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シンとトニーのムーンサルトレター 第032信

第32信

鎌田東二ことTonyさま

 Tonyさん、このたびは誠におめでとうございます! 今年の1月16日に、Tonyさんから次のようなメールが来ました。「突然ですが、私事の変化をお伝えします。昨年の12月18日に決定していたことですが、来る4月1日から京都大学こころの未来研究センターに本務が移ることになりました。同大学院教育学研究科でも少し授業担当します。京都造形芸術大学は、客員として関わります。4月以降は、月は造形大、火水木と京大勤務になり、ほとんど京都住まいとなります。」

 昨年末から「来年はビッグ・サプライズがありますよ」と言われていましたが、こういうことだったとは! わたしは大いに驚き、そして大きな喜びを感じました。なにしろ、わたしの敬愛する西田幾多郎や和辻哲郎と同じ京都大学の教授に義兄弟が就任したのですから。また、「こころの未来研究センター」という名前がすばらしい! 吉報を知った瞬間、なんだか、本当に日本人のこころの未来が明るくなったような気がして、わたしはとても嬉しくなったのでした。Tonyさんの國學院の先輩にあたる父も大変な喜びようで、「それは、すばらしい!折口信夫先生を慶應が認めたように、京大が鎌田先生の真価を認めた。鎌田先生も偉いが、京大も偉い!」と申しておりました。

 そして、その祝賀会である「鎌田教授に結ぶ会」が、4月7日にガーデンオリエンタル京都で盛大に開催されましたね。わたしも父と一緒にお招きいただき、ありがとうございました。会は80名を超える人々で大変な熱気でした。冒頭の山折哲雄先生の御挨拶にはじまり、上田正昭先生、松長有慶先生、そして、こころの未来研究センター長の吉川左紀子先生たちが続々と御挨拶をされました。どの先生のお話も含蓄があり、またTonyさんへの信愛の情と今後への期待感にあふれたものでしたが、わたしは特に上田先生のお話が心に深く残りました。日本古代史や神道学の大家であられる上田先生は、石田梅岩の「心学」に触れられ、「これまでの発明は物の発明ばかりだった。これからは、心の発明をしなければならない」とおっしゃったのです。心の発明! なんて素敵な言葉でしょうか。この言葉には、父も非常に感銘を受けておりました。

 会が終了するまで、実にさまざまな方々が交流され、それぞれの縁を結んでおられました。神主さんあり、お坊さんあり、学者の先生あり、アーティストあり、そしてビジネスマンありで、多彩な方々と名刺を交換し、会話をさせていただく中で、「ああ、やっぱり、Tonyさんは縁の行者だなあ・・・」と、しみじみ実感した次第です。ちょうど役の行者が開いたとされる天河大弁才天社の柿坂神酒之祐宮司も来ておられましたが、「役の行者」ではなく「縁の行者」。わたしも、Tonyさんのように、多くの方々の御縁を結べる人間になりたいと心底思いました。本当に「鎌田教授に結ぶ会」はすばらしい会でした。あらためて、Tonyさん、おめでとうございました。

 さて、京都へは金沢から入りました。5日に石川厚生年金会館で北陸大学の入学式が行われ、わたしも参列したからです。なぜかというと、ここからは私事の報告になりますが、この4月から北陸大学の未来創造学部の客員教授に就任したからです。年間で、前期が「孔子研究」、後期が「ドラッカー研究」を担当いたします。とはいえ、孔子およびドラッカーの人物研究ではなく、「思想・倫理」、「マネジメント」を広い範囲で扱う予定です。担当する学生数は約150名で、8名の専任教授の方々によって授業が行われ、わたしは、月1回の合同授業を行います。また、薬学部の学生に向けても定期的に講演し、特に中国からの留学生に対して、「礼」や「信」の重要性を説くつもりです。

 北陸大学は、北元喜朗理事長の教育理念である「読書」「運動」「芸術」の三位一体による人間形成をめざしており、わたしはそのうちの「読書」部門を担う存在ということになります。北元理事長は拙著『孔子とドラッカー』を高く評価して下さり、一昨年の8月には北陸大学「孔子学院」開学記念講演の講師をわたしが務めました。演題は「心の経営」でした。この4月18にも、フレッシュマン・セミナーとして未来創造学部および薬学部で「本を読め! 人と会え! 旅をしろ!」という演題の講演を行いました。

 いま、「リベラル・アーツ」という言葉が注目されていますね。日本語では「教養教育」となるようですが、北陸大学もこのリベラル・アーツを非常に重要視しています。わたしも、「これからの時代、各人にもっとも求められるものは教養ではないか」とずっと考えてきました。ドラッカーは、「21世紀社会は知識社会である」と述べました。たしかにその通りでしょう。しかし、一般に考えられている知識社会の「知識」は「情報」に近いニュアンスです。本当の「知識」とは、「教養」につながるものでなければなりません。

 そのドラッカーは「マネジメント」という概念を発明した人でもありますが、「マネジメントとは伝統的な意味における一般教養である」との言葉を残しています。それは、知識、自己認識、知恵、リーダーシップという人格に関わるものであるがゆえに教養であり、同時に実践と応用に関わるものであるがゆえに教養であるというのです。わたしも、客員教授という立場ではありますが、真の教養につながるリベラル・アーツというものを学生さんたちと一緒に求め、ともに成長する「共育」の中で、かつて孔子がめざした「君子」という人間像について考えてゆきたいと思っています。

 そのテキストは、もちろん『孔子とドラッカー』ですが、もう一冊、この4月16日に上梓したばかりの拙著『世界をつくった八大聖人〜人類の教師たちのメッセージ』(PHP新書)も使います。このレターでもずっと触れてきた例の本がやっと刊行されました。この本では、人類にとっての教師と呼べる存在を8人紹介します。すなわち、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子です。8人の教師たちは生まれた時代や地域こそ違えども、人間を幸福にしたいと願った強い想いは同じです。わたしは、彼らの生涯や思想に触れ、彼らのスピリチュアリティを多くの人に感じてもらいたくて、この本を書きました。そこから、人類が戦争という「業」と環境破壊という「病」から救われる道、そのわずかなヒントが見えてくることを願っています。

 Tonyさんには、さまざまな著書を参考にさせていただき、本当にお世話になりました。特に、Tonyさんの聖徳太子論を自分なりに拡大解釈した部分は、刊行直後から読者の反響が大きいので驚いています。本文の最後に記した「たしかに、とてつもなく大きな危機を迎えているけれども、まだまだ人類は滅びない。わたしは、人類を信じている。」という一文は、実はTonyさんへのメッセージなのですよ。おわかりになりましたか?

 ところで、「結ぶ会」のおみやげとして頂戴した「モノ学・感覚価値研究」の第2号を興味深く読ませていただきました。冒頭のTonyさんによる「モノと気配と聖地と奥」は、とてもスリリングな論文ですね。最初に世阿弥の『風姿花伝』が出てきますが、先日、小倉でわたしの蔵書をお貸ししたことを思い出しました。あの夜に書かれたのですか?「物学」を世阿弥は「ものがく」とは呼ばず、「ものまね」と呼んだこと、それが存在のさまざまなかたちを学び(真似び)取る、一つの実践的存在論かつボディワーク的パフォーマンスだといえること。すごく面白いです。わたしも『風姿花伝』は精読したつもりですが(定規で本に赤線を引いているので、Tonyさんに笑われましたが)、まったく気づきませんでした。Tonyさんは、次のように書かれています。「『学』すなわち『まなび』は『まねび』である。『まねび』とは、ある『物』を模写し、ダウンロードしてゆくプロセスである。あるかたちを自分の中に押し込み、またさまざまな情報やエネルギーを全部自分の中に写し取ってゆく作業ないし過程として、『まなび=まねび』があるということである。」

 わたしも、Tonyさんをはじめとした多くの先達の『まねび』をしてきたと自覚しています。その結果、今度の『世界をつくった八大聖人』も上梓することができたと心から感謝しています。そして、銀河鉄道の「次元孔」=「奥の細道」=「どこでもドア」=「トトロの楠の穴」というくだりは圧巻でした。芭蕉も賢治も「ドラエもん」も「となりのトトロ」も全部まるごと含んで、Tony節炸裂ですね!やりますね!

 Tonyさん以外の論文では、先日初対面を果たした鏡リュウジさんの「『モノ学』としての占星術」が面白かったです。鏡さんは、「アリストテレスの宇宙においては、月よりも下の世界と月よりも上の世界でその完璧さが変わると考えられ、質的な差が生じると考えられるようになる。」と述べています。

 実は、わたしは最近、「法則」についての著書を脱稿しました。この世に存在する、ありとあらゆる法則に共通する「法則の法則」を導き出そうという狙いの本です。その最重要人物は、かのニュートンです。なぜなら彼が発見した「万有引力の法則」こそは、アリストテレスも信じていた「月より上の世界」と「月より下の世界」という二つの異世界を初めて一つに統合したからです。ニュートンといえば、リンゴが有名ですが、実は天上の月をながめているうちに「万有引力の法則」を発見したといいます。月といえば、鏡さんとお会いしたときに、「人間が法則というコンセプトを得たのは絶対に月の存在が影響している」ということで意見が一致しました。『法則の法則』(仮題)は、6月に三五館から刊行予定ですが、「万有引力の法則」がニューソートを経て「引き寄せの法則」へと「引用」されてゆく流れを描きました。

 最後に、世阿弥に戻りますが、「ものまなび=ものまね」として「物学」が確立しました。そしてその「物学」から能=申楽がはじまりました。さらに、そこから生まれたのが歌舞伎です。今日、わたしは、その歌舞伎から派生したスーパー歌舞伎の「ヤマトタケル」を博多座で初めて鑑賞しました。梅原猛先生の脚本と市川猿之助の演出はド迫力でした。主演のヤマトタケルは市川右近が演じましたが、「天翔ける心、それがこの私だ」と叫んで、白鳥となって飛び去ってゆくラストシーンには胸が熱くなりました。Tonyさん、わたしたちの心も「天翔ける心」かもしれませんね。この4月、わたしたちにとっての新しい物語がはじまりました。わたしは、Tonyさんとともに今宵の美しい満月に向かって天翔けてゆきたいと願っております。たとえ、それが白鳥ではなく阿呆鳥の「魂の弥次喜多道中」となろうとも。それでは、Tonyさん、オルボワール、インシャラー!

2008年4月20日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 レターとお祝いのことば、ありがとうございます。また4月7日の「結ぶ会」にお父上とともに出席くださり、ほんとうにありがとうございました。わたしはこの1ヶ月、怒涛の日々を過ごしています。忙しいというのか、高波、津波というのか、とにかく慌しくも押し流されています。埼玉県大宮にもほとんど帰ることができず、「大宮びと」から「都びと」に変形加工されつつあります。

 昨日4月20日には、京都駅前の京都テルサ・ホールで、日本ユング心理学会主催「河合隼雄追悼シンポジウム」があり、ユング派の分析家のジェームズ・ヒルマンさん、河合隼雄さんの長男で京都大学こころの未来研究センター教授の臨床心理学者の河合俊雄さん、東北芸術工科大学大学院長で東北文化研究所所長の赤坂憲雄さん、九州大学教授で日本精神分析学会会長の北山修さん(元フォーククルセイダーズのメンバー)たちとともに参加し、わたしはトリックスター論や河合隼雄さんの中空構造論の問題を再考するという話題提供をしました。「日本ウソツキクラブ会長」(河合隼雄さんのこと)に、「日本ホラ吹きクラブ事務局長」(わたしのこと)が慎み敬いて心からホラ貝を奉奏申しあげました。霊界の河合隼雄先生のみたまに届いたでしょうか?

 ヒルマンさんの「笑いと沈黙」という基調講演はすばらしい内容でした。笑いの持つディオニュソス的な生命賦活の力について、また権力が笑いや風刺を怖がることについて、「笑いと沈黙は政治的暴力に対するもっとも強力な抵抗である」というヒルマンさんの指摘は、現今の中華人民共和国におけるチベット問題にも深く届く洞察であったと思います。

 Shinさん、この「河合隼雄追悼シンポジウム」に、東京からわざわざ鏡リュウジさんが聞きに来てくれたのですよ。というのも、鏡さんはヒルマンの『魂のコード』(河出書房新社、1998年)を訳していますからね。その鏡さんと始めたのがこの「ムーンサルト・レター」で、2001年7月13日に最初のレターを鏡さんに出したのでした。その文章の最後の方にこう書いています。

<第三に、そのとき鏡さんから頂いたジェイムズ・ヒルマンの『魂のコード』(河出書房新社、1998年)があまりに「おもろく」て、ほとんどこれは昔からぼくが一貫して言ってきたことと同じではないかと思った縁。実はヒルマンをぼくはまだきちんと読んだことがなかったのです。心理学者の河合隼雄さんの長男で、京都大学教育学部の臨床心理学の助教授をしている河合俊雄君とは以前からとても親しくしていて、彼から彼の翻訳によるヒルマンの『元型的心理学』(青土社)をもらっていたのだけれど、読んでいなかったのです。俊雄君、ごめん。

 というわけで、ヒルマン論などもぜひぶつけ合ってみたいなどと思って、往復書簡の提案をしたわけです。ヒルマンの「どんぐり論」は、ぼくの25年来の主張の「翁童論」とほとんど同じですね。びっくりしたなあ、もう。>2001年7月13日(金)プロローグ

 7年が経って、こんな巡り合わせになったのかと感慨深いものがあります。続く、8月1日付の第2回目のムーサルとレターには次のように書きました。長くなって申し訳ありませんが、再確認のために引用させていただきます。

 <そのユングの弟子にヒルマンという人がいたことは、先回のレターで触れたとおりですが、このヒルマンの『魂のコード』(鏡リュウジ訳、河出書房新社、1998年)がこれに関連して実に「おもろい」ことを言っていますね。ヒルマンがこれほど徹底したプラトニストだとは知りませんでした。まったく、五十歳にして出会うべくして出会った本がこの『魂のコード』でした。鏡さん、ありがとう!

 わたしのいう「使命感」や「ミッション感覚」をヒルマンは端的に「召命(コーリング)」と言っています。実際、運命のコールに魂を向けることができるかどうかが、人生の分岐点です。ヒルマンはこのことを実によく分かっていて、政治家や文学者やポップスターなど、ありとあらゆる種類のほんとうに「おもろい」人々の運命のコールを描いていて、飽きさせることがありません。ジョセフ・キャンベルかジョージ・ルーカスかスピルバーグか、と思わせるほどうまいですね。天性のストーリー・テラーだな、こりゃ。

 ヒルマンは、民主政治を衆愚政治として徹底的に批判したプラトンは一見ファシストと誤解されそうだが、実は「プラトン主義と民主主義は、個々人の魂の原理的な重要性を認めているという点で理想を共有している」(347頁)と喝破しています。「プラトンの国家は魂のために存在しているのであり、国家自体のためや、国家のなかのどんなグループのためにでもない」(346頁)。うん、よく言ってくれたよ、ヒルマンさん、と快哉をあげたくなります。そのとおりなのですね、これが。

 また、同じ頁には次のような自由と平等をめぐる考察が述べられています。「内なるどんぐり(注—召命のメタファー)は、エッジの先へと人を押し出して行く。その熱意は実現を望んでのものだ。召命は、自分が望むものを実現させる自由を誕生と同時に生きられるようになる自由を要求する。自由だ。しかし、この自由を社会が保証することはできない。民主主義的な平等性は、個人の召命のユニークさをもってしか、論理上の基盤を持ち得ない。自由は、召命の完全な自律性によって立っているのだ。独立宣言の書き手が、万人は生まれながらにして平等であるといったときには、この言葉は必ず、次の言葉を伴うと考えていただろう。つまり、万人は生まれながら自由である、と。人を平等にするのは、召命があるという事実だ。そしてわたしたちが自由であらねばならないとするのも、召命の働きなのだ」

 ヒルマンは、自由と平等の原理を魂の「召命」の観点から位置づけます。その見方にわたしは同意します。これは小さい時からのわたしの考え方とまったく同じです。

 ヒルマンの説で面白かったのは、「成長(グロウ・アップ)」=上昇主義神話を批判して、「降誕(グロウ・ダウン)」=下降ないし受肉の重要性を主張している点と、「プエル」すなわち無時間性と永遠性ないし永遠の少年の元型と「月」との関係を指摘している点です。

 「プエル」についてのヒルマンの叙述を引用してみます。

 「プエルの神々たち——バンドル、タンムズ、イエス、クリシュナ——は神話を現実に導き入れる。そのメッセージは神話的だ。プエル、そして神話そのものは実にたやすく傷つき、実にたやすく殺されるが、しかし同時に彼らは永遠に再生する。そしてその存在は、あらゆる想像的な冒険を生み出す、可能性を孕んだ副構造だ。これらの神話像は神話そのものと同じように、『現実的(リアル)』にはみえない。プエルたちは実体のない存在であるようにみえる。物語の中では、彼らはすぐに血を流し、倒れ、あとずさり、そして消えてしまう。しかし、彼らの他界への献身——彼らは超越的なものからの使者なのだ——が止むことはない。どこか虹の彼方へ・・・。『月こそ我が故郷』と映画『天井桟敷の人々』のなかの白い顔の道化は言う。狂気に満ちていて、孤独で、愛らしく、脆弱で——これがプエルだ」

 「月こそ我が故郷」、カッコイイセリフですねえ。「他界への献身」、かぐや姫ですねえ。ヒルマンはまた、「変性意識状態への深いかかわりは、革命の炎を打ち上げ、社会の意識を変えさせるファンタジーへとプエルを駆り立てる。永遠の世界からの呼び声は、この世を転覆させ、月にもっと世界を近づけよ、と訴えかける。狂気、愛、詩がそこから生まれる」と述べています。

 さすれば、わたしたちのこの「フルムーンサルトレター」の交換など、さしずめ「月にもっと世界を近づける」作業にほかなりませんね。形式、内容ともに。>2001年8月1日

 何とも、言葉が出てきません。「月こそ我が故郷」、そして「他界への変身」のメッセージのご本人にこの日お会いしたのですから。「変性意識状態への深いかかわりは、革命の炎を打ち上げ、社会の意識を変えさせるファンタジーへとプエルを駆り立てる。永遠の世界からの呼び声は、この世を転覆させ、月にもっと世界を近づけよ、と訴えかける。狂気、愛、詩がそこから生まれる」。何と、わたしが昔からやりたかった「世直し・こころなおし」とはまさにこのことではありませんか!? ヒルマンさんは、7年後のわたしたちを予告していたかのようではありませんか!?

 会場で、20年ぶりくらいで、河合隼雄さんの次男の河合幹雄さんに再会しました。幹雄さんは桐蔭横浜大学教授の法社会学者に成長していました。彼は全国の殺人事件の訴訟記録を全部しらみつぶしに総当りして調べているそうです。河合隼雄さんの馬力が乗り移っているかのようです。

 その夜、わたしは一乗寺の我が東山修験道の砦に戻って、夜の10時過ぎから12時半過ぎまで、満月夜、青い蒼い月光を全身に浴びながら、ナイト・ウォークをしました。鷺森神社、曼殊院弁才天、天神社を参拝し、修学院離宮の方に歩いていって、わたしのお気に入りの畑のところの畦道に横たわって満月を眺めているうちに、いつしか寝入ってしまいました。比叡山の麓、満月下、心地よい疲れ、都の静かな夜景、なんとも言葉にできない幸せな時間でした。露天にさらされていたので体はひえひえに冷えましたが、しかし心はぽかぽかと温かでした。

 4月7日の「結ぶ会」には本当に思いがけないくらい大勢のかたがたが来てくださり、ありがたくもうれしく思いました。来ていただいた皆さんにお礼の気持ちと自身の覚悟の程を「弁才天讃歌」の神道ソングで表現し、「お礼の言葉」という文書を帰りがけに皆さんにお渡ししてもらいました。それは次のような文章でした。

<お礼の言葉

 わたしは小さいころから、この世でなんかせなあかん、だけどそれがようわからんという、変な使命感があり、家族からも、学校からも、完全に浮いていたと思います。長いこと、自分で自分を持て余してきました。今でもそれはだいぶ残っていて、わたしは自分自身のことが一番信用できません。何をやらかすか、自分でもわかりませんので。

 とはいえ、人生五十七年。伊達にこれまで生きてきたわけではありません。それなりに試練を受け、その艱難辛苦(?)の道をかい潜り、あるいは面白おかしく遊行し、あるときはまじめに修行などして、九死に一生を得る場面も両手の指に余るほど、ともかくも生き延びてまいりました。

 そんなわたしに、ひょんなことから、ほんとうに、ひょんなことから、「京都大学こころの未来研究センター」に来ないかというお誘いがあったのです。もちろんそれは、正規の審議や選考を経て最終決定されていったのですが、そのような、この世の動きとは違う次元で、わたしはとても不思議な「天の声・地の声・人の声」を聴いているような気分になっていました。

 わたしは、二〇〇六年十一月の末、たまたま、偶然、東山に踏み入りました。それまで、「京都なんて、もったいぶっていて、閉鎖的でダイキライダ〜! おれは、神戸がダイスキなのだ〜!」などと公言し、京都造形芸術大学という、実に面白くユニークな大学に勤めていながら京都を毛嫌いするという矛盾の中にありました。

 ところが、です。一歩、東山に分け入った瞬間、わたしの細胞は喜びにふるえ、とてつもない「ナチュラル拝」に駆け上がり、エクスタシーもトランスもなんのその、じつにじつに舞い上がってしまったのでした。そして、京都は確かに都であったが、それが都として保持されてきたのは東山三十六峰を始め、周囲の山々の「野生」があったればこそだったのだと思い至りました。その「野生」を制御する装置として、両賀茂神社や伏見稲荷大社や松尾大社や、比叡山延暦寺や赤山禅院や貴船明神や鞍馬寺やそのほかもろもろの寺社仏閣があったのではないかと思い至ったのであります。

 そんな思いに取り憑かれていたころ、北嶺の叡山がわたしに「来たれ!」と呼びかけてきたのです。そこでわたしはいつしか、比叡山の麓に、「東山修験道」の看板を掲げて小さな小さな拠点を築き、比叡とともに生活し始めました。そうこうするうちに、設立間もない「こころの未来研究センター」から呼び声がかかったのです。わたしは比叡山の大僧正であった河合隼雄先生(元国際日本文化研究センター所長・京都大学名誉教授・前文化庁長官)が、「かまたくんよ、あんたなあ、このよのなかをふるふるさせるためにな、ちょっとおもろいことやんなはれ」と、遊びをせんとや生まれけんと、うながされたような気がしています。

 そんな、言語不明瞭・意識不明瞭なるわたしのために、かくも盛大で雅で、もののあはれに満ちた「結ぶ会」をひらいていただき、その諸縁・御蔭にこころよりの感謝を申し上げます。お一人おひとりのお名前を挙げて、これまでの深きご厚情・ご交誼に対し、謝意と敬意を表するのが礼儀であるとは思いますが、生来の「踊る阿呆」の阿呆踊り野郎でございます、なにとぞご海容のほどお願い申し上げます。

 そしてまた、今後ともますます末永くお付き合いくださいますよう、またおもろくたのしい世直し・こころなおしに「舞進」していくべくご教導くださいますようこころよりお願い申し上げます。本日はほんとうに、ありがとうございました。

         二〇〇八年四月七日 鎌田東二拝

菜の花の岬を翔ける虹の神                        >

撮影・一条真也

撮影・一条真也撮影・一条真也

撮影・一条真也
 わたしは最初、ここにあるように、「比叡山の大僧正であった河合隼雄先生」と書いたのですが、発起人の一人である和泉豊さん(電通関西支社、猿田彦大神フォーラム事務局)に誤解を与えてはいけないので、「『比叡山の大僧正』のような存在であった故・河合隼雄先生」と直しましょうと提案され、そうしたのでした。わたしは、河合隼雄さんは比叡山の大僧正であったと、すでに2002年の『河合隼雄著作集 月報6』(岩波書店)に書いていて、その大僧正とは「慈鎮和尚」とも諡号された「慈円大僧正」だったと思うのです。藤原摂関家の生まれで、時の摂政関白藤原忠通の子で、実兄は、同じく摂政関白を務めた九条兼実、そして日本最初の歴史哲学書『愚管抄』の著者が慈円大僧正でした。

 慈円は天台座主を4度も務めた人で、親鸞が出家得度した時の師匠でした。歌人としても著名で、西行とも親交がありました。家集『拾玉集』には次の歌が収められています。

 わが心 奥までわれが しるべせよ わが行く道は われのみぞ知る

 すばらしい歌ですね。わが心の奥の奥まで自分自身で導きなさい、自分の行く道は自分だけが知っているのだから、という意味ですが、教育とは自己教育なりをモットーに「東京自由大学」を立ち上げたわたしたちの先達ともいうべき言葉であると思います。その慈円が生まれ変わって河合隼雄さんになったとわたしは確信しているのですが、そんなことを公衆の面前で言うから、鎌田東二は怪しいとか非科学的だとかと言われるのでしょうね。よくわかっているのですが、昔からそんな性分ですので、これは死んでもなおらへんかもしれまへん。

 いずれにしても、河合隼雄さん、ヒルマンさん、河合俊雄さん、鏡リュウジさんとつながり、比叡山と京都大学がそれに深く深く関わってくるのでした。わたしは比叡山的知が現代に継承されている学術センターが京都大学だとずっと思ってきましたから、わたしにとって、このつながりは根が深いものがあるのです。

 3月26日、わたしは京都造形芸術大学から京都大学こころの未来研究センター(詳しくはこちら)に研究室を移動しました。そして翌日に一乗寺の比叡山の麓に引越ししました。そして3月29日に徳島市の徳島県立文学書道館で講演しました(ミニライブ付。「弁才天讃歌」「神」「フンドシ族ロック」の3曲を披露)。その後、文学書道館主事の亀本美砂さん、徳島新聞の沢口佳昭さん、徳島新聞の校正部長さんが徳島県出身の作家・富士正晴の生家を案内してくれました。その生家の地に立って、わたしは富士正晴という人の魂のありかを感じました。そのことは次の本で書いてみたいと思います。

 4月1日から京都大学こころの未来研究センターに勤務となり、火水木は必ず、月もたまに京大に立ち寄ります。この時期の京都はアイルランドの天候に似ていて、晴れたり曇ったり霙になったりとめまぐるしい天候の変化があります。わたしは京の都にいて、アイルランドのダブリンを感じていて、京都造形芸術大学に5年も勤めていて感じたことのなかった異郷感を強烈に感じています。

 そんなこんなで、環境のめまぐるしい変化の中で、わたしは総合地球環境学研究所の植物生態学者の湯本貴和教授ととても親しくなりました。そうしていろいろと話をしているうちに、湯本さんが京都大学での学生時分、理学部で河合幹雄さんと同級生で親友であったということがわかり、縁というものは異なものというけれども、何と底深く、奥深いものかと、感じ入ってしまったのです。

 うーん、うーん、うーん、なんなんだ、この展開は! と、毎日毎日、わたしは驚き、呆れ、しかしその中でいかにしてたましいを羽ばたかせることができるか、プシュケーの飛翔をもくろんでいるのです。またいっしょに、いろんなおもろいことを仕掛け、世の中を攪乱させつつ「楽しい世直し」に邁進していきましょう! オルボワール!

2008年4月21日 鎌田東二拝