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シンとトニーのムーンサルトレター 第033信

第33信

鎌田東二ことTonyさま

前回のレターを読んで、Tonyさんの御多忙ぶりに驚いています。本当に怒涛のような日々を過ごしておられたのですね。わたしも4月から北陸大学の客員教授になりましたが、本業のほうでも、このたび冠婚葬祭互助会の全国団体である全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の副会長に就任するはこびとなりました。さらに出張など増えることと思われますが、Tonyさんに負けずに、楽しみながら頑張りたいと存じます。

さて前回のレターには、心理学者のジェームズ・ヒルマン氏が登場していましたね。当社の松柏園ホテル内に、オリュンポス12神像を配したガーデンがあることはTonyさんもご存知かと思います。じつは、あれはヒルマン氏の理論を参考にしたのですよ。わたしが本名で書いた著書『ハートフル・カンパニー』(三五館)の387〜388ページに、「多神教の神々にふれると人間の魂は奥底から癒され、優しい心になれます。そう主張したのは、ユング派『元型心理学』の創始者として知られるアメリカの心理学者ジェームズ・ヒルマンでした。ヒルマンの提唱する心理学は『魂の心理学』と呼ばれますが、彼は人間の魂は多くの機能を持っており、それぞれが必要とする神々がいるのだとしました。人間性とは複数の心的人物の合成物であり、彼らが神話における神々たちを反映しているというのです。『元型とは神々のことである』とさえ言っています。オリュンポス12神に代表される多神教の神々は、それぞれの魂の元型が求める役割を演じてくれるのです。ヒルマンは、人間の魂はもともと一神教には馴染まないとし、『魂の自然的多神教』という言葉さえ使っています。みなさんも、12神像の前に立つと、魂が癒され、心が落ち着くことと思われます」と、書いてあります。

等身大のオリュンポス12神像が一堂に会した場所は、日本ではきわめて珍しいとか。さて、古代ギリシャよりさらに古い文化をたどると、古代エジプトが思い浮かびます。しかし最近では、エジプトに文明を誕生させたのはシュメールから受けた刺激のためだとされています。紀元前3000年頃、現在のイラク南東部の、チグリス・ユーフラテス両河の下流の谷に、農業従事者以外の少数の人々を十分に養える農業力を持った社会が出現しました。このシュメール文明は、その発祥地の範囲を越えて地理的に拡がりました。

古代エジプトや古代ギリシャどころか、日本にさえもシュメールの影響が及んだのではないかという説さえあります。天皇のことを古代では「すめらみこと」と呼びましたが、この「すめら」は「すめる(統める)」の意であり、「シュメール」から転じた可能性があるというのです。その他にも、スサノオノミコトの「スサ」がシュメールの古代都市スーサに由来するなど、日本=シュメール起源説を主張する人々は多くの証拠を示しています。 エジプト文明もギリシャ文明も多くの神々をいただく多神教を基本としていました。もちろん日本には八百万の神々がいました。そして、それらの文明の源流とされるシュメール文明も多神教であり、自然界を象徴するあらゆる神々が人間たちを見守り、さまざまな儀式が行なわれていました。そのシュメールの多神教に基づく儀式文化の名残りとして「ペトログラフ」が世界的に注目されています。古代シュメールの岩刻文字のことですが、1987年11月初め、松柏園ホテルの庭園内の巨石に奇妙な文様が刻まれていることがわかりました。「彦島ペトログラフを守る会」によって調査を行なったところ、なんと古代シュメール王国のウルフ神殿で見つかった円筒印章の「七枝樹」とまったく同じであることが判明し、大変な話題となったのです。NHKの取材も受けました。しかも、七枝樹は結婚の儀式において使われたシンボルだったこともわかりました。

わたしは、多神教ガーデン内にいずれこのペトログラフが刻まれた巨石も設置したいと考えています。そして、その多神教ガーデンの上方には、皇産霊大神を祭る神社「太陽の神殿」がございます。このガーデンは神々の広場であると同時に太陽を讃える「太陽の広場」でもあるのです。太陽とは不変の光を放つものであり、変わらない神の生命のシンボルです。そこは、結婚という「産霊」の舞台として最もふさわしいと考えます。

さらに、太陽が神の生命のシンボルなら、人間の生命のシンボルは月です。日ごと満ちては欠ける月は、生まれて老いて死ぬ、そしてまた再生する人の生命そのものなのです。結婚の舞台としての「太陽の広場」に対応する、葬儀の舞台としての「月の広場」を昨年、日本最初のセレモニーホールである小倉紫雲閣内につくりました。

設計は、北九州を代表する建築家である白川直行氏にお願いしました。京都大学経済学部教授から新しい日銀総裁になられた白川方明氏の弟さんです。ご兄弟とも、小倉高校のわたしの先輩なんですよ。直行さんには、最近、北九州空港のすぐ近くの福岡県苅田市に、やはり「月」をモチーフにした苅田紫雲閣を設計していただきました。その竣工式典の場で、「お兄さんは日銀総裁、弟さんは新時代の葬祭空間をつくられた。ともに、ソーサイと深い関係がありますね」と申し上げました。ともに「お金」と「魂」という、人間にとってもっとも大事なものに関わられているわけです。

「月の広場」は、コンピューター制御により、実際の月齢にあわせて可変する噴水がとても好評です。愛する人を亡くした悲しみに暮れる方々が、噴水の変化から月の満ち欠け、ひいては人の生命の再生を自然にイメージすることにより、少しでも心が軽くなっていただければと思っています。これも「太陽の広場」と同様に、ヒルマン的な「魂の心理学」によるグリーフケア空間かと存じます。

太陽の広場(多神教ガーデン)

太陽の広場(多神教ガーデン)月の広場(グリーフケア・ガーデン)

月の広場(グリーフケア・ガーデン)
さて、北陸大学の未来創造学部で、いよいよ「孔子研究」の講義がスタートしました。北陸大学には「孔子学院」がある関係で、学生の中には中国からの留学生もたくさんいます。わたしの授業の聴講生は約160名ですが、その中のじつに約80人が中国人留学生です。中国の人に対して、日本人であるわたしが孔子や儒教について語るのはまことに不思議な気もしますが、国費留学生を含む彼らは、とても真剣に話を聞き、黒板の文字を一字残らず熱心にノートに写しています。その熱意たるや日本人以上だと思います。

日本における中国のイメージは、どうも最近良くありません。いや、悪化する一方です。毒入りギョーザをはじめとする食品の安全性の問題、北京オリンピックの聖火リレーで世界中から注目を浴びているチベット弾圧の問題など、中国への不信感は募るばかりです。

しかし、もともと「礼」や「信」といった思想は中国で生まれたのです。「仁」や「義」もそうです。それらの思想を集大成した人物こそが孔子であり、その言行録が『論語』です。いま、中国では大変な『論語』ブームだそうです。ブームの火付け役は、北京師範大学教授の千丹(ユータン)さん。彼女が中国CCTⅤの人気番組で『論語』についての講話を行ったところ、大ヒットしました。当時は中国の全人口の約半分が視聴しているといわれ、その数は、なんと7億人です!そのときの講話を本にまとめた本が、『論語力』(千丹著、孔健監修、講談社)で、海賊版も含めて、これまでに1000万部以上が売れたそうです。中国の最高指導者である胡錦濤国家主席もいたく感動したそうで、多くの中国の人々が『論語』を愛読するようになったといいます。わたしは、『論語』によって、これまでに多くの大切なことを学びました。中国からの留学生たちに「礼」や「信」を説くことは、孔子への最大の恩返しだと思っています。

さて先日、わたしが東京出張の際にホテルニューオータニにチェックインしたところ、胡錦濤国家主席がちょうど一緒でした。二日間大変な警備でしたが、創価学会インターナショナルの池田大作会長とも同ホテルで会談したようです。すごいツーショットですね。ツーショットといえば、世界各地で混乱をきわめた聖火リレーで、ダライ・ラマ14世と麻原彰晃のツーショット写真を沿道で掲げている中国人の姿が印象的でした。

聖火リレーについてですが、長野のテレビ中継を見ながら、わたしは「聖火」という発想自体に問題があるのではないかと思いました。さらに言えば、火ではなくて水に焦点を当てるべきだと思いました。拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)でも書きましたように、水は思いやり、そして平和のシンボルです。火とは文明、さらには戦争のシンボルです。鉄砲から原爆まで、戦争のテクノロジーとは火のテクノロジーでした。もちろん火も人類にとって不可欠なものですが、オリンピックという平和の祭典においては、やはり聖火より聖水のほうがふさわしい。ゆえに、五輪という五つの大陸を駆け巡る火だけではなく、 チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダス、黄河、さらには三つの大洋から集めた水を地球型のガラスの水槽に注ぎ入れる開会式演出をイメージしました。かつて、わたしはイベント・プランナーをやっていましたが、そんなことを本気で考えました。

それにしても、今度の四川大地震です。中国は北京オリンピックどころではなくなってきましたね。死者の数は日を追うごとに増えるばかりです。地震の影響で四川省綿竹市の火葬場が倒壊しましたが、現地では疫病の発生を防ぐために約3600体もの遺体を地中に埋めているとか。本当に心が痛みます。葬儀とは人間の尊厳に関わっています。中国に限らず、地震などの災害や戦争が起こるたびに、葬儀も埋葬もされずに遺棄される死体が大量に発生します。もともと孔子の母親は葬祭業者だったとされますし、儒教の母体である「原儒」も葬送集団でした。まさに葬送儀礼から「礼」の観念は確立されてきたのです。わたしは、古代ギリシャにおけるオリンピアの祭典競技は、勇士の死を悼む葬送儀礼として発生したという歴史的事実についても考えてしまいます。礼なき国となった中国で開催される壮大な葬儀としての北京オリンピック!

ともあれ、古代の聖人である孔子が復活し、現代の聖人であるダライ・ラマ14世が苦悩を深める中で、12日に中国で起こった未曾有の大地震。10日前のミャンマーで起こったサイクロン被災では13万人もの死者・行方不明者が出て、生存者は僧院へ避難しました。すべてがシンボリックで、すべてが神話的です。この現実を前にして、はたして、ブッダと孔子の魂は何を語るでしょうか?これから中国が、チベットが、ミャンマーが、そして世界が、どのような21世紀の神話を紡ぎ出してゆくのか、緊張感をもって見守ってゆきたいと思います。それでは、次は24日に京都大学の時計台でお会いしましょう。オルボワール!

2008年5月18日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

Shinさん、ヒルマンの多神教論が12神像のヒントだったとは! 奇しき縁ですね。実は、今回はわたしの返事がとても遅くなり、申し訳ありません。今は、5月22日の午前4時。昨日の16夜の月光も、今日の17夜の月光も美しく照り輝いていました。昨日の夕方は、大文字山に登りました。その記録を「モノ学・感覚価値研究会」のHPに「東山修験道その27」と題して投稿したので、再録させてください。最近の様子が少し伝わるかと思いますので。


2008年5月21日

今日は代休だ。さあ、北山に挑戦するぞ。大原から鞍馬に歩いて抜けるぞ。と、張り切っていたら、なんと、昼から会議があるという。そして、翌日は総長選挙があるという。いやはや。

会議後、古くからの友人の京大理学部植物園園丁の中島君と理学部図書館司書の大月さんと大石君が訪ねてきて、「キリン」(だったかな?)という素敵な名前の労働組合に入会する。実に実にマイナーな、絶対少数の組合だそうだ。「フンドシ族ロック」で、「パンツ・グローバリゼーション」に抵抗して世界に多様性を要求する歌をシャウトしている「神道ソングライター」としては、お似合いの組合であろう。運命である。

入会儀式(署名式)が終わり、生協で早めの夕飯をかきこみ、すわ大文字へ!

今日は30年ぶりに大文字山に登るぞ〜。30年前に、今は理学部植物園園丁になった中島君と、京大文学部哲学科の学生の寺田君(現在は埼玉県で学校の先生をしているようだ)と、3人で大文字山に登ったのだった。前日しこたま飲んでいたアルコールが上り行くにつれて汗になって揮発していったことをよく覚えている。そして、大文字の送り火をするところに到達したときの眺めのよかったこと。絶景なり。

夕方5時前からの登拝だったが、さすが大文字山だな。まだ、登ってゆく人も降りてくる人も、ぽつぽついるのだ。道も整備されていて、きれいだ。NPO大文字保存会というのが地元組織であって、きれいにこの里山を維持しているのだな。京都の里山と地域の維持組織というのはすごい蓄積と歴史があるな、と感心する。寺社が多いということは、寺社職員と一緒になって、氏子・崇敬者や地元民が協力して寺社の境内や周辺の里山などを管理維持しているということだもんな。そういう意味で、比叡山延暦寺や、東山に建ち並ぶ清水寺とか祇園社(八坂神社)や伏見稲荷神社の存在は大きいよな。つくづく、そんな京都・平安京はすごいと思うよ。

ゆっくりと夕方の日差しが木漏れ日になって若葉の間から漏れてくる光景を楽しみながら登る。送り火を点火する「大」の文字のところまで来ると、数人の人が愛宕山の方に沈んでゆく夕日を見ようと、座ったり寝転んだりして、リラックスしていた。弘法大師のお参りの鐘があって祈っている男性がいた。その後ろから祈る。ここが弘法大師堂で、ここで午後8時に祈りの儀式が行われて、送り火が始まるのだ。

「大文字焼き」という名前は通称よく言われるが、正しくは、「大文字焼き」ではなく「五山の送り火」という。お盆に平安京を取り囲む5つの山に「大文字」「左大文字」「船形」「鳥居形」「妙法」の形に点火する儀式だ。5種類もの形の送り火を焚くので、やがて「五山の送り火」と呼ばれるようになった。

この大文字の送り火は銀閣寺や金閣寺を傘下に収める相国寺墓所に向けられて行われるという。相国寺は京都御所のほぼ真裏にあるから、京都御所を背後から守るかたちで、お盆の送り火が届けられたり、中継されたりすることになる。この平安京の絶妙な霊的ネットワーク。「霊的国防システム」。うーん、すごい!

そして、絶景なり、絶景なり、絶景なり! 平安京が一望できるのだ。30年前はここまで来て、3人で同じ道を下り、帰った。だが、今日は頂上目指して歩いた。が、そこから奥が深かった〜! そして、静かだった。

静かな夕暮れ時を如意が嶽山頂に至る。一歩一歩味わうように歩く。大文字の文字のところから、15分か20分ほどで山頂に至ると、そこからは都の南側と山科盆地と大津方面が眺望できた。京都タワーも見えた。

そうか。こういう地形になっているのか。3つか4つ谷を越えたからずいぶん奥山は深いな。里山から奥山へのこの奥行き感が、低い山並みなのに、東山連峰の特徴なのだ。深いのだ、奥が。これがまたエロティックでいいんだな。奥の細道感が、ね。

同じ道を引き返すのがいやで、どこか別の道から降りたいと、そのまま東へ抜けようとするが、二股に分かれた分岐点などあり、よくわからない。東北に行けば方角として間違いはないだろうと歩く。比叡平から大津に行く表示があった。一安心。こちらに向かうか。

だが、そこからがまたまた深く、迷い道だったのだ。かなり降りて、やがて比叡平かなと思ったころに、山中から大きな太鼓の音が聞こえてきた。どこかにお寺でもあるのかなと思いながら、そちらの方角に道が分岐していたので降りていくと、実に怪しげな柵で覆われた一角があって、そこに一匹の鹿がいた。近づいていくと、踵を返して山に入っていった。鹿はそこに撒かれたパンの耳を食べていたのだ。ここには人がいる! 怪しげな気配の場所で、乱雑な気があった。なんだろうな、これは。と思い、下る道を探すがそこで行き止まりだった。

どうも、変なところだな。と思いながら、元の道の分岐点までまた登って戻り、そこからまた違う山道を通って、太鼓の音の方に近づいていった。どうも、この音はお寺の音ではなく、太鼓の練習をしているような。でもこんな山中で誰が太鼓の練習をしているのかな? 天狗かいな〜?

なんて思っていると谷川があったので、掌で水を掬って飲んだ。うめえ〜。一息ついたぜ! と、そのまま下っていくと、どうやら上りになってゆく。どうもこれは大文字山にぐるりと周回して戻るようだ。戻ってもよいが、違う道に出たいな、と思い、針路を東に取る。池ノ谷薬草園というのがあるとの表示があった。

そこに着いたと思ったら、しかし網が張ってあって抜けられない。大きな番犬もいて吠え立ててくる。「すみませ〜ん!」と何度も大声で人を呼んだが、誰も応える人はいない。よく見るとネットを潜ることができそうだ。「よし! 場抜け、だ。」とばかりに、網を超えると、池ノ谷地蔵があり、六地蔵と本堂を参拝。そこを後にして山道を下ると、ようやくにして民家のあるところに出た。

どうやらここが比叡平だろう。名前のとおり、かなり平たいところだな。バス停に行くと、7時10分の京都行きバスは出た後で、次が7時50分だ。時間が30分ほどある。そこに「まち」という喫茶・御飯屋があったので入ってコーヒーを頼んだ。年老いたおかみさんが一人で店を切り盛りして、親切にしてくれる。この辺はバブルのころ、60坪5000万円もしていたが、今はその1/5になってしまったらしい。言葉に京訛り戸は違うところがあったので聞くと、おかみさんの故郷は出雲だという。ふうん。出雲方言と徳島・阿波方言て似てるんだな。おもろいもんだな、と思う。

時間が来た。親切にバス停の場所を教えてくれる。ひっそりとした比叡平。確か、西田幾多郎門下で京都大学文学部名誉教授の宗教哲学者・上田閑照先生はここに住んでいるのじゃなかったかな。ここからバスで京大まで通っておもろい子供たちとすれ違ったんだな、上田先生は。と、一人でほくそ笑む。この辺は京都府じゃなく、滋賀県大津市になるらしい。京都から大津まで歩いたんや。

定刻にバスが来た。京都方面まで行く山道もなかなか深かったな。地蔵谷ラジウム温泉とかあって。白川通りに出たバス停(別所)で降りた。そして、ヨーグルトを買って砦に戻ってくると、水を張った田んぼで蛙さんたちが大合唱でお迎えしてくれた。なんかあ、「なむあみだぶ、なむあみだぶ」って、唱えてるように聴こえてきたよ。蛙さん、あんがとね。


Shinさん、こちらはこんな感じで、まだまだ疾風怒濤の日々が続いております。「シュトルム・ウント・ドランク」の日々。とにかく、慌しく、まだまだ落ち着きまへんなあ。わたしが研究代表をしている研究プロジェクトが4つも立ち上がったし。まあ、もっともその内の一つ、科研「モノ学・感覚勝ち研究会」はもう3年目に入るけどね。新たに、「こころ観研究会」と「ワザ学研究会」と「平安京研究会」の3つを始めたんですよ。

それぞれにとても興味を持ってきたテーマだけど、その趣旨は以下のとおりです。

1、こころ観研究会(正式名称:「こころ観の思想史的・比較文化論的基礎研究〜人類はこころをどのようにとらえてきたか?」)

人類が「こころ」をどのようにとらえてきたかを、宗教・哲学・芸術・思想などの側面からまず思想史的に考察し、それをベースに比較文化論的な考察を加えてゆく。その際、霊長類からのヒトへの進化の視点を念頭に置く。

日本列島に生きた人々がどのようなこころを持ち、こころについての思想を持ったのかを通史的に見てゆく。①縄文遺跡から見る日本列島人のこころ、②弥生遺跡・古墳から見る古代人のこころ、③古事記・日本書紀・古語拾遺などの神話と古代神道から見る日本人のこころ観、④仏教から見るこころ観、⑤儒教から見るこころ観、⑥近代日本の「こころ」観(夏目漱石の「こころ」と宮沢賢治のこころ観など)、⑦空海の「秘密曼荼羅十住心論」と最澄の「道心」(山家学生式)観などについて、研究発表をしながら議論し、考察を加えてゆく。同時に、サルやチンパンジーやゴリラとヒトのこころについての連関と差異について、またこころ観の文化差や地域差や時代差(古代のこころ観と近代のこころ観など)、あるいは精神疾患との関係について、考察を加える。

この「こころ観の研究」によって、さまざまなこころ研究の思想的前提を確認し、共通の土俵作りや、それぞれの研究者のよって立つ位置の自覚を促す。

(初年度は、各分野の研究者の研究発表をもとに議論し、こころについての認識と考察を深めてゆく。①縄文遺跡から見る日本列島人のこころ、②弥生遺跡・古墳から見る古代人のこころ、③古事記・日本書紀・古語拾遺などの神話と古代神道から見る日本人のこころ観、④仏教から見るこころ観、⑤儒教から見るこころ観、⑥近代日本の「こころ」観(夏目漱石の「こころ」と宮沢賢治のこころ観など)、⑦空海の「秘密曼荼羅十住心論」と最澄の「道心」(山家学生式)観、⑧嫉妬と怨霊・祟りのこころ、⑨プラトン、アリストテレス、デカルト、ニーチェのこころ観、など、日本から中国やインドやヨーロッパ、アフリカ、また、人類だけでなく、霊長類や哺乳類(イルカなど)などにも考察と議論を広げてゆく。一定のまとまりを持った段階で、公開シンポジウムを実施する。)
*第1回目を6月5日(木)実施(詳しくは、TKスケジュールをご覧ください)

2、ワザ学研究会(正式名称:「こころとモノをつなぐワザの研究」)

「こころ」に迫る観点として「ワザ」に注目したい。「ワザ(技・業・術)」とは、人間が編み出し、伝承し、改変を加えてきたさまざまな技法である。その技法には、呼吸法や瞑想法などを含む身体技法や各種の芸能・芸術の技法やコミュニケーション技術など、実に多様で豊かな種類がある。このようなワザに着目することにより、人間のこころと、人間が作り上げてきた物や道具や観念世界などとの相互関係を具体的に吟味できる。ワザはこころとモノとをつなぐ媒介者である。

通常、物は目に見えるが、こころは目に見えない。だが、こころはさまざまなワザを通して、物の世界に形を与え、人間世界に広がりと深みをもたらした。古くは、わが国では神を呼び出し、交わり、生命力を高め強化する技法を「ワザヲギ」と呼んだ。ワザは諸種の儀礼・芸能・芸術・技術・学芸・ライフスタイルを含み、人間はこのワザの力によって豊かな文化を形成し、生の充実をはかろうとしてきた。

「ワザ」は「こころ」と同様に、広がりと多義性を持つ言葉である。柔道では「ワザアリ」という語がそのまま国際判定語になっているが、世界共通語としての「ワザ」の世界を探求し、「ワザ」の本質と意味、またそのヴァリエーション(諸相)を研究することによって、こころと生の豊かさと面白さや楽しさを捉え、それぞれの生活実践に生かし応用することができる。そしてそれが個性と自由を担保したこころ直しと世直しにつながってゆく。

(初年度の本年は、まず第一に「ワザ」という概念の吟味とその諸相を広くリサーチし、フィールドワークも試みる。狩猟・漁労、マタギ、修験道、寺社建築にかかわる大工、石工、芸能者、禅やヨーガや気孔などの身体技法、身体・音楽・造形に関わる芸術表現、人間関係の諸技術など、幅広く「ワザ」の諸相を探ってゆく。フィールドワーク以外に、2種類の研究会を行う。一つは、研究メンバーや外部の講師やアーティストによる研究発表と実践報告。もう一つは、世阿弥の『風姿花伝』や『花鏡』をテキストにした能における「ワザ」の分析を行う。)
*第1回目を5月24日(土)に実施(詳しくは、TKスケジュールをご覧ください)

3、平安京研究会(正式名称:「持続千年首都・平安京の生態智の総合的研究と世界平安都市モデル構想」)

日本史の中でもっとも長く都が置かれたのが京都、すなわち「平安京」である。西暦794年から1868年まで、千年を越す長期にわたる都となり、さまざまな日本文化の創出の母胎となった。

なぜ平安京は千年以上もの長い間都たりえたのか。その原因は何なのか。平安京長寿の秘密を解くことで、二十一世紀以降の「世界平安京都市」を作っていく手がかりが見えてくるのではないか。その都市づくりや社会的安定の原因や条件の発見は、次なる高次元の社会秩序の形成にさまざまなヒントを与えてくれると考えられる。

平安京長寿の秘密はその「生態智」にあったのではないだろうか。その「平安京生態智」をパラフレーズすれば、①水の都、②祈りの都、③芸術・技芸・ものづくり文化の都、④里山盆地の都という4つの特質が浮かび上がってくる。平安京は東の賀茂川、西の桂川を両極に持ちながら、地下にも地上にも豊富な水系を張り巡らしている。その水と土に支えられた生態系が平安京の安定を支える土台であった。

その上で、御所を中心としながら、鬼門における王城鎮護の寺としての比叡山延暦寺を持ち、賀茂川水系に上賀茂・下鴨神社を戴く賀茂氏が勢力を張り、また桂川水系には伏見稲荷大社や松尾大社を戴く秦氏が勢力を張ってきた。賀茂の社は天皇や貴族と結びついて絢爛たる葵祭を実施し、一方、稲荷大社は庶民信仰と結びついた。こうして平安京においては神仏と天皇が、あるいは神社仏閣と御所が三位一体のように結びつき、一定の安定を保ってきたのである。

さらに、祈りの都としての平安京においては、神社や仏閣だけでなく、バリ島のように、辻辻のお地蔵さんや観音さんなどの小さな祠が大変重要な意味と社会的機能を持っている。そこでの民衆のささやかな祈りや祭りが、社会安定の大きな役割を果たしてきた。

前者において、都城建設で大切な世界の座標軸の設定を果たし、後者において庶民の生活文化に潤いと彩りを与えた。かくして平安京は周囲の山並みの「野生」をうまく里山文化として取り込み、祈りや祭りやものづくりという「文化創造都市」を形成していった。その平安京の自然と文化の総体を21世紀の文明モデルの一つとして再措定してみることには、未来的な意義があると思うのである。

本研究では、平安京を都として千年以上にわたり維持してきた物質的基盤(水、食料、燃料、材木、ゴミ問題、ヒトの流れ)と精神的基盤(宗教、象徴性、呪術性、霊性)と技術的基盤(芸術、技芸、学問)を総合的に解明する。その際、東山三十六峰というグリーンベルトに展開したモノとこころとワザの諸相と歴史を掘り起こしつつ、古代、中世、近世、近代という時代の変遷の中で「京」という「都」が発信してきた時代的メッセージと力を、日本最大の「観光都市」から京都議定書を締結した「環境都市」までの射程の中で、実証的かつ理論仮説的かつ臨床応用的に解明してみたい。

とまあ、長々とした紹介になってしまいましたが、それぞれ10数名の連携研究員・共同研究員とともに研究チームを組んで実施していきます。前2者は京都大学こころの未来研究センターの連携研究プロジェクト。3つめの平安京の方は、京都精華大学前にある総合地球環境学研究所との共同研究。この3つの研究プロジェクトの中で、Shinさんにも早速24日から、「ワザ研究会」の共同研究員として参画してもらうことになりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

というのも、Shinさんは今年の4月から正式に北陸大学未来創造学部(未来創造学部!すごい学部だね!)の客員教授となって教鞭を執っているし、また冠婚葬祭などに関する著作を40冊以上上梓していて、「冠婚葬祭」という人類の基本「ワザ」の研究者であり・開発者であり・実施者でもありますからね。わが「ワザ研究会」に不可欠のリアリティのある人材ですよ。それから、ワザ学研には、われらが義兄弟で工芸美術家の近藤高弘氏も参画してくれます。かれは実技家・アーティストとしての立場から「ワザ」を語り、研究し、表現してもらいたいと思っています。この研究会は、「こころとモノをつなぐワザの研究」と題したように、モノ学・感覚価値研究会の発展具体化した研究集団でもあります。

わたしは、「モノ学」を、①霊としてのモノの位相⇒儀礼技術としてのワザの諸相、②者としてのモノの位相⇒コミュニケーション技術としてのワザの諸相(物語など)、③物としてのモノの位相⇒生産・生業・生活技術としてのワザの諸相(狩猟採集技術や田植えの技術やお茶やお花・茶道・華道などなど)という連関で、「ワザ学」と結びつけていきたいのです。そしてそれを、より豊かな生活、豊かな心、豊かな人生、豊かな社会にしていく世直し・こころ直しの「ワザ」として創造・開発・再発見・再評価・再編集していきたいのです。

チベット問題、ミャンマーのサイクロン災害、四川省の地震災害などなど、本当に多事多難、地球全体の身震いのような出来事が次々と起きています。南極の温度が、なんと25度にもなって、氷床も解け始めています。人類社会の危機は、確実に生命世界全体の絶滅の危機や地球の危機を招いています。もちろん、地球は人類が絶滅したら、みるみるうちに自己復元・自己変幻を遂げるでしょうけれど、このまま文明生活が維持されればどんな事態がやってくるか誰にも予測がつかないのです。

そんな折も折、京都議定書が京都で締結されて10年。洞爺湖サミットがこの夏、開かれます。NPO法人東京自由大学では、この6月7日(土)に東京大学理学部小柴ホールで、「地球温暖化防止」をテーマに「宇宙からの視点」という切り口から大々的な記念シンポジウムを開催します。東大名誉教授の海野和三郎学長は、あの日本文学の最高峰の一つ『平家物語』作者海野幸長の子孫の天文学者です。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ではありませんが、人類が仕出かしてきたことのバランス・シート=鐘の声をきっちりを認識し、受け止め、そこから負債をどう返していくかの作業=諸行無常の因縁返済に入っていく必要があります。それが、どこまでできるかわからへんけど、東京自由大学でも京都大学こころの未来研究センターでも、北陸大学未来創造学部でも、そうした「未来」への投資=透視=闘志=闘士=投身=東二が必要ではないでしょうか!? と、最後はカマタトウシの駄洒落で退席させていただきます。オアトガヨロシイヨウデ。オルボワール!

2008年5月22日 鎌田東二拝