NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第077信

第77信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、いよいよ師走ですね。今夜は満月のみならず、「皆既月食」でした。今年の日本は皆既月食の当たり年で、6月16日以来2度目の皆既月食を楽しむことができるはずでした。しかも今回は、11年ぶりの好条件だったそうです。しかし、北九州はあいにくの雨で、皆既月食を見ることは叶いませんでした。残念です。

 さて、ご高著『現代神道論』(春秋社)をお送りいただき、ありがとうございました。早速、拝読させていただきました。待望のTonyさんの最新刊ですが、テーマはずばり「神道」で、帯には「『神道』という日本人の生き方。」というキャッチコピーが記されています。また、「『3・11』後の時代を見据え、霊性と生態智の視点から、原発と震災を超えて、日本人の生きる道を問う、刮目の書。」とも書かれています。東日本大震災についても書かれていますので、非常に興味深く読ませていただきました。

 Tonyさんは、自ら主張される「現代大中世論」を一言で言えば、4つの「チ縁」の崩壊現象とそれを踏まえた再建への課題を指しているとし、次のように述べておられます。

 「それはまず、地縁・血縁、知縁、霊縁という4つのチ縁の崩壊現象として現れてくる。限界集落を抱える地域共同体やコミュニティの崩壊。家族の絆の希薄化と崩壊。知識や情報の揺らぎと不確定さ。『葬式は要らない』とか『無縁社会』と呼ばれるような先祖祭祀や祖先崇拝などの観念や紐帯や儀礼が意味と力を持たなくなった状況。物質的基盤から霊的・スピリチュアルなつながりまで、すべてのレベルでチ縁が崩落し、新たな効果的な再建策やグランドデザインを生み出せないでいるのが、今日の現状である」

 まさに、Tonyさんの文通相手であるわたしは「葬式は、要らない」とか「無縁社会」と呼ばれるような先祖祭祀や祖先崇拝などの観念や紐帯や儀礼が意味と力を持たなくなった状況に強い危機感を抱いています。そして、新たな効果的な再建策やグランドデザインを生み出すべく悪戦苦闘しているところです。他ならぬTonyさんご自身が「無縁社会」を乗り越えるための実践者であるわけですが、次のように述べておられます。

 「わたしたちの身体は、『この身このまま』でしかないので、多様で多彩な情報空間の中で拡大・拡散しがちな『非等身大の情報的自己』と、この『等身大の身体的自己』との分裂や齟齬や断裂がまま起きる。『今ここのこの身』とか『等身大』という自覚は、『生態智』という具体的で身体的な知恵ともつながってくるが、わたし自身は、そうした自分の身体拠点から、『支援』というよりも、『これまでのご縁の生かし方』という意味での『支縁』の在り方を考え、実践していきたい。というのも、わたしは25年も前から、修験道の開祖とされている役行者をもじって、『現代の縁の行者になる』と宣言し、実践してきたからだ」

 その「現代の縁の行者」の導きによって、わたしも多くの方々と出会いました。映画監督の大重潤一郎氏、沖縄学者の須藤義人氏、造形美術家の近藤高弘氏、写真家の須田郡司氏、ミュージシャンの細野晴臣氏、そして天河大弁才天社の柿坂神酒之祐宮司・・・・・これまでにTonyさんから紹介していただいた方々も、本書に登場されていますね。

 本書を読んで、「神道」の意味について論じた部分が特に興味深かったです。『神道とは何か』(PHP新書)のときには「神からの道」(The Way from KAMI)としての神道、そして「神への道」(The Way to KAMI)としての神道と、2つの「神道」の意味が紹介されていましたが、今回の『現代神道論』では新たに「神との道」(The Way with KAMI)としての神道という第3の「神道」が紹介されていましたね。3つの意味が揃ったことによって、日本人にとっての「神道」の本質がより明確になったように思います。

 また、「フォルダ」とか「ファイル」といったパソコン用語を使って日本の神仏習合文化を説明するくだりも面白かったです。このようなPOP性こそTonyさんの真骨頂であり、他の宗教学者には決して真似のできない「強み」であると思います。わたしは、もともとTonyさんのことを稀代の「コンセプター」であり「コピーライター」であると思ってきました。なかなか言葉に表現しにくいものを概念化し、言語化する著者の能力にはきわめて非凡な才能を感じます。

 第4章は「祈り・東日本大震災の被災地を巡る旅」として、著者が被災地を訪れて体験し、感じ、考えたことが書かれています。その中で、宮城県の塩竃神社の筆頭禰宜である野口次郎氏の話が非常に印象的でした。塩竃神社のある土地は、昔から宗教者同士の仲がよい土地柄だそうです。宗教者間の親密さが下地としてあったために、「心の相談室」というケア活動も生まれました。さらには、身元不明者に対する共同葬儀の奉仕が行われるようになり、合同での祈りが捧げられたそうです。4月27日、28日の2日間にわたり、神道、仏教、キリスト教の3宗教の聖職者が葛原斎場で身元不明の死者一体一体にそれぞれ神道の弔詞、仏教の般若心経の読経、キリスト教の讃美歌の詠唱を行ったというのです。身元不明者の属する宗教や宗派がわからないので、このような方式が生まれたそうです。その話を聞いて、このような宗教協力が行われていることにひとすじの光明を見る思いがしたというTonyさんは、次のように述べられています。

 「もちろん、中には無神論者や無信仰の方もいるだろう。だが、それはそれとして、身元不明の死者を前にして、宗教者として最善の弔いをしたいという思いは十分理解できる。死者もそのことで腹を立てることもないだろう。野口禰宜さんは、『生きている人たちへのケアと、亡くなった人たちへのケアの両方が必要なのです』と強調した。そして、亡くなった方々への慰霊も、個人の慰霊と地域の両方が必要だと主張された」

 わたしは、この野口禰宜の考え方に全面的に賛成です。
まさに今、生きている人たちへのケアと、亡くなった人たちへのケアの両方が必要であり、現代は「ケアの時代」とさえ言えるでしょう。

 さて、わたしもこのたび「ケア」についての、また東日本大震災についての本を上梓いたしました。『のこされた あなたへ』(佼成出版社)という本です。ある意味で、『現代神道論』に通じる問題意識を持っているのではないかと思います。この本には、「3・11 その悲しみを乗り越えるために」というサブタイトルがついています。そう、東日本大震災で愛する人を亡くした方に向けて書いた本なのです。

 大津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されず、いま現在も多くの行方不明者がおられます。火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。さらには、海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。

 この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震と津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで二メートル半も東に押しやられたそうです。それほど巨大な力が、いったい何のためにふるわれ、多くの人命を奪い、町を壊滅させたのでしょうか。

 あの地震、津波、原発事故にはどのような意味があったのか。そして、愛する人を亡くし、生き残った人は、これからどう生きるべきなのか。そんなことを考えながら、残された方々へのメッセージを書き綴ってみました。もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全癒えることもありません。しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて本書を書きました。時には、涙を流しながら書きました。今年のうちに書き上げ、なんとか年内に上梓できたことに深い安堵の思いを抱いています。なお、この本のプロデューサーであり、編集者でもある長谷川紗耶香さんは、天河大弁財天社でTonyさんから紹介していただいた方です。この本もまた、「現代の縁の行者」の作品と言えるかもしれませんね。

 それから、今月はもう1冊、上梓しました。『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)です。わたしのライフワークの1つである『論語』についての初の著書です。『論語』に出てくる孔子は完全無欠な聖人としてではなく、血の通った生身の人間として描かれています。そして、孔子は何よりも偉大な先生でした。たとえば、弟子それぞれによって教え方を変えたりしました。すなわち、相手に一番ふさわしいメッセージを与えたのです。本書には、タイプの異なる5人の弟子が登場します。きっとこの本の読者に似た弟子が必ず見つかると思います。

 わたしは現在、北陸大学未来創造学部の客員教授として、「孔子研究」の授業を担当しています。学生の中には、孔子を生んだ国である中国や儒教が盛んな韓国からの留学生もたくさんいます。彼らに孔子が残したメッセージをわかりやすく伝えるため、わたしは黒板に『論語』の一節を書き、身振り手振りをまじえ、ゆっくりとした日本語で説明しています。日本人のみならず、中国人や韓国人の「こころ」のDNAの中には、孔子が説いた「人の道」がきっと生きていると信じています。

 この本では、マンガを大いに取り入れるなど、とにかく、わかりやすさにこだわりました。その結果、非常にPOPな『論語』入門書になったと思います。『論語』は全部で20篇あり、512の短文が収められています。その中でも、特に現代人が指標生きるうえでの指標となる金言を100程度選びました。『のこされた あなたへ』と『世界一わかりやすい「論語」の授業』は、Tonyさんにも送らせていただきますので、ご笑読の上、御批判下されば幸いです。

 Tonyさん、今年も大変お世話になりました。何よりも、今年は『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)という共著を刊行することができた記念すべき年として、また東日本大震災が起こった年として、忘れられない年となりました。寒さが厳しくなっていますので、風邪など引かれませんよう御自愛下さい。それでは、良い年をお迎え下さい。また、来年もよろしくお願いいたします。オルボワール!

2011年12月10日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、わたしは一昨日の夜、皆既月食の様子を夜中に1時間近くも見続けましたよ。その日は、本務先のこころの未来研究センターの1年に1度の研究報告会があって、お昼から夜まで報告会や議論や懇親会で、10時過ぎまで忙しくしていました。が、一歩外に出ると、すでに少し月蝕が始まっており、いつも行く居酒屋(ただし、わたしはこの14年、1滴も酒を飲んでおりませんが)の「くれない」から家に帰る途中、ずっと見上げ続け、家にかばんをおいて、近くの曼殊院や武田薬品の薬草園などの周りを1時間ほどかけてお月様を見上げながら歩きました。これほど完璧な皆既月蝕を見たのは生まれて初めてで、じつに美しくも見事でした。

 けれども、こんな見事な皆既月蝕を愛する人と共に見上げることのできない東北・関東・近畿の被災地の方々やさまざまな地域の方々がいるかと思うと、申し訳なく、また哀しく思います。どんな美しさの中にも悲しみの味が隠れている。そんなせつない、かなしみが消えることはありません。こんな時ほど気丈に振る舞い、笑いが大事だと思いつつも、しかし、いつしかかなしみの感情に引き戻される自分がいます。

 Shinさんが本ムーンサルトレターで紹介してくれたように、またShinさんのブログでもっと詳しく愛と想いを込めて論じてくれたように、わたしは20年以上前から「現代大中世論」を主張し、時代が「乱世」に向かっていると予測し、そんな時代には、自然災害、戦争や闘争・紛争、暴力、疾病が災難のように次々と降りかかって来ると予感し、そのようなことを折に触れて言ってきましたが、何の力にもなれなかったという無力無念の思いもぬぐえないのです。自分は自分の果たすべき役割をこの世できちんと果たしているのだろうかという自責の念は、オウム真理教の時ほど強くはありませんし、大酒を飲んでいた時のようにどうしようもないほど自己処罰をするような蟻地獄に陥ることはありませんが、しかし、自分の力不足と食い止めることのできない状況に無念であり臍を咬む思いをしています。

 でも、もう、くよくようつうつすることは止めました。堂々巡りをしてもしょうがないからです。少しずつでも前を向いて一歩一歩歩いていきます。淡々と。粛々と。そして、堂々巡りではなく、堂々と、ね。

 先回のムーンサルトレターで書いたように、『現代神道論——霊性と生態智の探究』(春秋社)は、わたしにとって、まさに「3・11」後の現代を、中世という時代と二重写しにしながら「スパイラル史観」で串刺しにする試みで、わたしは現代の「霊性と生態智」を探究する修験者という山賊です(現代は『ワンピース』とやらの影響もあって「海賊」人気のようですね)。  この前、ムーンサルトレターを書いて1週間ほど経ってから、日本学術振興会から連絡がありました。わたしが昨年、2010年11月に申請していた科研が追加採択になったという連絡でした。これには仰天しました。というのも、実は、その直前の2011年11月10日に、わたしは来年度に向けての科研申請をしていたからでした。それは「災害と宗教と心のケア—癒し空間と生態智と負の感情の乗り越えの実証研究」という題目でした。その研究目的は以下のようなものです。

<本年、東日本大震災や近畿地方の大水害が起こり、自然災害と社会デザインと人の生き方が根本から問われることになった。そこで、こうした自然災害時に被災地の神社仏閣や聖地霊場などの「癒し空間」がどのような意味と機能と役割を持っているか調査をしつつ、そこにおける「生態智」の蓄積とはたらきとその活用、また「心のケア」や「スピリチュアルケア」などにおいて、「負の感情」をどのように乗り越えていったかを実証的に研究し、不測の時代の生き方の伝統リソースとして社会発信する。「心の荒廃」や年間自殺者3万人強が社会問題となっている時代状況下、「心の荒廃」から抜け出ていくための宗教的リソースやワザを文献研究・フィールド研究・臨床研究の手法により解明し、堆積する「負の感情」の乗り越えの方策を探り、社会還元していく。>

 まあこれは、これまでの『聖地感覚』(角川学芸出版、2008年)や『神楽感覚』(細野晴臣氏との共著、作品社、2008年)や新著の『現代神道論』に盛り込んだ考えやワザを踏まえた科研申請でした。でもそれは、無駄となりました。1年前に申請した科研・基盤研究(A)「身心変容技法の比較宗教学——心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」が追加採択になったからです。今年は基盤研究(B)を申請しましたが、同研究のAとBの研究代表者を同時に務めることができないことになっているのです、規則上。

 というわけで、今年申請したものは無駄になってしまいましたが、また関係者や仲間にとても迷惑をかけてしまいましたが、しかし、昨年に申請したものの中で、今年度に申請した問題意識も活かすことができるので、しっかりと両方を踏まえて推進していきたいと決意を新たにしています。

 今回追加採択された科研:基盤研究(A)「身心変容技法の比較宗教学—心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」の研究目的の概要は次のようなものです。

<20世紀末、21世紀は「心の世紀」になると期待された。だが現実には、2010年現在、未来社会へのグランドデザインは描けず、「心の荒廃」が社会問題となっている。このような時代状況下、「心の荒廃」から抜け出ていくための宗教的リソースないしワザ(技術と知恵)として、「身心変容技法」に着目する。神秘思想における観想、仏教における止観や禅や密教の瞑想、修験道の奥駆けや峰入り、滝行、合気道や気功や太極拳などの各種武道・芸道等々、さまざまな「身心変容技法」の諸相(特色)と構造(文法)と可能性(応用性)を、文献研究・フィールド研究・実験研究・臨床研究の手法により総合的に解明し、現代を生きる個人が自分に合ったワザを見出し、活力を掘り起こしながらリアルな社会的現実を生き抜いていくことに資する研究成果を社会発信する。>

 これまでわたしは、京都造形芸術大学や京都大学こころの未来研究センターで、モノ学研究、こころ観研究、ワザ学研究、負の感情研究、癒し空間・平安京生態智研究、震災後文化文明研究などを進めてきましたが、今回の科研「身心変容技法の比較宗教学—心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」は、その集大成だと考えています。モノと心(負の感情)と場所(癒し空間・聖地)をつなぐワザの研究を「身心変容技法」というとことにフォーカシングしながら行なっていくのですから。

 この研究では、宗教学や従来のワザ学研究だけでなく、特に、来春、こころの未来研究センターに設置されるfMRIを使った脳科学や認知科学など実験系の研究者と共同研究していく予定です。わたしも、あらゆる手練手管のワザを総合して、いよいよ、これまでさまざまに展開してきたことを集大成して社会活用できるものにお供えしていけるようはたらきをしたいと思います。この研究はまた、拙著『宗教と霊性』(角川選書、1995年)や『エッジの思想——翁童論Ⅳ』(新曜社、2000年)や『呪殺・魔境論』(集英社、2004年)で主題としたわたしの魔境体験やオウム真理教事件や酒鬼薔薇聖斗事件の集大成でもあると自負しています。ぜひいろいろとご教示ご協力ください。

 この研究を開始するにあたって、わたしは、以下のことを念頭に置いて進めていきたいと考えています。第一に、おもろい研究をやる。「面を白く」するような面白い研究をすること。これが何より大事。第二に、独創的な研究をする。二番煎じではない、独創・独自・独特・毒蝮(?)…、なんのこっちゃ〜。第三に、真に学際的・文理融合的な研究協力を実現する。そのためにも、みんながトランスレーショナルでのりしろになり、研究メディエイター(仲介者)、つまり、ミーディアム(霊媒)であるという意識を持つ。第四に、世のため人のためになる、21世紀を切り拓く世直し・心直し研究に寄与できる研究をする。そんなことをモットーとして考えています。

 まずその皮切りに、12月末に研究合宿と来年1月27日(金)に次のような一般公開のシンポジウムを行ないます。


科研第2回身心変容技法研究会一般公開シンポジウム
日時:2012年1月27日(金) 13時〜17時
場所:稲盛財団記念館3階大会議室(京都市左京区吉田下阿達町46 稲盛財団記念館)
・趣旨説明:鎌田東二(10分)
 基調講演:内田樹(神戸女学院大学名誉教授・哲学・身体論) 「身心変容技法の武道と芸道〜合気道と能を中心に」(60分)
 講演:町田宗鳳(広島大学大学院教授・比較宗教学・禅僧) 「禅と念仏の身心変容技法」(30分)
 指定討論者:認知科学から斎木潤(京都大学大学院教授・認知科学)
 宗教学から棚次正和(京都府立医科大学教授・宗教哲学)(各15分)
 パネル・ディスカッション(約70分)
(*予約の必要はありませんので、直接会場にお越しください。無料の催しです。)


 と、ここまで書いて、1週間近くが過ぎてしまいました。師走と言いますが、こんな時期に新たに科研の追加採択されたこともあって、ありがたくもやたら忙しくなっていて、いろいろなことが滞ったり、中断されたりして、迷惑をかけることもしばしばです。ごめんなさい。

 この前後、先に書いたように、こころの未来研究センターの研究報告会やグローバルCOE「心が活きる教育の国際拠点」の総括シンポジウムに参加したり、天河大辨財天社で行われた「浴酒」神事に参列したりしていました。この天河の浴酒神事は、12月16日の朝9時半から12時半に行なわれたもので、新たに奉納された宇賀神将のお浄めと御魂入れのような不思議な儀式でした。天河大辨財天の宇賀神王とは、太陽の中で黄金の衣をまとった姿で現れる存在だそうですが、確かに、60年に1回御開帳の「日輪天照弁財天」も太陽神仏格ですので、弁才天という水の神様でありながら、太陽神格を持つという両極性・両義性・総合性・統合性を天河大辨財天は具現しているということになります。

 わたしは、前日の15日の午後5時前に天川入りし、近藤高弘さんたちと「天河火間」の状態を確認し、奇跡的な復旧と蘇りと目の当たりにして仰天しました。ここまできれいに復旧が進んでいるとは! 柿坂神酒之祐宮司さんのなみなみならぬ熱情と思いを強く感じました。

 半端でなく凄いです、この復旧・復活は。まるで不死鳥のよう。そして、それを確認して、柿坂宮司さんといろいろと話をし、翌日の神事に神職や僧侶として参加する人たちの精進料理の夕食を共にしました。神事の最中に法螺貝を奉奏することと、神事そのものをよく見て確認することの2点の役割を以って、柿坂宮司さんのお心遣いによりわたしは今回の神事の神職の仲間入りすることになったのです。天河で狩衣を来て神事のお手伝いをするのは、1989年(平成元年)の天河大辨財天社の御造営の神事の時依頼ですから、22年ぶりのことになります。

 神事は、宇賀神王浴酒の報告神事と、善光寺本坊大勧進副住職の瀧口宥誠大僧正による浴酒神事の2段階で行われました。瀧口大僧正は自坊が滋賀県大津市坂本の龍珠院内善学院で、天台密教の有数の修法者とのことです。その浴酒修法の僧侶の中に、千日回峰行を成就した成満大阿闍梨の藤波源信師がいました。藤波師は滋賀県大津市坂本の飯室谷松禅院の住職さんで、ホリスティック医学協会会長の医師・帯津良一氏と『いのちの力』(経済界、2007年)という対談集を出しています。戦後12人目に千日回峰行を達成された方です。わたしは、「身心変容技法の比較宗教学—心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」で千日回峰行や修験道の修行のことも研究しようと考えているので、ちょうどよいご縁に恵まれたと有難く思っています。

 16日は、朝方に雹のような霙が降ってきて寒い日となりましたが、しかし、神事の最中はなぜかほかほかとあったかかったです。柿坂宮司の左隣に、そして柿坂匡孝禰宜の右隣にいて、両柿坂にサンドイッチになっていたからかな? あったかかったのは。

 ともあれ、神仏分離令と廃仏毀釈以来、124年ぶりに行なわれることになった神仏習合の浴酒神事で、大変貴重で有難い修法に身近に参列できて大変光栄であり、幸運でした。その昔、天河大辨財天社には128人の神主と28人の社僧がいたそうです。ともあれ、その後、参集殿で直会。龍村仁さん、龍村修さん、岡野弘幹さんたちと会って、いろいろと話をしました。

 そのあとで、近藤さんともう一度「天河火間」の再確認をして写真を撮りました。それを11月1日の時と比べてみると、以下のようになります。大塔村の方に行く国道248号線も時間制限はあるけれども、1週間ほど前に開通したということですから、復旧は着々と進んでいるということですね。那智大社など天の川・十津川・熊野川流域がどうなっているのか、いずれきちんとその流れに沿って被害状況や復旧状況を確認しなければと思っていましたが、その手がかりがつかめたと思います。近いうちにそれをきちんと確認したいと思います。

 Shinさん、今年もいよいよ残るところ、後2週間弱。本当に大変な年でした。同時に、これまでの文明の矛盾やつけが回ってきたことがはっきりとした年でもありました。これから先の未来をどう創造していくことができるか。それに賭けたいと思います。もてる力を200%出し尽くして、臨機応変に進みたく思います。来る年もどうぞよろしくお願いいたします。そして、このムーンサルトレターを読んでくださるみなさま方もどうぞよいお年をお迎えください。

2011年11月1日の天河大辨財天社禊殿(鎮魂殿)前の鳥居とその付近2011年11月1日の天河大辨財天社禊殿(鎮魂殿)前の鳥居とその付近
2011年11月1日の天河大辨財天社禊殿(鎮魂殿)前の鳥居とその付近2011年12月16日の禊殿前の鳥居とその付近および天河火間2011年12月16日の禊殿前の鳥居とその付近および天河火間
2011年12月16日の禊殿前の鳥居とその付近および天河火間

2011年12月18日 鎌田東二拝