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シンとトニーのムーンサルトレター 第025信

第25信

鎌田東二ことTonyさま

 Tonyさん、お元気ですか。九月も末になって、夜には我が家の庭で虫の声が聞こえますが、日中はまだ暑さが続きますね。わたしは、あいかわらずバタバタと慌しい毎日を送っております。おかげさまで、『面白いぞ人間学』(致知出版社)も上梓いたしました。

 そんな中、先日、東京は神保町の岩波ホールで一本の映画を観ました。「ヒロシマナガサキ」というドキュメンタリー映画です。アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞に輝いたスティーブン・オカザキ監督が、500人以上の被爆者に会い、25年という歳月をかけて取材を重ね、ようやく完成させた渾身の作品です。14人の被爆者の証言と、実際の爆撃に関与した4人のアメリカ人の証言を軸とし、貴重な記録映像や資料を駆使しています。

 観終わって、本当にいろいろなことを考えさせられましたが、特に広島での原爆投下直前のエノラ・ゲイの機内の様子を撮影した映像や、原爆投下の瞬間の映像、そして直後の焦土と焼かれた遺体や瀕死の生存者の映像に衝撃を受けました。エノラ・ゲイの乗組員で原爆投下の担当者たちも出演していましたが、彼らの「戦争を終わらせるために、やむをえなかった」「後悔はしていない」「悪夢を見たことは一度もない」と言い切る姿には、何か近寄りがたい意思の強さを感じました。そして何よりも驚いたのは、想像を絶する極限体験をした被爆者たちの落ち着いた態度と表情、やさしく内省的な語り方でした。彼らの聖者のようなたたずまいは反米という次元など完全に超越しているように感じました。

 わたしは、ある被爆者が「きのこ雲というのは嘘です。近くから見たら、あれは雲などではなく、火の柱そのものでした」と語ったのが強く印象に残りました。火の柱によって焼かれた多くの人々は、焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を・・・」と言って死んでいったそうです。

 考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーであった。沖縄戦で「ひめゆり」の乙女たちを焼き殺した火焔放射器という兵器もありました。地獄と同じく、戦争の本質は火なのだと思います。

 わたしは、ここのところ、ずっと、ブッダや孔子やソクラテスやイエスといった聖人についての本を書いていて、気づいたことがあります。和辻哲郎やヤスパースも指摘しているように、いわゆる世界の四大聖人は四大文明というものを背景にして誕生しています。そして四大文明は、いずれもチグリス・ユーフラテス河、ナイル河、インダス河、黄河といった大河から発生しています。「エジプトはナイルのたまもの」というヘロドトスの言葉を引くまでもなく、豊かな水なくして巨大文明はありえなかったのです。

 文明どころか、この世界そのものが水から生まれたとされています。「万物は水である」とタレスは言いましたが、『旧約聖書』の「創世記」も含めて、世界中のあらゆる天地創造神話において、水が世界の始原に関わっています。生命も水から生まれたのであり、水は命そのもののシンボルでもある。わたしは、聖人とは「水の精」ではないかというイメージが突如として浮かび、それが頭の中に棲みつきました。「花には水を、妻には愛を」というコピーが以前ありましたが、人類には「水」も「愛」も必要です。聖人とは、基本的に人類に水と愛(アガペ、慈悲、仁)をもたらす存在ではないかと思うのです。

 聖人が人間界の水の精だとしたら、自然界にも水の精が存在します。龍です。最古の龍は、チグリス・ユーフラテス河と黄河で生まれたといいます。重要なのは、龍が、ヘビ、ワニ、シカ、イノシシ、ラクダ、トラ、ワシ、タカなど、さまざまな動物のトーテムが融合して生まれた霊獣だということです。そのことから、わたしは聖徳太子を連想しました。

 今度の本は、八人の聖人について考えるという内容ですが、その中で最も扱いにくいのが聖徳太子です。なにしろ大山誠一説などで、聖徳太子が実在したかどうかさえ霧の中になってしましました。さまざまな資料を調べましたが、興味を引かれたのは『日本書紀』の筆者が仕掛けたとされる聖徳太子伝説には、ブッダ、孔子、老子、イエスなど、他の聖人たちの面影が入り込んでいることです。いわく、馬小屋で生まれたことはイエス、皇子として生まれた直後に喋ったことはブッダ、一を聞いて十を知ったことは孔子、大きな耳を持って十人もの訴えを同時に聞いたことは老子・・・さまざまな聖人のイメージが投影されており、聖徳太子とは龍ではないかと思いました。龍が動物のトーテムが融合した霊獣であるように、聖徳太子は聖人のイメージが融合した霊的人間ではないのかと。そして、龍も聖徳太子も、さまざまな文明が共生・共存していく平和のシンボルではないのかと。

 火と水。ここに人類の謎があるような気がします。人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。つまり、人類は水にはじまって火に終わるのではないか。もともと世界は水から生まれましたが、人類は火の使用によって文明を手に入れた。ギリシャ神話のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。

 火は文明のシンボルです。いくら核兵器を生んだ文明を批判しても、わたしたちはもはや文明を捨てることはできません。自動車も冷暖房機もパソコンもケータイも、みな火の子孫なのです。わたしたちは、もはや火と別れることはできません。しかし、水は人類にとって最も大切なものです。ならば、どうすべきか。わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかない。決して火に片寄ることなく、文明を発展させつつも、核の火を燃やして人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように常備すべき消火用の水、闘争本能で加熱した頭を冷やす水、それこそが水の精である聖人たちの教えではないでしょうか。火と水が結合した「火水(かみ)」によって、大いなる産霊(むすび)が生まれ、人類の「いのち」が輝くのではないでしょうか。

 かつて、Tonyさんは『聖トポロジー』の「鏡としての月」に書かれています。
「戦争と平和、はたしてこの二つは別物であり、対立概念なのだろうか。いったい平和とは何だろう。釈迦は人類史上に心の平和をさし示し、また孔子はほぼ同じ時代に社会の平和の道をさし示した。心と社会の秩序と平和を再編成させるメソッドと智慧を彼らはさし示した。イエスにしても同じだった。人類史上に登場した普遍思想の役割をもう一度私たちは再検討し、再編成し、メタモルフォーゼさせてゆく必要があるのではないか。」

 わたしは、心から共感いたします。そして、「釈迦や孔子や老子やソクラテスやイエスは、まだまだ多くのことを語りのこし、語りたがっているように思えるのだ。」との一文がありますが、わたしは、いま、彼らの声に耳を傾けています。彼らを聖人としてではなく未知の人々として接し、仏典や『論語』や『老子』や『新約聖書』やプラトンの著作を古典としてではなく未知の書物として読むことに努めています。そして、彼らのメッセージがわたしの心に届きにくくなったら月をながめています。奇しくも「鏡としての月」には、「月面宙返り講」、つまり、ムーンサルト・プロジェクトが初めて紹介されていますね。

 ところで今月22日、能登に七尾紫雲閣をオープンしました。七尾といえば、かつて城を落としに来た上杉謙信が有名な「九月十三夜陣中作」という漢詩を詠みました。戦に明け暮れていた謙信は夜空の美しい月をながめて平和な世界を夢想したのかもしれません。わたしはオープンの前夜、和倉温泉に泊まったのですが、宿の露天風呂から見える月がとても綺麗でした。そこで、翌日、「名月の下で詩を詠む謙信の心しのびて七尾に来たる」との短歌を式典後の直会で披露いたしました。それから、東京の松屋銀座で自動人形師ムットーニの個展を見学しましたが、幻想的な作品の数々に三日月が登場して、心が癒されました。本当に、月というものは人間を平和な気持ちにさせてくれます。

 福田内閣が発足しましたが、日本における政治の問題は山積みです。中国や韓国との関係もどうなるのでしょうか。中国、韓国、日本のいずれにも龍を信仰する文化がありますので、わたしは龍が日中韓の平和のシンボルになればよいと思います。「ヒロシマナガサキ」に話を戻しますが、母親と妹を原爆で亡くした被爆者の女性が、終戦後、はじめてアメリカ兵に会ったとき、つかみかかって「母ちゃんと妹を返せ!」と叫んだそうです。しかし、日本語が通じず、若い米兵はただニコニコ笑っていた。その笑顔を見たとき、彼女は「この人に文句言っても仕方ないね」と悟ったそうです。そのように、地獄のような被爆体験を味わわせたアメリカへの恨みを水に流した日本人が多かったのです。水に流す! 戦後60年経っても日本への恨みを忘れない中国や韓国の人々を見るにつれ、良い悪いは別にして、原爆まで落とされたアメリカへの恨みを水に流した日本人はすごいと思います。

 この「水に流す」という思想、つまり「許す」という思想こそ、水の精である聖人たちが説いてきたことではなかったでしょうか。そして、人類の問題は結局、「戦争」と「環境破壊」の二つに集約されます。いま、地球上には広島に落とされた原子爆弾の40万個に相当する核兵器が存在し、地球温暖化をはじめとした環境問題は深刻化する一方です。

 しかし、二つの問題の解決への糸口とは、「水を大切にする」という一つの思想ではないでしょうか。かつて、水神祥の名で『水神伝説』を書き、恐竜という龍を崇拝するトーテミストのTonyさんはどう思われますか?今夜は、中秋の名月。明日の夜は故人の魂を月に送る「月への送魂」を行ないます。わたしは、月の中にウサギではなく、龍の姿を見るかもしれません。月光を浴びて輝く水の惑星・地球に平和あれ!

2007年9月25日 一条真也拝

一条真也ことShinさま

 昨夜の中秋の名月は大変美しかったですね。わたしは神田のNPO法人東京自由大学の事務所で午後6時半から9時まで行なわれた「玉城康四郎先生を伝える集い」改め「仏道探求ゼミ−玉城仏教学を根底に−」の調査研究事業ゼミの時間に、窓越に見える中秋の名月を眺め、ほんとに心安らかな思いに浸りました。

 この会の主催者は東京自由大学の学長の海野和三郎先生(天文学者・東京大学名誉教授)ですが、この回の講師は、東京大学大学院人文社会系研究科印度哲学仏教学専攻博士課程2年在学中の若き仏教学者・魚川祐司さんでした。「魚川」、水に因むとてもいい姓ですね。13夜に相応しい講師でした。テーマは、釈尊仏教と大乗仏教の違いと、大乗仏教の基本論書である『大乗起信論』の特色の考察でした。魚川さんによれば、お釈迦さんは「私たち衆生にとって、世界に生きて存在している状態よりも、むしろ存在していない状態のほうが、より望ましい」という価値判断を、これ異常ないほど明確な形で下した覚者であるとのことです。

 前回のレターの最後に書いたように、この点ではわたしの考えは釈尊の考えと似ているようですが、決定的に異なるのは、ここにいう「衆生」には、生きとし生けるもの、すべてのいのちあるもの、有情が入るので、人間だけではないという点です。わたしはニンゲンが消え去ることが望ましいと思いますが、すべてのいのちあるものが消え去ることが望ましいとまでは思いません。しかし今から2500年近くも前に、すべてのいのちあるものが消え去ることが望ましいと主張したお釈迦さんは実に過激なニヒリストではありませんか!? ワオー、カケギ〜、ですわ!

 ところで、「ヒロシマナガサキ」、とてもいい映画のようですね。Shinさんが書いている、「何よりも驚いたのは、想像を絶する極限体験をした被爆者たちの落ち着いた態度と表情、やさしく内省的な語り方でした。彼らの聖者のようなたたずまいは反米という次元など完全に超越しているように感じました」というところに惹きつけられました。落ち着き、やさしく内省的な語り方。そこまで突き抜けるための苦難の道のりを思うと、言葉を失い、ただただ合掌するばかりです。

 わたしの言う「小さくなる技法」とはそういう境地に近づく方法です。わたしの目指す「聖なる静けさ」というのも、同じことを指します。そんな心持ちになることができれば、ニンゲンとして生きてきた甲斐があるというものです。しかしそのためには、さまざまな「偉大過」の過剰や虚飾を振り捨てねばなりません。

 わたしの処女作は『水神傳説』(泰流社、1984年)で、水の神の神話とその危機とメッセージを描きました。わたしの生の痕跡はこの本に一番濃厚に表れていると思います。『聖トポロジー』(河出書房新社、1990年)にはお釈迦さんのことなどもいろいろ書いています。その数年前に「魔」を体験していたので、その「魔」を超えていくためには釈迦仏教が必要だと強く思って、そんなことをいろいろ思いつつ書いていました。

 しかし、それからおよそ20年。末法の世ではありませんが、世界はますます混沌・混乱に突入していますね。そんな時こそ、「聖なる静けさ」が必要ですが、それをどのようにして身につけることができるでしょうか?

 一昨日、わたしは京都の大学に移って5年目にして初めて愛宕山に登拝しました。月輪寺は法然上人ゆかりの寺で、第18番京都愛宕山月輪寺(京都市右京区嵯峨清滝月輪町7)と言います。この寺は、法然に帰依した摂政九條兼実(1149−1207)の隠棲の地で、法然もここでしばしば説法したらしいのです。

 この寺は白山を開いた泰澄上人が開いたとも、光仁天皇の天広元年(781)に慶俊僧都が開創したとも伝えられています。林道春の著作『本朝神社考』には、文武天皇(697-707)の時代、役行者と雲遍上人がこの山に登った時、滝の上を雷雲が覆ったので、2人が秘呪密言の祈祷をしたところ、天が晴れて杉の木の上に地蔵菩薩や龍樹菩薩ら9億4万もの仏の眷族が出現して、2000年もの昔からの仏との約束でこの山で衆生を利益しているのだと告示したとのことです。そういうわけで、この大きな杉の木を清滝四所明神として賀魔蔵山(鎌倉山)などの5岳を定めたといいます。

 この「雲遍上人」がその後、泰澄と名を改めたそうですが、これは後世の仮託と思われます。ともあれ、かくなる次第で、泰澄上人が開山とされ、光仁天皇(在位770-781)の代に出た慶俊僧都が中興の祖とされ、平安中期に空也上人(903‐972)がここに念仏道場を開いたというわけです。そこでここには、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂の他に、法然、親鸞、空也(だったか?)を祀る三祖堂というお堂があるのです。

 ところで、九条兼実は摂政関白太政大臣藤原忠通の第3子で、親鸞が出家得度した時の師僧である天台座主慈円は同母弟になります。兼実は、藤原5摂家の1つの九条家の始祖となり、月輪殿とか法性寺殿とも呼ばれ、摂政関白を務め、法然と出会って深く帰依しました。

 兼実は長男の内大臣良通を亡くして悲嘆に暮れていた頃(1189年)、法然と出会ったのです。法然は、兼実の要請で『選択本願念仏集』を著しました。兼実はやがて法然を戒師として出家し、円証と名乗り、月輪寺に隠棲したというわけです。そして、次の歌を詠みました。

   月かげのいたらぬさとはなけれども
      ながむる人の心にぞすむ

 なかなか意味深長な歌ですね。月光が届かない里はないけれども、月の光というものは、Shinさんたちのように、それを心を込めて眺める人の心により深く届き、その中を照らし、そこに棲みつくのである。まさにこれは、「ムーンサルト・レター」をやりとりしているわたしたちのために詠まれた歌のようですね。

 京都というところは、なかなかおもしろいところでしょう? わたしは去年の11月より「東山修験道」という新たなる現代修験道を打ち立てましたが、京都は東山も北山も愛宕山や月輪寺のある西山も実に奥深い、まさに山城(山背)の国で、わたしはこのかつての都・平安京にすっかりはまってしまいました。いつも東山の山の端に出る月を眺めて心を静めています。Shinさん、今度ぜひ一度、一緒に東山修験道は歩いてみましょうよ。(詳しくは、モノ学・感覚価値研究会ホームページをご覧ください。http://homepage2.nifty.com/mono-gaku/

 今夜は曇り空で関東地方は満月が見えません。風もすっかり秋めいて、空も高くなってきました。今月は初旬に諏訪大社上社(本宮・前宮)を参拝し、尖石縄文考古館と井戸尻考古館を見学し、八ヶ岳山中の標高2千メートルの麦草ヒュッテで2泊して、「いのちとこども」をテーマに集中講義をしました。初めて八ヶ岳の中に入りましたが、ここも実に奥深い連峰ですねえ。来月、赤岳と権現岳に登拝するつもりです。また、高野山と天河をつなぐ古道も歩くつもりだし、東山修験道を日々これ日進月歩しています。

 9月15日には、大崎の立正大学で、日本宗教学会第66回学術大会が開催され、「宗教における行と身体」と題する公開シンポジウムが開かれてパネリストとして参加しました。パネリストは、南山大学教授の渡邊学さん、駒澤大学講師の矢野秀武さん、東京大学教授の鶴岡賀雄さん、そしてわたしの4人。司会は元立正大学学長の仏教学者渡邊寶陽さんと同大教授の三友健容さん、そしてコメンテーターとして立正大学の社会学者・望月哲也さん。

 そこで、現代および東洋と西洋における行と身体、タイの現代宗教の中での行と身体、キリスト教神秘主義における行と身体などが報告され、論議されました。わたしは例によってホラを吹きましたが(石笛も吹きましたが)、行の特徴はいのちがけ、それに対して教育は安全第一主義、行は短期的な成果を求めないが、教育は急ぎ成果を求め、効率・効果第一主義に陥っている、行は狩猟や漁労における獲物とのいのちがけの闘いから始まり、その延長線上にわが国の修験道の行もあるなどとあれこれ問題提起しました。まあ、ホラですわ。

 そんなわたしの勝手なホラ話に対し、心身関係についての質問があり、わたしはこう答えました。「こころは嘘をつくけど、からだは嘘をつかない。そして、たましいはうそをつけない」と。からだは自然律にのっとっているので、それはそれの世界の中で自律しています。しかし、心は実に変幻自在、巧みな結婚詐欺師のように嘘をつきます。けれども、そうした心のつく嘘をじっと見つめる眼があります。それがたましいで、たましいは嘘をつけません。心がつく嘘をじっと見つめて、その痛みを受けています。からだもたましいも嘘をつかない、つけないのです。

 わたしは骨折をして、そのことをいやというほど悟りました。左膝の骨折はわたしにとって、とても得がたい学びと反省の時間でした。心がつく嘘を動かないからだとともに、じっと見つめていました。そしてからだの動きに身を沿わせることがたましいの動きにより忠実になっていく入り口だと考えるようになりました。身体と心が裏表なのではなく、からだとたましいが真の裏表で、心はその中間にあっていつも揺らいでいます。しかしからだもたましいも、そのような揺らぎとは無関係に聖なる静けさの中で淡々と日々を刻んでいるのです。

 今、わたしたちの生の状況が閉塞しているとしたら、それは国民のほとんどが安全や安心を第一に求めていることに原因があると思うのです。安全・安心は大事だけど、いのちがけも大事やで、という問いかけがなされねばなりません。比叡山の回峰行者は行を中断する時には肌身離さず持っている短刀で体を突いて自決するといいます。それくらいの覚悟で行をしなければ行の飛躍と成就が得られないとされてきたのです。

 「死ぬ気でやる」という言葉がありますが、たいていのことは、「死ぬ気」でやって、それ相応の時間をかければ実現していきます。でもその「死ぬ気」を保持し、初心を忘れず、おのれを棄てて生きられるかどうか、それがいつもいつも問題になりますね。人間の心は変幻自在ですぐ嘘をつくから。それをからだとたましいでじっと見つめて、嘘に流れないように自制し修正していかなければなりません。

 わたしは、10年前にセーヌを前に誓いました。「これからは魂能(たましいの本能)のままに生きていく」と。それは、「嘘をつけないたましい」の声に忠実に生きていこうとする生き方への転換でした。その決心をして、2週間後に酒を断ちました。ある声が聞えてきて、それを考え、その日から一番好きなものを断とうと思い、酒を断ったのです。2008年1月6日で丸10年になります。

 まもなく10年が過ぎ、わたしはいよいよ「魂能」のまま生きていきたいと思います。東山を歩きながら、おのれのからだの小ささ、心の頼りなさをしかと受け止め、しかしたましいの呼び声に耳を澄ませて、次なる道行きに出て行きたいと思います。それがわたしにとって、セーヌの「水を大切にする」生き方なのです。オルボワール、ムッシュー、Shin!

2007年9月26日 鎌田東二拝