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シンとトニーのムーンサルトレター第191信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、ついに鎌田東二オフィシャルサイトが新構築されましたね。素晴らしい新HPです。心よりお祝いを申し上げます。このムーンサルトレターもリニューアルされました。これからも、よろしくお願いいたします。

さて、東京都も京都府も福岡県も緊急事態宣言の最中で思うような活動ができませんが、Tonyさん、お元気ですか? まずは近況報告をしたいと思います。2月2日は「節分」でしたが、その日の夜、松柏園ホテルの顕斎殿で、「節分・合同厄除祈願祭」が行われました。わが社は儀式を重んじる「礼の社」ですので、どんな緊急事態であっても、年中行事は必ず行います。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしました。

節分祭での挨拶のようす

神事の最後に挨拶に立ったわたしは、「節分は鬼を払う行事です。現在、『鬼滅の刃』が社会現象と呼べる大ブームを起こしていますが、「疫病と鬼は古くからの深いつながりがあり、『鬼滅の刃』もまた鬼=疫病とする描写が多く見られます。夏に高温多湿となり、冬に低温低湿になる日本ではしばしば疫病が流行しました。このため日本の伝統行事には、疫病を祓うためのものが多いのですが、最も有名なものが2月の節分の豆まきです」と述べました。

続けて、「疫病は鬼がもたらすものと考えられ、節分=『季節を分ける日』、つまり季節の変わり目に鬼を祓って健康を祈願しました。この節分の豆まきは宮中行事の追儺式が起源とされますが、大きな流行をもたらす疫病の多くは外国からもたらされた疫病でした。このことから『鬼は外』は外国からもたらされた疫病を国外へと追い出すことを表しているとする説もあるとか。緊急事態宣言まで出ているコロナ禍の中にある今こそ、コロナ終息の願いを叶えるために節分祭を執り行うことには大きな意味があります」と述べました。


佐久間会長とともに豆まき

その後は、メインイベントの「福豆撒麻」です。例年は式場に溢れんばかりの大人数に向かって豆を撒くのですが、今年は袋に入った少量の豆を少人数に向かってチョロリンと撒きました。ウイズ・コロナの豆まきではありますが、これも立派な鬼滅の儀式です。

そして写場へ移動し、参加者全員で記念写真を撮影してから解散となりました。いつものように豆まきができず、神事の後の厄除け祝賀会もできなかったのは残念ですが、このような大変な時期にあっても神事だけは行うことができて良かったです。帰りに松柏園の「恵方巻」を貰いました。恵方巻は言葉を発せずに一気に食べるのが作法です。まさにウイズ・コロナ時代にぴったりの食べ物ではありませんか!


命には続きがある』(PHP文庫)

それから6日には、最新刊『命には続きがある』(PHP文庫)が発売されました。東京大学名誉教授の矢作直樹氏との「命」と「死」と「葬」をめぐる対談本で、2013年に刊行された同名の単行本の文庫版です。当時の矢作氏は、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長でした。「救命医師と葬儀のプロの異色対談」として、けっこう話題となって版も重ねました。今回の文庫化の目玉は、なんといっても7年ぶりの特別対談です。感染者が過去最高の534人(現在から見ると少ないですが・・・)になった2020年11月20日の東京で対談しました。同書の序章「ウイルスとともに生きていく」として、まとめられています。わたしは、以下のように話しました。コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されました。拙著『儀式論』(弘文堂)でも訴えましたが、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えるでしょう。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」です。

多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。志村けんさんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。

コロナ禍のいま、わたしの生業である冠婚葬祭業は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も悲惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ると思います。以上のようなことを、わたしは語りました。久々に、矢作直樹氏と存分に語り合えて有意義な時間となりました。


ケアの時代「負の感情」とのつき合い方』(淡交社)

そして、Tonyさんの最新刊である『ケアの時代「負の感情」とのつき合い方』(淡交社)について書かせていただきます。自然や人為がもたらす災害や、大切な人との死別などで、人の心は傷つけられてきました。宗教や芸術は、人類が悲しみや痛みに立ち向かってきた「ケア」の集積と捉えることができます。同書ではこうした視点から、痛ましい出来事・経験がもたらす怒りや悲しみなどの「負の感情」とのつき合い方を、宗教、芸術、伝統文化から探ります。版元は、茶道に関する出版で有名です。同書は平仮名が多用されており、これまでの著者の本とはちょっと印象が違いました。さまざまな「負の感情」を抱えながら生きていかなければならない現代人にとって救いになるような1冊でした。

版元の淡交社は茶道に関する出版物が多いので有名ですが、同書の白眉といえる第6章 「乱世と『負の感情』――伝統芸能のケア」の7「戦乱とお茶」では、千利休が取り上げられます。利休の芸術について、Tonyさんは「たしかに、秀吉にたいする対比的批評はあったでしょう。しかし、戦争(喧噪)と静寂という、この時代の『反対の一致』を実現したその逆説的表現は、たんなる批評の域をこえて、別種の宇宙を構築したとおもわずにはいられません。それこそ、『負の感情』とのつき合い方として、メタ(超)な異次元への移行をなしとげたのではないでしょうか? そう考えることで、未来をもっとおもしろく構想できる仕掛けと種がそこにある、とおもえるのです。千利休が提示した文明批評とお茶の宇宙哲学、その空間演出デザイン、すべてが戦乱の世のなかで、まさに『一服』の一期一会をなしとげる身心変容技法であり、負の感情のこえ方であったとおもうのです」と述べています。

この一文を読んで、わたしは市川海老蔵主演の日本映画「利休にたずねよ」を思い出しました。映画の中で利休夫妻は愛娘を亡くします。悲しみのどん底で利休は一服の茶を点て、妻の宗恩に差し出します。「そして、これはそなたのために点てた茶だ。悲しい思いばかりさせて、すまぬ」と言うのでした。そのとき、宗恩は「ようやく出来たのですね。あなたの理想の茶が・・・」と言うのでした。この場面には胸を打たれました。わたしはこの場面から、本木雅弘と宮沢りえが夫婦役を演じている「伊右衛門」のCMを連想し、本木・宮沢の2人が利休夫妻を演じても良かったと思いました。本木雅弘主演の日本映画「おくりびと」が世界中で絶賛されたのは、納棺師の所作の美しさがありましたが、それは明らかに茶道や歌舞伎の形式美に通じています。茶を点てることはグリーフケアにもなりうるのではないかと思いました。

また、日本映画「花戦さ」も思い出しました。かつて戦国の世に、武将たちは僧侶とともに茶の湯と立花の専門家を戦場に連れていったといいます。戦の後、死者を弔う卒塔婆が立ち、また茶や花がたてられました。茶も花も、戦場で命を落とした死者たちの魂を慰め、生き残った者たちの荒んだ心を癒したのです。まさに、茶道や華道がグリーフケアのワザであったことを映画「花いくさ」は示しました。そして、著者は、「『遊戯三昧』、そのような哲学や世界観や人生観なしに、あの戦国の世で、あの茶室と茶器と茶の作法をあみだすことは不可能だったと考えるからです。そこから学ぶべきケアの時代の『負の感情』とのつき合い方は、無尽蔵なものがあるとおもいます。わたしもそんな『遊戯三昧』をとくとあじわいたいものです。そして、『生への執着もなければ死の恐怖もなく、また恩怨もなければ愛憎もない』という『おさらば』の哲学を身につけたいとも思います」と述べるのでした。

わたしも、茶道とは「おさらば」の哲学を身につける芸術であると思います。ブログ「日日是好日」で紹介した日本映画を観て、わたしは茶とは「こころ」、器とは「かたち」のメタファーであることに気づきました。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。「人生100年時代」などと言われるようになりましたが、その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものとするのも、その人の「こころ」ひとつです。もともと、「こころ」は不安定なもので、「ころころ」と絶え間なく動き続け、落ち着きません。そんな「こころ」を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった「かたち」であると思います。また、武道や芸道といった「かたち」であると思います。いずれも、儀式文化と呼ばれるものです。わたしは、あらゆる儀式文化は「ケア」の道であると思いました。

最後に、Tonyさんは「新型コロナウイルスや自然災害や戦争や飢餓で苦しみ、支援をまっているひとがたくさんいる。ちょくせつ、そのようなひとたちにとどけられるものはない。じぶんは非力だ。でも、まわりまわって、いろんなものをとどけることのできるようなつながりはできる。いっさつの本をとおしても、そのような回路をうみだすことはできる。出版社と読者と、そしていまだ本など読んでいないおおぜいのひとびととをむすぶちからがうまれる可能性はある。未来はあかるいとはけっしていえない。でも、未来はぜつぼうてきだとか、きぼうがないとも、いえないし、いいたくない。じぶんにできること、できないこと、どちらもふくめて、つながりというか、縁というか、むすびというか、いつしか、ふしぎな接続がうまれてくるのだ。ぼくも、この本も、そんな接続点のひとつになりたい」と書かれていますが、深く共感しました。

この格調高いコロナの未来宣言は「おおぜいのひとびととをむすぶちからがうまれる可能性」を持っており、間違いなく「ケアの時代」をひらく名著だと確信しました。このムーンサルトレターも、「ケアの時代」をひらく一助になれば、こんなに嬉しいことはありません。では、Tonyさん、次の満月まで!

2021年2月27日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

Shinさん、こんばんわ。今回は新HPでの初顔合わせですね。旧HPのコズミックなレイアウトの雰囲気も好きでしたが、ちょうど20年の開設期間を経て、今回、より見やすく、読みやすいHPにリニューアルしました。今後ともよろしくお願いします。

また、新刊拙著『ケアの時代 「負の感情」とのつき合い方』(淡交社、2021年2月5日刊,https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784473044273)を取り上げてくださり、まことにありがとうございます。この本は「あとがき」に書いたようなちょっと特殊な経緯で、京都のお茶の本をたくさん出している裏千家の出版社である淡交社から出しました。

そして、コロナ禍で苦しんでいるさまざまな方々に少しでも届けられるように、できるだけ読みやすく書くことを心がけましたが、それがうまく行ったかどうかは、読者の受け止めにゆだねるしかありません。

Shinさんのムーンサルトレターを読みながら、ふとフランシスコ教皇のことを思い浮かべました。実は、今年の正月、2021年1月1日に、フランシスコ教皇は「平和への道のりとしてのケアの文化」というメッセージを配信しています。それは次のように始まります。

<1.新年を迎えるにあたり、政府首脳、国際機関の責任者、諸宗教の指導者と信者の皆さん、そして善意の人々に心からごあいさつ申し上げます。来る年に人類が、個人、共同体、民族、国家の間で、兄弟愛、正義、平和の道を進めるよう願いつつ、皆さんのご多幸をお祈りいたします。
2020年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による重大な健康危機により決定づけられました。この危機は、多分野にまたがる世界的な現象となり、気候、食糧、経済、移住などにおける相互に密接に結びついた危機をいっそう深刻化させ、極度の苦痛と困難を引き起こしています。わたしがまず思うのは、家族や愛する人を亡くした人、さらには仕事を失った人たちのことです。そして、医師、看護師、薬剤師、研究者、ボランティア、チャプレン、病院や保健機関の職員のことをとくに思い浮かべます。彼らは、患者に付き添い、その苦しみを和らげ、いのちを救うために、多大な苦労と犠牲をもって、いのちがけで全力を尽くし、今も働き続けています。そうした人々に敬意を表しつつ、わたしは政治指導者と民間企業に対し、病者と極めて弱く貧しい人すべてを支えるために、COVID-19のワクチンと必要不可欠な技術を確保すべく、適切な措置を講じるよう、あらためて求めます。

愛と連帯の数多くのあかしの傍らで、悲しいことに、さまざまなかたちのナショナリズム、人種差別、外国人嫌悪、さらには死と破壊をもたらす戦争や紛争が、新たに勢いを増していることを、残念ながら認めざるをえません。

この一年の間に人類の歩みに刻まれたこうした出来事は、兄弟愛に満ちた関係に基づいた社会を築くには、互いをケアし、被造物を大切にすることが、いかに重要であるかを教えてくれます。ですから、このメッセージのテーマを「平和への道のりとしてのケアの文化」としました。今日、はびこっている無関心の文化、使い捨ての文化、対立の文化に打ち勝つための、ケアの文化です。>

フランシスコ教皇は、「無関心の文化、使い捨ての文化、対立の文化に打ち勝つための、ケアの文化」の必要を今年の正月に世界中に発信したのでした。そのおよそ1ヶ月後の2021年1月28日に、わたしは、『ケアの文化 「負の感情」とのつき合い方』(淡交社、2021年2月5日刊・奥付)を出したので、その符合に粛然とした気持ちになりました。「ケアの文化」と「ケアの時代」とは、表現こそ少し違えど、同じことの重要性を主張している点では同方向を向いていると思いました。

先回のムーンサルトレター190信にも書いたように、わたしは、2015年にフランシスコ教皇が出した回勅『ラウダート・シ』にとても共感してきたので、今度のメッセージもその延長線上にあるものとして、大いに共感し、励まされました。フランシスコ教皇は、アッシジのフランシスコをその教皇名にしているだけあって、とても深い自然への畏敬の念が伝わってきて、歴代教皇の中でもわたしがもっとも共感・同意できる教皇です。天河大辨財天社の柿坂神酒之助宮司さんとともに、2003年に、バチカンでヨハネ・パウロ2世に謁見したことがあります。ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世も強く宗教間対話を促進した人だと思いますが、フランシスコ教皇は、それに加えて、深いところでの自然との対話を提唱・推進していると思います。

教皇は言います。次のような順序で、ケアの根源は神である、イエスである、その弟子たち、使徒たちである、そしてキリスト教を信じするすべての人たちであると、諄々と説いていきます。その論理と根拠の提示はクリアーで、キリスト教徒でないわたしにも、よく理解でき、共感できる論順です。

<2.創造主なる神――ケアという人間の使命の源

3.創造主なる神――ケアの模範

4.イエスの公生活におけるケア

5.イエスの弟子の人生におけるケアの文化

6. ケアの文化の基礎である教会の社会教説の諸原理

各人の尊厳と権利を促進するケア

共通善のケア

連帯によるケア

被造物のケアと保護

7.共通のルートを指し示す羅針盤

8. ケアの文化の教育のために

9.ケアの文化なくして平和はありません>

こうして、キリスト教の信仰の文脈から離れて、より一般化した「ケアの文化」の共有を提唱し、教育プログラムの中にそれを組み込み、そして平和を実現していく道筋を示し、最後を次のように締め括ります。

<ケアの文化は、平和を築くための特別な道です。それは、すべての人の尊厳と善を保護し促進するための、皆が参加することを前提とする、共通の連帯的な責務であり、関心をもち、目を向け、共感し、和解し、いやし、互いを尊重し受け入れる意欲でもあります。「世界の多くの地域が、傷の回復をもたらす平和の道を必要としています。創意と大胆さをもって、いやしと新たな出会いのプロセスを始める意欲をもった平和の作り手が求められているのです」。

人類の舟が危機という嵐に揺さぶられ、より穏やかで晴れわたった地平に苦心しながら向かっている今このときにも、人間の尊厳という舵と、基本的な社会原理という「羅針盤」があれば、皆一緒に安全なルートをたどることができます。わたしたちキリスト者はつねに、海の星、希望の母であるおとめマリアを見つめなければなりません。愛と平和、兄弟愛と連帯、助け合いと相互受容の新たな地平にむけて進むために、皆で協力しましょう。他の人々、とりわけもっとも弱い立場にある人に対して無関心でいようとする誘惑に負けないようにしましょう。目を背けるのに慣れないようにしましょう。そうではなく、「互いを受け入れ、互いをケアする兄弟姉妹から成る共同体を築く」ために、具体的な努力を日々、重ねていきましょう。>

フランシスコ教皇が拠り所としたアッシジの聖フランシスコ(1182‐1226、フランチェスコとも呼ばれる)は、日本の宗教家では、ほぼ親鸞(1173‐1262)と同時代を生きました。源平の合戦(1185年平氏滅亡)の頃に生れて、承久の乱(1221年)の後に亡くなったということになります。そのフランシスコが捧げたと言われる「平和の祈り」が広く伝わっていますが、実際にはフランシスコが作ったという証拠はないようです。ではありますが、その祈りはとても「負の感情」とのつき合い方のお手本となるものです。英語バージョンと日本語訳を以下に示してみます。

平和の祈り 英語バージョン Prayer of St. Francis of Assisi

Lord, make me an instrument of your peace.
Where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.

O Divine Master, grant that I may not so much seek
to be consoled as to console;
to be understood as to understand;
to be loved as to love.
For it is in giving that we receive;
it is in pardoning that we are pardoned;
and it is in dying that we

are born to eternal life.
Amen

平和の祈り

主よ、私を平和の道具とさせてください
わたしに もたらさせてください……
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。

ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められることよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されることよりも愛することを。

人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。

『フランシスコの祈り』(石井健五編訳、女子パウロ会、1992年)

この「憎しみのあるところに愛を、/罪のあるところに赦しを、/争いのあるところに一致を、/誤りのあるところに真理を、/疑いのあるところに信仰を、/絶望のあるところに希望を、/闇のあるところに光を、/悲しみのあるところには喜びを」というところは、『鬼滅の刃』キャッチフレーズとよく似ていますね。

<死闘の果てでも、祈りを。

失意の底でも、感謝を。

絶望の淵でも、笑顔を。

憎悪の先にも、慈悲を。

残酷な世界でも、愛情を。

非情な結末にも、救済を。

重ねた罪にも、抱擁を。>

このキャッチコピーを考案した人は、フランシスコの「平和の祈り」をよく知っていた人ではないかと思います。いずれにしても、「平和の祈り」も、ムーンサルトレター190信でShinさんが取り上げてくれたこの『鬼滅の刃』のキャッチコピーも、ともに、「負の感情」のシフトを示している点では同様です。

ところで、本年、令和3年は、西暦1221年になりますが、ちょうど800年前の承久3年(1221年)に承久の乱が起こりました。わたしはこの承久の乱が日本の政治を大きく転換した一大事件であったと考えています。それをとても簡略化して言うと、「下剋上の始まり」ということになります。「下剋上」とは、下位者が上位者の権力や権威を奪って、自らが権力を振るう者に成り上がることを言います。

つまり、時の執権であった北条義時(第2代執権、1163‐1224)が、治天の君である後鳥羽上皇(第82代天皇、1180-1239)や土御門上皇(第83代天皇、1195‐1231)や順徳上皇(第84代天皇、1197‐1242)を流罪に処し、即位したばかりのたった3歳の第85代仲恭天皇(1218‐1234)を廃位にして、9歳の第86代後堀河天皇(1212‐1234)を擁立した前代未聞の出来事でした。これにより、後鳥羽上皇は隠岐に流され、土御門上皇は土佐に流され、順徳上皇は佐渡に流され、後鳥羽上皇と順徳上皇は都から遠く離れた隠岐と佐渡で崩御することになりました。

後鳥羽上皇は不遇な天皇であり、上皇であったと言えます。『新古今和歌集』の勅撰を藤原定家に命じたり、『隠岐本 新古今和歌集』を編纂したり、『後鳥羽院御口伝』を著わすなど文化的にはたいへん高度な活動をしましたが、政治的には紆余曲折した経路があります。まず、第81代安徳天皇(1178‐1185)の異母弟になりますが、安徳天皇が壇ノ浦に入水する前の寿永2年(1183)に三種の神器なしで即位します。もちろん、まだ安徳天皇は存命ですが、平家打倒の院宣を出した祖父の後白河法皇の意思で即位することになりました。わずか3歳で。

その後、平氏は滅亡、鎌倉幕府が確立し、天皇家も院も公卿もともに権力を失っていき、その権力喪失の最たる事件が承久の乱で極まり、北条打倒の院宣を下した後鳥羽上皇が隠岐に遠流になったというわけです。後鳥羽上皇にしてみれば、歯噛みする悔しい出来事であったに違いありません。隠岐での生活も寂しく、都を恋しく思ったに違いありません。けれども、生涯都に戻ることはできず、隠岐の島で19年を過ごした後、最期を迎えます。さぞかし、無念の思いであったことでしょう。

実は、わたしは大学生の頃、駆け落ちをして、佐渡ヶ島と隠岐の島に行ったことがありました。それは、冬の2月のことであったので、冬ざらしの寒い佐渡と隠岐という荒れた日本海の二つの島に逃避行するような、荒涼とした冬景色の孤島の風景映像が今も時折胸に迫ってくることがあります。その時、承久の乱で、佐渡ヶ島に順徳上皇が流されていたことには気づいていませんでしたが、隠岐の島では後鳥羽上皇の黒木の御所に行きましたので、後鳥羽上皇がこの島で生涯を終えたことは知っていました。その後、隠岐の島には10回近く行っていますが、佐渡ヶ島にはこれまでに大学生の頃に2度行っただけです。また改めて佐渡ヶ島に行きたいと思っています。ここには、日蓮(1222‐1282)も、世阿弥も流罪となって流されましたので、その跡もしっかり巡ってみたく思います。後鳥羽上皇は隠岐の島で、次の有名な歌を詠みました。

我こそは 新島守(にいじまもり)よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け

無聊を抱えた後鳥羽上皇の孤独と寂しさと苛立ちが伝わってきますね。

ところで、わたしは昨年から「三田文学」に田中智学と出口王仁三郎を比較しつつ論じる連載を書いていますが、その過程で、田中智学の戯曲『佐渡』(天業民報社、大正10年・1921年2月16日発行)を読み、日蓮が承久の乱を「下剋上」の典型事例として捉えていたと解釈しているのを目の当たりにして、大変興味深く思いました。田中智学は『聖史劇 脚本 佐渡』の中で、日蓮の発言として、次のように書いています。

<念仏の可否は第二に置かう。先づ法華経を信ぜざるの条、明かに仏勅違背じや 方等権教の念仏を以て、法華一乗の経王をさみするは、臣下を尊んで王位を軽しめる下剋上。今の鎌倉殿と同じことじや。善導は末法に法華経の利益は、「千の中に一つも無し」と貶し。法然坊は「法華経を捨てよ閉ぢよ抛てよ」と言われた。信ぜよといふ釈尊に就くか。捨てよといふ法然等に就くか。順逆の進退は此二つじや。おん身はどちらに就く気じや。>(141頁)

ここで、日蓮は法然も仏教の教説の中での「下剋上」で、承久の乱で王位を軽んじた「下剋上」と同じ類である、と口を極めて非難しています。また、次のような日蓮の発言も描いています。

<そこじや、そこじや。義時は職は執権でも、身分は民じや。日本の天子は悉く天照大神の裔にして、且つ神の威徳の乗うつツて王位を継がせ給ふ現身の神にまします。日本の民は、善悪によらず天子の所従なり子なり弟子なりにして、何事にも違背は出来ぬ理合じや。然るに武家は朝廷を蔑みして、天下を我物顔に振舞う。後鳥羽法皇その横暴を憤らせたまひ、承久の当今順徳の帝と謀らはせたまひ、承久三年に義時が違勅の罪をせめて御征伐の院宣を下され、京には叡山御室東寺三井寺をはじめ、諸寺諸山に命せて、五壇十五壇等の大法秘法数を尽して、義時調伏のおん祈り。そもそも天子が民の叛逆を討つは、盤石を以て卵を摧くよりも易かるべき筈、その上かくも盛んの修法調伏。王威の尊厳に関東勢一たまりもなく打亡さるべき筈ではないか。然るに合戦の成行き言語道断にして、おん傷はしや本院は隠岐に、中院は土佐に、新院は遠くこの佐渡が島へ放たれたまひ。万乗のおん身を辺鄙陋屋に配所住居。二十余年の憂艱難。終に御帰洛も協(かな)はずして、佐渡が島根の土と化したまふ。日本開闢以来未だ見ず未だ聞かざる王土の不祥、前代未聞の下克上。これが不思議と思はぬか。これが心外と感ぜぬか。おん身は新院のおん供してきた従者の一人じやといふではないか。これほどの不思議に出遭ひながら、其れを何とも思はぬか。>(146‐148頁)

ここでも、「前代未聞の下克上」というとても強い言葉が使われています。そして、承久の乱の非道ぶりが徹底批判されています。純正日蓮主義を標榜する田中智学や日蓮の捉え方が正しいかどうかを含め、ここはいろいろと議論があるところだと思いますが、わたしが興味深く思うのは、日蓮も田中智学もともに承久の乱を日本の国の「前代未聞の国の殃(わざわい)」(148頁)と見ている点です。朝廷が念仏という「邪法」を信じた過ち、そして鎌倉幕府が「天子を廃立」するという「邪見」を本とした過ち。この「二つの殃が日本国の心を失ひ、政道の大義を亡した」(149頁)と、田中智学は日蓮に語らせます。

さて、1221年に起こったその承久の乱から、800年の時が経ちました。昨年、2020年は、『日本書紀』が編纂されて1300年の節目の年でしたが、「コロナ禍」の「殃」で世界中が大混乱となりました。そして、本年、2021年は「承久の乱」が起こって800年の節目の年です。どのような「殃」が起こるのかは不明ですが、しかし、何事があってもその先を見つつ、過去現在未来を貫く道理を見定め、歩んでいくことが肝要だと思っています。

ところで、わたしたちは、版元のサンガが倒産(破産)したために、いろいろな曲折と苦労の末に、ほんとうに、ほんとうに、艱難辛苦の果てに、苦心惨憺の末に、2021年3月22日に、 『身心変容技法シリーズ第3巻 身心変容と医療/表現~近代と伝統―先端科学と古代シャーマニズムを結ぶ身体と心の全体性』(日本能率協会マネジメントセンター、2021年3月30日刊・奥付)を出版することができそうです。https://pub.jmam.co.jp/book/b560937.html たいへん、ありがたいことです。

この本は、A5・2段組み全624頁の大著です。わたしもこれまでいろいろと本を出してきましたが、これほどの大著ははじめてです。この渾身の本をぜひ読んでいただければさいわいです。よろしくお願いします。

本日、比叡山を北嶺に持つ東山山系から出てくる満月を拝しました。ちょうど出てくるころに白川通りを歩いていました。身心霊にその満月光が届きました。春の月光力にやわらかくひたされるのをつよくやさしくかんじました。

次の満月は3月ですね。3月はわたしの誕生月でもあり、この頃になるとふらふらと旅に出たくなります。また、いつか、小倉でカラオケをいっしょに歌いたいものです。

2021年2月27日 満月の日に 鎌田東二拝

 

『身心変容技法シリーズ第3巻 身心変容と医療/表現~近代と伝統―先端科学と古代シャーマニズムを結ぶ身体と心の全体性』鎌田東二編、日本能率協会マネジメントセンター   判型:A5、頁数:624頁、本体:3,800円定価
配本日 2021年3月22日
ISBNコード:9784820728986
Cコード:C0010

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784820728986

本書の内容:新型コロナウィルスの感染拡大に苦しむ現在、医療や癒し、臨床にかかわるさまざまなヒントを提供する身心変容技法の論考集。瞑想の科学と、事例研究の両面を臨床的に統合、総合しようという試みであり、生きる力の源泉に触れ、生の指針を得るための学術成果の集大成。

身心変容技法研究は、鎌田東二を研究代表者として、「心の荒廃」が社会問題となり、未来のグランドデザインは描けない現代に向けて、2011年にはじめられた科研費による研究である。
身心変容技法とは、「身体と心の状態を当事者にとって望ましいと考えられる理想的な状態に切り替え、変容・転換させる知と技法」であり、古来、宗教や芸術、武道、芸能など諸領域で編み出されてきた。
研究は、この時代状況から抜け出ていくための宗教的リソースないしワザ(技術と知恵)として、この「身心変容技法」に着目。具体的には、神秘思想における観想、仏教における止観や禅や密教の瞑想、修験道の奥駆けや峰入り、滝行、合気道や気功や太極拳などの各種武道・芸道等々があり、それらさまざまな「身心変容技法」の諸相(特色)と構造(文法)と可能性(応用性)を、文献研究・フィールド研究・実験研究・臨床研究の手法により総合的に解明する。
そして現代を生きる個人が、自分に合ったワザを見出し、活力を掘り起こしながら、リアルな社会的現実を生き抜いていくことに資する研究成果を社会発信することを目的としている。
この「身心変容技法シリーズ」は、それら研究の成果を、専門家、研究者の枠を超えて、より多くの読者に届けるべく、企画された。

●心と身体の変容の伝統、技術、価値を現在の私たちの生き方に生かしていくこと。
●身心変容技法というものが、個人の在り方を根本的に変容する可能性を持つもので、新しい生き方を考える現在に必要な学びであること。
●現在が、新しい生き方の要請される人類史的な転換点にあることにあり、そのヒントとなること。

これらの問題意識が、身心変容技法シリーズにまとめられた学問研究には通底している。
本巻では、新型コロナウィルスの感染拡大で苦しんでいるさなか、医療や癒し、臨床にかかわるさまざまなヒントを提供する論考を集めた。瞑想の科学と、身心変容技法の事例研究の両面を含み、それらを臨床的に統合、総合しようという試みである。本書を通して、生きる力の源泉に触れ、生の指針を得ていただければ幸いである。

目次

●序章 身心変容と生業と医療ーなりわい・わざわい・さちわいの交叉点
「医療と身心変容技法の原点と展開」鎌田東二(京都大学名誉教授。上智大学グリーフケア大学院実践宗教学研究科特任教授/研究代表者)

●第1章 マインドフルネスと統合医療
「マインドフルネスと認知行動療法」熊野宏昭(早稲田大学人間科学学術院教授/臨床心理学・行動医学)
「統合医療の観点からの負の感情の浄化と霊的暴力」林紀行(仁泉会病院医員/内科・精神科)
「マインドフルネスの彼方へ」井上ウィマラ(マインドフルライフ研究所:オフィス・ラクダ主宰)

●第2章 多様な医療における身心変容技法
「未来の医療と身心変容」稲葉俊郎(軽井沢病院副院長・総合診療科医長/医師・医学博士)
「日本最古の医書『医心方』に見る身心変容」稲葉俊郎(軽井沢病院副院長・総合診療科医長/医師・医学博士)
「体育と教育と医療――オリンピックの可能性」稲葉俊郎(軽井沢病院副院長・総合診療科医長/医師・医学博士)
「自律性療法(心身医学)と後期シェリングの神話と啓示の哲学」濱田覚(京都大学大学院教育学研究科教育科学専攻教育学講座(教育哲学)博士後期課程)
「現代日本手技療法――脊椎操法の実証的研究へ向けて」藤守創(哲学博士(パリ第1大学))
「東洋医学治療と音――気滞、お血を動かす音」中田英之(練馬総合病院漢方医学センター長/産科婦人科・漢方医学)
「峨眉丹道医薬養生学派の気功と武道における身心変容技法研究」張明亮(峨眉丹道医薬養生学派十四代伝人/中医師・気功家)

●第3章 心理療法と精神医学と神経科学
「心理療法における暴力の浄化とその危険――ユングの体験から」河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授・センター長/ユング派分析家・公認心理師)
「音楽療法における身心変容の諸相――医学・トランス・強度」阪上正巳(国立音楽大学教授・精神科医/音楽療法研究)
「「畏敬の念」は攻撃行動を生ずるのか?」野村理朗(京都大学大学院教育学研究科准教授/教育認知心理学)
「神経科学と身心変容――分子・神経回路から世界史まで」松田和郎(日本老人福祉財団京都ゆうゆうの里診療所所長/朝日大学歯学部非常勤講師) 「分子生物学的視点からみた外的ストレスと恒常性維持」古谷寛治(京都大学放射線生物研究センター講師/生物分子科学)

●第4章 音楽・知覚・演技と身心変容技法
「声の力と意識変容体験」町田宗鳳(広島大学名誉教授/比較宗教学)
「ヒルデガルトの音楽と言葉――声を発し、記す身体」柿沼敏江(京都市立芸術大学名誉教授/音楽学)
「ディープ・リスニングと身心変容技法――ポーリン・オリヴェロスの体験を通じて」藤枝守(九州大学名誉教授/作曲家)
「記憶・知覚・身体への芸術的アプローチ――inter-Score/行為を誘発する装置としての記譜」高橋悟(京都市立芸術大学美術学部教授/構想設計)
「俳優からパフォーマーへ――グロトフスキの〈否定の道〉」松嶋健(広島大学大学院人間社会科学研究科准教授/文化人類学・医療人類学)
「風聞の身体、名もなき実在論――奄美群島の宮澤賢治」今福龍太(東京外国語大学名誉教授・和光大学特任教授/文化人類学)
「〈あわい〉の身心変容技法」安田登(能楽師・ワキ方(下掛宝生流))
「無心のケアのために――断片ノート」西平直(京都大学大学院教育学研究科教授/教育人間学・教育哲学・臨床教育学)
「現象学から創発学へ――一九九〇年以降フランス哲学における「生ける身体living body」の誕生」ベルナール・アンドリュー(パリ大学スポーツ科学部教授)/訳・奥井遼(同志社大学社会学部教育文化学科助教)

●第5章 芸能とシャーマニズム
「チベットの宗教と身心変容技法の社会性」小西賢吾(金沢星稜大学准教授/文化人類学)
「韓国シャーマニズムの「巫病」に見る身心変容」金香淑(日本大学文理学部講師/文化人類学・比較文化論)
「女性の心の病とアンダイ儀礼」アルタンジョラー(京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍/シャーマニズム・民俗医療研究)
「神事芸能と身心変容技法――国風の歌舞(春日大社社伝神楽と神楽歌)」木村はるみ(山梨大学教育学研究科准教授/舞踊学)
「「癒しのわざ」の現場から――治病・除災儀礼からたどる九州の「行者文化」」加藤之晴(駒澤大学総合教育研究部非常勤講師/宗教学・シャーマニズム研究)

●終章 社会の健康と医療
「社会のなかの仏教と仏教身体技法――正法理念から見た仏教の倫理と身体」島薗進(上智大学グリーフケア研究所所長/宗教学)
「新たな医療の領域と精神文化に根ざしたケア――孤立化の時代における地域文化資源」島薗進(上智大学グリーフケア研究所所長/宗教学)

身心変容技法シリーズ②
身心変容のワザ~技法と伝承
身心と心の状態を変容させる技法と伝承の諸相
出版:サンガ
2018年2月24日発売
定価 本体3,600円+税今巻は『身心変容技法研究』の第1号から第6号までの発表論文から、心と身体を変容させる技術と伝承に関する論稿を集め、一冊にしたものです。◆身心変容のワザ~技法と伝承 目次 (pdf 540KB)

身心変容技法シリーズ①
身心変容の科学~瞑想の科学
マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み
出版:サンガ
2017年10月1日発行
定価 本体3,600円+税年報『身心変容技法研究』の第1号から第5号までの発表論文から、 瞑想の科学に関する論稿を集め、一冊にしたものです。◆身心変容の科学~瞑想の科学 目次 (pdf 475KB)