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シンとトニーのムーンサルトレター 第045信

第45信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか?わたしは、ずっと北九州におりましたが、4月21日から25日まではオーストラリアに行ってきました。その目的は、かの「世界最高の仕事」に応募するためです。そう、オーストラリアのクイーンズランド州観光局が用意した、同州にあるハミルトン島の管理人の仕事のことですね。ハミルトン島は、世界最大のサンゴ礁・グレートバリアリーフのリゾート地ですが、そこの管理人の仕事というのがなかなかの条件なのです。「100年に一度」といわれる世界同時不況の最中にあって、プール付きの日本円で約3億円の豪邸に、交通費などの諸経費の支給や旅行保険などが付くという待遇です。そして、給与は6カ月契約で15万オーストラリアドル(約1100万円)だというから驚きです。仕事の内容も、マリンスポーツなどを毎日体験して、ハミルトン島の魅力をブログに記し、毎月一回更新すること。それだけ。

 つまり、グレートバリアリーフの高級リゾートで半年遊んで、1000万円以上のお金が貰えるという実においしい仕事なのですね、これが!テレビなどでも大々的に報道されましたので、すっかり「世界最高の仕事」は有名になりましたが、ぜひハミルトン島の管理人に名乗りをあげようと思って、わざわざオーストラリアまで出向いたわけです。・・・・・というのは、もちろん冗談ですよ(笑)。ハミルトン島には15カ国16人の候補者が集められ、その中に日本人女性も一人いたことが話題になりましたが、結局は34歳の英国人男性ベン・サウソールさんが「世界最高の仕事」を射止めました。

 では、本当は何のために、わたしはオーストラリアに行ったのか?一足早いバカンス?残念ながら違います。じつは、「海洋葬」などの自然葬の視察、自然葬を提供する現地の会社との打ち合わせ、それにラジオ番組への出演などのためです。オーストラリアがハワイと並ぶ海洋葬のメッカだということをご存じでしょうか?海洋葬とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬のひとつですね。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざす弊社では、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。

グレートバリアリーフで

グレートバリアリーフでオーストラリアのラジオ番組に出演

オーストラリアのラジオ番組に出演
 今回はゴールドコーストに降り立ち、グレートバリアリーフのレディ・エリオット島にセスナ機で飛び、そこで海洋葬に立ち会いました。また、スプリング・ブルック国立公園では山中の小川で行なわれた散骨に立ち会いました。オーストラリアでの自然葬といえば、小説と映画で大ヒットした『世界の中心で、愛をさけぶ』が思い出されます。主人公の恋人が白血病で亡くなり、その遺灰がエアーズロック国立公園でまかれました。オーストラリアの先住民族であるアボリジニが「ウルル」と呼ぶエアーズロック国立公園も、スプリング・ブルック国立公園も、ともに世界遺産です。でも、残念ながら「セカチュー」の物語はあくまでフィクションであり、実際はエアーズロックで遺灰をまくことはできないようです。スプリング・ブルックなら可能ですが、それにしても「セカチュー」のように空中に散布するのではなく、あくまで小川にそっと流すというのが基本です。

 小川は、いずれ海に流れ込みます。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ!わたしは、月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです!そもそも、「死」というものの本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。

 それにしても、「海に散骨すれば、世界中で供養できる」という考え方は非常に重要ではないでしょうか。わたしは、今秋刊行予定の拙著『ハートフル・ファンタジー(仮)』(三五館)の内容を思い浮かべました。アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリの四人のファンタジー・クリエイターについての本ですが、その冒頭には、イソップ、グリム、アンデルセンのいわゆる「世界の三大童話」が登場します。動物寓話であるイソップは置いておくとして、同じ童話として扱われるグリム童話集とアンデルセン童話集は根本において性格が違います。グリム童話はあくまで民族のあいだで語り継がれてきたものであり、アンデルセン童話とは一人のファンタジー作家による創作だからです。ルドルフ・シュタイナーは、メルヘンの中には「全人類の、小宇宙そして大宇宙の霊が生きている」と、著書『メルヘン論』で述べています。彼によれば、グリムこそが真のメルヘンであり、アンデルセンは単なるファンタジーだということになります。きっと、グリム童話のほうがアンデルセン童話よりもずっと価値があると述べるかもしれません。

 しかし、わたしはそうは思いません。たしかに最近の児童文学やヒロイック・ファンタジーに見られるような陳腐な作品は、メルヘンの足もとにも及びませんが、アンデルセンは別です。『人魚姫』や『マッチ売りの少女』に代表される彼の童話には、シュタイナーのいうメルヘンの要素があると思います。メーテルリンクの『青い鳥』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』も同様です。すなわち、彼らのファンタジー作品には、メルヘンのように「全人類の、小宇宙そして大宇宙の霊が生きている」のです。ユングはすべての人類の心の底には、共通の「集合的無意識」が流れていると主張しましたが、四人の魂はおそらく人類の集合的無意識とアクセスしていたのだと思います。

 ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包している。このイメージこそは、メルヘンは人類にとって普遍的であるとするシュタイナーの思想そのものです。

 人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。

 人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと、わたしは考えます。

 さらに、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の開始宣言ではないかと思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。

 それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです!そんなことをグレートバリアリーフでの海洋葬に立会いながら考えました。太平洋という「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、葬送という行為もまたファンタジーなのだと思い至りました。

 さて、グレートバリアリーフでは、スノーケリングも楽しみました。「海洋葬の後に不謹慎な!」などと思わないで下さい。海洋葬の参加者は、ほとんどの方がオプションとしてスノーケリングを体験し、故人の遺灰を流した海を体感されているのです。わたしもウェットスーツに身を包み、あきれるほど綺麗な海に潜って、マンタやウミガメと一緒に泳ぎました。水中メガネ越しに広がる光景は、まことに絶景でした。

 グレートバリアリーフを満喫した翌日は、ブリスベンにあるラジオ局でインタビュー番組に出演、およそ2時間にわたって「人間にとって葬儀とは何か」をテーマに話をしました。「死は決して不幸な出来事ではない」「死んでも、また会える」、そして「月を見よ、死を想え」と訴え、ムーンハートピア構想による世界平和について語ったところ、パーソナリティの日本人女性が感動して泣き出すというハプニングもありました。ここでも、わたしは「一番小さな海」を目にすることができたのです。日本とオーストラリアには、太平洋戦争における不幸な歴史がありました。でも、死者の魂を導き、遺された者の悲しみを癒す満月は、グレートバリアリーフにも日本の夜空にも浮かびます。わたしは、これからも月を見上げながら「天下布礼」の道を歩みたいと願いました。ちなみに、このラジオ番組は世界52カ国で放送され、日本でもインターネットで聴くことができるそうです。

 さて、「礼」といえば「楽」が切り離せませんが、世界最古の管楽器であるディジュリドゥをゴールドコーストのアボリジニ・アート店で求めました。サイケデリックなトカゲが筒に描かれたものを大小二本購入し、大きいほうは会社の社長室、小さいほうは自宅の書斎に置いています。まだ上手に吹けませんが、そのうち練習して、満月の夜にでもディジュリドゥの神秘的な大地の調べを吹き鳴らし、時空を歪めて「ドリームタイム」を体験したいと願っています。いつか、Tonyさんの龍笛と共演できれば最高ですね!

 最後に、今夜は見事な満月ですが、実はわたしの誕生日でもあります。奇しくも今日は「母の日」と重なりましたが、46年前の5月10日もちょうど「母の日」でした。そう、わたしも46歳になりました。なんだか信じられないような気分ですが、なにより感慨深いのは45歳で自らの命を絶った三島由紀夫の享年を越えてしまったこと。わたしは高校時代から大の三島ファンでしたが、45年間であれだけの作品を残し、多くの人々の心に強烈な記憶を残した彼は本当に凄いと思います。わたしは、いまだ志も果たせずに情けないかぎりですが、決して焦らないことにしましょう。バルコニーで檄を絶叫する代わりにディジュリドゥでも吹いて、自分なりの「世直し」の道を歩みたいと思います。Tonyさん、今後とも御指導下さい。それでは、次の満月まで、オルボワール!

2009年5月10日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、5月10日、誕生日おめでとうございます。そうですか。46歳ですか。ちょうどわたしとは一回り年が違うのですね。わたしは46歳のときに「神道ソングライター」として歌を歌い始めました。それは、酒鬼薔薇事件を起こした子供たちに向かってどういう向き合い方をしたらいいのかという衝動から生まれてきた行動でした。最初はみんなに奇異に見られ、バカにされ、呆れられました。しかし、わたしはそれにもめげず歌い続けました。どこか、必死だったのです。何かをかなぐり捨てる思いがありました。Shinさんもこれから新たに始まるステージに入っていくのかもしれませんね。

 さて、今回、5月10日の夜にShinさんへの返事を書き始めて、そのファイルを消失してしまいました。どこへ行ったのかと探し回っているうちに10日も過ぎてしまいました。そして、本日、先ほど、そのファイルを見つけ、続きを書き始めたのです。本当に遅くなってごめんなさい。この間、わたしのほうにもいろいろとあり、あっという間に慌しく過ぎていきました。

 Shinさんのレターを読んでいると、いつも「葬儀」や「儀礼」や「死」のことに真剣に向き合い、それと向き合うことの誇りと矜持を感じ、頼もしく思います。わたしは生まれたときから、いわゆる見えないモノとは何か、見えるということはどういうことか、ということから始まり、いつしか神話や儀礼や哲学、宗教に関心を持つようになりました。そしてそれを探究しています。

 先日、パリ第5大学から京都大学こころの未来研究センターに来ているデビッド・ハンセル教授がわたしの研究室を訪ねて来てくれました。ハンセル教授はバリバリの物理学者で、特に前頭葉のワーキングメモリーのメカニズムを解析している第一線の研究者です。そのハンセル先生がなぜわたしのところに来たかというと、彼がわたしが宗教を研究しているということを知って、日本の宗教について、とりわけ「カミ」の概念について議論しに来たのでした。ハンセル教授は大変熱心なユダヤ教徒なので、おそらく比較文化・比較宗教学的な興味もあって、神論議にやってきたのです。

 1時間ほど話をしている間に、わたしはたまげてしまう場面に遭遇しました。それは、ヘンセル教授が「ユダヤ教は一種の無神論だ」と言った言葉に驚いたことから始まります。というのも、常識的には、ユダヤ教は「唯一神教(一神教)」で、もちろん無神論の宗教ではありません。宗教史や宗教学の教科書に、どこにも「ユダヤ教は無神論の<宗教>である」などと書いているわけではありません。

 ところが、ハンセル教授はテキスト的な常識を根っこからひっくり返すようなことをズバリ主張したのです。「えっ、どういうこと?」 それは、無限と超越という概念に関係します。ユダヤ教もキリスト教もイスラームも、神の無限性を説いています。神は無限なり、そしてこの有限なる宇宙・自然・物質世界を創造するとともに、それを超越していると。神は本質的に有限性を「ビヨンド」しているのだと。

 このビヨンド、トランス、超越、無限は突き詰めると、「絶対に語ることができない事態である」と言うのです。それは、話すことができない、考えることもできない、イメージすることもできない。したがって、神=Godとは、“No Image”であり、“No concept”とならざるをえないというのです。その“超越絶対性”が「無神論」という表現を呼び出す「神観」の正体でした。

 それを聞いて、「すごいなあ、ここまで突き詰めるのは」としんそこ思いました。これは、否定神学とか、バタイユの「非‐知」の概念とも通じると思います。神に近づくためには否定と非−知の回路を迂回するしかないという絶対不可能な可能接近法、というパラドックス。

 ハンセル教授の生い立ちをよく聞くと、彼はユダヤ教神秘主義のカバリストであるということがわかりました。そこでわたしは、かつて、荒俣宏さんたちと一緒に作った『世界神秘学事典』(平河出版社、1981年)を引っ張り出してきて、「エン・ソフ」の図とカバラの「生命の樹」の図を出しました。すると、驚いたことに、彼の眼の色が変わってきたのです。そして、エンソフの図や、10のセフィロトの中の第6のティファレット(美)の部分を指差して、このティファレットを通してわたしたちはビヨンドする無限の神=エンソフにつながっているというのです。

 ハンセル教授はカバラを20歳くらいからお父さんに学んだそうですが、それはたいへん幾何学的・数学的・哲学的でとてもとても難しかったといいます。ルービック・キュービックですかね、立体模型の形態を崩しながら色合わせをしていくという遊びがありますね。たとえば、セフィロトなどの図形がさまざまに変幻するさまを彼は構造的に、幾何学的に理解していったようです。そんなカバラの思考訓練というか瞑想に較べると、脳科学はかなり単純な論理とメカニズムに見えるのではないでしょうか。もちろん、それを実証していくことはたやすいことではありませんが……。

 わたしは、ハンセル教授に神道の「カミ」概念や「ムスビ」の概念を説明しましたが、『古事記』冒頭の「ムスビ」の神のはたらきは、考えようによってはエン・ソフから10のセフィロトに展開する流出(emanation)の生成力と重ね合わせることができるかもしれないなどとも思いました。密教や神秘主義の論理や構造は世界中で共通した構造があることをイスラーム学者の井筒俊彦氏が『意識の本質』や『イスラム神秘主義』など、いろいろな著作の中で指摘していますが、それは神道のカミ概念とも通じるところがあるとわたしは思ったのでした。そして、イスラーム神秘主義のスーフィストの友人ラシッドさんと気が合うことの理由を改めて認識したのでした。

 ところで、4月22日からこころの未来研究センターで、ワザ学研究プロジェクトの分科会として、「世阿弥・風姿花伝研究会」をスタートしました。大学生のころ、わたしは「音楽美学」について論文を書いたことがあって、その中で、世阿弥の『風姿花伝』や武満徹の『音、沈黙と測りあえるほどに』や、ジョン・ケージや海童道の音楽世界を取り上げて考察したのでした。若いころから世阿弥はわたしにとって一人の大切な先達でした。

 加えて、1990年ころより、石笛を吹くようになり、それが能管の源流だと直感し、能の囃子(音楽)の独創性のルーツに関心を持ち始めます。そして、世阿弥さんが、脳囃子のような奇妙奇天烈な音楽をどの程度創造したのかに、俄然興味を抱き始めたのです。この不思議な神秘的な音はどこから来たのでしょうか? その謎を解明したいと思うようになったのです。

 わたしは、石笛が能管の起源であるという上山春平氏や広瀬量平氏の主張を支持しています。そして実際に、NHKホールでの能の上演の際に、能管師の一曾氏と共に、能管と石笛を交互に吹き比べてみて、その音や響きの類似性や共通性を確認しました。また、能管だけでなく、能囃子の大皮=大鼓、小鼓、掛け声も実に独創性ですね。ほんとに。

 以前のレターにも書きましたが、毎年12月17日に行われる春日大社若宮おんまつりでは東遊、田楽、細男の舞、猿楽、舞楽、和舞、神楽式などが奉納演舞されますが、この「細男(せいのう)の舞」が実は猿楽の起源の一つではないかと考えています。世阿弥も『風姿花伝』第四神儀篇の中で、アメノウズメの神楽と細男の舞が申楽の起源であると書いていますからね。

 この細男の舞は能の原型と言われる翁舞の前に舞われるのです。そして、この細男の舞は磯良舞とかくぐつの舞とも言われ、顔面を白い絹布を垂らして覆うという、まことに不思議な神秘的な呪術的な舞なのです。6人で現れ、2人の笛師が突拍子もなくはずれたような単音を吹き鳴らし、後の2人は腰のあたりに鼓を掛けて舞います。袖で顔を隠す所作とか、両手を前に出して歩く所作とか、体を折りたたむようにひれ伏す所作とか、隼人舞と同ルーツと言われるものですが、あまりに呪術的かつアヴァンギャルドで、度肝を抜かれました。以来わたしは、この「細男舞」に心奪われ、これこそが申楽のルーツではないかと考えているのです。

 世阿弥は、『風姿花伝』第二の章題を「物学」と題しています。そしてそれを、「ものまね」と訓んでいます。世阿弥は、「老人の物まね、この道の奥義なり」などと言っていますが、「物学=ものまね」とは、存在のさまざまなかたちを学び(真似び)取る、一つの実践的存在論かつボディワーク的パフォーマンスですね。

 「物学」の章に「物狂」の項がありますが、「この道の、第一の面白尽くの芸能なり」と「物狂」の「面白」さを強調し、「物狂ひは、憑物の本意を狂ふといふ」、「神/およそ、この物まねは、鬼がかりなり」、「鬼/これ、殊更、大和の物なり。一大事なり。およそ、怨霊、憑物などの鬼は、面白き便りあればやすし」と述べています。

 世阿弥は、「物狂」が「面白尽くの芸能」で、「憑物」のことだと主張しています。「憑物」。霊的な存在が乗り移ってくること。「霊」が乗り移ってきて、自分を乗っ取り、別人格になってしまうこと。そのような、自己の変幻・変態・変容のさまを演じることが「面白尽く」なのです。そしてこの「物狂」の奥儀が、「直面」で舞う「物狂」であるというのです。

 トランス、エクスタシー、憑依。そんな意識と身体の位相にもっとも戦略的に分け入っていったのが世阿弥さんだったのですよ。

 ところで、5月24日(日)の13時より京都造形芸術大学の402教室で、本年度第1回目のモノ学研究会をワザ学研究会との共催で開催しますので、お時間がありましたがぜひ参加して討議に加わってください。一つの話題は、南方熊楠の「物・事・心」の問題が焦点になります。そして、もう一つは、1960年代後半に「もの派」を始めたアーティスト関根伸夫さんの発表となります。詳細は以下のとおりです。

2009年度第1回モノ学・感覚価値研究会・ワザ学研究会
日時:2009年5月24日(日)13時〜18時
場所:京都造形芸術大学人間館402教室
発表者:
橋爪博幸(桐生大学専任講師・南方熊楠研究、京都大学人間・環境学博士)「南方熊楠における物と事と心」
関根伸夫(美術家・アーティスト・環境美術研究所)「もの派の活動とアート」

 興味とお時間がありましたら、ぜひご参加ください。そしてまたゆっくりとお話したいものです。またお会いしましょう!

2009年5月19日 鎌田東二拝