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シンとトニーのムーンサルトレター 第012信

第12信

鎌田東二ことTonyさま

Tonyさん、昨日そして今日、大変お疲れさまでした。京都造形芸術大学の皆さんが北九州までお越し下さり、また嬉しからずやという心境です。地域文化演習として、わたしも昨夜は特別講義をさせていただきました。「冠婚葬祭の冒険」という演題を与えられ、日頃から考えている冠婚葬祭の意味および当社のさまざまな実験について語らせていただきました。時間の関係で何だか舌足らずな話になってしまいましたが、今後とも志を高く持ち、冠婚葬祭の「冒険王」とまでいかなくとも「冒険ダン吉」くらいは目指したいです。


<サンレー本社および松柏園ホテルにて(佐久間庸和・鎌田東二・佐藤眞人)>

その後、小倉の夜の街に繰り出し、例によってカラオケ大会!Tonyさんのレパートリーは豊富ですが、特にブルーハーツの「リンダリンダ」と布施明の「シクラメンのかほり」が絶品でしたね。わたしも、オレンジレンジの「花」や、サザンオールスターズの「愛の言霊」に新曲「Dirty old man」を熱唱しました。二人で「戦争を知らない子供たち」をハモったのは楽しかったですね。それから、いつものように深夜に豚骨ラーメンを食べた後、数時間後に朝食をまた御一緒しました。『ガラス玉演戯』を中心とするヘッセの話題や、お互いの今後の執筆プランの話もできて非常に有意義でした。

特別講義では、わたしに先立って北九州市立大学の佐藤眞人教授の「北九州の宗教文化」がありました。わたしも受講させていただきましたが、各神社の由来をはじめ、たいへん勉強になりました。特に質疑応答におけるTonyさんと佐藤先生のアカデミックな応酬には圧倒されました。オオヒルメムチとかオオナムチとかの神名が飛び出す度に、自身のムチ(無知)を思い知りました。貴重な体験をさせていただき、感謝申し上げます。

さて、講義といえば、8月12日に金沢でも特別講義を行ってきました。そのため「平安京・平城京 摩訶不思議の宴2006」への参加が叶いませんでしたが、北陸大学に開設された孔子学院の開学記念講義で「心の経営」と題して1時間半語ってまいりました。わたしの著書『孔子とドラッカー』を読まれた北元喜朗理事長が招待して下さったのです。

孔子学院について少し説明させていたただきます。孔子学院とは、中国政府が海外に設立する中国語学校です。現地の大学などと提携し、現地の中国語学習者を中心に募集します。学間協力、政府間協力、外国企業との協力などにより運営されます。

2004年、中国の国務院は漢語(中国語)の普及拡大のための国家プロジェクトをスタートさせましたが、その一環として生まれたのが孔子学院です。孔子学院の目的は、世界における中国語教師を育成、中国文化をPRすることとしています。あくまで、「孔子の思想を教える教育プログラムを開設するのではなく、孔子の名を借りて全世界に中国語を広めることが目的」(国家対外漢語教学指導小組弁公室)だそうです。

中国政府は、孔子学院を世界各国に100校創設し、今後数年間で海外における中国語学習者を現在の2500人から1億人にする計画を持っています。2004年には韓国ソウルに第1校目が設立され、その後順調に増加しています。2006年7月の時点で、設立は36カ国・80校に上り、今年中に100校に達する見込みで、すでに海外での中国語学習者は3000万人を超えています。

2005年6月、日本初の孔子学院として「立命館孔子学院」が誕生しました。11月には桜美林大学が日本で2番目の孔子学院の設立に調印。2006年2月には、北陸大学と愛知大学とも設立調印して、すでに日本にも4校が開校しています。さらには、札幌大学、広島大学、そして九州大学が設立調印を予定しているそうです。インターネット、ラジオ、テレビなどのメディアも活用し、すでに北京でオープンした「ネット孔子学院」の他、「ラジオ孔子学院」「テレビ孔子学院」の開設も予定されています。

また、孔子学院は基本的に孔子の思想とは無関係とのことですが、最近、中国では儒教が復権してきています。「朝日新聞」2006年5月5日には「儒教復権 中国、塾や教室続々」の見出しで特集が組まれました。それによると、文化大革命で「封建主義の道徳」と批判された儒教が中国で復権し、市民生活に定着しつつあります。孔子の『論語』を音読する子ども向けの塾は花盛りで、ビジネスマンの儒教教室も大変な人気だそうです。新聞には「急速な国際化や経済成長が中国人としての自己意識を求めさせる。とはいえ、格差の拡大や拝金主義の横行には不満が強い。国民をまとめる思想を探る当局の思惑もかいま見える」と書かれています。

何を隠そう、わたしは古今東西の人物のなかで孔子を最も尊敬しています。当社の経営理念も「礼経一致」を掲げ、わたし自身も40歳になる前に真の「不惑」を得んとして『論語』を40回音読した経験を持ちます。それほど敬愛する孔子を政治の道具に利用するなどとは絶対に許せません。北陸大学孔子学院での講義には中国人の教授の方々も多く参加されていましたが、わたしは「孔子ほどの人類の偉大な教師を政治的に利用するなどと、ゆめゆめ考えてはいけない。それよりも、インドにおけるブッダのごとく、孔子の出身地ということが中国の最大の誇りだと思う」と述べました。「論語と算盤(そろばん)」で有名な渋澤栄一やドラッカーなどにも触れながら、とにかく1時間半の間に幾度となく「孔子」という名を口にしましたが、それはわたしにとって至福の時間でありました。そこで、「かねてより敬ひ慕ふ人の名を重ねて呼べり嬉しからずや」という短歌を詠みました。北陸大学孔子学院の開学を祝って、「古(いにしえ)の教え新たによみがへり君子みちびく北陸の地で」という短歌を詠んで、理事長に贈呈しました。

なぜ、わたしは孔子に心を惹かれるのか。まずは、冠婚葬祭業というわたしの仕事の偉大な先達ということがあげられます。孔子の母親はもともと葬儀や卜占にたずさわる巫女であり、「原儒」と呼ばれる古代の儒教グループも葬送のプロフェッショナル集団でした。この事実は、中国文学者・白川静氏の名著『孔子伝』で明らかにされました。孟子の母親は、孟子が子どもの頃に葬式遊びをするのを嫌って家を3回替えた、いわゆる「孟母三遷」で知られていますが、孟子の師である孔子も子ども時代にはよく葬式遊びをしたようです。

ここで余談ですが、「禁じられた遊び」というフランス映画の名作がありますけれども、あの「禁じられた遊び」とは虫や小動物の亡骸を地中に埋めて十字架を立てて祈りを捧げるという、小さな子どもによる「葬式遊び」でした。どうも「遊び」と「葬式」の間には強い関連性があるようです。そういえば、古代の日本では天皇の葬儀にたずさわる人々のことを「遊部(あそびべ)」と呼びましたね。

いずれにせよ、孔子は葬礼を中心において大いなる儒教の体系を築きあげました。孔子は、母親の影響もあって「葬儀ほど人間の尊厳に関わる行為はない」と考えていたとしか思えません。そうでないと、彼が生んだ儒教がこれほどまでに葬礼に価値を置く理由がわからなくなります。つなみに、儒教はよく古臭い倫理道徳の話と誤解され、宗教ではないと思われているようですが、わたしは儒教ほど宗教らしい宗教はないと考えています。

また、孔子は「仁義礼智忠信孝悌」をはじめとした夥しいコンセプト群を編集した人物です。特に「礼楽」などは考えれば考えるほど奥の深さを感じますが、何よりもわたしが孔子を敬愛するのはその徹底してポジティブな姿勢です。『論語』には「楽しからずや」とか「悦(よろこ)ばしからずや」といった言葉がたくさん出てきます。仏典や聖書には人間の苦しみや悲しみは出てきても、楽しみや喜びなど見当たりません。2500年以上前に作られた『論語』にポジティブな言葉が多いのは、本当にすばらしいことだと思います。

孔子はきれいな色の着物を好み、食にこだわりました。グルメでファッショナブルだったのです。それだけでなく、音楽をこよなく愛し、酒をたしなみました。そのうえで、2500年後の人間の心をしっかりつかんで離さないほど、人の道を説き続けた孔子。わたしがこの1週間のあいだに読んだ本、ソローの『森の生活』にも、ヘッセの『ガラス玉演戯』にも何度も登場して、その度にわたしを驚かせる神出鬼没の孔子。

わたしは、この孔子に大いなる人間讃歌、現世肯定の精神をたまらなく感じるのです。その孔子が生んだ儒教の世界は、封建的だとか堅苦しいだとかいった浅薄な見方を超越した、このうえないハートフル・ワールドではないでしょうか。わたしは、今後も孔子学院をはじめ、さまざまな場所で儒教を機軸として「心の経営」を追求するハートフル・マネジメントを語ってゆきたいと思います。

その他の最近の出来事では、冥王星が惑星から除外されたショックで「惑星の数ひとつ減り驚きぬ 今日の知識も明日は通じず」と短歌を詠んだり、秋篠宮家に男児が誕生された日に銀座のシネスイッチで性転換映画「トランスアメリカ」を観て、ジェンダーについて考えたりしました。同じ日には少年兵士についての映画「イノセントボイス」もDVDで鑑賞し、現在でも世界で30万人以上の子どもが「兵士」として戦場へ送られていることを知りました。映画の舞台であるエルサルバドルでは、子ども時代は12歳の誕生日で終わります。政府軍が12歳になる少年たちを兵士として徴収してしまうからです。もちろん少女は徴収されません。男の子というものは、いろいろな意味で大変ですね。

さて、昨年の9月よりスタートしたムーンサルトレターも、今回でついに12通目です。ちょうど丸1年となりました。月日の経つのは本当に早いですね。Tonyさん、どうぞ、これからも末永くよろしくお願いいたします。

2006年9月10日 一条真也拝

一条真也ことShinさまへ

9月9日・10日と小倉では大変お世話になり、本当にありがとうございました。またお父上の佐久間進サンレー株式会社会長とも久し振りでお会いでき、学生とともに貴社の経営する松泊園ホテルでおいしい夕食をいただきながら懇談でき、とても嬉しくまた有難く思いました。

今日は9月11日、「9・11」の日です。今、夜の7時で、まもなく18夜のお月様が昇ってくる頃です。今頃友人たちが石川県白山市の獅子吼高原で「白山虹の祭り」の最後のプログラムを行なっている頃だと思います。そんな時間に、このレターの返信を東京に戻る新幹線の中で書き始めます。わたしは昨夜、小倉からそのまま大宮には戻らず、京都で1泊しました。今日、大学で「芸術環境研究会」という研究会があって、わたしはその座長でまた発表者の一人でもあったので、昨晩は御所の前のホテル・ハーヴェストで一夜を過ごしたのです。この御所の前のホテルはわたしの京都での定宿で気に入っています。

「地域文化演習・福岡」は宗像大社での正式参拝から始まり、神職さんによる社頭説明を受け、古代祭場跡地でもある高宮や二宮・三宮・神宝館を訪れました。特にこの高宮はしんとしたたたずまいで、ヒモロギの木が立っているだけの空き地のような聖空間で、何とも言えない聖なる静けさを保っていました。20年近く前に訪れた時も、この場所の大変深い感動を覚えましたが、今回も同様でした。右脇には地主の神を祀る丸石が置かれていて、今回そちらもお参りすることができました。

福岡県は、古名では「筑前の国」と言います。平安中期にまとめられた『延喜式』という儀式書(法律書)に記された延喜式内社は19座あり、その筆頭に「宗像郡 宗像神社三座(並名神大)」とあります。宗像大社は筑前の国の延喜式内社にして、一の宮、また旧官幣大社として朝野の信仰を集めてきたのです。宗像大社は、玄界灘の沖合50キロに浮かぶ沖ノ島の「沖津宮(おきつみや)」、筑前大島の「中津宮(なかつみや)」、玄海町の宗像大社「辺津宮(へつみや)」の三宮を保有しています。沖津宮には田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮には湍津姫神(たぎつひめのかみ)、辺津宮には市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀っています。宗像大神を祀る神社は、全国に6000余社ありますが、宗像大社はその総本宮に当たります。海上交通の要所に位置する沖ノ島の沖津宮は島全体が御神体とされ、現在でも女人禁制で、「海の正倉院」とも呼ばれ石舞台や古代装飾品なども多数発見されています。

今回、杉山権禰宜さんのご案内で神宝館を見学し、沖ノ島での祭儀のあり方が、岩上祭祀から岩蔭祭祀、露天祭祀へと変遷してきた過程を具に辿ることができ、そのプロセスに強い興味を抱きました。最初、岩の上で神を祀る祭儀を執り行っていた時、人々は神懸りのようになり、シャーマニスティックなトランス状態を体験したことでしょう。鏡や剣や勾玉を用いた祭祀は、ユーラシア大陸や朝鮮半島のシャーマニズム文化と通じていたことでしょう。それが、岩の下に降り、岩蔭で行なわれるようになり、さらに底から離れてもっと広い露天の場所で行なわれるようになる過程でどのような神観や聖地観の変化があったのでしょうか。想像するだに興奮します。

次に、宗像大社を出発してバスで1時間ほど走り、北九州市立美術館を見学しました。ここは見晴らしがよく、洞内湾が眺望できます。また戸畑の町並や丘の上の家々も見渡せ、風と海と人々の暮らしを感じさせてくれます。ロケーションがいいですね、ここは、とても。設計は磯崎新とか。なかなか雄大で、大胆で、空・海・街に向き合ういい建物だと思いました。

その後、サンレー本社を見学。現代における葬儀のありようを説明していただき、多神教パンテオンともいえるオリンポス12神を持つ松柏園ホテルの結婚式場を見せていただきました。夜には、國學院大學の大学院時代の後輩である神道史学者で北九州市立大学教授の佐藤真人さんに「北九州の歴史と宗教文化」、佐久間庸和サンレー社長(=一条真也)さんに「現代の冠婚葬祭の冒険」という題で話をしていただきました。

「結婚とは最高の平和であり、葬式は最大の平等である。また、互助会とは人の道である」、「冠婚葬祭業とは、魂のお世話業である」、「葬祭は一種のイメージアートである」という大胆で力強い佐久間=一条節を聞くことができました。Shinさんの熱弁で学生のハートもずいぶんフルフル、ハートフルになったようですよ。充実した2時間の講義時間でした。会場もシックで、落ち着いていて、ゴージャスでした。その後の「放課後」の「課外授業」の「カラオケ」については、Shinさんがお書きのとおりですが、Shinさん、歌が上達しましたね。特にサザン・オールスターズの歌々はよかったです、ノリもハリもあって。ギンギンで。

翌日も、サンレーグランドホテルの見学。その後わたしは一人で、博多の福岡アジア美術館を訪ねました。一度はここを見ておきたかったのです。今回、受講した学生が、宗像大社本殿で正式参拝した後、わたしが石笛・横笛・法螺貝を奉納演奏した時、突然甲高い石笛の音を聞いて「魂のいななき」という高村光太郎の詩「秋の祈り」を思い出したそうです。その「秋の祈り」は、「道程」というよく知られた詩集に収められている次のような詩です。

秋は喨喨(りょうりょう)と空に鳴り
空は水色,鳥が飛ぶ
魂いななき
清浄の水こころに流れ
こころ眼をあけ  童子となる

多端紛雑の過去は眼の前に横たわり
血脈をわれに送る
秋の日を浴びてわれは静かにありとある此をみる
地中の営みをみずから祝福し
わが一生の道程を胸せまって思いながめ
奮然としていのる
いのる言葉を知らず
涙いでて
光にうたれ
木の葉の散りしくを見
飛ぶ雲と風に吹かれる庭山の草とを見
かくの如き因果歴歴の律を見て
こころは強い恩愛を感じ
又止みがたい責(せめ)を思い
堪えがたく
よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く
いのる言葉を知らず
ただわれは空を仰いでいのる
空は水色
秋は喨喨と空に鳴る              (高村光太郎「秋の祈り」/『道程』)

「魂いななき」とは言い得て妙な表現です。石笛の響きを聴いて、この言葉を思い出してくれたのはわたしにとってとても嬉しいことでした。小倉の夜のカラオケもまたわたしたちの「魂のいななき」でしたね。佐藤眞人さんやサンレーの社員で、小学校の音楽の先生をしてきたことのある方も一緒に次々と「魂のいななき」を天地にとどろかせましたね。

Shinさん、この夏、とにかくわたしは忙しかったです。あちこち走り回りました。文字通り、東奔西走しましたが、特筆しておきたいのは、出羽三山を2度縦走したことです。それも続けざまに。1週間の間に2度も。そして2度目は湯殿山神社の上流の梵字川で滝行をしました。月山の雪解け水の混じった冷たい冷たい滝に打たれた後、真っ赤な巨大な御神体の磐座を拝し、その上に裸足で登ったときの感動は言葉にできません。この時、一緒に滝に打たれ、御神体を体験した東京大学や京都大学や國學院大學の大学院の博士課程の学生の言葉が、わたしたちのやっている「モノ学・感覚価値研究会」のホームページ(http://homepage2.nifty.com/mono-gaku/)に掲載されているので、ぜひご一読ください。その御神体に「惚れた!」石井匠君の言葉など、なまなましくもほほ笑ましいですよ。

9月8日には、わたしは「白山虹の祭り」のオープニングの祈りと「虹の祭りの輪」「霊峰白山を語る」のトークセッションに参加しました。(詳しくは、http://hakusan-niji.jp/concept/index.html) とにかくも、素晴しいロケーションで、ただただ感動、絶句。またその夜の満月の手の届きそうなほどの至近距離にあっての月光浴はサイコーでした。しあわせ、でした。「白山虹の祭り」の車実行委員長を始め、関係者・スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。20年ぶりで白山比咩神社に参拝できたことも有難かった。1999年に奈良の東大寺や奈良公園や春日大社から始まった「虹の祭り」の系譜がこのような連鎖を生んでいることに出演者であり関係者の岡野弘幹さんともども、大感謝です。白山にはまだ一度も登拝したことがないので、来年、ぜひお参りしたいと思っています。

Shinさん、孔子のことについてはわたしも一家言あるので、今度また書いてみたいと思います。孔子の説いた「礼学の道」をわたしもまた歩んでいると思いますので。
それでは次の満月の夜まで、ごきげんよう。
「9・11」の夜、言葉にならない祈りの気持ちをお月さまと世界に発信します。

2006年9月11日 鎌田東二拝