京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター 第072信

第72信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? 多忙な毎日を送っておられることと存じます。それにしても毎日、暑いですね! 今年の夏は節電意識が高いせいか、いっそう暑いように感じます。政治のほうはお寒いかぎりで、菅内閣は迷走を続け、もはや末期症状ですね。さまざまな報道に接するたび、呆れたり、暗澹たる思いを抱いてしまいます。

 さて、わたしはようやくギプスも外れ、松葉杖も使用しなくてよくなりました。現在、歩くときには通常の一本杖を使っています。一昨年、オーストラリアで求めたものです。
グレートバリアリーフで足を負傷したので求めたのですが、日本ではあまり見ないようなカラフルなデザインです。また分解してコンパクトに収納もできるので、なかなか気に入っています。一昨日、北陸大学前期最後の試験を行いましたが、わたしは、この杖をついて問題を解く学生たちを見守りました。

 杖といえば、その前日に読んだ本の内容を思い出します。小松空港へ向う飛行機の中で読んだ本なのですが、杖のことが出ていました。『古代往還』中西進著(中公新書)という本で、その中に「転ばぬ先の杖」という項目があります。

 ギリシャ神話によるとテーバイ王の子オイディプスは怪物スフィンクスから謎をかけられます。「朝は四本足、昼は日本足、晩は三本足をもつ動物は何か」と。正解は人間でした。幼児は四本の手足で這い、成長すると二本足で歩き、やがて年老いて杖にすがるわけです。すなわち、杖とは人間が創造した第三の足なのです。

 ヨーロッパでは昔、足が悪くなくても聖人や学者は杖を持ったそうです。なぜなら、それが知恵のシンボルとされたからです。そういえば、かのモーセも杖を持って、紅海を二つに割りました。魔法使いも杖を持って、いろんなものの姿を変えました。アイルランドでは杖で泉を湧かせ、地中の金を掘り当てたそうです。オーケストラの指揮者は今でこそ軽やかな指揮棒を振りますが、昔は重い杖でした。杖には人々をリードする力があると信じられていたのです。ロシアの文豪トルストイは大地主でしたが、広大な邸宅のどこかに幸福の杖が埋まっているという伝説を信じ、終生それを探し続けたといいます。

 著者の中西氏は、「こうしてみると、人類が杖に対して抱いてきた感情は、並なみならぬものがある。知恵や幸福がやどるもので、杖に指揮されて生きてきたといってもよかったほどだった」と述べています。わたしは、この本を読んでから、なんだか杖に愛着が湧いてきました。足の怪我が完治した後も、杖を持ち続けようかなとも思いました。

 さて、骨折してから大学の講義で金沢に2回出掛けた以外は出張をしませんでした。基本的に小倉のサンレー本社にずっとおりましたが、多くの方々が訪ねてきてくれました。たとえば、金澤翔子さんが来て下さいました。ダウン症の天才書家として非常に有名な女性です。翔子さんとは、じつに1年ぶりの再会です。

 初めてお会いしたのは、昨年の6月で、場所は東京・銀座にある画廊でした。その画廊で翔子さんが書いた「般若心経」の世界が展示されていました。わたしは会場に足を踏み入れた途端、思わず息を呑みました。そこに書かれた、すべての文字が生きているようだったからです。「観自在菩薩・・・」から始まる文字の一つひとつが光り輝いて和紙から飛び出してくるような錯覚を覚えました。そして、浄土の世界が現出するような感覚にとらわれました。翔子さんは、書家として「100年に1人の天才」と呼ばれているそうです。

 会場には、翔子さんが10歳のときに書いたという「般若心経」も展示されていました。それもまた見事な作品でしたが、部分的に染みがありました。そこを指差して、翔子さんは「これはね、わたしの涙の跡なんだよ」と教えてくれました。障害を持つ翔子さんに書を指導したのは、母親の金澤泰子さんでした。泰子さん自身も書家だったのです。涙の跡がついた「般若心経」を見ながら、わたしは「おそらく、子も母も多くの涙を流してきたのだろう」と思って、胸が熱くなりました。

 その「涙の般若心経」は屏風に表装して、いま、わが社のグリーフケア・サロンに置かれています。愛する人を亡くした多くの方々が、翔子さんの書いた「涙の般若心経」を見て勇気を与えられ、また死別の悲しみを癒しています。中には、涙がとまらないほど感動する人もいらっしゃいます。

 じつは、翔子さん自身も、愛する人を亡くした人なのです。翔子さんの父親は悟さんといいますが、すでに故人となられています。悟さんは翔子さんを溺愛し、「翔子が20歳になったら個展を開こう。ダウン症の子がここまでになりましたという報告の会にするんだ」と言っていたそうです。残念ながら悟さんは、その夢を叶えることなく夭折しましたが、翔子さんは「お父さまは影になって私を助けてくださる」と思っていたそうです。

 わたしも、亡くなった悟さんは、姿は見えなくとも実際に翔子さんをサポートしていたと信じます。20歳で待望の個展を開催し、それが大成功に終わったとき、翔子さんは「お疲れさま」という父親の声が聞こえたそうです。

 さて、今回の翔子さんの北九州訪問はお母さんの金澤泰子さんと一緒でした。「サンレーグランドホテル」および「小倉紫雲閣」で、わが社のイベント「サンクスフェア」が開催されましたが、そこで翔子さんの席上揮毫を行ったのです。泰子さんの講演会も開かれました。再会した翔子さんは、とても懐かしそうに、喜んでくれました。また、骨折したわたしの足を見て、とても驚いていました。そして、「かわいそう」「痛いの?」と言ってくれ、優しくさすってくれました。翌日の席上揮毫で、翔子さんは東北の被災地でも書いたという素晴らしい字を書いてくれました。それは、「希望光」という素晴らしい字でした。

 もう1人、訪問者をご紹介したいと思います。NPO法人・北九州ホームレス支援機構の理事長である奥田知志さんです。初めての著書である『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)をサンレー本社まで届けて下さいました。奥田さんは、東八幡キリスト教会の現役の牧師さんです。滋賀県大津市の出身で、関西学院大学神学部大学院修士課程および西南学院大学神学部専攻科を卒業されました。学生時代に訪れた大阪市・釜ヶ崎(現:あいりん地区)の日雇い労働者の現状を目の当たりにし、ボランティア活動に参加したことがきっかけで、牧師の道を歩み始めたそうです。現在、わが国のホームレス支援の第一人です。作家の平野啓一郎さんと一緒に講演活動を行い、脳科学者の茂木健一郎さんが司会を務めるNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演されています。

 わたしが奥田さんのことを初めて知ったのは、NHKで昨年放映された「無縁社会」をテーマにした討論番組でした。何人かのパネラーの中で、奥田さんが「どうすれば、無縁社会を乗り越えられるのか」について、最も的確な意見を述べている印象でした。

 日々、多くのホームレスの方々と接していく中で「人と人とのつながり」について体験を通して考え抜いている方だと感じました。それは、日々、「死者の尊厳」や「愛する人を亡くした人の悲しみ」について、体験を通して考え続けているわたしにも通じることでした。わたしも「人と人とのつながり」を再生し、新しい「有縁社会」を築くために「隣人祭り」を行っています。ということで、それ以来、奥田さんに早くお会いしたかったのですが、お互いに多忙でもあり、やっと今年の4月に初めてお会いできました。

 そのとき、奥田さんが中心となって進めておられる「絆プロジェクト北九州」について説明を受けました。官邸ホームページにも取り上げられていましたが、東日本大震災の被災者を北九州市に受け入れて総合的にサポートしようという計画です。北九州市へ避難してこられた方々が社会的に孤立することがないよう、被災者に対して、住宅確保や生活物資の提供から心のケアまで、自立・生活再建に向けた、公民が一体となっての「新しい仕組みづくり」です。民間の力を最大限に活用したこの仕組みは、これからの地域福祉を推進する力として期待されている、「新しい公共」による先進的な取り組みとなります。

 北九州市や北九州商工会議所も、最大限の協力をするため、いち早く担当ラインを立ち上げました。それぞれの組織がしっかりと役割を果たし、被災者にとって北九州市が「第二のふるさと」ともなるよう、心のぬくもりが感じられる支援を一体となって行うというプロジェクトなのです。わたしは、素晴らしいプロジェクトだと思いました。

 わたしは奥田さんの情熱に感銘を受け、かつて日本において隣人愛を実践した賀川豊彦の姿と重なりました。よく考えれば、東日本大震災では多くの方々が家を失うという「ホームレス」状態になったわけであり、まさにホームレス支援の第一人者である奥田さんの出番です。「ハウスレスとホームレスは違います」という奥田さんの言葉も印象に残りました。家をなした人はハウスレスだけれども、絆をなくした人はホームレスだというのです。多くの人々が「絆」を取り戻し、「有縁社会」を再生するのが、わたしの願いです。

 現在ではすでに数十世帯が東北から北九州に移住して来られ、新生活をスタートさせているそうです。住まいは整い、家具や家電も寄付で十分に用意されています。後は、移住された方々の仕事が必要になってきます。その件で奥田さんから具体的な相談を受け、わたしは快諾いたしました。ぜひ、被災者の方々にわが社に入社していただきたいと思っています。「絆プロジェクト北九州」は全国的にも注目度が高く、先日も「朝日新聞」の全国版で大きく紹介されました。記事の最後には、わたしも「雇用に前向きな冠婚葬祭会社の社長」として紹介されています。そして、「地域の絆で受け入れる趣旨に賛同した。震災で受け入れる側の地域力も試されている」という発言が掲載されています。

 もうすぐ、被災者の方々の採用面接を行いますが、1人でも多くの方々が入社いただけることを楽しみにしています。けっして、「当社の人員は間に合っているのだけど、困った時はお互い様だから採用しましょう」ではありません。わたしは、大震災の被災者だからこそ採用したいのです。というのは、地震や津波や放射能で極限の体験をされた方々にとって、その体験は「強み」となりうると思っているのです。極限の体験をされたからこそ、他人の痛みがわかる方が多いのではないかと期待しています。特に、グリーフケア・サポートの現場において、被災者の方々の活躍に大いに期待しています。

 ということで骨休み(?)をしながらも、いろんな方とお会いして、自分なりに世直しについて考えております。これから暑さがさらに猛威を増すと思われますが、Tonyさんも熱中症などにならないように、くれぐれも御自愛下さい。では、オルボワール!

2011年7月15日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさんがムーンサルトレターを送ってくれてから、すでに1週間が過ぎてしまいました。満月だったお月様が下弦の月になってしまいました。お返事が遅れ、申し訳ありません。このところ、授業や研究業務の他に、毎週2つほど研究発表や催しなどが次々にあって時間を取られ、レターが遅れに遅れてしまいました。ごめんなさい。

 さて、骨折のギブス装着からの解放、まことにおめでとうございます。が、直りかけが大事ですので、くれぐれもお大事にしてください。杖のことは、大変興味深く思います。

 というのも、わたしも「東山修験道」を始めて、闇の中で杖を突くことを覚えました。「転ばぬ先の杖」を文字通り経験しています。杖のあるなしで、天と地ほどの違いがあります。特に段差のあるところのリスクを格段に回避することができるようになります。事前に段差を察知し、体勢を整えることができるからです。杖の妙味を感じました。今は杖なし生活をしていますが、昨年の夏、北海道の利尻島の利尻山に登った時の杖は、わたしの守護神でした。その利尻島からの帰りに民宿に、杖を忘れてきて以来、物理的には杖なし人生に入りましたが、心の中にはしっかりと「杖」があります。

 「わたしはあなたの杖になりたい」とか、「人生の杖となる」とか、杖はガイドとかサポートとかの暗喩となります。友だちや夫婦も一種の杖だと思います。支えとなるものはみな杖的ですね。

 わたしたちは、7月20日(水)に、<京都大学シンポジウムシリーズ『大震災後を考える』—安全・安心な輝ける国作りを目指して-Ⅳ『大震災後の「心のケア」を考える』「災害と宗教と「こころのケア」〜東日本大震災 現場からの報告と討議」>という長ったらしい題のシンポジウムを開催しました。大型台風6号が日本列島に襲いかかった時でしたが、「想定外」の130名余の方々が参加してくれました。ありがたいことです。

 開催に当たって、わたしはこのシンポジウムの趣旨と概要を次のように書きました。

 <こころの未来研究センターでは、東日本大震災後、研究プロジェクトとして「こころの再生に向けて」と題する震災関連プロジェクトを立ち上げ、主に、宗教学・民俗学・社会心理学・文化心理学のアプローチから「こころの再生」に向けての取り組みを行っています。その研究活動の一環として、本シンポジウムでは、「震災後の宗教の動向と『心のケア』」をテーマとして、それぞれの現場で活動されている本プロジェクトの連携研究員の報告と問題提起を踏まえて討議していきます。

 具体的には、連携研究員の鈴木岩弓東北大学教授が事務局長を務める「心の相談室」、島薗進東京大学教授が代表の「宗教者災害支援連絡会」、禅僧で作家の玄侑宗久氏が委員を務める「復興構想会議」、稲場圭信大阪大学准教授が共同代表の「宗教者災害救援ネットワーク」、金子昭天理大学教授が関係する新宗教や事務局長を務める「支縁のまちネットネットワーク」の被災地支援活動などの報告と問題提起を、こころの未来研究センターの河合俊雄教授と内田由紀子准教授が臨床心理学と文化心理学の観点からコメントしつつ、宗教や民俗や文化と「心のケア」の諸問題について考えていきます。>

そして、シンポジウムの構成と流れは、次のようなものでした。

<企画・趣旨説明:鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授・宗教哲学)10分
基調報告:島薗進(東京大学大学院人文社会系研究科教授・宗教学)「『宗教者災害支援連絡会・情報交換会』の活動と課題」30分
玄侑宗久(福島県三春町福聚寺住職・作家)「福島県での被災状況と被災地支援の現状および復興構想会議の報告」30分
事例報告:稲場圭信(大阪大学准教授・社会学)「『宗教者災害救援ネットワーク』 の活動と課題」20分
金子昭(天理大学教授・倫理学)「新宗教の災害支援活動の事例と課題」20分

討議
指定討論者:河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授・臨床心理学)10分
内田由紀子(京都大学こころの未来研究センター准教授・文化心理学)10分
主催:京都大学こころの未来研究センター「東日本大震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて〜」>

実は、こころの未来研究センターでは、研究プロジェクト『東日本大震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて〜』を2011年4月から2年間を目安に内田由紀子准教授とわたしが中心となって推進しています。参考までに、こころの未来研究センターのHPに掲載してある「研究目的と研究計画」などを貼り付けておきます。
(HP:http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/eqmirai/2011/06/post_5.html


『東日本大震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて〜』
京都大学こころの未来研究センター担当:鎌田東二・内田由紀子
研究期間平成23年4月1日〜平成25年3月31日

研究目的
 平成23年3月11日、東日本大震災という、未曾有の事態が発生した。地震・津波・原子力発電所の事故という3つの要素による複合的かつ甚大な影響をもたらす災害を経験したことで、日本における幸福感のあり方、社会関係のあり方は被災地ではもちろんのこと、その他の地域においても変化したと考えられる。

 本研究プロジェクトでは、東日本大震災関連プロジェクトとして、宗教学・民俗学・社会心理学・文化心理学のアプローチから、こころの再生に向けての取り組みを行う。

 宗教学・民俗学的アプローチとしては、「震災後の宗教の動向と世直しの思想と実践の研究」を研究題目とし、東北大学の鈴木岩弓氏が事務局の「心の相談室」、島薗進氏が代表の「宗教者災害支援連絡会」、稲場圭信氏が共同代表の「宗教者災害救援ネットワーク」などとの連携を保ちながら、①伝統文化の心と体のワザ(瞑想・武道・気功など)を活用したメンタルヘルスケア、②伝統文化および民俗芸能・芸術、聖地文化・癒し空間を活用した復興と再生、③脱原発社会の社会デザイン・世直しのありようを模索していく。その際、宗教的「世直し」思想と実践事例の解明とともに、21世紀文明のありかた、その中での日本文明の位置とありかた、そこにおける伝統文化(祭り、芸能、芸道、宗教など)の継承と活かし方、自然と人間と文明との関係の中での「生態智」の再発見・再評価と再構築、聖地などの安らぎや浄化をもたらす「癒し空間」の活かし方、などについて焦点を当てつつ考察していく。

 社会心理学・文化心理学的アプローチとしてはこれまで取り組んできた若者の適応感・不適応感の研究、社会的ネットワーク形成過程についての研究をベースに発展させ、日本文化における災害下の心理状態、対人関係、動機付けの状況やそれらに影響を与えるような報道内容を調査し、長期的・俯瞰的な視点での災害時の心理行動についての知見を呈示する。基本的には被災地以外での調査から始め、今後の災害時の教訓となるような知見を示す。

研究計画
a.「心の相談室」「宗教者災害支援連絡会」「宗教者災害支援ネットワーク」などの活動の追跡と連携
 東日本大震災後の宗教者の災害支援活動について追跡調査し、整理する。
b.伝統文化の心と体のワザ(瞑想・武道・気功など)を活用したメンタルヘルスケア
 伝統文化の精神・身体技法の活用法を調査・整理し、必要に応じてネットワーク化する。
c.伝統文化および民俗芸能・芸術、聖地文化・癒し空間を活用した復興と再生
 聖地文化を含む伝統文化や民俗芸能・芸術が被災地の復興にどのように関与するかを調査すると同時に、支援のあり方を実践的に探る。
d.世直し思想と実践の解明
 宗教的世直し思想と実践の歴史的事例の検証と、その現在形を探る。
e. メンタルヘルスとサポートの効果の検証
 これまでの文化心理学研究により、日本においてはアメリカよりもソーシャルサポートの知覚が主観的幸福感に関わっていることが示されている。一方でアメリカの9.11においてもソーシャルネットワークが果たした役割は大きいとされている。このように災害下においてサポートは大きな効果をもたらしていると考えられるが、たとえばどのようなサポートが実際的な心理的な変化を短期的・長期的にもたらすのかについて検討する。
f. メディア報道の影響
災害時の報道のインパクトを検討する。
今回の地震の後、様々なデマ情報や風評被害が広がったとされている。たとえば放射線被害の正確な情報についても、公に呈示される情報への不安感、不信感がベースとなり、その上で外国人の避難情報、インターネットの情報などに不必要にあおられた。情報が不足する中で、メディアの影響は、人の行動に影響を与えると考えられる。不安をあおる内容も、安全を強調する内容にも人々は不安を覚えるであろう。また、他国のメディア情報が容易に入手できる昨今、日本のメディアのみならず海外メディアの報道の持つインパクトもある。特に今回の場合のように、日本のメディアと海外メディアの報道内容のギャップは不安を増幅させた可能性がある。そこで日本やニュージーランド、スマトラなど、様々な災害に対するアメリカ、ヨーロッパ、日本などいくつかの国のメディア報道を分析する。そして、どのようなメディア報道に接した人がどのような信念を持ったり行動を起こしたのかを検討する。それぞれの文化における報道の特徴を精査することは、情報媒体者へのフィードバックとしても重要であると考えられる。

連携研究員
 金川智恵 追手門学院大学経営学部教授 社会心理学・博士
 竹西亜古 兵庫教育大学教授 社会心理学・博士
 大川清丈 甲子園大学心理学部准教授 社会学・修士
 原田 章 追手門学院大学准教授 統計学・修士
 島薗 進 東京大学人文社会系研究科教授 宗教学・文学修士
 鈴木岩弓 東北大学文学研究科教授 宗教民俗学・文学修士
 玄侑宗久 臨済宗僧侶・作家
 金子 昭 天理大学おやさと研究所教授 倫理学・博士(文学)
 稲場圭信 大阪大学人間科学研究科准教授 社会学・宗教学(PhD,ロンドン大学)
共同研究員
 薮ノ弘美 追手門学院大学大学院 経営学研究科  博士後期課程2年
http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/index.html


 今回の東日本大震災は、すでに何度か言及してきましたが、阪神淡路大震災(1995年1月17日)と大きく異なります。まず、被害の規模・広域。大地震に加えて、大津波の被害、そして「未曾有・想定外」とされる原発被害。この被害の質と量の違いです。

 さらに、今回の東日本大震災では、宗教界が活発に支援活動に向けて動いている点でも異なります。阪神大震災の時は、震災の2ヶ月後の3月20日に地下鉄サリン事件・オウム真理教事件が起こり、「宗教不信・宗教批判」と警戒感が一挙に高まりました。その時、すべての宗教と精神世界やスピリチュアルな活動に大きく深いダメージが与えられました。今のそのダメージから回復しきっていない、オウム真理教問題は解決していないと思います。

 けれども、それはそれとして、今回、東日本大震災後、本来の宗教的活動である祈り、祭祀、修法、儀礼や傾聴ボランティアなども実に活発に行われています。特に、伝統仏教教団の活動が顕著です。また、物資輸送や義援金の送付などの物質的救援活動や泥出しも活発です。多くの伝統仏教教団は後継者や檀家や『葬式は要らない』や「無縁社会」などのもろもろの流れの中で瀕死の状態に近づいていましたが、ここで息を吹き返さなければ未来はないという深刻な危機感があると思います。

 それから、宗教者と宗教研究者と医療従事者との協力により、宮城県仙台市で「心の相談室」の活動が始まったことも特筆すべきことだと思います。このたび、こころの未来研究センター連携研究員になってくれた鈴木岩弓東北大学大学院文学研究科教授(宗教民俗学)がその「心の相談室」の事務局長を務めていますが、ここには、宗教関係者間の友愛ネットワークが生まれつつあるといえます。宗教者と宗教研究者と医療関係者との三者間協力の仙台モデルの始まりがあり、とても期待しています。たとえば、お坊さん(Monk)が、“Cafe de Monk(カフェで文句)”というカフェを開いて、そこで、「お茶っこ話」をして、「モンク(僧)」やみんなに「文句(好きなこと)」を言い合う場を作っているなどの活動も起こっています。これは大人気らしく、なんと、1号店から3号店まであるそうです。今ではもっと増えているかもしれません。現代の「モンク」はなかなかの洒落者ですなあ。

 また、「宗教者災害支援連絡会」(宗教学者の島薗進氏が代表)が立ち上がったことや、「宗教者災害救援ネットワーク」(同じく宗教社会学者の稲場圭信氏と黒崎浩行氏が共同代表)が立ち上がったことも、11年前の阪神淡路大震災時とは大きな違いですね。

 もちろん、11年前にはインターネットが今ほど普及していませんでした。わたしも、使っていませんでした。が、今はインターネット革命が起こり、ツィッターやフェイスブックなどの新しい草の根情報網が発達しています。それらを活用しつつ、そこで、情報の整理や統合や接続などの提供が行なわれています。

 ところで、今日、7月23日付の毎日新聞朝刊京都面に、わたしたちのシンポジウムについての記事が掲載され、そこで玄侑宗久さんの基調報告の一部が、次のように紹介されました。

 「震災後、福島県で自殺者が増えた。我々が築き上げてきた感覚でとらえられない放射能と向き合うことによる心のダメージが大きい」、「ただちに健康に影響は与えないと言い続けながらホウレンソウや原乳の出荷が停止された。20ミリシーベルトで計画的避難をしなさいという一方、子供たちは校庭で遊んでいいという。こうしたことが繰り返されているうちに我々の中で情報の価値が暴落し、『どうせ、また』という最悪の心情が芽生えた」、「義援金が出たらお葬式をだしたいとか、津波で奪われた位はいを返してほしいとか、宗教心の強い地域で起こった震災が人々のつながりを再確認させた」。

 玄侑宗久さんは、芥川賞作家ですが、本職は、福島県三春町の臨済宗妙心寺派のお寺・福聚寺の住職です。だから、宗教の問題点も力や可能性も、当事者としてよく認識していますし、現実を知っています。その宗教施設を、玄侑さんが委員を務める内閣の「復興構想会議」は、文化財や観光資源として復興の対象にしていくという文言を入れたそうですが、しかし、「地域のコミュニティの拠点」などという文言は入れられなかったそうで、大変残念がっていました。特に、お寺や神社は地域のコミュニティセンター的な機能や役割を果たしてきた歴史や文化があるので、その伝統文化力を活かさない手はないと、「フリーランス神主」や「神道ソングライター」や「東山修験道」者として、伝統文化を研究もし、ある程度実践もしてきたわたしも悔しく残念に思います。

 とはいえ、わたしたちは、そんな無理解や意向にも屈せず、着々と自分のやれることをやっていくだけです。我らの義兄弟近藤高弘氏が、以下のような「宮城県・七ヶ宿−命のウツワ−プロジェクト」の趣意書を書き上げ、明日くらいから七ヶ宿でまるまる1ヶ月に及ぶ「ウツワ」づくり作業を始めます。近藤さんは、「無限の会」の代表で陶芸・美術家ですが、Shinさん同様、2008度から〜2009年度まで、こころの未来研究センターの「こころとモノをつなぐワザの研究プロジェクト」の共同研究員を務めてくれました。

<日本人は、古来より自然の中に神を見出し、畏敬の念を持って生きてきました。
自然は我々に豊かな恵みをもたらす一方、時として大きな災害をももたらします。この度の、東北の大震災や津波は予想を遥かに超えた規模となってしまいました。しかし、我々は、これからも自然と共に生きていかなければなりません。
東北の山や森の美しさ、雄大さには、いつも感動を与えられます。福島県、山形県、宮城県の3県の山々にまたがる七ケ宿町は、まさに自然に育まれた場所です。私は、1998年から七ケ宿町の西山学院高校内に登り窯「無限窯」をプロデュースし、13年間、毎年夏に地元で取れる土を使い、自生する松や間伐材で窯を焚くワークショップを行ってまいりました。現在は会員も増え、「無限の会」として活動しています。今回幸いにも、登り窯や150年続いてきた茅葺の工房は大きな被害もなく無事でした。そこで、この七ケ宿の土を使い、登り窯でウツワを焼き、土、木、水、風の息吹を吹き込んだ「命のウツワ」を、被災された方々に届けるプロジェクトを、下記のような組織でスタートさせたいと考えております。もちろん、私にできることには限界があります。今後、主旨に賛同を得られる国内外の作家に協力を得ることができれば、多くの被災者の方々へ、祈りの器、文化としての器、そして、そこに繋がる命のウツワをお届けできるのではと思っています。何卒、皆々様のご賛同、ご協力をお願い申し上げます。

プロジェクト推進組織
主催:無限の会
共催:宮城県七ヶ宿町、西山学院高等学校
後援:宮城県白石市、河北新聞社
協力:モノ学感覚価値研究会及びアート分科会、東京画廊、杜間道、情報工房、NPO法人「水守の郷・七ヶ宿」、宮城県七ヶ宿町滑津地区住民
地元顧問:安藤俊威(七ヶ宿安藤家19代当主)、鈴木文雄(無限の会監事)
アート顧問:鎌田東二(宗教哲学者・モノ学感覚価値研究会代表・京都大学こころの未来研究センター教授)、みわみちこ(杜間道代表)、山本豊津(東京画廊代表・アートプロデューサー)
推進事務局:事務局長 氏家博昭(無限の会事務局長),事務局:西山学院高等学校内 高橋悦子(宮城県刈田郡七ヶ宿町矢立平),アート関係事務局東京画廊:(東京都中央区銀座)>

 わたしは、近藤さんがつくる「ウツワ」づくりのように、物から心に届ける道と、気功や瞑想や芸能や音楽・舞踊などのような体から心に届ける道と、祈りや慰霊祭や儀式などのように魂(霊)から心に届ける道の3つの道の総合と立体交差を着実に実行していきたいと考えています。ぜひShinさんも協力してください。10月10日には宮城県の七ヶ宿町の安藤家で「命のウツワ」に関するシンポジウムを行ないます。その時、この10数年取り組んできた野焼きワークや「ホドキ(解器)」ワークのことも話されると思います。

 ところで、前回のムーンサルトレターで、6月18日に福島県相馬市中村神社と長友公園で、羽黒修験道の大先達の星野文紘さんが中心となって開催した「東日本大復興祈願並びに犠牲者慰霊大採燈祭」 のことを書きましたが、その時の写真を、写真家の三好祐司さんが送ってくれましたので、ここに何枚か載せておきたいと思います。


 三好さんの最後の写真にはきれいに北斗七星が写っていますが、この長友公園隣の中村神社は北極星と北斗七星で象徴される「妙見さん」(神社神道的には、天御中主神)を祀っています。この日の夜空。とても美しい光景であり、写真ですね。宇宙の神秘というか広大さと深遠と崇高を改めて感じます。そしてこの地球もまた神秘で深遠で崇高な水の惑星であることに、改めて、ありがたくも、よろこびとかなしみとともに感じます。

2011年7月23日 鎌田東二拝