シンとトニーのムーンサルトレター 第038信
- 2008.10.26
- ムーンサルトレター
第38信
鎌田東二ことTonyさんへ
Tonyさん、『聖地感覚』(角川学芸出版)の御出版、まことにおめでとうございます。早速読ませていただきましたが、面白くて一気に読了しました。とくに、東山修験道の章が迫力満点ですね。Tonyさんは、東山を新月の夜や満月の夜に懐中電灯ももたずに歩かれることがしばしばあるとか。「初めの頃は少し怖い思いもしたが、今ではとくに新月の夜の暗闇の中を歩いていると、心の底から喜びと安心感がふつふつとたぎってくるようになった」と書かれていて、仰天しました。本当に大丈夫ですか?
また、「暗闇の中では前面感覚よりも背面感覚や側面感覚が鋭敏になり、背中に羽が生えているような感じがする」とか、「新月の夜よりも満月の夜の方が道に迷いやすい」そうですが、なんかTonyさんのルナティック度って、いつのまにかレベルアップしてません?新月の醍醐味に目ざめるなんて、この道の「通」であり「達人」ですよ、まったく!
わたしは、まだそこまでのレベルには達していませんので、やはり新月よりも満月を好みます。今夜の月も見事でした。今夜は、北九州市八幡のサンレーグランドホテルにおいて、秋の観月会を兼ねた「隣人祭り」が開催され、参加しました。Tonyさんは、いま話題の隣人祭りをご存知ですか?地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会の集合住宅に暮らす人たちが年に一度、顔を合わせるイベントですが、いまやヨーロッパを中心に29カ国、800万人が参加するそうです。
隣人祭りの発祥の地はフランスです。パリ17区の助役であるアタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。きっかけは、パリのアパートで一人暮らしの女性が孤独死し、1ヵ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1ヵ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。同じ階に住む住民に話を聞くと、「一度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。
大きなショックを受けたペリファン氏は、「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて一九九九年に隣人祭りを人々に呼びかけたのです。第1回目の隣人祭りは、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。そのとき初めて知り合い自己紹介をした男女が、その後、結婚するという素敵なエピソードも生まれました。最初の年は約1万人がフランス各地の隣人祭りに参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年5月にはついに日本にも上陸しました。4日間、新宿御苑で開催され、3万人もの人々が集まったそうです。
隣人祭りが発展した背景には、孤独死の問題はもちろん、多くの人々が行きすぎた個人主義に危機感を抱いていることを示しています。アタナーズ・ペリファン氏と共著『隣人祭り』(ソトコト新書)を書いたフランス在住のジャーナリストである南谷桂子氏は、「朝日新聞」2008年8月16日の朝刊で、「一度でも言葉を交わしていれば『感情公害』と呼ばれる近隣トラブルは減るし、いきなり刃物で刺すような事件もなくなるはず」と語っています。
また、ペリファン氏は『隣人祭り』の「著者の言葉」で次のように述べています。
「人間には、誰にでも潜在的に寛大さというものが備わっている。ではなぜ、それを覆っている殻を打ち破って寛大さを表に出さないのだろう。人は誰でも問題を抱えているものだ。その問題を解決するには、自分以外の誰かの善意がきっと役に立つはずだ。人間の良心だけが、人間を救える唯一のものだと僕は信じている」
隣人祭りのキーワードは「助け合い」や「相互扶助」といった言葉のようです。それなら、多くの日本人は互助会を連想するのではないでしょうか。正しくは、冠婚葬祭互助会といいます。「互助」とは「相互扶助」を略したものなのです。わたしはフランスで起こった隣人祭りと日本の互助会の精神は非常に似ていると思っています。サンレーはまさに互助会であり、わたしは互助会の各種業界団体の役員を務めています。いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくすことが互助会の大きなテーマとなっているのです。今後、サンレーでは「ハートフル・フェスタ」と名づけた隣人祭りを各地で開催するお手伝いをする予定です。趣味の会である「むすびの会」のNPO活動とも連動する予定です。
隣人祭りは、人生最後の祭りである「葬祭」にも大きな影響を与えます。隣人祭りで知人や友人が増えれば、当然ながら葬儀のときに見送ってくれる人が多くなるからです。わたしは参列者が一人もいない孤独な葬儀に立ち会うたびに、本当に故人が気の毒で仕方ありません。亡くなられた方には、家族もいただろうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。なのに、どうしてこの人は一人で旅立たなければならないのかと思うのです。もちろん死ぬとき、人は一人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに一人で旅立つというのは、あまりにも寂しいではありませんか。モントリオール国際映画祭でグランプリを受賞した「おくりびと」が話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。一人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。
ITが進歩するばかりでは人類の心は悲鳴をあげて狂ってしまいます。ITの進歩とともに、人が集う機会がたくさんある社会でなければなりません。その意味でも、地域の人々が集う隣人祭りの開催は大きな意義をもつものと考えます。
「隣人祭り」
「月への送魂」
また、300人を越える人々が集まった今夜の隣人祭りでは、「月への送魂」も行ないました。月は、あの世のやさしいイメージです。多くの仲間とともに、名月をあの世に見立てて、魂の行方に思いを馳せる。サンレーでは、地域のみなさんが元気に生き生きと暮らしながらも、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然にもてるお手伝いをしたいと願っています。隣人祭りの他にも、たとえば、一人暮らしのお年寄り同士を紹介し合う「むすびの会」をはじめ、各種のカルチャー教室や旅講など、NPO法人などを通して、さまざまなかたちで「良い人間関係」をつくるお手伝いをさせていただいています。
孔子が説いた「礼」とは「人間尊重」ということです。そして、サンレーの大ミッションは「人間尊重」であり、小ミッションは「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」です。わたしたちは、いつも「人間尊重」を心がけ、「良い人間関係」をつくるためにはどうしたらよいかを考えています。
もちろん本業においても、ホスピタリティ・サービス業として、身だしなみ、立ち居振る舞い、言葉遣い、挨拶、お辞儀、愛語、笑顔には最大限に力を入れています。会社からの教育はもちろん、社員各自も日々の鍛錬に努めています。こうしたサービス業としては当然のことが、一般の方々の「良い人間関係づくり」においても何かのヒントになるのではないかということで、このたび、『人間関係を良くする18の魔法』という本を脱稿いたしました。年内に致知出版社から上梓する運びとなりそうです。
「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となってきます。いま、わたしたちが一口に礼儀作法と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法に大きく影響されています。小笠原流礼法などというと、ひたすら堅苦しいイメージがありますが、じつは人間関係を良くする方法の体系に他なりません。原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。
自分を守るために、弓や刀剣などの武器を携帯していたのですが、突然、見知らぬ人に会ったとき、相手が自分に敵意がないとわかれば、武器を持たないときは右手を高く上げたり、武器を捨てて両手をさし上げたりしてこちらも敵意のないことを示しました。相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法として確立されてきたのです。
ですから、礼法とはある意味で護身術だといえます。剣道、柔道、空手、合気道などなど、世にはさまざまな護身術があります。しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。礼法こそは最強の護身術なのです。
さらに、わたしは、礼法というものの正体とは魔法に他ならないと思います。隣人祭りが生まれた国フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』には「本当に大切なものは目には見えない」という有名な言葉が出てきます。本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるものこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀であり、笑顔であり、愛語などではないでしょうか。それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。
また、サン=テグジュペリは、名著『人間の土地』に「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」と書いています。飛行機の操縦士だった彼はサハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しました。そこから、水が生命の源であることを悟り、『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。思いやりが水なら、礼法という人間関係の魔法は、いずれも早く芽を出して大きく草木を育てる養分に他なりません。そして、その草木の名前は「人間関係の木」というのではないでしょうか。
フランスの文化相も務めた作家アンドレ・マルローは、「21世紀はスピリチュアリティの時代である」と述べました。「スピリチュアリティ」などというと、最近の日本では「スピリチュアル」という言葉を連想してしまいます。そして、「スピリチュアルカウンセラー」と自称する一部の人間の影響で、霊能力と関連づけられてしまいそうです。
しかし、スピリチュアリティ中心の心ゆたかな社会とは、決して霊能力に関心が集まる社会ではないと思います。それどころか、安易なオカルト・ブームは危険であるとさえ、わたしは思います。孔子が「怪力乱神を語らず」と述べたことを忘れてはなりません。
本当に大切なのは、「霊能力」ではなくて、「礼能力」ではないでしょうか?これは、『呪殺・魔境論』(集英社)に出てくるTonyさんの造語ですが、他者を大切に思える能力、つまり、仁や慈悲や愛の力のことですね。本当に素晴らしい言葉だと思います。
わたしたちが礼能力を高めて、みんなが他人への思いやりを示すこと、それこそがハートフル・ソサエティへの道だと確信します。願わくば、夜空の満月のように、すべての人々の人間関係が円満でありますように。それでは、Tonyさん、また。オルボワール!
2008年10月15日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
昨日も今日も、じつに美しいお月様が出ましたね。昨日は満月。今日は十六夜。6時過ぎ、大学から自転車で家に帰る途中、東山三十六峰の北嶺・比叡山の右の茶山から瓜生山の間くらいの山の辺からぽっかりと秋の月が出てきて、心の中にポッと灯りが灯ったような感じでした。
拙著『聖地感覚』(角川学芸出版)についての感想、ありがとうございます。それと姉妹編の、細野晴臣さんたちとの対談・座談集『神楽感覚』(作品社)もぜひご一読ください。きっと面白いと思います。なぜなら、「神楽(かぐら)」って、「天晴れ(あはれ)、あな面白(おもしろ)、あな手伸し(たのし)、あなさやけ、おけ」という言葉で説明されるような状態に入ることだから。だから、「面白・楽し」の「神遊び」こそが「神楽」なのですよ。
この間、わたしは相次いで親しい人を亡くしました。一人は、9月10日に急逝した猿田彦神社の宇治土公貞明宮司さん、もう一人は、これまた8月に癌で急逝した神奈川県二宮の川匂(かわわ)神社の二見博司宮司さん。宇治土公さんは大学の一級先輩。二見さんは一緒に神職資格を取ったときの同級生。もうわたしたちはいつ死んでもおかしくないような年齢になってきたということですね。
9月15日は、戸隠遊行塾の有志とともに、戸隠山修験道の復興の「歩行(ほぎょう)」をしました。そして、9月23日には、気功協会の有志と共に京大から吉田山・瓜生山・狸谷山不動院・赤山禅院を巡る「東山修験道」を歩きました。
そして、9月29日から10月4日まで、6日間、ロシア連邦沿海州の首都ウラジオストックの極東工科大学と極東大学に講義に行っておりました。なぜウラジオストックに行ったかというと、京都大学こころの未来研究センターの「こころ研究」の試みにたいへん興味を抱いている極東国立工科大学人類文化学部長セルゲイ・ヤーチン教授(哲学・文化哲学専攻)に招待を受けて、前記極東国立工科大学人間文化学部と極東国立大学人間文化学部で学部学生に「神道と日本文化」を講義し、また、極東国立工科大学の教授たちに「日本文化と宗教」を講義したのです。さらに、ウラジオストックの著名文化人に対し、「日本とロシアのインタラクション」の講義とシンポジウムも行いました。
セルゲイ・ヤーチン教授は、今後、「日露こころ観の比較文化・文化哲学研究」をやりたいと申し出てくれました。大賛成です。ヤーチン教授は、ロシアで「こころ」を表す言葉「sertze」が日本語の「こころ」と共通するところがあると考えており、それを共同研究によって確かめたいと期待しているのです。この<ロシアにおける「こころ−sertze」の比較文化論的研究>は、来年にも着手したいと考えています。
ところで、「ウラジオストク」とは、「東方を征服せよ」という意味だそうです。ロシアの東方支配の拠点として造られた軍港がウラジオストックなのですね。金角湾の見渡せるヒュンダイ・ホテルに6日間逗留し、毎朝、湾に向かってホラ貝や石笛を吹き鳴らしました。
夜中に港まで散歩し、モスクワまで9288キロのシベリア鉄道の始発駅のウラジオストック中央駅や豪華客船の発着場の周囲を歩きました。何とも落ち着いた時間でした。ウラジオストックは、「東洋のサンフランシスコ」と呼ばれるほど美しい港町で、坂が多く、天然の良港ですね。だからこそ、帝政ロシアは不凍港としてウラジオストックを極東随一の軍港として地政学的な戦略拠点にしたかったのでしょう。
日本人の移住に関しては、明治9年に日本政府貿易事務所が開設したあと、1920年頃(大正9〜10年頃)には6000人近くの日本人が暮らしたようで、今はかつての日本人町の辺は極東国立大学が建っていて、その近くに浦塩本願寺跡の記念碑があり、そこでホラ貝を奉奏してきました。
ウラジオストックは、現在、新瀉市、函館市、秋田市とは姉妹都市で、またウラジオストックを含む沿海地方(沿海州)と富山県と大阪府は姉妹県です。ここは、沿海州の州都として、政治・経済・科学・文化の中心となっています。極東国立大学は日本で言えば、九州大学とか、また琉球大学という感じでしょうか。大学がいくつかあるので、ここは、学生の街でもあり、若者の多い街です。人口は60万人くらいですが、わたしが興味を持ったのは、ここの博物館に黒澤明監督の映画『デルス・ウザーラ』(1975年公開)の主人公となったデルス・ウザーラの展示があることです。わたしが講義をした場所のひとつであるアルセーニエフ博物館にも展示がありました。『デルス・ウザーラ』の著者で、軍人にして探険家であったウラジミール・アルセーニエフを記念する博物館の館長さんは大学教授も兼務する人類学者で、わたしの話をとても熱心に聞いてくれました。
ところで、Shinさんは、サンレーグランドホテルで秋の観月会を兼ねた「隣人祭り」を開催され、ゆくゆくはNPO法人の「むすびの会」とも連携されていくとのことですが、わたしも10月12日・13日と、伊勢の猿田彦神社で、恒例のおひらきまつりに合わせて、新たに「おむすびまつり」という地元の有志で始めた祭りに参加しました。
「おむすびまつり」 斎行のごあいさつ
わたしはこの「おむすびまつり」の塩運び隊として参加したのですが、運ぶ前に、早朝6時過ぎに二見の先の神前の岬の突端の洞門に行き、洞門の中に入って禊をしました。波は荒く、体が岩場に打ちつけられそうになるのを必死で押しどどめながら、大祓詞と般若心経を唱えました。洞門には洞穴の両方から高波が入ってきて、もみ合います。フォト霊師の友人・須田郡司氏と二人でフンドシ一丁になって禊したのですが、さすがの巨体の須田さんもこの高波は怖かったようです。わたしはこういう荒ぶるものが大好きなので、エンドルフィンかノルアドレナリンが大量放出されるような快感と興奮に見舞われていました。そんな自分に、つくづく、「危ないやっちゃなあ〜!」と呆れた次第。うーん、われながら、こまったちゃんだった〜。
そして、そこから猿田彦神社まで、途中鏡の宮と興玉の森で他の参加者10名ほどで奉納演奏したりしながら「歩行(ほぎょう)」しました。これは「東山修験道」を実践するわたしにとって最初の「サルタヒコ修験道」の道行きになったと思っています。とにかく、9月10日に宇治土公貞明宮司さんが急逝された後でもあって、心して、おむすびまつりとおひらきまつりを務めさせていただきました。
宮司さんのお別れ会は、先のムーンサルト・レターに書いたように、10月23日(木)午後2時より、伊勢市の三重県営サンアリーナで行われます。それとは別に、わたしたち猿田彦大神フォーラムの面々と、NPO法人東京自由大学と、細野晴臣さんとの共著『神楽感覚——環太平洋モンゴロイドユニットの音楽世界』を出した作品社と、拙著『聖地感覚』を出した角川学芸出版の4者共催で、11月24日(月)16時〜20時まで、東京のアルカディア市ヶ谷で、出版報告と宇治土公貞明宮司を追悼する会(トークセッションと追悼演奏あり)を開きます。そこには細野晴臣さんと環太平洋モンゴロイドユニットのメンバーも参加して追悼演奏をします。トークや追悼演奏をするわれわれもみな参加費1万円(予定)を払って開催する予定です。Shinさんも都合がつきましたら、ぜひご参加ください。これには参加希望の一般の方も、猿田彦大神フォーラム事務局に申し込んでくれれば参加できるようにするつもりです。
最後に、以下、11月30日(日)に開催する「平安京のコスモロジー」シンポジウムの案内をします。
<京都府/京都大学こころの未来研究センター共同企画シンポジウム実施計画
テーマ:「平安京のコスモロジー」
日時:2008年11月30日(日)13:00〜18:00
場所:芝欄会館稲盛ホール(京都市左京区吉田近衛町・京都大学医学部構内)
定員:200名
申込:要
参加費:無料
問い合わせ/申し込み先:京都大学こころの未来研究センター・リエゾンオフィス
受付/11月25日までにFAX・Eメールにて京都大学こころの未来研究センター・リエゾンオフィスまでお申し込みください。
〔FAX〕075−753—9680
〔Eメール〕kokoro-event@educ.kyoto-u.ac.jp
基調報告者:
岡野玲子(漫画家)「陰陽師から見た平安京」
内藤正敏(写真家・東北芸術工科大学教授・民俗学)「平安京の宗教構造——江戸・東京との比較の観点より」
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授・臨床心理学)「京都の癒し空間」
パネリスト:
鳥居本幸代(京都ノートルダム女子大学教授・平安京文化研究)「平安京の食と
ファッション」
原田憲一(京都造形芸術大学教授・地球科学・地質学)「平安京の自然学」
中村利則(京都造形芸術大学教授・建築史・茶室研究)「京の茶室とさびの美学」
関本徹生(京都造形芸術大学教授・妖怪アーティスト)「京の妖怪」
司会:鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授・宗教学・民俗学)
主催:京都府・京都大学こころの未来研究センター(癒し空間プロジェクト・モノ学感覚価値研究会)
後援:京都造形芸術大学比較藝術学研究センター
(趣旨)
日本史の中でもっとも長く都が置かれたのが京都、すなわち「平安京」である。西暦794年から1868年まで、千年を越す長期にわたる都となり、さまざまな日本文化の創出の母胎となった。
なぜ平安京は千年以上もの長い間都たりえたのか。その原因は何なのか。平安京長寿の秘密を、自然・生態・宗教・文化の諸観点から解明してみたい。
平安京は、①水の都、②祈りの都、③芸術・技芸・ものづくり文化の都、④里山盆地の都という4つの特質を持っていた。平安京は東の賀茂川、西の桂川を両極に持ちながら、地下にも地上にも豊富な水系を張り巡らしている。その水と土に支えられた生態系が平安京の安定を支える土台であった。
その上で、御所を中心としながら、鬼門における王城鎮護の寺としての比叡山延暦寺を持ち、賀茂川水系に上賀茂・下鴨神社を戴く賀茂氏が勢力を張り、また桂川水系には伏見稲荷大社や松尾大社を戴く秦氏が勢力を張ってきた。賀茂の社は天皇や貴族と結びついて絢爛たる葵祭を実施し、一方、稲荷大社は庶民信仰と結びついた。こうして平安京においては神仏と天皇が、あるいは神社仏閣と御所が三位一体のように結びつき、一定の安定を保ってきたのである。
さらに、祈りの都としての平安京においては、神社や仏閣だけでなく、バリ島のように、辻辻のお地蔵さんや観音さんなどの小さな祠が大変重要な意味と社会的機能を持っている。そこでの民衆のささやかな祈りや祭りが、社会安定の大きな役割を果たしてきた。前者において、都城建設で大切な世界の座標軸の設定を果たし、後者において庶民の生活文化に潤いと彩りを与えた。かくして平安京は周囲の山並みの野生をうまく里山文化として取り込み、祈りや祭りやものづくりという文化創造都市を形成していったのである。
平安京を都として千年以上にわたり維持してきた物質的基盤(水、食料、燃料、材木、ゴミ問題、ヒトの流れ)と精神的基盤(宗教、象徴性、呪術性、霊性)と技術的基盤(芸術、技芸、学問)を総合的に解明し、古代、中世、近世、近代という時代の変遷の中で「京」という「都」が発信してきた時代的メッセージと力を、日本最大の「観光都市」から京都議定書を締結した「環境都市」までの射程の中で解明していきたい。>
上記の催しの際に、久しぶりで、岡野玲子さんともお会いできるので、大変楽しみにしています。これまたShinさんの都合がつけばぜひご参加ください。絶対におもろいと思うよ。こちらは、京都府と大学の主催なので、無料だし。
また、その前に、11月1日に始まる京都造形芸術大学の大学祭のオープニングのライブをすることになっています(11月1日17時〜18時、造形大校内広場前にて)。また、11月22日頃に行われる予定の京都大学の大学祭でも、京大植物園を考える会の主催の「森のヌシ神に捧ぐVol.2」で、昨年同様、神道ソングを歌います。今年は2つの大学祭に、「神道ソングライター」として参加できるのです。ありがたいことです。ほんま。若くして亡くなった宇治土公貞明さんや二見博司さんのみたまの鎮魂の念いも込めて、歌いたいと思っています。それでは、次の満月の日まで、オルボワール!
2008年10月16日 鎌田東二拝
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