月になるというのに残暑厳しい毎日ですが、いかがお過ごしですか?
 今夜、8月31日の月は、とても美しいです。今月二回目の満月となる、いわゆる「ブルームーン」です。この月を見た者は幸せになるという言い伝えがあるそうですが、世界中の人々がブルームーンを見上げて幸せになれればいいですね。

 さて8月29日、わたしにとって、忘れられない出来事がありました。昨年12月より閉鎖されていた北九州市門司区にある「世界平和パゴダ」が、ついに再開したのです。

 レターの第80信にも書いたように、今年の3月3日、「世界平和パゴダ」のウ・ケミンダ大僧正の「お別れ会」が開かれ、わが社がお世話をさせていただきました。「世界平和パゴダ」は、日本で唯一のビルマ式寺院として知られています。第2次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されました。「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」が目的でした。戦時中は門司港から数多い兵隊さんが出兵しました。映画化もされた竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』に登場する兵隊さんたちです。残念なことに彼らの半分しか、再び祖国の地を踏むことができませんでした。そこでビルマ式寺院である「世界平和パゴダ」を建立して、その霊を慰めようとしたわけです。しかしウ・ケミンダ大僧正の死後、パゴダは資金難のため、閉鎖されていました。

 8月21日、それを管理する宗教法人の関係者の方々と一緒に、わたしと父は世界平和パゴダを訪れました。本来は閉鎖されたパゴダ内に入ることはできないのですが、今回は宗教法人の代表役員を務める方に鍵を開けていただいて、中に入ることができました。

 生まれて初めて入るパゴダは、素晴らしい聖なる空間でした。まず最初に、わたしは黄金の仏像が置かれている祭壇に向かって合掌しました。三方に貼られているステンドグラスには孔雀が描かれており、じつに見事でした。また、ブッダの生涯を描いたビルマの仏教画がたくさん飾られていました。

 この空間にいるだけで、ブッダの息吹に触れているような気がしました。それもそのはず、パゴダの下には仏舎利が納められているそうです。そう、ここは日本で唯一の仏舎利を有する上座部仏教の聖地なのです。今日は父と一緒の訪問でしたが、わたしたち父子ともども、なんとか、この貴重な宗教施設の再開に向けて尽力したいと心から思いました。



再開された「世界平和パゴダ」

パゴダ再開の記者会見の様子
 8月25日の朝、わたしは父と一緒に、東京都品川区北品川4丁目にあるミャンマー大使館を訪れました。緑豊かで閑静な住宅街の中にある大使館です。ミャンマーのキン・マゥン・ティン駐日大使にお会いするためです。ミャンマーは、国際経済の面からも今もっとも注目されている国の1つです。大使館の正門前で、ミャンマー仏教界の最高位にあるウ・エンダパラ三蔵位大長老にお会いしました。当日は土曜日なので大使館は休みでしたが、わたしたちは特別に中に入れていただきました。

 ミャンマーは上座部仏教の国です。上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れています。現在の日本は韓国・中国・ロシアなどと微妙な関係にある国際的に複雑な立場に立たされています。日本を取り囲む各国は自国の利益のみを考えているわけですが、それでは世界平和などには程遠いですね。わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国であると思っています。わたしは、「寛容の徳」や「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。

 ミャンマー大使館を訪れたわたしたち親子は、大使館に隣接した大使公邸に案内されました。ここで、キン・マゥン・ティン大使御夫妻およびエンダパラ大長老が迎えて下さいました。そして、大使と大僧正のお二人からサンレーグループの佐久間進会長が重大なミッションを授かりました。そのミッションとは、閉鎖されている世界平和パゴダの再開に向けて「ミャンマー・日本仏教交流委員会」を正式に発足し、委員長に佐久間会長が就任するというものです。

 委嘱状授与式の後は、昼食会が開かれ、本格的なビルマ料理をいただきました。どの料理もとても美味しかったです。また、大使自らが大長老に料理を取ってあげたり空いた皿を下げたりといったサービスをされているのが印象的でした。仏教国ミャンマーでは、人々は僧侶に対して最高の敬意を払います。僧侶のトップである大僧正に対しては、大統領でさえ平伏するほどです。

 今年で51歳になるというエンダパラ大長老は、すさまじいほどの宗教者としてのオーラを発していました。わたしが最初にエンダパラ三蔵位大長老の名を知ったのは、今年1月11日の「読売新聞」に掲載されたコラム「解」を読んでからです。「三蔵法師の憂い」という題のコラムでした。そう、エンダパラ大長老は「三蔵法師」と呼ばれているのです。

 三蔵は経蔵、津蔵、論蔵に分けた仏教聖典の総称で、すべてに精通したと認められた僧だけが三蔵法師と呼ばれます。試験は難しく、敬虔な仏教徒が多いミャンマーでも、これまで50万人以上が受験して合格者は戦後でたったの12人です。暗記する経典の内容は、じつに『六法全書』2冊半ぶんに相当し、ミャンマー人たちは「生き仏」と敬っています。

 読売新聞西部本社社会部の牧野田亨記者は次のように書いています。「それほどの人物が東日本大震災以外に、日本で心を痛めていることがある。北九州市・門司港のミャンマー仏教寺院『世界平和パゴダ』が昨年末から休院になったことだった。設立は1958年。仏塔と僧院があり、かの地から派遣された僧が住んでいた。日本で唯一の本格的なパゴダだった。運営費を旧ビルマ戦線の戦友会からの寄付に頼っていたが、高齢になった会員の死去が相次ぎ、赤字が続いていた。『戦いに敗れ、飢え死にしそうだった私たちを助けてくれた。その恩を忘れない』。そんな思いで支えてきた戦友会も、半世紀を経て力尽きた。

 ミャンマーは民主化と改革に向けて動き始めた。日本政府は本格的な経済支援を決め、日本企業も投資先として熱い視線を注ぐ。両国の関係改善がこれから進もうとする時期に、友好の証しだったパゴダの休院は、何とも寂しい。『両国の友好の象徴がなくなることに等しい。何とか再開できないものか』憂う三蔵法師を助ける孫悟空は、現れるだろうか」 

 そのように偉大な三蔵法師は「ブッダは生きている。パゴダの閉鎖によってブッダの心を閉じ込めてはならない」と言われました。また、「すべては、人が一番大事である。ススム・サクマは、これまで出会った日本人の中で最も尊敬でき、信頼できる人物である」と述べられ、わたしたち親子は非常に感激しました。



新たに来日したミャンマー僧たち

三蔵法師を囲む孫悟空親子(?)
 わたしは孔子と深い縁を得ましたが、父はブッダと深い縁を結ぶことになります。これほど名誉なことはありませんし、ブッダの心を日本人に伝えるお手伝いをさせていただくとはこの上なく重要なミッションであると言えます。もちろん、わたしも「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の委員長となる父を全力でサポートする覚悟です。親子で、三蔵法師の憂いをなくす孫悟空となりたいです。

 そして28日、北九州市小倉の松柏園ホテルに3人のミャンマー僧が来られました。ミャンマー仏教界の最高位にあるウ・エンダパラ三蔵位大長老を筆頭に、新たにミャンマーから世界平和パゴダに派遣されたウ・ヴィマラ長老とウ・ケンミェンタラ僧です。ウ・ヴィマラ長老は1964年9月16日生まれの47歳、マンダリン仏教大学教授でもあります。ウ・ケンミェンタラ僧は1981年6月15日生まれの32歳、インドとスリランカで厳しい修行をされました。お二人とも、とても清々しい目をされ、かつ威厳に満ちておられます。新しく赴任されたお二人は28日の夜は同ホテルに宿泊されましたが、29日の夜から世界平和パゴダで生活します。つまり、8月29日をもって「世界平和パゴダ」はついに再開されたのです!

 また、ミャンマーと日本両国の仏教交流及び親善のため、また再開された「世界平和パゴダ」の健全な運営を目的に「ミャンマー・日本仏教交流委員会」が発足し、29日に同ホテルで記者会見が行われました。「ミャンマー・日本仏教交流委員会」のメンバーは以下の通りです。
委員長:佐久間進(サンレーグループ会長)
委員:鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授)
委員:井上ウィマラ(高野山大学准教授)
委員:井上浩一(農業資源開発コンサルタント)
委員:八坂和子(宗教法人世界平和パゴダ理事)
委員:佐久間庸和(株式会社サンレー社長)

 Tonyさんや井上ウィマラさんには大変お世話になります。快く委員就任をお引き受け下さり、父も心から感謝しております。ぜひ、近いうちに北九州にお越しになられて下さい。わたしたち孫悟空親子が世界平和パゴダにご案内させていただきます。

 さて、記者会見では、エンダパラ大長老より挨拶がありました。大長老は「ミャンマーと日本両国の友好の証である世界平和パゴダが今日から再開され、まことに喜ばしい。テーラワーダ(上座部)仏教の普及によって、日本人の心の安らぎに貢献できることを願っています」と述べられました。続いて、キン・マゥン・ティン駐日ミャンマー大使より「今回の世界平和パゴダ再開によって、両国の仏教交流と親善が進むことを願っています。日本のみなさまにも広く協力をお願いいたします」として、世界平和パゴダ運営のための募金の協力を日本人に呼びかけられました。振込先は、以下の通りです。
三井住友銀行 五反田支店
口座番号:普通 8416742
口座名義:WORLD PEACE PAGODA FUND AMBASSADOR KHIN MAUNG TIN

 続いて、「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の佐久間進委員長が、「世界平和パゴダはビルマ戦線での戦没者の慰霊塔のようなイメージが強いですが、もともとパゴダとは聖なる寺院です。この聖地を一日も早く復活すべく微力ながらお手伝いさせていただくことになりました。わたし個人としては、日本が無縁社会を乗り越えるための拠点にもしたいと考えています」と挨拶しました。

 最後に、委員の1人としてわたしもマイクを持って話させていただきました。「『無縁社会』とか『孤族の国』といった言葉があります。日本人のこころの未来は明るいとは言えません。このような状況を乗り越えるシンボルに世界平和パゴダはなり得ると思います。日本で唯一の上座部仏教の聖地であり、ブッダの骨を収める仏舎利も有していることから観光的資源としても大きな可能性を持っています。さらには、建築デザインも素晴らしく、平和のモニュメントとしての意味も限りなく大きいと言えます。わたしは、将来的に広島の原爆ドームと同じく『世界文化遺産』にすることも夢ではないと考えており、ぜひ、ユネスコに申請したいと思っています。諸々のことを含めて、世界平和パゴダの意義と重要性を広く発信していきたいです」と申し上げました。

 ユネスコ・世界文化遺産申請のアイデアは大使から大変喜ばれ、会見終了後には「全面的に協力させていただく」とのお言葉を頂戴しました。記者会見の内容は、テレビ各局、新聞各紙も大きく報道してくれました。わたしたち親子がめざす「天下布礼」においても記念すべき日となりました。すべてを導いて下さったブッダに心から感謝いたします。

 また、「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の委員として、Tonyさんとともに明るい世直しができることにワクワクしつつも、心から感謝しております。Tonyさん、本当にありがとうございました。今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします。

2012年8月31日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、今日は8月の終わり、晦日です。今朝の明け方の4時45分くらいにこんな月没の光景を見ました。京都に来て、10年近くになりますが、こんな光景は初めて見ました。西山に14夜のお月様が沈んでいく姿なんて。何とも、不思議で、神秘的な光景でした。



14夜の月没

14夜の月没


14夜の月没
 さて、Shinさん、「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の発足、まことにおめでとうございます。お父上が委員長に就任され、Shinさんや、ミャンマーで出家得度して高野山大学で日本で最初のスピリチュア・ケア学の准教授となった井上ウィマラさんたちと一緒に委員の一人に加えていただき、そのミッションを全力で果たしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

 わたしは、昨日、2週間ぶりに比叡山に登拝しました。比叡山ではムカデと白犬に遭遇しましたが、歩きながら、8月24日から27日まで、3泊4日で出かけたNPO法人東京自由大学の夏合宿、「東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅」のことを反芻していました。これまで半年に1回ずつ、3度、東北の被災地450キロほどをカメラマンの須田郡司氏と巡ってきたのですが、今回は、NPO法人東京自由大学の仲間たち26名とともに廻りました。実に濃い合宿であり、旅でした。言葉にならない、できない、いくつもの出会いや出来事がありました。

 NPO法人東京自由大学の夏合宿としては、今回で14回目になります。東京自由大学は、1999年2月20日に設立し、その年の7月31日から8月4日まで、東北の旅をしたのが夏合宿の第1回で、その時のテーマとタイトルは、「東北の土・光・神楽を訪ねて〜早池峰・白石蔵王(西山学院)」でした。岩手県遠野市の早池峰神社の神楽と花巻市の宮沢賢治記念館を見学するのがメインで、その後、白石蔵王の全寮制の私立高校の西山学院の無限窯で、近藤高弘さん指導の下、陶芸ワークショップを行ないました。それから13年が経ったのですね。

 今回の夏合宿の趣旨文は、<2012年3月11日の東日本大震災の死者は1万5854人、行方不明者3155人、津波で流された身元不明の方々もおられ、死者との向き合い方、弔い方が問われ続けています。いったい、「被災地」の中で何が起こっているのか、その時々でどのような「問題」が起こっているのか、広大な被災地域の中でどんな「違い」があるのか、「復興」とは具体的に何なのか、その中で、宗教や伝統文化や地域芸能がどのような力や支えやよすがとなっているのか、つぶさに受け止めていきたいと思います。>としました。http://homepage2.nifty.com/jiyudaigaku/
行程は、次のとおりです。

1日目:8月24日(金)
10時半、仙台駅に集合し、借り切りバスに乗り込こんで移動。
宮城県名取市閖上地区富主姫神社・閖上湊神社参拝、同地供養塔にて鎮魂の祈り。東北大学大学院鈴木岩弓教授(宗教民俗学、「心の相談室」事務局長)にこの一日ご同行いただく。
仙台市若林区荒浜供養塔にて鎮魂の祈り。浪分神社参拝。その後、仙台市内で昼食。
塩竈神社・志波彦神社(延喜式内社)正式参拝。大瀧博司禰宜のお話をうかがう。
石巻市北上町:釣石神社参拝・鎮魂の祈り、岸波均宮司のお話をうかがう。
石巻市雄勝町:葉山神社参拝・鎮魂の祈り、千葉修司宮司のお話をうかがう。
石巻市雄勝町の亀山旅館に宿泊。
夜、雄勝法印神楽衆と交流;伊藤博夫雄勝法印神楽保存会会長他神楽衆有志のみなさん方のお話をうかがい、交流する。



名取市閖上富主姫神社・湊神社

同神社供養塔


雄勝法印神楽保存会伊藤博夫会長

石神社御神体

石神社御神体
2日目:8月25日(土)
早朝5時:葉山神社の奥宮の石(いその)神社(延喜式内社)参拝。
8時半、亀山旅館出発。
気仙沼市陸前階上:地福寺(臨済宗妙心寺派、玄侑宗久さんの紹介のお寺)参拝・鎮魂の祈り、片山秀光住職(法話バンドカッサパのリーダー、76歳)と弟さんのジャズドラマー・バイソン片山さんにご挨拶。
琴平神社参拝後、陸中国立公園岩井崎で弁当昼食。
「森づくりにかける志〜宮脇昭氏(横浜国立大学名誉教授)、畑山重篤氏(森は海の恋人運動提唱者)同時講演会」聴講
気仙沼市内:紫神社参拝・金光教気仙沼教会訪問。
南地区復興商店街でフィールドバレー見学。
ホテル望洋に宿泊。
夜はじっくりと参加者同士で交流会。



気仙沼市階上町岩井崎

気仙沼市南区復興商店街
3日目:8月26日(日)
岩手県陸前高田市和田地区:慈恩寺(臨済宗妙心寺派)参拝・鎮魂の祈り、古川敬光住職のお話をうかがう。
岩手県釜石市:尾崎神社参拝、鎮魂の祈り。佐々木裕基宮司のお話をうかがう。
岩手県山田町荒神社参拝・弁天島遥拝。西舘勲宮司(岩手県神社庁長)のお話をうかがう。
その後、荒神社の浜辺で海を見ながら弁当昼食。
岩手県大槌町第9仮設住宅訪問・交流(歌【神道ソング】・気功実習を含む)
宮古市浄土ヶ浜パークホテル宿泊。
夕食後:サンガ岩手代表の吉田律子氏のお話をうかがい、交流。



陸前高田市慈恩寺古川敬光住職のお話

サンガ岩手代表吉田律子氏顧問の手づくり工房
4日目:8月27日(月)
宮古市浄土ヶ浜パークホテルを出発して吉田律子氏が顧問をしている大槌町の「手づくり工房カフェ」を訪問。
その後、遠野市のNPO法人遠野物語研究所を訪問し、高柳俊郎所長のお話をうかがう。
遠野市内で昼食後、花巻市の宮沢賢治記念館見学。
15時28分、新花巻駅から新幹線で東京に帰京。

 このようなスケジュールでした、今回の「東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅」では、ほんとうに、心に残る言葉をいろいろと聴くことができました。東北大学教授の鈴木岩弓さん、塩竈神社の大瀧博司禰宜さん、釣石神社の岸波均宮司さん、葉山神社・石神社の千葉修司宮司さん、雄勝法印神楽保存会伊藤博夫会長さん他3名の神楽衆の阿部さんたち、地福寺の片山秀光住職さん、森は海の恋人運動提唱者の畠山重篤さん、「いのちを守る300キロの森づくり」運動の提唱者・宮脇昭さん、慈恩寺の古川敬光住職さん、尾崎神社の佐々木裕基宮司さん、荒神社の西舘勲宮司さん、サンガ岩手の吉田律子さん、大槌町第九仮設住宅の中村チヤさんと手芸サークルはらんこのみなさんたち、当の物語研究所高柳俊郎所長さん、そして、宮沢賢治記念館の宮沢賢治さん。

 それぞれの方々から発せられた言葉には、言霊がありました。その言葉のどれも深々と心に刻まれ、染み入りました。抜けないくらい、突き刺さりました。その言葉のいくつかを挙げると……、

「バラバラではなく、トータルに見る」
「緑を作るのに、鉄分が必要」
「鉄がないと、チッソ、リン酸、カリを吸収できない」
「木を植えて森を作る。やがて、木を切ると、下草が生えてくる。そして、フルボ酸(古母酸)ができる」
「本物の森を作る。知ってるだけではあかんのやで。やらな、アカン」
「生きていく上で便利なものではなく、生きていく上で大事なものを作る」
「復旧はバラバラ」
「地震が来たら津波と思え。地震が来たら高台に逃げろ。この地より下に家を建てるな」
「(震災・津波直後の)地獄絵図のような世界」
「そんな中で、私たちは、ご先祖様の眠るお墓に上がって、助かったんです」
「何もない中で、どう工夫して生きていくか」
「忘れ去られてしまうことが一番怖い」
「今は、できるだけ、来てほしい」
「被災した社を見て、本当に腰が抜けました。3時間、雪の降る中を座り込んでいたら、いつのまにか、若い女性が傘をさしてくれていました。その人が来られなかったら、わたしは凍死していたと思います」
「大槌町に未来はあるでしょうか?」
「夢が必要なんです、生きていくためには」
「生きるって、何だろう? 生き残った者の罪悪感、絶望、悲しみ」
「三回忌が終わるまで魚を食べてはいけない」
「90歳にして生き甲斐を見つけた。生きる意味をシフトできた。すべてが学び」
「絆、家族って、何だろう? 私の毎日は出会いの連続です」
「いのちの分水嶺、大自然の分水嶺、こころの分水嶺」
「今年、桜が咲く時期に牡丹雪が降りました。とても、不気味でした」
「そうだね〜、そうだね〜、そうなんだ〜、そうなんだ〜、わたしもあったが〜」

 数えきれないほど、染み入る言葉がありました。刺し入る言葉がありました。支える言葉がありました。触る言葉がありました。痛いけれども、深い。そして、真っ直ぐな。

 雄勝法印神楽保存会の伊藤博夫会長さんは、神楽の一節を歌を歌い、踊りを踊りながら、伝えてくれました。ジーンと来ました。ありがとうございましたと、お礼の言葉もないくらい、ありがたかったです。東北の風土と人々の底力と誇りと自負を強烈に感じました。

 昨日、比叡山を歩きながら、東北の風景と言葉が去来し、交錯して、涙があふれました。言葉にならないけれど、思いが溢れ出ました。わたしにできることは、小さなことでしかありません。MY聖地のつつじヶ丘で、般若心経一巻を奏上し、不動明王の真言3遍、地蔵菩薩の真言3遍、薬師如来の真言3遍、弁才天の真言7遍を唱えました。そして、天地人に捧げるバク転を3回。

 Shinさんもよくご存じのように、「バク転神道ソングライター」のわたしにとって、バク転は、天地人に捧げる儀式にほかなりません。比叡山も眺望できて、空は澄み渡り、秋の気配が忍び寄っていました。8月も終わります。2012年のこの夏も終わります。終わっていくものとともに、どう始まりと未来を作っていくか。Shinさんともども、「面白・楽し・ムスビ」の神道精神を以って、自分にできることを、たんたんとやっていきたいと思いますので、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

2012年8月31日 鎌田東二拝