NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第078信

第78信

鎌田東二ことTonyさんへ

 2012年最初の満月が夜空に上りました。Tonyさん、新年あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。お正月は、いかがお過ごしになられましたか。わたしは、例年通り、九州最北端にある門司・青浜の皇産霊神社に会社の幹部一同と元日参拝しました。7時25分から「初日の出遥拝」が予定されていましたが、あいにく厚い雲に阻まれて、初日の出を拝むことはできませんでした。それでも、元日に神社を参拝するというのは、じつに気持ちが良いものです。

 今年は、午前8時から神事「歳旦祭」が行われました。例年は、午前7時です。佐久間進会長に続いて、わたしは玉串奉奠をしました。また、サンレーグループの幹部社員と一緒に二礼二拍手一礼で参拝しました。「天下布礼」をめざす同志とともに、それぞれの家族の幸福と会社の繁栄を祈願しました。今年も、日本が「無縁社会」から「有縁社会」へ、「孤族の国」から「家族の国」へとシフトするお手伝いができるようにと心から祈りました。

 その後、佐久間会長の新年の挨拶がありました。「縁」の大切さから始まって、人が集まる場所としての「園」、そして人間関係の理想としての「円」について語りました。すべて、「エン」と読むことが共通点です。最後に、アランの『幸福論』に触れていました。

 佐久間会長に続いて、わたしも挨拶をしました。わたしは、「エン」といえば、「宴」も人をつなげるものであると述べました。それから、「礼」の旧字体が「心」と「豊」から成ることから、「礼とは、心を豊かにするもの」であると述べました。すなわち、「礼」と「ハートフル」は同義語なのですね。そして、アランの『幸福論』には、幸福に生きるための真髄として「礼儀正しくする」ことが挙げられていることを紹介し、今年も「天下布礼」に努めて、世の人々の良い人間関係づくりのお手伝いをしたいと語りました。

 神事の後は、巫女舞と獅子舞です。当日は初日の出が拝めなかったにもかかわらず、多くの人出がありました。というのも、この神社で行われる巫女舞と獅子舞が大変な人気なのです。どうやら、ネットなどでも評判になっているようです。

 最初に、初々しい巫女さんが2人で巫女舞を奉納しました。その優雅なさまに多くの人々がカメラのフラッシュをたいていました。鳥居の向うには、九州最北端の美しい青浜の海が広がっています。その両隣には、「お天道さま ありがとうございます」「ご先祖さま ありがとうございます」の文字が書かれた2つの看板が飾られています。まさに、ここにはシンプルな日本人の信仰の原点があります。

 それから、次は獅子舞です。神殿から2体の獅子が元気よく飛び出してきて、激しく獅子舞を始めます。ここでも、たくさんのフラッシュがたかれました。舞いを終えた獅子たちは、次々に参拝客の頭を噛んでいきます。頭を噛まれることは非常に縁起が良く、その年は幸運に恵まれるといいます。わたしも、しっかりと頭を噛んでもらいました。一緒に初詣に来ていた家族も、みんな噛まれました。幼い頃は怖がって泣いていた長女も、嬉しそうに自分から頭を突き出していました。

 それから、お神酒、ぜんざい、おせち料理などが参拝客に振る舞われました。みなさん、美味しそうに口にされていました。熱いぜんざいをフーフーしながら食べる姿には、心温まるものがありました。わたしは「この一年が、参拝客のみなさんにとって良い1年でありますように」と心から祈りました。

 1月4日には、わが社の新年祝賀式典が行われました。さまざまな部署から総勢400名以上が、会場の松柏園ホテルに参集しました。「ふれ太鼓」で幕を明け、全員で社歌を斉唱し、社員代表によって「経営理念」が読み上げられ、全員で唱和しました。

 そして、佐久間進会長による「会長訓示」に続いて、わたしが「社長訓示」を行いました。今年は、以下のような話をしました。平成24年、2012年の新しい年を社員のみなさんとともに迎えることができて、幸せを感じています。昨年はサンレー創立45周年の記念すべき年でした。しかし、何と言っても、東日本大震災の発生に尽きる1年でした。 

 大量の犠牲者を出した未曾有の大災害は、「無縁社会」や「葬式は、要らない」といった流行語を一気に死語と化し、日本に「隣人の時代」を呼び込みました。わが社は、ずっと「隣人祭り」の開催サポートに努めてきました。いま、その先見性が社会からも認められているように感じます。そして、今年はいよいよ3月に高齢者介護施設である「隣人館」をオープンします。わが社の「天下布礼」の新しいチャレンジです。

 結婚式場や葬祭会館も続々とオープンする予定です。といっても、けっして「ハード」だけでなく、グリーフケアの普及や上級心理カウンセラーの取得に代表される「ハート」を大切にして、あらゆる心の仕事を提供できる「心の総合商社」をめざしたいと思います。

 そして、「有縁凧」を示して、「血縁」と「地縁」の再生を訴えました。有縁凧は、「縁」と大きく書かれた凧です。見事な字は、ダウン症の天才書家として有名な金澤翔子さんによるものです。金澤さんは、NHK大河ドラマ「平清盛」の題字も書いておられます。

 彼女の素晴らしい書は、わが社に大きなエネルギーを与えていただいています。まず、「天下布礼」と書かれた書は現在、額に入れられてサンレー本社の社長室に大切に飾られています。それから、彼女が10歳の頃に書いた「涙の般若心経」がグリーフケア・サロン「ムーンギャラリー」に飾られ、愛する人を亡くした方々の悲しみを癒しています。その金澤翔子さんの書いた「縁」の字を戴く凧が「有縁凧」なのです。

 それにしても、なぜ凧なのか? じつは、わたしは人間の幸福をよく凧にたとえます。現代人はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きています。ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。そして、凧が安定して空に浮かぶためには糸が必要です。さらに安定して空に浮かぶためにはタテ糸とヨコ糸が必要です。タテ糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」です。また、ヨコ糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」です。この二つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての真の「幸福」の正体ではないかと思います。

 昨年、ブータンの国王ご夫妻が来日され、話題を呼びました。ブータンといえば、「幸福度世界一」の国として有名です。ブータンの人々は宗教儀礼によって先祖を大切にし、隣人を大切にして人間関係を良くしています。だから、しっかりとした縦糸と横糸に守られて、世界一幸福なのでしょう。冠婚葬祭業とは、まさに「先祖」と「隣人」を大切にするお手伝いをする仕事です。人間が心安らかに生きていくための縦糸と横糸を張る仕事です。
わたしたちは、「幸福」そのものに直結している仕事をしているのだと思っています。

 いま、冠婚葬祭互助会の社会的役割と使命が問われています。わたしは、互助会の役割とは「良い人間関係づくりのお手伝いをすること」、そして使命とは「冠婚葬祭サービスの提供によって、たくさんの見えない有縁凧を見えるようにすること」だと思います。それは、そのままサンレーのミッションでもあります。

 無事に45周年を過ぎることができたわが社は、これから50周年へと向かいます。今年は辰年ですが、昇り龍のごとき勢いで世直しをめざしたいという願いを込めて、最後に「昇りゆく龍のごとくにわが社 世直しめざし今年も行かん」という歌を詠みました。

 さて、新年祝賀式典の後は新年祝賀会が開催され、わたしはカラオケを歌うことになっていました。昨年は坂本九の「ジェンカ」を歌いましたが、今年は何にしようかと悩みました。そして、福山雅治の「家族になろうよ」に決めました。

 昨年の大晦日に、NHK「紅白歌合戦」が放映されました。嵐やAKB48を知らないわたしの両親は、「若者向けに偏りすぎている」と不評でした。しかし、今回の紅白は非常に高視聴率を示したそうです。東日本大震災からの復興、再生に向け「あしたを歌おう。」をテーマに掲げていました。わたしも少しだけ観ましたが、「あした」とともに「家族」もテーマだったように感じました。その中で、横浜からの中継で福山雅治が歌った「家族になろうよ」が心に沁みました。

 何より感心したのは、「いつか、お父さんみたいな大きな背中で」「いつか、お母さんみたいな静かな優しさで」と実際の家族のイメージが湧いてくる歌詞です。両親だけではありません。「いつか、おじいちゃんみたいな無口な強さで」「いつか、おばあちゃんみたいな可愛い笑顔で」と祖父母も登場します。さらには、「いつか、あなたの笑顔によく似た男の子と」「いつか、わたしと同じ泣き虫の女の子と」といったように未来の子どもたちまで歌われているのです。

 人間には、さまざまな縁があります。しかし、多くの「縁」の中でも最も基本となり、最も重要なものこそ「血縁」です。「血縁」には、「先祖」という過去と「子孫」という未来があります。そして、何よりも「家族」という現在があります。家族を作るのは「夫婦」という単位です。そこから、「親子」や「兄弟」という血縁が派生していくのです。「家族になろうよ」という歌には、2つの糸が登場します。祖父母という過去の糸、これから生まれてくる子どもという未来の糸です。過去と未来の糸がつながったとき、けっして切れない強いタテ糸となります。

 わたしは、久々にウクレレを弾きながら「家族になろうよ」を歌いました。来年度の入社予定者たちも一緒に歌ってくれました。この歌は、「みんな、サンレーの家族になろうよ」というメッセージにもなりました。アメリカ型のマネジメントが行き詰まり、日本型の家族経営が再び見直されているそうですが、わたしも「社員」ではなく、「家族」や「仲間」が欲しいです。「家族」といえば、正月で帰省していた長女が横浜に帰りました。家族が1人いなくなって、わが家は寂しくなりました。特に、次女がションボリしています。家族全員が揃う次の帰省が待ち遠しいです。

 Tonyさんには16日に小倉で開催される「佐久間進の喜寿を祝う会ならびに(株)サンレー平成24年新年賀詞交歓会」、および18日に横浜で開催される座談会「無縁社会を乗り越えて〜人と人の“絆”を再構築するために」で、大変お世話になります。新年早々に小倉と横浜で続けてお会いできるのが楽しみです。今年も、Tonyさんとの御縁を大切にさせていただきたいと存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2012年1月9日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、あけましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。正月はわたしは山形県鶴岡市羽黒町の出羽三山神社合祭殿で迎えました。大雪の中の年末年始となりましたが、それは、出羽三山神社(羽黒神社)の羽黒修験道の年末年始儀礼である「冬の峰入り」とも呼ばれる「松例祭」に参加・参列したためでした。

 先回のムーンサルトレターで、科学研究費「身心変容技法の比較宗教学——心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」が追加採択された話をしましたね。その研究計画の中に、当初から「修験道」における「身心変容技法」の参与観察・フィールドワークが入っていて、いよいよ晴れてそれを実施できることになったのです。

 修験道は、大きく、蜂子皇子が開祖とされる出羽三山神社の羽黒修験道と、役行者を開祖とする大峰・吉野熊野修験道(天河大辨財天社もこの中に入ります)と、Shinさんの住む福岡県にある英彦山修験道の3つに分かれます。これが、日本三大修験道と呼ばれるものです。

 面白いのは、この松例祭では、正月元旦、あらたまの新年に切り替わったJUST零時に、「国分神事」という修験者の儀礼が行なわれるのですが、ここでは反閇(禹歩法)を踏んで地霊を鎮めながら、日本列島の66ヶ国が3つに分割支配される取り決めがなされます。そして、結論として、羽黒修験道の支配する領国が33ヶ国、吉野熊野修験道の領国が24ヶ国、そして英彦山の領国が9ヶ国とされ、羽黒修験道圏がもっとも広大であることが宣言されるのです。なぜ、羽黒修験道の領国がこんなに多いのでしょうか?

 それは、ある意味では、後発の羽黒修験道の自己主張と自負心の表れだと思いますが、しかしながら、かりにそうだとしても、山形県の奥深い地で、このような古き時代の「国分神事」が今なお降り積もった雪の中で厳粛に行なわれているという日本という国は、本当につくづく不思議な文化と歴史と感性を持つ国だと思いましたね。奇想天外な国ですよ、ニッポンは。

 さてわたしは、このムーンサルトレターを東京から京都に帰る新幹線の中で書いています。実は今日、渋谷の観世能楽堂に行って、観世流宗家の観世清和氏に、能楽(申楽)における「身心変容技法」と「負の感情」処理についてインタビューを行なっていたのです。

 観世清和師とは2度目の面談となります。先回は、昨年の4月に、同じ渋谷の観世能楽堂で、東京大学教授の能研究者・松岡心平氏と観世清和師とわたしの3人で、能の「絵馬」について鼎談をしたのでした。その時、わたしは初めて観世清和氏とじっくりと話をする機会を持ったのです。もっとも、その少し前の2月末に、NHKホールで行われた「地域伝統芸能まつり」で挨拶をしたので、面識そのものはその時点でありましたが。

 ともあれ、観世清和氏は大変な勉強家で、その芸熱心は半端ではありません。もちろん、世阿弥の子孫(世阿弥の弟の観世元重の直系の子孫)で、能楽界全体の総帥ともいえる観世宗家ですから、その役職は半端な心構えと取り組みでは到底務まるものではありません。大変なプレッシャー・重圧であり、負荷だと思います。若い頃から宗家としてその重責に耐えてここまで来た方ですから、その苦労も覚悟も並大抵のものではなかったと思います。

 2時間余りにわたるインタビューの中で、興味深いさまざまなことが語られました。「頭の後ろに目があること」とか。「幕が上がった途端、今日のお客様のことが一瞬で分かる」とか。

 中でも、「朝長」という曲の持つ鎮魂の念の深さについてが、とりわけ印象に残りました。「朝長」とは、源義朝の二男で、源頼朝や義経の異母兄に当たる人物ですが、平治元年(1159年)に起こった「平治の乱」で敗れた源義朝とともに敗走する途中、岐阜の大垣(青墓)で、太腿に矢傷の負傷を負ったこの身ではもはやこれ以上逃げ伸びられぬと覚悟し、父義朝に自分を切ってくれと懇願し、殺されたとされます。

 実はこの殺害は、朝長の父である源義朝が実行するに忍びなく、義朝の乳兄弟の鎌田正清にさせたと考えられますが、この鎌田正清がわが家の先祖なのです。今年のNHKの大河ドラマは「平清盛」ですが、その中で、源義朝の家臣の一人として、鎌田正清とその父・鎌田通清が出てくるそうです。わたしは、子供の頃から、我が家の先祖のことではずいぶん悩まされてきましたが、今では、この先祖なくしてわたしもない、と思っています。

 その平氏が滅亡したのが、関門海峡の壇ノ浦ですね。その平家の総帥「平清盛」を主人公にした大河ドラマの題字を金澤翔子さんが書いているのも不思議なご縁です。確か、サンレーが祀る九州最北端にある門司・青浜の皇産霊神社の向こうには、壇ノ浦も見えました。以前、Shinさんともども参拝した皇産霊神社は、門司の延喜式内社である古社の和布刈神社の近くの風光明媚なところに鎮座していたと記憶しています。

 さてその「朝長」の話に戻りますが、能は鎮魂の芸能ですが、能の「朝長」はその中でも特別に鎮魂の意が込められているようです。ここでは、16歳の朝長は、父に殺されるのではなく、自害したとされます。世阿弥の子・元雅は、この朝長の自害の曲をどんな思いを込めて作劇したのでしょうか?

 この「朝長」の小書きに、「朝長懺法」がありますが、そこでは、「後のお調べ」という太鼓の調べがあります。上演終了後、シテもワキも囃子方もみな橋掛りを戻っていきますが、最後の囃子方の中の太鼓方は、本幕の中か、あるいは引き返して三の松のところで正面を向いて着座し、そこで「懺法太鼓」を打って、正面に一礼してすべてを終了するとのことなのです。この「後のお調べ」のことを、観世流では、「青響ノ調ベ」とも言うそうです。

 ともあれ、この「観音懺法」の太鼓方が「懺法太鼓」を打った後、正面に向かって深々と一礼をすることを、観世清和師から聞きましたが、その一礼は、観客に向かってではなく、舞台上のどこかを浮遊している朝長の霊に対して行なうのだそうです。凄いことですね、こうした鎮魂劇を700年近くも続けている能というものは。

 それから、能の中で、もう一つ、わが先祖と関係するのが、「烏帽子折」(四番目物・二場)です。これは、能の解説本に次のように説明されています。

 <財物を東国へ運ぼうという三条吉次(ワキ)弟吉六(ワキツレ)の一行に加わって鏡の宿に着いた牛若(子方)は、平家方追捕の迫ったのを知り、髪を切り烏帽子をつけて成人した東男に姿をやつそうと、烏帽子屋で源氏様の左折烏帽子を注文する。亭主(前シテ)は「平家の世に」と怪しみながらも源氏再興を予祝して烏帽子親となる。牛若が礼に置いた刀を見た烏帽子屋の妻(ツレ)は、義朝の臣鎌田正清の妹で、この刀を義朝が守刀として牛若に与えたことを知っており、夫妻で追いかけ、餞別にと、刀を差し出す。やがて吉次の一行は赤坂の宿に着く。(中入り)で夜襲の偵察に来た三人(アイ)は、手傷を負って退散する。牛若が待ち構える所へ、熊坂長範(後シテ)の一味が大勢で来襲するが、まず手下たち(ツレ)がつぎつぎに斬り倒され(カケリ)、ついには長範も斬り伏せられる。ツレ、子方、狂言も活躍する活劇能(一時間四〇分)。典拠:『平治物語』巻三、「義経記」巻二ほか。参考:『現在熊坂』の古称もある。幸若の「烏帽子折」と同工、相似する。>

 実は、最近、観世清和師は長男の三郎太君とこの「烏帽子折」を上演したようです。そのことが、『ミセス』2012年2月号に大きく写真入りインタビューで出ていました。ぜひ読んでみてください。その中にも、「烏帽子折」の解説があります。

 今日、観世清和師は、「私は小さい頃から『鎌田兵衛正清』という言葉を聞いて育ってきました。その名前でインプットされています。どうも、この人は、キーワード、キーパーソンですね」と言われました。どのような意味でそう言われたのか、改めて次の機会にお訊ねしたいと思いますが、ともかくも、Shinさんの言う「血縁」の重みを感じているとこの頃です。

 わたしは、この3年ほど、世阿弥研究会を主宰していますが、世阿弥って人はやはり大変凄い人ですね。役者であり、劇作者であり、演出家であり、興行主である、多様多面体。わたしは、能とは、平和時の修験道、舞台空間の中で生き延びた修験道、演劇的修験道だと思っているので、能と修験道、そしてそれを媒介する天河大辨財天社の位置の重要性を再度考え直しています。

 だからわたしが、「世阿弥研究会」と「東山修験道」を実施・実践することになったのも、何かの「縁」だと思っています。これも、「地縁」と「結縁」と「血縁」と「霊縁」のなせる業かと。

 ところで、1月にはまたいろいろなイベントがありますが、1月13日の金曜日に以下のような催しが、神戸の生田神社会館で行なわれます。


<原初的な暮らしを遺す久高島から「1・17」そして、「3・11」へ>
日時:2012年1月13日(金)18時〜21時
場所:生田神社会館3F 菊の間
スケジュール:
ご挨拶 生田神社宮司 加藤隆久
映画「久高オデッセイ・第二部 生章」 上映 午後6時から7時15分まで
鼎談 午後7時半から午後9時まで
・大重潤一郎(映画監督・NPO法人沖縄映像文化研究所理事長)
・鎌田東二(宗教哲学者・京都大学こころの未来研究センター教授)
・村井雅清(被災地NGO協働センター代表)
主催:<1・17、そして3・11を考える会>、沖縄映像文化研究所、
   被災地NGO恊働センター、生田神社、神戸資料館、図書出版まろうど
後援:朝日新聞、読売新聞、神戸新聞、サンテレビジョン、京都大学こころの未来研究センター


 阪神淡路大震災が起きたのが、1995年1月17日の朝5時45分でした。それから、丸17年の歳月が過ぎました。この17年は、本当に「失われた20年」の中にあったといえます。ここからどこへわたしたちが突き抜けていくかが問われています。

 わたしは、大雪の中の羽黒山で年末年始を過ごしながら、この1年が大きな切り替わりの年になることを確信していました。そんな大きな切り替わりの節目の時代の中で、わたしも、自分自身の「能—申楽—神楽」と「修験道」をしっかり実践しながら、<神ながら無手勝流>で「世直し」に邁進したいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。それでは、1月16日、お父上の喜寿をお祝いする会でお会いできるのを楽しみにしています。今日は満月がきれいです。

2012年1月9日 鎌田東二拝