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シンとトニーのムーンサルトレター 第043信

第43信

鎌田東二ことTonyさんへ

 ひと雨降るごとに暖かくなり、春の予感がいたします。また満月の夜がやって来ました。わたしにとって、いや日本人にとって、最近の大きなニュースといえば、なんといっても日本映画『おくりびと』が第81回アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したことです。日本映画界初の快挙!レターの第37信にも書きましたように、弊社ではこの映画の前売券を大量購入し、ほぼ全社員で鑑賞いたしました。また、周囲の親しい方々にもチケットをお配りしてきましたので、このたびの快挙の感動はひとしおでした。

 「日本人は、いや世界中どこでも同じだが、死を忌み嫌う傾向がある。企画をいただいたときは不安だった。しかし、実際に(映画で扱っている)納棺師の仕事をみて、これはやらなければいけないと感じた」という滝田洋二郎監督の受賞コメントを聞いて、わたしは涙が出ました。本当に良かった!

 「死」という万人に普遍的なテーマを通して、家族の愛、友情、仕事への想いなどを直視した名作ですが、葬儀が人間の魂を天国に送る「送儀」に他ならないことを宣言した作品でもあると思います。人間の魂を天国に導くという芸術の本質を実現する「おくりびと」。送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりうることを『おくりびと』は示してくれました。

 文学界でも大きな動きがありました。天童荒太さんの『悼む人』が第140回直木賞を受賞したことです。「悼(いた)む」とは、「哀悼」や「追悼」の「悼む」です。日本全国の死者を「悼む」旅を続ける青年が主人公です。彼は、新聞記事などで知った殺人や事故の現場に出向き、死者が「誰に愛されていたか」「誰を愛していたか」「どんなことをして人に感謝されたか」を尋ね、「悼み」の儀式を行うのです。

 そんな彼を偽善者とする雑誌記者、彼の家族、夫を殺した女性など、さまざまな登場人物との関係が淡々と描かれています。静かな物語ですが、「生とは何か」「死とは何か」、そして「人間とは何か」といった最も根源的な問題が読者につきつけられます。

 これらのテーマは、これまで哲学者たちや宗教者たちによって語られてきました。しかし、著者の天童さんは文学の力によってこの深遠なテーマを極限まで語っています。その点は、ベストセラーになった前作『永遠の仔』にも共通しています。

 『悼む人』を読んで、わたしは非常に驚きました。その理由は二つあります。第一に、わたしが日常的に考えていることが、そのまま書かれていたからです。それは、「死者を忘れてはいけない」ということ。そして第二に、主人公の「悼む」儀式が、各地の名所旧跡で過去の死者たちのために鎮魂の歌詠みを続けるわたしの行いを連想させたからです。

 病死、餓死、戦死、孤独死、大往生・・・時のあけぼの以来、これまで、数え切れない多くの人々が死に続けてきました。わたしたちは常に死者と共生しているのです。絶対に、彼らのことを忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福などありえないと、わたしは心の底から思います。

 日本において映画界に『おくりびと』が、文学界に『悼む人』が誕生したことは、大きな事件でした。すでに『千の風になって』がブームになった時から、それこそ風が吹き始めていたのかもしれません。日本人は、いま、明らかに「死」と「葬」を真正面から見つめています。「おくりびと」の原作である青木新門さんの『納棺夫日記』(文春文庫)も、アカデミー賞受賞以来、非常な売れ行きのようです。アマゾンの総合1位をしばらく独走していました。わたしは青木さんと同じく冠婚葬祭互助会業界に身を置く者ですが、奇しくも、アマゾン「死生観」本ランキングでは1位の『納棺夫日記』に次いで、拙著『愛する人を亡くした人』(現代書林)が2位となっていました。

 わたしも『納棺夫日記』を読みました。16年前に本木雅弘さんがこの本に出会って感動し、ずっと映画化の構想をあたためていたとか。著者の青木さんは、富山にある冠婚葬祭互助会の葬祭部門に就職し、遺体を棺に収める「納棺夫」として数多くの故人を送ってきました。ちなみに「納棺夫」とは著者の造語で、現在は「納棺師」と呼ばれています。

 死をケガレとしてとらえる周囲の人々からの偏見の目に怒りと悲しみをおぼえながら、著者は淡々と「おくりびと」としての仕事を重ねていきます。そして、こう記します。

 「毎日、毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。驚き、恐れ、悲しみ、憂い、怒り、などが錯綜するどろどろとした生者の視線が、湯灌をしていると背中に感じられるのである。」

 まるで宇宙空間から地球をながめた宇宙飛行士のように、著者は視点を移動して「死」を見つめているのです。「生」にだけ立脚して、いくら「死」のことを思いめぐらしても、それは生の延長思考でしかありません。また人が死の世界を語っても、「それは推論か仮説でしかないであろう」と著者は述べます。

 納棺という営みを通じたからこそ、「生」に身を置きながらも「死」を理解できたのでしょう。そこからは、「詩」が生まれます。作家の吉村昭氏が「人の死に絶えず接している人には、詩心がうまれ、哲学が身につく」と序文に書いていますが、まさに至言です。『納棺夫日記』は、「死」という未来をもつ者が読むべき一篇の美しい「詩」のような本です。

 それにしても悲しいのは、「死」をタブーとするあまりに生まれるもの、そう、「葬」にたずさわる人々への差別と偏見です。青木さんは、こう書かれています。
「職業に貴賎はない。いくらそう思っても、死そのものをタブー視する現実があるかぎり、納棺夫や火葬夫は、無残である。」「昔、河原乞食と蔑まれていた芸能の世界が、今日では花形になっている。士農工商と言われていた時代の商が、政治をも操る経済界となっている。そんなに向上しなくても、あらゆる努力で少なくとも社会から白い眼で見られない程度の職業にできないものだろうか。」「恐らく葬送という行為は、今後も人類があるかぎり、形が変わっても続いてゆくだろう。そうであるなら何とかすべきである。」「自分の父や母が、日ごろ白い眼で見られている者の世話になって人生の最後を締めくくるのも、おかしな話である。」まったく、同感です。

 最近、劇団四季のミュージカル『ウィキッド』を観て、差別や偏見は政治的に作られるものであることを改めて強く感じました。「誰も知らない、もう一つのオズの物語」であるこの作品は、『オズの魔法使い』に登場する「悪い魔女」と「善い魔女」の誕生秘話です。美しいルックスで皆から愛されるグリンダと、生まれつき緑色の肌を持ち周囲から差別され続けてきたエルファバ。この二人が世の中から「善」と「悪」というレッテルを貼られてゆくさまは、わたしが考え続けている「聖人とは何か」「魔人とは何か」の問題そのものでした。Tonyさんは、もう御覧になりましたか?緑色の聖人(魔人?)であるTonyさんにはぜひ観ていただきたい作品です。

 『おくりびと』に話を戻しましょう。アカデミー賞受賞で何よりも嬉しかったのは、日本の片田舎でひっそりと生きている納棺師というこの上なく地味な職業の物語が、ハリウッドでのアカデミー賞授賞式という世界一華やかな場面で評価を受けたことです。

 そして、もうひとつ嬉しかったことは、「日本文化としての葬儀の素晴らしさ」を世界中の多くの識者が認めてくれたことです。葬儀は、まさに「クール・ジャパン」でした! 今回の快挙で、葬儀という職業が、青木さんが夢見た「少なくとも社会から白い眼で見られない」職業へと大きく前進したと思います

 差別から平等へ! わたしたちは、何としても「平等」を獲得しなくてはなりません。そして、人間に与えられた最大の平等とは「死」に他ならないことに気づきます。「生」は平等ではありません。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人・・・「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。こんなすごい平等が他にあるでしょうか!まさしく、死は最大の平等です。冠婚葬祭業を営む弊社では「結婚は最高の平和である」と並び、「死は最大の平等である」というスローガンを掲げています。

 弊社の社歌はTonyさんに作っていただいた「永遠からの贈り物」です。この歌を歌って一日の業務をスタートさせる全スタッフは、日々お世話をさせていただくすべての葬儀が「人類平等」という崇高な理念を実現する営みであるととらえ、サービスに努めています。そして、いつの日か、人が亡くなっても「不幸」とは呼ばない社会を拓きたいという志を抱いています。わたしたちは、これからも、あらゆる死者を「送る」ことと「悼む」ことの意味と大切さを考え続け、具体的な行動に移してゆきたいと思います。その思いを胸に、一首。「亡き人を送りて悼む人こそが心ゆたかな時代をひらく」。

 さて、わたしは東京から戻ってきたばかりです。3月7日には「NPO法人東京自由大学10周年記念特別行事」が東京大学本郷キャンパスの小柴ホールで、8日には「モノ学・感覚価値研究会+ワザ学研究会の合同研究会」が神田の東京自由大学で開催されたからです。

 8日の午後に北九州を発ったものですから、『久高オデッセイ』の上映会には間に合わず残念でしたが、第三部の「楽しい世直しシンポジウム」には滑り込みセーフで、大いに楽しませていただきました。

 Tonyさんを進行役に、東京自由大学学長にして東京大学名誉教授で天文学者の海野和三郎先生、妖精学の権威である井村君江先生、東京工業大学大学院洵教授で文化人類学者の上田紀行先生という豪華メンバーによるシンポジウムでした。

 それぞれの先生方の発言はどれも重みがあり、示唆に富んでいましたが、わたし的には上田先生の一言が衝撃的でした。初代・義兄弟の末弟であった上田先生が韓国のスクランブル交差点で長兄であるTonyさんにディープキスされたというエピソードです。二代目・義兄弟の末弟である小生は、それを聞いてドン引きしたというか、震えあがりましたよ。(笑)わたしは大の女好きであり、そのほうの趣味はまったくありませんので、くれぐれもよろしくお願いします。(笑)冗談はさておき、義兄弟の次兄である近藤さんとも二日間ご一緒させていただき、久々の三兄弟揃い踏みが嬉しかった!

 記念特別行事の終了後に本郷の居酒屋で開かれた打ち上げ会も楽しかったです。わたしはTonyさんの正面の席に座らせていただきましたが、わたしの右隣が近藤高弘さん、左隣が上田紀行先生、その横が井村君江先生、Tonyさんの右隣が大重潤一郎監督、その横が海野和三郎先生、さらにTonyさんの左横に遅れて来られた島薗進先生という、信じられないような豪華メンバーによる飲み会でした。杯を重ねながら、さまざまな議論に花が咲き、まるで夢のような時間でした。

 他の参加者の方々もユニークで、素晴らしかった!宗教人類学者・佐藤壮広さんの「非常勤ブルース」にも、東京自由大学運営委員・井上喜行さんの「南無阿弥陀仏のうた」にも、ともに仰天しましたよ。お二人とも、神道ソングライターの仲間入りですか?

 翌日の合同研究会も興味深い内容でした。小林昌廣(情報科学芸術大学院大学教授・身体表現研究)先生による「屈む身体〜京舞と暗黒舞踏」、竹村真一(京都造形芸術大学教授・文化人類学)先生による「地球の目線と感覚価値」、ともに非常に刺激的な内容でした。また、わたしにも発言の機会を与えていただき、感謝いたします。

 特別ゲストである大重潤一郎監督の「いのちとモノと感覚価値」、須藤義人(沖縄大学専任講師・映像民俗学)先生の「儀礼におけるワザと感覚価値」もとても楽しい内容で、勉強になりました。本当に充実した二日間でした。ありがとうございました。

 そして、Tonyさん、NPO法人東京自由大学10周年、本当におめでとうございました!

 この10年は、確実に日本人の「こころの未来」を拓いてきたと思います。生れて初めて訪れた本郷の東京大学も威厳に満ちていましたが、神田の東京自由大学もキラキラ輝いていましたよ。海野先生にありがたいお言葉を頂戴しましたが、わたしもいつの日か、ぜひ「神田の学び舎」でお話をさせていただきたいと心から願っています。

 Tonyさんは、これからヨーロッパに旅立たれるのですよね。パリにも行かれるとか。久々のトニー・パリ・カマターニュさんの魂の里帰りですね。楽しい土産話に期待しています。それでは、気をつけて、いってらっしゃい!良い旅を!オルボワール!

2009年3月9日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 ムーンサルトレター、ありがとうございます。東山から出てきた月を見上げたりしながら、静かな比叡山の麓の寓居にてレターを書き始めます。ここに移り住んでまる1年。今日も午後4時半から比叡山に登ってきました。下山してわが砦に戻ってきたのが、7時前。いつも行く比叡山山頂付近北側のお地蔵さん展望台(とわたしが名付けた)に立って、琵琶湖と比良山を望みましたが、残念ながら比良山も琵琶湖も見えませんでした。下界の方で黒雲と灰色の雲が分厚く垂れ込めていました。そんな雲を横目で見ながらバク転をすると、急激にしたためか、ふくらはぎが攣りました。年でんな〜。

 さて、Shinさんが情熱を傾けて応援してきた『おくりびと』のアカデミー賞受賞、ほんとうによかったですね。報われましたね。「人間は死の前で平等である」というテーゼを生き、冠婚葬祭の現代的意義を果敢に追及し続けているShinさんの取り組みにはいつも感心させられるとともに、その情熱と論理に敬意を抱かされます。

 わたしは、死についてはたんたんとしていたいです。何事にもたんたんと取り組む、というのがわたしのモットーですが、一般にはホラ吹きTonyなので、騒々しいヤツと思われがちですが、実はわたしはタンタンMENなのです。激辛〜? なんのこっちゃ〜。

 死を見続けている人に「詩心」が生まれるかどうかは、その人次第ではないでしょうか? Shinさんは、作家の吉村昭氏が「人の死に絶えず接している人には、詩心がうまれ、哲学が身につく」と書いていることを紹介してくれましたね。でも、「人の死に絶えず接している」お坊さんに「詩心」が生まれているかどうか、はなはだ疑問です。「戒名付けたら**10万円だわな〜」とかと欲張った計算をしている坊さんもいるでしょう。もちろん、謙虚に慎み深く死者に向かい合い、無常観や生死の哲学を深めるお坊さんもいるでしょう。それは、お坊さん次第であり、その人次第ではありませんか?

 昔、わたしは『老いと死のフォークロア——翁童論2』(新曜社、1990年)という本を出したことがあります。そこに、「輪廻家族の誕生」というエッセイを収めましたが、わたしは死は終わりではないと思っていますし、輪廻転生という思想にリアリティを感じているので、死を終わりとしてではなく、始まりとしても見ています。

 要は、循環、リサイクル、リング・リンネということです。3月はわたしの誕生月ですが、何か3月にはいつも特別な感情を抱きます。それは、冬が終わり、生命が息吹き始める感覚がだんだんとせりあがってくるからでしょうね。いのちの波が押し寄せてくるというか。滔々たるいのちの地下水脈が、志貴皇子の万葉歌「石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」のように、萌え出、湧き出てくるような。

 実は、この前、Shinさんがわざわが上京してくれた年3月7日(土)は、「東京自由大学が東京大学を占拠した記念すべき日」となりました! 大げさに言えばね。平たく言えば、設立満10年を迎えた東京自由大学が東京大学理学部の小柴ホールを借りて、「NPO法人東京自由大学設立10周年記念特別行事〜『久高オデッセイ第2部』上映会+楽しい世直しシンポジウム〜」を行っただけのことですが……。

 でも、朝の10時から夕方の6時半まで、東大本郷キャンパス内に、「東京自由大学デーと東京自由大学エリア」を創造したのです。この時、一瞬でも、また一局地ではあっても、確かに、「東京大学が東京自由大学化した」のです。これは、凄いことではありませんか!

 その「東京大学の東京自由大学化」とは、まず第一に、大重潤一郎監督による映像の本流でした。『水の心』(1991年製作)と『久高オデッセイ 結章(ゆいしょう、第一部)』(2006年製作)と『久高オデッセイ 生章』(せいしょう、第二部)』(2009年製作)の3本立て。とりわけ、最後の『久高オデッセイ 生章』は新作で本邦初演。3月6日の朝までかかって映画を仕上げていたという湯気が立つほどの出来立てほやほやを沖縄から東大まで運んでくれたのです、大重さんたちが。

 その『久高オデッセイ 生章』のことは、また後で触れるとして、旧作『水の心』は、ヒマラヤや高い山々から流れ落ちる水がどのような旅路を辿って人々の生活の場に届き、生産や祭祀や祈りなどにつながっているかを詩情豊かに描いた作品で、30分ほどの小品ですが、とても大重さんらしいステキな作品です。格調高く、慎ましく、もののあはれとエロティシズムに充ちた名作で、わたしはこの作品が大好きなのです。

 「水の心」、なんとエレガントなステキなタイトルでしょうか? 「おくりびと」もいいタイトルだと思いますが、「水の心」もそれに勝るとも劣らないいいタイトルだと思います。

 大重さんは、2004年10月に脳内出血で倒れました。倒れる前、意識が薄れていく直前、一人で電話をかけて救急車を呼び、ドアのところまで這いつくばって行って、鍵をはずして救急隊員が入れるようにしてから気絶したと言います。この瞬間的判断と行動が、大重さんのいのちを救うことになったのです。その判断と行動は咄嗟のもので、ほとんど野生の感覚と言えるものだと思います。

 その後、大重さんはリハビリを続けながら、電動車椅子に乗って島々を回り、時にはそろりそろりと歩きながら、久高島でカメラを回し続けます。そのカメラから自分が「見ていた光景」は、何よりも、「夜明け」だったと言うのです。夜明け前から夜明け後まで。それを延々と撮っていたというのです。真っ暗な闇から、少しずつ青みが差し、やがてそこに赤みが混じってくる。そんな夜明けの光景を、くりかえしくりかえし、執拗に撮り続け、それを繰り返して『久高オデッセイ 生章』に描き出しました。その夜明けの光景のドラマティックで美しく壮麗であること! シンフォニーのように雄雄しく、そして雅やかでかつ野生的。

 大重さんは、夜明けを撮ることを通して蘇っていったのです。大重さんのこの新作を200名を超える人が見てくれました。東大小柴ホールはこの時、立ち見が出るほどいっぱいになったのです。その中に、NHKの「人体」シリーズのディレクターで、現在NHKエンタープライズ情報文化番組を制作している高尾正克さんがいました。

 高尾さんは、大重さんとわたしの親しい友人でもありますが、彼は映画を見た感想を翌日、次のように書いてメールで送ってきてくれました。

 「大重監督が大変困難な状況の中で、あのような作品の完成にこぎつけられたのは、まさに奇跡的なことだと思います。本当におめでとうございました! まず、「私は見た・・・」でガツンとやられました。単なる表面的な演出ではなく、深い内実を伴った迫力を感じました。そして第二部では、自然の美しさが印象に残りました。(中略)大きな自然に抱かれたものとして人々の営みがたちあらわれる。さらに、表層より一歩深い時間の流れが、非常によくとらえられているように感じました。それは、直接的な言語より、気配など、非言語的な要素に耳を傾けた結果かと思います。とにかく大重さんらしさが、にじみ出た作品になったなあ、と強く感じました。」

 わたしは、この高尾さんのメールを読んで、心が震えました。高尾さん、「そうなんだよ! ほんとに、そうなんだ!」と、走っていって、手を取り合って一緒に喜びたいという衝動に駆られました。「深い時間の流れ」、いのちの時間の流れ、自然の時間の流れ、土地に根ざす時間の流れ、そんな深層時間流がこの「久高オデッセイ 生章」をつらぬいているのです。

 この映画の製作者として、編集段階で、誰よりも早く一般観客の目で見たのがわたしであったと思います。そして、大重監督にいろいろと注文を付けました。大重監督と須藤義人助監督(沖縄大学専任講師・映像民俗学専攻)はそれに全力で応えてくれました。このようないのちのぶつかり合いの中から「久高オデッセイ 第二部 生章」は誕生したのです。そしてそれは、NPO法人東京自由大学有志の、またいろいろな人々の寄付によってこの世に誕生したものでした。大重さんが妊婦だとしたら、須藤さんは助産婦、そしてわたしたちはみなその作品の乳母のような存在だったと思います。NPO法人東京自由大学の10周年にふさわしい作品の完成。この作品は未来に通じる風といのちのメッセージを説明ではなく、映像そのもので訴えています。ぜひ多くの方々に見てほしいと思います。Shinさんも小倉や博多で自主上映をやっていただけないでしょうか? そういう形で、この作品を乳母として育てていただけないでしょうか? そうするだけの価値と力のある作品だと思います。この「久高オデッセイ 生章」は。

 とこで、わたしは明日、3月12日からパリ、ロンドン、ダブリンに行ってきます。2010年1月に、科研:モノ学の構築の国際シンポジウムをする予定ですが、その時の講師やパネリストとの交渉に出かけるのです。そして、かの地における日本研究やケルト研究の現状を探ってきます。わたしは1995年にダブリン大学に客員研究員として国際交流基金から派遣されていました。あれからもうはや14年。14年ぶりにダブリンに行きます。イギリスもアイルランドもすごい経済不況に陥っているそうですが、それをじかにこの目で見、確かめてきます。

 そして、経済が不況であっても、政治が不興であっても、人間の想像力と創造力にはとてつもない布教能力があって世界を新たに見、聞き、世直しし、練り直し、編み直す力とワザがあるのだということを、身を持って生きていきたいのです。3月9日生まれの大重さんが夜明けの光景を撮り続け、それを再生した映像で観客に感動を力を与ええたように。わたしたちは、今一度「人類の夜明け」を見てみようではありませんか。生きてみようではありませんか。オルボワール、ムッシューShin!

2009年3月11日 Tony Kamata Paris