京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター 第139信

 

 

 第139信

鎌田東二ことTonyさんへ

 今年、最後の満月を東京で見上げています。それにしても、TonyさんのHPが閉鎖されているのには驚きましたよ。12月12日が最終リミットだというのに一向に再開されないのでヒヤヒヤしました。結果、12日の深夜にギリギリ間に合って再開できたわけですが、ともかく良かったですね!

 前回のレターを11月14日にお送りしたのですが、その後、いろんな出来事がありました。最も大きな出来事は、11月18日、わがサンレーが創立50周年を迎えたことです。その日の朝から、サンレーグループ発祥の地である松柏園ホテルの顕斎殿で、奉告祈願祭が執り行われました。戸上神社から是則神職にお越しいただき、滞りなく神事を行いました。玉串奉奠をするとき、わたしは「50周年を無事に迎えさせていただき、ありがとうございました」と心からの感謝を神前に捧げました。

 その後、500名を超える社員が参集して、「創立50周年記念式典」が開催されました。
創立50周年式典で訓示をする佐久間会長

創立50周年式典で訓示をする佐久間会長わたしも社長訓示をしました

わたしも社長訓示をしました
 最初に50周年CMが放映され、それから佐久間進会長とわたしが入場しました。「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて、50年間の会社関係物故者に対して哀悼の誠を捧げ、黙祷を行いました。それから、全員で社歌を斉唱し、それから「経営理念」が読み上げられ、全員で唱和しました。

 続いて、佐久間進会長の訓示です。会長は「この業界も、林業や漁業を抜いて2兆円産業となりました。互助会の法制化を担当した者として、感無量です。わたしは『五徳の指針』というものを大事にして今日まで来ました。それは、『花ひらく音を聞け』『世間の調音に聞け』『天の声を聞け』『人の心に聞け』『自分自身の心意気に聞け』というものです。これは、中国の文部大臣を務めながら、毛沢東に追われて日本に亡命した胡蘭成という方から教えていただきました」

 それから佐久間会長は、「いま、わたしは心の中でこの半世紀を振り返っています。この仕事ほど良い仕事はないと思います。そして、冠婚葬祭業は礼の道であり、幸せへの道であると思います。何ごとも陽にとらえて、明るく楽しく前向きに仕事に取り組んでいきましょう!」と述べました。正直、80代になってから少々老け込んだなあと思っていたのですが、今日の会長は声にも張りがあり、矍鑠としていました。わたしは息子として「すごいなあ!」と思いました。

 そして、わたしの「社長訓示」の時間となりました。わたしは、まずは「本日、無事に50周年を迎えることができました。社員のみなさまとそのご家族には心より感謝しています。本当にありがとうございます」と述べました。それから、以下のような話をしました。50年前、つまり1966年はイギリスで音楽革命を起こしたビートルズが来日して、空前の大ブームを巻き起こしました。彼らの影響で日本には多くのグループサウンズが生まれ、若者たちの間では長髪が流行しました。 アメリカでは大衆文化の革命を起こしたウォルト・ディズニーが亡くなり、中国では毛沢東が「文化大革命」を起こしました。そんな年に誕生したサンレーは、日本で冠婚葬祭の文化大革命を起こす道を歩んできたように思います。

 早いもので、わたしも社長に就任してから15年が経ちました。『論語』には「五十にして天命を知る」とあります。いわゆる「知命」として知られていますが、そもそも「命」とは何でしょうか。陽明学者の安岡正篤によれば、何でもないことのようで、実は自分を知り、自力を尽くすほど難しいことはないそうです。自分がどういう素質能力を天から与えられているか、それを称して「命」と呼びます。それを知るのが命を知る「知命」ということです。知ってそれを完全に発揮していく、すなわち自分を尽くすのが「立命」です。『論語』の最後には、命を知らねば君子でないと書いてありますが、これはいかにも厳しく正しい言葉だと言えるでしょう。命を立て得ずとも、せめて命を知らなければ立派な人間ではありません。

 現在、ミッション・マネジメントという言葉をよく聞きます。「ミッション」という言葉は、もともとキリスト教の布教を任務として外国に派遣される人々を意味する言葉でした。しかし、現在はより一般的に、何らかの任務を担って派遣される使節団やそうした任務のもの、あるいは「社会的使命」を意味するようになってきています。ミッション経営とは、社会について考えながら仕事をすることであると同時に、顧客のための仕事を通して社会に貢献することです。すなわち、顧客の背後には社会があるという意識を持つ経営です。「会社は社会のもの」と喝破したのは、世界最高の経営学者として知られたピーター・ドラッカーです。わが社は、「選択と集中」「知識化」「イノベーション」など、数々のドラッカー理論に基づいて経営されました。 会社は社会のものであるということは、会社は社会を構成する大きな要素だということです。多くの会社が心ある存在になれば、心ある社会が生まれるのではないでしょうか。

 ミッションが企業価値を高める時代になってきました。目の前の利益だけを追い求める企業よりも、社会的使命としてのミッションの意識を明確に持って活動する企業が顧客と社会によって高く評価され、発展していくことになります。その意味で、ミッションとは企業の命そのものと言えるでしょう。ドラッカーは「仕事に価値を与えよ」と述べていますが、これはとりもなおさず、その仕事の持つミッションに気づくということにほかなりません。わが社は冠婚葬祭業を営む会社ですが、わたしは、この仕事くらい価値のある仕事はないと心の底から思っています。2001年10月の社長就任時、わたしは「冠婚葬祭業とは哲学産業であり、芸術産業であり、宗教産業である」と訴えました。また、「結婚は最高の平和である」と「死は最大の平等である」を二大テーゼに、結婚式や葬儀の一件一件が人類の「平和」「平等」の実現につながっていると説きました

 ミッションを明確に成文化して述べたものが、「ミッション・ステートメント」です。わが社では、36回目の創立記念日より、大ミッションを「人間尊重」、小ミッションを「冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをする」と定めました。そして具体的なステートメントとして、じつに3年にわたって、8項目からなる「S2M宣言」を定めました。この「S2M」こそ、わが社の命そのものと言えるでしょう。

 ホテル、結婚式、葬儀、写真、司会、コンパニオン派遣、生花、清掃、そして介護・・・わが社が関わるすべての事業は、良い人間関係づくりのお手伝いをし、社会を明るくする仕事です。サンレーグループは、これからも人間尊重思想を広める「天下布礼」という天命を知り、ミッショナリー・カンパニーをめざします。この大いなる使命を果たすには、みなさん全員の力が必要です。わたしは、「今後とも、よろしくお願いいたします!」と述べました。そして、最後に「かねてより天からの命おぼゆれど わが社(やしろ)いま知命迎へり」という道歌を披露して、壇上から降りました。

 セレモニーに続いて、50周年記念パーティーが開催されました。今回は、役員経験者の功労者表彰を受けられた方々をはじめ、なつかしいOBの方々も参加されました。最初は、50周年記念のオープニングムービーが上映されました。司会者による「開会の辞」に続いて、社長のわたしが挨拶をしました。わたしは、最初に「今日は、とても嬉しいです。特に嬉しいのは、OBのみなさまが来て下さったことです。みなさまのおかげで、サンレーは創立50周年を無事に迎えることができました。本当にありがとうございました!」と述べました。それから、わたしは次のように述べました。

 「人生の幸福というものは、誇りに関わっているそうです。誇りのある人生が幸福な人生だというわけです。そして、誇りというものは仕事に関わっています。サンレーで働かれたすべてのOBのみなさまが『冠婚葬祭互助会という素晴らしい仕事に携わった』『サンレーに入社して本当に良かった』と思っていただけるように、わたしをはじめ、これからも後輩一同は頑張っていきたいと思います。御縁をいただいたみなさまには末永くサンレーをよろしくお願いいたします!」

 最後に、わたしは「みなさん、今日は50周年の祭りです。儀式の後には直会、セレモニーの後はパーティーです。食べて飲んで歌って踊って、ともに50周年を大いに祝おうではありませんか。よろしくお願いいたします!」と述べました。挨拶を終えると、盛大な拍手が起こりましたが、司会者が「佐久間会長もご登壇下さい」とアナウンスし、佐久間会長が登壇しました。わたしたちは2人揃って、社員の代表者から花束を贈呈されました。わたしは会社が最も苦しかったときに社長に就任したときのことを思い出し、「ああ、無事に50周年を迎えられて良かったなあ」と心の底から思いました。それから、佐久間会長とわたしはステージの左端に移動し、オープニングセレモニーとして、くす玉を割りました。くす玉が割れた瞬間は、飛び上がって喜びを表現しました。

 開演後しばらくして、アトラクションの時間となりました。衛星放送を使って、各事業部からのアトラクションが映像で届きました。最後は、わたしの出番です。冒頭、わたしの仮面をつけた柔道着姿のニセ佐久間庸和が登場し、会場が大混乱となりました。蛇踊りに続いて、背中に「祭」と書かれた黄金の法被を着たわたしは「そいつはニセ者だぞ!」と叫んでから屈強な3人衆の騎馬にまたがり、ド派手に入場しました。さあ、スペクタクルの開始です! 興奮した営業員さんたちが騎馬に殺到して危険な状態となりましたが、なんとか舞台までたどり着きました。颯爽と舞台に駆け上がったわたしは、ニセ者を投げ飛ばしてから、北島三郎の「まつり」を歌いました♪ 

祝賀会での佐久間会長とわたし

祝賀会での佐久間会長とわたし「まつり」を歌いました

「まつり」を歌いました
 イントロの部分で、「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。冠婚葬祭のサンレーが50周年を迎えたよ。こりゃあ、めでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。よし、つかみはOK牧場!

 わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、大漁旗や巨大団扇を持った男たちが次々に出現しました。1番を歌い終わると、「祭」と書かれたブルーの法被を着た営業所長たちも登場しました。みんなで歌い、踊り、大いに盛り上がりました。

 最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これがサンレーの祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。歌い終わって、わたしが「ありがとう!」と叫ぶと、何十発ものクラッカーが鳴らされました。まさに「狂乱のカーニバル」といった感じでしたが、割れんばかりの盛大な拍手が起こり、感激しました。

「まつり」のフィナーレ!

「まつり」のフィナーレ!騎馬に乗って退場しました

騎馬に乗って退場しました
 歌い終わったわたしは、再び騎馬にまたがって退場しました。最後は、サンレー名物の「末広がりの五本締め」で創立50周年記念祝賀会は無事に終了しました。これからも、全社一丸となって、「天下布礼」に邁進したいです。なお、この日の「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各新聞の朝刊にサンレー50周年の全面広告が掲載され、そこで来年1月28日の東京ノーヴィー・レパートリー・シアターによる「古事記」北九州公演も告知しました。当日は、Tonyさんとアニシモフ監督とわたしの3人で「古事記」のミニ・トークショーも行う予定です。

新聞各紙に掲載された50周年記念広告

新聞各紙に掲載された50周年記念広告
 ということで、今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。Tonyさん、どうぞ良いお年をお迎え下さい!

2016年12月14日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 サンレー創立50周年、まことにおめでとうございます。そうでしたね。サンレーは、今年「知命」の節目の年を迎えられたのでしたね。この半世紀、50年、冠婚葬祭業の最前線を突っ走り、「天下布礼」を掲げて「創業守礼」をひたむきに実践し続けてきたことに心からの敬意を捧げます。本当におめでとうございました。

 この1966年という年は、わたしにとっても人生の大きな転機の年でした。その3月にわたしは中学を卒業したのですが、卒業式の直前に交通事故で父を亡くしました。その年の2月には、ソ連の無人の月探査機ルナ9号が初めて月面軟着陸に成功しています。またこの年に、福岡県出身の五木寛之さんが、モスクワで出会った少年を哀愁に満ちたほろ苦いタッチで描いた処女作の『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞を受賞し、続けて第2作のレニングラードで陰謀に巻き込まれた新聞記者をサスペンスタッチで描いた『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞しています。

 この『蒼ざめた馬を見よ』は、1966年12月発行の『別冊文芸春秋』第98号に掲載されたのですが、なかなかシリアスな社会派小説で、わたしもリアルタイムで読みました。主人公の新聞記者鷹野隆介が仕組まれた陰謀に巻き込まれて、ユダヤ系ロシア人の親子孫3代にわたる人生と出来事を描いたアレクサンドル・ミハイロフスキイの未発表長編小説の原稿を手に入れ、それを『蒼ざめた馬を見よ』と題して匿名で出版し、評判を得ます。が、実は、この小説も作家も偽物で、それは非情にも仕組まれた陰謀で、鷹野隆介はまんまとその罠に嵌められたのでした。

 ある意味では、釈然とはしない、実に後味の悪い小説ではあるのですが、それをスリリングな悲愴感とペーソスで描き上げた手腕は、相当なものだったと今になって思います。五木寛之さんはデビュー作から完成されていましたね、作家として。五木寛之さんは、大変優れた、時代を見抜いたすばらしい反時代的作家だと思います。福岡県は、骨のある面白い人物をたくさん輩出していますね。その風土と大陸や半島と交流を積み重ねてきた国際的な土地柄がなせるわざなのかと思います。反骨心溢れる国際派が北九州から出てくるのは。五木寛之さんもShinさんもそうした一人ですね。

 ところで、創立50周年を記念する催しは、サンレーらしい、またShinさんらしい、熱気とエンターティメントなアイデアと行動力に溢れた破天荒な祝宴だったようですね。Shinさんのパフォーマンス能力も大したものです。歌唱力もですが。「神道ソングライター」も負けてはいられません。

 この間にわたしは、京都府綾部で、新日本研究所主催の「綾部と久高島〜祈りの地下水脈」と題する「久高オデッセイ第三部 風章」の上映会とトークに参加しました。「新日本研究所」は、島薗進さん(所長)や金子啓明さん(副所長)などを中心2011年に設立された民間の任意団体ですが、そのHPには設立趣旨が次のように記されています。

 <現在の日本社会は、経済の低迷、教育の崩壊、政治の退廃、心の荒廃など問題が山積みです。そうした中、2011年3月11日に東日本大震災と原発事故が発生し、大きな悲しみと衝撃が日本国内ばかりでなく世界に伝わりました。この困難な状況のもとで、日本社会はどのようにすれば立ち直れるのか、その模索が始まっています。しかし、かつてのバブル経済とその後のデフレ不況を通じて、われわれは物質的な豊かさだけではこの社会が十分に機能しないことを体験しました。人の心を尊重する社会の重要性が改めて問われています。

 日本には、自然を尊重し、それが人の心と親和するやさしい文化を築いてきた長い歴史があります。そのことをもう一度問い直し、人の心と自然の恵みを大切にする新しいヒューマニズムを再構築しながら、社会全体を考える必要性を痛感しています。

 わたしたちは、こうした考えを深めるために芸術、科学、宗教、哲学、法律、経済等々にかかわる有為の人々が集まり、「新日本研究会」を設立いたしました。

 「新日本研究会」では、それぞれの立場から、さまざまな提案を行い実行に移すことで、相互の信頼とつながりを深めることができればと思います。「新日本研究会」は既存の組織とは異なり、信頼という人間関係を支えとする運動体として機能できることを願っています。>(http://www.shinnihonkenkyusho.com/

 催しは、以下のチラシのように、新日本研究所副所長で、元東京国立博物館副館長で現在興福寺国宝館館長の金子啓明さん(日本大学客員教授)の開会挨拶に始まり、山崎善也綾部市長の挨拶の後、「久高オデッセイ第三部 風章」(95分)の上映が続き、休憩後、島薗進(上智大学グリーフケア研究所所長・東京大学名誉教授)と新実徳英(作曲家・「久高オデッセイ第三部 風章」の音楽担当)とわたしとのトークセッションがあり、最後に敏腕弁護士の紀藤正樹さんの閉会の挨拶で終わるというものでした。

久高オデッセイ第三部 風章

久高オデッセイ第三部 風章

久高オデッセイ第三部 風章 プログラム

久高オデッセイ第三部 風章 プログラム
 このシンポジウムは、毎年1回行なっていますが、今回のものを含め、これまでに3回開催しています。綾部で10年・10回、こうしたシンポジウムや催しや交流を重ねていく予定です。もちろん、綾部以外でもいろいろと催しをやっています。わたしたちは、このイベントの翌日の10月31日、大本の聖地の一つとなっている龍宮神社を参拝し、鉢伏山(1221m)を遥拝しました。この「鉢伏山」を遥拝した時、わたしは、突如、「承久の乱」を想起したのでした。「標高1221メートル」から「承久の乱」の起った年「1221年」を思い出したからです。関西随一のスキー場として知られる「鉢伏山」には磐座があり、大本の奥宮が祀られているとのことでした。

 さて、この「承久の乱」は、日本史上唯一の「革命」とされることがあるようです。この時、初代執権北条時政の子で北条政子の実弟の第2代執権北条義時が、鎌倉幕府を打倒しようとした後鳥羽上皇たちを第3代執権となる北条泰時率いる大群により鎮圧し、首謀者の後鳥羽上皇を隠岐の島の海士町に配流し、順徳上皇を佐渡ヶ島、土御門上皇を土佐国に配流しました。土御門上皇はその後阿波国に移されたようです。また、後鳥羽上皇の皇子の六条宮は但馬国、冷泉宮は備前国に配流されました。順徳天皇の第四皇子でわずか3歳で即位した第85代仲恭天皇はたった2ヶ月余の在位期間で廃帝にされ、9歳の第86代後堀川天皇が即位することになります。

 この承久の乱の後、鎌倉幕府軍の総大将であった北条泰時は六波羅探題を設けて、朝廷に睨みをきかし、皇位継承や公家の所領についても干渉・介入していくことになりました。実際、公家や武士の所領約3000ヶ所が没収されて、新たに多くの地頭が任命され、鎌倉幕府の統制が強化され、名実ともに武士の世の中になっていきます。後鳥羽上皇によって、天台座主を4度も務めた慈円は、この時、日本で最初の歴史哲学書と言われる『愚管抄』を書いて、後鳥羽上皇の乱を防ごうとしたと言われています。慈円は歴史の「道理」とその変遷・崩壊を『愚管抄』の中で記していますが、そのキーワードは、「道理」の他に、「冥(みょう)」と「怨霊」です。それは、「冥」と「怨霊」を治める鎮魂力がなければ、世の中も人心も安定しないということを意味します。

 いずれにせよ、日本史を揺るがす大事件が起こったのが1221年だったのですが、標高1221メートルの鉢伏山に行った時に、突然、そのことを想起し、今は「承久の乱」が起こるような時代なのだと実感したのでした。そして、この12日後の11月12日に、実質的に世界の「征夷大将軍」として君臨してきた米国大統領選で、ドナルド・トランプ候補者が選出されという大番狂わせが起ったのでした。トランプ勝利を予測した人もいたようですが、多くはヒラリー・クリントン勝利を疑わなかったでしょう。実際、票数ではクリントン優勢が報じられているようですから。

 ともかくも、波乱含みの世界情勢であることに間違いはありません。スパイラル史観による現代大中世論を提起してきたわたしにとっても、いよいよこの「大乱世」の混乱が極まってきたとの感が拭えません。そうした中での、Shinさんの「天下布礼」創業50年です。感慨深いものがあります。佐久間進会長もさぞかし感慨を深くされたことと思います。

 50年前、わたしは15歳の少年でした。父を亡くして自由の海に漕ぎ出し、この50年半世紀を一介の一フーテン(フーテンの東さん)として生きてきましたが、これからも、五木寛之さんではありませんが、「風に吹かれて」漂う「デラシネ」(根無し草)として自由自在に生きていきたいと思います。

 中世に、「自由」という言葉がリアリティを持ち始めました。それは、旧来の共同体や軛から「無縁」になる、ことを意味しました。自由民と無縁民とはコインの裏表だったようですね。孤立無援と自由とは相関しています。が、「自由」は、確かに、一面では、「無縁」ではありますが、別の面では、「新結縁」を結ぶことのできる「余地」を含んでいます。そのような潜在力を持っているが故に、中世には新しい縁作りの宗教文化、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の法華宗(日蓮宗)や、伊勢神道や吉田神道(唯一創源神道)や、能や茶や花の道が輩出してきたのです。

 「自由」は「破壊」と「創造」という両面を持っています。常に。その両面をしかと見据えながら、これからをさらに逞しく生きぬいていきたいものです。何が起こるかわからない世の中です。何が起こっても不思議ではない世の中です。「乱世」という言い方もできますが、「創世」という言い方もできます。それが「世直し」です。Shinさんの「創業守礼」や「天下布礼」も、もちろん、「世直し」であり、「心直し」「礼直し」です。わたしたちが「起業」した「NPO法人東京自由大学」も「新日本研究所」も「世直し・心直し」事業です。

 比叡山麓に住む一フーテン、一山賊として、これからも自由に、自在に、地道に、地頭的に活動を続けていきたいと思いますので、今後ともいっそうよろしくお願いします。正月明けて、1月28日(土)には、東京ノーヴィレパートリーシアターによる『古事記』上演とトークがありますが、その時に再会できることを大変楽しみにしています。創業50年を超えて、さらに力強い創造的な、よいお年をお迎えください。いっそうのご活躍とご発展を心から期待しています。

  日付けが12月14日となりました。ムーンサルトレター139信を書き上げて、午前5時半に西の空を見上げると、空は晴れ上がって、煌煌と満月がかかっていました。本年最後の満月を京都でも見上げることができました。

 2016年12月14日 鎌田東二拝