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シンとトニーのムーンサルトレター 第093信

第93信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、小倉は桜が満開です。今日も松柏園ホテルや小倉紫雲閣の桜を見上げて、物思いに耽りました。この美しい桜もいつかは散るのだと思うと、自分の最期も自然に想像できます。ちなみに、「散る桜残る桜も散る桜」というのは良寛の辞世の句ですが、わたしの大好きな言葉です。また、最高のグリーフケアの思想でもあると思います。桜は日本人の死生観を育ててきました。

 死生観といえば、最近、心に残った葬儀がありました。歌舞伎界を代表する名役者であった市川團十郎さんの葬儀です。團十郎さんは、2月3日に66歳で亡くなられました。 その本葬が、2月27日に東京都港区の青山葬儀所で営まれました。歌舞伎界を中心に関係者やファン約2500人が参列したそうです。わたしもぜひ参列したかったのですが、その日は会社の大事な会議があり、叶いませんでした。 葬儀の模様は、テレビで観ました。

 喪主で長男の市川海老蔵さんは、亡き父がパソコンに残した辞世の句「色は空 空は色との 時なき世へ」を読み上げ、「父が自分の最後を悟っていたのを気づかずに大変申し訳なく、情けない思いがしました」と声を震わせました。 團十郎さんの生前最後の言葉は、「みんなありがとう」だったそうです。 それを明かした海老蔵さんは、「父は皆様に感謝する心をとても大切にする人でした、そんな父に成り代わりまして一言いわせて下さい。皆様、本日は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げました。

 わたしはそれを見て、「素晴らしい挨拶だなあ」と感銘を受けました。 そして、「海老蔵は、やっぱり千両役者だ!」とあらためて思いました。 歌舞伎は、世界に誇る日本独自の演劇です。 もともと世界の各地で、演劇の発生は葬儀と深く関わっています。 葬儀とは、世界創造神話を再現したものだといわれます。 1人の人間が死ぬことによって、世界の一部が欠ける。 その不完全になった世界を完全な世界に修復する役割が葬儀にはあるのです。

 また、演劇とは王の死の葬送行事として生まれたという説もあります。 葬儀と演劇は非常に近く、ともにこの上なく非日常的なのです。 海老蔵さんは、亡き父である團十郎さんの葬儀の喪主として挨拶することが、市川宗家の跡取りとして、また1人の歌舞伎役者として、一世一代の大舞台であることをよく理解していたように思います。海老蔵さんの独特の間のある挨拶を「芝居がかっている」と思った人もいるそうですが、わたしは「役者なのだから、芝居がかっているのは当たり前ではないか!」と思います。 特に、「息子が私という苦労絶えない人生」の一言は名言でした。 なかなか凡人には言えるセリフではありません。 この一言で、彼はあの騒動の禊を完全に済ませました。 いや、まことに立派な喪主挨拶でした。「成田屋!」と声をかけたくなるほどに・・・・・。

 それから、わたしは昨日の葬儀をテレビで観ながら、日本人の「こころ」が見事に表現されているなと思いました。日本人の「こころ」の三本柱といえば、神道・仏教・儒教です。 團十郎さんの葬儀は神葬祭、つまり神道式で執り行われました。 海老蔵さんの挨拶は、まさに儒教の精神に満ちていました。 彼は「私にとりまして、父であり師匠であってかけがえのない存在を亡くしてしまいましたが、父から頂いたこの体、35年かけて伝えてくれた歌舞伎の精神、これを一生かけてこの道で精進したい」と亡き父に誓いましたが、これは儒教の「孝」の思想そのもの、大いなる「生命の連続」の思想です。 そして、團十郎さんの辞世の句は、仏教の思想の核心となるメッセージでした。

「色は空 空は色との 時なき世へ」

 素晴らしい辞世の句であると思います。 パソコンに残っていた句を本人の了解なしに「辞世の句」として発表していいのかという問題はありますが、わたしは感動をおぼえました。わたしはつねづね「死生観とは究極の教養である」と思っているのですが、天下の歌舞伎役者・市川團十郎は最高の教養人でした。 じつは、拙著『世界をつくった八大聖人』が2008年4月にPHP新書から刊行されたとき、同時刊行されたのが市川團十郎著『團十郎の歌舞伎案内』でした。團十郎さんの『歌舞伎案内』はPHP新書の通しナンバーで519番、わたしの『八大聖人』は520番と続いています。この520番という数字は、5月20日というわたしの結婚記念日と重なっていたので、強く印象に残っています。歌舞伎界を代表する團十郎さんと同時刊行で本が出せたことが嬉しくて、それ以来、わたしは團十郎さんに御縁と親しみを感じていました。

 さて、「色は空 空は色との 時なき世へ」に戻ります。 これは、明らかに『般若心経』の「色即是空空即是色」から作られた句でしょう。「色即是空空即是色」は、この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しており、その本質は空であることを示しています。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということも示しています。

 「空」というコンセプトは、ブッダ自らが示した考え方だとされています。大乗とか上座とかを超えた仏教の根幹となる思想と言ってよいでしょう。「空」とは、「からっぽ」とか「無」ということではなく、平たく言えば、「こだわるな」という意味です。『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)で詳しく説明しましたが、この「空」の論理こそは仏教の最重要論理なのです。

 では、いっぽうの「色」はどうか。これは、「目に見えるもの」をブッダ流に表現した言葉でしょう。色がついていれば、どんなモノでも見えます。でも、空気は色がないので見えませんね。 ブッダは見える世界を「色」と呼び、見えない世界を「空」と呼んだのです。 でも、見える世界と見えない世界というのは、じつは同じなのです。 なぜなら、見える世界は見えない世界によってできているからです。 原子などは、その最も良い例ですね。この世界は、見えない原子によって成り立っているのですから。 これはなかなか抽象的で難しい考えなので、ブッダは色のある見える世界を「色」と表現し、色のない見えない世界を「空」と表現したのでしょう。今さらながらに卓越した表現センスであると思います。

 わたしは、「色」に加えて、見えない世界を目に見せてくれるものがもう1つあると思っています。「色」は「シキ」と読みますが、もう1つの「シキ」がある。 それは「式」、つまり儀式のこと、さらには冠婚葬祭のことです。 今年の1月、わずか1週間の間に義父の葬儀と長女の成人式が行われました。 非常にあわただしい中にも、「家族の絆」というものを強く感じました。 また、家族以外の方々との御縁も強く感じました。 心からの感謝の念を抱きました。そして、思ったのです。 冠婚葬祭とは、目に見えない「縁」と「絆」を可視化するものなのだ、と。 わたしは、1月に「目に見えぬ縁と絆を目に見せる素晴らしきかな冠婚葬祭」という道歌を詠みましたが、心の底からそう思います。

 團十郎さんを取り巻く縁と絆は、昨日の葬儀で見事に可視化されました。 「色即是空空即是色」にならえば、「式即是空空即是式」なのです。 わたしは、つねに「なぜ人間は儀式を必要とするのか」と考え続けています。 團十郎さんの辞世の句から、その答えが見えてきたような気がしました。 市川團十郎氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 それから、わたしの尊敬する方がお亡くなりになられました。日本を代表する文化人類学者の山口昌男先生です。3月10日の2時24分、肺炎のため東京都三鷹市内の病院で逝去されました。81歳でしたが、日本の思想界に大きな影響を与え続けた生涯でした。山口先生は、1931年に北海道美幌町に生まれました。東京大学国史学科卒業後、東京都立大学大学院で文化人類学を学び、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長、札幌大学学長などを歴任。日本民族学会会長も務められ、欧米の大学でも教えるなど国際的に活躍されたことでもよく知られます。2011年には文化功労者になられています。

 しかし、そんな通りいっぺんの経歴ではとても説明できません。それほど、山口先生は日本の思想界におけるスーパースターでした。1970年代初頭から哲学者の中村雄二郎氏とともに、創刊間もない青土社の思想誌「現代思想」(青土社)に寄稿し始めます。そこで、構造主義や記号論といった世界における最先端の思想を紹介しました。それによって日本における既存の学問の方向性をシフトした上で議論を活性化させたのです。山口先生の一連の活動は、1980年代のニューアカ(ニュー・アカデミズム)」ブームの下準備をしたとされています。浅田彰氏や中沢新一氏といった当時の「知のニュースター」たちも、山口先生が切り拓いた道があったからこそ登場できたと思います。1984年から10年間は磯崎新氏、大江健三郎氏、大岡信氏、武満徹氏、中村雄二郎氏らとともに岩波書店の総合誌「へるめす」の同人として活躍されました。

 山口先生は、アフリカなどのフィールドワークをもとに提起した「中心と周縁」理論や「トリックスター」論など独自の文化理論で知られます。守備範囲も広く、演劇や舞踊など多方面に影響を与えました。わたしは学生時代から山口先生の大ファンで、著書はほとんど全部読んでいます。いずれも時代を揺さぶった名著ばかりで、わたしは貪るようにそれらを読みました。

 かつて、わたしが『遊びの神話』を東急エージェンシーから出したとき、山口先生の本から何箇所か引用させていただいたので、礼状を書いて本をお送りしたことがあります。すると、なんと山口先生から東急エージェンシーに直接お電話があり、お会いすることになったのです。電話があった日の夜、新宿の「火の子」というバーでご馳走になりました。

 故・吉本隆明氏や栗本慎一郎氏も愛用した店です。

 山口先生は、『遊びの神話』を手にされて、「これ、読んだよ。面白いじゃないか、よく書けてる」と言って下さいました。まだ20代の若造だったわたしは、涙が出るほど感激しました。「ディズニーランドは現代の伊勢神宮である」という帯のコピーについても、いろいろと意見を交換させていただきました。当時は博覧会ブームで、「花と緑の博覧会」「横浜博覧会」「アジア太平洋博覧会」など、さまざまなイベントを東急エージェンシーが受注し、新人だったわたしも企画やプロモーションなどの末端の仕事を担当していました。

 山口先生の一連の著書は文化の本質に触れており、イベントのコンセプト立案やプランニングなどに役立つこと大だったのです。そのことを「火の子」で山口先生にお伝えし、「山口先生みたいな博覧強記の方に憧れますよ!」と言ったところ、「博覧強記?キミは博覧会狂気じゃないの、ワッハッハ」と高笑いされたことを憶えています。

 その御縁で、山口先生とは『魂をデザインする〜葬儀とは何か』(国書刊行会)本で対談させていただきました。 同書には、山折哲雄氏や井上章一氏、横尾忠則氏などとの対談も収められています。何よりも、義兄弟のTonyさんに初めてお会いしたきっかけとなった本です。20代で、日本の思想界を代表する「知の巨人」と葬儀について対話できたわたしは本当に幸せ者でした。山口昌男先生の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 今宵、わが家の庭に咲く老木の桜と満月を交互に見ながら、「桜を見よ、死を想え」、そして「月を見よ、死を想え」とつぶやくわたしでした。それではTonyさん、次の満月まで。オルボワール!

2013年3月27日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさんからのムーンサルトレターを韓国の慶州(キョンジュ)で受け取りました。わたしは、3月26日から28日まで、慶州に滞在していたのでした。今日、曹渓宗立の仏教大学(日本で言う曹洞宗立)の東国大学校で、「アジア共同体の構築に向けての宗教の役割」について、ぶっつづけで3時間の講演をしたのですが、150人の学生の反応はたいへんよくてうれしくなりました。昨年、9月末にも同じようなテーマで、ソウル近郊の嘉泉大学校で講演したのですが、その時よりも学生の反応はずっとよかったように思います。わたしの方も、できるかぎりわかりやすく、何をどのように伝えるのかを明確にしたので、話の筋道が明快になったのかもしれません。

 わたしは、宗教の大きな特徴は、「超越」であると思っています。「超越」とは何か? それは、枠組みを超えること、地平を変えること、次元を転換すること、です。この世の経済原則でものを見ずに、あの世の霊的原則でモノを観る(美輪明宏さんの主張みたいですが)とか、Shinさんが市川團十郎さんの「色は空 空は色との 時なき世へ」の辞世の句を紹介してくれましたが、そこで詠まれている「色は空」と「色即是空」へと、「色(この世的な物質世界)」から「空(メタレベルで関係性を観想洞察し覚悟することで執着を離れること)」へと地平を変え、また「空」から「色」へとフィードバックしつつ次元転換する、枠組みの組み換え、脱構築、離脱と再布置化、それが「超越」だと考えています。

 そのような「超越」を、人間の場合、誰しも、誕生と死を通して体験します。この世に存在しなかったモノが現われ出る時、そしてこの世に存在した者がいなくなる時、誰しも「超越」という垂直軸が時間と空間に孔を開けることを感じとります。その「超越」軸を日常生活の水平軸の中に位置づける行為が「儀礼・儀式」です。したがって、人類は、人類の存在条件の中に、超越と水平を交叉させ、結合させるための儀礼・儀式をセット・アップしているのです。それなしに、人はヒトでありえないのです。葬儀はもちろん、誕生の儀礼・儀式もそうです。

 この世へのいのちの迎え方、そして、この世からのいのちの送り方、それはわたしたちの「超越」軸を確認するための通過儀礼なのです。「月を見よ、死を想え!」もまた、そのような「超越」の回路を築くためのワザだといえるでしょう。

 さて、この間も、わたしは大忙しでした。韓国に行った時は、講演途中で倒れるのではないかと思うくらい、疲れていました。しかし、3時間ぶっつづけで講演している間に、みるみる元気になりました。エネルギーが自分の中に入ってくるのがわかりました。学生からわたしは大きなエネルギーをもらったのです。石笛や法螺貝や横笛も吹き、それも珍しがられましたが、何よりも、平和というものを生み出していくためには、ある種の「感情の共同体」を生み出さなければならないという主張が伝わったからだと思います。

 阪神淡路大震災の時にも、東日本大震災の時にも、「感情の共同体」が生まれました。それは大災害を体験した後の、「悲しみの共同体」、「悲嘆の共同体」でもありました。キリスト教はイエス・キリストの「受苦・受難の共同体」を基盤にしていると思いますが、そのような「感情の共同体」の共有が、赦しや愛や慈悲や誠を生み出すのだと思います。そしてそれは、平和や平安や幸福を求め、実現していく原動力になるものです。

 宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』第三次稿の中で、ブルカニロ博士からジョバンニに、「おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならったらう。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんたうにさうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えを分けてしまへばその実験の方法さえへまればもう信仰も化学と同じやになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから、。そらごらん、ぼくといっしょにすこしこゝろもちをしづかにしてごらん。」と、言わせています。

 ここで、ブルカニロ博士が言う、「お互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう」という事態が、「感情の共同体」です。つまり、聖フランチェスコや、ガンディーや、マザー・テレサや、どのような宗教を信仰していても、その人の行なったことでわたしたちは深く感動し、尊敬することができます。宗教は異なっていても、感動を共有することはできます。たとえば、バッハの音楽でもモーツアルトの音楽でもビートルズの音楽でも、思想・宗教・性別・民族・国境・年齢に関係なく、感動を持つことはできるし、そのような感動を共有することができます。

 不注意に「感情の共同体」などと言うと、「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいった特攻隊などのお国のために自己犠牲を強いられていく時の政治的に強制され強要された「感情の強制的共有」をイメージする人がいるかもしれません。しかし、その時、口では「天皇陛下万歳!」として死んでいった多くの若者が、心の中でも、小さな声でも「お母あさーん!」と言って、いのちをこの世にもたらせてくれた母と大いなるものに対して別れを告げていたことを忘れてはならないと思います。

 そのような、「感情の共同体」を生み出す力を持つものが、宗教や芸術や芸能、神話や儀礼などのこころとからだとたましいにはたらきかけるワザなのだと思います。実は、わたしは「仰げば尊し」という歌が大好きなのです。この歌を歌うたびに涙が出てくるのを抑えることができません。特に、3月のこの時期、卒業式のシーズンにはこの歌がよく歌われましたね。今はどうか知りませんが。「仰げば尊し」という最初のフレーズが出てきた時から、もうたまりません。大きな偉大なるモノの存在性を感じて、涙が溢れ出るのです。「わが師」とは、そうした「大いなるモノ」の一分肢にすぎないのです。「わが師」というのは、いろいろなレベル、位相、形態を持っています。わたしにとっては、先月亡くなった眼球のない盲目の三毛猫ココも「わが師」に含まれます。宗教学者の戸田義雄先生も、神道神学者の小野祖教先生も。

 そのような「師恩」の集積が、「学びの共同体」における知識や情報ばかりではなく、もっと深いところで、「感情の共同体」を作ってくれているのです。そのような「感情」基盤があるからこそ、わたしたちは、感謝の思いを以って学びをすることができます。

 ともあれ、「アジア共同体の構築」など、今の尖閣諸島や竹島をわが領土だと領土権を言い争い主張し合っている日中・日韓両国の間で望むべくもないように見えます。そんなもん夢物語だよ、何甘ちゃんなこと言ってんの、もっと現実を見なよ、パワー・ポリティックスの現実の中でもっと戦略的に国益を考えてやれよ、という声が聞こえてきます。

 けれども、わたしは夢こそが現実だと考えている人間なので、自覚的に「夢見」をし続けます。「夢」を見続けることで、それを現実化することができます。問題は、それを現実にするまでの時間を自分自身が生きられるかどうかですね。でもね、たとえ、わたしが死んでも「夢」は誰かが引き継いでみてくれますよ。たとえば、宮沢賢治の「夢」をわたしたちが受け継いで、「羅須地人協会」を「NPO法人東京自由大学」に作り替えているように。それは、「夢」の継承であり、「夢」の現実化への一過程です。そのような力とワザと努力をわたしは信じています。

慶州の湖水に映る満

慶州の湖水に映る満
 ところで、わたしは、3月2日・3日と東北大学と宮城県と福島県の被災地に行き、また3月10日から14日までふたたび東北被災地を巡り、その後、3月19日から22日まで沖縄・久高島に行き、すぐその翌日の3月23日から25日まで京都でNPO法人東京自由大学の春合宿を行ない、その翌日の3月26日から28日の昨日まで韓国の慶州に講演に行っていたのでした。その間、仕事や報告書や研究年報のまとめと校正などが相次ぎ、本当に休み暇がなく、無理に無理を重ね、疲労に疲労が重なっていました。さすがに頑丈だと思う自分も限界かなと思えるほど疲れていて、いつ倒れてもおかしくないという状態でした。

 でも、その中で、東国大学校で、学生を前にして、見る見るうちに力が湧き上がり、甦っていくのを感じました。講演している自分を、不思議に感じ入り、観察している自分がいました。

 NPO法人東京自由大学の初合宿の初日、平安神宮の西にある細見美術館で、個展「志村の色」を観ました。人間国宝の志村ふくみさんと娘の志村洋子さんとの2世代展が行なわれていたのです。

 そこで、2階の第2展示場に「奥琵琶」という作品が展示されているのを観て、強烈に心魅かれるものがありました。志村ふくみさんが織った深い緑の着物が展示されていたのです。

 それを観て、深いところを鷲掴みされました。その展示された着物の向こうに、お城があって、そのお城の天守閣から見ている姫が、凛とした気高い気品を漂わせ、毅然とした姿勢で、背筋を伸ばして、夕陽か月光を見ているのが視えました。誇り高いけれども、滅びゆくかもしれないモノ。自分の存在を賭けて「超越」軸を天地に突き刺している姫。その悲しみのエロティシズム。そんなエロスがこの緑の「奥琵琶」から発信されている。そんな印象を抱いたのです。

 「志村の色」の展示を観た後、わたしたちは、志村ふくみさんのお話をうかがいました。実は、2年前の2011年3月19日から21日に、NPO法人東京自由大学の春合宿を行なう時に、3月20日の日に講師としてお話していただくことになっていたのです。その時のテーマは「京都の色と形〜自然、信仰、芸術」でした。

 が、その直前の2011年の「3・11」に、あの東日本大震災が起こり、福島原発が爆発したのでした。その時、福島にいる志村さんのお弟子さんも被災しました。そして何より、福島の森や植物や海や魚が放射能に汚染されました。染色家の志村さんにとっては、植物が放射能に汚染されたことは、我が身を深く冒されたような強烈な痛みがあったと思います。志村ふくみさんは、その時、「とても人様の前でお話することができません。家を出る気になれません」と電話口で話され、その時、残念ながら、わたしたちは、志村ふくみさんの話をうかがうことはできなかったのです。

 2年前の3月20日は、ちょうどわたしの60回目の還暦の誕生日だったので、NPO法人東京自由大学の参加者の面々が還暦祝いをしてくれ、それはそれで大変有難かったのですが、しかし、そのような事態の中だったので、大変哀しかったことを覚えています。

 そして2年経って、やっと念願の志村ふくみさんのお話をうかがうことができたのです。この2年の間に、志村ふくみさんは、実に力強く甦っていました。昨年、88歳の米寿の年に、志村ふくみさんは、娘さんの洋子さんがわざわざ織っれくれた「振袖」を死ぬ気で身に纏ったとのことです。その「振袖」を着た志村ふくみさんは、もう一度、生まれ変わったのです。そして、志村ふくみさんは、洋子さんとともに、来月4月16日から、岡崎の一角で、「アルス志村」という染織・芸術の学校・私塾を始めるというのです。凄いことですね、これは!

細見美術館の茶室で志村ふくみさんと高橋義人京都大学名誉教授の話をうかがう

細見美術館の茶室で志村ふくみさんと高橋義人京都大学名誉教授の話をうかがう
 志村ふくみさんのお話は、熱く、静かで、凛とした芯がありました。生涯求道者、探究者の魂が、毅然としてそこにありました。志村ふくみさん自身の魂の色が、「奥琵琶」に滲み出ているのだとはっきりと感じ入りました。

 終了後、関西セミナーハウスに移動して、夜、京都大学名誉教授で平安女学院大学教授のゲーテ研究者の高橋義人氏の講義を聴きました。テーマは、「色と形の科学と芸術〜ゲーテ、志村ふくみ、P・クレー」でした。詩人であり、作家であり、科学者でもあるゲーテと、志村ふくみさんとクレーとの共通性がはっきりと浮かび上がる講義でした。この3者は共通して「色と形の科学と芸術」の探究者でした。芸術家と科学者との統合がゲーテの中にあります。そして、クレーの中にも、志村さんの中にも、そのような動向があります。もちろん、染織家で人間国宝の志村ふくみさんを科学者という人はいないでしょう。けれども、志村ふくみさんが、科学と技術と詩の接点を探究していることは間違いありません。

 高橋義人氏の講義が終わり、13夜の月光に照らされながら、わたしは、独り、夜道を辿って家路につきました。そして、志村ふくみさんが次のステージに超出していったように、わたしもまた次なる「超越」軸の貫通に身を投じなければならないと覚悟したのでした。

2013年3月29日 鎌田東二拝