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シンとトニーのムーンサルトレター 第184信

 

 

 第184信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、8月になりましたが、いかがお過ごしですか? 北九州は梅雨が明けて連日の猛暑ですが、新型コロナウイルスの新規感染者数が増大し、各地で記録を更新し続けていますね。完全に第2波が来ています。このような時期に、本来は東京五輪が開催されるはずだったというのが本当に信じられません。今夜の月は午前1時頃に満月の瞬間を迎えましたが、8月の満月は「スタージェンムーン」と呼ばれるそうです。アメリカ先住民の呼び方だとか。アメリカの先住民は季節を把握するために、各月に見られる満月に名前を、動物や植物、季節のイベントなど実に様々につけていました。「スタージェンムーン」とは「チョウザメ月」という意味です。アメリカ先住民の間ではチョウザメ漁はこの季節を象徴するものだったようです。

 さて、コロナ禍の中で、この1ヵ月もいろいろな出来事がありました。まずは、7月17日の早朝から小倉の松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。先月と同じく、通常よりも人数を減らし、マスク着用でクールビズでの神事となりました。月次祭では、皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループの佐久間進会長に続き、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、会社の発展と社員の健康・幸福を祈念しました。

 神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。通常と人数は同じですが、会場の広さは3倍です。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は会場を埋め尽くしたマスク姿の人々を前に、先月に続いて、「共飲」「共食」「共浴」「共健」「共笑」「共歌」「共遊」「共旅」という「八共道」というものを示し、アフターコロナの時代に互助会として提供したいと述べました。

 今回は「八共道」を「実践共助八美道」と名づけ、佐久間会長は、共飲(緑茶サービス・点茶作法による喫茶サービス・盃を交わす)、共食(同じ釜の飯を食う仲間づくり・心の交流・生涯の友)、共浴(一緒に風呂に入る・裸の付き合い・背中の流し合い)、共健(朝の体操・散歩・気功・太極拳・ヨガ等)、共歌(共に歌う・カラオケ・マイクまわし・合唱・連歌・短歌・川柳・俳句)、共笑(笑いの会・笑い気功・一日一笑習慣)、共遊(囲碁・将棋・スポーツ麻雀・仕事帰りの一杯の酒)、共旅(共に旅行・薬草狩り・神社仏閣巡り)について具体的に説明しました。

 「盃を交わす」とか「背中の流し合い」とか「マイク回し」といったギョッとするような話も飛び出し、一見、コロナ時代には絶対不可能な行為ばかりのように思えます。正直、わたしも「これは、ちょっと・・・」と思いましたが、会長はこういった従来の濃密なコミュニケーションをアップデートせよということで、コロナ時代に対応した「実践共助八美道」を提案しているのです。また、会長は 「他者のために、他者とともに」「利他の精神 和の心」「互助共生による実践共助システム」「日帰り現代湯治天国サロン」などのプランも示しました。

天道塾で「八共道」を語る佐久間会長

天道塾で「八共道」を語る佐久間会長天道塾で「鼻なしの会」について語る

天道塾で「鼻なしの会」について語る
 続いて、わたしが登壇し、小倉織のマスク姿で「まず最初に、このたびの九州豪雨で犠牲となられた方のご冥福を心よりお祈りしますとともに、被災された方々にはお見舞いを申し上げたいと思います。日々、感染者が増え続けているというのに、観光業界の支援事業『GoToトラベルキャンペーン』が、22日に先行して始まります。壊滅的な被害を受けている観光業界の要望もあり、8月上旬予定から前倒しの実施となりました。しかし、首都圏や近畿圏で『第2波の到来』が叫ばれているのに、日本中の人が全国に旅行するなど狂気の沙汰だと思います」と述べました。

 続けて、わたしはマスクを外し、次のように述べました。「国は『経済が回らなければ大変なことになる」』という説明も理解できますが、感染拡大抑制が最優先ではないでしょうか。現在、『社会と経済はどちらが優先するのか』ということが問われています。わたしも経営者の端くれですから、経済の重要性はわかっているつもりです。それでも、企業の業績などよりも大切なことがあります。それは、お客様や社員のみなさんが感染しないように細心の注意を払うこと。すなわち、経済よりも社会が大事なのです」

 わたしがリスペクトしてやまない経営学者ピーター・ドラッカーの遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)のメッセージは、「経済よりも社会のほうが重大な意味を持つ」ということでした。同書の冒頭で日本の読者に対して、ドラッカーは「日本では誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである」と呼びかけています。

 また、先月も話しましたが、わたしはこのたびのステイホーム期間中に感染症についての本を読み漁り、映画も片っ端から観ましたが、重要な事実を発見しました。それは、ペストに代表されるように感染症が拡大している時期は死者の埋葬がおろそかになりますが、その引け目や罪悪感もあって、感染症が終息した後は、必ず葬儀が重要視されるようになるということ。人類にとって葬儀と感染症は双子のような存在であり、感染症があったからこそ葬儀の意味や価値が見直され、葬儀は継続・発展してきたのだという見方もできます。結婚式も同様で、ポストコロナは儀式が重んじられる「心ゆたかな社会」が訪れることでしょう。わたしは、社員のみなさんに向かって、「コロナ禍の中にあっても、わが社の施設はオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、儀式文化を基軸とした『人間尊重』というわが社のミッションは永久に不滅です!」と言いました。

『世界史を変えた13の病』ジェニファー・ライト著、鈴木涼子訳(原書房) また、わたしは「新型コロナウイルスに九州豪雨・・・・・・現在の日本は巨大なグリーフに包まれていると言えます。グリーフ・ソサエティが誕生した観があり、まさにグリーフケアが求められる時代です。そして、わたしは互助会こそがグリーフケアの最高の受け皿になると考えています」と述べました。少し前に読んだ本に、『世界史を変えた13の病』ジェニファー・ライト著、鈴木涼子訳(原書房)があります。同書によれば、19世紀のロンドンには、梅毒で鼻を失った人々の「鼻なしの会」という互助会が存在したそうです。「鼻のない人々が集まったところを見たいと思ったある気まぐれな紳士が、ある日彼らを酒場に招待して食事をし、その場で上記の名を冠した協会を結成した」そうですが、ミスター・クランプトンという紳士が、その状況で予想されたよりも多くの人を集めたといいます。同書には、「人数が増えるにつれて、参加者の驚きは増していき、慣れない気恥ずかしさと奇妙な混乱を感じながら互いに見つめあった。まるで罪人が仲間の顔に自身の罪を見たかのように」と書かれています。

 「鼻なしの会」については、「彼らが罪人と呼ばれていたことは置いておいて、悩みを分かちあえる相手とついに出会えたことがどのようであったかを想像してみよう。ほとんどの人が名前を口にすることすら恐れている病気について、他人と語ることができたのだ。彼らがショックを受けたとしたら、その気持ちは理解できるような気がする。ほとんどの人が、鼻がないのをできるだけ隠すことに多くの時間を費やしていただろう。記事によれば、彼らはほとんどすぐに仲よくなり、冗談を言い始めた。『おれたちが喧嘩を始めたら、どれくらいで鼻血が出るかな?』『いまいましい。この30分、どこを探しても見当たらない鼻の話をするのか』『ありがたいことに、おれたちには鼻はないが口はある。テーブルに並んだごちそうに対しては、いまのところ一番役に立つ器官だ』」とも書かれています。

 さらに、「鼻なしの会」について、同書には「楽しそうな集まりだ。鼻がなくても、ユーモアのセンスはある! わたしは普通なら絶望するときに、ジョークを言える人が好きだ。それに、これは梅毒患者が人間でない(天才が作った怪物かただの恐ろしいもの)ように描写されていない最初の記録かもしれない」とも書かれています。

 わたしは、この箇所に涙が出るほど感動しました。というのも、わたしはグリーフケアを研究・実践しています。グリーフには死別をはじめ、名誉や仕事や財産などを失うこと、そして身体的喪失にも伴います。顔の中心である鼻をなくすというのは、どれほどその人に絶望を与えたことか。想像することすら難しい絶対的な絶望と言えます。しかも、鼻を奪った梅毒が代表的な性病であることは、当人の名誉も傷つけたことと思います。おそらく、「鼻なしの会」のオリジナルな英語名は“NO NOSE CLUB”ではないかと思いますが、このギリギリのユーモアがグリーフケアにおいて大きな力を発揮したのではないでしょうか。かつて、性病で顔の中心を喪失するという巨大な悲嘆を与えられた人々を救おうとした試みがあったことに、わたしは心の底から感動しました。現在、新型コロナウイルスの最前線で闘う医療従事者を差別するという、とんでもない愚かな人々がいます。

 「童話の神様」と呼ばれたアンデルセンが「マッチ売りの少女」で人類普遍のメッセージを発したように、人間として最も大切な人の道は「命を救うこと」と「死者を弔うこと」の2つであり、その意味で医療従事者と葬儀従事者ほど尊い仕事はありません。ロンドンに実在した「鼻なしの会」という悲嘆の互助会から学びを得て、サンレーグループの互助会はさまざまなグリーフケアの受け皿を目指したいです。最後に、わたしは「コロナからココロへ。一緒に『心ゆたかな社会』を創造しましょう!」と述べてから、降壇しました。

『紫の雲』M・P・シール著 今年、わが社の紫雲閣は石川県の手取、柳橋、福岡県の遠賀がオープンし、さらにこれから飯塚、行橋、宮若、若宮、浦田、多々良・・・続々とオープンします。新しい紫雲閣の竣工式の施主挨拶では、いつも「紫の雲」という言葉を詠み込んだ歌を披露するのですが、最近、わたしは1901年にイギリスで書かれた『紫の雲』という幻想小説を読みました。著者のM・P・シールはH・G・ウェルズと同時代人のSF&ホラー作家なのですが、ここに登場するパープル・クラウドは人類を滅亡させる力を持った最強のウイルスを含んだ毒雲です。しかし、紫雲閣の「紫雲」は、仏教の浄土信仰に基づくありがたい雲です。わたしたちが亡くなったときに極楽浄土から迎えにきてくれる仏様の乗り物が紫雲なのです。新型コロナウイルスの感染が拡大して、世の中に「死」の影が蔓延しているとき、紫雲閣はその不安を癒し、安らぎを与えることができる空間にしたいと思います。言うまでなく、紫雲閣は単なるセレモニーホールではなく、コミュニティホールを目指しています。そして、そこはグリーフケアの場にもなります。

 本日、8月4日、福岡市初となる紫雲閣の地鎮祭が行われました。「福岡浦田紫雲閣(仮称)」の新築工事安全祈願祭です。場所は、福岡県福岡市博多区浦田1丁目13−30です。北九州の小倉で誕生し、各地で展開してきた紫雲閣ですが、ついに九州最大の都市である福岡市に建設する運びとなりました。サンレーグループとしては、福岡浦田紫雲閣は福岡県内で43番目、全国で85番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)となります。今月下旬には福岡市東区に「福岡多々良紫雲閣(仮称)の地鎮祭も行います。コロナ禍の最中ではありますが、いやコロナ禍だからこそ、「天下布礼」をさらに進めていく覚悟です。それではTonyさん、また次の満月まで!
福岡浦田紫雲閣の地鎮祭で柏手を打つ

福岡浦田紫雲閣の地鎮祭で柏手を打つ起工式の最後に施主挨拶を行う

起工式の最後に施主挨拶を行う

2020年8月4日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 暑中お見舞い申し上げます。新型コロナウイルスの感染拡大が止まりませんね。東京や大阪などだけでなく、沖縄の感染者数の増加もたいへん心配です。米軍基地内にも多数の感染者がいます。日米地位協定に基づく基地問題が大きく影を落としています。このままでは日本は沈没ですね。

 8月4日午前1時頃、今宵は満月でした。その本日の午前1時頃に満月を撮影し、動画を作成しyou tubeにアップロードしました。Shinさんのご教示によれば、アメリカ先住民は8月の満月を「スタージェンムーン(チョウザメ月)」と呼ぶそうですが、とても生活実感がありますね。8月の夏季にチョウザメ漁をしていたのですね。それに比べると日本の「花鳥風月」はとても風流ですが、平安公卿的な「絵に描いた餅」のような抽象性と画一性があります。それが一概に悪いとは思いませんが、日本文化の特徴と限界も自覚する必要があります。

 本日は満月ですが、日没も綺麗だったので、日没動画も作りました。この「日月星辰」の中にすべてのいのちと存在があります。わが日月菩薩の動画、見てやってください。

「満月観音」(1分34秒): https://youtu.be/qoaq5SHwWKQ
「日の果てに」(日没阿弥陀、1分44秒): https://youtu.be/ZVm0XkyE9_A

 見る人に、少しでもほっこりしてもらえればたいへんさいわいです。

 ところで、現今日本の施策ですが、日本の政治も政策立案・実行もどうしようもなく稚拙で、ビジョンがありませんね。グランドデザインを描ける指導者が大変少ないということですね。専門家の意見を中途半端に聞いて右から左へ移すだけ。「アベノマスク」とか、「東京アラート」とか、政策とも言えないような最悪の税金の無駄遣いが議会の合意も無しになし崩しに進展してしまう国。まさに、混乱・混沌・混迷の乱世なり!

 この乱世を反映してか、気候も変動著しく、これまでのような雨量でも台風でもなくなっています。2年前、2018年9月4日の台風21号で京都市内の根返り倒木は50万本とかと聞いていますが、京都伝統文化の森推進協議会編『京都の森と文化』(ナカニシヤ出版、2020年3月30日)が宗教新聞老舗の「中外日報」紙の7月31日付で紹介されました。

京都伝統文化の森推進協議会編『京都の森と文化』(ナカニシヤ出版、2020年3月30日)の紹介 〜「中外日報」7月31日付

 この京都伝統文化の森推進協議会は、山折哲雄さんが中心になって2007年に設立されました。わたしは2010年7月から同会の副会長と文化的価値専門委員会の委員長になり、その後2014年から初代会長の山折哲雄さんの後に2代目の会長を務めています。京都の山々も大変荒れていて、年々維持が困難になって来ているのが現状です。京都伝統文化の森推進協議会の13年間の活動と現状とビジョンを示したのがこの本ですが、これを出した頃にコロナパンデミックが起こりました。事態は大変深刻です。

 今後のことを考えると、やはり、防災省とか防災連携国際省とかの国や国際機関が必要ではないでしょうか? そして、防衛省などよりも防災省の方を包括的な上部省にして、これを国のトップ機関にしながら、事前準備や研究をしつつ、適切な時宜に叶った体系的な対策と臨機応変の対応を取っていくべきだと思います。対策には短期・中期・長期の時間スケールを含めた政策的整合性や体系性が必要です。しかし、対応は迅速で、その時にできうる・ありうる手駒で対処しなければならないので、臨機応変の取り組みが不可欠になります。今回の九州や列島各地の豪雨水害を見ても、そのことがよくわかります。

 社会学者の大澤真幸さんは哲学者の國分功一郎さんとの対談『コロナ時代の哲学』(左右社、2020年7月30日刊)の中で、「僕はこの危機こそは、『世界共和国への最初の一歩』になりうる、とあえて言っています。二〇二〇年のパンデミック、そしてポストパンデミックは、世界共和国へ向かう最初の一歩となる。そうならなければ、人類は、この種の危機——とりあえずは新しい感染症の脅威——に対して、極めてヴァルネラブル(脆弱)な状況を決して乗り越えられないでしょう。後から——たとえば二十一世紀の終りから——振り返ったとき、二〇二〇年は、世界共和国への最初の一歩を踏み出した年だった、と思われるような状況にならなければ、人類の未来は破滅的です。」(57頁)と述べていますが、まったく同感です。しかし、事態はその逆に進んでいるように見えます。大澤さんの議論は単純ではなく、複雑な思想対立の過程を踏まえているので、議論の全体を簡単に要約できませんが、結論的なところは、実にストレートです。彼は「国民国家の主権を超えるような連帯」と言っています。いくつかの宗教運動はそこを目指してきましたが、見事にも無惨にも空中分解してきましたね。マスクス主義も同様でしょう。

 このコロナ事態は確かにたいへん深刻ではありますが、しかしそれゆえに、またそれだからこそ、未来に向かって希望と「一隅を照らす」光明を掲げたいものです。最近、家の中で、「大重潤一郎さんが死んだんだよなあ〜」と誰に向かってでもなくつぶやくことが何度かありました。これは、新型コロナウイルスのパンデミックによる日常生活の変化がもたらした結果の一つであると思っています。もともとわたしはフィールドワーク型の人間でしたが、そんなわたしが「岩戸隠れ」のような非常事態宣言下の中で、比叡山登拝と四条・柳の馬場通りのNHK文化センター京都での「日本書紀講読」の講座に出かける以外は、一乗寺の周辺でいろいろと歴史や人生を振り返りする時間的余裕がたっぷりありました。そんなこともあって、大重さんのことを思い出したりすることが多々あり、「ああ、こんな時、よく電話がかかってきたんだよなあ〜」とか「大重さんは死んだんだよなあ〜」とかという言葉がふと口に出るようになったのです。

 この前の7月22日は、その大重さんの5年目の命日でした。大重さんは、2015年7月22日に死去したので、丸5年が経ったのです。この5年で世の中は大きく変わりました。政治はもともとひどかったですが、ますます国内外の政治はひどく、もちろん経済情勢もよくはありません。科学技術や医療技術は日々進展しているかもしれませんが、しかし、2年前に北海道の胆振地方で地震が起きた時、1週間近く北海道全域で停電しましたよね? もし日本国中が1週間も停電したら、どうなるでしょう? すべてがオンライン化され電化で動いているこの現代社会の中で、電気供給がストップし、サプライチェーンが止まってしまったとしたら、どうなることでしょう? そんなことをよく考えます。今回の新型コロナウイルスの感染が広がる中、奈良の大仏が感染症(天然痘・疱瘡)対策のために建立されたとか、100年前にスペイン風邪が流行したとかが話題になりました。その1920年(大正9年)とは、そもそもどのような年だったのしょうか? 今年の2月に、拙著『南方熊楠と宮沢賢治——日本的スピリチュリティの系譜』(平凡社新書)を出しましたが、宮沢賢治(1896‐1933)が国柱会に入会したのが、1920年10月のことだったのですね。この年に起こったことを少し列記してみます。

1月、国際連盟が発足し、新渡戸稲造が事務局次長となる。
2月、慶應義塾大学・早稲田大学が大学令により設立認可される。
3月、株価大暴落する。平塚らいてう・市川房江ら、新婦人協会を設立する。
4月、明治大学・法政大学・中央大学・日本大学・國學院大學・同志社大学も大学令により設立認可される。
5月、日本で最初のメーデーが上野公園で開催される。
6月、マルクスの『資本論』が翻訳される。また、柳宗悦は論文「朝鮮の友に贈る書」を「改造」に発表し、「日本が不正であつたと思ふ時、日本に生れた一人として、茲に私はその罪を貴方がたに謝したく思ふ。私はひそかに神に向かつてその罪の許しを乞はないではゐられない」(『柳宗悦全集6巻』35頁、筑摩書房)と朝鮮総督府の政治的不正を謝罪し、その後同年12月に「朝鮮民族美術館」の設立趣意書を書き、翌大正10年(1920年)1月1日発行の『白樺』第12巻第1号に「『朝鮮民族美術館』の設立に就て」を発表した。
11月、ジュネーブで、第1回目の国際連盟の総会が開かれる。この頃、宮沢賢治、国柱会に入会する。
12月、大杉栄・堺利彦らが日本社会主義同盟を結成する。

 この年、Shinさんの母校の早稲田大学もわたしの母校の國學院大學も大学令により大学に昇格したのでした。興味深いのは、この年の12月に、柳宗悦(1889‐1961)が「『朝鮮民族美術館』の設立に就て」の中に、次のように書いていることです。

<一国の人情を解さうとするなら、その芸術を訪ねるのが最もいゝと私は常に考えてゐる。日鮮の関係が迫ってきた今日、私はこの事を更に意識せざるを得ないでゐる。あの想ひに沈む美しい弥勒の像や、あの淋しげな線に流れてゐる高麗の磁器を見る者は、どうしてその民族に冷かでゐられよう。若しよくその芸術が理解せられたら、日本はいつも温い朝鮮の友となる事が出来るであらう。芸術はいつも国境を越え、心の差別を越える。(中略)
 私は先づこゝに民俗芸術Fork Artとしての朝鮮の味ひのにじみ出た作品を蒐集しようと思ふ。如何なる意味に於ても、私はこの美術館に於て、人々に朝鮮の美を伝えたい。さうしてそこに現はれる民族の人情を目前に呼び起したい。(中略)
 私は種々考へた末その美術館を、東京ではなく京城の地に建てようと思ふ。特にその民族とその自然とに密接な関係を持つ朝鮮の作品は、永く朝鮮の人々の間に置かれねばならぬと思ふ。その地に生れ出たものは、その地に帰るのが自然であらう。(以下略)>

 わたしは宗教哲学者としての柳宗悦の先見性に敬意を抱いてきましたが、ちょうど100年前に柳宗悦が書いていた心を、100年後の今にも継承し活かしたいと思わずにはいられません。先の大澤真幸さんの「世界共和国」の主張と結びつけるなら、白樺派の旗手の柳宗悦は「芸術による世界共和国」の構築を提唱していたということになります。そして、宮沢賢治も芸術による「銀河共和国」の実現を夢見たのです。

 ですが、現実的には、日韓交流も日中交流も最悪の状況にあります。そんな中で、未来を展望しクリエイトする日中韓台の東アジア文化連合の結成が望まれます。今年の秋10月に、沖縄の久高島で、SUGEEさんや『久高オデッセイ第三部 風章』の助監督の比嘉真人さんたちと一緒に「ヤポネシア音楽祭」を開催し、民間の力で、「日中韓台」の文化連合を始めようと思っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が収まることがなく、来年に延期になりそうです。

 100年前、日本の社会で最もインパクトのある宗教運動を展開していたのが大本と国柱会の二つの団体で、この年の10月に宮沢賢治が国柱会に入会し、同じ年に石原莞爾も国柱会に入会しました。一方、後に世界救世教の教祖となる岡田茂吉は、この年の6月に大本に入信しています。そのことなども含めて、わたしは7月発行の『三田文学』(慶應義塾大学刊)から、「予言と言霊——出口王仁三郎と田中智学の言語革命」と題する短期連載を始めました。来年には本にするつもりですが、100年前の1920‐21年(大正9‐10年)と100年後の2020‐21年(令和2−3年)を串刺しにする歴史哲学を構想してみたいと思います。

 出口王仁三郎は、1920年(大正9年)2月11日号の『神霊界』に、米国のバールロ医学博士の「全世界に亘り、幾十百万の貴い生霊を滅ぼしつゝある悪性感冒の原因は、彗星が地球に撒き散らした毒物で、彗星の尾に微生物が帰省して、夫れが毒菌に変化し、盛に人類に禍ひする」という説を紹介し、次のように書いています。

<古くは支那の歴史を始め、東西の沿革史に拠ると、彗星の出現した後には、其十中八九まで疫病が流行してして居ることが証明される。十五世紀の頃、欧亜の大陸には、大彗星の出現と同時に、黒死病(ペスト)と云ふ得体の知れぬ悪疫が、猛威を逞ふして、各地に流行し、数百万の人が之に罹つて斃れた。近頃世界に流行して居る流行性感冒は、今を去ること十一年前、即ち一九一〇年の秋に出現し、天の一方に永く尾を曳いて、約一箇月間雄姿を現はした、ハレー彗星の出現後、数箇月にして、満州から欧州の東に至る、亜細亜大陸の各地に流行したのが、地球上の全人類に不幸を及ぼす、この悪疫の蔓延した抑もの始めであった。其当時天文学者の調定に拠るとハレー彗星の尾が地球を掠めて通つた部分は、丁度満州から亜細亜の大陸一体であつたと云ふことである。>(10頁)

 出口王仁三郎が指摘している1910年のハレー彗星の到来のことは、「ハレー彗星インパクト」として地球史的展開点であったことを前掲拙著『南方熊楠と宮沢賢治』で指摘したのは、Shinさんも書評してくれた通りです。 出口王仁三郎は、島根県中海の大根島の人々がこのスペイン風邪の感染を恐れて「皆我家に蟄居して一切外出をしない」という極端な行動自粛を紹介しています。この島で、80‐90名の患者と数名の死亡者が出たのですが、「島民は非常に恐怖し、小学校の休校は固より、誰一人として家業に従事する者無く」という極端なありさまだと書いています。王仁三郎はそれを、「日本の神国た所以を忘れて、体主霊従主義に心酔して丁つて居るから、彗星を恐れたり、流感ぐらいに閉口垂れて了ふのである。そんな意志の弱い事で、日本神国の神民と云はれやう乎。恒に敬神の念慮無きものは、斯んな時に第一番に腰を抜かして震い上がるものである。」(11−12頁)と批判しています。そして、「流感」予防でマスクをすることを「魔好く」と揶揄しています。

 このようなスペイン風邪のパンデミックの中で、大本は「第二の世の立替え立て直し」すなわち「第二の天岩戸開き」を提唱して多くの信徒を入信させていったのでした。この100年前の出来事をよくよく考えてみたいと思っています。

 こうして、Covid19 のパンデミックが進行する中、私は故大重潤一郎監督のことを思い出しながら、100年前の柳宗悦や宮沢賢治や出口王仁三郎や田中智学や岡田茂吉のそれぞれの活動を振り返っている昨今です。そしてこの100年を串刺しにして見えてくるもの、それは、芸術と宗教の創造力とその新展開にほかなりません。そして、こうつぶやくのでした。「まだまだやらねばならんことがあるぜよ、大重はん!」

 そんなつぶやきと雄叫びが口について出ていきます。おらーしょー! ちぇーすと〜!

 さて、この前、京都在住のALS患者への薬物投与で2人の医師が逮捕され、ALS女性嘱託殺人事件として捜査が続いています。その背景や経緯についてもいろいろと報道がなされ、その後かなり踏み込んだ議論も行なわれているようです。現行法を踏まえて、揺れ動くさまざまな立場からの切実な思いや意見や見解を考慮しつつ、各自が我が身に引きつけつつ答えを出さねばなりません。「傾聴」とか「ケア」という立場を取るとすると、自分自身の意見や見解をいったん横において、いくつかの声に耳を傾ける必要があります。生命尊重、人間の尊厳の尊重、生きる意味の探究、各自の死生観や人生観や価値観の自由度への受け止め、苦悩や苦痛がもたらす生存の意味と倫理、思想傾向と社会的影響、さまざまな角度からの声を聴き取りつつも、態度決定を迫られます。その過程でそれほど簡単ではないジレンマを経験することもあり得ます。

 昨年の8月26日、左京区の関西セミナーハウスの能舞台で、世阿弥研究会共同主宰者で観世流能楽師の河村博重さん(京都芸術大学客員教授)や舞踏家の由良部正美さんと一緒に、「能舞舞踏 比叡死生谷銀河巡礼」と題する50分ほどのパフォーマンスを表演しました。共演者の由良部さんは、京都市北区で、重度のASL患者の方の介護ボランティアをしながら、そのALS患者の自宅の蔵を舞踏スタジオに作り替えて、そこで舞踏公演などの活動を続けています。その由良部さんから、言葉を通して会話や意思疎通ができなくても、ほとんど目の動きや目の表情だけで伝わってくる意思があるということを聞き、人間同士も、人間と動植物や鉱物や日月星辰を含めて、本当に深くて多様なコミュニケーションや異種間コミュニケーションがあり得ることを、生命史的人類史的希望として感じることがありました。死生観はその人の根幹的な生命観に依拠しているのだと思います。

能舞舞踏「比叡死生谷銀河巡礼」(左面から撮影:木村はるみ): https://youtu.be/3m7tgLi-ABs
「比叡死生谷銀河巡礼」:(正面から撮影:大野邦久): https://youtu.be/wBpm_EpRFhc

 わたしは、上智大学グリーフケア研究所の授業で、「宗教学」とか「スピリチュアルケアと芸術」とかの授業科目を担当していることもあって、ふだんから宗教と死生観とケアと芸術・芸能の関係をよく考えますが、先だって、NHKEテレ「こころの時代〜宗教・人生〜「天上の響きに—左手のピアニスト・智内威雄」を見、大変深い問題性とメッセージを持つ番組だと思いました。智内さんは、20代の頃、ドイツでピアニストとして研鑽に励むさ中、局所性ジストニアを発症し、右手が動かなくなってしまいます。しかし、ピアニストとして致命的な病気と思われる絶望の中から、「左手のピアニスト」として立ち上がっていき、その領域を拡張していきました。

 その動力となったのが、智内家の教育方針でした。智内威雄さんのお父さんは画家、お母さんは声楽家でピアノの先生でもあり、埼玉県蕨に暮らしていました。その智内一家は、家族全員がいつも朝3時に起きて活動を始めたそうですが、お父さんもお母さんも物の価値を美しいか美しくないかで判断する人生観・価値観を持っていたとのことです。そして、智内さんが絶望から抜け出て左手のピアニストとして活動するようになった/できるようになったのも、その「美しく生きる」「美しい生き方」という価値観が後押ししてくれたというようなことを語っていました。「左手のピアニスト」として活動することを最も強くもろ手を挙げて賛成してくれたのが、「美しく生きる」ことをモットーにしているお父さんだったそうです。その「美しい」というありようにもさまざまなありようがあると思えます。わたしたちは生・生命・生存、生きる意味・価値、生き方というものを、もっと深いところから、大きな角度から実存的に捉えていかなければならないと思います。

 智内さんのいくつかの情報です。
左手のピアニスト・智内威雄(ちないたけお)
https://www.kakutanikenichizaidan.com/blank-10
智内威雄『ピアノ、その左手の響き–歴史をつなぐピアニストの挑戦』
http://www.tarojiro.co.jp/author/5476

 ところで、わたしの方は、自分が自分であるために、相変わらず比叡山でバク転をしていますが、以下、近作の東山修験道記録です。ご笑覧くだされば幸いです。

東山修験道636(4分44秒) 一霊四魂 7月12日: https://youtu.be/qwSk1Z3IYHI
東山修験道637(3分41秒) 日々の務め 7月18日: https://youtu.be/5W4xNsggvew
東山修験道638(5分52秒)梅雨明け比叡 8月1日: https://youtu.be/DbJGZPqNqwo

 2020年8月4日 鎌田東二拝