シンとトニーのムーンサルトレター 第071信
- 2011.06.16
- ムーンサルトレター
第71信
鎌田東二ことTonyさんへ
ここ10年ほどで最も長く、そして最も暗く満月が翳る皆既月食が発生しましたね。日本では16日の未明に見えるはずでしたが、大雨の北九州では見ることができず、残念でした。残念といえば、先日は、せっかく小倉でお会いできる予定でしたのに、わたしが足を骨折したためにかないませんでした。心よりお詫び申し上げます。
まだ松葉杖をついて不自由な毎日を送っていますが、Tonyさんから続々とメールで送られてくる東北の被災地や沖縄・久高島などからの長く深く濃いレポートを読ませていただき、まるでわたし自身がそこに行ったかのような臨場感を覚えております。たとえ、骨折したこの身は小倉にあっても想いだけは東北や沖縄を駆けめぐることができました。
前回のレターでは、心あるお見舞いの言葉、本当にありがとうございました。レターを読んで、わたしは本当に感謝の念で胸がいっぱいになりました。まるで実の兄弟のように心配してくれる義兄弟の思いやりを心から有難く感じました。Tonyさんのお見舞いの言葉は、これまでわたしが触れた中でも最も魂に響く内容でした。きっと、心から心配して下さったからこそ、真実の言葉となったのだと思います。深く感謝いたします。
さて、わたしは5月21日に出張先の尾道で足首を骨折しました。尾道では、御袖天満宮を訪れました。大林宣彦監督の映画「転校生」のロケ地として有名な神社で、かねてから一度行ってみたかったのです。天満宮の社殿に上がるには、ものすごい数の石段が待っています。汗をかきながら上りきると、見事な楠がありました。まるでアニメ映画「となりのトトロ」に出てくるような大きな楠です。境内にいた老人にお聞きすると、樹齢450年の御神木だとか。この木を見上げて深呼吸すると、なんだか生命力が漲ってくるような気がします。やっぱり、神社はパワースポットなのだと再確認しました。
長い石段を上から見上げると、また壮観です。「転校生」では、中学生の男女2人が抱き合ったままこの石段を転げ落ち、そのショックで2人の中身が入れ替わってしまったのでした。わたしは、境内から長い石段を見下ろして「この石段から転げ落ちたら、大変だ!」と思いました。それで、映画の主人公のように転げ落ちないように、ゆっくりと慎重に石段を一歩づつ下って行きました。なんとか無事に下まで辿り着きました。でも、この後、別の場所にある石段で本当に転倒してしまったのです!
わたしは、「引き寄せの法則」を実証したのかもしれません。「引き寄せの法則」とは、つまるところ「思考は似た思考を引き寄せる」「思考は現実化する」といった法則です。世界的ベストセラー『ザ・シークレット』の著者であるロンダ・バーンによると、この法則は自然の法則だそうです。「それは万有引力の法則と同じように、公平、かつ客観的なものです。それはまた、厳密かつ正確な法則です」と書いています。自然法則ですから、個人的な感情を汲み取ってくれないし、善悪の区別もしません。「引き寄せの法則」は、人の考えていることをその人に還元するだけ、つまり、「あなたの思いを受信して、ただそれを送り返してあなたの人生経験にしている」というのです。
「引き寄せの法則」は、思考の対象そのものを引き寄せるだけで、否定形かどうかは判断できないようです。いくら否定形の表現をしても、それを引き寄せてしまうのです。ですから、「この洋服に何もこぼしたくない」は「この洋服に何かをこぼしたい。もっと何かをこぼしたい」となり、「あの人に侮辱されたくない」は「あの人に侮辱されたい」になり、「風邪をひきたくない」は「風邪をひきたい」となります。「引き寄せの法則」は、その人が一番強く思い描いていることを実現してしまうわけです。
わたしは「転校生」に出てくる神社の長い石段を上から見下ろして、「ここから落ちたら大変」と思いました。そのとき、わたしは自分が石段を転落するシーンを映像としてイメージしたわけです。その石段は、非常に注意深く下りたので大丈夫でした。しかし、その30分後ぐらいに別の石段で足を踏み外し、転倒してしまいました。わたしは「石段を転落する」という思考を時間差で現実化したわけです。けっして否定的なことを思ってはいけませんね。肯定的なこと、良いことだけを選ぶべきだと痛感しました。
まあ、「引き寄せの法則」とか何とか行っても、わたしの不注意から石段を踏み外したわけですが、まったく人生は何が起こるかわかりません。昔の人は「一寸先は闇」と言いました。骨折そのものよりも、今後の予定が大幅に狂うことが痛いと思いました。思わぬ骨折によって、わたしの未来が加速度的に変化していくのを実感しました。まさに、こういうことを人生における「想定外」というのでしょう。しかし、被災地の方々や福島第一原発の避難民の方々に比べれば、わたしの「想定外」など問題にもなりません。
このたびの「東日本大震災」こそは、まさに日本および日本人にとって想定外の出来事でした日本は地震大国であり、地震や津波に対する備えも十分になされていました。過去に何度も被災した三陸海岸周辺では「世界一」の津波対策をしていたにもかかわらず、その備えでさえ対応できない事態が生じたのです。
今回、地震や津波に関して専門家から「想定外」という言葉が何度も語られました。
マスコミは「逃げ口上」ととらえて反発しましたが、それは間違いです。想定とは、合理的推論によってなされるのであり、その枠組みを超える事態が生じた場合には、当然、想定外の事態が生じるのです。わたしは、もともと大自然に対して「想定内」など有り得ず、不遜以外の何ものでもないと思っています。今回の大地震で、わたしたち日本人は「人間の力では絶対に及ばない超越的なものがあることを思い知りました。
東日本大震災は、日本にとっての大きな危機でした。英語の「クライシス(crisis)」は、そもそも「分岐点」という意味です。わたしが石段で足を踏み外し骨折したのもクライシスであり、分岐点でした。あのまま石段を転げ落ちて頭を打って絶命していた可能性もあったからです。こういうときは、「足の骨折ぐらいで済んで良かった」と考えなければなりませんね。
それはともかく、東日本大震災は、日本の重要な分岐点となりました。というより、あの瞬間から日本は新しい歴史段階に入ったのです。「危機」という言葉は英語なら「crisis」ですが、フランス語では「crise」です。その語源は、「決定」「判決」「ことの趨勢が定まるターニングポイント」を意味するギリシャ語の「krisis」です。わたしたちは今まさに、いくつかの重要な選択を下すターニングポイントに立っているのかもしれません。
それは日本という国家だけでなく、冠婚葬祭業界、わたしが経営する企業についても言えることです。東日本大震災以前には、「無縁社会」「孤族の国」「葬式は、要らない」など、人間関係がどんどん希薄になって、日本人の「こころ」の環境が悪化していくという大きな危機がありました。どんな集団にも危機は訪れるのです。そこでは危機感を抱くことが非常に大事になります。
危機のサインは至る所で読み取ることができます。あのタイタニック号も、前方の氷山が危険だという警告を無線で受けたり、航海時間の新記録のために無理なスピードを出していたなど、さまざまなサインがあったにもかかわらず、結果としてそれを危機管理に活かせず、悲惨な沈没事故を起こしてしまいました。大切なのは、危機のサインを感知することです。そして、もっと大切なのは、危機のサインを感知したとき、けっして悲観的になってはならないということです。
危機感と悲壮感は違います。単に「この業界に未来はない」などと騒ぎ立てるだけでは悲壮感は生まれても、危機感は育たちません。「大変な時代になったが、これだけのことをやれば大丈夫だ」という生き残るための前向きで明確な指針が必要です。そう、的確な指針を打ち出して実行しさえすれば、危機(ピンチ)は新たな機会(チャンス)になります。
この考え方は、「禍転じて福となす」という言葉に通じます。また、わが社では「何事も陽にとらえる」ことを大切にしています。骨折した直後は、「足の骨折ぐらいで済んで良かった」と考えましたが、今は「足を骨折して良かった」と思うことさえあります。骨折していなかった頃には見えなかったことが色々と見えてくるからです。
特に、足の不自由な方や高齢者の気持ちが少しだけ理解できるようになりました。北九州にある当社施設も回ってバリアフリーの具合をチェックできました。何よりも、松葉杖をついていると、人の心がよく見えてきます。本当に思いやりのある人。思いやりはあるけれど、それを「かたち」に表すのが苦手な人。そして、まったく思いやりがない人・・・・・サービス業におけるホスピタリティを考える上で、非常に勉強になります。
しかし、わたしが「骨折して良かった」などと強がりを言えるのも、すべては周囲の人々のサポートのおかげです。まずは家族、そして会社のみなさん、本当に毎日お世話になっています。骨折してから、「ありがとう」という言葉を口に出す回数が本当に増えました。それまでも「ありがとう」は口癖にしているつもりだったのですが、この2週間は倍以上の「ありがとう」を言っています。「ありがとう」と口にするだけで心が感謝モードに入り、幸福感が湧いてきます。まったく、ありがたいことです。特にお世話になっている妻には、感謝してもしきれない思いです。わたしが骨折してから、小学6年生の次女も優しく接してくれます。サンレー社長室の鳥丸耕一課長、織田祐子さんにも、手を合わせて拝みたいぐらいに感謝しています。松葉杖を支えているので、手は離せませんけれど・・・。
拝むといえば仏教の僧侶をイメージしますが、現在、アニメ映画「手塚治虫のブッダ —赤い砂漠よ! 美しく—」が全国ロードショーで公開されています。日本マンガ界最大の巨匠である故・手塚治虫が10年を費やして完成させた大作をアニメ映画化したものです。
この映画は、(財)全日本仏教会が推薦団体となっています。わたしが理事および広報委員長を務める(社)全日本冠婚葬祭互助協会も全面サポートさせていただいています。以前、(社)全互協は映画「おくりびと」がアカデミー賞受賞に至る中でサポートした実績がありますが、今回は「手塚治虫のブッダ」です。わが社でも、すでに大量のチケットを購入しました。社員や互助会の会員様などに観ていただきたいと思っています。
先日、Tonyさんにもチケットを送らせていただきました。お時間あれば、ぜひ御覧下さい。ちなみに、わたしは今、『ブッダの考え方』(中経の文庫)という本を書いています。今年の10月刊行の予定です。映画で、出版で、東日本大震災後、魂の平安を求める多くの日本人にブッダの言葉が届くことを願っています。
21日にはギプスが外れる予定です。また、歩けるようになったら、ぜひお会いしましょう。それでは、オルボワール!
2011年6月16日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、もうすぐギブスがはずれるのですね? くれぐれも御身大事にしてください。絶対に無理をしすぎないように。事後のコントロールが最も大事ですので。わたしも3度の骨折経験があるので、くれぐれもこの点、ご注意願います。特に足の骨折は慎重にリハビリしてくださいね。これから先の長い人生にひびいてきますので。
さて、わたしは、先週末、福島県相馬市と東京都文京区に行っておりました。福島県相馬市には、「東日本大復興祈願並び犠牲者慰霊大採燈祭」に参加するのが目的でした。また、東京都文京区には、東京大学仏教青年会で行われる「宗教者災害支援連絡会・第3回情報連絡会」に参加するのが目的でした。どちらも、心に深く染み込む得難い機会と場となりました。
実は、20年来の親交のある羽黒山伏で、「松聖」も務めた羽黒修験道大先達の星野文紘さんが、5月連休中に、次のような呼びかけをされました。
東日本大復興祈願並び犠牲者慰霊大採燈祭執行趣意書
平成23年3月11日午後2時46分日本が大きく揺れました。特に東日本の東北を中心に何百年に一度といわれる震度九の大震災に見舞われました。それに伴い大津波が人も建物も車も船などあらゆるものを呑みこみました。そしてその被災者の死亡者が1万5千人、行方不明者が9千人、そして現在も避難者が1万1千人にも及んでおります。自然災害とはいえ空前の大混乱を日本だけではなく世界にもたらしました。それに加えて福島第一原発は震災発生直後に原子炉が自動停止。地震で外部からの電力を得る設備も被害を受け停電した。さらにその後の津波をかぶり非常用発電機なども被害を受け、炉心を冷やすために必要な電源を全て失い、核燃料からの放射性物資の放出の被害が大変な状況にあります。
今回被害にあった青森県から千葉県に至る太平洋沿岸地域は中世時代頃からの出羽三山への信仰の極めて篤い地域でもありまして、現在も皆さんの心の拠り所として崇敬の念を抱いておられます。
今、私たち出羽三山の山伏として出来る事は被害に合われ亡くなられました皆さまをしっかり供養することと、被害に合われました地域がいち早く復興されます事を被災された百日目の日にしっかりお祈りすることであります。
そこで左記のような内容をもって執行いたします。
記
一 日 時 平成23年6月18日(土)午後7時から午後9時
一 場 所 福島県相馬市長友公園(中村神社隣)
一 復興祈願祭並びに犠牲者慰霊大採燈祭 羽黒山伏衆27人
一 口上と鎮魂の石笛・横笛・法螺貝奉奏 鎌田東二(京都大学教授)
一 鎮魂の調べ 岡野弘幹(大阪在住のミュージッシャン)
東日本大復興祈願並び犠牲者慰霊大採燈祭実行委員会
会長 星野文紘(出羽三山 羽黒山宿坊「大聖坊」)
問い合わせ先 住所 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向99
その呼びかけに、山形県大蔵村に住む、『東北からの思考』の著書を持つ、元東北芸術工科大学教授も務めた舞踏家の森繁哉も参加される予定でした。が、親戚の方が亡くなられたとのことで、参加できませんでしたが、わたしは、これまで、猿田彦大神フォーラムや、神戸からの祈り、虹の祭り、月山炎の祭り、比叡山プロジェクトなどをともにやってきた同志的な友人である大阪在住の音楽家・岡野弘幹さんとともに、鎮魂の調べや口上を奉奏するために参加したのでした。
その祈願・慰霊大採燈祭の前に、福島県相馬市の被災地を巡りました。そして、壊滅状態になっている磯部の地で、この相馬出身で栃木県那須にてスタジオ雷庵を運営している神成當子さん・芳彦さんご夫妻たちとともに祈りを捧げました。そこは、神成當子さんのご母堂の家のあったところでした。その後、松川浦、原釜など、被害の大きかった海岸線を巡り、東日本大復興祈願並び犠牲者慰霊大採燈祭の行われる中村神社に向かったのでした。
松川浦には、いまだ何隻もの転覆した漁船がそのままになっていました。また、松川浦に向かう途中の田園地帯で、海から2〜3キロ離れた田んぼの真ん中に漁船が乗り上げてそのままになっている光景も見ました。
この相馬市の磯部や松川浦あたりは福島原発から30キロほどの距離があります。一部が警戒地域になっている20キロ圏内の南相馬市に隣接している市です。もちろん、そんなこともあって、風向きでは、放射性物質の飛散も大変心配される地区でもあります。
星野文紘さんが言われるように、その地域に、昔から、出羽三山信仰が広がっているようです。そこで今回、羽黒修験道の大先達である星野文紘氏が呼びかけ人となって、震災後100日の節目に当たる日に、この相馬の中心をなす妙見信仰を持つ中村神社に隣接する長友公園で、復興祈願と慰霊の祭りを行なうこととなったのです。そこで、地元の方々はもちろん、それに賛同する方々が全国各地から駆けつけてきて、一緒にこの大採燈護摩を厳修することとなったわけです。
海岸線の被災地区を巡り、午後5時前に長友公園に到着すると、すでに大採燈護摩壇と祭壇が組まれていました。そしてその前で、山伏装束に着替えた星野さんが椅子に座って、隣の若者とにこやかに話をしていました。まずは星野さんにご挨拶をしたところ、おもむろに隣の青年が立ち上がって、「鎌田センセイですか?」とたずねるのです。「ええ」と答えると、その端正な顔立ちの青年は、自分は朝日新聞の記者で、以前、早稲田大学でわたしの授業を受けたことがあると言うのです。本来は、横須賀支局の記者だが、今は緊急に、被災地市職支援のため福島に派遣されているとのことでした。
彼の話では、早稲田大学法学部2年生の時に、非常勤講師だったわたしの担当する「宗教学」の授業を受講したそうです。驚いたことに、現在、朝日新聞秋田支局にいて、5月4日に被災地近くの岩手県遠野市で再会した矢島大輔君と同級・同学年だと言うのです。しかも、同じ水嶋ゼミに属していて、久高島も一緒にフィールドワークしたとか。その矢島君とこの矢吹君は親友だと言うのです。
これには、驚いたというか、何というか、「うーん、そっか〜。すごいことになってきたなあ」と目をパチクリするばかりでした。最近、とみにこんな再会が多いのです。ほんと。
ともあれ、そんな驚きと高揚の中、典儀の司会進行による式の流れは、次のようなかたちで粛々と進みました。
●第一部
一、参進
二、着座
三、床調
四、修祓:大麻、散米、塩水、切火
五、降神
六、献饌
七、大柴燈執行:松明行事
八、祈願詞・供養詞奏上:祝詞、供養詞、三語、三山祝辞、般若心経、拝詞
九、玉串拝礼
十、撤饌
十一、昇神
十二、退下
●第二部
口上および鎮魂の調べ
一体となった羽黒山伏の心と振る舞い。まず、午後6時45分に、中村神社拝殿前で参拝。そこから27名の山伏が法螺貝を鳴り響かせながら参進し、中村神社鳥居を抜けて、長友公園の祭壇前に進み出ます。そして、全員の法螺貝が鳴り響く中、点火の儀式が行われ、星野さんの先導により、羽黒修験独特の力強い祭詞や祝詞などが奏上されました。
約1時間でこの「日本大復興祈願並び犠牲者慰霊大採燈祭」第一部は終了しました。星野さんの結びの挨拶の後、すぐに山形県県議会議員の草島進一さんの司会で、第二部が始まりました。草島さんは、阪神淡路大震災の時、会社から3日間の許可と休暇をもらって神戸にボランティアに駆けつけて、そのまま3年間「神戸元気村」の副代表として活動してきた市民活動家で、現在は、災害NGO・月山元気村の代表でもあります。その草島さんとは、神戸からの祈り以来、13年来の親交があります。草島さんの紹介で、まず、わたしが口上を述べ、鎮魂の念いとともに、石笛・横笛・法螺貝を奉奏しましたが、その口上は、次のようなものでした。
謹んで口上を申し上げます。本年3月11日午後2時46分、未曾有の巨大地震と大津波が東北・関東地方の太平洋岸を襲いました。その時刻、わたしは和歌山県の那智の大滝の前に居りました。が、激しく勇壮に流れ落ちる滝の轟音を前にして、地震の揺れに気づくことはありませんでした。そして、那智大社、新宮速玉大社、本宮大社の熊野三山を参拝して回り、その夜、熊野本宮の地において、沖縄からやってきた「久高オデッセイ」の映画監督の大重潤一郎氏から、東北地方で巨大な地震が起きて、大変な事態になっているという知らせを初めて聞いたのです。その熊野と吉野は、本日厳修された出羽三山羽黒修験道と並ぶ二大修験霊場です。
「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど熊野詣が盛んになったのは、天変地異の打ち続く動乱の中世でした。仏法の力も衰え、末法の世となり、災害や病気や戦争により大勢の死者が出て、「地獄」が目前の事実・現実となった時代でした。
しかし、まさにその動乱の中から新しい仏法の教えと実践、また同時に、新しい神道の教えと実践が歴史の前面に躍り出てきたのです。そして、新しい芸能や芸道・武道などの革新的な文化運動が巻き起こったのです。闇が深ければ深いほど、その中から光を求める力強い動きが起こってきます。
21世紀も11年が過ぎたこの時、あらゆる場面で行き詰まりと混迷が深まり、先行きの見えない状況が続いています。政治経済、環境、教育文化、そのどの局面においても、停滞と荒廃が広がっています。
このような先行き不明の混迷の時代のさ中に、東日本大震災が起こり、日本の歴史上最大の犠牲と損失にみまわれました。わたしたちは、この犠牲と損失をどのように受け止め、それを未来に生かし、つなぎ、拓いていくことができるでしょうか。
わたしたちはここに、震災による犠牲や痛みを負った方々への慰霊と復興への祈願の思いを持って集ってまいりました。未来へと通じ、拓いていくために、わたしたちはまずこの存在世界を支えている神仏や先祖や死者に対して、心からの畏敬と感謝と鎮魂の思いを捧げることから始めねばならないと思いました。
その強い思いを持って、これから起こってくるさまざまな出来事にもたじろぐことなく、覚悟を定め、優しさや思いやりや助け合い・支え合いの気持ちを深めながら生きていきたいと思います。それが、この時代を生きるわたしたちの普遍的責任であり、震災や津波で亡くなった方々の無念と願いに誠実に向き合う道だと考えます。
わたしたちが、この災害から何を学び、反省し、生き方や社会のありかたを変え、未来の世代へと希望と力をバトンタッチしていくかが問われています。その問いと責務に向き合いながら、一歩一歩地道に、共に歩んでいきたいと思います。
願わくは、わたしたちの思いと祈りと願いが力強いうねりとなって、人々の心をつなぎ、真の安らぎと豊かさと創造の力を実現していくことができますように。この世にある一人一人、一つ一つのかけがえのないいのちと存在の使命・天命が全うされますように心からの祈りを捧げます。
口上を述べた後、すぐに、石笛と横笛と法螺貝の三種の神器を吹き鳴らしました。続けて、大阪在住の音楽家・岡野弘幹さんの不動明王の真言がフューチャーされたインディアンフルートや太鼓とシンセサイザーによる音楽を30分ほど奉納演奏されました。
その演奏中に、突然、大地がぐるぐるとうごめいたのです。すぐさま、「地震だ!」という声が聴こえたのですが、しかし、誰一人としてその場を動く者はいませんでした。その時わたしは、何か、大地の底の鯰が動いているような、あるいは、地球の中で胎児が母のお腹を蹴っているような奇妙な感覚に襲われました。そして、「ああ、生きてるんだな、この地球は」という、突き上げてくる圧倒的な思いに貫かれたのです。それは、奇妙なのですが、至福の喜びの感覚だったのです。
地震は、確かに、人間世界に災いをもたらします。でも、それだけではありません。そ災いだけでなく、中長期的には豊かな恵みをももたらしてくれます。そのことを、古くからの日本人は、「八百万の神々の和魂(にぎみたま)と荒魂(あたみたま)」ととらえてきたのです。その荒魂の発動は、この大地が、地球が、生成化育し、ダイナミックに生きている証拠でもあります。地球のお腹の中で、多種多様なるいのちが脈動している証拠でもあります。それは、生の根源といのちの深みを知らせてくれる大切なメッセージだと思ったのです。
そんな思いが、瞬時に、四方八方から押し寄せて来ました。岡野弘幹さんを見ると、岡野さんは何事もなかったかのように、凄い集中力で、静かに、たじろぐことなく、しなやかに演奏を続けています。東の空を見ると、金星でしょうか、星が一つとても明るく瞬いていました。
採燈護摩の残り火と中天近くに瞬く星を見ながら、あらゆるものが、遠くて近い、不思議な連鎖反応の中にあると感じました。それは、「妙」というほかない感覚でした。そんな、「妙」の中にわたしはたゆたっていました。
嗚呼、こんな放射性物質の飛散が続く中でも、わたしたちは生き、地球の脈動にこころとからだを開くことができるのだ。そして、同時に、心の底から参加者と共に心を合わせて、地震と津波で亡くなった方々の慰霊の儀式を行なうことができる。
一見矛盾しているようでいて、まったく矛盾などではなく、ひとつらなりの脈動の「妙」の連鎖の中にあって、わたしたちすべてが、互いに引き付けあったり支え合ったり身を寄せ合ったりしているのです。生きているということ、存在しているということは、そんな不定形に見える多様多層的な連鎖や連係の妙中のなかにあるということだと悟らされた思いがしたのです。
相馬中村神社は、古くからの妙見信仰を持つ神仏習合の社寺だったようです。この羽黒山伏たちの大採燈護摩を通して、わたしたちは、神仏のみならず、死者の魂と交流し、死者の魂が還ってゆくと信じられた「月山」への回路とネットワークの妙とその宇宙性を感じ取りました。護摩壇の真上に星が瞬いてきたことも影響したでしょうが、「宇宙」というものを強く、強く感じておりました。そして、6月7日に沖縄県宜野湾市の国際コンベンションセンターの大ホールで観世流能楽師の河村博重さんと共に能舞「宇宙」を上演したことを思い出しました。
ぼくたちはみな「星の子供」だ。「スターチャイルド」だ。その星の子供たちが生死の連鎖を重ねながら、生老病死の無常の波間を漂っている。そんなかぐや姫・かぐや彦のような、存在のグラデーションの妙趣を感じていました。
その時の感覚と、今日見たアニメーション『手塚治虫のブッダ』とは、どこかつながっています。Shinさんに券を送っていただき、今日、ようやく映画を観ることができましたが、しかし、残念ながら、映画としては失望しました。宮崎吾郎監督の『ゲド戦記』を観た時の失望とも似ていました。わたしは、ファンタジー文学の中では、『ゲド戦記』が一番好きですし、名作だと思っているので、あのアニメには頭に来ました。そして、ブッダを深く尊敬しているわたしには、このアニメは物足りませんでした。いろいろな意味で、中途半端だと思いました。Shinさんたちが応援しているのに、申し訳なく思いますが、でも、それが正直な感想ですから致し方ありません。ウソはつけないので、そのまま言ってしまいます。
宗教家や魔術師を映像にするのは、なかなか難しいとも思いました。わたしは、昔から宗教や魔術に関心を持ってきたので、それを伝えるワザが難しいこともよくよく感じてきました。しかし、それを踏まえて、今この時代にこそ、宗教や魔術のワザについて、ふかく透明な認識と表現が必要だと感ぜずにはいられません。そんな探究に、これからも微力を尽くしたいと思っています。
それでは、次の満月まで、くれぐれも御身お大事に。
2011年6月20日 鎌田東二拝
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