シンとトニーのムーンサルトレター第240信(Shin&Tony)
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鎌田東二ことTonyさんへ
2月12日の夜、小倉の上空に満月が上りました。2月の満月は「スノームーン」です。Tonyさん、わたしたちのムーンサルトレターがついに240信になりましたよ。20周年です。丸20年も毎月この満月の文通が続いていることは、快挙というか、偉業というか、異形というか、奇行というか、とにかく凄いことだと思っております。20年ものあいだ文通が続いてきたということは、とりもなおさず、わたしたちがこの20年間生きてきたということになります。わたしたちはWEB上で言葉の交換をしながら、「明るい世直し」や「天下布礼」といった、お互いの使命や天命をレターの交換によって確認し合い、激励し合い、鼓舞し合ってきました。それから、まさに生命としての「命」の交換をしてきたように思います。
「日本経済新聞」2013年10月18日朝刊
また、この20年間、多くの方が亡くなり、レター上で追悼してきました。早くも2005年11月13日投稿の第2信では、わたしがこよなくリスペクトしていた経営学者ピーター・ドラッカー氏。2007年3月1日投稿の第18信では、わたしの仲人であり東急エージェンシーの元社長であった前野徹氏。2008年6月22日投稿の第48信では、秋葉原無差別殺傷事件の7人の犠牲者の方々。2009年11月4日の第51信では、詩人の山尾省三氏。2010年9月26日の第62信では、わが愛犬ハリー。
これまでの往復書簡の記録
2011年3月20日の第68信では、東日本大震災の犠牲者の方々。2013年3月13日の第93信では、歌舞伎役者の十二代目市川團十郎と文化人類学者の山口昌男氏。2014年3月17日の第105信では、教育者の鳥山敏子氏。2015年8月1日の第122信では、映画監督の大重潤一郎氏。2016年4月22日の第131信では、熊本地震の犠牲者の方々。2022年9月10日の第210信では、京セラ・第二電電創業者で、公益財団法人稲盛財団理事長の稲盛和夫氏。2024年1月26日の第227信では、能登半島地震の犠牲者の方々。そして、2024年9月の第230信では、サンレーグループ創業者のわが父・佐久間進・・・・・・。
次回作のタイトルは『満月交命 ムーンサルトレター』
この他にも、この20年間には多くの方々がこの世を去り、命が失われていきました。これらの厳粛な事実を鑑み、次回の往復書簡の書籍化では、書名を『満月交命 ムーンサルトレター』としたいと存じます。Tonyさんも「良いタイトルですね」と言って下さいました。2010年8月2日の第60信の最後に、Tonyさんは「これからも60回といわず、60年、ムーンサルトレターを続けましょう! 今生のいのちあるかぎり。いや、来世までも」と書かれていますが、今のわたしも同じ心境です。
さて、この1ヵ月の出来事についてお話したいと思います。阪神・淡路大震災から30年目となる1月17日の夜、わたしは北陸から飛行機で福岡に戻りました。その日は、待ちに待った日本映画「君の忘れ方」の全国公開日でした。原案は拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)です。18日に地元の小倉にあるシネプレックス小倉で行われた「君の忘れ方」公開記念舞台挨拶に原案者として登壇しました。ありがたいことに、同館オープン以来の超満員だったそうです。この劇場には本当によく来ているので、「満員御礼」は感無量でした。
シネプレックス小倉の前で
父の遺影を抱いて鑑賞しました
この日、シネプレックス小倉では、15時20分の上映の終了後、17時23分にわたしとMCである映画プロデューサーの益田裕美子さんが登壇しました。わたしは「グリーフケア」のシンボルカラーである青のコーディネートで登壇しました。靴もおニューの青い靴です。わたしが最後列の席で立ち上がってステージまで向かうと、盛大な拍手が起こりました。冒頭、MCの益田さんから「それでは早速、ひと言ご挨拶を頂きたいと思います一条先生、お願いします!」と言われ、わたしは「一条です。今日は、こんなに多くの方々にお越しいただき、本当に嬉しいです。ありがとうございます!」と言いました。
超満員の舞台挨拶のようす
次に、MCの「それでは、さっそく本作についてお話を伺っていきたいと思います。一条先生はここ北九州市のご出身で、この映画の原案である『愛する人を亡くした人へ』の作者でもいらっしゃいますが・・・原案者として映画の率直な感想をお聞かせ願えますか?」との言葉に続いて、わたしは「そうですね。正直言って、画面が暗いと思いました。あと、ここまでエンタメ寄りになるとは思っていなくて驚きました。原案者としては、グリーフケアについて理解できる作品を作ってほしいと願っていましたが、まあそれだけでは興行映画としては厳しいですよね。そちらは『グリーフケアの時代に』というドキュメンタリー映画もありますので、『君の忘れ方』はこれで良かったんじゃいかと思います。ミステリーの要素もハラハラドキドキしました」と言いました。
MCの益田プロデューサーとのやり取り
続いて、MCから「一条先生は作家としてはもちろん、本名佐久間庸和として冠婚葬祭の大手(株)サンレーの代表取締役社長としても活躍されています。本作では『グリーフケア』が大きなテーマとなっておりますが・・・サンレーさん自体でも『グリーフケア』への具体的な取組みを行っていると伺いました。まずは『グリーフケア』とは何かについてお聞かせ願えますか?」との言葉がありました。わたしは、「グリーフケアとは、悲しみに寄り添うことです」と言いました。
グリーフケアについて説明しました
また、わたしは「昨日は阪神・淡路大震災から30年目でしたが、グリーフケアは2011年の東日本大震災を契機に国内でも注目を集めるようになりました。もともと、 1960年頃にアメリカではじまったとされています。 日本では、『死別の悲嘆』に寄り添うケアとして認識されていますが、アメリカでは職を失ったり、失恋したり、所有物をなくす、あるいは環境や役割、自尊心の喪失(孤立感、名誉を失うなど)など、幅広い療法として普及しています。日本の芸能界やテレビ局を騒がせている性被害にもグリーフケアが必要ですね」と発言しました。
わが社のグリーフケア活動を説明しました
それから、MCが「作中にもできてきました『月あかりの会』は、実際に存在されているとも伺いました。サンレーさんが運営されていると聞きましたが…どのような活動をされているのでしょうか?」との質問がありました。わたしは、「弊社サンレーでは2010年に遺族の会 『月あかりの会』を発足させ、連動して集いの場所『ムーンギャラリー』を開設しました。グリーフケアには、 同じ思いの人たちが集まれる場が提供されることが最も大切で、同じように大切な方を亡くされた方々と安心して安全に語り合うことが重要なのです。月あかりの会には、当社で葬儀をされた方を中心に参加していただき、アロマテラピーやカウンセリング、ヒーリングミュージックなど『癒し』のお手伝いをしております。合同慰霊祭や体操、カラオケなどのカルチャー教室をはじめ、セミナーや講演会などを企画・実施する『学び』。バスハイクなど、旅行やレクリエーションを通し、和やかに楽しむ『遊び』を行なっています」とお答えしました。
坂東さんと西野さんの印象を話しました
続いて、MCから「さて映画の話に戻りますが・・・主演の坂東龍汰さん、西野七瀬さんの印象はいかがでしたか? 西野七瀬さんとは直接お会いになって打ち合わせ等もされてようですが?」との質問がありました。わたしは、「お二人ともお会いしましたよ。坂東さんはすごい好青年で、人間性の高さを感じました。『春に散る』という映画で横浜流星さんとボクシングの試合シーンがありましたが、運動神経も素晴らしいですね。西野さんは映画『52ヘルツのクジラたち』でネグレクト・マザーの役だったんですよ。じつに嫌な役だったんですが、それがあまりにも真に迫っていて『もし本当に嫌な人だったら、どうしよう』と心配したのですが、実際にお会いしてみると、とても控えめで素敵な方でした。役者さんの演技力というものは凄いですね」と言いました。
映画出演について語りました
MCから「一条先生は、とても映画好きでいらっしゃいますね。さて・・・お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが・・・実は本編でも一条先生が『役者として』登場されていましたね」との発言がありました。わたしは「いや、お恥ずかしいことです。志賀司さんの経営される埼玉の葬儀社のフューネラル・ディレクター役で出演させていただきました。西野さんの遺影を祭壇に飾って一礼するのですが、そのお辞儀がすごく良かったと監督から褒められました。その後、神道の映画で玉串奉奠をする役とか、仏教の映画で焼香する役とかのオファーが相次いでいます。わたしは冠婚葬祭文化振興財団の理事長なんですが、まあこれも冠婚葬祭文化振興の一環かなと思っております(笑)」と言いました。大きな笑いが起こりました。
「わたし」から「わたしたち」へ!
万感の想いで一礼しました
そして、MCから「さて、あっという間ではございますが、お時間が迫ってまいりました。残念ですが、こちらでトークイベントは終了とさせていただきます。最後にご挨拶を伺いたいと思います」との言葉がありました。わたしは、「18年前に『愛する人を亡くした人へ』を書いたときは誰も『グリーフケア』という言葉を知りませんでした。でも、今は知らない人は少ないです。あのとき、わたしは孤独でしたが、今は孤独ではありません。『わたし』から『わたしたち』へといった大きな変化を感じています。また、『わたしたち』というのは生きている人だけではありません。亡くなっている死者も含みます。わたしたちは、死者によって支えられ、死者とともに生きています。昨年9月20日に父が亡くなったのですが、この映画が完成することをすごく楽しみにしていました。きっと、この会場で一緒に映画を鑑賞したことと思います。今日は本当に感無量です。みなさん、ありがとうございました!」と挨拶。大きな拍手が起こり、感動しました。
「一条真也の映画館」TOPページ
さて、わたしのブログでは映画レビューの記事をUPしていますが、そのまま、オフィシャル・シネマレビュー・サイト「一条真也の映画館」に転載しています。同サイトには「一条真也のハートフル・ブログ」および「一条真也の新ハートフル・ブログ」にUPしてきた映画が紹介されていますが、「君の忘れ方」のブログ記事の転載をもって、1000回を迎えました。現在、ネットで検索すると、わたしの映画レビューが上位に来ています。1位になっていることも珍しくありません。プロの映画監督や俳優さんたちにもよく読まれているようで、相手からそのことを言われて驚くこともしばしばです。それぞれの映画レビューはけっこう長文で、長いものでは10000字を超えます。平均すると5000字くらいでしょうか。それにしても、われながらよく書いたものです。また、よく映画を観たものです。
「君の忘れ方」のレビューで1000回達成!
書評界のレジェンドだった故松岡正剛氏が1000冊の書評を「千夜千冊」と命名していたのにならって、わたしは1000本の映画レビューを「千夜千本」と呼びたいと思います。また、わたしは映画とは夢であると考えているので「千本千夢」とも言えるでしょう。1000本目となった映画「君の忘れ方」の原案は拙著『愛する人を亡くした人へ』ですが、自分が書いた本が映画化されるというのは今回が生まれて初めての経験です。そんなメモリアル・ムービーがちょうど1000本目の作品という事実に、運命の不思議さを感じてしまいます。
小倉昭和館の前で
「ローマの休日」のポスターの前で
まだまだ映画の話題は続きます。1月25日の土曜日、小倉昭和館で開催されたトークショーに出演しました。お相手は、本屋大賞作家の町田そのこ氏です。上映作品は永遠の名作「ローマの休日」です。ローマが舞台ということで、わたしは、イタリア製の赤のレザージャケットに赤のボルサリーノで出演しました。北九州市議会議員選挙の前にも関わらず、小倉昭和館には長蛇の列が出来ました。満員になったイベントの正式名称は「昭和館シネマカフェ」で、15時25分から上映開始、18時20分に上映終了。その後、18時40分から17時25分までトークショーが行われました。小倉昭和館のロビーには、「ローマの休日」の日本初公開時のポスターやロケ地の写真などが展示されていました。
この日上映された「ローマの休日」は、1953年のウィリアム・タイラー監督作品です。ヨーロッパを親善訪問中の某小国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、過密なスケジュールと自由のない生活に我慢できず、最後の訪問地であるローマで、ついに大使館を抜け出してしまいます。ひょんなきっかけからアンの素性を知ったアメリカ人記者のジョー(グレゴリー・ペック)は大スクープを狙い、街の観光に付き合うことになります。トレビの泉、真実の口など、様々な場所を巡っていく内に、アンとジョーは強く惹かれ初めるのでした。第26回アカデミー賞で、女優賞、原案賞、衣裳デザイン賞を受賞しています。
トークショーのようす
「ローマの休日」について語り合う
「ローマの休日」は、「元祖デート・ムービー」として知られています。それぞれの立場を隠してローマの街の名所を散策するジョーとアン。初めてのカフェ、タバコ、真実の口、祈りの壁・・・・・・ぎこちない距離感がやがて、恋心に変わっていく、魔法のような瞬間をときにコミカルに、ときにみずみずしく描き、後の多くの映画作品の原型になりました。そう、この映画は恋人や友人、家族など誰とでも一緒に楽しめる元祖デート・ムービーなのです。「ローマの休日」を観ると、恋愛の素晴らしさを痛感します。けっして結ばれる運命にはない2人ですが、最後に熱いキスを交わす場面を観て、わたしは年甲斐もなく泣きました。そして、「どんな人間にだって恋をする自由はある!」と思いました。命短し、恋せよ老若男女!
冒頭に挨拶する町田氏
町田氏との御縁を説明しました
「ローマの休日」は70年前の映画だというのに、スクリーンの中のオードリー・ヘプバーンは生きているようです。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)では、古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説を紹介しました。洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。
映画は死者と再会するメディア
映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているからです。『死を乗り越える映画ガイド』において、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があり、映画そのものは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあるとも述べました。そう、映画を観れば、今は亡き好きな俳優に再会することができます。「ローマの休日」をはじめ、「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」などの数々の名作の名場面を観ていると、「ああ、いまでもオードリーは生きている。いや、スクリーンの中で彼女は永遠に生きている」と実感できます。映画は不死のメディアなのです!
ビールを飲みながら、オードリーを語る
オードリー・ヘプバーンの多くの出演映画の中で、やはり最高の代表作といえるのは彼女のハリウッド・デビュー作である「ローマの休日」です。オードリーのアン王女役は、まばゆいように新鮮です。相手役の新聞記者ジョー・ブラッドリーは、当時のハリウッドを代表する俳優グレゴリー・ペックが演じました。「ローマの休日」という映画史上に燦然と輝く名作の素晴らしさ は、相手を思いやる気持ちが随所に出ているところです。まさに、コンパッションですね。中でも特に世界中の観客を感動させたのは、アン王女が記者会見場で各社の記者と接見した後に、階段を上り終えて止まる場面です。無言で見つめ合う二人の表情を見るだけで、今でも涙が出てきます。
「グレゴリー・ペックに似てますね!」と町田氏
グレゴリー・ペックの話題で盛り上がる!
アン王女を演じたオードリーも素晴らしいですが、ジョー・ブラッドリーを演じたグレゴリーも素晴らしい。今は亡き淀川長治氏は「グレゴリー・ペックの品の良さが『ローマの休日』という映画にぴったりでしたね」と語っていましたが、グレゴリーは誠実な性格で知られ、多くの人々から慕われたそうです。また、オードリーとは恋愛関係にはなりませんでしたが、生涯、固い絆で結ばれていた同志的関係だったそうです。なんだか素敵ですね! この日、町田氏から「一条さんは、グレゴリー・ペックに似てますね」と言われてドギマギしました。というのも、以前、ある映画ジャーナリストの方から「グレゴリー・ペックに似ていますね。ただし、『ローマの休日』のときの」と言われたことがあるからです。そのときも本当に驚き、かつ困惑しました。
グレゴリー・ペックは知的な紳士で、人格者として知られていました。その人望を買われて政界進出の噂が周囲から出たそうです。オーソン・ウェルズにも大統領になるよう薦められていたとか。しかし、本人は「すでに自分は大統領役や歴史上の偉人をもう何人も演じている。もうこれだけで充分ではないか?」と答え完全否定。あくまで俳優として職を全うすることを公言したといいます。グレゴリー・ペックは、アカデミー協会の会長やハリウッド俳優組合の会長など各種映画団体の会長や理事、アメリカ癌協会でも理事を務めました。
2度の結婚で5人供がいましたが、オカルト映画「オーメン」(1976年)に出演したとき、その撮影の2か月前に彼は息子を拳銃自殺で亡くしています。つまり、息子を拳銃自殺で亡くした深いグリーフの中で、映画の中では息子ダミアンを拳銃で殺す役を演じたのです。このエピソードを初めて知ったとき、深い悲しみの中でプロの俳優として仕事をやり切った彼に深い尊敬の念を抱かずにはおれませんでした。ということで、ムーンサルトレターもめでたく20周年を迎えることができましたが、今後ともよろしくお願いいたします。では、次の満月まで。
オルボワール!
2025年2月12日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
今日は2025年2月27日。Shinさんから「ムーンサルトレター240信」をもらって2週間以上が過ぎてしまいました。返信が遅れ遅れ申し訳ありません。
体調が悪く、食欲もなく、「断食死」に近づいておりました。この2ヶ月ほど。
が、このところ、少しずつ食欲も出てきて、回復しつつあるかな? という感じです。
ところで、小倉昭和館での「ローマの休日」のトーク、大変面白かったようですね。
「ローマの休日」、すばらしい映画、です。
また、主演のグレゴリー・ペックと、オードリー・ヘップバーン、とても魅力的で、チャーミングですね。
実は、グレゴリー・ペックは、父に似ていて、グレゴリー・ペックを見るたびに、父を思い出します。
京都面白大学2025第55講「西国33所第13番札所訪問」2025年2月25日
京都面白大学2025第53講「災害学・災害社会支援者研修センター第1期生講習第3講「災害学各論②阪神淡路大震災の経験から問いかけ学んだこと」草島進一×島薗進×今井洋介×鎌田東二 2025年2月20日
ところで、本を3冊出します。
2月27日 鎌田東二拝
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シンとトニーのムーンサルトレター第239信(Shin&Tony)
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