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シンとトニーのムーンサルトレター 第031信

第31信

鎌田東二ことTonyさま

 Tonyさん、いよいよ春が近づいてきましたが、お元気ですか?わたしは、トルコとアラブ首長国連邦(UAE)に行ってきました。トルコのイスタンブールは一度は訪れたいと思っていた憧れの街ですが、想像以上に文化ゆたかな素晴らしいところで、とても気に入りました。「イスタンブール」という言葉の響きも何だか素敵に感じられ、「東西の文化交はる港町イスタンブール響きまた良し」という歌を詠みました。それから、ボスホラス海峡の光景は、とても関門海峡に似ていると思いました。海峡というものは、どことなく同じ香りを放つものですね。初めて訪れたはずなのに、わたしの心に強い郷愁の念が湧いてきました。そこで、一首。「ふるさとの街より望む関門の海峡に似た このボスホラス」。

 イスタンブールといえば、ブルー・モスクとオリエント急行が有名です。オリエント急行は「青い貴婦人」と呼ばれていますが、イスタンブールの夕暮れに染まる光景が美しく、その「紅」と「青」のコントラストが印象深かったので、一首。「夕暮れに紅く染まるは美しき青きモスクと青の貴婦人」。今回はイスタンブールと首都のアンカラだけでしたが、トルコにはエフェソスやトロイをはじめとした数多くの世界遺産もあり、非常な親日国家でもあることから、ぜひとも、もう一度来たいと思いました。特に、わたしはノアの方舟に昔から強い関心があるので、かのアララト山に行ってみたいです。

 それからUAEに入り、神田うの夫妻がハネムーンで訪れたことでも知られるドバイに向かいました。いやー、たまげました。ドバイはもともと砂漠なのですが、その上にニューヨークや上海みたいな摩天楼がそびえているのです。しかも、ここ10年ぐらいで造られた摩天楼なのです。近い将来にUAEの石油が枯渇するので、「産油国から観光立国へ」ということで国王が摩天楼造りを思いついたそうですが、それにしてもアラジンが魔法のランプで出したような現実感のない巨大ビル郡には度肝を抜かれましたわ。そこで、一首。「この街は夢かうつつか蜃気楼?砂漠の上にドバイあらはる!」

 なんでも、人類史上最大の集中不動産開発だそうです。とにかく街中全体が超高層ビルの工事中という感じで、世界中のすべてのクレーンの実に3分の1がドバイに集まっているとか。そのドバイのデベロッパー最大手の社長は国王が務めています。とにかく、見渡す限り、超高層ビルばかり・・・。新宿の副都心なんてレベルじゃありません。池袋のサンシャインタワー・クラスのビルが数十棟、同時に建設されていると思って下さい。サンシャインタワーは、たしか60階建てぐらいでしょうが、現在、建設中のドバイ・タワーは、なんと160階建てです!もちろん世界一の高さですが、地上800メートルというのですから、まさに21世紀のバベルの塔です。ドバイは21世紀のバビロン、いや、それ以上の天上志向都市なのです。そこで、一首。「古(いにしえ)のバビロンに建つバベルさへこの塔ほどは神に挑まず」。

 そんなハード的には想像を絶するドバイですが、値段もスペシャルなホテルや国営エアラインのサービスは決してレベルが高いとは言えませんでした。正直言って、ハードは世界最高峰ですが、ソフトは今ひとつで、「仏つくって魂入れず」という印象を持ちました。当然ながら、「バブル」という言葉が思い浮かびます。最近の東京でさえミニ・バブル、万博を控えた上海もバブルの崩壊の危機が叫ばれていますが、それにならえば、ドバイはバブリーなことこの上なし。なにしろホテルはどれも一人が一泊10万円以上といわれ、神田うのが泊まったホテルなどは一泊30万円以上なのです。そのホテルで、わたしはランチのみ取りましたが、グラスワインが1杯にオードブル、スープ、舌平目のムニエル、デザートのアイスクリーム&ケーキで、3万円はしたでしょう。日本ならば、せいぜい高くても5000円のメニューです。それなのに、先程も述べたサービス・レベルの低さ。「砂上の楼閣」という言葉が比喩でも何でもない砂漠の上のドバイの摩天楼をながめながら、わたしは「ドバイは、ヤバイ!」とつぶやいていました。

人類史上最大の集中不動産開発!左端がドバイ・タワー。

人類史上最大の集中不動産開発!左端がドバイ・タワー。ドバイの最高級リゾート・ホテル。

ドバイの最高級リゾート・ホテル。
 とにかく、何ゆえに、このような常識はずれの摩天楼を短期間につくらなければならなかったのか?まったく、理解に苦しみます。国王の方針によって、完全な「TAX FREE」を売り物にしているがゆえ、いま、世界中の金持ちがドバイに集結しています。摩天楼エリアの隣には、ハワイのワイキキ・ビーチみたいなリゾート・エリアも造られ、ヨーロッパやアメリカのセレブの憧れの土地になっているようです。ゴールド市場の存在やブランド品をはじめとしたショッピングも非常に充実しています。

 UAEは、もちろんイスラム教国です。そこに、ヨーロッパやアメリカといったキリスト教国の人々が集まっているのです。また、巨大金融センターやメディア・センターもドバイにできたため、ユダヤ系の人々も大量に流れ込んでいるはずです。なにしろ、ドバイのシネコンでは、ハリウッド映画がバンバン上映されているんですよ。いまや、ドバイは世界中のセレブにとって「最も行ってみたい場所」、つまり、理想郷となった観さえあります。

 わたしは、最初、これはドバイがイスラム教にとっての最高のプレゼンテーションの舞台になっていると思いました。なぜなら、ユダヤ教やキリスト教の人々が観光や金融やメディア・ビジネスにつられて次々とドバイに来る。それも、富裕で社会的地位も高いセレブたちがやって来る。彼らは、ドバイでイスラム教文化に触れ、「思っていたほど、イスラム教は怖い宗教でもなく、ムスリムの人々も善良じゃないか」との見方を持つ。このように、ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教の構図が人類存続をも脅かしかねない現在において、ドバイが世界平和に果たす役割はとてつもなく大きいと思っていたのです。

 しかし、実際にドバイに行ってみて感じたのは「何か変だな」という違和感でした。そんな宗教間の対立を取り除く平和のメッカみたいな綺麗ごとではすまない何かを感じました。そのとき、ふと連想したのは、かのホリエモンでした。ホリエモンは猛烈な勢いでライブドアを拡張し、株価を吊り上げていきましたが、最後には会社自体を売ろうとしていたことは有名です。ホリエモンに限らず、とにかく会社を短期間に大きくするだけ大きくして、売却して巨富を得たうえで、余生を遊んで暮らす・・・そのような人生設計を持った若者はアメリカでも日本でも数多く存在します。彼らの存在が、わたしにはUAEの国王にダブったのです。会社にしろ都市にしろ、無理してまで急速に巨大化する背景には絶対に何かある。そして、その理由としては、売却するという理由が一番思い浮かびます。

 では、ドバイのような都市が他国に売れるのか?そんなことが可能なのか?ここから先は、わたしの推理というか妄想です。ずばり、イスラエルをパレスチナに返還することの交換条件に、21世紀の理想郷であるドバイをユダヤに引き渡すというマスター・プランがあるとしたら・・・荒唐無稽かもしれませんが、そんなことを半ば本気で思いました。

 帰国する日の前日、ドバイの砂漠ツアーに参加しました。摩天楼から一時間ちょっと車で走ると、砂漠なのです。ラクダがたくさんいて、感激しました。そこで、一首。「摩天楼しばし離れて着きたるはラクダ群れなすドバイの砂漠」。砂漠で沈む夕日をながめましたが、その壮大な光景には深く感動しました。知らずにアッラーを讃える言葉が口から出てきました。「 砂漠にて沈む夕日をながめれば ふと口ずさむアラーアクバル」。

 アッラーといえば、イスタンブールでもドバイでも、夕方の4時に鳴り響いた『コーラン』の朗唱を耳にしましたが、それはそれは美しかった!あんなに美しいものはありません。まさに「耳のごちそう」です。なぜ、『コーラン』が長らくアラビア語以外の言語に訳されるのを禁じられていたか、わかるような気がしました。アラビア語によるクルァーンは、ムハンマドが述べたように、それ自体が「奇蹟」であり、あの響きなら宇宙人だって感動するのではないかと思うほどでした。わたしは、『コーラン』に書かれてある内容が「正しい」かどうかはわかりません。でも、『コーラン』の響きが「美しい」ことだけはわかりました。アラビアの衣装を着て砂漠に立ったわたしは、「21世紀のアラビアのロレンスになりたい。そして、イスラム教の真の姿を日本人をはじめとした世界中の人々に伝えたい!」と心から思いました。

 砂漠といえば、日本からの飛行機の中で、ずっとサン=テグジュペリを読んでいました。『星の王子さま』はもちろん、『夜間飛行』や『人間の土地』、『戦う操縦士』や『城砦』などの著書です。砂漠と水に対する彼の想いは、深い思索となっています。ドバイの砂漠で、「水は心にもいいものかもしれないな・・・」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだ」などの星の王子さまの言葉が、わたしの心によみがえりました。そこで、一首。「何処(いずこ)にか心にもよき水の満つ井戸を隠せし砂漠うつくし」

 最後に、日本に帰国してから本物の「星の王子さま」に会いました。「占星術のプリンス」である鏡リュウジさんです。3月16日に小倉の松柏園ホテルで開催したトークショーに出演していただいたのです。鏡さんは、バビロニアの大地母神からグリム童話の「いばら姫」まで、さまざまなエピソードを交えながら、占星術について興味深く話して下さいました。とくに月に関する話が中心でしたが、なんでも、高校時代に拙著『ロマンティック・デス』を読んでくれたそうです。トークショー終了後に二人でコーヒーを飲みながら色々とお話しました。初対面だったのですが、わたしが想像していたよりも実際の鏡さんは小柄な方でした。『星の王子さま』の原題は『小さな王子』といいますが、わたしはそんな鏡さんを見ながら、「やっぱり、この人は、星の王子さまだ」と思いました。この鏡さんこそ、ムーンサルトレターでTonyさんと文通していた前任者です。当のTonyさん抜きで、新旧二人の文通者がコーヒーを飲んでいるのは、まるで夫抜きで前妻と後妻が直接会っているかのような不思議な感覚でした。その不思議を楽しみながら、わたしは知らずに「インシャラー」(なにごとも、アッラーの思召し)と口ずさんでいたのでした。

夕日の砂漠に立つ、21世紀のアラビアのロレンス。

夕日の砂漠に立つ、21世紀のアラビアのロレンス。鏡リュウジと一条真也。オリュンポス12神像に囲まれて。

鏡リュウジと一条真也。オリュンポス12神像に囲まれて。
 さあ、いよいよ、Tonyさんとわたしにとって人生の大きな岐路になるかもしれない4月が待っていますね。それでは、Tonyさん、アラーアクバル!

2008年3月20日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

  今回のレターは短歌満載ですね。啖呵を切ってくれますねえ。やるう〜。わたしは徘徊老人なので、俳諧でお応えいたします。

   Shinシアリ(紳士あり) 砂漠の中の インシャラー(隠謝裸)

 お粗末! まあ、「ドバイはヤバイ!」の親父ギャグも笑いながら、薄ら寒くも納得しました。というのも、そこには巨額のブラックマネーが流れ込んでいると見たからです。現代のバビロンであり、市場経済の砦。資本主義は生き延びるためにどのような戦略戦術も実行しますからね。政治力や軍事力や人事力や、とにかく、あらゆる「力」を使ってみずからが生き延びるための道を貪欲に披いていくのです。その意味で、確かに、確かに、「ドバイはヤバイ!」と、わたしも思います。

 わたしは中東もアフリカも行ったことはありませんので、中東のイスラーム圏のことは何一つ具体的に知りません。しかし、イラク出身のインゴ・タレブ・ラシッドというイスラーム神秘主義のスーフィストの親しい友人がいるので、イラクやトルコのスーフィズムにはとても興味と共感を抱いてきます。

 Shinさんは、スペイン映画の「VENGO」を観たことがありますか? 表向きは、ロマ(ジプシー)民族のギャングの抗争を描いた映画ですが、内実は、キリスト教とイスラーム神秘主義スーフィズムの信仰と音楽を描いた作品でした。その音楽がじつにすばらしい! フラメンコとエジプト系スーフィーのセッションなど、グッと来る場面が目白押しなのです。もし観たことがなければぜひ一度ご覧ください。

 さて、この前の2月の満月からこの3月の満月までの期間、わたしは本当はパリとダブリンに里帰りするつもりでしたが、金欠で行くのをあきらめました。セーヌの水を見、カルチェラタンやサンミッシェルの空気を吸い、アイルランドの冬の寂寥の中を旅したかったのですが、まことに残念なり。

 しかし、その代わりに、今注目の京都大学再生医学研究センター教授で、iPS細胞研究センター長の山中伸弥教授の講演などを横浜で聞きました。「京都大学附置研究所・センターシンポジウム 21世紀の日本を考える(第3回)人間と自然:新たな脅威と命を守るしくみ」というシンポジウムが行われ、わたしは、朝の10時から夕方の17時20分までのまるまる6時間その全部を、しっかり見、聞いたのですよ。

 尾池京大総長の挨拶から始まり、パネリストのみなさんは、それぞれの専門研究の最新成果に基づく知見があり、方法論と立場が明確で、面白く拝聴しました。とくに、iPS細胞研究センター長の山中伸弥教授、ウイルス研究所副所長の松岡雅雄教授、生態学研究センター長の高林純示教授の話がたいへん興味深かったですね。iPS細胞研究に日本政府は来年度、百億円を越す予算を付けましたが、アメリカ合衆国はその10倍を超える1000億円以上の予算を付けています。この資本の投入。尋常ではありませんねえ。山中教授の研究は間違いなくノーベル医学賞か生理学賞を受賞するでしょうが、しかし、その臨床や治験や応用を巡って凄まじい競争と問題が起こってくるのではないかと思っています。

 一番共感した生態学は、とても重要でありながら、とても難しい学問ですね。それは、山中教授のようなミクロな生物学ではなく、超マクロな生物学であり、そのようなマクロな視点や総合する方法や能力を容易に自家薬籠中のものとはできないからです。高林純示教授のお話は「社会」と市民を向いた、とてもわかりやすく、アトラクティブなプレゼンテーションでした。

 最後に行われた総合討論では、京都大学人文研究所准教授の加藤和人さんが、「異分野をつなぐ視野の広い専門家の必要とその育成」を強調されていましたが、同感、ですね。科学と社会との接点に、それをつなぐ専門家やジャーナリズムや市民などの媒介者が、ますます必要になると思います。

 このところ、「パリは遠くにありて想うモノ」という状況下で、新しい本の執筆と、科研のモノ学・感覚価値研究会の研究誌『モノ学・感覚価値研究第2号』の編集作業に没頭していました。新しい本は、『聖地感覚』という題で、4月末か5月初めに柏書房から出ます。すでに初校は終えました。モノ学の研究雑誌の第2号の方は、わたしが研究代表者をしている京都造形芸術大学モノ学・感覚価値研究会の発行で、3月31日に刊行される予定です。

 これはおもろい、ですよ! 絶対! この雑誌も金欠で、予算オーバーでふうふういいながら製作していますが、内容の面白さには自信があります。ぜひ読んで、次号のレターでご批評ください。鏡リュウジさんの占星学についての論文も含まれていますよ! (鏡さんも、このモノ学研のメンバーなのです。詳しくは、モノ学・感覚価値研究会のホームページ:http://homepage2.nifty.com/mono-gaku/ をご覧ください)

 さて、昨日は、勤務先の京都造形芸術大学の卒業式がありました。この大学はまず理事長がとてもおもろい。すべてはそこから始まっています。先見者・先駆者・開拓者・パイポニア・先導者、何といってもいいですが、とにかく、最初に志を持ってそれを社会に発信し、その理念や理想を社会化し、実現することのできた人が持つ迫力とカリスマ性というのはやはり端倪すべからざるものがあります。一見、一聴に値します。前任校の武蔵丘短期大学の名誉理事長の後藤守正氏も学園創設者でしたが、凄い生命力と迫力と不思議な魅力を持った方でした。どのような分野でも創業者が持つ創造力と魅力というのは格別のものがあるのでしょうね。松下幸之助さんや稲盛さんも含めて。

 この造形大に、この春、隈研吾氏が設計した新校舎・学生会館が完成しました。これまで隈さん設計の建物をいくつか見たり、中に入ったりしたことがあり、ピンと来なかったのですが、今度の建築は外観を見ただけですが、なかなかいいと思いました。ぜひ内部を見て、その内部空間のクオリアを体験してみたいと思います。

 と、ここまで書いて、今、富士山の麓を通過しています。このレターを大宮に戻る新幹線の中で書き始めたのです。夕日が射して来ていたのでカーテンを閉めていましたが、何気なしに、それを上げると、目の前に雄大な富士山が聳え立っていました。それはそれは美しく冠雪した富士を眺め、思わず拍手を打ち、合掌したのです。いつもここを通るたびに、富士山に手を合わせます。拙著『呪殺・魔境論』(集英社、2004年)などで書いたように、「富士山はわが主治医」です、からね。わたしは、富士山の山裾を通ることができるので、新幹線通勤は大好きなのです。莫大なエネルギー消費をして、まことに申し訳なく思いますが……。

 昨日、卒業式が終わり、芸術教育教養センターと資格支援センターとの合同の歓送別会があって、わたしも出席しました。平安神宮の近くの細見美術館の地下にある、「カフェ・キューブ」という、とてもおしゃれなイタリアン・レストランで、吹き抜け空間が作り出す音の響きが抜群でした。ここでライブなどをしてみたいと思い、店長さんにいくらくらいで食事込みライブができるか聞きましたら、一人5千円以上・30名以上であれば可ということでしたので、機会があればぜひやってみたいなあ。

 9時半に歓送別会が終了し、わたしはそのまま一人歩いて山越えして、甥と一緒に住んでいる一乗寺の小さな東山修験道の砦に戻りました。北白川の仕伏町から東山に入り、夜中の10時前後に大山祇神社や瓜生山山頂の幸龍権現や将軍地蔵を参拝し、13夜の妖艶な月明かりの中を山を歩いて帰ったのです。この1年、この道がわたしのもう一つの通勤路だったのです(もう一つの通勤路は、言うまでもなく、富士山麓オウムナク新幹線富士山麓越え通勤路)。この瓜生山「山中越え」はなかなか味わい深いもので、もちろん危険は伴うのですが、わたしにとって得がたい時間であり、体験でした。その1年半に及ぶ「東山修験道実践記録」は、今度の新しい本『聖地感覚』にも収録していますので、ぜひお読みいただきたく思います。

 Shinさん、月光というのは、人を惑わすのですよ。新月の夜の山を歩いて道に迷うことは少ないですが、13夜とか満月とか十六夜とかは、ホント、道に迷うのです。昨夜も一度道に迷って、行ったことのない不思議なところに出てしまいました。慌てて引き返して、いつもの道を辿ったのですが、「見える」ということは、見えることによって「迷う」ことでもあるということを、この1年半わたしは嫌というほど体験させられました。感覚錯誤、思い込みに対して、わたしたちはいつも敏感にチェックできなくてはなりません。

 「もしこの現代文明が滅んだら、わたしは着の身着のままで、こんな山の中でひとり生きていったりすることができるだろうか。あるいは、ネアンデルタール人のように、洞窟に篭って、何人かの仲間と共に野生の生活を続けることができるだろうか」などと、瓜生山山頂で13夜の月を仰ぎながら考えました。答えは、「そんなこと出来ない。ここで生きていく力の知恵もネットワークもない。わたしは一人では何も出来ない」という無力の自己認識でした。わたしは夜の森に入ることを通して、自分の「身の丈」と無力を思い知らされています。そしてこの「身一つ」で生きることの困難さと、しかし基本はそこにあるという自覚をますます強く感じさせられています。

 山を降りていくとき、友だちに会いました。たぶん、イノシシか鹿だと思います。月光がまだらに差し込む森の中、黒い影が物凄い速さで山を駆け下りたり、駆け上がったりしていきました。わたしの足音を聞いて、逃げていったのか、合図をしてくれたのか、威嚇しているのか、デモンストレーションをしているのか、よくはわかりませんが、そんな山のヌシたちにわたしはとても親しみと愛着を感じています。

 天台宗の門跡寺院である曼殊院まで降りてきたら、11時半を回っていました。およそ2時間わたしは東山山中を歩いていたということになります。13夜の月光浴を満身に浴びながら。とても慎み深い、静かで、有難い時間でした。まさに、「インシャラー!」と唱えたい気持ちです。わたしは『なんまいだー節』というアルバムを作って歌っている「神道ソングライター」ですから、「インシャラー」でも「アラー・アクバル」でも、「キリエ・エレイソン」でも、「オンマニペメフム」でも、「ナムアミダブツ」でも、「ナンミョウホウレンゲキョウ」でも、「カンナガラタマチハヘマセ」でも、何でも唱えられます。ホント、何でもいいから、平和で幸せであってほしい、すべての生き物たちが。そんな無理難題をいつも心に念じています。

 けれども、現実は、中国のチベット自治区の暴動の武力鎮圧に噴き出ているように、そんな寛容さはありません。世界は限りなく、排他的に、抑圧的に、暴力的になってきています。「楽しい世直し」とか、「一日一馬鹿運動」とかを提唱してきたわたしも、このような事態の中で、なおそんな能天気に見える運動を展開していけるのかが問われています。もちろん、わたしはこれからもその活動を止めることはありませんけどね。

 が、中国政府がダライ・ラマを極悪人のように批難し、またダライ・ラマ自身が関係者の暴力衝動を鎮め牽制するために、ダライ・ラマの地位を退任する意思があるとまで表明するような事態に立ち至ったチベット問題は、実にじつに、深刻です。ダライ・ラマも持ち前のユーモアを発揮する状況にないような切迫感すらあり、ほんとうに危険域に突入していると思います。

 チベットのみならず、イラクも、アフガニスタンも、パキスタンも、そしてわが日本も、実に「ヤバイ!」のではありませんか。しかしそのような時こそ、わたしたちは未来に架ける希望の橋を忘れてはなりませんね。人類は滅亡すると確信しているわたしですら、それでも最後の最後まで希望と状況打破の活動を抑えることはできませんから。NPO法人東京自由大学の活動はこの2月、10周年に入りました。その自由大学の活動も最後まで希望を手放さないための活動であります。ということで、最後の一句。

   菜の花の岬を翔ける虹の神

 それでは、Shinさん、次の満月の夜まで、ごきげんよう! オルボワール、インシャラー!

2008年3月21日 鎌田東二拝