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シンとトニーのムーンサルトレター第220信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

毎日、雨が続きます。今宵の満月も見えませんね。今夜の満月はスーパームーンです。元NASAの天体物理学者フレッド・エスペナックの計算によると、今年最初のスーパー満月となります。満月は地球から361,934kmの距離になります。ちなみに、月と地球の平均距離は384,400㎞です。衛星が地球に近づくほど、空には大きく明るく見えるのです。

『悲嘆とケアの神話学』

 

さて、ご献本いただいた御高著『悲嘆とケアの神話論:須佐之男と大国主』(春秋社)を拝読しました。第1章「日本神話詩」から第3章「悲嘆の神話詩」までは、『夢通分娩』『狂天慟地』『絶体絶命』『開』などのTonyさんの詩集から神話詩と呼べるものが選ばれています。その他の書き下ろしの詩としては、「流民譚 ヤマトタケルの悲しみ」、「国生国滅譚 イザナミの呪い」、「難破船」が本書に収録されています。これらの「詩」があってこそ、「鎌田神道神学」は成立します。なぜなら「出雲神話詩」と「出雲神話論」が本書という諸刃の刀の根源的両面だからです。Tonyさんの神道研究の師である小野祖教先生はTonyさんに神道神学を担える人材になってほしいと期待したそうですが、Tonyさんはその方向には進まず、71歳を過ぎてようやく「神道神学」の領域に少し近づくことになったのですね。

 

Tonyさんの神道神学が追求するのは、大国主神です。大国主神は、『古事記』の中では、高天原の天つ神の主宰神と言える天照大御神に対峙対抗する国つ神の代表神とされます。ここで問題となるのは、あくまでも大国主という神の神徳・神威・神性・神業であり、大国主神のはたらきと特性をどう捉えるのかがここでの主題となります。そしてそれを捉え考察する学問領域と方法論を、Tonyさんは次の三つの角度からアプローチしていきます。

①信仰の弁証としての神学として、

②思想的問題としての神道思想として、

③現代的課題解決の臨床応用的神話モデルとして

この三領域と三方法が絡まり重なりながら、特に「神道神学」という収斂点に向けて、著者は大国主という神のはたらきと特性に迫ります。

 

著者が神道神学の視点から大国主という神のはたらきと特性を考察する理由は2つありました。コロナ禍とウクライナ戦争です。前者は病に、後者は戦いに関わります。前者について言えば、2021年8月2日、コロナ禍中での神田神社での清水祥彦神田神社宮司との対談の中で、「痛みとケアの神としての大国主神」について発言したことが大国主再考の大きなきっかけとなったそうです。そして、その後に、後者のロシアの侵攻によるウクライナ戦争の勃発がありました。未だに戦争が終結する兆しは見えません。そうした時に、大国主神の存在が大きく強く浮かび上がってきたのでした。大国主神がどのような想いと方策で「国譲り」をしたのか? そのことが著者の中で強烈な神話論的・神学的・思想的な課題として浮上してきたといいます。著者は、①「殺害され続けた神」、②「蘇って、国作りした神」、③しかし、その国を「国譲りした神」、④そして、それらを統合した「痛みとケアの神としての神」として考察するのでした。

 

2「殺され続けた神といのちとむすひ」では、大国主神について重要な点は、動物(白ウサギ)を助けると同時に、動物(鼠)に助けられている点だと指摘します。「助ける神」が「助けられる神」となって、世界を調和に導くという物語は、医療神としての大国主神の神徳を表わすのみならず、「傾聴する神・ケアする神」としての特性を表わしていると見ることができるからであり、これが、「痛みとケアの神」としての大国主神ということにつながるというのです。ケアの領域では、共感(Empathy)や「傾聴」(deep listening listening attentively)が重要であると指摘されてきました。そして今、これらに加えて、「インターパシー」(異他的理解、Interpathy)が重要であると認識され始めています。これを異種間コミュニケーションの文脈で捉えることができますが、こうした「インターパシー」能力において、大国主神は群を抜いて優れていると、著者は言います。

 

著者によれば、いのちや生死の問題を考える時に『古事記』はさまざまな問いの材料を提供してくれます。この時、夫のイザナギノミコトは、妻イザナミが最後に産んだ火の神カグツチの誕生が原因で愛しい妻が死んでしまったので、何とも憎い子供であるかと子殺しをし、火の神カグツチの首や体を切ると、その血の飛沫から神々が誕生します。ここでは、殺害された神は死によってすべてが終わるわけではなく、殺された神々の血からまた新たな神々が出現するというように、死と生成、死と誕生が織り合わさる形で分かちがたく結びついています。

 

ここで、本書の帯裏にも引用された「神話とは、宇宙や人類や文化の始まりを物語る根源的な物語である。神話は、われわれがどこから来てどこへ行くのか、いのちの始まりとその行く末を告げる。「ケア」という問題を考える時、このような日本最古の神話知を検討することは、迂遠な回り道に見えるかもしれないが、いのちの本源に立ち返って物事を考えてみるための必要な一回路となるだろう」という一文が登場します。この神話知の考察によって明確になるのは、日本列島という日本の国土が神々の子どもであり、それぞれに神名と地域特性や性格を持ち、魂も体も持ついのちであるという捉え方であるとして、著者は「このような『古事記』の国生み・神生み観が、仏教が伝来して日本化していく際に出てきた天台宗の『草木国土悉皆成仏』という天台本覚思想の生命思想にもつながってくる。つまり、草木も国土もみな元々『神の子ども』なのだから、本来神性を持っている、そこで本来的に仏性を持ち、成仏することができるし、それ以前に、本来『ほとけ』であるといえる。この神話知から、そのような『いのち』観を引き出すことができよう」と述べるのでした。

 

大国主神の最大の困難が「国譲り」でした。著者は、「国を失った者の心情の孤独と後悔と愛惜の念は想像するだに複雑性悲嘆の渦の中にあることだろう。大国主神は、それゆえに、複雑性悲嘆を蔵したそれを理解し、受容する神と成る。人々が『縁結びの神さま』に託す心情のいくつかは、そのような表現しがたい困難さそれ自体を受け容れるものである」と述べます。そして、「痛み」を受け止め、その痛みに耐えるには、他者の「たすけ」がいること、また、歌や芸術や芸能による表現や浄化が必要なこと、そして、棲み分けることのできるような「居場所」を共に見出せ、安定する(鎮まる)必要があることを指摘します。著者は、これこそが「本論を通して提示できるとりあえずの神道神学(個別神学)的結論である」と述べるのでした。

 

ガンのステージⅣを宣告されたTonyさんは、いま、「複雑性悲嘆」ならぬ「複雑性感謝」というものを抱いているそうです。何が複雑なのか? 著者は、「第一に、からだのさまざまな複雑な機構に対しての感謝。第二に、そのようなからだに向き合うこころやたましいに対する感謝。第三に、そのようなからだを与えてくれた親や育んでくれた環境などに対する感謝。第四に、上記の第三に関連するが、たべものやのみものや、空気や風やもろもろの自然・環境・大自然に対する感謝。第五に、このような感謝の気持ちを引き起こしてくれる大きなはたらきとちから(それを神とか仏とかと呼んできたようにおもう)に対する感謝。存在そのものに対する感謝。地球存在、宇宙存在。異次元存在への感謝などなど、もろもろ」と説明します。


「朝日新聞」2023年6月14日夕刊

 

このメッセージは、「朝日新聞」2023年6月14日夕刊に掲載されたTonyさんのインタビュー記事にも示されています。死を受け入れることは、「お任せすること」でもあるという鎌田先生は、「私たちは、あらゆることを対象化し、分類します。あの人はだれ、これは何と認識することも分類です。ただ、命は分類できません。丸ごと、そのままの流れにお任せするしかない。何にお任せするか。神でも仏でも自然でも大いなる何かでもいい。重要なのは、苦しみにあっても、心を開いていく道があると考えられることです。それは命を手放すこと、と言えます。命をまっとうできることに感謝し、最後には手放していく。私も第2幕があるかわかりませんが、ありがとうと言って旅立っていきたいと思います」と述べるのでした。この言葉には非常に感動いたしました。現代における最高の死生観の叡智であると確信いたします。


『ウェルビーイング?』(オリーブの木)

 

わたしも、6月20日に最新刊を上梓しました。『ウェルビーイング?』(オリーブの木)です。「個人・企業・社会が求める『幸せ』とは」というサブタイトルがついています。著者名ですが、「一条真也」ではなく、株式会社サンレー代表取締役社長の「佐久間庸和」となっています。本書の帯には「『幸せ』の追求」と大書され、「40年前から取り組んできた企業だからたどりついたウェルビーイング(持続的幸福)の神髄がここにある!」「京都大学名誉教授 鎌田東二推薦」と書かれています。そう、この本の推薦者はTonyさんなのです。


サンレーグループ20周年記念バッジ

 

いま、世間では「ウェルビーイング」が時代のキーワードになっています。ウェルビーイングの定義は、「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。そして今までは、身体的健康のみが一人歩きしてきた――そんな印象でした。じつは、わが社は約40年前から「ウェルビーイング」を経営理念に取り入れており、1986年の創立20周年には「Being!ウェルビーイング」というバッジを社員全員が付け、社内報の名前も「Well Being」でした。わたしの先代社長である 佐久間進(現サンレーグループ会長)の先見の明に驚いています。なんと、会長はまだ誰も注目していない40年近く前に、わが社の経営理念として、またこれからの社会理念として「ウェルビーイング」を掲げていたのです。


サンレーグループ報「Well Being」

 

國學院大學で日本民俗学を学び、その後はYMCAホテル専門学校でサービスの実務を学んだ父は、「冠婚葬祭」や「ホスピタリティ」に強い興味を抱き、これを自身のライフワークにすると決めました。そして、「心身医学の父」と呼ばれた九州大学名誉教授の池見酉次郎先生との出会いから、「ウェルビーイング」という人間の理想にめぐり合ったのです。わたしも当時はサンレー社長であった父から、「ウェルビーイング」の考え方を学んできました。その実現方法についても語り合ってきました。結果、わたしの一連の著作のキーワードにもなった「ハートフル」が生まれ、わたしなりに経営および人生のコンセプトにしてきました。「ハートフル」のルーツは、まさに「ウェルビーイング」だったわけです。いま、「ウェルビーイング」は、「SDGs」の次に来る人間の本質的な幸福を目指すコンセプトしてクローズアップされています。本書を通じて、父の先見性と想いを再確認しながら、新たなわたしなりの「ウェルビーイング」を本書で語ってみました。


Tonyさんとのツーショット

 

コラム「父子で取り組んできたウェルビーイング」では、Tonyさんが寄稿されています。コラムの冒頭を、Tonyさんは「私は國學院大學文学部で日本民俗学を学んだ株式会社サンレー佐久間進会長の後輩である。國學院大學は『国学』あるいは『古学・古道学』を基盤にした日本の古典と日本文化を研明治15年(1882)15年(1882)に設立された(最初の校名は皇典講究所)。その『国学』は、一言で言うと、日本文化の精髄に何があるか、そしてそれがどのような価値を持ち、日本人の生き方や文化として表出されてきたかと問いかけ、それを今に生きようとする『学道』である。それは言わば、『日本人の、日本人による、日本人のための学道と幸福』の実現という意味でまさに『日本的ウェルビーイング』の探究と実践であった」と書きだしておられます。


『わが人生の「八美道」』(現代書林)

 

続いて、Tonyさんは以下のように書かれています。
「佐久間進会長はその国学的求道心を持ち続けて、独自のSAKUMAウェルビーイングである『八美道』を提唱し実践されてきた。株式会社サンレーにはその精神が隅々まで行きわたっている。その佐久間会長の精神性を受け継ぎ、さらなる進化をクリエイトしたのが佐久間庸和サンレー社長である。わたしはこの親子を『日本最強の父子』と思っている。ここまで父の価値観を深く理解し共感し受け継ぎ、そして勇猛果敢に進化発展させた息子をわたしは知らない。その佐久間庸和氏と、1990年秋に『魂をデザインする~葬儀とは何か』(国書刊行会)の一章のための対談を渋谷の國學院大學の施設でしたことが最初の出会いであった。以来35年近く『義兄弟の契り』を交す仲となり、家族も同然である。その意味では佐久間進はわが父であり、佐久間庸和はわが弟であるが、この『日本最強の父子』の間に割って入るのは困難なので、私の役目はもっぱら触媒であり接着剤である」


天道館の竣工式で、サンレーの佐久間進会長と

 

そして、Tonyさんは「この父子の『天下布礼』の『礼楽之道』の実践を私なりの『霊学と霊楽』の実践で少しでも補強支援したいと思っている。本年5月10日に還暦を迎えた義弟を、この72歳の愚兄は『ガン遊詩人』(ステージⅣのがんを持つ吟遊詩人)として応援しつづけたいと決意している。超少子高齢化の現代の日本社会では、量ではなく質の文明と文化をどう生み出すかが問われている。そのために必要なキーワードが『ウェルビーイング』と『コンパッション』であることを著者は訴えている。このウェルビーイング-コンパッション(WC)道を私も同行同道したい」と述べられるのでした。過分なお言葉を頂戴したTonyさんには心より感謝しております。


『コンパッション!』(オリーブの木)

 

『ウェルビーイング?』あとがき「心の平安――『WC』は『むすび』で受け継がれる」の冒頭を、わたしは「ウェルビーイングについての本の最後にこんなことを書くのも何ですが、わたしは、幸福というものの正体は、じつはウェルビーイングだけでは解き明かせないと感じています」と書きだしています。わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきましたが、ここでは「WC」という言葉を提案したいと思います。トイレでもワールドカップでもありません。「WC」という言葉は「Well‐ Being」の頭文字と、「Compassion」の頭文字からとったもので、「ウェルビーイング&コンパッション」を意味しています。


同時刊行されたWCのツインブックス

 

コンパッションという言葉をはじめて聞かれた方も多いと思います。直訳すれば「思いやり」ということです。わたしは、これまでウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、最近になって間違いに気づきました。「幸せ」と「思いやり」――この二つはまったく矛盾しないコンセプトであり、それどころか二つが合体してこそ、わたしたちが目指す互助共生社会が実現できることに気づいたのです。ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを「産霊(むすび)」といいます。「サンレー」という社名にも「産霊」の意味があります。『ウェルビーイング?』の同時出版として双子本となる『コンパッション!』を上梓しました。こちらは、「老い・病・死・死別を支える『思いやり』」というサブタイトルがついています。本書の帯は、「『思いやり』の実践」と大書され、「『サービス』を『ケア』に転換させる究極のコンセプト。経営者・ビジネスマン・公務員すべてに必読の書!」「東京大学名誉教授 島薗進推薦」と書かれています。


『ウェルビーイング?』と『コンパッション!』を持って

 

帯の裏には、島薗先生の「互助会はもともとコンパッションを大きなモチベーションとしていた。厳しい社会状況のなかで、それを形にしていくのは難しい。だが、あらためて初心に返り、『コンパッション都市』を求める企業のあり方として展開する可能性がある。そこを目指すことで、ますますせちがらくなる現代社会に新たな光を投じてほしいものだ」とのお言葉が書かれています。島薗先生には心より感謝しております。ごく近い将来、必ずや「コンパッション」は「ウェルビーイング」と並ぶ社会や経営のキーワードになります。ウェルビーイングとコンパンション――わたしが、そしてサンレーグループが目指している「ハートフル・ソサエティ」「心ゆたかな社会」「互助共生社会」を実現するために欠かせない両輪ともいえるコンセプトに出合い、わたしは大きな喜びを感じています。多くの方に読んでいただけることを心より願っております。それでは、Tonyさん、次の満月まで!

2023年7月3日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

今日は7月3日、満月です。今回のムーンサルトレターで、拙著『悲嘆とケアの神話論ー須佐之男・大国主』(春秋社、2023年5月3日刊)を取り上げていただき、まことにありがとうございます。

「神道神学」とか「神道教学」というのは、小野祖教先生や森田康之助先生から投げかけられた、わたしにとっては大きな「公案」でしたが、今回の本で、少し両先生からの問いかけに自分なりの応答ができたと思います。

また、神道倫理学の岸本芳雄先生、宗教学の戸田義雄先生の委託も受けているので、わが学問道は、小野祖教・森田康之助・岸本芳雄・戸田義雄・高橋巌という5人の先達の導きにより成り立っています。が、ずいぶん、迂回路を遍歴しました。そしてようやっと、一周して、本来の自分の立ち位置に立ち戻ることができました。

しかし、それもこれも、そのようなレスポンスができたのは、ステージⅣのがんが発覚したことが元になっているので、またそれにより、わたしも真に「ガン遊詩人」としての活動を始めたので、人生というのは、何が良くて、何が悪いと言えるのか、本当に分かりません。鵺のようなというか、あざなえる縄のようなものとも思います。

 

さて、Shinさんの新著『ウェルビーイング』と『コンパッション』のツインブックス、とてもハンディで、お洒落で、かわいくて、内容は分かりやすい良書だと思います。ご出版、おめでとうございます。多くの方々に本書が読まれることを心から望みます。

わたしの方はと言えば、昨日、足利市立美術館で、「顕神の夢」展のオープニング鼎談をしました。たいへんおもろくもあり、たのしくもあり、発見もありで、ダイナミックでした。

もっとも興味深かったのは、この展覧会は、全国の5ヶ所の公立美術館で巡回されていく展覧会で、第1巡目は、4月29日から6月25日まで川崎市岡本太郎美術館で展示され、第2巡目で7月2日から8月17日まで足利市立美術館で開催されるのですが、各会場の展示の仕方で作品が自在に変容していくことの妙味を感じたことです。

つまり、展示行為それ自体が「アート」なのだということを痛切に感じました。展示のクリエイティビティのダイナミズムと妙味と、それを造り上げる学芸員の力能を感じました。それは独自の「足利ワールド」で、また岡本太郎美術館とは異なる絵画空間の世界構築を垣間見ました。その昨日の動画を作りましたので、まずはご笑覧ください。

 

動画リンク:https://youtu.be/j957GqQH4vk

ファイル名:足利市立美術館「顕神の夢」展オープニング鼎談 2023年7月2日

この「顕神の夢」展は、公立美術館5館で1年がかりで巡回しますが、日本美術展史上に記録される特筆すべきものになると確信しています。「信教の自由」と「政教分離」という憲法を持つ戦後日本で、公教育の場や公的空間で宗教的な色合いを出した語りや表現は極度に警戒され、排除されてきました。それは、バランスと寛容を欠いたものだったと思います。今回の最大の意義は、「顕神」という言葉のタイトルを持つ展覧会が全国を歩くことです。「神」とは何か?「神」が「顕れる」とはどのようなことか? 芸術家や芸術表現の中でそれはどのような「具体」として表出・表現されているか?

そのことがしっかりと把握され、「霊性の表現者」、また、「超越的なるもののあらわれ」という明確な問題意識と類型化の下に秩序立てて展示されています。これは、みずから詩人である江尻潔足利市立美術館学芸次長の力技です。

 

ところで、今週末7月8日(土)・9日(日)に、大阪と京都で開催する「絶体絶命・遺言」ライブの最後の追い込みをかけています。一人でも多くの方に聴いてほしいです。一世一代のパフォーマンスをします。

50年ほど前、京都の「拾得」で、「村八分」が伝説のライブをやったことなど、なつかしいですが、わたしも「ガン遊詩人・神道ソングライター・今スサノヲ」としてあばれにあばれたくおもいます。祇園祭の頃なので、ちょうど「スサノヲぶり・スサノヲ力」全開の季節ですし。「あらみたまスサノヲ」を発動するよい時期です。

ところで、6月10日‐11日の新潟市大栄寺での「仏教看護・ビハーラ学会第19回年次大会」も、6月25日に綾部の大本白梅殿で行なわれた「第6回いのちの研究会 命主の系譜」も非常に面白く有意義でした。病気になってからの方が、いろいろなことにより深く、面白く、純心に関われるようになりました。

がんになってより自由になった、より素の自分になった、等身大の自分に戻って楽になった、としんそこおもいます。その思いを基盤に「遊戯三昧」の「ガン遊詩人」を生き抜きたいです。今月中旬、7月14日から新刊の第7詩集『いのちの帰趨』(港の人、奥付は故大重潤一郎の命日の7月22日)を出します。ぜひ読んで、書評してください。

 

新刊2023年7月14日発売 『いのちの帰趨』案内/港の人

「仏教看護・ビハーラ学会」で出会った古村文伸さんのお話を聴く会を、「第4回インターフェイス(Interfaith)を考える集い」として開催します。今回は申し込み手続きなしで、当日直接Zoom へのアクセスにて視聴できます。七夕の夜に、太平洋を隔てたペンシルベニアと日本を繋ぐZoom のブリッジを架けましょう! Wi-Fi状況によりつながりにくい場合は、後日のアーカイブ配信を利用することもできます。

・日時 :  7月7日(金) 19:30〜21:30 (入室可能19:20〜)
・会場 :  zoom会場 (定員300名)
・トピック:  インターフェイスを考える集い4 〜インターフェイス・スピリチュアルケアを支える 仏教の教えと修行 : 私の体験報告〜
・講師 :  古村文伸氏 (ペンシルベニア大学病院チャプレン)
・接続情報 :  下記
・タイムテーブル:
19:30 開会
挨拶 鎌田東二日本臨床宗教師会会長
19:40 講演 『インターフェイス・スピリチュアルケアを支える
仏教の教えと修行 : 私の体験報告』 古村文伸氏
20:40 コメント 小西達也座長、島薗進前会長(現監事) 各10〜15分
21:10  質疑応答 司会:鎌田東二会長
21:25  閉会挨拶 小西達也座長
21:30  閉会
・主催 :  日本臨床宗教師会インターフェイスWG(座長:小西達也)
・運営協力 :  関西臨床宗教師会
・参加費 :  無料
・申し込み方法 :  直接アクセスください
・注意 :  頻繁な入退室はご遠慮ください(入室後、速やかにビデオオフ、ミュートをお願いします)
Zoom情報
トピック: インターフェイスを考える集い第4回 ゲスト:古村文伸氏 2023年7月7日(金)19:30―21:30(日本時間)
時間: 2023年7月7日 07:30 PM

tps://sophia-ac-jp.zoom.us/j/99508675619

ミーティングID: 995 0867 5619
パスコード: 791789

具体的に書くと、2023年6月11日(日)の仏教看護・ビハーラ学会2日目の午前9時から開催の個人研究発表の場で、ペンシルバニア大学病院のチャプレンをしている僧侶の古村文神さんの発表をお聞きしました。それを聞いて、ぜひ、日本臨床宗教師会のインタフェイスWG主催の「インターフェイスを考える集い」で、もっとじっくりと古村さんのご経験と米国やヨーロッパにおけるチャプレン活動の現状などをお聞きしたいと考え、その旨を学会終了後にお伝えしたところ、快諾を得ることができました。

日本仏教看護・ビハーラ学会第19回年次大会は、31年前からの友人である同会長の今井洋介さん(医師、長岡西病院ビハーラ病棟緩和ケア部長)と同会第19回年次大会大会長の今村達弥さん(医師、医療法人ささえ愛よろずクリニック院長)を中心に運営された大変充実したプログラムでした。

その中で、古村文伸さんの発表は、直接的に「日本臨床宗教師会(The Society for Interfaith Chaplaincy in Japan)」の在り方や活動内容に関わる内容で大変興味深く示唆に富むものでした。そしてそれは、小西達也さんが出された京都大学に提出された学位請求論文の単行本『インターフェイス・スピリチュアルケア』(春風社、2023年3月刊)の主張と深く重なる内容でした。

以下が抄録集に収められた古山文伸さんのレジュメです。

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「チャプレン行を支える仏教の教えと修行:私の体験報告」古村文伸(ペンシルベニア大学病院チャプレン)

1.目的

多民族、多宗教国家であるアメリカの病院で、仏教徒である私は、Interfaith(宗教の違いを超えた)チャプレンの一員として活動する中で、日々自らを振り返り、チャプレン行を支える仏教の教えと修行を求め続けてきた。その結果を報告する。

2.方法

アメリカのチャプレンの教育・訓練ではAction(実践)-Reflection(反省)-Actionの繰り返しを強調する。私はこの「反省」を仏教の三慧の教えに従い、聞(学習する)、思(考察する)、修(瞑想で自己を見つめる)として行うことを目指してきた。

3.結果

スピリチュアルな苦とは、自らの生死の意味を与える大きなものと自分との関係が思うように行かないことからくる苦である。チャプレンの役割は、このような苦を抱えた相手に、自らを見つめ苦を語る安全な場を提供することである。具体的には、寄り添い、善悪の評価をせずに傾聴し、あいづちを打つ。問題解決ではなく苦が軽くなる道をみつけるための気づきを支援する。以下の仏教の教えと修行が私のチャプレン行を支えてくれた。

“Not Enough”チャプレンの研修を始めた当初、相手に語りかける言葉が見つからないことで、「自分は不十分だ。」との思いに悩んだ。ある仏教指導者に相談したところ、それは自我への執着であることに気づいた。仏陀の教えは、執着を手離し自己を含め物事をあるがままに受け入れよ、である。自己への慈悲心を育むことが他者への慈悲の源である。

“Don’t Fix It.”(仏教徒である先生の言葉)ご利用者が病院職員と折り合わない時にチャプレンが呼ばれることがある。その際の役割は仲裁ではなく、ご利用者に寄り添うことである。チャプレンは達成すべき目的を持たず、執着もない。主役はご利用者である。

“Be Present.”チャプレン行の基本はDoではなくBeである。上記のような困難な状況でもチャプレンは心身ともにその場にいる。「あなたが落ち着いてここにいたことが平和をもたらしてくれた。」と患者の家族や職員から感謝されることもある。そのために心身を「今、ここに」留めるように鍛える瞑想修行を日々行っている。

四無量心 チャプレンの利他行の理想は四無量心である。それは、相手の苦を観察して、幸せであって欲しいと願う心「慈」と、苦から解放されて欲しいと願う心「悲」を表現し、相手の安楽を「喜」び、究極には自他の差がなくなる「捨」を実現することである。このとき、自利と利他が不可分の境地に達する。

4.結語

チャプレンとしての日々の実践と反省を通じて以下を体得した。チャプレン行は菩薩道であり、仏教の教えが指針を与えること。慈悲心は民族、宗教を超えてご利用者に伝わること。そして、仏教の修行が、チャプレンの自他への慈悲心を支え育てるものであること。

[参考資料] 日本仏教看護・ビハーラ学会「仏教看護の勉強会」2022年12月15日 古村報告「アメリカにおけるチャプレンとしての活動について」

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古村文伸さんは、在家の出身で、仏教に関心を持ったきっかけは、中学校の国語の授業で読んだ『平家物語』でした。その後、1973年に東京大学大学院工学研究科修士課程を修了後、日立製作所に入り、同社システム研究所において、エンジニアとして研究開発と事業推進に日米で従事しました。

が、50歳に近づいた頃、仏教の勉強を始め、上野公園を歩いている時に、『華厳経』の「インドラネット」のことを考えているうちに、「一即一切(=空の智慧)、一切即一(慈悲)」であることを覚り、涙が止まらなくなったことがきっかけとなり、60歳になった頃に武蔵野大学通信学部で学ぶ過程で発心を得、第二の職としてスピリチュアルケアを提供する「仏教者チャプレン」への道を目指すことになりました。

こうして、2010年に武蔵野大学を卒業後、企業を退職し、米国コロラド州ボールダー市のチベット仏教系のナローパ大学神学修士過程に進み、仏教およびスピリチュアルケアの基礎を学びます。同時に、天台宗で学習と修行を続け、2013年に得度します。2014年、ナローパ大学で神学修士を取得後、チャプレンになるための現場実習であるCPE(Clinical Pastoral Education:臨床チャプレン研修)を米国の複数の病院で履修しました。

その実習を通じて、宗教の異なる人々へ仏教者としてスプリチュアルケアを提供する意味を自問し続け、チャプレン行が仏教の慈悲行であり、それは智慧と不可分であることに気づきます。その後、ペンシルバニア大学病院でチャプレンとして働き、74歳の現在に至るまで、同病院でチャプレンとして活動されています。

この古村文伸さんの「インターフェイス・スピリチュアルケアを支える仏教の教えと修行:私の体験報告」を元に、さらに欧米の状況などを含めて、1時間ほど話をしてもらい、小西達也さんと島薗進さんにそれぞれ10分ほどコメントしてもらって、鎌田の司会進行で質疑応答をすすめていきます。

開催日程は、あえて、織姫と彦星とが出会う七夕の日にオンライン(Zoom)設定しました。7月7日(金)19時30分~21時30分に、太平洋を挟んで、米国と日本とでインタフェイス議論のブリッジがかかるのは希望が持てますので。

それでは、次の満月まで、くれぐれも御身お大事にお過しください。

2023年7月3日 鎌田東二拝