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シンとトニーのムーンサルトレター 第019信

第19信

鎌田東二ことTonyさま

 Tonyさん、まずは御母堂さまの御逝去、心よりお悔やみ申し上げます。まったく存じ上げずに、前回のレターで初めて知りました。Tonyさんの「おかあさん、ぼくをうんでくれてありがとう」にはじまる手紙のような詩には心を打たれました。あの詩はまさにTonyさんにとっての「おふくろさん」ですね。

 川内康範の作詞した「おふくろさん」を森進一が歌詞を改変して歌った問題ですが、土産に置いていった虎屋のヨウカンを送り返すほど、老作詞家は激怒しています。あの歌詞によほどの思い入れがあるようですね。聞けば、川内康範の母親は立派な人だったとか。生活は豊かではなかったけれども、さらに貧しい人がいれば必ず食事などを提供したそうです。そして、子どもだった川内康範に「あんたは、いつでも食べられる。あの人たちは、今しか食べられないのだよ」と言って、家にあるものはすべて食べさせたそうです。そんな菩薩のような亡き母を想って作った詩が「おふくろさん」だったのです。

 歌詞の改変騒動以来、わたしはカラオケでよく「おふくろさん」を歌うのですが、気づいたことがあります。そこで歌われている世界観は、現在流行中の「千の風になって」とまったく同じだということです。死者が墓の下などにはおらず、風や光や雪や星になって、いつも生者を見守っているというのが「千の風になって」ですが、「おふくろさん」の歌詞も内容が非常に似ています。すなわち、最初の「おふくろさんよ おふくろさん」のあと、一番で「空を見上げりゃ 空にある」、二番で「花を見つめりゃ 花にある」、三番で「山を見上げりゃ 山にある」・・・というわけで、亡き母親の魂は空・花・山といった自然とともにあり、いつも愛する息子を見守っているのです。まさに柳田國男が『先祖の話』で描いたような日本人の伝統的な祖霊観であり、「千の風になって」のルーツとされるネイティブ・アメリカンの世界観に通じるアニミズムです。

 Tonyさんの詩や「おふくろさん」には、母への限りない感謝の心があふれています。そして、「恩」の一字がわたしの頭に浮かんできました。恩という文字は、その意味を自らよく表しています。すなわち心の上の因という字は、口の中に大と書いてある。檻の中に人を入れると囚人になりますが、この場合は人間がこのように大きくなって存在できるのは、必ず何かのお蔭によるものであるということを表しています。したがって、それは誰のおかげであるかということを考え、これを自覚することが「恩を知る」ということなのでしょう。恩といえば、何より自分をこの世に迎え入れてくれた親の恩を忘れてはなりません。わたしどもの会社は冠婚葬祭を業とすることもあり、わたしは機会あるごとに仏教の「父母恩重経」に出てくるエピソードを社員に紹介し、親の恩の有り難さを説いています。とはいえ、当のわたし自身が親の恩や感謝の念を忘れがちで、いつも反省しています。

 ところで、Tonyさんは宗教哲学者として、つねに「死」について考え続け、自らの死生観も確立されておられることと存じます。そんなTonyさんでさえ、御母堂さまの御逝去に際しては、深い悲しみをおぼえられたことでしょう。サンレーの本社はセレモニーホールを兼ねており、わたしはいつもそこに常駐しています。ですから、わたしは毎日、多くの「愛する人を亡くした人」に出会います。その中には、わたしの友人、知人も多く、その悲しみに浸っている人たちにどのような言葉をかけたらよいか、いつも悩んでいます。

 そして、わたしなりに考えた言葉を集めて、『愛する人を亡くした人へ』という著書を近く刊行いたします。その本の中で、わたしは「愛する人」と、その人を亡くすことによって失うものをまとめて、次のように書きました。すなわち、「親を亡くした人は過去を失う。配偶者を亡くした人は現在を失う。子どもを亡くした人は未来を失う。恋人や親しい友人や知人を亡くした人は自分の一部を失う」です。それぞれの人が何を失ったのかをしっかり把握して、悲しみを乗り越えるお手伝い、つまりグリーフワーク・ケアに全力をあげて取り組んでいく所存です。実際に「愛する人を亡くした人」に毎日のように接している者が体験を通じて書いた本として、拙著は江原啓之や飯田史彦などのスピリチュアルな人たちの本とはまた違ったメッセージとなるのではないでしょうか。

 「スピリチュアル」といえば、Tonyさんの編著である『思想の身体 霊の巻』が春秋社から刊行されましたね。まことに、おめでとうございます。わたしも早速、読ませていただきました。日本人の生命観の根源にある「霊」というものに多面的な角度から光を当てた意欲作ですね。魂として、エネルギーとして、霊が現代に投げかける問題について、古代の儀礼からスピリチュアルブームまで広く扱った、たいへんスリリングな内容でした。

 第一章『「霊」あるいは「霊性」の宗教思想史』はTonyさんの稿ですが、その最後に、「霊性—スピリチュアリティという語は普遍志向性を持ち、すべての宗教に通じる超宗教性ないし通宗教性とすべての人間に通じるような平等志向性を持ち、人権思想をさらに深く支える基盤ともなりえる。それ以上に人権を超えて、アニミズムやトーテミズムとも結びつく、あらゆる生命の生命性を包含する概念としても用いられ得る。かくして霊性—スピリチュアリティは、神性や仏性や心性や精神性とも異なる、より開放的で閉鎖性や偏りのない包括的概念として使用され得る可能性を持っている。それが霊性—スピリチュアリティ論のポジティヴな位相である」と書かれています。これは、これまでに日本で書かれたものの中で最も「霊性」と「スピリチュアリティ」の本質を表現していると感じました。

 第二章の島田裕己さんによる「仏教における霊の問題」も参考になりました。「家族葬」や「直葬」といった葬儀の新潮流が出てきますが、わたしも『「あの人らしかったね」と言われるための自分なりのお別れ』という監修書を四月中旬に上梓いたします。版元は、あのミリオンセラー『東京タワー』を出した扶桑社です。『東京タワー』といえば、著者のリリー・フランキーはわたしと同い年です。彼は少年時代を小倉で過ごしたようですから、どこかで会ったことがあるかもしれません。島田さんの論に話を戻すと、葬儀のスタイルが変化しているにもかかわらず、「仏教の世界に、新たな霊の観念が生み出されてくる兆しも見えていない」とし、「仏教の世界から、伝統的な霊の観念が消え去っていくことは、ある意味、仏教が本来のあり方に復帰していくことを意味する」とも述べています。仏教の核にある無我説からすれば、霊への信仰が存在すること自体が矛盾しているからですね。島田氏は「果たして日本人は、祖霊観念を失った仏教を信仰の対象とするであろうか。そこにこそ、仏教の未来を占う鍵が潜んでいるのである」と締めていますが、同感です。

 考えてみれば、「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」というフレーズからはじまる「千の風になって」の大流行は時代を象徴しているのではないでしょうか。この歌を聴いたビートたけしは、「こんな歌が流行ったら、墓石屋さんが失業しちゃうじゃねえか!」とテレビ番組で叫んで笑いを取っていましたが、彼の言葉はジョークではすみません。そして、困るのは石材業者だけでなく、既存の仏教界でもあるはずです。「千の風になって」の背景にあるアニミズムや伝統的な日本人の祖霊観は、実は「古い」ものとして現代によみがえったのではなく、「新しい」スピリチュアルなものとして生まれたのかもしれません。

 『思想の身体 霊の巻』ですが、川村邦光さんによる第四章「戦死者の亡霊と帝国主義〜折口信夫の弔いの作法から」も興味深く読みました。折口信夫の養嗣子である春洋がかの硫黄島で戦死したことや、折口信夫の靖国神社観、「歌よみ」が戦死者の亡霊を弔う作法になることなど、知らなかったことも多く、夢中になって読みました。

 そして、何といっても最後に掲載されたTonyさんと中沢新一さんの対論「<霊>とは何か」が一番面白かったです。お二人の出会い、ともに霊的なフィールドワークによって日本の「知」をゆさぶり、ともに「宗教」から「芸術」に視点を移動されてきた点など、とても運命的なものを感じます。岡本太郎論や縄文論、四次元論も面白かったけど、お二人の存在そのもののシンクロに勝る面白さはありません。すばらしく魅力的な対論でした。

 ところで、岩波ホールで上映中の映画「約束の旅路」は御覧になりましたか?エチオピアのユダヤ教徒をイスラエルに送る「モーセ計画」をテーマにした良質の宗教映画です。そこでは、ユダヤ教とキリスト教をつなぐ媒介として月が重要な役割を果たしています。
とにかく、宗教の本質を問い、観る者の魂を揺さぶる名作ですので、ぜひ御覧ください。

 最後に、わたしは韓国から戻ったばかりです。拙著『ロマンティック・デス』がハングルに翻訳出版され、その記念講演を韓国経団連で行い、あわせて健陽大学の儀式産業科で特別講義を行ってきました。直前に、五木寛之さんの『21世紀仏教への旅 朝鮮半島編』を読み、同書に登場する寺院をまわりました。とくに般若山灌燭寺にある巨大石仏を見るのが大きな目的でした。CWS代表の佐藤修さんから教えられたのですが、とにかくすごい石仏です。18メートルもの巨大弥勒仏で、五木さんの本のカバー写真にも使われています。きわめてユーモラスな顔をしており、頭には二重の編笠をのせているため、顔がとても長い。くわえて顔も大きく、耳など3メートルもあります。眉間も約2メートルあり、まっすぐに前を見据える目も鼻も口のつくりも大きく、異様といえば異様ですが、たまらない魅力を持った石仏です。見ているだけで、不思議なエネルギーが身中に湧いてきます。詳しくは五木さんの本をお読み下さい。それでは、次の満月まで、アンニョン・ハセヨ!

2007年3月31日 一条真也拝

一条真也ことShinさま

 Shinさん、母への丁重なお悔やみの言葉、またわたしが編者になって出版された『思想の身体 <霊>の巻』(春秋社)への詳細なコメント、ほんとうにありがとうございます。

 3月26日に、49日と納骨を済ませ、母の葬儀のことはひと段落しました。母の戒名は、瑞光院春窓慈温大姉と言いますが、納骨の時はその戒名どおりのとても春らしいいいお天気で、わたしが納骨を済ませたお墓の前で横笛「心月」と法螺貝を吹くと、途端に鶯がはげしく「ケキョ、ケキョ、ケキョ!」と高らかに泣き始め、読経してくれた菩提寺の住職さんも「いい笛の音でしたねえ。ウグイスが一緒になって歌い始めましたねえ。わかるんですねえ」と言ってくれました。

 その日その時、「極楽とはこんな感じかなあー」と思ったほどお墓が明るく穏やかで、母はほんとうに幸せな最期を迎えることができたとありがたく思いました。郷里の徳島のお墓の印象をそのように感じたのは初めてだったので、不思議に思いました。彼女には確かにたくさんの苦労があったけど、しかし最後は「飛ぶ鳥後を濁さず」という諺のように美しく逝くことができたと感じています。そのようなことがあって、母に対する感謝の思いと愛情をつよく感じることはあっても、母の死に対して悲しみや喪失感を覚えることはありません。またShinさんが『愛する人を亡くした人へ』という近刊著書の中で、「親を亡くした人は過去を失う」と書かれていることは、わたしの今の思いには当てはまりません。むしろ、「親を亡くした人は過去を新たに発見する」とか、「親を亡くした人は過去を見出す」という気持ちが強いですね。過去のことをありがたく、違った印象で思い出しますから。

 ところで、上記の住職さんは、古義真言宗高野山派の万福寺の住職ですが、この万福寺の前身は福万寺と言って、室町時代にわたしの家の先祖の一人の鎌田孫左衛門が出家して、宗玄を名乗って開基したものです。おそらくは、その当時は、浦の内と言う地名の海の側に住む鎌田一族の菩提を弔うお寺だったのでしょう。鎌田一族は源義朝の家臣で、義経とともに阿波に上陸し、その地で負傷し、やむなく阿波に住み着いたと言われています。そうした先祖たちの戦乱のたたかいの供養をしようと思った人物が鎌田宗玄だったのでしょうか。

 万福寺は、四国88ヶ所19番札所の名刹立江寺と23番札所の薬王寺に次いで、お不動さんの縁日で賑わいます。2月26日前後だったか、行われるそのお不動さんには近隣より参拝者がたくさん訪れ、大きな市が立つほど大変賑わいます。そこの現在の住職さんは霊感というか、不思議な霊的体験を持ったお坊さんで、吉野の蔵王権現のメッセージを聴いた話とか、宗像大社の市寸島姫神のこととか、神秘的な体験をお持ちです。

 『思想の身体 <霊>の巻』のことについては、この全8巻の『思想の身体』シリーズすべてがなかなか骨のある面白いものだと思っています。ともに東京大学大学院教授である宗教学者の島薗進さんと倫理学者・日本思想史家の黒住真さんとわたしが編集委員になって、『悪』とか『愛』とか『性』とか『戒』とか『徳』とか『声』とかのそれぞれの巻を末木文美士さん(東京大学大学院教授・仏教学者)とか兵藤裕己さん(学習院大学教授・中世文学・芸能)とかの当代一流の研究者が巻毎の編者になってまとめたのですが、近年の講座本・シリーズ本の中ではなかなかインパクトのあるものになったと自負しています。中沢新一君との対談も、やっていておもしろかったです。中沢君とはほんとうにいい出会いをしたと思っています。30年前の中沢君の爽やかな印象が忘れられません。

 嬉しいニュースがあります。この4月に、作品社からNPO法人東京自由大学で行なってきた講座が『いきいきトーク 知の最前線』全8巻となって出版されるというニュースです。関係者一同、とても喜んでいます。1999年2月に東京自由大学を立ち上げて丸8年が過ぎましたが、これまでの地道な活動がようやくにして少しずつ認知され始めてきたのかなと思います。このトーク集には、錚々たる第一線で活躍している方々のトークが収められています。中沢新一さんの「南方熊楠」とか、鏡リュウジさんの「グノーシス主義と心理占星術」とか、細野晴臣と雲龍さんの「音楽・音霊——響きの楽しさ」とか、玄有宗久さんの「逆立ちと仏教と文学」とか、荻野アンナさんの「書くことの混沌と秘儀」とか……。じつに読みでがありますよ。また、中高年の方々にもよく読めるように活字をゆったりと大きくしていますので、大変読みやすい仕上がりになっています。ぜひサンレーグランドホテルのシルバー世代の皆様やリタイヤーした団塊の世代の方々に読んでいただき、人生の糧としていただけると幸いです。

 ところで、わたしたちは3月20日に『モノ学・感覚価値研究 第1号』という研究雑誌を発刊しました。その執筆者は以下のとおりです。

『モノ学・感覚価値研究』第1号 目次
発刊の辞 もの学への挑戦 鎌田東二 p1
目次 p2
発表論文
鎌田東二 「モノ学の構築」p003
梅原賢一郎 「肉の森の中へ—「野生の感性学(aesthetica)」試論—」 p014
河合俊雄 「心とモノの魂について」 p028
藤井秀雪 「モノと感覚価値 — マネキン研究の立場から—」 p033
近藤高弘  「モノと感覚価値 — 工芸と美術へのアプローチ—」 p047
渡邊淳司 「知覚体験の拡大と感覚価値学」 p054
島薗 進 「生きているモノの宗教学— アニムズムを開く愛—」 p059
石井 匠 「縄文人のモノ感覚」 p066
土居 浩 「近代人のモノ感覚—墓をめぐる人々の場合—」 p074
原田憲一「モノから時間を読む」 p079
松生 歩「モノと気配」 p087
大西宏志「モノが導く物語—「箱庭」で心の内の神話に触れる—」 p094
井上ウィマラ「移行対象— 内と外をつなぐモノ—」 p105
関本徹生「モノとの恋愛—アーティストの恋愛遍歴(素材との恋愛入門編)—」 p115
井関大介「『雨月物語』の多声性について」 p119
投稿論文
上林壮一郎「モノと身体動作価値—作法をデザインすること—」 p130
魚川祐司「慈悲と優しさ—モノと仏教①—」 p134
「モノ学・感覚価値研究会」とは?/研究題目と研究概要/研究計画と方法/モノ学・感覚価値研究会実施報告 p140
研究会の構成メンバー  p144
後記  p144
間に挟みこみ記事(研究会フィールドワークスナップ、研究調査合宿スナップ、新聞掲載記事)

 A4版の大型サイズで3段組。全原稿が400字詰め800枚くらいで、優に2冊の単行本ができる原稿量です。その表紙と裏表紙を、日本画家で京都造形芸術大学芸術学部日本画科教授の松生歩さんのきわめて幽玄なる絵が大胆に包み込み、各論文も自由奔放大胆不敵で部類に面白い研究雑誌となったと思っています。これは文科省の科研に採択されたモノ学・感覚価値研究会の年に1回の研究成果報告の年報です。たぶん、こんな豊かでゴージャスな研究成果報告書はあまりないんじゃないかとおもいますよ。文科省さん、よかったね!
モノ学・感覚価値研究会について詳しくはこちら

 Shinさんも、次から次へと著作を世に問うていますね。近刊の『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益〜神道&仏教&儒教』(だいわ文庫)を拝読しましたが、神道と仏教と儒教の特徴がわかりやすくまとめられ、とりわけ、儒教と葬儀に力が入っていて、しっかりと自分の主張もしていますね。Shinさんのような立場の人がユダヤ教やキリスト教やイスラームや神儒仏などの諸宗教についての本を書くというのは大変珍しいことだと思います。そういう意味では稀少価値があります。今でもすでにそうかもしれませんが、あなたは実業家の中でもっともたくさんの本を書いた人になるでしょう。

 わたしはこのところ、銀座のシネスウィッチか、シネシャンテかでよく映画を見ますが、「これは!」というのになかなか出会いません。この前は大宮で「どろろ」を見ましたが、全く退屈してしまいました。あまりにちゃっちくて。予告編を見た時には何か、妖怪変化と戦乱と野心とのせめぎ合う面白い映画を期待できたのですが、本編を見てガッカリ。映像が『キャシャーン』に似ているような気がして、同じ監督の作品かなと期待していたのですが、まったく違っていました。わたしは『キャシャーン』という映画はとても好きなのです。あれはなぜだか、とてもリアリティと身を切るような切なさがありました。でも、『どろろ』はねー……。

 このところ、国内移動が続いています。直島、松山、徳島、大宮、京都、伊勢、そして松江から熊本県玉名へ。4月7日松江で武者行列をします。わたしがその先頭を切って歩き始め、修験者の格好で宍道湖の大橋のところで大山と宍道湖に向かって法螺貝を吹くことになっています。その後は、松江城内で、藤間信乃輔さんの踊りに合わせて笛や法螺貝や石笛で伴奏。そして終了後すぐ、熊本県玉名市へ直行し、早稲田大学を卒業した教え子の若い友人藤川潤司君と川原一紗さんの結婚式の仲人をします。二人とも将来有望なシンガーソングライターです。「仲人」なんて死語になりつつあると聞きますが、これもまた縁でしょう。

 一昨日、横浜の朝日カルチャーセンターで「霊とは何か」という講座をした後、NPO法人東京自由大学の春合宿が那須のライアン(神成邸)であり、その後すぐ京都に来ています。今日は京都泊。明日、統一地方選の選挙応援のため三重県伊勢市に向かいます。

 今日は京都造形芸術大学の新年度仕事始め。千住博氏が新たに学長に、秋元康氏が副学長に就任したことなどがあり、学長就任披露パーティが学内で行なわれました。大学を出て見上げるとすっかり夜で、東山から満月がぽっかりと上空に。そしてそのはるか左方には比叡山が聳え立っているのが見え、お月様と比叡山に手を合わせました。最近わたしはほんとうに比叡山を含む東山連峰が大好きになりました。特に比叡山は美しく、厳しく、孤高を保っているような景勝地で、これほどよくまとまった調和に満ちた山はないのじゃないかと思うほど。京都に対するわたしの見方も印象も東山連峰と比叡山を歩き、仰ぐ日々の中で一変しました。180度反転するくらい。

 ともあれ、もう4月。満月の光に照らされながら、瓜生山を見上げる地でこのムーンサルトレターを書いていて、しんみりと静かな夜を独り過ごしています。うつくしい光、うつくしい山。しかし人間の世界はそれにくらべて、どうしてこう……。ま、気を取り直して前に進みましょう。それでは次の満月の夜まで。オルボワール!

2007年4月2日 鎌田東二拝