京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター 第183信

 

 

 第183信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? 前回のレターでも少し紹介させていただきましたが、6月9日、わが最新刊である『心ゆたかな社会』(現代書林)が発売されました。「『ハートフル・ソサエティ』とは何か」というサブタイトルがついています。

『心ゆたかな社会』(現代書林) 同書では、まず、人類社会の進化について考察しました。人類はこれまでに、農業化、工業化、情報化という三度の大きな社会変革を経験してきました。それらの変革はそれぞれ、農業革命、産業革命、情報革命と呼ばれます。第三の情報革命とは、情報処理と情報通信の分野での科学技術の飛躍が引き金となったもので、変革のスピードはインターネットの登場によってさらに加速する一方です。

 わたしたちの直接の祖先をクロマニョン人など後期石器時代に狩猟中心の生活をしていた人類とすれば、狩猟採集社会は数万年という単位で農業社会に移行したことになります。そして、農業社会は数千年という単位で工業社会に転換し、さらに工業社会は数百年という単位で20世紀の中頃に情報社会へ転進したわけです。

 それぞれの社会革命ごとに持続する期間が1桁ずつ短縮しているわけで、すでに数十年を経過した情報社会が第四の社会革命を迎えようとしていると考えることは、きわめて自然だと言えるでしょう。わたしは、その第四の社会とは、人間の心というものが最大の価値を持つ「心の社会」であると考え、そのことを2005年に上梓した『ハートフル・ソサエティ』で述べました。2016年1月、内閣府は「Society 5.0」というものを発表しました。第5期科学技術基本計画のなかに盛り込まれた科学技術政策のひとつで、Society 5.0 とは、未来を見据えた戦略です。

 過去の社会(Society)は、Society 1.0:狩猟社会。Society 2.0:農耕社会。Society 3.0:工業社会。Society 4.0:情報社会。そして、Society 5.0 は「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」と位置付けている。人間中心の社会(Society)が新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されたのである。このSociety 5.0 は、情報社会の次なる社会というわけで、わたしの唱える「心の社会」に明らかに通じています。

 インターネットによってグローバルに結びつけられた世界で、Society 5.0 の名のもとに「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)が高度に融合していく」・・・・・・その流れの中で、「心の社会」は、ハートフル・ソサエティにもハートレス・ソサエティにもなりえます。社会生態学者としてのドラッカーは21世紀の始まりとともに『ネクスト・ソサエティ』を発表しました。ドラッカーの遺作にして最高傑作である。長年のコンサルタントとしての経験から、きわめて現実的であり、かつ実際的である一方、未来社会に対する展望が見事に描かれています。20世紀における「知の巨人」であったドラッカーが、最後にわれわれに21世紀の見取り図を示してくれたと言えるでしょう。

 フランスの文化相も務めた作家のアンドレ・マルローは「21世紀は精神性(スピリチュアリティ)の時代である」と述べましたが、これまで多くの人々が未来社会について予測した。ジョン・ガルブレイスは「ゆたかな社会」を、ダニエル・ベルは「脱工業化社会」の到来を予告しました。アルヴィン・トフラーは、起こりつつある変化を「第三の波」と呼び、社会の根本的変化の近いことを予告しました。マリリン・ファーガソンは、あらゆる分野に起こりつつある変化が結合して、社会規範を変化させる「アクエリアン革命」になろうとしていることを指摘した。日本の堺屋太一は、知恵の値打ちが経済の成長と資本の蓄積の主要な源泉となる「知価社会」をつくり出す技術、資源環境および人口の変化と、それによって生じる人々の倫理観と美意識の急激な変化全体がもたらす「知価革命」を主張しました。

 そして15年前、わたしは、『ネクスト・ソサエティ』のアンサーブックとして『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を書き上げ、新しい社会像である「ハートフル・ソサエティ」を提唱したのです。いま、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」という未来像が描かれるに至っています。15年間で変わったものと変わらないものの両方があります。特に、SNSやスマホの存在は人間の精神への影響はもちろん、人間の存在さえも変革しているかもしれません。わたしは時代の変化を踏まえて、心の社会は「ハートレス」の方向へ進んでいる気がしてなりません。「ハートフル」の方向に心の社会を転換するために、本書の改稿を決意しました。本書の別名は『ハートフル・ソサエティ2020』です。そして、「まえがき」の最後に「『心の社会』から『心ゆたかな社会』へ。令和という新しい時代を、『心ゆたかな社会』の夜明けにしたい。まだ間に合ううちに」と書いたのでした。Tonyさんにも献本させていただきましたが、お読みいただけましたでしょうか。よろしければ、ご批判下されば幸いです。

 それから、6月13日、わが社は石川県金沢市柳橋町に「柳橋紫雲閣」をオープンし、その竣工清祓御祭の神事が行われました。サンレーグループとしては全国84番目、サンレー北陸で15番目の施設です。竣工神事は地元を代表する神社である「松尾神社」の松本昌丈宮司にお願いしました。主催者挨拶で、わたしは、次のように挨拶しました。柳橋町は、今も昔も変わらぬ金沢市北部の玄関口であり、藩政時代に江戸へと続いた街道の街並を一部で面影を残し参勤交代の行列が華々しく通った情景を彷彿とさせます。本日、このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。

完成した「遠賀紫雲閣」の前で

完成した「遠賀紫雲閣」の前で「柳橋紫雲閣」の竣工神事で

「柳橋紫雲閣」の竣工神事で
 柳橋町の町名の起こりは、言い伝えによりますと鎌倉時代に浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が越後(現在の上越市)へと下向の際に京都からお后の玉日姫(たまひのひめ)が後を慕って、この地まで逃げて来られました。途中、大雨となったために姫はこの地の街道筋の茶屋にて休まれている時に近くを流れる川が氾濫し橋が流出してしまい渡ることが出来なくなりました。川には他に橋が架かっておらず、そこにはただ一本の大きな柳の木があるのみでした。玉日姫は「柳に霊あれば川を渡してたもれ」と祈ったところ、翌朝には柳の木は自然に倒れ伏して橋となっていたそうです。それ以来、この地は「柳橋」という地名となりました。わたしは、「このような真宗王国の素晴らしい歴史を持つ柳橋に新しい紫雲閣をオープンすることができて嬉しく思っています。新型コロナウイルスの感染拡大で不安な毎日ですが、多くの方々が人生を卒業される儀式のお手伝いをしっかりさせていただきたいです」と述べました。そして最後に「聖人を追いて来たるは柳橋 ここより向かふ極楽浄土」という道歌を披露しました。

 6月18日、早朝から小倉の松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。2月以来となる4カ月ぶりの月次祭です。いつもより人数を大幅に減らし、マスク着用でクールビズでの神事となりました。皇産霊神社の瀬津隆彦神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループの佐久間進会長に続き、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、会社の発展と社員の健康・幸福を祈念しました。

 神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。こちらも新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、4カ月ぶりの開催です。いつもと人数は同じですが、会場の広さは3倍です。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は会場を埋め尽くしたマスク姿の人々を見ながら、コロナ禍の数カ月を振り返りました。佐久間会長は「共飲」「共食」「共浴」「共健」「共笑」「共歌」「共遊」「共旅」という8つの「共」信仰というものを示し、アフターコロナの時代に互助会として提供できないかという話をしました。さらに会長は、「今度のコロナ禍は、天の声ではないかと思ったりします。それは、互助会は金儲けに走るのはやめて、相互扶助の原点に戻れということではないでしょうか」と述べました。

「天道塾」で話す佐久間会長

「天道塾」で話す佐久間会長4カ月ぶりの「天道塾」で

4カ月ぶりの「天道塾」で
 続いて、わたしが登壇しました。わたしは着けていた小倉織のマスクを外し、「新型コロナウイルスによる死者の数が多いのは、アメリカ、イタリア、イギリス、フランス、スペインなど。最近ではブラジル、ロシア、インドが激増していますが、これまでは西洋のキリスト教国が多かった。コロナ以後は、握手・ハグ・頬へのキスといった西洋式コミュニケーションは難しくなります。そこで国際的に注目されるのがお辞儀という東洋式コミュニケーションです。もともと『礼』が生まれ、発達したのは、感染症大国である中国でした。お辞儀を進化させたのが日本の礼法です。これからは、小笠原流礼法がグローバル・スタンダードになるかもしれません」などと述べました。

 7月1日は、 小倉紫雲閣の大ホールで夏越大祓式の神事が執り行われました。これから暑い夏を迎える前に、会社についた厄を払って社員全員の無病息災を祈願しました。参加者全員がマスク姿ながらも厳粛な面持ちで、儀式に臨みました。神事終了後には佐久間会長が「これで、みなさんは健康に夏を乗り越えられるでしょう。何事も陽にとらえて、前向きに生きていきましょう」と挨拶しました。

「夏越大祓式」のようす

「夏越大祓式」のようす5カ月ぶりの総合朝礼で道歌を披露

5カ月ぶりの総合朝礼で道歌を披露
 夏越の神事を終えた後は、サンレー本社の総合朝礼を行いました。じつに5カ月ぶりの開催です。今回は新型コロナウイルスの感染防止のため、全員マスク姿で社歌の斉唱も経営理念の唱和も行いませんでした。いきなり社長訓示です。わたしは、5ヵ月ぶりに社員のみなさんの前に立ち、「とにかく、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は想定外の事件でした。わたしを含めて、あらゆる人々がすべての『予定』を奪われました。緊急事態宣言という珍しい経験もすることができました。もっとも、コロナとの付き合いはまだ終わってはいません。緊急事態宣言の最中、わたしはイタリアの小説家パオロ・ジョルダーノが書いた『コロナの時代の僕ら』という本を読みました。この本の最後には、『家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう』と書かれています」と述べました。そう、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の二つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。アンデルセンも名作「マッチ売りの少女」で、この2つのメッセージを訴えました。

 わたしは今回、感染症についての本を読み漁りましたが、重要な事実を発見しました。それは、ペストに代表されるように感染症が拡大している時期は死者の埋葬がおろそかになりますが、その引け目や罪悪感もあって、感染症が終息した後は、必ず葬儀が重要視されるようになるということ。人類にとって葬儀と感染症は双子のような存在であり、感染症があったからこそ葬儀の意味や価値が見直され、葬儀は継続・発展してきたのだという見方もできます。わたしは「新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、儀式文化を基軸とした『人間尊重』というわが社のミッションは永久に不滅です。一緒に力を合わせて、心ゆたかな社会を創造しましょう!」と述べてから、「忘るるな 人を助けて 亡くなりし 人を弔ふ コロナの学び」という道歌を披露しました。

 新型コロナウイルスは、東京での感染者数が増加しており、まだまだ油断できません。しかし、この前代未聞の状況から、さまざまな学びを得ていきたいと思っています。それでは、Tonyさん、次の満月まで!

2020年7月5日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 このムーンサルトレターが届いたのは7月5日の午前零時15分でした。その頃、熊本県球磨川流域では大洪水が発生し、多くの民家が2階まで浸水するといった甚大な被害が発生していました。土砂崩れで亡くなった方、行方不明になった方もいるようです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご無事をお祈り申し上げます。また被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。新型コロナウイルスのパンデミックのみなならず、次から次へと迫りくる自然災害、よほど心していかねばと思います。そうした中、いつも前向きなShinさんの生き方(行き方)は大変頼もしく思います。が、そうは言っても、経営トップの社長職の激職、くれぐれも御身お大事にお過ごしください。

 ちょうど1週間前の6月28日、先回のムーンサルトレターでもお知らせしたように、京都伝統文化の森推進協議会主催の第28回公開セミナーをオンラインで行ないましたが、その時に掲げたテーマは「災害と森林」でした。激甚化する災害多発時代の中で森をどのように維持していくか、森が荒れると海も荒れる、そしてそれは「里」の荒れにはね返ってくる。そのような相互影響があることはすでに明白明確でした。「森は海の恋人」(森里海連環学)なのですから。

 しかしながら、そのことがわかっていても、「里」(村・町・都市・大都市)の発展のために、森と海を犠牲にして、人間優先というよりも資本優先の社会を作ってきたのがこの150年だったと思います。だがその社会は、「society5.0」とかとすかして言おうが、何と取り繕おうと、貧富の差のみならず、さまざまな格差と差別を生み出す格差社会であり、Shinさんの言う「ハートレス社会」になってきています。だからこそ「心の時代」とか「霊性の時代」とかと声を大にして言わねばならないし、それを何とか「ハートフル社会」にしていかねばならないとわたしも思います。ですので、「心ゆたかな社会・ハートフル社会」を願い、目指すという志は、Shinさん流の世直しとこころから共感します。

 本日付、7月6日付け毎日新聞朝刊に以下の記事が掲載されました。

「毎日新聞」2020年7月6日朝刊

「毎日新聞」2020年7月6日朝刊

 100冊目の記念すべき本が多くの方々のハートにハートフルに届きますように! 心より祈念申し上げます。

 さて、この新著『心ゆたかな社会』は次のような章立てです。

   ハートレス・ソサエティの衝撃
   超人化のテクノロジー
   脳から生まれる心
   相互扶助というコンセプト
   ホスピタリティが世界を動かす
   メディアとしての花鳥風月
   デザインされる生老病死
   哲学・芸術・宗教の時代
   共感から心の共同体へ
     あとがき  ハートフル・ソサエティに向かって

 Shinさんがこの本の序文で言っているように、確かに本書『心ゆたかな社会』はネガティブな現状認識から始まります。現代は、自死者やひとりぼっちの多い、<縁薄きハートレス社会>になっている。しかし、その今の社会状況を世直し・心直しして、「縁によって心を結ぶ社会」、すなわち「ハートフル社会」を再構築する必要がある。そのための鍵になるのが「儀式」である(30頁)。

 前半で、現代テクノロジーや脳科学の最新の科学技術の検討を踏まえて、後半の各章では怒涛のShinさん節、一条真也節が展開されます。

 「互恵的利他行動」の進化と、「縁」「結(ゆい)」「講」などの「相互扶助」文化と「隣人祭り」の展開(87頁前後)。「礼(禮)」=「心豊か」=「ハートフル」、おもてなし(もてなし・しつらい・ふるまい)=ホスピタリティ・マインド(121頁前後)。「花鳥風月」というエコロジーマインドあるいはセンス・オブ・ワンダー。「苦」(四苦=生老病死)から「楽」への「トータルなポジティブデザイン」(172頁)。死生観探究と哲学・芸術・宗教の役割、「こころ教」(佐々木閑)としての宗教(197頁)。「心の共同体」を作るワークとしての「感光ツーリズム」(237頁)等々。

 Shinさんは死生学探究が「死ぬ覚悟」や「生きる覚悟」の実現成就と指摘していますが、もっとも重要な問題は「覚悟」かと思います。ところが、この「覚悟」たるもの、なかなか曲者です。

 昨日、この間の雨続きの中の隙間を縫ってわたしは比叡山に登拝しました。そのことをyou tube「東山修験道635(9分):https://www.youtube.com/watch?v=l9cNYGR9wPkとして記録しました。

 そこで、述べたのですが、「草木国土悉皆成仏」の命題を持つ天台本覚思想の思想の根幹の「本覚」とは、「如実知自心」、つまり、自己本源の心(霊性)を思い出すことである。「Remember Me」ということで、これは「哲学とは死のレッスンである(死のリハーサルである)」とか「真理を認識することはイデア界の記憶・認識を思い出すことである」と言ったイデア(新実在)の探究者プラトンや、プラトンを受け継いで「ト・ヘン(一者)」からの「流出(エマナチオ)」と「脱自・脱魂(エクスタシス)」を説いた新プラトン主義や、「隠れたる神・至高神」の世界本源を想い出すことを説いたグノーシス主義とも共通する。要は、「「Remember Me」の思想ではないか、ということを縷々述べました。

 私たちがどこから来てどこへ行くのか? その来歴・行く末を想い出せ。すでにその方向は示されている、預言されている、「本覚」である、という立場です。もちろん、そこでの自由意志は「覚悟」との関係からしても否定されることはありませんが、しかし常にわたしたちの「覚悟」のほとんどは中途半端ということになります。鵺みたいなもので真の「覚悟」というものは生易しくないほとんど逆説的な事態のようにも思えます。

 しかし、たとえそうだとしても、わたしたちの探究(自力)と断念(放棄・他力)は逆説的ではあっても複雑微妙に絡まり、わたしたちを先に(あるいは「奥に」)進ませます。そのような道行として、Shinさんの『心ゆたかな社会』を読みました。

 そして、Shinさんのこれまでの歩みが、常に父子や冠婚葬祭業の互助会の同志のみなさんとの「同行二人」(四国遍路の精神・スピリチュリティ)であることを強く感じました。特に父上との「同行二人」。

 父上佐久間進株式会社サンレー会長は、最近、「八共道」を提示されていますね。「共飲・共食・共浴・共健・共笑・共歌・共遊・共旅」という八つの「八共道」。それこそ、「同行二人」の精神の具現化であり、以前提唱された「八美道」のホスピタリティマインドの実践であると思います。NPO法人東京自由大学が目指してきたのも、「八正道」というよりも、そのような「八共道」であり、相互ケア(インターケアシップ)の社会構築であり、それは本書でShinさんが言う「心ゆたかな社会=ハートフル社会」ということになります。

 ところで、わたしにしんそこ「ハートフル」ということを教えてくれたのは、人間ではなく、「ココ」という盲目の猫でした。6月30日付発行の「未来共創新聞」第41号に、「ココ」についての記事を寄稿しましたので、ご笑覧ください。

6月30日付発行「未来共創新聞」第41号 「ココ」についての記事

6月30日付発行「未来共創新聞」第41号 「ココ」についての記事

 ココは、わたしにとってはかけがえのない「よだかの星☆」です。その眼球のないココの写真で、右前足を胸のところに当てている写真があり、それを見るたびに「ハートフル」のココのこころを感じるのです。

ココ
朗読「ココ」(10分30秒):https://www.youtube.com/watch?v=Iv4D_3j4LFE

 Shinさんの『心ゆたかな社会』、ハートフルソサエティの到来を預言する本を読みながら、ずっとココのことを想い出していました。草木国土悉皆成仏、猫犬動植鉱物悉皆成仏のハートフルソサエティでありますように!

 2020年7月6日 鎌田東二拝

徳島新聞