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シンとトニーのムーンサルトレター第210信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、お元気ですか? 8日、わたしは大分県の別府を代表するリゾートホテルの「アマネリゾート  ガハマ」に宿泊しました。このホテルに泊まるのは2年ぶりですが、別にバカンスに来たわけではありません。毎年恒例のわが社の「年頭所感」の表紙に使う朝日の写真を撮影するのが目的です。満月の直前となる8日の夜は、別府湾に見事な月が上りました。


別府湾に上った月

月夜の露天風呂は最高!

 

夕食を終えて部屋に戻ると、窓から見える別府湾の海上に見事な月が浮かんでいました。最初は雲間に見える朧月だったのですが、次第に雲も晴れて行きました。部屋に設置された露天風呂に入ると、頭上に月が浮かびました。月夜の露天風呂ほど、ハートフルなものはありません! そういえば、一昨年の10月2日の夜は、満月を見上げながら露天風呂に入り、Tonyさんとの共著『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の見本が出たことを祝ったことを思い出しました。


別府湾の朝焼け。朝日は見えず!

朝焼けを背に風呂に入るも残念無念!

 

しかしながら、翌朝の日の出の撮影は失敗しました。厚い雲に阻まれて朝日を拝むことはできませんでした。まことに残念です。今朝の別府湾は日の出の時刻に雲の下方がオレンジ色に染まり、それなりに美しい光景ではありましたが、「お天道さま」つまり太陽そのものが拝めないと、やはり失望感があります。


あの船頭は自分だ!

 

オレンジ色の空を背景に海には一艘の小舟が浮かんでいたのですが、「あの小舟の船頭は自分だ!」と思いました。太陽を追うというのは、大志を求めることのメタファーだと思います。明るい世直しを目指すという高いアンビションを掲げながらも、つねに悩み、もがき続け、煩悩の大海を彷徨っている自分の姿に重なり、しばしこれまでの半生を振り返りました。


京都でTonyさんにお会いしました

 

また、先月19日には京都でお会いできて嬉しかったです。場所は、ホテルグランヴィア京都の15階にある中華料理店「樓外樓」でした。Tonyさんとは6月5日の長女の結婚披露宴の思い出をはじめ、家族のこと、事業継承のこと、宗教のことなど、さまざまな話題で語り合いました。わたしが個人的に抱えていた悩みにも真摯にアドバイスして下さり、わたしの心をケアして下さいました。本当に、ありがたいことです。この店でTonyさんとお会いするのは3回目です。やはり、春夏秋冬の四季があるように、最低でも年に4回はお会いしたいものです。Tonyさんとは、近いうちに「神道と日本人」をテーマにした対談本を作ることも約束して、別れました。対談では、Tonyさんの胸をお借りして、神話・儀礼・太陽信仰・月信仰・縄文・国学・日本民俗学などをはじめ、幅広い話題で大いに語り合うことを楽しみにしています!


高台寺庭園にて

 

翌20日は、夕方の会合まで時間があったので、ミニ京都散策しました。真夏の京都は猛烈に暑いので、銀座トラヤ帽子店で求めた白のボルサリーノを被りました。まず、東山の高台寺を訪れました。本尊は釈迦如来。寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称します。豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなみます。臨済宗の禅寺であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を持った寺院です。


高台寺の霊屋の前で

 

高台寺の霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼びます。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称があります。夜間拝観を京都で最初に行い始めた寺院とのこと。また、釈迦涅槃図が描かれたセレモニーホールとしての「利生堂」では、結婚式や葬儀も行われるそうです。話題のアンドロイド観音もありましたが、今日は鑑賞できませんでした。


圓徳院の後藤住職と

 

それから、わたしは圓徳院へ向かいました。すると、門のところで、住職の後藤正晃さんにお会いしました。わたしたちは、秋丸さんの紹介で名刺交換し、しばし立ち話をしました。圓徳院は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院で、高台寺の塔頭です。本尊は釈迦如来。豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地とも言われています。所蔵されている三面大黒天は秀吉の念持仏と伝わるもの。


圓徳院にて

 

豊臣秀吉の没後、正室の北政所は、慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると、秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援しました。家康と高台院は、現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると、慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて新たな寺院・高台寺を建立し、その境内を整えていきました。


しばし物思いに耽りました

 

その際、高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし、同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自らの邸宅・高台院屋敷としました。翌慶長11年(1606年)に高台寺は完成しています。高台院は没するまでの19年間を高台院屋敷と高台寺で過ごすと、寛永元年(1624年)9月6日に屋敷で亡くなりました。


三面大黒天にて

 

寛永9年(1632年)、高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められた。以降は木下家の菩提寺となりました。寛政元年(1789年)2月9日、高台寺で火災が発生して小方丈や庫裏などが焼失した。そこで、高台寺は寛政7年(1795年)に当寺の北政所化粧御殿を高台寺の小方丈にするために解体、移築が行われ、当寺には代わりとして新たに北書院が建立されました。なお、高台寺の小方丈となった北政所化粧御殿は文久3年(1863年)7月26日に放火で焼失しています。なお、圓徳院と高台寺の間は「ねねの道」となっています。


ヤフーニュースより

 

京都といえば、京都を代表する経済人であり、わたしが心から尊敬申し上げていた稲盛和夫氏が、8月24日午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で亡くなられました。90歳でした。心より御冥福をお祈りいたします。8月30日配信の「京都新聞」には、「稲盛氏は1932(昭和7年)年1月、鹿児島市で生まれた。鹿児島大工学部を卒業し、京都の碍子メーカーに就職した。その後独立して59年に京都セラミツク(現京セラ)を設立。セラミックを応用した電子部品を次々と開発して事業を拡大し、一代で世界的な電子部品メーカーに育て、電子産業の発展に貢献した。通信事業分野では規制緩和の先駆けとなり、85年に第二電電(DDI)を設立した。現在のKDDIへの統合を進め、NTTの独壇場だった通信事業に自由化をもたらした。84年、紫綬褒章を受章。95年にワコール創業者の故塚本幸一氏から指名を受け、京都商工会議所会頭に就任した。97年、八幡市の円福寺で得度。99年には、古都税問題で関係が悪化していた京都市と京都仏教会の和解を仲介するなど京都の発展にも尽くした」と書かれています。これだけでも、素晴らしい人生です。

 

しかしながら、さらに「京都新聞」には、「科学技術や文化事業にも力を注ぎ、私財を投じて稲盛財団を設立、数多くのノーベル賞受賞者を輩出する京都賞を創設した。2004年には京都府精華町に児童福祉施設を建設するなど社会福祉の向上にも努めた。スポーツ分野では京都サンガに出資し、積極的に支援した。若手経営者を育てる『盛和塾』では、後進の指導にも取り組んだ。05年に京セラ取締役を退いた後は、中国や欧米をはじめ世界各国との交流に心血を注いだ。中国天津市経済顧問、パラグアイ共和国名誉領事などを務めた。政界にも大きな影響力を持った。09年の総選挙では民主党を応援し、政権交代の立役者となった。民主党政権で行政刷新会議の民間議員に就き、内閣府特別顧問も務めた。10年には会社更生法の適用を申請した日航の会長を引き受け、戦後最大規模の企業再生を主導した」とも書かれています。あまりにも偉大です!


Tonyさんより稲盛和夫氏を紹介される

 

2015年9月13日、わたしは稲盛氏に初めてお会いしました。場所は、京都ホテルオークラでした。当時、わたしは京都大学こころの未来研究センター連携研究員だったのですが、同センター主催のシンポジウムに参加したのです。冒頭、稲盛氏が祝辞を述べられることになっていました。そして、来場された稲盛氏を同センターの教授であったTonyさんが、シンポジウムの開始前に紹介して下さったのです。わたしは、つねづね稲盛和夫氏を尊敬申し上げていました。しかし、実際にお会いするのはこの日が初めてでした。稲盛氏とわたしは2012年に第2回「孔子文化賞」を同時受賞させていただいております。でも、授賞式には弟の稲盛豊氏(稲盛財団専務理事)が代理で出席され、ご本人とお会いすることは叶いませんでした。


名刺交換させていただきました

 

それをTonyさんが「孔子文化賞を同時受賞された一条真也さんをご紹介いたします」と名刺交換の機会を与えて下さったのです。稲盛氏は「おお、あなたが一条さんですか!」とわたしのことをご存知で、まことに感激いたしました。稲盛氏からも丁重にお名刺を頂戴しました。この名刺はわたしの宝物です。日本経済界最高のリーダーであるにもかかわらず、稲盛氏は腰の低い素晴らしい人格者でした。わたしは、胸いっぱいで「心より尊敬申し上げております。御著書はすべて拝読させていただきました。今日は御挨拶させていただき、まことに光栄でございます」と言うと、稲盛氏はニッコリと微笑んで下さいました。この日、わたしは憧れの方にお会いできて、本当に感激しました。


お名刺を頂戴しました

 

孟子が会うことのなかった孔子に私淑(この言葉の出典は『孟子』です)したように、平田篤胤が会うことのなかった本居宣長に夢の中で弟子入りしたように、わたしも稲盛氏とお会いする機会がないのかと諦めていました。全互協の事業継承委員長時代に稲盛氏と懇意であったラックの柴山文夫社長(故人)に相談して、稲盛氏の講演会を企画しようともしましたが、残念ながら諸般の事情で実現しませんでした。


今後とも、よろしくお願いいたします!

 

わが夢を叶えて下さったのはTonyさんその人です。まさに、鎌田先生こそは最高の「現代の縁の行者」でした。心より感謝いたします。わたしは私淑する渋沢栄一翁や松下幸之助翁や出光佐三翁にはお会いすることはできませんでしたが、稲盛和夫翁にはお会いできました。まさに本居宣長が賀茂真淵と運命の邂逅を果たした「松坂の一夜」ならぬ「京都の朝」でした。わたしは、稲盛氏の著書の多くをブログなどで取り上げ、またその名言も紹介させていただきました。何よりもその経営理念を学ばせていただき、サンレーの経営に当たってきました。稲盛氏の教えにならって、経営は「利他」の心で行うことを心掛けています。


『稲盛和夫の哲学』

 

稲盛氏は戦後日本を代表する「哲人経営者」でした。著書『稲盛和夫の哲学』(PHP文庫)では、日本人にいま求められていることは、「人間は何のために生きるのか」という、最も根本的な問いに真正面から向かい合い、哲学を確立することだと強く訴えました。政治にしても、経営にしても、倫理や道徳を含めた首尾一貫した思想、哲学が必要であることは言うまでもありません。しかし、政治家にしても経営者にしても、その大半は哲学を持っていません。そのような中で、「動機善なりや、私心なかりしか」と唱え続けた稲盛氏こそは、経営における倫理・道徳というものを本気で考え、かつ実行している稀有な経営者でした。


『心。』

 

名著『稲盛和夫の哲学』をはじめ、稲盛氏は著書も多く残されましたが、わたしはほとんど全部を拝読しました。最近では、『心。』(サンマーク出版)を愛読しました。「人生を意のままにする力」というサブタイトルがついています。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を立ち上げ、JALを〝奇跡の再生〟へと導いた、当代随一の経営者がたどりついた、究極の地平とは何か。これまで歩んできた80余年の人生を振り返り、また半世紀を超える経営者としての経験を通じて、著者が伝えたいメッセージとは、「心がすべてを決めている」ということでした。人生で起こってくるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたものであり、すべては心が描いたものの反映であるというのです。それを稲盛氏は、「この世を動かす絶対法則」だといいます。だから、どんな心で生きるか、心に何を抱くかが、人生を大きく変えていきます。それは人生に幸せをもたらす鍵であるとともに、物事を成功へと導く極意でもあるというのです。


わたしがお会いした日の稲盛和夫氏

 

『心。』は稲盛氏の思索の集大成というべき内容ですが、正直、経営者が書いた本というよりも、宗教家が書いた本のようでした。想いが現実を創造するという「引き寄せの法則」を説いた本であるとも言えます。ここまでスピリチュアルな内容をストレートに書けるのは、現実のビジネスの世界で圧倒的な成功を収めた著者にしか許されない特権だと思いました。他の経営者、たとえばわたしのような小僧が本書のような本を書いても、「この著者は宗教がかっているな」と思われて終わりでしょう。まさに、「稲盛和夫の前に稲盛和夫なく、稲盛和夫の後に稲盛和夫なし」といった印象です。改めて、故稲盛和夫氏の御逝去に対して衷心より哀悼の誠を捧げさせていただきます。合掌。

 

2022年9月10日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

はや9月も重陽の節句も過ぎ、10日となりました。ムーンサルトレター210信、ありがとうございます。別府温泉の満月と朝日のオレンジ色、いいですねえ~。また、亡くなった稲盛和夫への追悼の辞、敬愛の念が心に沁みてきます。

京都大学こころの未来研究センターにいた頃、学術広報誌「こころの未来」第7号の巻頭インタビューのために、稲盛和夫氏のところに訪ねて行ったことがあります。そのインタビューは、「動機善なりや、私心なかりしか」 (「こころの未来」第9号、2011年9月30日刊)と題されていて、徳について、志について、少年時代の宗教との出会いについて、逆境についてなどがビビッドに話されています。以下のURLをクリックしていただけると読むことができますので、読んでみてください。

http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/kokoronomirai/pdf/vol7/kok

oronomirai-vol.7_10-31_2data%201-11.pdf

さて、この前は、医療法人ささえ愛よろずクリニック10周年記念イベントの「須田郡司・鎌田東二写真展」のクロージングトーク&ミニライブが終わった後でのムーンサルトレター209信の返信となりました。そして、お盆が終わったあとの8月18日の夜、久しぶりに、Shinさんと京都グランヴィアの15階の中華料理店の樓外樓で夕食を共にしながらじっくりと語り合いましたね。近況、世界の動向、未来、最近の自然災害、人間尊重と自然畏怖のこと、家族のこと、業界のことなどなど、話はいつまでたっても尽きることはありませんでした。コロナ禍でなければ、一緒にカラオケに行って、存分に歌合戦をたたかわせたのに。この点が残念ではあります。

Shinさんも、いつも社長業や作家活動や業界の社会活動などフル回転していますが、このところ、わたしも結構休む間もなく移動とイベントの連続でした。

8月には、京都万華鏡ミュージアムで11月20日開催の「万華鏡シンポジウム」のことを話し合ったり、島薗進さんや北海道大学の櫻井義秀さんと「宗教と政治」について討議したり、本州最南端の潮岬に行ったり、故大重潤一郎監督の映画上映会「原郷ニライカナイへ~比嘉康雄の魂」や「ことばと魂」研究会の開催などをしたりして、けっこう慌ただしく過ごしました。夏休み感はほぼなかったですね。

そして、9月になって、3日には、再再度「医療法人ささえ愛よろずクリニック10周年記念イベント」で、約1時間の講演と約40分のライブを行ないました。今回は、歌は、「カマタジャイアンの唄」「神ながらたまちはへませ」「弁才天讃歌」「神」「なんまいだー節」「銀河鉄道の夜」の6曲を歌い、最後の「銀河鉄道の夜」を院長で精神科医の今村達也さんと一緒に歌い、みんなを「銀河鉄道」ならぬ、屋外の盆踊り空間に誘導しました。そして、その夜は、クリニックに泊めてもらって、快適なミストサウナにも入り、心地よい汗を流しました。

そこで、一番うれしかったことは、前回にも書きましたが、30年前に新潟大学医学部医学科の4年生で「一日丸ごと宮沢賢治」を企画してくれた今村達也さんが、中堅の医療者となって、新潟市で地域医療の実践をしてくれていることでした。とてもおもしろく、かつ有意義な医療実践で、彼の活動をまとめた本が出たら、大きなインパクトを与えると確信します。早くそのようになってほしいですね。

そのイベントが終わって、その後ホビット村で吉野天河について話をし、またサードアルバム『絶体絶命』のアレンジャー&プロデューサーのKOWさんのスタジオで9月23日に横浜で行なう「絶体絶命~いのちのよみがえりLIVE」の第2回目のリハーサルを行ない、さらに「顕神の夢」展のために関係者一行と奈良県吉野郡天川村坪内鎮座の天河大辨財天社を参拝し、3年ぶりにゆっくりと柿坂神酒之祐名誉宮司と語り合い、その間にピアノのレッスンをし、今日は神戸の六甲保養荘で「沖ヨガ国際キャンプ」で神道について講演するという、これまた慌ただしいアクロバティックな日々を過ごしました。これまた夏休み感がまったくない今夏でした。

 

来週には、北海道(17日旭川、18日札幌、19日函館)から横浜(23日・横浜高島台)までの1週間に及ぶ吟遊詩人のノマド的門付け的朗読&歌唱ライブが続きますので、今年は夏休み感ゼロですね。その間に、802回の比叡山登拝をし、山頂付近でバク転3回をし……、ヒルに咬まれて血だらけになりと、いやあ~、大車輪、バク宙連発みたいな連続ワザでござります。これも、嫌いでいやなことであれば、たいへんストレスフルでしょうが、そうならないのは、わが体内に流れるノマドフーテン芸能民の血なのでしょうね。

加えて、8月末には、上京して、下落合にある公益財団法人日本心霊科学協会で、「鎮魂帰神法と神道の理論について」と題する講演もしました。当協会は、大正12年(1923年)大本から出て「心霊研究会」を作った大本の元大幹部・浅野和三郎の流れを引き継いだ団体で、だいぶ前に亡くなった畏友梅原伸太郎さんが機関誌『心霊研究』の編集長を務めていた時期があり、ご縁が続いています。その後、本州最南端の和歌山県串本市の潮岬に移動し、樂園学会共同世話人の椚座信さんの案内で、潮岬の海に「原点海帰」したのですよ。緑のフンドシ一丁で。いやあ~、この潮岬の海のワイルドさと強烈さすばらしい! 台風到来の少し前だったし。風も強かった。

椚座信さんの提唱する「原点海帰」は、いのちの根源に立ち返ってそこからいのちのよろこぶ楽園づくりを実践していこうとする生命刷新運動です。生命回帰とも、生命再生とも言ってもいいですが、わたし流に言い換えれば、「楽しい世直し・心直し・身直し」ということになります。

以下、その時の潮岬の動画です。ファイル名:潮岬 身魂のリトリート 2022年8月29日
動画リンク:

潮岬は、昨年、椚座信さんさんたちと設立した「樂園学会」https://rakuengaku.square.site/ の大切な拠点になっていきます。樂園創造運動は、絶体絶命の今、楽園を研究するとともに創造していこうとする、一つの「世の立て替え立て直し」運動だと思っています。

また、8月28日付け徳島新聞朝刊に詩集とCD『絶体絶命』が以下のように紹介されました。

徳島新聞2022年8月28日(日)詩集・CD『絶体絶命』紹介記事

ところで、来年、2023年4月29日の昭和の日から、川崎市岡本太郎美術館を皮切りに、「顕神の夢」展を全国5ヶ所の公立美術館で、巡回展を開催していきます。以下の「要項」のような趣旨・内容・展示ですが、画期的な展覧会になると確信しています。そのこともあり、中心的な企画者の江尻潔さん(足利市立美術館次長・学芸員)や土方明司さん(川崎市岡本太郎美術館館長)たちとともに、一昨日と昨日、丹生川上神社下社と天河大辨財天社を参拝してきました。

動画リンク:https://youtu.be/kgDFWhLRNSo
ファイル名:「顕神の夢」展 天河詣で 2022年9月7日-8日

江尻潔さんが中心となって企画した2014年から2015年にかけて開催した「スサノヲ展」では、天河大辨財天社の大黒様(円空作)をお借りして展示しました。そのようなご縁もあり、芸術・芸能の女神でもある天河大辨財天社を参拝した次第です。3年ぶりで天河詣でをし、柿坂神酒之祐名誉宮司ともじっくり話ができて、ほんとうにうれしくも、ありがたくも、よかったです。

以下、現段階での「顕神の夢」展の開催要項です。開催のあかつきには、ぜひどこかで観てください。おもろく、かつインスパイア―されるとおもいます。

2022・2023年度公立美術館共同巡回展 「顕神の夢」開催要項

【趣旨】 非合理的で直接的な経験が表現者にとってかけがえのないモチベーションとなり得ることは確かです。それはある種の宗教的な体験に似ていますが、宗教以前のものであり、宗教のもととなる出来事とも解釈できます。 端的に言えば、自己を超えた、いわく言い難い「何か」へのあこがれや、思慕です。表現者たちはその「何か」をとらえるべく身を焦がす思いで制作します。それは、宗教の根幹をなす漠とした信仰心の発露ともいえます。しかし、描けば描くほど、作れば作るほど、その「何か」は、表現者の手からすり抜け別のものとなり替わってしまいます。そのため、彼らは向こうから「何か」がやってくるのを待つしかありません。
本展ではこのような心情を仮に「顕神の夢」と名付けてみました。 ときとして土俗的な印象を与える作品が出来(しゅったい)しますが、それは、近代化により捨象されず根強く残った心情の証しです。このような作品は既存の尺度では、測りえないものです。かといって、排除するわけにはいきません。現に作品は凄まじい力をもって迫ってきます。ならば、私たちは、作品にふさわしい尺度を学び、鍛えなければなりません。尺度がそぐえば作品は豊かな世界を開示してくれます。
また、このような観点から、いわゆるモダニズムの文脈でのみ解釈されていた作品を読み直すことも可能です。優れた作品はすべからく不可知の領域に根ざしていると思われます。
本展は、今までモダニズムの尺度により零れ落ち、また、十分に評価されなかった作品に光をあてる一方、すでに評価が定まった作品を、新たな、いわば「霊性の尺度」でもって測りなおすことにより、それらがもつ豊かな力を再発見、再認識する試みです。 設定した「霊性の尺度」は下記の五つです。

●見神者たち (神的なものとダイレクトな「交流」があり、制作した人たち)
出口王仁三郎、出口なお、岡本天明、金井南龍、宮川隆、三輪洸旗 ほか

●幻視の表現者(宗教的なビジョンあるいは幻視・幻覚を制作のモチベーションとした作家たち)
古賀春江、河野通勢、村山槐多、関根正二、萬鉄五郎、高橋忠彌、三輪田俊助、藤山ハン、芥川麟太郎、齋藤隆、庄司朝美、谷田穎郎、内田あぐり、花沢忍 ほか

●内的光を求めて(心に浮かんだ「幻」の素材である内的な光をそのまま表出した作家たち)
横尾龍彦、藤白尊、上田葉介、黒須信雄、橋本倫、石塚雅子ほか

●神・仏・魔を描く(既存の神仏に依拠した作品のほか、独自のビジョンによって感得した神仏の姿。得体のしれない「魔」も表現される)
円空、橋本平八、藤井達吉、長安右衛門、若林奮、秦テルオ、牧島如鳩、平野杏子、八島正明、石野守一、真島直子、佐々木誠、三宅一樹、吉原航平、黒川弘毅 ほか
●越境者たち(既存の世界を越境して常人とは別の視点からこの「世界」を改めて見直した作家たち)
宮沢賢治、岡本太郎、草間彌生、横尾忠則、舟越直木、OJUN、中園孔二、馬場まり子、赤木仁 ほか

【開催予定館】
川崎市岡本太郎美術館   2023年4月29日(土・祝)~6月25日(日)
足利市立美術館      2023年7月2日(日)~8月17日(木)
久留米市美術館      2023年8月26日(土)~10月15日(日)
町立久万美術館      2023年10月21日(土)~12月24日(日)
碧南市藤井達吉現代美術館 2024年1月5日(金)~2月25日(日)

【関連事業】講演会、学芸員解説など準備中。
【主催】各美術館など。
【後援】各地の新聞社、放送局など。
【助成】地域創造
【監修】鎌田東二(京都大学名誉教授)

【各開催館担当者】
川崎市岡本太郎美術館 館長:土方明司 学芸員:佐藤玲子、喜多春月 〒214-0032神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 足利市立美術館  次長 江尻 潔 〒326-0814栃木県足利市通2丁目14-7
久留米市美術館 〒839-0862 福岡県久留米市野中町1015
町立久万美術館 〒791-1205愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1442-7
碧南市藤井達吉現代美術館 〒447-0847愛知県碧南市音羽町1-1

また、本日、9月10日(土)13時から「ケアとアート」をテーマに、第87回身心変容技法研究会を開催しました。

第87回身心変容技法研究会
テーマ:「ケアとアート」 Zoom開催
日時:2022年9月10日(土)13時~17時
13時 開会あいさつ・趣旨説明・発表者紹介 鎌田東二・津城寛文(司会進行、10分)
13時10分~14時50分 三宅博子(国立音楽大学准教授・音楽療法研究)「ケアとアート~音楽療法を手がかりに」発表100分
14時40分~15時00分 (10分休憩)
15時00分~17時00分 (120分)
コメンテイター:阪上正巳(15分、国立音楽大学教授・精神医学・精神科医)
コメンテイター:里村生英(15分、上智大学グリーフケア研究所非常勤講師・ミュージックサナトロジー研究)
コメンテイター:三澤史明(15分、医師、ヒップホップ研究)
討議・意見交換 (60分)
司会進行・総括:鎌田東二・津城寛文(筑波大学名誉教授・宗教学)

講師の三宅博子さんの発表は、

1.はじめに:自己紹介(音楽療法の実践・研究に携わる道筋)
2.音楽療法を問い直す:コミュニティ音楽療法の視点から、音楽療法実践の自験例を詳しく紹介
3.アートとケアを問い直す:「東京迂回路研究」プロジェクトについて
4.おわりに:アート(音楽)と身心変容技法
と進められましたが、、雅楽の「越天楽」とか「五常楽」とかの楽曲への疑問から石笛や法螺貝の世界に入っていったわたしからすると、三宅博子さんの発表は、とても共感できる内容で、また彼女の提唱する「迂回路研究」には豊かな意味性と思想性と経験価値があると確信しました。また、コメンテーターの里村生英さんが指摘してくれた「ミュージック・サナトロジー(Music-thanatology)」の提唱者のシュローダー=シーカー(Schroeder-Sheker, Therese)が説いた「ファイン・チューニング」の問題も、とても重要だと思っています。

 

ところで、来月、10月1日から12日まで、京都府亀岡市の大本本部のみろく会館3階ラウンジで、須田郡司さんと写真展を行ないます。以下、須田郡司さんが書いてくれた案内文です。

<須田郡司・鎌田東二 写真展「東日本大震災10年の記録と巨石文化」を京都府亀岡市にある大本本部天恩郷 大本みろく会館3階ラウンジにて開催することになりご案内を送らせていただきます。10月2日(日)には、「自然災害と世の立て替え立て直しと芸術のちから」をテーマとしたトークイベントも行います。(参加無料)

鎌田さまとはこれまで、昨年12月のgallery5610(港区)、本年5月ギャラリー椋(金沢市)、本年7月沖縄県立博物館・美術館 県民ギャラリースタジオ(那覇市)、本年7月~8月ささえ愛よろずクリニック待合室(新潟市)などで合同写真展・トークイベントを続けております。今回の写真展は、本年最後の企画となります。みなさまのお越しを、心よりお待ち申し上げます。
令和4年9月1日 須田郡司拝>

須田郡司・鎌田東二 写真展
東日本大震災10年の記録と巨石文化
日時 令和4年10月1日(土)~12日(水)  9:30~16:30 入場無料
会場 大本本部天恩郷 大本みろく会館3階ラウンジ
京都府亀岡市荒塚町内丸1番地

トークイベント
「自然災害と世の立替え立直しと芸術のちから」
日時 10月2日(日)13:15~15:30 (開場:12:30~)  参加無料
会場 大本本部天恩郷 大本みろく会館3階ホール
出演 鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)、
須田郡司(巨石ハンター・写真家)
山田歌(大本本部総務部長)

※イベントについてのご予約・問合せはイベントページからお願い致します。
「自然災害と世の立替え立直しと芸術のちから」

 

また、先だって行なった「医療法人ささえ愛よろずクリニック10周年記念イベント」の一部の動画です。

ファイル名:医療法人ささえ愛よろずクリニック10周年記念イベント 2022年9月3日

また、KOWさんとの「絶体絶命~いのちのよみがえりLIVE」朝練風景です。

絶体絶命LIVE第2回リハーサル風景 2022年9月6日 「巡礼」「神ながらたまちはへませ」

https://youtu.be/2Jkw3o-fIvI

https://kamatatojiztzm.amebaownd.com/posts/37217831

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まだうまく自力では動画や写真を本ページに取り込むことができませんが、それはともかくも、この夏は全力疾走している感があります。かくして、8月から9月にかけて、神道ソングライター・フリーランス神主の現代の縁の行者の「吟遊詩人」はノマド的放牧の旅を続けていきます。そして、こんなことを50年前からやりたかったんだ~、とつくづくおもっております。学生時分、亡き母はわたしが将来どうなるか大変心配して、「人に笑われない立派な人間になってください。」と手紙を寄こしました。それに対してわたしは、「ヒトに笑われるリッパなニンゲンになるんだ!」と覚悟しました。そして、「犬も歩けば棒に当たる」人生=犬棒人生にして「捕らぬ狸の皮算用」人生=トラタヌ人生を歩みつづけています。道はいつまでも未完成であり、未熟なれど、笑いの中をあゆみたくおもっています。

Shinさんも、さまざまな重荷を背負って懸命に歩まれていると思いますが、どうか、時々はその重荷を横に置いて天翔ける時と場を持たれますよう、心から祈っております。それでは、次の満月まで、ごきげんよう。くれぐれも健康に留意しつつ八面六臂のご活躍をしてください。今年は動乱の年です。

2022年9月10日 鎌田東二拝