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シンとトニーのムーンサルトレター 第146信

 

 

 第146信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、梅雨の季節ですが、お元気ですか? このたびの北部九州の豪雨では、自然の脅威というものを改めて感じました。7月5日から、福岡県と大分県の両県には大雨特別警報が発表されました。わが社の社員や施設も多いのでとても心配でしたが、なんとか今のところは無事のようです。わたしが住む北九州市でも、各所で避難指示(緊急)が発令され、わがスマホもアラームが鳴り続けていました。歴史的な豪雨の被害は甚大で、犠牲者の数も増え続けています。心より御冥福をお祈りいたします。鎮魂の祈りとともに、わたしは最古にして最強の言霊を持つ「あした、天気になあれ!」の言葉を七夕の短冊に書きました。残念ながら、七夕の夜も雨で、天の川は見れませんでしたが・・・・・・。

 言霊といえば、『言霊の思想』(青土社)のご刊行、誠におめでとうございます。また、ご献本いただき、ありがとうございました。早速拝読し、ブログにも感想を書かせていただきましたが、Tonyさんの半世紀にわたる言霊研究の集大成となっていますね。450ページの硬い学術書ではありますが、つねづね言葉の持つ力を痛感していたわたしにとって、非常に興味深い一冊でした。

『言霊の思想』鎌田東二著(青土社)

『言霊の思想』鎌田東二著(青土社)
 Tonyさんには『神界のフィールドワーク』(青弓社、ちくま学芸文庫)という記念碑的名著があります。わたしの大の愛読書で、もう何度も読み返しています。『言霊の思想』を一読して、『神界のフィールドワーク』の内容とシンクロしているので、嬉しくなりました。具体的に言うと、両書では、空海や出口王仁三郎や折口信夫が大きく扱われているのです。特に、『言霊の思想』の多くのページが空海について割かれています。

 わたしは、空海を日本宗教史上最大の超天才であると考えています。今年4月に中国の西安を訪れたとき、青龍寺を参拝しました。ここは唐代の中国密教の第一人者であった恵果と空海が邂逅した場所です。わたしは、2014年末に監訳書である『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓しましたが、それ以来、ずっと青龍寺を参拝したいと願っていました。ようやく願いが叶ったわたしは、その喜びをムーンサルトレターの第144信で報告しました。

 すると、Tonyさんから、すかさず次のような返信がありました。
 「わたしは四国の阿波徳島で育ったために、小さい頃から弘法大師空海には親しんできました。近くには、四国遍路の第21番札所の太龍寺と第22番札所の平等寺の2つがあり、従兄弟は真言宗の僧侶で、住職もしていましたから、空海についてはかなりの関心がありました。そして、長い間、日本の宗教界のトップスターにしてスーパースターは空海だと思い込んできましたが、11年前から比叡山の麓の一乗寺に住み、比叡山に420回以上も上り下りするに至って、もしかすると、日本仏教界最大の人物は伝教大師最澄ではないかと思うようになりました。このことはすでに何度もこのレターのやり取りの中で触れたことがあるように記憶します。確かに、個人として評価すれば、空海、道元、法然、親鸞、一遍、日蓮が突出していると思いますが、日本仏教を底上げし、日本仏教界の土台を据え、そこから幾多の人材を輩出したかという、最澄や空海以降の日本仏教1200年の歴史を見ると、やはり最澄に軍配を上げざるを得ないように思います」

 とはいえ、『言霊の思想』では空海が大活躍します。Tonyさんによれば、言霊思想は、基層的には「草木語問う」という生命的・アニミズム的な言語意識に支えられているとのこと。初期「言霊」は、「草木語問う』というアニミズム的な言語意識と、「言霊の幸はふ国」というナショナリズム的な言語意識の二つの異なる言語思想を含むといいます。Tonyさんによれば、その二つの異なる言語意識を止揚し、密教的な宇宙論に結びつけたのが、空海の招来した真言宗の「真言陀羅尼」の概念です。空海はそれを『声字実相義』などの著作で、本邦初の言語哲学である「声字実相観」として展開しました。この神仏習合的言語意識が、やがて中世の戦乱期に、心敬や正徹の「和歌即陀羅尼観」を生み出します。

 Tonyさんは、声の力についてわが国でもっとも早く深い洞察を示したのは空海であるとし、『声字実相義』、『吽字義』、『秘密曼荼羅十住心論』、『秘蔵宝鑰』などの空海の主要著作はすべて、言語論=意識論=身体論=宇宙論という、きわめて体系的かつ総合的な問題枠ないし問題連関の中で語られていると分析しています。特に、空海が24歳のときに著した『三教指帰』に登場する「玉の声」という言葉に注目し、「この『玉の声』とは、精神−身体に多大な変化をもたらすまさに『魂の声』、すなわち『言霊』の力を持つ声であったといえるだろう。後年空海が入唐して密教を学び、帰朝して『真言宗』を開いた経緯がごく自然に納得されるような描写である」と述べています。そして、Tonyさんは、後に日本真言宗の宗祖となる空海は、声を身心変容技法として認識し導入した最初の宗教家であったと指摘するのでした。

 空海は、『般若心経秘鍵』の中で「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千里を含み、即身に法如を証す。行行として円寂に至り、去去として原初に入る、三界は客舎のごとし、一心はこれ本居なり」と述べたています。この『般若心経秘鍵』こそは、わたしが『般若心経 自由訳』を書く上でベースにした書です。間もなく現代書林より上梓の予定ですが、同書では、わたしなりに「真言」を求めてみました。

 また、『般若心経 自由訳』の最終部分では、友清歓真の言霊論を大いに参考にしました。『言霊の思想』では、第十章「友清歓真の言霊論」として、大本教に入信し、自ら新宗教「神道天行居」を創設した友清歓真が取り上げられます。彼は「言霊」から発展して「音霊」という考えを示しました。その音霊観で重要な点は、音霊と笑い、音霊と岩と開きとを関連づけている点です。彼は主著『霊学筌蹄』で以下のように述べています。

 「地上を喜びの笑ひに満たしむる事が政治や宗教の至極の理想である。余も人の笑い声を聞くのが何よりの楽みである。但し御世辞笑ひや、へつらひ笑ひや、嘲笑や、苦笑などは真ツ平だが、真に衷心よりの歓びの笑ひ、嬉しさの笑いは人生の至宝である。面白さの笑ひ、をかしさの笑ひも宜しい。わけても元気な子供の笑声ほど世に尊いものはあるまい。これは人間の精神の糧となるのみならず実際にその笑声の雄走の力によつて、肉体にも牛乳や鶏卵を摂取する以上の滋養になる」

 この「元気な子供の笑声ほど世に尊いものはあるまい」というのは至言であると思います。わたしも、子どもの笑い声には大いなる音霊が宿っていると思いますが、さらに進めて考えると、この世に生れ出てきたばかりの赤ん坊の泣き声などは最強の音霊ではないでしょうか。赤ん坊の『おぎゃあ、おぎゃあ』という泣き声は生命力の塊だからです。この考え方をもとにして、わたしは『般若心経 自由訳』を書きました。

 ところで、『言霊の思想』の「はじめに」で、Tonyさんは「提出してから二十年近く本にせずに持ち抱えてしまったのは、ひとえに自分のライフワークをさらによきものに磨きたいからであったが、いくら時間が過ぎてもそのようにはならず、とうとう定年を迎え、前期高齢者というセカンドステージに突入したこともあって、ここはひとつ是が非でも踏ん切りとけじめを付けねばならないという思いが嵩じ、ついに本書として手放すことになった。半分諦めであるが、感慨無量の思いがある」と書かれていますね。

 しかし、Tonyさんのご謙遜とは別に、本書は著書の言霊研究における堂々たる集大成となっています。これだけの先行研究に広く目を配り、その言霊論の要旨を紹介しただけでも大きな価値があると言えるでしょう。それにしても、「言霊」という化物のようなテーマに対して正面から挑んでいった著者の志と勇気には心から敬意を抱きました。「言葉とは何か」という問いは、あまりにも壮大です。わたしも『儀式論』(弘文堂)で「儀式とは何か」という問いを立てましたが、わたしたち義兄弟はともにドン・キホーテ的体質を持っているようです。しかし、「言葉」と「儀式」の謎が解ければ、宗教の本質、いや宇宙の本質だって判明するのではないでしょうか。

 「言霊」という思想は、神道に深い関わりを持っています。日本人の「こころ」は神道・儒教・仏教の三本柱が支えているというのがわが持論ですが、それに相当する書物が『古事記』『論語』『般若心経』ですが、それらは「過去」「現在」「未来」についての書でもあるように思えてなりません。すなわち、

 『古事記』とは、どこから来たのかを明らかにする書。
 『論語』とは、どのように生きるべきかを説く書。
 『般若心経』とは、死んだらどこへ行くかを示す書。

 日本人には、何は置いても、『古事記』『論語』『般若心経』が必要です。『古事記』に関しては、Tonyさんの『超訳 古事記』(ミシマ社)という名著がありますので出る幕はありませんが、わたしは『論語』と『般若心経』で自分なりの解釈を打ち出してみたいと思いました。子どもに『論語』を、お年寄りに『般若心経』を!

 ということで、「天下布礼」の一環として、まずは、『はじめての「論語」』(三冬社)を7月7日に上梓しました。「しあわせに生きる知恵」というサブタイトルがついた同書は、わたしの本では初めての児童書となります。北九州市を中心に公立小学校などにも寄贈する予定です。版元は、ロングセラー「だるまんの陰陽五行」シリーズで有名です。

『はじめての「論語」 』一条真也著(三冬社)

『はじめての「論語」 』一条真也著(三冬社)
 『論語』ほど日本人の「こころ」に大きな影響を与えてきた本はないのではないでしょうか。特に江戸時代には、あらゆる日本人が『論語』を読みました。武士だけでなく、町人たちも『論語』を読みました。そして、子どもたちも寺子屋で『論語』を素読して学んだのです。なぜ、それほどまでに日本人は『論語』を学んだのか。それは、『論語』に書いてある教えを自分のものとすれば、立派な社会人になることができ、人の上に立って多くの人を幸せにすることができ、さらには自分自身が幸せになれるからです。

 江戸時代、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』という本が大ベストセラーとなり、多くの日本人に読まれましたが、その中にも『論語』の教えが書かれています。すなわち、「仁義礼智忠信孝悌」です。8つの教えは、『論語』の教えを日本人向けにまとめたもので、とてもわかりやすくなっています。『はじめての「論語」』では、8つの教え別に、『論語』に出てくる孔子の言葉をわかりやすく紹介しました。

 ぜひ、『論語』の言葉を、心をこめて読んでほしいと思います。できれば、声に出して読んでほしいです。わたしたちのご先祖さまは、子どものとき、『論語』を大きな声で読んでいたのです。『論語』の言葉に後には、わたしが説明をしています。また、イラストも取り入れ、わかりやすくしました。本書を読んだ小中学生たちが、これからの長い人生をしあわせに生きるために必要な言葉を1つでも見つけてくれれば、とても嬉しいです。不遜ながら、Tonyさんにも送らせていただきますので、ご笑読の上、ご批判いただければ幸いです。では、7月26日の上智大学でのグリーフケア特別講義でお会いできるのを楽しみにしております。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2017年7月9日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、ムーンサルトレターの返信を中国四川省峨眉山にて書き始めます。まず最初に、北九州の集中豪雨、お見舞い申し上げます。中国にいて事情がよく呑み込めていませんが、その被害の大きさはインターネット上の報道で知りました。また、一昨日には峨眉山の電光掲示板で報道がされているのを見かけましたが、中国語の報道だったので具体的なところはよく分かりませんでした。が、記録的な大雨でその被害の大きさと緊張感が伝わってきました。

 昨年の熊本の震災に続いての災害、このムーンサルトレターでも、以前から何度もわたしの一番の心配は自然災害、地球環境の変化だと書いてきましたが、次々と災害が起こってくるのを見るのは、心が痛むと同時に、人間の小ささと自然に比べて文明の脆弱さをいつも痛感させられます。被害が最小限であることを願い、また被害や苦難がどのようであれ軽減されることを心より祈りますが、私たちが生きるこの時代、この世界そのものが、自然も社会も含めて大動乱の「乱世」であることをよくよく自覚する必要があると思います。

 わたしは、ここ峨眉山の地で、7月4日から10日まで、日本と中国との峨眉派気功や中医学・養生学を中心とした国際シンポジウム“2017 Emei International Symposium on Health Cultivation & Conference of Emei International Practice, Doin and Massage System”が行なわれ、フランスから40名、日本から40名、中国から70名近い参加者がいて、およそ150名くらいで交流し、論議し合いました。テーマは、「中国の養生文化、峨眉山における古代の修練」” Health Culture at China,Ancient Practice at Emei”です。

 わたしの発表は、昨日の7月8日と、本日7月9日で、今日は「サミット論壇」のスピーカーの一人として「日中身心変容技法の展開」について話しました。それを中国語とフランス語に通訳してもらうので、なかなか大変でしたが、大変面白く有意義な交流と国際シンポジウムとなりました。主催は、北京黄亭中医薬研究院+峨眉山市武術協会主催で、峨眉内功導引按術峨眉山国際伝承センターの実行でした。

 わが発表では、もちろん、石笛・横笛・法螺貝のわが「三種の神器」の奉奏も盛り込み、常々、①道としての学問、②方法としての学問、③表現としての学問を三者ともに大切に探求していくことを期していますが、今回もそのような自分の探究の一環としての発表になりました。特に、その中でも、空海は先達モデルとして最重要のキーパーソンとして取り上げました。もちろん、共に、第18回遣唐使として入唐求法した最澄のことも触れました。が、やはり、古代の入唐求法の最重要人物は、弘法大師空海でしょう。何といっても、唐の都の長安で真言宗第7祖の恵果阿闍梨から真言宗第8祖の認証をもらって帰国したのですから。それは、日本からの1私費留学生が、わずか2年足らずの修学で、いきなり、オックスフォード大学やソルボンヌ大学やハーバード大学の総長か学長になって凱旋帰国するようなものです。驚くべき事態であり、凄い事だったと思います。まさに、歴史的邂逅、ヒストリカル・ミーティングであり、偉業です。

 今回の発表でわたしは、「身心変容技法」に関して、日本が中国と頻繁に文化交流した時期は、大きく次の3期だと話しました。

①第1期〜8世紀から9世紀初頭〜主に仏教、特に天台法華(最澄)と真言密教(空海)との導入。
②第2期〜12世紀から13世紀〜主に禅、特に臨済禅(栄西)と曹洞禅(道元)の導入。
③第3期〜20世紀から21世紀〜主に気功諸流、特に健身気功と峨眉養生気功の導入。

 まあ、この第3期目についての見解には異論があるかもしれませんが、1960年代後半から津村喬さんたちが、最初期の気功を「東洋体育」などの概念で紹介し始めてから、半世紀以上経って、いろいろと紆余曲折を経てやっと本格的に中国最大の「身心変容技法」としての峨眉派養生気功の「気功=導引・吐納」を修学する時を迎えたのだと思っています。

 発表では、主に、空海と栄西と道元に焦点を当てながら、中国の各時代の影響を受けながら日本で独自の身心変容技法が展開していく過程をわたしなりの観点で説明しました。

 「身心変容技法」という観点から見ると、空海の最大の功績は、「即身成仏」の思想と実践例を示したことにあります。空海は『即身成仏義』の中で、よく知られた次の偈を表わし、三密加持の実修を通してその実現を示しました。

 六大無礙にして常に瑜伽なり    体       六大无碍常瑜伽  体
 四種曼荼は各々離れず       相       四曼陀各不  相
 三密加持すれば速疾に顕わる    用       三密加持速疾  用
 重重帝網なるを即身と名づく     無礙      重重帝網名即身  无碍

 法然に薩般若を具足して              法然具備薩般若
 心数心王刹塵に過ぎたり              心数心王刹
 各々五智無際智を具す               各具五智无智
 円鏡力の故に実覚智なり      成仏      力故智  成佛

 その空海の物事を端的に言い切りつつも、大変詩的に、かつ哲学的に表現することのできる言語能力は、まさしく『言霊の思想』ではありませんか! 同書でも少しく論じたように、空海は稀代の「言霊使い」であり、「草木言語(くさきこととう)」感覚や「言霊」観念があったからこそ、空海の招来した「真言」思想と実修がかくも円滑に接続できたのだと思います。天性の「言霊使い」としての空海が幼少期から持っていた意識せざる「言霊」感覚が、思想的哲学的に、必然的に、「真言宗」というインド伝来の密教に行き着いたというか、招き寄せたのではないでしょう。そしてそれは空海の感性と思想の必然であり核心であったと思います。

 空海の「身心変容技法」の特徴は、感覚的な身体性をフル活用したという点にあります。空海は大日如来とそのエージェントである不動明王との神秘的合一の哲学と修法を、「三密加持」という修法的方法を持って実践的に展開しました。

 空海は、18歳で大学に入学しますが、その勉学には意義を感じられず、真の道(真理)を求めて大学を中退して、私度僧となり、山林修行を行ないます。その頃、吉野の山中や四国の山中に分け入って、虚空蔵求聞持法を実修します。それは、「ノウボウアカシャキャラバヤオンアリキャマリソワカ」という虚空蔵菩薩の真言を、ある立地条件を満たした環境下において100日間に100万遍繰り返して唱え続け、念じ続ける修行でした。この若い頃に虚空蔵求聞持法を修行した体験を、24歳の時に書いた世界最高の卒業論文と言える『三教指帰(原題は『聾鼓指帰』)』の中で、「阿国大瀧嶽に躋り攀ぢ、土州室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す」と記していいます。要するに修行の過程で、虚空蔵菩薩の象徴である明星が飛来するという明証を得たのです。

 この空海の「即身成仏」思想は、さらに具体的に、『声字実相義』で次のような真言哲学として展開されます。

 五大にみな響あり        五大皆有響
 十界に言語を具す        十界具言語
 六塵ことごとく文字なり     六塵悉文字
 法身はこれ実相なり       法身是実相

 森羅万象すべてが悉く法身大日如来の真言と心意と身体性の流出であり、その根源の「身口意」を覚知すればみな悉く即身成仏することは可能であると言うわけです。

 拙著『言霊の思想』(青土社、2017年7月刊)では、十分に論及できなかったのが、そのような一種の「原言語実在」観に対して、そのような言語思想の限界と迷妄を徹底批判したのが禅の言語戦略だと考えます。臨済禅の「公案」を通しての「見性」体験も、曹洞禅の「只管打坐」による「身心脱落」体験も、ある種の言語的な呪縛からの解放と言えます。それが、禅のスローガンともなった「言語道断・不立文字・教外別伝・直指人心」の世界です。この純粋意識状態にいかにして入境し、遊戯三昧し、そこで「遊び」きるか。禅はそうした空仮の位相を自由自在に往来遊動する「身心変容技法」だと考えます。

 道元は『正法眼蔵』において、「参禅は身心脱落なり」と道破します。「身心脱落」とは、「身心」という枠から離れること、それを放擲することにほかなりません。道元は言います。

 「仏道をならふとは自己をならふなり、自己をならふとは自己を忘るるなり」(『正法眼蔵』「現成公案」)

 「ただわが身も心もはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたより行はれて、これにしたがいゆくとき、ちからもいれず、こころもついやさずして、生死をはなれ仏となる」(『正法眼蔵』「生死」)

 キーワードは、「忘」です。「忘」は、「心を亡くす」と書きます。つまり、「自己を忘るる」ということは、自我の思念が凝り固まって迷妄世界を堅固に作っているその「心を亡く」すことで、マインドセットをリニューアルし、リセットし直すという仕掛けです。それによって、自己の踏み越えと放擲がなされます。ここまで来ると、自力も他力も境が曖昧になります。坐禅という本来自力行の先に、自力を超えた他力というか「全力仏力」の力の普満に揺蕩うわけです。

 この「忘」という楔を日本思想史の中に打ち込んだ道元は、さすが、と思います。そしてそれができたのも、空海も道元も天性の「詩人」であったからだとわたしは確信しています。詩人こそが世界の流動性と実相と空仮のダイナミズムをみとって、それを臨機応変に表現できるのです。詩人として、道元は、非常に優れていると思います。

 唐から帰ってくる時、空海はこう言いました。「空しく往きて、実ちて帰る」(空往実帰)と。これは、空海の留学体験の充実の自負を端的に表しています。それに対して、道元は南宋への5年間の留学修行から帰ってくる時、空海を意識してかどうか、「空手還郷」と言いました。「身心脱落」し「自己を忘れた」道元は、「空手」で、ということは、執着を離れた「空身(心)・虚身(心)」で、日本に還った来たと言うことです。これが道元の凱旋宣言です。

 この2人とも、さすが〜、ですね。すごい〜、ですね。2人とも中国語はペラペラで、流暢に中国僧とも語り合い、混じり合ったことだと思います。このような中国留学の先人の体験と思想的表現を忘れてはなりません。それは、「世界精神遺産」です。

 古代の最澄と空海。中世の栄西と道元。そして、現代。第3期の今日、2015年6月に「一般社団法人 峨眉養生文化研修院」を設立して、本格的に峨眉養生気功を修学・導入しつつ、身心変容技法に関する新しい日中文化交流が起ころうとしています。それが、前に勤務していた京都大学こころの未来研究センターでも行なった近年の張明亮老師の講演・実修です。

 この峨眉派気功は、12世紀南宋末の白雲禅師に始まる「峨眉臨済宗」の「身心変容技法」として発展して来たものです。ここには座禅的な呼吸瞑想と道教的な導引の両方が統合されています。白雲は天下無双の大変勇壮な武人であったと言います。乱の時代の勇者が、乱の時代を真に収めるためには、「天下布武」ではなく、「天下布身(心)」の身心変容技法が必要だったということでしょう。

 わたしは、峨眉山市での国際研修と国際シンポジウムの合間の7月7日、七夕の日に、峨眉山を登拝し、3000メートルを超える山頂の金頂山で、般若心経を唱え、石笛・横笛・法螺貝を奉奏しました。この峨眉山体験は、わたしにとって一つの節目です。

 わたしが初めて中国に来たのは、1989年3月のことでした。当時、関西気功協会を主宰していた津村喬さんの招きで、北京の臥仏寺で行われた気功の研修と日中シンポジウムに参加したのが、最初の中国訪問でした。その時のシンポジウムでわたしは次のように宣言しました。

 この気功学習と日中学術交流は、1400年近く前の日本人が遣隋使や遣唐使として世界最大の文明地である中国に行って、中国文明の精髄を学び、それを持ち帰って日本文明の新たな創造に寄与した試みに匹敵するような、現代の遣隋使・遣唐使である、と。

 その時から、28年の時が過ぎました。この間に、日中の文化交流も実に多様に深まり展開しましたが、今、今日、わたしたちが参画しているこの峨眉気功国際交流展示大会こそ、中国の至宝である養生文化の全体を学びつつ新たな文明創造と文化交流に寄与していく最前線の最も創造的な活動であると確信しています。今回は、フランスからの40名、日本からの40名、そして中国側の70名余り、総勢150名ほどの峨眉派気功実習と国際シンポジウムとなりました。古代ケルト文化をその身に宿すフランスと、古代からの神道文化を宿す日本の、ユーラシア大陸の東西両極から中国をサンドイッチし、地球を一巻きする催しだったと思います。

 日本では峨眉気功第14代伝人の張明亮老師の本は2冊翻訳出版されています。『気功の真髄—DVD付き 丹道・峨眉気功の扉を開く』(山元啓子訳、KADOKAWA、2015年)と『峨眉伸展功—あなたの身体を呼び覚ませ』(山元啓子訳、BNP、2016年)です。わたしは、峨眉丹道医薬養生学派のますますの発展と中国気功文化のさらなる錬成と広がりが、混迷する世界や日本の情勢に一筋の光明と道標と具体的な方法をもたらすことになると確信していますが、日本での2冊の翻訳はその光明と道標と方法の証の書となると思います。

 Shinさんはいみじくも宣言しました。

 『古事記』とは、どこから来たのかを明らかにする書。
 『論語』とは、どのように生きるべきかを説く書。
 『般若心経』とは、死んだらどこへ行くかを示す書。

 わたしはそれを次のように言いたいと思います。

 『古事記』とは、日本人の来し方行く末を明示する書。
 『論語』とは、人間修養を通して世界平和実現を指南する書。
 『般若心経』とは、迷妄執着を離れて実相世界を往来する空身心顕現の書。

 それぞれに日本人のみならず、多くの人々を導く指南書だと思いますが、それに加えて、さらに具体的な「身心変容技法」の修練・習得が必要だと考えます。わが「東山修験道」もその一方途であります。

 最後に、わたしが峨眉山頂上で法螺貝を奉奏した7月7日の日の上梓されたShinさんの新著『はじめての「論語」』(三冬社)、心よりその前途を祝し、期待しております。今後ともいっそうよろしくお願いします。
2017年7月7日の峨眉山山頂より見た山並

2017年7月7日の峨眉山山頂より見た山並
紅葉の頃の峨眉山からの光景

紅葉の頃の峨眉山からの光景
峨眉山山頂金頂山の普賢菩薩像

峨眉山山頂金頂山の普賢菩薩像

 2017年7月9日 中国峨眉山にて 鎌田東二拝