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シンとトニーのムーンサルトレター 第026信

第26信

鎌田東二ことTonyさま

 すっかり秋めいて、涼しくなってきました。この1ヵ月の間に、実にさまざまなことがありましたね。わたしの好物である赤福の不正出荷問題、および、厚生労働省と製薬会社によるC型肝炎感染者リスト問題には暗澹たる気分になりました。もともと、「食」や「薬」などの生命に関わる分野は、利益を追求する資本主義には馴染まないのかもしれません。

 また21日未明には、比叡山中の明王堂で最難関荒行とされる「堂入り」が達成されました。延暦寺大乗院の星野円道住職が戦後12人目の達成者となりましたが、9日間連続で寝ず、食べず、飲まず、横にならず、ひたすら不動真言を唱え続けるというのですから、すさまじいかぎりです。21世紀に達成された「生き葬式」には大いに驚かされました。

 他に驚いたニュースとしては、アル・ゴアのノーベル平和賞受賞がありました。「不都合な真実」の出版と映画における地球温暖化防止キャンペーンが評価されたということです。英国の裁判所が「不都合な真実」の内容に9つの間違いがあるとの判決を下したとか、ゴアの自宅の電気代は平均な家庭の20倍だとか、時期大統領を狙っての自己宣伝臭が強いだとか、他にもいろいろと言われてはいますが、地球環境問題を広く意識づけた功績はやはり大だと思います。少なくとも、次々と戦争をやりたがる現大統領よりはマシでしょう。

 前回のレターにも書きましたが、わたしは、人類の問題とはつまるところ「戦争」と「環境破壊」の二つに集約されると考えています。そして、その二つの問題は「水を大切にする」という一つの考え方に最終的には行き着くと思っています。この世界も生命も水から生まれました。戦争を引き起こす心も、環境を破壊する心も、結局は水を大切にしない心に通じるのではないでしょうか。「平和」と「環境」の問題は別個ではなく、完全につながっているのです。いま、地球上には広島に落とされた原子爆弾の40万個に相当する核兵器が存在するといいます。また、地球温暖化をはじめとした環境問題は深刻化する一方です。しかし、二つの問題の解決への糸口とは、「水を大切にする」という一つの思想に他ならないという想いが日々強くなっています。

 ユニセフによれば、毎日4100人の子どもたちが汚れた水が原因で命を落としているそうです。人類が生きる上で最も必要なものとは清潔な水なのです。そして、近い将来には深刻な水不足が予想され、水を奪い合う戦争が起こると言われています。現在は石油をめぐって人間の血が流れていますが、いずれ水をめぐって人間の血が流れるのでしょうか。

 清潔な水を守るのは森です。ひたすら森を破壊してきた一神教の文明圏では、水が汚染され、ミネラル・ウォーターしか飲めないという事態を招いています。日本でも以前に比べれば水が汚れてきたとはいえ、まだまだ飲める自然水が豊富に残されています。これは日本が森の国であったからであり、神道の国であったからだと思います。南方熊楠が神社合祀令に猛烈に反対したように、日本の水を守ってきたのは森であり、森を守ってきたのは神社なのです。世界でも水が清潔なことで知られる国・日本には聖徳太子という聖人がいます。Tonyさんが言われるように「神仏儒習合思想のファウンダー」だった聖徳太子は、自らが心酔する仏教一色で日本人の心を塗り込まず、あえて神祇信仰を残しました。その背景には、神道こそが日本の水を守る、つまり、日本人の心を守るのだという太子の直感=未来予測があったように思えてなりません。聖徳太子は、ムハンマドと同時代に生まれ、その性格の中にブッダ、孔子、老子、イエスの面影を宿す究極の融合聖人です。自然界の水の精である龍は融合動物ですが、聖徳太子こそは聖人の龍なのだと思います。

 聖徳太子が実在したとか実在しなかったとかの問題ですが、わたしはそんなことはどうでもよいと思っています。今年の春に法隆寺の夢殿を訪れたときも、「本当におはしましたか知らねども かの聖人を拝むほかなし」との歌を詠みました。Tonyさんは、『聖徳太子の幻像と実像』(大和書房)所収の「聖徳太子の原像とその信仰」において、聖徳太子は、仏教にせよ神仏習合ないし神儒仏習合にせよ、それらの思想的源流に位置づけられ、確認され続けてきたとされていますね。いわば「ええとこどり」や「あれも、これも」といった日本的思考のモデルとしての役割を聖徳太子は与えられ続けてきたのですね。そして、「聖徳太子はユングがいう集合的無意識の元型としての老賢者のような、日本人の集合的無意識の元型ともいえるであろう」と、Tonyさんは述べられています。

 たしかに聖徳太子は集合的無意識の元型であると、わたしも思います。しかし、それは日本人のみならず、人類全体にとっても当てはまるように思います。聖徳太子という存在自体が大いなる意味を秘めた人類への暗号のような気がするのです。聖徳太子のようにあらゆる宗教を平和的に融合・習合させてくれればよいと思っている人々は世界中に少なくないはずです。また、ブッダや孔子や老子やイエスの性格を併せ持った超聖人が実在すれば素晴らしいと夢想する人々も多いでしょう。その意味で、聖徳太子とは「夢の聖人」「理想の聖人」であり、それゆえに、人類の集合的無意識の元型ではないでしょうか。

 聖人たちとは、「いのち」のシンボルである水の精だと思います。彼らは巨大文明誕生の背景となった大河から生まれてきました。大事なことは、河は必ず海に流れ込むということ。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。

 チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出る。人類も宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、その心が水の精である聖人を求めているならば、いつかは河の流れとなって大海で合流しないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。

 そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングの集合的無意識の本質であると、わたしは考えます。人類の心の底で、あらゆる聖人たち、あらゆる宗教がつながっていることを聖徳太子という暗号が示しているように思えてならないのです。

 同じように龍も暗号です。さまざまな文明のトーテムが融合した龍とは、諸文明が「衝突」ではなく「共生」あるいは「融合」できるというメッセージが込められているのではないでしょうか。そんなことを考えていたとき、書店で奇妙な本を目にしました。デーヴィッド・アイクというイギリス人が書いた『竜であり蛇であるわれらが神々』(徳間書店)という、上下巻で1000ページにもなる大著です。「超知ライブラリー」なるオカルト・シリーズの一冊で、その中には『フォトンベルトと日月神示』とか『竹内文書と月の先住宇宙人』などの書名も見えます。わたしは20代くらいまではこの手のオカルト本を貪るように読み漁ったものですが、現在はなるべく読まないようにしています。現実の世界観に過度の影響を受けるのを防ぐためです。それゆえ警戒しながらも、タイトルがあまりに今のわたしの問題意識にヒットしたため、早速購入し、一気に読みました。

 帯のコピーを紹介しますと、上巻が「ムー、レムリア、アトランティスの文明を破壊し、記録から消し去った歴史の操作者は、レプティリアン(爬虫類人)である!」、下巻が「秘密結社イルミナティを使って、世界の金融・メディア・軍産複合体をマニュピュレートしているのは、レプティリアン(爬虫類人)!」です。これで、だいたいの本の内容が想像できると思います。サブタイトルは「人類の起源と闇の一族レプティリアンの血統」です。

 本書の巻末にあるプロフィールによれば、著者のデーヴィッド・アイクは1952年に英国のレイチェスター生まれ。サッカー選手やテレビのキャスターとして活躍した後、エコロジー運動に強い関心を持ち、英国みどりの党の全国スポークスマンに任命されています。一方で精神的・霊的な世界に目覚めた彼はエコロジー運動の背後に潜む国際金融寡頭権力の存在を発見し、この権力が世界の人々を操作・支配している事実に直面したとのこと。膨大な量の情報収集と精微な調査・研究により、国際金融寡頭権力の背後にうごめく「爬虫類人・爬虫類型異星人」の存在と彼らのアジェンダ(計画)に辿りつき、自らの危険を冒して「この世の真相」を世間に訴え続けているというのです。

 もちろん、素直には信じられません。まことにアンビリーバブルな内容ですが、エンターテインメントとして読めば、非常に面白いです。最近では、明治天皇替え玉説をテーマにした加治将一著『幕末維新の暗号』(祥伝社)以来の面白さでした。ちなみにアイクをモデルにしたような映画がジョン・カーペンターの「ゼイリブ」です。地球侵略を進める(爬虫類型?)エイリアンの正体を知った主人公が抵抗運動に参加するというストーリーです。

 エイリアンによる地球侵略といえば、現在公開中の「インベージョン」を観ました。ジャック・フィニィの古典SF「盗まれた街」の4度目の映画化で、二コール・キッドマンが主演しています。以前、Tonyさんと一緒に観た心霊映画「アザーズ」の主演女優です。彼女の元夫のトム・クルーズ主演で、やはりH・G・ウェルズの古典SFを再映画化した「宇宙戦争」と対にして観ると、なかなか興味深いものがあります。まだ観ていない人のために結末を明かすことは控えますが、「宇宙戦争」も「インベージョン」もともに、ウィルス、細菌、微生物といった存在が人類存続の鍵を握るところが共通していました。

 わたしも最近の朝夕の冷え込みでちょっと風邪気味なので、風邪のウィルスにやられないように気をつけます。Tonyさんとは、11月3日の京都造形芸術大学の「地域文化演習」でお会いできますね。心より楽しみにしております。それでは、ごきげんよう!

2007年10月24日 一条真也拝

一条真也ことShinさま

 確かに、世の動きはあいも変わらず、しっちゃかめっちゃかでんな〜。どうしようもおまへん。そんな中、世の動きに逆行するかのような、不動心の権化のような、星野圓道さんの9日間の堂入り行満、実に快挙です。やるな〜、星野はん。この反時代性、超時代性がええぞな。さすが、12年間の籠山行をセットアップした最澄さんの開いた比叡山や。お見事!

 おらもむかしむかし、今は昔となりにけりだけど、正味1週間(7日間)の完全断食(水も飲まない)をやったことがありやんした。4日目に心臓に激痛が走って死にそうになったけど。21歳の時やったかなあ。あっし、昔から無謀だったんでやンス。どうしようもない、お馬鹿さんだったんでやンス。

 堂入りは9日間にわたりますが、断食の期間は正味7日半のようですね。わが経験からすると、そのあたりまでは限界でも何とか持ちこたえられそうに思います。でも、不眠・不臥で、不動明王の真言を10万回唱えるというのはすごいことです。きついというか。往っちゃう、というか。どこへ往くかわからへんよ。

 この変転極まりない不確かな時代に、わたしもよく行く比叡山の無動寺の不動明王堂で断食・真言行に励んでいた不動明王のお弟子さんはえらいわ。回峰行というのは、なかなかのものです。よくできていると思う。行として、心として、たましいとして。そして、身体として。Shinさんの言う「水を大切にする」ことは、水を飲まない完全断食をした時、本当に身に沁みてよくわかると思います。水がいのちの源、泉であることが、ほんま、ようわかるんや……。

 わたしは、1週間断食の時、毎朝夕、水垢離を取り、星に、天に祈り、毎朝、パンツ1枚になって写真を撮り(使用前・使用後の証拠写真のように)、普段より熱心に毎日大学に通いました。東横線の横浜駅の一つ隣の反町駅から渋谷駅まで通い、階段も手すりにつかまり、やっとこさ、這って上がるような状態で。今は、日蓮宗の中山大荒行堂遠壽院傳師(住職)をしている親友の同級生だった戸田日晨君が「鎌田君、死臭を発してるよ。」と言ったのが忘れられません。確かに、顔は土色、痩せこけて、当時51キロくらいだった体重が1週間で41キロくらいまで激減して、ほんま、あぶなかった……。死にかけたのです。いや、死んでもおかしいなかったなあ。読者の皆さんはそんなあぶないことをしたら、ぜったい、あかんで〜。健康を大事にしてな。Shinさんも。いのちあるかぎり、長生きしようよ。この世での務めをきちんと果たし、いいことして死んでいこうよ。

 この前、新月の頃、夜、東山を歩いたのです。大学から瓜生山を通って曼衆院まで(詳しくは、http://homepage2.nifty.com/mono-gaku/)、なんか、その時、臨死体験のトンネル体験をしてるようなふしぎなきもちになって。なんともいえんやすらかなこころもちやった。満月はうつくしいけど、新月はきよらかや。なにもないっていうのは、すごいことやなあ、と思うた。光がないっていうのは。それでも、無い中で、見えない光を見ようとするんやなア、これが。それがたましいの世界の光なんや。そんなこと思いながら、歩いとった。

 歩くということはやさしさを深めてくれるね。そして、自分の小ささをしっかりと見せてくれるね。いと小さき自分。それが剥き出しになる。でも、そこが味噌や。大事なとこや。自分を大きく見せようなんて、せこいこと考え始めたら、ニンゲン、まちがいなく堕落する。でも、いと小さき自分でもありがたいなあと思うたら、どうぶつやしょくぶつたちが偉く見えて、みなに感謝できる。それは、ほんまにありがたいこっちゃ。ニンゲンさまが特別やみたいな、ニンゲン肥大症が、やっぱ、元凶じゃありませんか。慢、それが、悪なのかも。

 9月29日の土曜日に故郷の徳島の阿南市見能林町の八幡さんの林崎農村舞台で、「農村舞台と地域芸術の再生」という基調講演をしました。実は、阿波の国徳島県は、全国一農村舞台の多いとこやったんです。なぜかというと、阿波の人形浄瑠璃があちこちの農村舞台で行われたから。淡路島と阿波(これはともに阿波の国だったけど、明治の廃藩置県で淡路島は兵庫県に入ってしもた)は人形浄瑠璃のメッカやったんです。

 わたしが「神道ソングライター」なんてもんになっちゃったんは、やっぱし、阿波の血が流れているからかもしれません。「踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らな損損!」という囃子もだけど、「ととさんの名は、阿波の十郎兵衛ともうします」という阿波人形浄瑠璃道も、阿波に住んでいたら、身に染みてくるかも。

 ともかく、地域の生活芸能・芸術として、人形浄瑠璃というとても身近で切実でリアルでもののあはれな文化があった。人形というのは、生身の人間でない分、純粋に抽象化され抽出されたニンゲンのリアルな本性が出てくる。そして、浄瑠璃……。じつに、ええネーミングですねえ。浄らかなる瑠璃のヒトガタと声。それは近世的な鎮魂のわざをぎだったんか、と思います。

 ところで、Shinさんは映画好きですね。わたしもたいへんな映画好きです。演劇は生身の感覚が好きでないけど、文楽のような、人形浄瑠璃なんかは、すごいなあと思いますし、能面を被る能もすごいなあと思います。

 ところで、最近、ギレルモ・デル・トロ監督作品の「パンズ・ラビリンス」(Pan’s Labyrinth)というスペイン映画を見ました。有楽町で。ロードショー初日に。1944年、ファシスト政権下のスペインが舞台で、主人公は10歳位の少女オフェーリア。この女の子が実は地底の妖精王の娘、つまり妖精王女だったのですが、ニンゲン界に興味を抱き、人間世界に入っていって戻れなくなってしまった。妖精王の父と母もずっとわが子を待っていたのだけど、何時までたっても帰ってこない。でも、帰り道をあちこちに用意した。それがラビリンス、すなわち迷宮回路だったのです。

 この少女の母親は妊娠しているんだけど、とんでもない差別主義者のファシスト軍人と再婚するんです。なんで、こんな男と再婚せなあかんのか、理解にくるしむ。ともかく、そんなことで、女の子には義理の父親ができるのやが、どうしても好きになれない。大嫌いなのです、この継父のヒダル大佐が。当然だよね。

 あらすじを書くつもりはないけど、またそれほど感動したわけではないけど、やはりというかやはりと思ったのは、このニンゲン界に迷い込んだ元妖精の女の子が、元の妖精の世界に戻ることができるのは、満月の晩だったということですね。女の子は昆虫の形の妖精に導かれて古い遺跡の迷宮に入って行きます。そしてそこで、パン=牧羊神に会って、自分が地下の国の王女であったことを告げられるのです。パンは少女オフェーリアが王女として地底の国に戻るためには、満月の晩までに三つの試練=課題解かなければならないと言うのです。

「パンズ・ラビリンス」(Pan's Labyrinth)

 まあ、「ととさんの名は、地底の国のジュウロベエ王と言うのです」というこっちゃ。これを人形浄瑠璃でやったらどうでっしゃろな。よりファンタジーが生きたんじゃないかな。実写映画よりアニメとか人形とかの方がいいかも。ファンタジーは。昔、宮沢賢治についての映画をほぼ全部見たけど、実写映画は耐えられんかった。一番よかったのは、何と言っても、あのマクロスの監督・河森正治さんの作った『KENJIの春』やった。これは100回くらい見てるけど、何回みても素晴らしい! 優れている! 凄い! 『となりのトトロ』と『KENJIの春』は双璧や。まあ、わたしは『風の谷のナウシカ』がほんとは好きやけど。作品としては『となりのトトロ』が完璧というか、最高傑作やトおもうんだなあ。

 ともかく、満月の夜、彼女は終に自分の故郷に還っていくことができた……。みずからのいのちとひきかえに……。

 さてさて、トトロと言えば、11月23日(金)18時30分から、京都大学北部(理学部・農学部)祭典という大学祭で、「神道ソングライター」として出演します。主催は京大植物園まつりで、場所は特設ステージとか。京大植物園まつりの催しらしく、このライヴ&トークショー『森のヌシガミに捧ぐ』というタイトルなんよ。「森のヌシ神」って、「トトロ」のことやんか。ええなあ、そんな「ヌシ神」さんに捧げる歌を歌えるなんて。今から楽しみです(詳しくは、京大植物園まつりのホームーページをご覧ください。アドレスは、次のとおり。http://blog.goo.ne.jp/bgfanclub/e/066d9807cd7b71b1ee6723d7ad3d8e90

 また、11月8日(木)の夜には、愛媛県松山の松山市民会館で住友生命健康財団主催の「スミセイライフフォーラム 生きる」という催しのナビゲイターをやるんやけど、今回のゲスト基調講演者は、この前のShinさんのレターに書いてあった「千の風になって」の作者の新井満さん。テーマは「生きてゆく言葉」。そして、わたしとの対談テーマは「ことだま談義」。新井さんは5曲ほど歌うようです。わたしも、松山市三番町で「もつなべ てんじん」という店をやっていて去年肺癌で56歳という若さで行ってしまった親友戸田克文君への追悼歌「さよならは言わない」を1曲だけ歌わせてもらいます。ぜひ戸田夫人や、大学生の二人の息子にも聞いてもらいたいと思っています。一世一代の絶唱になるかも。

 戸田克文君とは18歳の時に出会って、大阪の心斎橋で1970年6月に『ロックンロール神話考』という芝居をまる1ヶ月上演したのです。その芝居は、作演出をわたしが、戸田が作曲と音楽監督を担当したのです。彼は、一時、中川五郎ともバンドを組んでいました。「中川五郎とヴァギナファック」というまっこと妖しいバンド名でしたが……。

 ともあれその曲の歌詞は、以下の通りなのです。

神道ソング『さよならは言わない』 2006年11月7日(198曲目)

いつのまにか消えていった
君の後姿も
涙で見えなくなる
遥か遠い想い出よ

青い空に投げた ボールが
吸い込まれていった あの日
戻ることはない 街角を
君は走って 駆け抜けた

思い出があふれる
面影が揺れる

いつまでもいると思っていた
二人が交した約束も
見上げた星の輝きも
忘れたことはない いつも

降り注いできた嵐を
逃げることなく受け止めて
激しい怒涛の渦巻く中
笑いながら 君は逝った

思い出があふれる
面影が揺れる
さよならは言わない
さよならは言えない
思い出があふれる
面影に暮れる

 そんなこんなで、11月は歌う機会があります。そして、12月1日(土)にも、シンガソングライターのKOWさんとの対決ライブ第3ラウンドを行います。機会がありましたら、またぜひ聴きに来てください。でもその前に、小倉でお会いできますね。再会を楽しみにしています。それまで、オルボワール!

2007年10月25日 鎌田東二拝