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シンとトニーのムーンサルトレター第234信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

8月20日の夜、わたしは函館の夜空に浮かぶ満月を見上げています。翌21日に業界団体の総会が函館で開催され、わたしは、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任いたします。第232信に続き、前回の第233信もTonyさんからの返信がなかなか届かず、心配いたしました。しかし、ようやく届いたレターの内容を拝見すると精力的な活動のご様子が窺え、驚くととともに安心いたしました。これからも、わたしは満月の夜に淡々とレターをお送りしたいと思います。

 

8月の満月は、アメリカ先住民から「スタージョンムーン」と呼ばれます。スタージョンとは、英語(Sturgeon)でチョウザメのことです。しかしながら、サメの仲間ではなく、世界三大珍味のひとつであるキャビア(卵)を生む魚のことです。8月は、北アメリカの五大湖周辺で盛んに行われていたチョウザメ漁が最盛期を迎えるため、8月の満月は「スタージョンムーン」と名づけられました。スタージョンムーンを眺めながら、みんなでチョウザメの豊漁を願ったのでしょうね。また、チョウザメがたくさんの卵をつけることから想像できるように、スタージョンムーンには「繁栄」という意味があるそうです。その他にも「自由」「自立」「友情」「オリジナリティ」など様々な意味があるとされます。ビジネスや交友関係を広げ、自分らしく成長していくといった願い事をするのによいと言われているそうです。


『リメンバー・フェス』(オリーブの木)

 

8月は、日本人全体が死者を想う時です。6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山の「日航機墜落事故の日」、そして15日の「終戦の日」というふうに、3日置きに日本人にとって大切な日が訪れます。そして、そのまま日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期に入っていきます。わが社は冠婚葬祭互助会ですが、毎年、お盆の時期には盛大に「お盆フェア」などを開催して、故人を供養することの大切さを訴えています。今年からは「リメンバー・フェス」を銘打って大々的に展開します。

 

ところで、今年のお盆休みは毎日実家を訪れ、体調の優れない父と話していました。それと次回作『冠婚葬祭文化論』(仮題、産経新聞出版)をずっと執筆していました。今朝ついに脱稿したので、実家に寄った後で、久しぶりに映画館に向かいました。シネプレックス小倉で日本映画「ブルーピリオド」を観たのですが、猛烈に感動しました。「マンガ大賞2020」を受賞し、アニメ化もされた山口つばさの漫画を実写映画化した作品です。充実した日々の一方でむなしさも抱える高校生が、一枚の絵をきっかけに美術の面白さに目覚め、国内最難関の美術大学を目指して奮闘する物語です。

 

成績優秀で世渡り上手な高校2年生・矢口八虎(眞栄田郷敦)は、悪友たちと遊びながら、毎日を過ごしていました。誰もが思う“リア充”。そんな八虎は、いつも、どこかで虚しさを感じていました。ある日、美術室で出会った1枚の絵に、八虎は心を奪われます。「絵は、文字じゃない言語だから」。絵を通じてはじめて正直な気持ちを表現できた八虎は、美術の面白さに目覚め、衝動のままにスケッチブックへ向かっていきます。そして八虎は、ついに進路を固めます。「第一志望 東京藝術大学。」実質倍率200倍、入学試験まで、あと650日。国内最難関の美大を目指して青春を燃やす、アート系スポ根物語が開幕します!

 

この映画を観て、東京藝術大学、それも美術学部絵画科の油画専攻の難関ぶりに驚きました。ふつう、芸術に知性は関係なく、感性のみが必要とされるように思われがちですが、絵画には知性も必要とされることがよくわかりました。まず、テーマを与えられたら、そのテーマの本質について熟考します。そして、それをどのように表現するかについても熟考します。それは、いわゆる「哲学」と呼ばれる営みそのものです。「絵は、文字じゃない言語」とはいっても、絵を描く前には言語を駆使して思考するのです。まさに、頭が悪くては良い絵は描けません。ちなみに、東京藝術大学は国立ですので、センター試験を受けなければなりません。そして、そこで獲得しなければならない得点は高いのです。この映画でも、八虎やそのライバルたちも高校の成績はみなトップクラスという設定になっていました。

 

映画「ブルーピリオド」のテーマですが、わたしは「人は何のために生きるか」だと思いました。薬師丸ひろ子演じる高校の美術教師・佐伯昌子に、眞栄田郷敦演じる八虎は「美大に行って将来性があるんですか?」と問うシーンがあります。女教師は微笑みながら、「あなたにとって価値のあるものって何ですか?」と静かに問い返すのでした。わたしは60年以上生きてきて、人生とはつまるところ、「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」のせめぎ合いだという気がします。そして、わたしは、その2つをなんとか両立させ、さらには一致させるべく藻掻き続けてきたようにも思います。八虎が「絵を描くことが好きなんだ! 夢中になれるんだ!」と石田ひかり演じる母親に訴えるシーンは心に響きました。わたしは今回の夏休みの間ずっと原稿を書いていましたが、「自分は、やっぱり書くことが好きなんだ」と再確認しました。そして、そのテーマとは、冠婚葬祭文化の振興。わが信条である「天下布礼」に直結する「やらなければならないこと」でした。「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」を悪戦苦闘しながらも両立・一致できるわたしは本当に幸せ者だと思います。


小学生時代に描いた油絵の数々

 

そんなわたしですが、昔は画家を目指していました。2018年の11月に実家の倉庫を片付けていたら、わたしが小学生高学年の頃に描いた油絵が出てきたので、「どうする?」という問い合わせがありました。わたしは、「とりあえず会社に持ってきてくれないか」と頼み、額縁に収められた4点の油絵が社長室に届きました。わたしは、岡義実先生と西村和己先生という二人の北九州出身の洋画家から油絵を習いました。美術品のコレクターだった父が両先生を応援していた関係です。今ではお二人とも日本を代表する有名な画家になられました。最初に習ったのは岡先生で、セザンヌのような印象派を思わせる絵を描かれる方でした。わたしも果物などの静物画を描いていますが、光の描き方が岡先生の指導を思わせます。


小学生時代に描いた油絵「茶器」

 

岡先生の指導の下に茶器も描きましたが、これがなかなかの出来ばえです。シンプルな茶器の中に「わび」「さび」を感じますが、何よりも茶器とは「かたち」そのものです。水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そんなことを小学生の頃から考えていたとしたら大したものです。わたしは少年時代の自分に「おまえ、えらいな!」と言いたくなりました。(笑)


小学生時代に描いた油絵「海辺の光景」

 

岡先生の次に習ったのはシュールレアリスムに通じていた西村先生でした。わたしは当時愛読していた藤子不二雄Aのマンガ『魔太郎がくる』で初めて知ったマグリットの不思議絵のような絵を描きたいと思いました。そこで描いたのが、「海辺の光景」と題する絵です。空に浮かんだ雲のような白い唇、そして巨大な顔・・・・・・つげ義春のマンガも連想させるようなシュールな世界を表現しています。また、ゴヤの影響を受けていたと思われる西村先生の指導で、欲にかられた人間が黄金に手を伸ばそうとすると腕が白骨に変わるという「欲望」という絵も描きました。あの頃、とにかく絵を描くのが楽しくて片っ端からカンバスに向かい、いろんなテーマで油絵を描いていました。そこには確かに、描くことへの情熱がありました。

 

小学生時代の描くことへの情熱といえば、7月10日に鑑賞したアニメ映画「ルックバック」を思い出します。『チェンソーマン』などの藤本タツキによるコミックが原作で、小学生の少女が、漫画好きという共通点を持つ不登校の少女と共に漫画制作に邁進するも、やがて衝撃的な出来事が起こる物語です。小学4年生の藤野は学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメートから絶賛されていました。ある日、藤野は先生から不登校の京本が手掛けた4コマ漫画を学生新聞に載せたいと告げられます。そのことを機に藤野と京本は親しくなっていきますが、やがて成長した2人に、全てを打ち砕く出来事が起こるのでした。油絵と漫画というジャンルの差はありますが、「ブルーピリオド」と「ルックバック」には、ともに描くことへの途方もない情熱が見事に描かれています。


東京藝大受験の審査員たち(映画「ブルーピリオド」より)

 

映画の中で考えさせられるシーンもありました。東京藝術大学絵画科油画専攻の受験で、受験生たちが仕上げた絵を審査するシーンです。どのような基準で選考するのか、わたしのような素人には想像することもできませんが、審査員たちはシビアに合格と不合格に作品を振り分けていきます。一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団では、「子ども絵画コンクール」を行っています。絵画は「私がおもう結婚式」「残したい日本の儀式」をテーマに、小学1・2年生、3・4年生、5・6年生と3分類して、優秀作品を選びます。わたしもずっと審査員を務めてきましたが、子どもの絵画教育に詳しいある審査員は膨大な絵を見ながら「これは子どものタッチではないですね」「これは大人の手が入っていますね」と、ビシビシ指摘します。そして、子どもにしては巧すぎる作品をバンバン落としていくのですが、わたしはいつも「もし、この絵を描いた子が天才だったら?」と思ってしまいます。映画を観ながら、そんなことを思い出しました。


『唯葬論』(サンガ文庫)

 

映画「ブルーピリオド」の中で、桜田ひより演じる高校美術部の先輩・森まる(彼女は、武蔵野美術大学に進学します)が「絵画の発生」について八虎に語るくだりがあります。人はなぜ絵を描くのか? それは絵を描くことは「祈り」であり、「その絵を見た人が幸せになることを願っているから」という説を紹介していました。それを聞いたとき、わたしは拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)の「芸術論」で「芸術とは何か。芸術にはさまざまなジャンルがあるが、『芸術』という言葉を聞いて、多くの人がまず連想するのは美術、それも絵画ではないだろうか。どうも芸術家イコール画家というイメージが一般にはある。人間が精神と肉体からなっているといわれるように、美術作品も主題(テーマ)とその表現からなっているといわれる」と書きました。美術作品は表現だけが重要で、主題は副次的なものにすぎないという考え方もないわけではありません。事実、造形的な冒険の連続といってもよい20世紀美術においては、まず表現の可能性が追求されました。

 

それに対して、ヨーロッパ中世の写本やキリスト教会に描かれた壁画では、逆に主題のほうが重要でした。そしてもっとも重大な主題は、人生における4つの終事、すなわち「四終」とされました。「四終」とは、死、最後の審判、天国、地獄を指しますが、これについてはキリスト教に限らず、仏教でも、死生、極楽浄土、地獄に関する仏教説話集や、その説話に基づく絵画・彫刻が多く残されています。死の儀式を最初に行った者は、ネアンデルタール人だとされています。この種族は発達した脳と言語を持っていたらしく、しかも、発掘された彼らの洞窟の中の遺骨の周囲に花の花粉が発見されたので、死者たちに花を手向けたと考えられます。そして、約2万年前のクロマニョン人が、ラスコー洞窟に残した壁画が発見されていることからもわかるように、人類と絵画表現の歴史は後期旧石器時代にはじまるのです。死の儀礼と絵画表現の発生を考えたとき、両者には明らかに「祈り」という共通点があります。


目に見えぬ縁と絆を目に見せる素晴らしきかな冠婚葬祭

 

この映画では、「祈り」の他にも心に響くキーワードが登場しました。「縁」です。八虎が通う予備校(東京美術学院)で江口のりこ演じる講師の大葉真由が生徒たちに与えた絵のテーマです。「縁」というものはもちろん目に見えませんが、それを絵画として可視化するわけです。八虎は赤い糸を描くのですが、大葉講師からは「ありきたりねぇ」と一刀両断にされます。この場面を見て、わたしは「縁を可視化するなら、まさに冠婚葬祭のことだな」と思いました。「縁」と似た言葉に「絆」がありますが、「縁」が先天的で「絆」は後天的だと言えます。わが社は、冠婚葬祭業の会社です。結婚式や葬儀をはじめとした儀式によって多くの方々を幸せにするお手伝いをしています。冠婚葬祭は、目に見えない「縁」と「絆」というものを目に見せてくれます。かつて、わたしは「目に見えぬ縁と絆を目に見せる 素晴らしきかな冠婚葬祭」という道歌を披露したこともあります。ちょうど、脱稿したばかりの『冠婚葬祭文化論』にそのことを書いたばかりでした。


意外と親孝行な八虎(映画「ブルーピリオド」より)

 

「縁」といえば、まずは血縁です。映画「ブルーピリオド」を観て、強く感じたのが八虎の家族愛でした。八虎は友人たちと徹夜で酒を飲みながら騒ぎ、タバコも嗜む遊び人です。金髪で軟骨にピアスも空けている不良でもあります。その一方で、成績はトップクラスという器量の良い優等生でもあり、何よりも両親に対して素直な男の子です。彼の父親はかつては「社長」と呼ばれた人でしたが、事業が失敗して清掃会社に勤めています。少しでも多くの収入を得たいと夜勤を頑張っています。そんな父親が仕事に出かけるときは、八虎は「行ってらっしゃい!」ときちんと挨拶します。また、パートや家事で疲れ果て、食卓に突っ伏して寝てしまった母親の姿をデッサンし、「母さんの手は食器洗いでささくれているし、重い荷物を持つから筋肉もついているんだね」と優しく感謝の言葉を伝えます。


もっともっと親孝行したい!

 

その両親が八虎の東京藝大受験の当日に手作りのお守りを渡したり、手作りの弁当に海苔で「ガンバレ」と描いたり、試験の間ずっと落ち着かなかったりする様子は微笑ましく、合格の報に接したときの喜びようには感動しました。やはり、子どもの成功を一番喜んでくれるのは親なのです。わたしも、東京藝大油画ほどの難関ではないですが、早稲田の政経に合格したときの両親の喜びぶりを思い出して、涙腺が緩みました。わたしの父は健康を害し、命の灯が消えかかっています。現在、父は88歳ですが、もっともっと親孝行したいと思います。そんなことを考えながら映画を観ていたら、やたらと泣けてきました。


「一条真也肖像」(大谷真結香)

 

「ブルーピリオド」の感動を噛みしめなら帰宅すると、驚くべき出来事が待っていました。なんと、わたしの肖像画が届いていたのです。サンレー北陸の大谷賢博部長の長女・真結香さんが今年、東京藝大の油画専攻に現役合格したことは知っていました。合格の報に接したときはわたしも大変嬉しく、わたしはブログに「春分の日に春が来た!」と題する記事を書きました。すると、真結香さんはそれがとても嬉しかったそうで、わたしの肖像画を描いて下さったのです。それもデッザン画などではなく、本格的な油絵でした。わたしの還暦祝い用に染織家の築城則子先生に作っていただいた紫色の小倉織を着た姿での肖像画です。それは、わたしが60年以上生きてきた中でも最大級の感動でした。


真結香さんの父・大谷賢博部長と

 

真結香さんの父である大谷賢博部長は日本初の上級グリーフケア士の1人です。
上智大学グリーフケア研究所の前所長である島薗進先生も、グリーフケアの専門家として大谷部長を高く評価して下さっています。以前、Tonyさんが金沢でLIVEを行ったときに彼にお会いしています。今年の1月1日、彼は能登半島地震に帰省中に被災し、実家が全壊して避難所に入っていました。現在、その被災体験とケアの実践を彼が語ったグリーフケア動画が冠婚葬祭互助会業界で注目を浴びています。大変な読書家であり、映画も愛する彼の感想に接するたびに、わたしは「素晴らしい感性をしているな」と感心していました。彼の感性が娘さんにも受け継がれたのではないかと思いました。


「北國新聞」2024年3月20日朝刊

 

「北國新聞」2024年3月20日朝刊には、「倍率20・2倍の最難関 東京藝大油画に2人同時に現役合格」との見出しが躍りました。記事には、芸術系大学の最高峰・東京藝大で最難関とされる美術学部絵画科油画専攻に、大谷真結香さん(18)=金沢二水高3年=と池村柚(ゆず)さん(18)=北陸学院高3年=が合格したことが紹介。美術関係者によると、「石川県内から同専攻に現役合格した例はほぼなく、2人同時は初めてとみられる」とのこと。この記事に登場する大谷真結香さんがサンレー北陸の大谷賢博部長の長女さんだと知って、大変驚きました。東京藝大の油画専攻の今年の一般選抜は1109人が志願し、合格者数は55人で倍率は20・2倍と全学科・専攻で最高だったそうです。


大谷真結香さん、ありがとうございました!

 

映画「ブルーピリオド」の中で、登場人物の1人が「絵画の発生」について主人公に語るくだりがあります。人はなぜ絵を描くのか? それは絵を描くことは「祈り」であり、「その絵を見た人が幸せになることを願っているから」という説を紹介していました。それを聞いたとき、わたしは無性に感動したのですが、大谷真結香さんが描いて下さったわたしの肖像画を見たとき、「祈り」ということを実感しました。というのは、わたしは多くのことを祈っているのです。現在は、Tonyさんと父の健康、冠婚葬祭文化の振興、能登半島地震の被災地の復興、世界から戦争がなくなること・・・・・・個人的なことから、大きなことまで、いろんなことを祈っているのです。真結香さんの絵から「あなたの祈りが通じることを祈っています」というメッセージを感じ、涙が出てきました。本当に、ありがたかったです。


肖像画を社長室に飾りました

 

東京藝大油画に現役合格するため切磋琢磨した大谷さんと池村さんは能登半島地震で避難生活も経験し、苦難の冬を乗り越えて快挙を成し遂げました。ここにも大きな「祈り」の力が働いたことだと思います。「ブルーピリオド」の中で絵画のテーマを「縁」という場面ありました。目に見えない「縁」を見える化するために主人公は悩むのですが、わたしはつねづね、「冠婚葬祭とは縁を視覚化すること」だと考えています。また、今朝脱稿した『冠婚葬祭文化論』にもそのことを書きました。絵を描くことは「祈り」であり、「縁」を見える化することでもあります。そして、それは真結香さんのお父さんが仕事としている冠婚葬祭やグリーフケアにも通じる営みだと思います。改めて、大谷さん父娘に心から感謝を申し上げます。この絵は、わたしの一生の宝物です。それでは、Tonyさん、また次の満月まで!

2024年8月20日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

まず、お祝いを申し上げます。一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団理事長就任、まことにおめでとうございます。ますますのご活躍を祈念申し上げます。

と同時に、くれぐれも御身お大事にご活動くださいますよう、お願いします。わたしは、本日午前中で京都大学付属病院で、脳に転移しているがんがどんな状態であるか、8月15日撮像のMRI検査結果を主治医の宇藤先生から聞きました。悪化はしていないとのことなので、3ヶ月後の次の検査まで様子を見守りましょう、ということになりました。

京大病院で思いのほか時間がかかったので、昼ご飯を食べる時間がなくなり、病院内の売店でサンドイッチとカフェラテを買い求め、帰りのタクシーの中でほおばりました。一条寺の砦に戻ると、家の前で藤守創さんと堀川健太郎さんが立ち話をしていました。13時30分から2時間ほど3人で、藤守さんの博士論文の単行本化について詰めの話をしようということになっていたのでした。

わたしが帰り着いたのは、13時25分でしたが、礼儀正しいお2人はその前には到着していたのでした。立ち話の延長でそのまま内に入り、来年の6月か7月に、ミネルヴァ書房より博士論文の体裁で、A5サイズハードカバー300~350頁くらい、定価5000程度の学術専門書として出ることが決まりました。ともあれ、具体的に話が決まってとてもよかったです。タイトルは未定ですが、この本は、世界哲学・医学・医療、武道・舞踊など、身体論界に新風を吹き込むものと確信しています。ようやっと、この段階にこぎつけました。ソルボンヌ大学提出の博士論文が、母校に里帰りして、来年にはシンポジウムや展覧会やデモンストレーションをやりましょう! と大いに盛り上がりました。たのしみ、ちゃのちみ~!

 

さて、映画『ブルー・ピリオド』も、大谷真結香さんの東京藝術大学現役合格のことも、とても興味深いですが、何よりも驚いたのは、Shinさんの絵、です。これには、しんそこ、びっくりしました!

すごい! すばらしい! すてき! の3S 花丸を「S」hinさんに捧げます。特に、小学生の時に描いた「海辺の光景」、なかなかやるじゃ~NN! 柔道一直線ならぬ美術一直線の人生もありえたということですね。

妻の父の義父も、若い頃は画家になりたかった、とよく言っていました。どこか、万年青年のような人でした。が、家族のために、家のために、もっとも手堅い道をあゆみました。埼玉県大宮で暮らしていたので、旧制浦和中学、旧制浦和高校を経て、東京帝国大学法学部を卒業し、旧鉄道院・鉄道省・国鉄に努め、最後は国鉄の高崎管理局長となって東急車両に常務取締役として天下りし、専務・監査役、東急とJRの合資会社大井町の駅ビル・プリモの初代社長となり、相談役まで務めて、現役引退したのでした。

リタイアーした後は、好きな絵を描くのか、と思っていましたが、絵筆は取らなかったですね。チャレンジはしてみたようですが、その感性やイマジネーションやモチベーションや甦ってこなかったのではないでしょうか? 一緒に住んでいたので、そのことは、今もとても残念におもっています。

ケアのことを考える時に、病気の祖父母との同居生活と実の父母と義理の父母の死の迎え方、「晩年」の過ごし方についてはよく考えます。考えれば考えるほど、いろいろと問いが出てきます。

たとえば、わたしの実の父親の鎌田義美のことです。彼は陸軍航空兵となって満州に行きました。宇都宮の陸軍航空学校名取分校(今の宮城県の名取空港の前身になるのでしょうか?)などで飛行訓練したようです。同期の航空兵がみな特攻隊で死に、自分だけが肺尖カタルで生き延び、戦後の平和な時代を田舎暮らしし(徳島県那賀郡桑野村)、それによりわたしも生まれたのですが、酒に酔うとよく「わしの人生は余生じゃ!」と言っていました。

これは、間違いなく戦争トラウマだとおもっています。中村江里上智大学准教授は『戦争とトラウマーー不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2017年)において、旧日本兵が抱えた戦争神経症(戦争トラウマ)を考察しています。社会学者の中村さんは、残されているカルテなどから旧日本兵が戦中・戦後、トラウマを抱えながら生きてきたことを分析しています。そんな父親から、もっと、戦争の話とか、聞いておけばよかったと悔やまれます。

 

ところで、この前、東京藝術大学大学院修士課程2年の松橋萌さんと「芸術探検家」のタコ神輿アーティストの野口竜平さんたちがやってきて、いろいろおもろい話やタコ神輿かつぎなどをやりました。以下、ぜひ見てみてください。

 

神明Pさん、松橋萌さんと「永訣の朝」を歌う。

わたしは、自分がやりたいこと=やるべきことと思って生きてきたので、今も昔も「やりたいこと」しか、やっていません。やりたくないことは、どんどんやめていきました。つづきませんでした。それが「大正解」だったとおもっています。

 

でもねえ、絶対やりたくない、と高校生のころ思っていた高校の先生や坊さんに近いことをやってきたので、絶対「やりたくないこと」が心底「やりたいこと=やるべきこと」に転換するパラドックス・矛盾的自己同一はしばしば感じます。じつに、微妙で、ドラマチック、ですね、このへんは。しかしそれを人は、「いいかげん」、とも言いますね。いいかげんが、いい加減になるかどうかは、微妙です。死後の評価も変わりますからねえ。

 

「永訣の朝」1999年 鎌田東二作詞・作曲 http://moon21.music.coocan.jp/cd02f.html

ぼくがきみと出会った朝 遠くの星が泣いていた
いつか別れの時が来ると 遠くの星が泣いていた
いつだって きみだけを 探していたのに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

ぼくがきみを想い出すたび 遠くの星が泣いている
もう二度と帰らぬ日々と 遠くの星が泣いている
風に吹かれて ぼくは旅をする 忘れることも出来ずに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

ぼくがきみと別れた朝 遠くの星が泣いていた
いつかまた出会うときが来ると 遠くの星が泣いていた
いつだって きみだけを 探していたのに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

いつだって きみだけを 探していたのに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

出口王仁三郎の娘の大本三代教主の婿養子の出口日出麿は、「音楽が一番天国的だ」と言いましたが、その通りといつも思います。

ともあれ、やりたいこと=やるべきことの一つ、平田篤胤論をこの前おこないました。

 

 

そして、満月の今宵は?

 

 

これからも、「やりたいこと=やるべきこと」を「遊戯三昧」、「犬も歩けば棒に当たる=捕らぬ狸の皮算用」人生として全うしたいと思いますので、よろしくお願いします。それでは、9月の中秋の名月まで!

8月20日 鎌田東二拝