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シンとトニーのムーンサルトレター 第070信

第70信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、こんばんは。このレターで、もう通算70通目ですよ!
 ついこの前、60通を達成して、その後に『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)として単行本化したばかりなのに、あれからさらに10通もレターを交換したのですね。まったく、時間の流れの速さには驚くばかりです。

 ところで、Tonyさんは東北の被災地へ行かれていたそうですね。どのような状況だったか、ぜひ聞かせていただきたいです。わたしも、遅まきながら、今月26日から気仙沼に入ります。被災地を自分の目で見て、いろいろと考えてみたいと思います。

 さて、先月23日は、NPO法人東京自由大学が13年の活動の総力を結集した「シャーマニズムの未来〜見えないモノの声を聴くワザ」に行かせていただきました。どしゃ降りの雨にもかかわらず、会場の「なかのZERO」ホールには500人以上の方々が続々と来場され、立ち見が出るほどの盛会となりました。イベントは、以下のような内容でした。

第1部:The Butoh 13:00〜13:45
   「モノ降りしトキ」
   大物主の神を祀る日本最古の聖地・三輪山の麓で育った麿赤兒の原体験を元に、鎮魂の思いとともに・・・
   舞踏:麿赤兒(舞踏家・大駱駝艦主宰)&大駱駝艦
   音楽:新実徳英(作曲家・桐朋学園大学院大学教授)
      鎌田東二

第2部:シンポジウム 14:00〜17:30
基調講演:「シャーマニズムのちから」佐々木宏幹(駒澤大学名誉教授)
パネルディスカッション:パネリスト:小松和彦(国際日本文化研究センター教授)
                  鶴岡真弓(多摩美術大学教授)
                  松岡心平(東京大学教授)
                  岡野玲子(漫画家)
          コメンテーター:麿赤兒、新実徳英・大重潤一郎
               司会:鎌田東二

 会場には書籍販売コーナーもありましたが、なかなかの盛況ぶりでした。『満月交感』(水曜社)も置かれていましたが、嬉しいことに結構売れていました。ムフフ(笑)。やはり、こういうイベントに来られる方は本好きの方が多いのですね。

 さて、シンポジウムの当日、わたしは佐々木宏幹先生、小松和彦先生、そしてTonyさんが勢揃いされるというので、本当に楽しみにしていました。お三方とも、わたしが若い頃に愛読していた『異界が覗く市街図』(青弓社)に登場されていた方々だったからです。その後、出版界には「異界」ブームが巻き起こり、小松先生やTonyさんは『日本異界巡礼』(河出書房新社)という本も出されましたね。

 また当日は、「縁の行者」である鎌田先生の豊富な人脈が総結集した日でもありました。
Tonyさんは、本来は基調講演をされるはずだった(体調不良のため欠席)佐々木宏幹先生と『憑霊の人間学』(青弓社)、今日のシンポジウムでもひときわ異彩を放っておられた鶴岡真弓先生と『ケルトと日本』(角川選書)という本も出されています。

 いずれも大変な名著で、わたしも強い影響を受けました。それにしても、こんな凄い先生方と共著を出してこられたTonyさんとともに『満月交感』を出すことができて、まことに光栄です。

 イベントの第1部を飾った麿赤兒さんの舞踏はインパクト大でした。まさに「死と再生」のイメージで、未来の葬儀さえ連想しました。それから、基調講演者である佐々木先生が出演されなかったのは残念でしたが、そのメッセージをTonyさんが代読してくれましたね。それによれば、シャーマニズムとは、「見えないもの」(諸精霊)の力を借り、操って、社会を平安し、幸せにすることであるそうです。そして、それはすべての宗教者に当てはまることだと言われました。さらに、「このたびの東日本大震災後こそ『見えないもの』の出番である」という言葉が非常に印象的でした。福島原発の作業者の詰所には神棚があるというのです。科学技術の最先端にある人々が「見えないもの」に頼っているわけですね。

 第2部のシンポジウムでは、とにかく鶴岡真弓先生、岡野玲子さんの2人の女性の存在感が圧巻でした。お二方とも完全に時間も空間も超越されており、まさにシャーマンそのものでした。「つい1ヵ月ほど前に、わたくしは人生で最愛のものを亡くしました」という第一声から始まった鶴岡先生のお話は、死者へのまなざしに溢れていました。

 また、岡野さんは「福島第一原発の御霊に祈りをささげた」 と発言され、わたしは椅子から転げ落ちそうになるほど驚きました。もともと原発とは、人間が生みだしたものであり、ずっとお世話になってきた存在です。それなのに、多くの人々から嫌われ、強く憎まれ、そして、この暴走を自分で求められない悲しみ・・・・・。その原発の声が聞こえ、その原発のために祈ったというのです。ちなみに、その原発の御霊は小さな男の子の姿をしていたそうですね。それを聞いて、わたしは鉄腕アトムのような男の子を連想しました。

 それにしても、想像を絶する話です。Tonyさんは、「司会者とは制御不可能な時間と空間を操る者」との名言を吐かれ、会場は大きな笑いに包まれました。ちなみに、わたしは「葬儀」とは制御不可能な時間と空間をコントロールする技術(ワザ)に他ならないと思います。わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。

 誰かの愛する人が亡くなるということは、その人の住むこの世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、かならず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことなのではないでしょうか。

 シンポジウムの最後には、わたしも司会者のTonyさんから意見を求められて発言させていただきました。わたしは、「東日本大震災の大量の死者にどのように接していけばいいのか」「どのように彼らの霊魂を供養すればいいのか」といったことを聴衆のみなさんに問いかけました。

 それから、本来の葬儀にはシャーマニズムの要素が不可欠であり、「葬式は、要らない」とまで言われた現在の葬儀はそれを取り戻す必要があると述べました。その背景には、基調講演予定者だった佐々木宏幹先生の存在がありました。佐々木先生は、被災地である宮城県気仙沼の曹洞宗の寺院のご出身です。この地の葬儀には、僧侶と「オガミサン」と呼ばれる女性シャーマンが欠かせないそうです。僧侶もオガミサンもいなければ、葬儀は完成しないというのです。

 日本の葬儀のほとんどは、仏式葬儀です。これは完全な仏教儀礼かというと、そうではありません。その中には、儒教の要素が多分に入り込んでいるのです。儒教を開いた孔子の母はシャーマンだったとされています。雨乞いと葬儀を司る巫女だったというのですが、儒教の発生はシャーマニズムと密接に関わっていたわけです。わたしは、「葬式は、要らない」とまで言われるようになった背景には、日本における仏式葬儀の形骸化があると思っています。日本人で、「いまの葬儀は、本当に死者を弔う儀式になっているのか」という疑問を抱く人が増えてきたのではないでしょうか。それを打破する1つのヒントは、本来の葬儀が備えていたシャーマニズムを取り戻すことにあるように思います。すなわち、現在の日本の葬儀は「シャーマニズム不足」である! そんなことをお話し、わたしにとっての「シャーマニズムの未来」とは「葬儀の未来」であると申し上げました。

 わたしの後は、Tonyさんと同じく「義兄弟」である造形美術家の近藤高広が意見を述べられました。近藤さんとは、天河で昨年お会いして以来でした。その近藤さんは、なんと、福島第一原発を「聖地」にする計画を立てられているとか。岡野さんといい、近藤さんといい、まったく仰天する話ばかりです。

 このように非常に思い出深い一日となりましたが、これにはまだ後日談があります。「シャーマニズムの未来」の翌日、Tonyさんと日比谷でランチをともにした後、わたしはそのまま羽田空港へ行き、北九州へ戻りました。そして、基調講演者であった佐々木先生にお手紙を書き、『満月交感』の本を添えてお送りしたのです。すると、しばらく経ってから、佐々木先生から丁重な葉書を頂戴しました。達筆な字でお礼の言葉やメッセージがびっしりと書かれていました。佐々木先生は『満月交感』を気に入って下さったようで、「上下巻の表紙の『月に吠ゆる狼』は強く心に響きます」と書いて下さいました。

 また、「一条さんの『葬式は必要!』(双葉新書)を読み、心強く思っていました。日本の仏教は葬式がベースであると考えているからです」とも書かれていました。その他にも、心温まるお言葉を頂戴し、最後には「ますますの御活躍を念じます」と書いて下さいました。わたしは、この佐々木先生からの葉書を読んで、本当に感動しました。体調が優れないであろう先生から丁重な葉書を頂き、そこに大いなる「礼」を感じました。

 「礼」とは「人間尊重」の精神でもあります。そして、わたしたち冠婚葬祭に従事する者が最も重んじているものです。シャーマンであった母親から生まれた孔子は、「礼」を重視する儒教を開きました。シャーマニズムは「礼」の思想へと発展していったわけです。わたしは、シャーマニズム研究の第一人者である佐々木宏幹先生が「霊能力者」ならぬ「礼能力者」であると知り、嬉しい気持ちで一杯になりました。

 これも、もとをたどれば、Tonyさんのおかげです。ありがとうございました。そういえば、Tonyさんは20日に宗像大社や沖ノ島を特別参拝され、翌日、小倉に来られるそうですね。21日の夜は、思う存分、葬儀や『シャーマニズムの未来』について語り合いましょう! それでは、21日に小倉でお会いしましょう。オルボワール!

2011年5月18日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 まず、Shinさんにお見舞いの言葉を申し上げねばなりません。本日夜、小倉でお会いして、いろいろとお話しできることを楽しみにしていましたが、骨折をされて療養を余儀なくされたとのこと、心よりお見舞い申し上げるとともに、これもまた一つのからだのメッセージ、時のメッセージと受け止めて、急がず、焦らず、慎重に体の回復をはかりつつ、別の形でShinさんの活動と行動を着実に進めてくださればと思います。

 わたしも、2回左膝の骨折をし、2度目の骨折に際しては、左膝をかばいすぎて右足首を強く痛め、もう2度と回復することはないだろう、この痛みとともに生きていくしかないとあきらめかけていた時、仏壇長谷川の長谷川会長を団長とする沖ノ島特別参拝団の一員に加わることができ、30年来の念願を果たして、沖ノ島の参拝ができた日から、奇跡的に右足首の状態がよくなってきました。それは、昨年10月末のことでした。

 前日も当日の朝も雨模様で、もしかすると、沖ノ島に渡るチャーターの高速船が出ないかもしれないという恐れはありましたが、幸い、出航でき、沖ノ島に着いたころには晴れ間が出てきて、一同、驚きと感謝の念に包まれました。

 沖津宮での参拝を終えて、山を下りてくる時、わたしの右足首は軽く、痛みも少なくなっていました。登っている時には、右足首も心も重く、痛みも強かったのですが、ほんの1時間後には別世界にいるような軽さでした。身も心も魂も浄化されたような思いがしましたが、その時、わたしは『もののけ姫』のシシ神の棲む神聖な森を思い出しました。まさに沖ノ島はシシ神の森だと感じたのです。

 珍しい多様な動植物の宝庫、北限と南限の境界、そんな実に豊かな海の中の森の島に、シシ神の森のような自然治癒力が浄化力が秘蔵されていた。そのことを、はっきりとわたしの身も心も魂も感じとっていました。帰路に着きながら、わたしの心は明るく、身も軽々としていました。そして、沖ノ島からの帰り、玄海ロイヤルホテルのレストランでShinさんとお会いし、Shinさんが長谷川会長と旧知の間柄であったことを知って驚いたのでした。よくよく考えてみれば、博多に本社のある仏壇長谷川と北九州小倉に本社にある冠婚葬祭上の株式会社サンレーが旧知の間柄でないはずはなかったわけですね。仏壇と葬儀との関係を考えれば。

 実は、今日、わたしは、その沖ノ島に2度目の特別参拝を果たしたのでした。今回も特別参拝団に参加したのですが、今日は沖ノ島の生態系のさらなる探索とお礼参りの強い気持ちがありました。JR九州の石原会長が今回の特別参拝団の団長で、昨日お昼に集合して、宗像大社辺津宮の高向宮司さんの宗像大社についての講話を聞き、正式参拝の後、神宝館の見学、高宮参拝をし、夕方のフェリーで大島に渡り、中津宮を正式参拝。そして、本日、沖ノ島に渡って、沖津宮を正式参拝したという次第です。熊野三山をお参りした3月11日に東日本大震災が起こりました。そして、宗像大社三宮をお参りした本日、Shinさんの右足首骨折の知らせを受け取りました。

 こんなことを言うと、怒られるかもしれませんが、考えてみれば、骨折ですんで、よかったのかもしれません。Shinさんは、これまで働きすぎでした。常人の活動量ではありませんでした。それをわたしは、『満月交流』(下巻)のあとがきで、「ウルトラマン」みたいだと言いましたが、本当にそう思います。

 半端ではない活動をするのは、しかし、生身のからだ、です。その生身のからだが、今回、休息のメッセージと、急がずゆっくり進めという「いのちの信号」を送ってきてくれたのだと思います。サンレー社長として、また文筆家・作家として、また冠婚葬祭業の業界の広報委員長として、また今回の東日本大震災に関わる葬儀の現場指揮者として、八面六臂の活動と活躍をしていました。けれども、このまま突っ走れば、まだまだ若い40代のバリバリのからだにも、無理の上にも無理が重なり、さまざまな部位に微妙な黄信号が点り、故障も起きやすくなったのではないでしょうか。

 今日、わたしは、沖ノ島から辺津宮に戻り、筥崎宮を遥拝し、糸島の桜井神社と二見ヶ浦と延喜式内社の志登神社を参拝し、探索しました。桜井神社には、弥生時代の古墳があり、そこが岩戸宮として本殿の真裏に祀られていました。奥宮であるかのように。だから、桜井神社の本殿をお参りして、その真裏に回り込むと、さらにそこに岩戸宮の社があるわけです。ダイレクトな二重構造になっている、このようなつくりは、日本広しと言えども、ここだければないでしょうか。

 しかも、その桜井神社の向かいには伊勢神宮を勧請した形の大神宮があり、それがまた、実にユニークな空間デザイン、聖地デザインなのでした。なんとも巧みな聖地・癒し空間のデザインでした。そこには、拝殿が二つ続いて立っていました。手前は平入り、奥の2つ目の拝殿は切妻の建築様式。本殿は神明造りで、鰹木が6本。左右の千木が内削ぎ(水平、内宮式)と外削ぎ(垂直、外宮式)という、内宮と外宮をミックスした形態なのでした。手前の拝殿の扁額に、「内宮原、外宮宗」という2行書きの文字があり、これが吉田神道のコスモロジーを表現したものであることがわかりました。京都大学は吉田神社のすぐ西隣にありますので、わたしは一人でも、また学生たちと一緒でもしばしば吉田神社を参拝し、吉田兼倶がデザインした「大元宮」にお参りしてその世界観、コスモロジーとそれを空間デザインした用意周到にいつ行っても驚嘆するのでした。ほんま、吉田兼倶はんは、すごいやっちゃ。

 延喜式内社の志登神社は豊玉姫神を主祭神として祀る古社で、沖縄の御嶽そっくりの森でこれまた深い感慨がありました。基本的に、神社の森も御嶽の森もよく似ていると思いますが、時々、ところどころに、そっくりの森があり、そんな森を見るたびに、神道と琉球の民俗信仰の古層に共通の「聖地感覚」、聖地デザインがあると思わざるをえないのです。

 ところで、わたしは5月初旬に4日間、宮城県と岩手県の沿岸部の被災地を巡り、言葉にできないほどの深い衝撃を受けました。沿岸部を約350キロ車で走り、迂回路や内陸部にも入ったり、岩手県岩泉町の鍾乳洞の洞窟・龍泉洞や安家洞も見学し、福島県境に近い白石蔵王まで戻ったので、トータルおよそ千キロを写真家の須田郡司さんと走行しました。二人の巡回記録はそれぞれのHPに掲載されていますので、ぜひご一読ください。須田郡司さんの記録は須田さんのオフィシャルサイトに、わたしの「東日本大震災の被災地(宮城県・岩手県)をめぐって」の記録はモノ学・感覚価値研究会のホームページ「研究問答」欄に掲載しています。わたしは苦吟・苦渋して、この巡回の記録を言葉にしましたが、本当のところは言葉にできなかった、言葉にしていない、と思っています。それほど、語り得ないほどの衝撃があったのです。ふかぶかとそれは、わたしをつらぬいていて、それをどうしていいか、いまだよくわかりません。時間をかけて、ゆっくりと進もうと思います。その点では、今のShinさんと似ていると思います。

 急げば急ぐほど、焦れば焦るほどよくない、と本能が、いや、魂能が告げています。だから、慌てず、急がず、焦らず、自分のペースを自分でコントロールしながらゆっくりゆっくり進みたいと思います。従来、わたしはスピード狂で、速度の人でした。カミナリ族でした。しかしこれからは、できるかぎり、スローで行きたいと思います。

 明日、わたしは東京に出ます。九州から東京へというのは、一見急いでいるかのように見えるかもしれません。しかし、そうではありません。確かに乗り物は新幹線で速いです。けれども、わたしの心と体の速度はゆっくりしています。明日、13時半から、東京大学仏教青年会で「宗教者災害支援連絡会・第2回情報交換会」が開かれるので(第1回目については、こちらをご覧ください)、その会に参加します。そしてそこで、多様な宗教者の「災害支援」の姿や形をよく見、よく聞いて、情報交換を重ね、自分のできること、自分たちでやるべきことをじっくりと考え、実行していきたいのです。今回の災害で拙速は禁物だと思っています。確かに、原発のコントロールは急務でしょう。しかし黄金律はやはり、「急がば回れ」だと思います。Shinさんも、今、「急がば回れ」の周期に入っているのではないでしょうか。そこから、わたしたちのこれからの長い闘いと取り組みが始まるはずです。

 Shinさんが書いてくれたように、NPO法人東京自由大学の総力を結集して行なった「シャーマニズムの未来〜見えないモノの声を聴くワザ」は、500人以上の参会者を得て、盛況裡に終えることができました。これも、参加してくださった皆様方の今に寄せる思いの結集だったと思います。今ここで、何が必要か、何をなさねばならないか、どう生きていくのか、そんなライフデザインや文明デザイン、社会デザイン、スピリチュアルデザインが求められているのだと思います。東京自由大学の催しはその今ここのわたしたちが求める時代デザインのテーマに結合したのだと思いました。確かに、時間不足で、ディスカッションを十分に行うことができませんでした。しかし、参加パネリストはみな今ここでしか話せないことを緊迫感を持って話してくれたと思っています。もちろん、Shinさんや近藤高弘さんや、そして、新体道の創始者の青木宏之氏も。

 わたしは、この半年、かなりの精力と集中力をこの東京自由大学の催しに注いできました。そして、実に忙しく、急いでいました。でも今、わたしは、スローで行くのだ、とシフトしました。まだまだ加速度がついているところもありますが、じわじわじっくり地道に進みます。地に足をつけます。毎朝、逆立ち瞑想をして、地に頭をつけて、俺はこの大地の上に生きているのだと頭に言い聞かせていますが、これからは足にも言い聞かせます。わたしの頭も足も時々宙を浮きそうになるので。何といっても、バク転・バク宙神道ソングライターですから、ね。だから、そんな直線全力疾走みたいな生き方を止めて、「急がば回れ」路線で、じわじわと進みますので、よろしうお願いいたします。Shinはんも、あんまり急がんといてな。じっくり、ゆっくり治療して、心身ともにリフレッシュしリセットしてください。くれぐれもお大事に。ほな、さいなら。

2011年5月21日 鎌田東二拝