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シンとトニーのムーンサルトレター 第119信

 

 

 第119信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? 世間ではゴールデンウィークの最中ですが、わたしは執筆三昧です。つい先日、『唯葬論』(三五館)という新刊を脱稿しましたが、次は『永遠葬』(現代書林)が待っています。こちらは今月中に書き上げて、7月末には刊行する予定です。70回目の「終戦の日」となる8月15日までに、『唯葬論』と『永遠葬』の2冊が揃うでしょう。ところが、その他にも『お墓の作法』という新しい本の企画を進めています。青春出版社の「青春新書」から年内には刊行します。このムーンサルトレターを単行本化する案件も含めて、現在、6冊の書籍出版を同時進行しています。

 『お墓の作法』には「後悔しないための墓じまい、墓じたく」というサブタイトルがついていますが、昨日の「憲法記念日」にYahoo!ニュースを見ていたら、関連のある記事がTOPで紹介されていました。神戸新聞NEXTが配信した「『墓じまい』自分の代で 少子高齢で維持困難、無縁墓も増加」という記事です。同記事のリード部分には、以下のように書かれています。「少子高齢化による後継者の不在などで、墓を撤去し、寺などに遺骨の管理を任せる永代供養に切り替える動きが広がっている。『閉』『お性根(しょうね)抜き』などの法要から撤去までを総称する『墓じまい』という言葉も浸透。時代の流れと言えるが、『墓の文化が廃れていくのは寂しい』との声も聞こえる。(黒川裕生)」

 この記事で紹介されているのは神戸の事例ですが、「墓じまい」は全国的な問題となっています。わたしは現在ブームになりつつある「海洋葬」や「樹木葬」などの“供養イノベーション”が「墓じまい」を加速させるのではないかと見ています。そして最近、わたしはこの2つのイノベーションの最前線を実際に見てきました。

 まずは、「海洋葬」のほうからお話しましょう。4月9日、サンレー沖縄主催による「第2回 沖縄海洋散骨」が行われました。まずは14時から那覇紫雲閣で合同慰霊祭が開催されました。合同慰霊祭は、ムーンギャラリーの進藤恵美子さんの司会によって進行されました。「開会の辞」に続いて、DVDによる映像演出の後、黙祷、「禮鐘の儀」、サンレー沖縄の黒木昭一部長による「追悼の言葉」、カップローソクによる献灯があり、慰霊祭は終了しました。終了後、それぞれの遺族ごとに集合写真を撮影しました。その後、那覇紫雲閣から三重城港へ移動しました。船は15時30分に出港しました。

 16時頃、散骨場に到着しました。そこから、海洋葬のスタートです。開式すると、船は左旋回しました。これは、時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶセレモニーです。それから黙祷をし、ここでも禮鐘の儀を3回行いました。その後、日本酒を海に流すという「献酒の儀」が行われました。今回は三柱の「代行散骨」を依頼されていましたので、社長であるわたしが献酒の儀を行わせていただきました。そして、いよいよ「散骨の儀」です。ご遺族全員で遺骨が海に流されました。代行散骨の三柱については、謹んで当社の社員が流させていただきました。続いて「献花の儀」も、ご遺族全員で色とりどりの花を海に投げ入れました。ご遺族が花を投げ入れられた後、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。カラフルな花びらたちが海に漂う様子は大変美しかったです。

 それから、主催者挨拶として、わたしがマイクを握りました。わたしは、「今日は素晴らしいお天気で本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを思いました。1つは、海は世界中つながっているということ。故人様は北九州の方だったそうですが、北九州なら関門海峡でも玄界灘でも、海はどこでもつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです」

 それから、「もう1つは、故人様はとても幸せな方だなと思いました。海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。愛する家族であるみなさんが海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか」とも言いました。

 その後、散骨場を去る際、右旋回で永遠の別れを演出しました。そして16時20分頃には港に帰り着いたのです。本当に素晴らしいセレモニーでした。

 海洋散骨とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレー]では、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。

 2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的で、わたしは「そうか、海は世界中つながっているんだ!」と気づきました。わたしは、月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです!そもそも、「死」というものの本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。

 それにしても、「海に散骨すれば、世界中で供養できる」という考え方は非常に重要ではないでしょうか。わたしは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包している。このイメージこそは、メルヘンは人類にとって普遍的であるとするシュタイナーの思想そのものです。さらに、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです!そんなことを海洋葬に立会いながら考えました。「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、葬送という行為の意味を考えました。

 それにしても、沖縄の海は美しかったです。ちょうど沖縄滞在中、民俗学者の谷川健一氏の『日本人の魂のゆくえ〜古代日本と琉球の死生観』(冨山房インターナショナル)を読んでいますが、序章に以下のように書かれていました。

 「沖縄の海を眺めるときの感動は、日常的な空間と非日常的な空間、現世と他界とが一望に見渡せるときのそれである。それを一語で表現するとなれば『かなし』という語がもっともふさわしい。沖縄では『かなし』という語は愛着と悲哀の入り混じった語として、今日でも使用されている。現世への愛着と他界への悲哀だけでなく、現世の悲しみと祖霊の在ます他界への思慕もこの言葉にはこめられている。碧玉色の内海と青黒い外海とを隔てるものはリーフにあがる白い波である。その白い波しぶきとまじりあう明るい冥府がほしいばかりに、私は珊瑚礁の砂にくるぶしを埋めてきた」

 海洋散骨を終えた夜、わたしは那覇のライヴハウスに出掛け、そこで飛び入りのBEGINの「三線の花」を歌いました。沖縄の青い海に融け込んでいった御霊に心からの祈りを捧げながら、歌いました。Tonyさんにも聴いてほしかったです。

沖縄海洋散骨で挨拶する

沖縄海洋散骨で挨拶する那覇のライヴハウスに飛び入り参加

那覇のライヴハウスに飛び入り参加
 「海洋葬」の次は「樹木葬」です。4月18日の朝、わたしは「平成心学塾」で講話を行いました。終了後、山口県岩国市へ向かいました。「苔華庭(たいかてい)」という庭園、さらに隣接する「桜山」を視察するためです。

 昨年の5月20日に、わたしは東京・表参道にある「TEAM HAMANO」を訪れました。ここで、ライフスタイル・プロデューサーの浜野安宏さんにお会いしましたが、そのとき、黒川康生さんという方を紹介していただきました。黒川さんは、グラフィックデザイン全般を手掛けるブラック・ビーンズ(BLACK BEANS)という会社の代表です。同社のオフィスは東京都渋谷区神宮前にありますが、黒川さんご自身は山口県岩国市の出身です。お父様の黒川義信氏は岩国市で「黒川造園」を営まれ、ご自身の事業の集大成として「苔華庭」という素晴らしい庭園、さらに隣接するご自身の山を「桜山」とすべく約150種類、約1000本を植栽されています。

 黒川康生さんのブログ「黒豆日記」には、次のように書かれています。
 「私の父親は山口県岩国市にて黒川造園という造園業をしています。人生を植木に捧げ、植木に愛されて生きてきましたそんな父親がモデル庭園として山口県岩国市の相ノ谷の地に、32年前から10年がかりで作り上げた庭が『苔華庭』。約600坪にわたる苔と砂利で構成された枯山水形式の庭に、毎年5月になると江戸キリシマツツジとシャクナゲが、極楽浄土のごとき美しさで咲き誇ります。」

 黒川義信氏は理想の庭園を造るために京都の名園や石庭を数多く拝観し、偶然訪れた城南宮の茶室亭に強く感銘を受けられました。そして個人として造るには「枯山水」が理想と考え、所有する土地の中から南向きで借景も考慮しながら作庭場所を思案されます。庭の構成は、その当時よりも15〜16年前から多くの江戸キリシマツツジを挿し木して育成されたいたこともあり、このツツジを中心に苔と砂利を組み合わせ、10年の歳月をかけて岩国相ノ谷の地に「この世の極楽浄土」とも称されるほどの「苔華庭」を完成させたのです。実際にお会いした黒川義信氏は、まるで哲学者のような雰囲気を醸し出している方でした。黒川氏は「苔華庭」に隣接する山に20数年前から桜を植え始められ、今では150種類、1000本もの桜が尾根から谷を埋め、毎年春に爛漫と咲き誇る光景は圧巻です。自然のまま開花していく希少な品種の桜には、神々しいまでの美しさがあります。黒川氏は、「苔華庭」も含め、「桜山」を樹木葬霊園に出来ないかと考えておられます。

現代の浄土をめざした「苔華庭」

現代の浄土をめざした「苔華庭」桜山で黒川義信氏と

桜山で黒川義信氏と
 無縁社会や老人漂流社会を乗り越えるべく、サンレーグループではさまざまなプロジェクトに取り組んでいますが、あらゆる方々の“永遠の棲家”となる樹木葬霊園の構想を練っています。この「桜山」は理想的な自然霊園となる可能性を秘めていると感じました。これらの新しい動きもとらえつつ、日本人がしっかりと「鎮魂」「慰霊」ができるように、わたしは『お墓の作法』を心をこめて書きたいと思います。
 でも、その前に、まずは『永遠葬』を書かないと!

 最後に、このレターは第119信目となります。次回は第120信。なんと、わたしたちの満月文通がちょうど10年目を迎えるのですよ! わたしは、大いなる記念のレターを心をこめて書きたいと思います。Tonyさんも、よろしくお願いいたします。それでは次の満月まで、オルボワール!

2015年5月4日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 凄いんでしょうねえ、次回で120回とは。10年ですからねえ。わたしはまったく回数に頓着しませんが、続けることにはとても意味があると思っています。「継続は力なり」と言いますが、「継続こそいのち(命)なり、いのり(祈)なり、いわい(祝)なり」としんそこ思っています。

 ところで、連休期間中、Shinさんが「執筆三昧」の間中、わたしは東北被災地の「巡礼三昧」でした。しかし、「三昧」という言葉に見られるポジティブな集中性というよりも、「惨昧」とでも言うべき「復興」の遅れや方策のなさが感じられて、愕然としました。

 わたしは2011年3月11日に起きた東日本大震災後、同年4月末から行なった第1回目の被災地調査を半年に1回ずつ継続してきました。そしてその第9回目の東北被災地追跡調査を、ゴールデンウィークの連休中の5月2日から6日までの5日間行なっていたのです。

 昨年は4月末からと8月末の2回、 東北被災地を訪れました。その途中の、昨8月末、左目の調子がおかしくなり、やがて左目半分がブラックアウトしたので、帰洛後すぐに眼科医に診てもらったら、網膜剥離になっていて、このままでは失明の恐れがあるということで、着の身着のまま、京都大学付属病院に入院させられ、翌日緊急手術を行なわれたのでした。生まれて初めて入院手術をし、その後、丸2週間もの間、ひたすらうつ伏せ行をし続け、医者の言いつけをよく守り、模範患者として術後の回復にあい務め上げ、無事に2週間後に、出所、もとい、退院したのでした。

 この2週間の「お籠り」のような入院生活はわたしに「スピリチュアルケア」や「死生学」の問題をリアルに考えさせてくれるよい機会となりました。というのも、Shinさんも出席してくれましたが、9月7日に上智大学で行なわれた第7回日本スピリチュアルケア学会のシンポジウム「宗教とスピリチュアルケア」においてパネリストとして発表・参加することになっていたからです。もちろんすぐに実行委員長の島薗進上智大学グリーフケア研究所所長に連絡して、参加できない事情をお伝えしました。

 学会に参加されたShinさんがわたしが行っていないので、驚かれたことは、以下のShinさんのムーサルトレター第111信の文章で明らかです。

<Tonyさん、このたび入院されたことを遅まきながら知ったとき、大変驚きました。昨日、9月8日、京都大学こころの未来研究センター研究員の奥井遼さんから以下のメールが届きました。

 「鎌田先生が先々週の金曜日に網膜剥離で緊急手術を受けられました。まだ入院中ですが、本日、退院なさる見通しが立ったそうですので、ご報告申し上げます。今のところの退院予定日は今週の金曜日(12日)です。手術後、入院中はずっとベッドにうつ伏せの絶対安静状態を維持しておられます。そもそもの原因についてはよく分からないそうなのですが、症状としては、左目の網膜に何らかのきっかけで穴があき、隙き間から眼球の中の硝子体(ゲル状)が流出し、網膜がペロリと一部剥がれてしまったそうです。症状が出た翌日に手術ができ、また無事に成功しましたので、大事には至らず済みました。うつ伏せ状態を『修行』『身心変容技法』とおっしゃっていたのはさすがでした。退院後、メールのやり取りができるようになれば、本MLにも復帰されるかと存じます。なお、退院後も数日は自宅療養が続きまして、この間、日本宗教学会のパネル以外のすべてのお仕事がストップいたしますので、ご迷惑をおかけいたします、と伝言を預かっております。ご快復を祈りつつ、以上、ご報告させていただきます」

 このメールは、Tonyさんが主宰される「身心変容技法研究会」のメンバー宛に同時配信されたものですが、うつ伏せ状態を「身心変容技法」と表現されたのは、わたしも「さすが!」と思いました。一日も早い回復をお祈りいたします。

 Tonyさんとは、てっきり6日に東京でお会いできるものだとばかり思っていました。そう、日本スピリチュアルケア学会の「第7回学術大会 in東京」で。6日の朝、わたしは北九州空港からスターフライヤーで東京に飛びました。赤坂見附の定宿にチェックインして、大会の会場となる四谷の上智大学まで歩いて行きました。ここ最近は業界や会社の仕事が忙しく、なかなか勉強ができませんでしたが、一念発起して、この大会に参加する決意をしたのです。この大会のことは、前回の「ムーンサルトレター」第110信で知りました。2日間にわたる開催ですが、Tonyさんが2日前のシンポジウム「宗教とスピリチュアルケア」に出演されるというので、わたしは参加を決めました。上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進先生、前所長の高木慶子先生にお会いする目的もありました。

 しかし、会場に到着してみると、Tonyさんの姿が見えません。島薗先生から網膜剥離の手術も受けられて入院中だとお聞きしました。大変驚きましたが、わたしには手術の成功と早い回復を祈るほかはありませんでした。でも、会場では、島薗先生をはじめ、京都大学のカール・ベッカー先生、高野山大学の井上ウィマラ先生などにお会いしました。

 その他にも、医療、グリーフケア、仏教、キリスト教の世界で有名な方々も多かったです。

 さながら「スピリチュアルケア・サミット」の観がありましたね。わたしも何人かの方から「一条さんですよね?」とか「ブログ、いつも読んでいます」などと声をかけられ、恐縮しました。>

 そこで学んだことは、
①体が動かなくなると、心のはたらきも影響を受けて、普段のような自在さや広がりを失うこと。文字通り、視野が狭くなり、行動範囲も狭くなり、思考範囲も狭くなり、世界が狭くなる。病院内の自分の周りの世界が唯一とは言えないが、大半を占めるようになる。つまり、不可抗力的な「感覚遮断」が「思考遮断」や「世界遮断」を生み出すということ。
②しかし、そのことによって、より内省的になり、自己の内に沈み、これまでの自分の来し方とこれからの自分の行く末を否が応でも考えさせられ、必然的に人生総括の機会を得るということ。
③それにより、生きる意味や価値や生きがいや罪責感や死の不安など「スピリチュアルペイン」に敏感になり、死生学的な問いかけを深めるようになること。
 このようなことを考える前に、わたしは「鎌田東二のスピリチュアルケア五則」というものを作り、それを日本スピリチュアルケアワーカー協会のHPなどに公開しておりました。それは以下のようなものです。

Ⅰ.スピリチュアリティ(霊性)の三要素は、①全体性(まるごと)、②根源性(ねっこ)、③深化・変容(ふかまり)、である。
Ⅱ.スピリチュアリティ(霊性)とは、「生の羅針盤(いのちのコンパス)」であり、「道(Way)」である。
Ⅲ.スピリチュアリティ(霊性)とは、「独り」でありつつ、「同行二人」である。
Ⅳ.スピリチュアルケアとは、「あいだ」にあるはたらきを感知するスピリチュアリティ(霊性)の臨機応変的発動である。
Ⅴ.スピリチュアルケアは、「生態智」(「自然に対する深く慎ましい畏怖・畏敬の念に基づく、暮らしの中での鋭敏な観察と経験によって練り上げられた、自然と人工との持続可能な創造的バランス維持システムの技法と知恵」)によって磨かれる。

 硬いですねえ。抽象的ですねえ。理屈っぽいですねえ。

 病気や手術をすると、そのような抽象性から離れ、とても具体的に、マテリアルになることによって、逆にスピリチュアルにもなります。体のはたらきの極端なる機能低下がスピリチュアルを呼び覚ますという逆説的な事態が生起するわけです。

 ともかく、昨年9月、日本スピリチュアルケア学会の第7回学術大会の開催に合わせて、『地球人選書 講座スピリチュアル学第1巻 スピリチュアルケア』(BNP)を同年9月5日に発売にし、同学会会場で最初に販売しました。続けて、11月29日(土)・30日(日)に京都大学稲盛財団記念館で開催する人体科学会第24回学術大会に合せて、『地球人選書 講座スピリチュアル学第2巻 スピリチュアリティと医療・健康』(BNP)も発売し、初販売しました。同シリーズには、Shinさんの文章にも出てくる井上ウィマラさんの他、やまだようこさん、小倉紀蔵さん、西平直さん、中川吉晴さん、中野民夫さん、奥井遼さん、篠原資明さん、棚次正和さん、町田宗鳳さん、鶴岡賀雄さん、永澤哲さん、津城寛文さん、アルタンジョラーさんなど、身心変容技法研究会メンバーが多数参画しています。 全体は全7巻で、これまですでに第3巻までを予定通り出版しました。

『講座スピリチュアル学第1巻 スピリチュアルケア』(BNP) 2014年9月5日発売
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「スピリチュアルケア」鎌田東二(趣旨説明)
序章 スピリチュアルケア総論
 伊藤高章「スピリチュアルケアの三次元的構築」
第一部 スピリチュアルケアと宗教・医療
 高木慶子「現場から見たパストラルケアとスピリチュアルケア、グリーフケア」
 島薗進「スピリチュアルケアと宗教」
 窪寺俊之「ホスピス、チャプレンとスピリチュアルケア」
 谷山洋三「スピリチュアルケアの担い手としての宗教者:ビハーラ僧と臨床宗教師」
 カール・ベッカー「スピリチュアルケアとグリーフケアと医療」
第二部 スピリチュアルケアとワザ
 井上ウィマラ「スピリチュアルケアと瞑想〜高野山大学スピリチュアルケア学科の実践から」
 大下大圓「スピリチュアルケアと死生観ワークショップ〜伝統仏教寺院を活用した心身統合のスピリチュアルケア教育」
 滝口俊子「心理臨床とスピリチュアルケア」
終章
 鎌田東二「スピリチュアルケアと日本の風土」

『講座スピリチュアル学第2巻スピリチュアリティと医療・健康』 2014年11月28日発売
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「医療・健康」鎌田東二(趣旨説明)
序章
 山本竜隆「統合医療から見た医療・健康とスピリチュアリティ」
第一部 医療とスピリチュリティ
 帯津良一「からだとスピリチュアリティ〜終末期医療と気功実践の経験から」
 上野圭一「代替医療からみたスピリチュアリティ」
 浦尾弥須子「シュタイナー医学がとらえたスピリチュアリティ」
 大井玄「看取りとスピリチュアリティ」
第二部 こころとたましいの健康にむけて
 やまだようこ「ナラティブの語りとスピリチュアリティ」
 黒木賢一「たましいの臨床心理」
 黒丸尊治「緩和ケアとこころの底力」
 長谷川敏彦「少子高齢化日本における健康の未来」
終章
 鎌田東二「スピリチュアリティと日本人のいのち観」

『講座スピリチュアル学第3巻 スピリチュアリティと平和』 2015年4月4日発売
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「スピリチュアリティと平和」 鎌田東二(趣旨説明)
序章
 小林正也「地球公共的平和とスピリチュアリティー友愛幸福世界に向けて」
第一部 宗教間の対立と対話
 阿部珠理「戦争と平和—アメリカ先住民におけるピースメーキング」
 千葉眞「キリスト教における平和のスピリチュアリティ」
 板垣雄三・阿久津正行「イスラームにおけるスピリチュアリティと平和」
 小倉紀蔵「儒教、スピリチュアリティ、平和」
第二部 文明の衝突を超えて
 服部英二「聖性と霊性の変遷——地球倫理の構築に向けて」
 内田樹「平和をつくるる武道と芸能」
 金泰昌「文明文化間対話と韓日間霊性和平の問題」
 山脇直司「WA、公共的スピリチュアリティ」
終章
 鎌田東二「日本の平和思想—『国譲り』問題を考える」

 そして、本年7月には第4巻目が刊行される予定で、今編集作業真っ最中です。

『講座スピリチュアル学第4巻 スピリチュアリティと環境』 2015年7月31日発売
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「自然」と「環境」 鎌田東二(趣旨説明)
序章
 原田憲一「地球環境とスピリチュアリティ」
第一部
 田中克「森里海の連環学と自然の霊性観」
 湯本貴和「日本列島と環境思想」
 神谷博「建築と都市と地域の循環系の構築」
第二部
 磯部洋明「宇宙環境と人間精神」
 田口ランディ「水の聖地と大地の力を探ることから見えてきたもの」
 津村喬「気功と環境と陰陽の哲学」
 大石高典「生態人類学から見た環境とスピリチュアリティ」
終章
 鎌田東二「環境倫理としての場所の記憶と生態智」

 わたしは先に書いたように、2011年4月末から半年に1度東北被災地を巡り、被災地の復旧・復興の過程を自分の眼で確認してきました。もちろんその全貌を見届けることは不可能ですが、それでも定期的に定点観測することによってより具体的に深刻に事態を見ることができてきていると思っています。被災地で、今、どのような問題が起こり、解決がなされ、また未解決なのか、 現状を見、生な声を聴こうとし、それを不充分ながらもその日の内にできるだけ記録していきました。そして今回は9回目の追跡調査となりました。

 いつもは、福島駅から相馬市の中心地の相馬中村神社に行き、相馬市に住む浪江町清水寺の林心澄住職にお会いするのですが、今回は林さんが法事でお忙しかったため、途中、「霊山」を抜け後に、いつもとても気になりながら時間不足で行けなかった「山津見神社」を参拝することにしたのです。「霊山」はホットスポットで、放射能線量が高いところです。昨年は霊山のパークエリアのあるところで0・4〜0・5シーベルトでした。しかし、浪江町の清水寺ではその日ではありませんでした。昨年4月29日の浪江町の熊野山蓮華院安楽坊清水寺の境内前の道路では放射線量6・28マイクロシーベル トと異様に高かったのですから。

 深い山中を迷いつつ、行きつ戻りつしながら、40分ほど山中を走って山津見神社に到着すると、案内板に、「山の恵みに生きる人々の守護神」とありました。そしてその背後をなす山は「虎捕山」と呼ばれていました。虎捕山! 凄い!

 その虎捕山は神奈備山形式の美しい三角形をしていました。山頂にもその真下にも一目見て霊威溢れる巨石があるのが目視できました。凄まじいパワー、でした。まさに霊地「虎捕山」。 とにかく凄いのです、巨石群が。

 しかし、まことに無念なことですが、その麓には除染された土盛の山がありました。 飯舘村には線量が高いために未だ人が住めないのです。よく知られているように、福島原発事故直後の風向きにより、福島原発から北西に位置する飯舘村に放射能が飛散したのです。そのためにこの美しいのどかな村は「想定外」の放射線汚染に苦しむことになったのです。その村の苦悩の実態を見せつけられた思いでした。村内には「特定廃棄物」の巨大な保管場所がありました。その「特定廃棄物」保管場所の放射線量計の数値は「1.159」マイクロシーベルト/hを示していました。昨年行った浪江町の清水寺よりもずっと低いけれども、それでも他の場所に較べて圧倒的に高い線量です。

 それを見て、最初に東北被災地には行った時と同じように、言葉を失ないました。原発事故から4年も経っているのに、なぜ今もこんな事態なのか? このどこが「コントロール」されている事態なのか? まったく「コントロール不能」という現実を露呈しているのに。暗澹たる気持ちを抑えることができませんでした。

 とにかくこの現実・実態をみなさんに報告することから始めるしかない。それがわずかながらも自分にできることです。そこで、被災5年目に突入する今年、次のような形で震災をめぐる第5回目のシンポジウムを行なうことにしました。


第5回 東日本大震災関連シンポジウム「こころの再生に向けて〜5年目を迎えた被災地の「復興」と現実」
日時:2015年7月9日(木)13時〜17時30分
場所:京都大学稲盛 財団記念館3階大会議室
テーマ:「5年目を迎えた被災地〜その「復興」と現実」
第一部
鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授・宗教哲学・民俗学)「趣旨説明」
基調報告(1)玄侑宗久(作家・福島県三春町・福聚寺住 職)「福島、いとあはれなり」
基調講演(2)鈴木岩弓(東北大学教授・宗教民俗学)」 「被災地に誕生する“祈りの場”」
基調報告(3)稲場圭信(大阪大学准教授・宗教社会学)「被災地の記憶と震災伝承:気仙沼震災伝承マップの取り組み」
コメンテーター:金子昭(天理大学教授・倫理学)・黒崎浩行(國學院大學准教授・宗教学・神社コミュニティ論)


 気合を入れて取り組まねば、と思います。福島県の人たち、浪江町や飯舘村の方たちなど、各地の無念の思いとその現実をきちんと受け止め、伝え、そこからできることを粘り強く続けていくほかありません。Shinさんが取り組んでいる葬儀や法要の問題も重要な課題です。

 Shinさんはまもなく青春出版社の青春新書から『お墓の作法』という本を出すそうですが、この連休中に、わたしも同じ青春出版社の青春新書から『図説 地図とあらすじでわかる!山の神々と修験道』(青春新書インテリジェンス)と題する監修の本を出版したのです。出版社から献本してもらう手配をしたのでお待ちください。またぜひブログでご紹介ください。

『図説 地図とあらすじでわかる!山の神々と修験道』

『図説 地図とあらすじでわかる!山の神々と修験道』
 アマゾンの「内容紹介」には、「富士山・高野山・出羽三山・金峰山・立山・御嶽山・恐山・高尾山…日本人はいつ、どのようにして「山」を崇めるようになったのか。観音信仰、羽黒権現、火渡り、護摩焚き、鎖禅定…知られざる山岳信仰の源流をたどる。 」とありますが、「バク転神道ソングライター」であり、「神仏諸宗フリーランス神主」であり、「東山修験道」者であるわたしとしては、修験道という文化の独自性と普遍性をできるだけわかりやすく解き明かし、各自に可能な形で体験や実践をしてほしいと思っています。そのための第一歩を踏み出しました。

 ところで、昨年4月23日に、韓国慶州の東国大学校で仏教系大学の東国大学校で「アジア共同体の構築に向けた仏教と宗教の役割〜日本の宗教文化の視点から」と題する講演を行ないましたが、今年も4月22日に旧百済の地の全羅南道の国立順天大学校で、「アジア共同体論〜アジア的思惟方式から考えるアジア共同体の未来」と題する講演を行ないました。

 その時、韓国の日本語や日本文化研究をしている大学教授から聞いた話ですが、今、韓国内では、日本語学科や日本文化学科の多くが規模縮小され、学科の統合や廃絶になっているとのことです。特に朴〜安部政権対立時代となって以来、学生の志願者も大幅に減少し、企業の協力関係も冷え付き、日韓文化交流の機会も関係予算も減り、最悪の事態に突入しているとか。

 このため、日本語や日本文学や日本文化を専攻する学生や大学院生も減少し続け、韓国内の真面目な日本研究者や大学院生たちが将来を悲観して自殺するケースも出て来ているとのことです。そこで、日本研究の学会に行くと、このままではどうなるのかという話題で持ち切りと言います。この事態を安部政権も朴政権も正しく認識し、「歴史認識問題」だけでなく両国の文化交流や発展のための適切な関係と政策を直ちに実行する必要があると思いますが、今なお事態は反対の方向に向かっています。東アジアの将来を考えると、この事態を何とか打開して、もっとも近い隣国の韓国との良好な関係を築いていく必要があります。「地方創生」を語るならば、「地球的地方創生」、日本・韓国・中国の「東アジア地域」の「地方創生」が最優先課題となりますが、そのための具体的な道筋をつける必要があると思うのです。福島も沖縄も東アジアも、解決困難な課題が山積していますね。

 今年度は、わたしにとっても京都大学での勤めの最後の年となり、総括の年度となります。科研も次の課題「身心変容技法と霊的暴力〜宗教経験における負の感情の浄化のワザに関する総合的研究」を開始しました。いよいよ本腰を入れて本丸に迫る仕事を進めていきたいと思いますので、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 2015年5月8日 鎌田東二拝