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シンとトニーのムーンサルトレター 第145信

 

 

 第145信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、ご新著『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書)のご刊行、誠におめでとうございます。また、ご献本いただき、ありがとうございました。早速拝読し、ブログにも感想を書かせていただきましたが、日本人の死生観の本質を見事に解明されていますね。最澄、本居宣長、平田篤胤、柳田國男、折口信夫、南方熊楠、宮沢賢治、遠藤周作といった日本思想史のキーパーソンの死生観を追い、日本人の魂の原郷を求めておられます。非常に平易な表現でリーダブルでありながら、『世直しの思想』や『世阿弥』などの最近の力作でTonyさんが訴えてこられたメッセージもきちんと込められています。本書を読めば、「なぜ、日本人の葬儀は簡略化していくのか」「なぜ、日本人の墓は荒れていくのか」といった問いの答えも得られます。冠婚葬祭業に関わる人々にとって必読の書であるのはもちろん、1人でも多くの日本人に読んでほしい本です。『神道とは何か』に続き、PHP新書から新しい名著が誕生したことを心から寿ぎたいと存じます。

 さて、同書の第二章「『縁』をいかに結び直すか——『先祖の話』と個人の救済」の「大ヒットした二本の映画『君の名は。』と『シン・ゴジラ』は何を描いたか」では、その冒頭にTonyさんは以下のように書かれています。「2016年の日本では、『君の名は。』『シン・ゴジラ』という2本の映画が大ヒットしましたが、共通していたのが、『死』や『破壊』を真っ正面から深く描いていた点でした」

 じつは、「君の名は。」をTonyさんに最初に紹介したのは、わたしでした。ムーンサルトレターの第136信で、わたしは「神社が重要な舞台で、『産霊(むすび)』がテーマです。主人公の女の子は巫女であり、もう『100%、Tonyさん(著者)向きの作品』ではないかと思います」と書きました。

 しかし、それに対して、Tonyさんは、以下のように書かれています。「残念ながら、わたしの感想は、『イマイチ。』、でした。一番のネックは、見知らぬ高校生の少年少女が、彗星来訪の影響からか、夢の中で転換するのはファンタスティックで面白く、カルデラ湖の中の島の巨石聖地もそれなりによいのですが、最後の最後で再会できる時間転換のメカニズムがわかりませんでした。その不明確さによって、全体の複式夢幻能的なファンタジーが泡のごとく消滅してしまう頼りなさの中に落ち込んでいきました。この『夢幻物語アニメ』を楽しむどころか、『なんだよ〜、これは!』という腹立たしい思いで映画館を出たことは事実です」

 さらに、続けてTonyさんは「君の名は。」について以下のように書かれています。「こんなことを書くと、ファンの方に叱られるかもしれないし、またその時間転換も実はこれこれのメカニズムで起っているのだという次元錯綜・接続の根拠があるのかもしれませんが、わたしには不可解で、不愉快でした。『むすび』についての説明も、『宮水神社』の伝承も、町長をしている婿養子の三葉の父親も、しぶしぶ巫女を務めている三葉と妹の四葉についても、イマイチ、ピンとは来ませんでした」

 と、このようにおススメ映画を切り返されて、わたしはショボンとしたわけですが、ご著書にはそんなことは微塵も書かれておらず、Tonyさんは「『君の名は。』では、『産霊(むすび)』とか『隠(かく)り世(=幽り世=あの世)』などの思想が語られています」などと書いています。これには、「ちょっとちょっと、Tonyさん、そりゃないでしょう!」と思ってしまいましたね。(笑)本書の帯に「『古事記』から『君の名は。』までを読み解き、新たな『安心』を求める。」というコピーが躍っているのにも驚きましたが、まあ編集部の意向なのでしょうね。わたしにも経験があるので、ご事情、お察しいたします。

 でも、『古事記』との邂逅によって人生の方向を定め、『超訳 古事記』(ミシマ社)や『古事記ワンダーランド』(角川選書)といった著書まであるTonyさんにとって、帯に『古事記』と『君の名は。』が並ぶことには違和感を覚えられたのではないでしょうか。わたしは、「『古事記』から『君の名は。』まで」ではなく、「『古事記』から『シン・ゴジラ』まで」のほうがしっくり来たのではないかと思います。

 Tonyさんは「君の名は。」と違って、「シン・ゴジラ」は認めておられますよね。ご著書にも以下のように書かれています。「みんなに嫌われて、排除される。国家に『駆除』されるのだから、最高に悲しい存在です。私はその意味で、初代ゴジラよりも今回のシン・ゴジラに、いっそうの悲しみを感じました。無縁化した現代社会における、まさに無縁の象徴のように見えました。誰ともつながらず、誰にも理解されず、ただ『俺たちの世界から出ていけ!』と排除されるゴジラは、いわば最大の難民です。いま世界中に、難民問題という同じような状況がある。理解も共感もない悲しみが、世界中に強くある。社会的怨念や憎悪が生まれやすい状況が増えていて、『シン・ゴジラ』の世界観と似たものを感じます」

 第五章「星になる、風になる——『草木国土悉皆成仏』の思想」の「求められる広範なパワースポット」では、わたしの名前が登場します。Tonyさんは、日本人の死生観の歴史上の重要な出来事について述べます。「2010年にNHKスペシャルで無縁社会に対する警鐘がなされ、以後、無縁社会を扱った本が何冊か話題になり、同じ年に島田裕巳さんが、『葬式は、要らない』を出版。それに対する反論として、一条真也さんが『葬式は必要!——最期の儀式に迷う日本人のために』(双葉新書、2010年)を出します。すでにあったパワースポットブームも含め、これらが3つ巴となって2010年に浮上してきました。浮上してきたそのような課題を串刺しするようにして、翌年、東日本大震災が起こりました。無縁社会に向かっていく方向性は、いまも潜在的に続いています。限界集落問題をはじめ、無縁社会化は着々と進行しています」

 続けて、Tonyさんは無縁社会について以下のように述べておられます。「ただし、中世がそうであったように、無縁社会は新しい結縁社会をつくる1つの転換点になります。新しい結縁社会をつくるため、新しいコミュニティ、新しいネットワークをいかに創造するかが、間違いなく今後の大きな課題になります。『おひとりさまでいい』と主張する人もいますが、しかし、そのような人は本当に1人で、安心して死んでいけるのでしょうか。どんな死がいちばん望ましいかは一概にいえませんが、死の問題は個人差がありながら、共通の課題でもあります。多様な死の形の1つとして、『葬式も墓も要らない』という思想もありえます。しかし、だからといって完全になくしてしまうことは、絶対にできません。多くの人は、何らかの形で葬儀もお墓も必要と思っています。それぞれの死生観を納得させる、葬儀やお墓のあり方をいろいろ考えていくことが重要です」

 わたしは、日本人が無縁社会を乗り越え、有縁社会を再生する可能性を持った存在として、「冠婚葬祭互助会」の名を挙げたいと思います。冠婚葬祭互助会とは、その名の通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。そのルーツは、実はきわめて日本的文化に根ざした「結」や「講」にさかのぼります。「結」は、奈良時代からみられる共同労働の時代的形態で、特に農村に多くみられ、地域によっては今日でもその形態を保っているところがあります。一方、「講」は、「無尽講」や「頼母子講」のように経済的「講」集団を構成し、それらの人々が相寄って少しずつ「金子」や「穀物」を出し合い、これを講中の困窮者に融通し合うことをその源流としています。このような「結」と「講」の2つの特徴を合体させ、近代の事業として確立させたものこそ、冠婚葬祭互助会というシステムなのです。日本的伝統と風習文化を継承し、「結」と「講」の相互扶助システムが人生の二大セレモニーである結婚式と葬儀に導入され、互助会は飛躍的に発展してきました。

 現代日本人のほとんどは葬儀をセレモニーホール、つまり葬祭会館で行います。この葬祭会館には小規模なものから大規模なものまであります。いわゆる「総合葬祭会館」と呼ばれるような大型施設は、1978年にオープンしたわが社の「小倉紫雲閣」が最初だとされています。その後、全国でも最も高齢化が進行した北九州市をはじめ、各地に猛烈な勢いでセレモニーホールが建設され、今ではその数は全国で8000を超えています。

 このセレモニーホールの登場が、また日本人の葬儀およびコミュニティに重大な変化を与えたと多くの宗教学の研究者が見ているようです。

 わたしは、いま、冠婚葬祭互助会の全国団体である全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長を拝命しています。わたしは、冠婚葬祭互助会の存在は社会的に大きな意義があると確信しています。もし冠婚葬祭互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません。つまり、敗戦から高度経済成長にかけての価値観の混乱や、都市への人口移動、共同体の衰退等の中で、何とか人々を共同体として結び付けつつ、それを近代的事業として確立する必要から、冠婚葬祭互助会は誕生したのです。ある意味で、互助会は日本社会の無縁化を必死で食い止めてきたのです。

 しかし、それが半世紀以上を経て一種の制度疲労を迎えた可能性があると思います。制度疲労を迎えたのなら、ここで新しい制度を再創造しなければなりません。すなわち、今までのような冠婚葬祭の提供だけにとどまらず、互助会は「隣人祭り」などのさまざまな新しい試みによってイノベーションを図る必要があるのではないでしょうか。

全互連総会で会長として挨拶

全互連総会で会長として挨拶互助会誕生の地である横須賀で

互助会誕生の地である横須賀で
 6月6日、全互連の第59回定時総会が横須賀で盛大に開催されました。終戦直後の1948年、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で誕生しました。西村熊彦翁は、冠婚葬祭こそわが国の精神的文化であり、日本人の誇りであると提唱されました。「明るく暮らせる日本の創造」という壮大な志があったればこそ、今日の互助会業界の隆盛があることを決して忘れてはなりません。その意味でも、横須賀での開催は意義深いものがありましたが、同地では熊彦翁のお墓参りをすることができた。熊彦翁のお墓は、横須賀の良長院の境内にありますが、長年の念願を果たすことができました。わたしは、西村翁のお墓に手を合わせながら、「互助会の火はけっして消しません。これからも冠婚葬祭で日本人を幸せにします」と誓いました。

 互助会が提供するサービスは、今や結婚式や葬儀だけではありません。出産祝い、宮参り、百日祝い、お食い初め、七五三、誕生会、入学祝い、成人式、卒業式、謝恩会、結納、結婚周年祝い、定年退職祝い、長寿祝い、厄払いの会、快気祝い、お彼岸、お盆、法事など、人生の通過儀礼および家族の慶弔にかかわる年間行事にまで、視野は広まりつつあります。今後も、互助会は日本人の「人生の四季」を彩るお手伝いをしながら、血縁と地縁の回復に向けて各地で挑戦を続けていきます。わたしも全互連の会長として「有縁社会の再生」に全力を尽くす覚悟です。
 それではTonyさん、また次の満月まで。ごきげんよう、さようなら。

2017年6月9日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 仕事で大変お忙しい中、『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書、2017年5月刊)のブログや本ムーンサルトレターでの詳細で適格なご紹介、まことにありがとうございます。心より感謝申し上げます。各章の論点や問題点をクリアーに浮き彫りにしてくれており有難く思います。

 この本は、冠婚葬祭業にかかわる方々はもちろん、多くの現代日本人のみなさんにわが事の問題として、参考にしてもらえれば、著者として、問題提起者としてこんなに嬉しいことはありません。小中学生や高校生や大学生にも、死生学の準備教育というか入門書として読んでもらえるとうれしいです。

 ところで、『君の名は。』についての映画評についてですが、わたし自身のぶっちゃけた感想は、本ムーンサルトレターに書いた通りで、作品にはとても腹立たしく思っています。が、何しろあの本は、現代にヒットしている映画やテレビの作品や番組を取り上げながら、古代からの思想と繋げて考えてみるという視点を含んでいるので、現代人気アニメの代表として『君の名は。』を取り上げ、特にそこにおける「むすび」思想を『古事記』と接続させた次第です。あくまでもヒット作の背景をなす思想を考えるという本の方向性と大切な論点なので、あの形になりました。現代の特徴的事象と伝統的死生観の接続そ示すことがこの本の狙いであり売りですから。これは弁解でも言い訳でもありません。事実、その通りです。

 本音を言えば、何でもいいから、とにかく、買って読んでほしいですね。『君の名は。』や『シン・ゴジラ』からでも、本居宣長や平田篤胤からでも、柳田國男や折口信夫からでも、宮沢賢治や遠藤周作からでも、誰からでもいいから、自分の問題として考えもらいたいです。

 ところで、PHP新書編集長の川上さんは、娘さんと一緒に『君の名は。』を見に行ったそうですが、とても面白かったようです。話のテンポ感も、時間のズレのどんでん返しも、とても興味深いものだったとか。また、恋愛ファンタジーとして楽しむにはやっぱり最後は無事に出会えた方がいいし、その方が人気が出るとも思ったとか。が、わたし同様、「最後の最後で再会できる時間転換のメカニズム」はよくつかめなかったようですが。

 ところで、最近、わたしが凝っているものは、遠藤周作と『平家物語』です。遠藤周作さんの小説全集を読み返していますが、何度読んでも面白くて、凄い。とにかく、さらに興味津々となり、親愛と尊敬の度合いが深まりました。

 もう1冊の『平家物語』は、岩波の新古典文学体系本で読んでいるのでが、これが「めっちゃ、おもろい!」。それ以上に、超、凄い!『古事記』も語りであり、歌物語ですが、『平家物語』もまたその本質は変わりません。特に凄いのは、語り物系諸本の最終巻になる覚一本「灌頂巻」。こりゃ〜、凄い。凄すぎる。

 覚一(1299頃〜1371)は、耳なし芳一のモデルとされる、「明石検校」とも呼ばれた一方流平家琵琶の名手の琵琶法師です。その明石覚一は、足利尊氏の徒弟だったようで、播磨国の明石周辺を支配し、その後同国姫路の書写山円教寺の僧となりますが、失明して琵琶法師となり、室町幕府の庇護を受けて当道座を開き、惣検校に就任します。そして『平家物語』覚一本を仕上げるわけのですが、そこではとりわけ「灌頂巻」が重要な意味と位置付けを持ちました。

 『平家物語』「灌頂巻」とは、一言で言うと、平家滅亡後の後日譚です。1185年の3月、壇ノ浦で平家は滅亡します。二位の尼は安徳帝を抱いて「浪の下にも都はさぶろうぞ」と言って入水。続いて、安徳天皇の母で、平清盛の娘の建礼門院徳子も入水しますが、源氏の武者渡辺源五馬允に引き上げられ、その後平安京東山の麓の吉田の地で出家します。しかし、鴨長明の『方丈記』にも詳細に記述されている元暦2年(1185)7月9日に起きた巨大地震により、大原の寂光院に庵を設けて移り住みました。そこに、夫高倉天皇の父で、安徳天皇の祖父である、かつての庇護者にして政敵後白河法皇が訪ねてきます。そして、二人が対面し、対話しますが、これが超絶会話です。

 「灌頂巻」は、①女院出家、②大原入、③大原御幸、④六道之沙汰、⑤女院死去の五節がありますが、後白河法皇の訪問のくだりの「大原御幸」と、徳子との語りの「六道之沙汰」の段が『平家物語』最後のクライマックスであり、哀切の極みです。「六道之沙汰」は次のような流れで語られます。

①天上道:平清盛の娘として生まれ、「天子の国母」となり何不自由のない思いのままの贅沢三昧の生活は天上界のようであったが、寿永2年(1183)、木曽義仲に追われて都を出ざるを得なくなった。そのさまはあたかも「天人五衰」の悲しみであった。
②人間道:いやというほどに、愛別離苦と怨憎会苦、四苦八苦を経験した。
③餓鬼道:海上生活では食事にも事欠く有様だった。
④修羅道:明けても暮れても毎日毎時が戦い連続で休む間もなく、合戦による死を目撃し続けた。
⑤地獄道:二位の尼が入水する前、「いかにもしてながらへて、主上の後世をとぶらひまいらせ、我らが後世をもたすけ給へ」と言い残し、安徳天皇を抱いて海中に没した。そのさま忘れることできず、悲しみにも耐えられない。周りの人々の叫び声はまるで叫喚地獄のようだった。
⑥畜生道:都に戻る途中、夢を見た。安徳天皇と一門が昔より立派な御殿に威儀を正して居並んでいる夢だった。「ここはどこか」と訊くと、二位の尼が「龍宮城」と答えた。「ここには苦しみはないのか」と尋ねると、龍畜経の中に書いてあるので「よくよく後世をとぶらひ給へ」と言われ、そこで目が覚めた。

 これが凄い長広舌で、徳子は後白河法皇の誘い水に堰を切ったように、世の中で味わい尽くした最大の苦しみの一切を語り出します。息苦しいほどに。よくまあ、これほど美しく整理された形で語れるわい、と驚くほどに。

 もちろん、これは、史実そのものではなく、語りの名手・明石検校によって作文され、物語られているものであるとはいえ、それを聞いていると、情景がありありと眼前に浮かび、徳子の苦しみの内実が真に迫ってくるのです。

 これを聞いて、「鬼」(?)の後白河法皇も、「異国の玄奘三蔵は、悟の前に六道を見、吾朝の日蔵上人は、蔵王権現の御力にて、六道を見たりとこそうけ給はれ。是程まのあたりに御覧ぜられける御事、誠にありがたふこそ候へ」と堪え切れずに涙を流します。そこにいた徳子もお供の者もみな、とどめなく涙を流します。泣きに涙に暮れるとはこのことでしょう。

 この段の物語こそ、『平家物語』最終巻である「灌頂巻」の「窮境の語り」であり、「灌頂」に当たる「秘儀的語り」でした。というのも、この徳子の「語り尽し」がなければ、平家一門の鎮魂と菩提供養は成就しないからです。女人として、天皇の母、「国母」という最高位に就いた清盛の娘平徳子が、平家一族の「全痛み」と「全悲しみ」を背負って、シャーマンとも言えるほどの凄まじい語りの力で、その「痛み」と「悲しみ」、悲哀と哀切を物語り尽すのです。そして、それをかつての庇護者にして政敵後白河法皇やお供の者たちがひたすら「傾聴」し、共に涙を流すのです。これ以上のグリーフケア、スピリチュアルケアがあるでしょうか?

 実は、わたしは昨日、上智大学大阪サテライトキャンパスのグリーフケア研究所と龍谷大学共催の「グリーフケア公開講座」で、「神道から見た悲嘆」という講演をして、そこで、「日本三大悲嘆文学」として、

 ①『古事記』(712年)〜稗田阿礼・太安万侶
 ②『平家物語』(1212〜1240年頃)〜信濃前司行長(『徒然草』226段)・海野幸長・生仏・明石覚一
 ③『苦海浄土 わが水俣病』(1969年)〜石牟禮道子
の三冊を挙げたのでした。この三冊はともに、敗者鎮魂の書であり、歴史的出来事を踏まえた日本の民族(民俗)叙事詩と言える書だと思います。それぞれに「たたかい」が描かれ、そこで敗れていく者、例えば、出雲神族、平家一門、水俣病患者たちの悲哀と苦悩が「歌=詩」を伴いつつ、物語られます。この三書は、今では、書かれたテキストではありますが、その本質は、物語られた「語り」であります。

 『苦海浄土』の作者の石牟礼道子さんは、昭和30年代後半、彼女が20代の後半に「木樵り」と題する詩を、同人誌『道標』第5号に発表しました。それは、次のような詩です。

天なる静謐の下に繁茂する樹海に
そそり立ついっぽんの檜よ

心魂の耳に
はるかな梢からひびいてくる斧の音に
ひきよせられて
青いきざはしのような杣(そま)道(みち)を
わたくしは歩きだす

木樵りよ
ふくいくたるあなたの神示
あなたの妻 高群逸枝のために
あなたはそらなる香樹の枝にうちまたがり
今日も使いなれた妙音の手斧もて
朗たる写経のおこないをなす

あなたのまなこがくらくらと
森のプリズムに射られようとも
それはあなたの眼窩と森との
幽玄についての対話である

あゝなんと
あなたの斧と樹はかぐわしい匂いをはなち
乙女のきよらかな歯にかまれる葉脈のように
その少女と樹とのふるえのように
あなたが斧をうちおろすたびに
未来氷河期のさわやかなめざめがくる

そのとき始源の渓谷がながれ出す
たたなづく樹海のはてをみれば
杳くなつかしく野の道がひらけていると
あなたは白昼の夢にいう

木樵りよ
舞踏よりも聖なるあなたの彫琢
音楽よりもたかいあなたの孤絶
空の亀裂よりもしずかなあなたの瞋りよ

妙音の斧をもて
こーん
こーん
とあなたが真空の枝をうちはらえば
はろばろとした太古の夕暮れが
一段ずつわたくしのゆくてに降りてくる

飛びかう草色の木霊 それはわたくし
夕暮れの深遠な露にやどって
いまわたくしはしたたりおちる
わたくしの眷属たちのいるところへ
木の葉やみごもっているみみずたちのところへ
わたくしはいそがしい

木樵りよ
あなたの彫琢のいっせんいっせんごとに
わたくしは精霊たちの母となる
わたしは沐浴をすます
そこにみんなのための泉をほる

あなたのまなかいに 上弦の月がかゝるころ
まぼろしの湖の上にひらくひとすじの道をあるいて
まだ息絶えぬ原始を看とりにわたしは急ぐ。

 すばらしい詩ですね。「わたくしは精霊たちの母となる」、「まだ息絶えぬ原始を看とりに/わたしは急ぐ」。ホント、石牟礼道子さんは天性の詩人であり、預言者だと思います。20代後半に彼女は自分の仕事と人生を予知しているかのようです。天命を自覚しているかのようです。石牟礼さんは、岬の突端で常世に霊送りするシャーマン。深い森の中で蹲って草木虫の声々に耳を傾ける巫女山姥、のようでもあります。天然の生命母胎である不知火の海が、富国強兵・文明開化・殖産興業の波の中で、水俣病という病苦・社会苦・環境苦を生み出します。天地人の間の最大の深刻なる亀裂と断裂。『苦界浄土』はその最悪の断裂が生み出した、天地から贈られた「レジリエンス文学」(自己回復文学)と言えます。。

 昨夜、わたしは、大阪から京都に戻る時、阪急河原町駅から京阪の祇園四条駅まで四条大橋を渡りました。夜、9時半頃です。その四条大橋から、澄みに澄んだ満月がかかっているのが見えました。そして比叡山の麓の砦に戻り、夜、このムーンサルトレターの返信を書き始めたので、疲れで欠伸が出てきたので、そのまま外に出て、月を眺め、近くの鷺森神社を参拝しました。その満月の月光に照らされて、身も心も魂も素裸になって洗われるような思いがしました。。

 月による禊。

 まもなく、わが人生中50年を費やした本『言霊の思想』が青土社から出ます。見本が6月15日に出来、店頭には6月23日頃から並び始めます。450頁ほどの本ですが、ぜひ読んでほしいと思います。忸怩たる思いと、不十分でもとにかく区切りをつけたという思いとのアンビバレンツを感じていますが、これからもっと自由に羽ばたいてみたいと思っています。フーテンのトウさんとして生きたいです。

 2017年6月10日 鎌田東二拝