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プロフィール

■鎌田東二(かまたとうじ Kamata Toji)

1951年(昭和26年)3月20日、魚座の最後の日に、徳島県阿南市桑野町に生まれる。首にへその緒を3巻き巻いて、全身紫色になって、窒息寸前で生れてきた。産婆さんが陣痛促進剤をうち、へその緒をとりはずして、全身をぶって血の巡りをよみがえらせなければ、確実に死んでいただろう。産婆さんに謝謝!

子どもの頃に、しばしば「鬼」を見た。「鬼」は巨大で、恐ろしかった。「鬼」がいると言っても、だれも「そんなものはいない!」と否定した。「鬼」とは何か? それが神秘不可思議なものに対するわたし自身の問題意識の発端になった。もう一つ、くりかえし同じ夢を見たことも神秘不可思議に対する関心と疑問につながった。左の手のひらに米粒ほどの玉が乗っていて、幼いわたしがそれを見ている。そのうちに、その米粒ほどの玉がみるみるうちに、ピンポン玉、テニスボール、バレーボール、バスケットボールの大きさに膨らみつづけてゆく。これはしっかり両手で、また両足を踏ん張って支えねばと思って地面に足を踏ん張ろうとすると、突如、わけもわからず、宇宙空間にはね飛ばされた。ボールが突然爆発的に膨張し、その爆発の勢いで、巨大な玉に必死にしがみつきながら、漆黒の宇宙空間の彼方へはね飛ばされていったのである。そのあまりの重圧と遠くまでとばされていく感覚に畏れを抱いて、「ワアーッ!」と叫び声をあげて目を覚ますのが常だった。なぜ、この夢をくりかえし見るのか。その不思議に頭を悩ませた。

小学校5年、10歳の時、福永武彦の『古事記ものがたり』を読み、わたしが見ていた「鬼」の世界が神話の世界の中にあることを確信し、大きな安心感を得た。『古事記』と、そのあとつづけて読んだギリシャ神話にわたしは精神的に深く救われたと思う。

17歳になったばかりの春、四国から九州を自転車一人旅行をした。その際、青島神社に立ち寄ったことが奇っかけとなり、詩を書くようになった。神話の里・日向の海と島に聖地の原型的な風景を見たのである。17歳の終わるころ、銀座のテアトル東京で、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅』を見て、心の底から感動した。これまでこれほど深く感動した映画はない。それはわたしが子どもの頃からくりかえし見ていた宇宙の夢をまったく違う観点から解き明かしてくれたからだ。澄みきった瞳を見ひらいたスターチャイルドが、水の惑星に向かって宇宙空間を漂ってゆくラストシーンを見た時、わたしたちはみんなこの星に「スペース・オデッセイ」をしてきた旅人なのだ、ということをはっきりと自覚した。そして、月から地球と太陽を見るアングルのファーストシーンで、この水の惑星である青い地球こそが聖地であると直観した。わたしは著作や歌の中で、バカのひとつ覚えのように、くりかえしその時の直観を語りつづけてきた。17歳の時に見た青島と「2001年宇宙の旅』の地球が、わたしの中での「ムーンサルト・プロジェクト(moonsault project)」の始まりであったのだ。

19歳の時、1970年6月、友人たちと大阪の心斎橋で1ヶ月間、『ロックンロール神話考』という芝居を上演した。その作・演出をわたしが担当した。というより、その芝居をやりたいがために、人を集めたといったほうが正確である。話の筋立ては、神代も時を経て、イザナギ・イザナミの神がわが子を見失い、子ども探しの旅に出る。一方、現代では少年少女探偵団の子どもたちが親を見失い、ほんとうの親を探しに出かける。この二つの旅が時空を交差し、さまざまなハプニングに遭遇し、またいろいろなアクシデントを引き起こしながら出会おうとするのだが、子どもたちは目的を達成できず、全員死に絶えてしまう。だが最後に、ある神的な超越的力が働いて蘇るという暗示で芝居は終わるという話である。なぜか、安保闘争の最後の盛り上りの時にこんな芝居をやっていたのである。

これ以降は、大学・大学院を経て、高校・専門学校・大学・大学院などに勤めつつ、研究と教育と著作活動を主に行ってきた。その間、さまざまなことがあり、死にかかったことも一度や二度ではなかった。とてもデンジャラスな道を無鉄砲に歩いてきた。そして、猿田彦神社の「おひらきまつり」(1997年)や「神戸からの祈り」や「東京おひらき祭り」(ともに、1998年)や「虹の祭り」(1999年以降)などの新しい祭りの創出にも関わった。こうして、35歳頃に「魔」と出会い、その直後に神主の資格(正階)を取得し、44歳の誕生日に地下鉄サリン事件が起こり、大いに悩み、中学校のPTA会長になったとたんに酒鬼薔薇聖斗事件が起こり、これまた大いに嘆き、悩み、47歳の冬の1998年12月12日、一念発起し、「清水の舞台から飛び降りる」気持で「神道ソングライター」になった。これまで「十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る」という孔子の言葉を人生の模範にしてきたが、四十にして大いに惑い、五十にして今なお天命を知らない。しかし、順調に老人力を身につけ、神道ソングライターとしてますます磨きをかけつつあるのが現状である。

神道ソングは、日本神話の中のスサノヲ神の「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を」によって始まった。スサノヲノミコトは神道ソングの創始者であり、親分である。神道ソングはまた、わが国伝統の「しきしま(敷島)の道」、すなわち歌の道であり、言霊の発露の道である。そのスサノヲからのミッションによってわたしは歌を歌う。わたしの歌はミッション・ソング、ミッショナリー・ソングである。それがシンガーソングライターならぬ「神道ソングライター」たるゆえんなのである。

神道ソングライターとしてのCDは、『この星の光に魅かれて』(2001年リリース)、『なんまいだー節』(2003年リリース)、石笛・横笛・法螺貝などの演奏については『元始音霊 縄文の響き』(春秋社、2001年、CDブック)などがある。現在、神道ソングライターとしての3枚目のアルバムを制作中。

■職歴と現職

錦城高校専任講師(国語)、國學院大學非常勤講師(倫理学・日本倫理思想史)、國學院大學幼児教育専門学校専任教員(倫理学・神道)、早稲田大学法学部・政治経済学部・人間科学部非常勤講師(宗教と社会・日本の宗教と社会・比較宗教学・宗教学)、武蔵丘短期大学健康生活科助教授(哲学・文化人類学・道徳教育の研究など)、京都造形芸術大学芸術学部教授(宗教と社会・国際社会論・哲学・民俗学・地域文化演習など担当)・同大学比較藝術学研究センター研究員を経て、2008年4月より、京都大学こころの未来研究センター教授(こころの科学、大学院教育学研究科:臨床教育学演習、ポケゼミ:沖縄・久高島研究など担当)、2016年3月退職、京都大学名誉教授。同年4月より、上智大学グリーフケア研究所特任教授(宗教学、死生学、スピリチュアルケアと芸術、文献講読、日本の宗教と文学、聖地の比較宗教学、日本思想、宗教思想の構造、大学院実践宗教学研究科:宗教と平和研究など担当)。2020年4月より、上智大学大学院実践宗教学研究科特任教授(宗教学演習、宗教学研究担当)。

■社会的活動

NPO法人東京自由大学名誉理事長、元猿田彦大神フォーラム世話人代表、財団法人天河文化財団評議員。京都伝統文化の森推進協議会会長(2007年12月設立、初代会長:山折哲雄)。2021年4月より、一般社団法人日本臨床宗教師会会長(2016年2月‐2021年3月初代会長:島薗進)。一般社団法人峨眉養生文化研修院代表理事。一般財団法人葵プロジェクト評議員。公益財団法人京都古文化保存協会評議員。一般社団法人日本宗教信仰復興会議理事。1998年5月、佐々木雅之、福田弥生とともに「元始音霊ユニット」を結成し、石笛奏者として活動。1998年12月12日より、「神道ソングライター」を名乗り、20年で約300曲を作詞作曲。各地でライブ活動を展開。

■所属学会・研究会

神道宗教学会理事 日本宗教学会理事 比較文明学会理事 日本スピリチュアルケア学会理事 身心変容技法研究会研究代表 世阿弥研究会世話人代表

■略歴・研究歴・受賞歴

國學院大學文学部哲学科卒業。國學院大學大学院文学研究科博士課程神道学専攻単位取得満期退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科博士課程社会環境生命科学専攻単位取得満期退学。国際日本文化研究センター共同研究員・客員助教授(1989年-2000年)を務める。ダブリン大学(アイルランド)ケルティック・スタディーズ客員研究員(1995年)を務める。2001年3月 学位請求論文「言霊思想の比較宗教学的研究」により、筑波大学から文学博士号「博士(文学)」(論文博士)を授与される。神道宗教学会研究奨励賞(1983年)。『水神伝説』であらまき賞新人賞(1985年、北海道札幌在住のSF作家・荒巻義雄が個人的に出していた賞)。日本保育学会研究奨励賞(1990年、共同研究)。『世阿弥ー身心変容技法の思想』(青土社、2016年7月)で第11回湯浅泰雄賞(2017年、人体科学会)。