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シンとトニーのムーンサルトレター第196信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、お元気ですか?
23日の夜、ついに東京五輪の開会式が国立競技場で開催されましたね。新型コロナウイルスによるパンデミックの中、また4回目の緊急事態宣言が発令されている東京において強行開催される五輪にはまったく祝祭ムードが感じられません。「万人に祝福されない祭典」といった印象です。


挨拶するIOCのバッハ会長(NHKより)

 

開会式が行われるまでの一連のドタバタ劇は周知の通りですが、中でも開閉会式の制作・演出チームで「ショーディレクター」として統括役を務めていた小林賢太郎氏が過去にホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を題材にしたコントを発表していた事実が判明し、批判の広がりを受けて解任されたことには衝撃が走りました。組織委員会の理事約20人は、開会式の中止か、簡素化への変更を同組織委・武藤敏郎事務総長に申し入れていたそうです。


登壇するバッハ会長と橋本会長(NHKより)

 

NHKの生中継で開会式をすべて観ましたが、とにかくIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長の挨拶が長いのには度肝を抜かれました。大会組織委員会の橋本聖子会長とバッハ会長の挨拶は併せて9分の予定でしたが、なんと20分になったそうです。しかし、バッハ会長は13分の独演会で、あまりの話の長さに着かれて座り込んだり、寝転がる各国選手も続出したそうです。バッハ会長の挨拶の後にも多くのプログラムが控えており、しかも自分の挨拶のすぐ後は天皇陛下の開会宣言だというのに、この人は世界一空気を読まない人ですね。「日本人」を「中国人」と言い間違えたのも天然ゆえのノー・プロブレムだったのかもしれません。


国立競技場の上空に浮かぶドローン(NHKより)

 

開会式の印象ですが、MISIAの国歌独唱、地球をイメージした1824台のドローン・アート、ジョン・レノンの「イマジン」のリレー歌唱映像、市川海老蔵の歌舞伎パフォーマンス、長嶋茂雄&王貞治のONや大阪なおみの登場など、それなりの見どころもありましたが、はっきり言って全体的にショボかったですね。とても、165億円もかけたセレモニーとは思えませんでした。とにかく、「バッハの挨拶が長かった」ことがまず思い浮かぶという結果となりました。完全な悪目立ちですが、「ある意味で、この人、すごいよ」と思ったのは、わたしだけではありますまい。


天皇陛下による開会宣言のようす(NHKより)

 

わたしが心配したのは、開会式に臨席されて「開会宣言」を行われる天皇陛下のことでした。組織委員会の某理事が語ったように「小林氏は開会式の演出全体の調整役と聞いている。それだけに、これまで通りの演出で開会式を行えば、世界中に小林氏の発言を認めたと取られてしまう」ならば、そんな演出の開会式に天皇陛下が臨席すれば、どうなるか。最高位のスポンサー企業の社長も、経団連・経済同友会・日本商工会議所の経済三団体のトップも、あろうことか東京五輪招致時の首相にして1年延期を決定した当事者である安倍晋三氏でさえ参加を見合わせるという開会式に、コロナ禍に苦しむ国民を想いながら忸怩たる思いで臨席される天皇陛下の心中を拝察すると、わたしは深い悲しみと強い怒りを感じました。


天皇陛下のご心中はいかに?(NHKより)

 

天皇陛下は、ご自身が東京五輪の名誉総裁ということもあり、開会宣言はされるけれども、速攻でお帰りになられ、観戦は一切されないそうです。これは上皇陛下、秋篠宮殿下をはじめ、皇族方は一切観戦されないとか。国民の大半が反対している東京五輪で、しかも無観客が決定しているのに天皇陛下や皇族方が観戦している姿がテレビに映ったら国民はどう思うかを考慮されたのでしょうが、素晴らしい見識であると思います。また、陛下が「祝い」という言葉を使わず、「記念」に言い換えられたことにも安心いたしました。やはり、新型コロナウイルスの感染によって亡くなられた多くの方々、今も闘病しておられる方々、そして医療の現場で必死に闘っている医療従事者の方々、さらには東京五輪ありきの緊急事態宣言で苦境にある飲食店関係者などの心中を思えば、「祝い」という言葉はふさわしくないからです。


地獄の釜の蓋が開いたか?(NHKより)

 

それにしても、ここまでトラブルが続き、開会式の前日になって超弩級の大問題が発生した東京五輪のこれまでの流れを思い起こすにつれ、人智を超えた神や仏や天といったサムシング・グレートの存在を感じずにはいられません。このような呪われた五輪、誰も祝福しない祭典を強行開催した人物、平和の祭典たる五輪を政争の具に使った逆賊には必ずや天罰が下るでしょう。五輪には日本人だけでなく世界中の人々が参加しています。これ以上おかしなトラブルの発生し、日本の恥が広く晒されないことを願うばかりです。


完成した多々良紫雲閣の前で

 

さて、話は変わって、6月28日、福岡市の東区に多々良紫雲閣が完成し、竣工清祓神事が行われました。サンレーグループとしては、福岡県内で47番目、全国で89番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。主催者挨拶で登壇したわたしは、多々良の地名について話しました。多々良の地名の由来は諸説ありますが、最も有力とされているのが、鉄の生産技法で使う鞴(ふいご)がタタラと呼ばれたことからきているとの説で、鋳物を製する踏鞴(たたら)があったことに由来しています。ジブリアニメの「もののけ姫」などでも知られますね。多々良(タタラ)が始めて書物に出てくるのは、『日本書紀』のヒメタタライスズヒメノミコトのくだりで、神武天皇の后、大国主命の娘とされ、鉄器製造に関わる神と言われています。古代の多々良には鉄の製造所が多くあったようです。


竣工式の主催者挨拶のようす

 

除夜の鐘で知られている太宰府の国宝、観世音寺の梵鐘は京都妙心寺の国宝の鐘と兄弟鐘であり、この鐘には「糟屋で・・・鐘を鋳る」との銘記があることから、『筑前国続風土記』では多々良を鋳造地と推定しています。鐘といえば、紫雲閣のシンボルともいえる禮鐘があります。わが社の創立55周年の記念すべき年に、ゆたかな歴史と伝説に彩られたこの素晴らしい多々良の地に新しい施設をオープンできることは本当に幸せであると述べてから、わたしは「神代より たたらの姫に護られし この地に鳴るは 禮の鐘なり」という道歌を披露しました。


ヤフーニュースより

 

すると、同時刻に、信じられないことが起こっていたのです。富山県高岡市にある(株)老子製作所(代表=老子祥平氏)が6月28日に富山地裁高岡支部へ民事再生法の適用を申請し、同日保全処分を受けました。同社は、1868年(明治元年)創業、1946年(昭和21年)4月に法人改組した梵鐘製造業者です。わたしは、同社について書かれた記事をヤフーニュースで読んで、いろんなことに非常に驚きました。まず、日本に「老子」という姓を持つ方がいて、「老子製作所」という社名の会社が存在したことに驚きました。次に、この会社が「広島平和の鐘」「国連の鐘」「皇居二重橋青銅製高欄」「沖縄平和祈念堂梵鐘」「靖国神社国旗掲揚塔」「長野善光寺忠霊殿相輪」などを製造していたという事実、さらには新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経営難の中で世界初となる鋳物のウイスキー蒸留器の開発に取り組んでいたこと、さらに何よりも驚いたのは、6月28日に民事再生法の適用を申請し、同日保全処分を受けたという事実です。そして最も驚いたのは、その後に知ったのですが、わが紫雲閣の禮鐘はすべて老子製作所が作っていたという事実です。いろんな偶然が重なり、シンクロニシティを感じました。


多々良紫雲閣の禮鐘

 

紫雲閣では、昨今の住宅事情や社会的背景を考慮し、出棺時に霊柩車のクラクションを鳴らすのではなく、禮の想いを込めた鐘の音による出棺を提案しています。これが「禮鐘の儀」です。使用する鐘は、宗教に捉われない鰐口を使います。また、サンレー独自のオリジナル出棺作法として、3点鐘(3回叩く)による出棺とします。この3回というのは「感謝」「祈り」「癒し」の意味が込められています。あと、「サンレー」に通じる「三禮」という意味もあります。

 

正確に言うと、禮鐘は「鰐口(わにぐち)」という鐘です。金属製梵音具の一種で、鋳銅や鋳鉄製のものが多いです。鐘鼓をふたつ合わせた形状で、鈴を扁平にしたような形をしています。上部に上から吊るすための耳状の取手がふたつあり、下側半分の縁に沿って細い開口部があります。仏堂や神社の社殿などで使われており、金口、金鼓とも呼ばれる事もあります。古代の日本では、神社にも寺院にもともに鰐口が吊るされていました。その後、時代が下って、神社は鈴、寺院は釣鐘というふうに分かれていったのです。ですから、鰐口は神仏共生のシンボル、さらには儒教の最重要思想である「禮」の文字が刻まれた「禮鐘」は神仏儒共生のシンボルとなります。神道・儒教・仏教が日本人の「こころ」の三本柱であることは繰り返し述べてきました。3回鳴る鐘は、「感謝」「祈り」「癒し」の意味もありますが、「神」「儒」「仏」でもあります。

拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)では、わたしはコロナ禍の中で社会現象といえる大ブームを巻き起こした「鬼滅の刃」には神道・儒教・仏教の精神が流れていると述べました。そして、それらの共通要素として先祖崇拝があることも指摘しました。その真髄は「孝」の一字に集約されます。先祖から子孫への継承である「孝」という字は2つに分解できます。「老」と「子」です。すなわち、「老子」です。なんと、老子製作所に繋がりました!

日本人の「こころの三本柱」である神儒仏の精神が集約された禮鐘が鳴るたびに、故人の魂が安らかに旅立たれ、愛する人を亡くした方々の深い悲しみが癒され、さらには日本人の心が平安になることを願ってやみません。わたしは、多くの名高い平和の鐘を製造され、日本人の祈りを支え続けてきた老子製作所に最大の敬意を払いたいと思います。そして、同社が守り続けてきた「鐘の文化」というものを、ささやかながら継承させていただきたいと思っています。梵鐘から禮鐘へ・・・わが心の中には、グリーフケアの時代の到来を告げる銅鑼の音が鳴り響いています。


加地伸行先生と

 

さて、「孝」といえば、7月7日、わが国の儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授儒教学者の加地伸行先生と大阪で対談させていただく機会に恵まれ、「孝」についてたっぷり語り合ってきました。その予習として、対談の1カ月ぐらい前から加地先生のご著書を読み返していたのですが、特に『孝経 全訳注』(講談社学術文庫)を読み込みました。『論語』と並ぶ儒教の最重要古典である同書には、「人の道」としての葬儀の重要性が徹底的に説かれています。そして、そのコンセプトは「孝」です。


加地先生との対談のようす

 

孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。加地先生によれば、祖先祭祀とは「祖先の存在を確認すること」であり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅しますが、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。人は死ななくなるわけです!

 

iPS細胞の発見者で、ノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥先生とも対談された加地先生によれば、「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなく、文字通り「遺した体」であるといいます。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。親から子へ、先祖から子孫へ、孝というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということなのです。孔子はこのことに気づいていたのだが、2500年後の日本人である加地伸行氏が「孝」の真髄を再発見したわけです。そして、この「孝」というコンセプトは日本において、儒教から神道と仏教にも受け継がれました。

加地先生との対談は『儒教と日本人』という書籍にまとめられ、現代書林から刊行される予定です。Tonyさんとはぜひ、『神道と日本人』という本を作らせていただきたいと願っています。わたしが生徒として神道に関するさまざまな質問をさせていただきますので、お答えいただければ幸甚です。広く日本人、特に冠婚葬祭業界で働く方々の良きテキストになればと思います。ということで、今後とも御指導下さいますようにお願いいたします。


『心ゆたかな読書』(現代書林)8月3日発売

 

最後になりますが、わたしの105冊目の本となる『心ゆたかな読書』(現代書林)の見本が出ました。本書は125万部発行の「サンデー新聞」に連載中の書評コラム「ハートフル・ブックス」で取り上げた至高の150冊を紹介したブックガイドです。本書で取り上げるのは基本的に1作家1冊なのですが、Tonyさんだけは例外で、『超訳 古事記』(ミシマ社)と『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書)の2冊を紹介させていただきました。まことに不遜ですが、送らせていただきますので、ご笑読の上、ご批判下されば幸いです。8月3日の発売予定ですので、この本のことは次回のムーンサルトレター第197信に詳しく書かせていただきます。まだまだ猛暑が続きますが、熱中症とコロナ感染に気をつけて、御自愛下さい。では、次の満月まで!

2021年7月24日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

105冊目の新刊『心ゆたかな読書』の刊行、まことにおめでとうございます。いつもながら、「ちはやぶる」すごい生産力ですね。感服します。その中の150冊の読書記録の中に拙著を2冊も取り上げてくださり、感謝申し上げます。ありがたくも、うれしく拝読しました。

さて、東京オリンピックが開幕しましたね。世論調査などで国民の多数が反対する中での開催だったために、日本国憲法で、天皇は「日本国の象徴」であり、また「日本国民統合の象徴」とされ、「国事行為」のみを行なうと規定されているので、大変微妙な思いに揺さぶられていたと推測します。それは、「日本国の象徴」としては国家の意思である東京オリンピックの開会式という「国事行為」の「儀式」に臨まなければならないけれども、「日本国民統合の象徴」としては国民の反対が多い東京オリンピックの開会式に参加することは控えたいという、憲法上の規定からも来る二律背反を抱えていると思うからです。

そもそも、日本国憲法の「第一章 天皇」には、次のようにあります。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

 国会を召集すること。

 衆議院を解散すること。

 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

 栄典を授与すること。

 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

 外国の大使及び公使を接受すること。

 儀式を行ふこと。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

とすれば、今回のように、各報道機関などのアンケート調査ではオリンピック開催反対意見が多く、国論を二分し、分断と対立を生み出す可能性のある「儀式」に、「象徴」的な立場で関わること自体、微妙で危ういところがあると考えます。「日本国の象徴」と「日本国民の象徴」という二つの象徴がイコールではなく、乖離し、相反している面があるからです。

しかし、それでも、オリンピックが開催され、メダル獲得などが報道されるにつれて、国民感情も微妙に変化し、また同時に、コロナ感染がさらに拡大すれば、それみたことか、やはり心配事が現実になったと反感と反対はいや増すことになります。そこでも、国民感情と国論は二分され、埋めがたい溝が生まれます。国家に寄り添うか国民に寄り添うか、二つの「象徴天皇」としての矛盾と二律背反に苛まされることになります。いずれにせよ、大変微妙で危うい状況にあり、日本国自体のプレゼンスも非常に流動化していると思います。

そのような行く末のよく見えない状況下、東京オリンピック開会式の前日の7月22日の「海の日」に、わたしたちは「オンライン大重祭り2021」を開催しました。故大重潤一郎監督(1946-2015)の7回忌にも当たる命日に、正午の12時から、故大重潤一郎監督への哀悼だけでなく、コロナや災害で亡くなられた方々への追悼を込めた黙祷を捧げた後、6時間あまりも、休憩なしのぶっ通しで、18時10分までトークや各種パフォーマンスを繰り広げました。その6時間余の全プログラム・全過程をyou tubeにアップロードしましたので、ぜひ時間のある時にご覧ください。URLは以下の通りです。

https://www.youtube.com/watch?v=VbUIuAVGOBM

ただし、6時間以上あるので、適当に休憩など入れながら見てください。それぞれ、濃密な時間の儀式、歌、トーク、パフォーマンスに関わった各自のメッセージと表現は熱く、明確で、身心魂を串刺しするものだったと強く感じています。

また、それとは別に、「オンライン大重祭り2021」の中で上映した<大重映画予告編&インタビュー>のみの30分版を独立した形で以下のyou tubeにアップロードしました。これを見ると、コンパクトに、大重潤一郎という人を理解する手掛かりになります。

https://www.youtube.com/watch?v=bl_jGA5HU9E

また、同日、新たに、「光りの島」「風の島」「原郷ニライカナイへ~比嘉康夫の魂」「久高オデッセイ」三部作の第一作「久高オデッセイ第一部 結章」がVimeoで公開しました。有料ですが、折を見て観賞していただけると幸いです。

光りの島(1995年):https://vimeo.com/user129805387

風の島(1996年):https://vimeo.com/user129805387

原郷ニライカナイへ~比嘉康夫の魂(2000年):https://vimeo.com/user129805387

久高オデッセイ第一部 結章(2006年):https://vimeo.com/ondemand/345934

その他に、すでに、「黒神」(1970年デビュー作)、「水の心」(1991年)、「縄文」(2000年)の三作品もVimeo公開しています。

先月のムーンサルトレターでも書きましたが、「オンライン大重祭り2021」のプログラムは以下のとおりです。

オンライン「大重祭り」2021年7月22日(木)12時~18時開催 オンライン大重祭りオフィシャルサイト:https://phdmoon.sakura.ne.jp/ohshige/

開催日時:7月22日(木)12時~18時
趣旨:未曽有のコロナ禍の中、いのちの讃歌を歌い続けた映像詩人・故大重潤一郎監督(1946年3月9日‐2015年7月22日)の命日に、大重さんの遺志とメッセージを確認しつつ、未来につなぐ橋を架けよう!

12時 三拝・法螺貝奉奏・黙祷・読経(約5分 鎌田東二+高橋慈正)
ご挨拶 12時5分~12時30分 開会の辞 鎌田東二+比嘉真人+大重生+大重敦子

第一部:それぞれの大重祭りパフォーマンス12時30分~16時30分 (司会進行:神田亜紀・比嘉真人)
出演:1,沖縄・久高島より中継(40分)~演奏とトーク

SUGEE(ジャンベ奏者・音楽家、群馬県館林市在住)
小嶋さちほ(シンガーソングライター、沖縄県南城市在住)

比嘉真人(沖縄映像文化研究所代表、「久高オデッセイ第三部 風章」助監督、沖縄県南城市在住)

内間豊(久高島島民、NPO法人久高島振興会理事長、「久高オデッセイ三部作」出演者)
2,大阪より中継(30分)~舞踊と演奏とトーク

JUN天人(舞踏家・大重映画「縄文」主演大阪市在住)+岡野弘幹(音楽家・大重映画「縄文」「ビックマウンテンへの道」音楽担当大阪在住)

3,各地から中継①(60分)~トーク
島薗進(「久高オデッセイ第三部 風章」制作実行委員会副委員長、上智大学グリーフケア研究所所長、NPO法人東京自由大学学長、東京荻窪在住)

高木慶子(「光りの島」上映会主催者、上智大学グリーフケア研究所名誉所長、カトリック煉獄援助修道会会員・シスター)
須藤義人(「久高オデッセイ第一部 第二部」助監督、沖縄大学准教授、僧侶、沖縄在住)

矢島太輔(「久高オデッセイ」について新聞記事を執筆。朝日新聞社記者。学生時分に大重監督と出逢う)

矢野智徳(NPO法人杜の園芸代表、「久高オデッセイ第一部 第二部」出演者、東京在住)

須田郡司(巨石ハンター、「久高オデッセイ」@出雲上映者、出雲在住)

木村はるみ(山梨大学准教授、「久高オデッセイ」等@山梨大学上映者、山梨在住)

門前斐紀(チラシ制作者、金沢青陵大学専任講師、金沢在住)

河合早苗(デザイナー、「唐長」についてのドキュメンタリー映画の製作者、神戸在住)

4,各地から中継②(90分)~歌とトーク

内田ボブ「ワシの歌」(シンガーソングライター、長野県在住)

渡村マイ(一般社団法人SACLABO代表、静岡県藤枝市在住)

鶴見幸代(『久高オデッセイ第二部 生章』作曲家、茨城県在住)

Kow(曽我部晃,ミュージシャン,「ビックマウンテンへの道」DVD製作者,「風の道の歌1曲,東京都町田市小野路街在住)

藤川潤司・一紗(元「縄文サンバ」・音楽家、熊本県玉名市在住)+藤井芳広(詩人・福岡県糸島市市議会議員、福岡県糸島市在住)

ラビラビ「song of the earth」(音楽家・東京在住)

酒井尚志(パントマイマー、東京在住)
荒井清治(旧姓・坂本清治、与久呂農園、元久高島留学センター代表、岐阜県郡上白鳥在住)

第二部:大重映画上映:16時30分~17時

予告編「黒神」1970年・「水の心」1991年・「光りの島」1995年・「風の島」1996年・「縄文」2000年・「ビックマウンテンへの道」2001年・「原郷ニライカナイへ~比嘉康夫の魂」2000年、「久高オデッセイ第一部 結章」2006年・「久高オデッセイ第二部 生章」2009年・遺作「久高オデッセイ第三部 風章」2015年(約20分、比嘉真人編集)、「大重潤一郎訪問インタビュー」(約10分、撮影:山田俊一、比嘉真人・大重生編集)上映(トータル30分) (司会進行:高橋慈正・鎌田東二)

第三部:自由トークと閉会の辞17時~18時(司会進行:高橋慈正・鎌田東二)

大重生(大重潤一郎長男、「久高オデッセイ第一部」助監督)+坪谷令子(画家、神戸在住)

各地からの自由トーク

鎌田東二(ホラ貝・歌1曲「銀河鉄道の夜」)+ヴィルデあや・ホルン演奏「ニライカナイ」(ホルン奏者、ドイツ・ベルリン在住)

大重祭り呼びかけ人:鎌田東二、比嘉真人、高橋慈正、神田亜紀、大重生、SUGEE、JUN天人 技術スタッフ:K・O

「オンライン大重祭り2021」を行なった翌日の7月23日、午後3時半頃から比叡山に登拝し(東山修験道722)、つつじが丘に至り、お地蔵さま群のところで、改めて一人で、大重潤一郎さんのみたま供養をしました。ここは、「草木国土悉皆成仏」という天台本覚思想が生まれた聖地なので、草花を愛した大重さんも気に入ってくれるでしょう。つつじヶ丘には、つつじ天国、つつじ浄土とも言えるほど、美しいつつじの群生があり、また、小さなお地蔵様群の立ち並ぶ比叡山中で最高の絶景です。「ロケの大重」と言われた大重監督なら、ここを必ず気に入るはずです。「かまっさんよお~、いい供養地を探してくれたな。ありがとよ。」

じつは、6年前に大重敦子夫人と一人息子の大重生さんに故大重潤一郎監督の遺骨を分けてもらい、丸6年、大重潤一郎の遺骨とともに暮らしてきました。昨日、「久高オデッセイ第三部 風章」の演出助手で、今は曹洞宗の僧侶となった高橋慈正師に大重さんのみたまを供養してもらい、7回忌を無事祈りまつることができたので、これから心おきなく自然葬に向き合うことができます。

東山修験道で比叡山登拝が「722回目」となる日に、2015年「7月22日」に旅立った大重潤一郎さんのみたま供養をしました。

東山修験道722:https://www.youtube.com/watch?v=7KAVmz7qql0

ところで、「オンライン大重祭り2021」の出演者・スピーカーの一人でもあった上智大学グリーフケア研究所大阪所長の島薗進さんから「宗教者災害支援連絡会(宗援連)」の呼びかける「祈りと追悼のとき」の提案が届きました。これから、毎月第4金曜日の20時から「祈りと追悼のとき」が各地で共有されることになり、その第1回目は、東京オリンピックの開幕式のちょうどその時刻に当りました。東京オリンピックにおいても、世界に向けて「祈りと追悼のとき」が共有されてしかるべきであり、また報道で、そのような追悼の意思と表現はあったと知りましたが、なにぶん、開幕式を全く見ていないので、何とも言えません。島薗さんから送られてきた呼びかけ文は以下のとおりです。

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「祈りと追悼のとき」

宗援連は新型コロナウイルス感染症で亡くなった方々を悼むとともに、苦しみや悲しみ

のなかにある人々のために祈り、また、新型コロナウイルス感染症の感染防止や感染者の

いのちを守るために尽力くださっている方々への感謝の念をもともにしたく、毎月第4

金曜日の午後8時に「祈りと追悼のとき」をもつことを提案いたします。

東日本大震災では、宗援連は毎月11日の午後2時46分に「追悼のとき」をもつ

ことを提案し、実行もしてきました。

https://sites.google.com/site/syuenrenindex/system/app/pages/search?scope=search-site&q=追悼のとき

各団体や個人は、すでにそれぞれにそのようなときをもっておられると思いますが。

宗援連として、皆がともにそのようなときをもつことを提案するものです。

7月8日に世界の死者が400万人を、7月14日に国内の死者が1万5千人となったのを機に、7月23日(金)に第1回の「祈りと追悼のとき」をもってはいかがかでしょう。第2回はちょうど地蔵盆のあとの8月27日。第3回は9月24日となります。

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「オンライン大重祭り2021」のフィナーレは、ベルリンと日本での法螺貝とホルンの響きの橋を架ける儀式を行ないました。この時、ベルリンの壁公園での様子がどうであったかを、ホルン奏者のヴィルデあやさんが次のように書き送ってくれました。

<ベルリンでのエピソードを皆さまにお伝えさせて頂きたいと思います。

ベルリンの壁公園でのセッティングを終え、楽器を片手に祭りの進行を気に留めながら待機していた時の事です。ベビーカーに小さな男の子を乗せて散歩中の男性が側を通り掛かりました。ホルンをご覧になり、男の子に話をされながら、演奏を聴かせて欲しいと仰るので、今私がここで何をしているのか、状況をお伝えしました。

嬉しい事に、演奏時間まで待つと仰って下さり、まだ一歳半くらいの男の子はクッキーをパクパク頬張りながらニコニコと機嫌良く、そして、若いお父さんは「その映画監督のお名前は?」と更に興味を示されたので、監督のお名前だけでなく、私の知る限りの知識をお伝えするよう努めました。

そのまま、この親子は随分と長い時間、木陰に腰掛けて、法螺貝とホルンの響きが披露されるまで待っていてくれました。

そして、いざ演奏が始まると、男の子は目をグッと見開き、私たちの響きに聴き入ってくれました。彼らにとって、この時間がどの様な体験になったのかは分かりませんが、オンラインを通して、こんな風に、ベルリンの壁公園の木陰にて、”対面式”で偶然にも日本の大重祭り2021に参加された彼らの存在がありました。>

ベルリンからのホルン演奏時の父と子との親子連れの微笑ましくも心温まるエピソードでした。ベルリンは、東京自由大学副理事長を務めてくれていた故大重潤一郎監督とも親密な交流のあった初代東京自由大学学長の故横尾龍彦画伯がベルリン郊外に住んでいたので、1995年にわたしもしばらく滞在させてもらっていたことがあり、その後も、2002年のベルリン日独センター、2004年のシャルロッテンベルグ宮殿での個展、2005年のソニー・ヨーロッパセンターベルリンでの個展で、描画パフォーマンスに石笛・横笛・法螺貝演奏横尾龍彦画伯とでコラボレーションしたことのある思い出深い街です。わたしにとっては、光と影をいっぱい保持している芸術の街です。その街の「象徴」と言えるベルリンの壁公園で、日本とドイツのボーダーや壁を越える「オンライン大重祭り2021」で、ベルリンのベビーカーの男の子とつながることができて、大変嬉しくも希望を感じました。わずか1歳半ほどの幼子の魂にこの祭りのHH(法螺貝+ホルン)の響きがどのような種として撒かれたか、見守りたくおもいます。

わたしの方は、6月から東京に出て、上智大学大学院実践宗教学研究科の授業「宗教学演習」をハイフレックスで行なっています。少人数の対面と、Zoom参加の院生の両方で、わたしを入れて21名で授業を行なっています。大宮に植えてある母の形見のスダチの木も200~300個近くの実を稔らせ始めました。まだまだ採って搾るほどの大きさには至っていませんが、収穫が楽しみです。スダチの木を守るために(日照を確保するために)、わたしは庭の草むしりをします。これはわたしにとっては「いのちの木(生命の樹)」であり、「常世のときじくのかくの木」です。

昨夜、全7回のプログラムで行なってきた「身心変容技法オンラインセミナー」も最終回を迎え、島薗進さんとわたしの2人で、最後を締めました。島薗さんとはほぼ半世紀近く身近なところでいろいろなことを共に行なってきましたが、70歳を過ぎてなおこのように協働作業できることを有難くおもっています。Shinさんともども、グリーフケアとスピリチュアルケアの次なる展開に力を注ぎたく思いますので、今後ともよろしくお願いします。

それでは、次の8月の満月の夜まで、くれぐれも御身お大事にお過ごしください。

2021年7月25日 鎌田東二拝