京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター 第082信

第82信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか? わたしは、どこに出掛けることもなく仕事三昧でした。ただし、4月24日から27日にかけて韓国へ行ってきました。「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の韓国訪問ミッションに参加したのです。この研究会は昨年より発足したもので、アジアの調査対象国の冠婚葬祭の文化の実態を調べていくことを目的としています。冠婚葬祭互助会業界の大手の経営者をはじめ、國學院大學教授で神道文化学部長の石井研士さん、第一生命経済研究所・主任研究員の小谷みどりさん、国立歴史民俗博物館・准教授の山田慎也さんなども参加されています。

 この研究会では、宗教との関わり、儀式のあらましや流れと意味づけを調べます。また、冠婚葬祭の参加者の範囲と人数、わが国との共通点と相違点をまとめる予定です。今後のわが国業界のビジネスの高度化に資するものがないかを探るのも目的の1つですが、わたしは「人間にとって冠婚葬祭とは何か」という、儀式文化の論理の構築につながるような気がしています。東アジアといえば、いわゆる「儒教文化圏」とほぼ重なります。儒教は中国で生まれ、朝鮮半島を渡って、日本に伝ってきました。

 わたしは、韓国の葬祭業界とは縁があります。2005年12月16日に韓国から北九州市のサンレー本社を訪問する視察団がやってきました。ちょうど、その頃の韓国の葬儀環境は激変していました。土葬が一般的ですが、近年は土地不足などで火葬が増えており、両大学を中心に「火葬先進国」である日本の視察が企画されたのです。大田保健大学と昌原専門大学の「葬礼指導科」の教授10名を含む、僧侶、学生ら52名の視察団で、教授陣の顔ぶれは哲学と宗教学の混成軍といった感じでした。

 わたしはレセプション・パーティーで挨拶をしましたが、「日本では今、韓流ドラマが大ブームです。でも、日本は韓流ドラマなど及びもつかない素晴らしい贈り物を2つも朝鮮半島からいただいています」と前置きし、「それは、仏教と儒教です。この日本人の心の二本柱ともいうべき両宗教は、中国から朝鮮半島をわたって、日本に入ってきました。そして、もともと日本にあった神道と共生して、三者は互いに影響し合い、また混ざり合いながら、日本人の豊かな精神文化をつくってきました。その果実が冠婚葬祭です」と述べました。その後、「日本の葬儀文化」という講演を90分ほどやりました。

 その翌年、招聘を受けて韓国に行ってきました。韓国の新聞社や大学から招かれ、講演および特別講義を行いました。プレスセンターやいくつかの大学で、日本の冠婚葬祭について語りました。それとともに、韓国の冠婚葬祭業の人々と親交を結びました。さらに、その翌年の2007年には、拙著『ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫)のハングル版が出版され、その出版記念講演が企画されました。わたしの本がハングルに翻訳されたのは、『リゾートの思想』(河出書房新社)と『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)に続いて3冊目でした。なお、『ロマンティック・デス』のハングル語訳は大田保健大学教授である張萬石さんがやって下さいました。

 さて今回の訪韓では、その『ロマンティック・デス』をめぐって思わぬ出来事がありました。26日に韓国を代表する冠婚葬祭互助会である「漢江ライフ」を訪問したのですが、同社の金相元(キム・サンウォン)会長が、歓迎の挨拶をして下さいました。金会長は、「わたしは、ある日本人の書いた『ロマンティック・デス』という本が愛読書なのです」と発言されたのです。それを聞いた張萬石さんが驚かれて、わたしを指差し、「会長、この人が書いた人ですよ! この人が一条真也さんですよ!」と言って下さいました。金会長も大変驚かれて、わたしたちは固い握手を交わしました。今回のミッションには本名の佐久間庸和として参加していたので、わたしが一条真也であるとわからなかったのでした。張さんが翻訳して下さった『ロマンティック・デス』を金会長は3度も繰り返して読まれ、本を大事に会長室に置かれているそうです。日本のNTTにあたる韓国KTの電話局長を務たほど高いキャリアを持つ金会長が、葬儀業界への転進を図ったのも同書を読んだことが大きな原因であると言われていました。わたしは、その話を聞いて、感激で胸がいっぱいになりました。まさに「縁は異なもの」です。

 今回の訪韓では、現地の互助会をはじめ、ブライダル企業、葬祭場、火葬場などを回りましたが、最終日には「葬礼歴史文化博物館」というミュージアムを訪れました。ここは2回目の訪問で、わたしは5年程前に訪問したことがあります。博物館は、サンポ・シルバー・ドリームという大手葬儀社が運営しています。同社のオーナーはイム・ズン氏という大学の特任教授で、風水や家庭儀礼などの著書も7冊ある方でした。韓国の葬儀業界における最高のオピニオン・リーダーであり、カリスマでしたが、残念ながら5年前に亡くなられました。当日は、オーナー未亡人と長男の方が出迎えてくれました。

 葬礼歴史博物館は、「死」と「葬」の文化についての啓蒙を目的に2005年にオープンしましたが、なかなか正式な博物館として国が認めてくれませんでした。それが今年になってようやく許可が下り、グランド・オープンする運びとなったようです。博物館は2階建てで、1階は世界の葬儀文化、2階は韓国の葬儀文化についての展示を行っています。その他にアフリカ館もあります。まず1階には、ヨーロッパのカタコンベ、チベットの鳥葬、エジプトのミイラをはじめとして世界各地を代表する葬儀文化が展示されていました。日本関係では、宮型の霊柩車などが置かれていました。70年代のクラウンを改造した霊柩車です。ミッションの一行も、これには興味を示していました。

葬礼歴史博物館「韓国の葬列」

葬礼歴史博物館「韓国の葬列」葬礼歴史博物館「アフリカの棺」

葬礼歴史博物館「アフリカの棺」
 2階に上がると、より博物館らしい雰囲気で、韓国の葬儀文化が展示されています。『四禮便覧』や『喪禮備要』などの貴重な儒教の葬礼書もあります。しかし、なんといっても、最大の見せ場は朝鮮時代の葬列を再現したジオラマでしょう。1800年頃の葬列で、重要人物が亡くなると5ヵ月後に葬儀のパレードが行われました。なんと総勢3000人で、3泊4日のパレードでした。3000人すべての役割分担を人形で忠実に再現しています。

 またアフリカ館では、入ってすぐの空間に世にも珍しい棺が並べられています。高級車、飛行機、船の形をした棺もあります。おそらく、あの世という別世界に行くことを旅であると見立てたのでしょう。この世の乗り物に乗って、あの世に旅立つというわけです。また、魚や蟹やワシやライオンといった動物の棺もありました。これはアニミズムの一種であるとも考えられます。ライオンなど力のある存在を信仰する部分もあるようです。

 博物館を見学した後は、会議室のような部屋で葬礼歴史博物館の理念と沿革について説明を受けました。もともと、この博物館は「葬儀」をテーマとしていることから、近隣住民から「迷惑施設」であるとの偏見で反対運動を受けていたそうです。それをイム氏が「迷惑施設ではなく文化施設、ひいては福祉施設である」とのメッセージを粘り強く訴え続け、ようやく開館にこぎつけたのです。最後に、「世界の葬儀文化に寄与したい」というイム氏のご長男の力強い言葉を聞いて、わたしは心の底から感動しました。博物館の展示品も素晴らしいですが、それ以上に「葬儀こそ文化であり、その重要性を万人に知らしめたい」という志の高さが素晴らしい。わたしは、韓国に「天下布礼」の同志を見つけた思いです。

 なお、今回のミッションのメンバーである国立民俗歴史博物館准教授の山田慎也さん(この方も、学生時代に『ロマンティック・デス』を読んで下さっています)によれば、世界中にこのような葬儀博物館が存在しているそうです。なんでも、先進国でまったく存在しないのは日本ぐらいのものだとか。各国の博物館は、人々に「死」の教育を行い、「葬儀」の重要性を示しています。このような施設が存在しないがゆえに、日本では「葬式は、要らない」のような妄言が出てきたのかもしれません。わたしは、いつの日か、ぜひ日本にも葬儀博物館を作るお手伝いをしたいと心から思いました。国立民俗歴史博物館では今年から「葬儀」の歴史についての展示コーナーを開設するそうです。山田さんによれば、縄文時代から現代までの葬送文化の展示スペースが今年6月には完成するそうです。とても楽しみです。完成の暁には、ぜひ同博物館を訪れたいと思います。

 さて、葬礼歴史博物館を後にしたミッション一行は、そのまま次の目的地である「ユートピア追慕館」に向かいました。ここは、韓国で最大級の納骨施設で樹木葬も行っています。葬礼歴史博物館と同じく、わたしは5年前に一度訪れたことがあります。

ユートピア追慕館「キリスト教徒専用納骨堂」

ユートピア追慕館「キリスト教徒専用納骨堂」ユートピア追慕館「仏教徒専用納骨堂」

ユートピア追慕館「仏教徒専用納骨堂」
 3つに別れた納骨堂には、本館に3万、別館に1万、最近出来たばかりの新館に1万の納骨スペースがあります。ホテルをイメージしたというロビーは清潔感に溢れ、施設内には花や彫刻がふんだんに置かれていて、さながら本物のホテルのようでした。納骨堂というと、日本人に限らず暗いイメージを持つ人も多いですね。しかし、このユートピア追慕館は「家族の憩いの場」をコンセプトとしており、施設の周辺は家族でピクニックができる緑ゆたかなガーデンとなっています。

 ユートピア追慕館のシンボルスペースになっているのは、キリスト教徒や仏教徒のための専用納骨堂です。前者にはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、後者にはブッダと蓮の花と「千手経」の言葉が、上方に360度で描かれています。ただ、以前来たときに比べ、両宗教の専用納骨スペースは空きが多いように感じました。一般の納骨スペースよりも高価なせいでしょうか。納骨スペースは、一族で部屋ごと買い上げる場合もあるとか。また、ソウル大学同窓生の納骨スペースというのもありました。

 それから、ユートピア追慕館には「樹木葬」のエリアもあります。現在、2万坪の広大な土地に2000本の木が植えられています。樹木の種類はいろいろあって、それぞれ値段が違うとのことでした。支配人に聞くと、やはり樹木葬よりも一般の納骨のほうが人気があるそうです。なお、ユートピア追慕館は、互助会も運営しています。日本でも、互助会にぜひ納骨堂を運営してほしいという声は多いです。いろいろと規制はありますが、さてさて、今後はどうなっていくでしょうか?

 葬礼歴史博物館、ユートピア追慕館を視察して、今回の訪韓ミッションのすべての訪問予定は終了しました。いや、本当にハードな行程でした。初日に両替したウォンを使う暇がまったくありませんでした。わたし以外のメンバーを金浦空港で見送ってから、わたしは仁川空港に向かいました。金浦は羽田行きの便しか飛びませんが、仁川なら福岡行きがあるのです。仁川空港から大韓航空機に乗り込むと、離陸からわずか1時間ちょっとで福岡空港に着きました。アジアは近いです。次回のミッションは、秋に台湾を訪問する予定です。それでは、Tonyさん、次の満月まで。ごきげんよう。オルボワール!

2012年5月6日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさんからのムーンサルト・レターを受け取ったのは5月5日の夜のことでした。それからまるまる1週間が経ってしまいました。正確には8日間ですが……。お返事が遅くなり、申し訳ありません。先回は最速でお返事を掲載したという記録を打ち建てましたが、今回は最遅の記録を更新したようです。ごめんなさい。

 このメールを、わたしは、東京から京都に戻る新幹線の中で書き始めています。今日、5月13日の14時から地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅前にある東京大学仏教青年会で行われた宗教者災害支援連絡会第9回情報交換会に参加したのです。宗教者災害支援連絡会のことは、前に何度か書いたように記憶しますが、東京大学の宗教学の教授の島薗進さんが代表者となって、宗教者と宗教学者が中心となって、東日本大震災に対する支援の形を探りつつ実践に生かしていくという連絡会が昨年の4月に立ち上がりました。

 それから1年余り、毎月のように(最近は隔月ですが)、活発に情報交換会が開かれ、被災地の状況報告や支援活動報告などが紹介され、さまざまな議論が交わされ、いくつかの提案も出てきました。この中から、福島県へのシニアボランティアも始まりつつあります。学識・人物ともに評価され信頼されている島薗進さんが代表者だからこそ、ここまでしっかりと活動が根付き、さらなる展開が生まれつつあるのだと思っています。物事を動かすのは、やはり「人」、ですね。まちがいなく。その意味では、Shinさんとサンレーの常日頃主張される「人間尊重の精神」に賛成です。人の力、ネットワーク、相乗作用は、問題解決に向かう原動力であり、要であり、芯であると思います。

 今日は、金沢市の寶泉寺(高野山真言宗)住職の辻雅榮さんの「仏足頂礼 高野山足湯隊〜被災地における傾聴ボランティア」、金光教首都圏災害ボランティア支援機構の田中真人さんの「仮設住宅の自治会はどのようにして発足したのか〜金光教首都圏災害ボランティア支援機構の取り組み」、浄土真宗本願寺派の京都在住の住職・北條悟さんの「京都ネット:被災された方の思いを優先した活動の継続」の3つの報告がありました。それぞれ貴重な活動報告で、大変参考になり、いろいろと教えられたり、考えさせられたりしました。いつも、とても勉強になり、有難いと思っています。

 さて、Shinさんからのレターを受け取った5月5日の夜、わたしは仙台にいました。その前日の4日は石巻市雄勝町大須、その前日の3日は気仙沼市、その前の2日は岩手県釜石市、その前の1日は岩手県久慈市と、5月1日から6日まで、青森県八戸市から福島県南相馬市と浪江町の境界線の立ち入り禁止地域までの沿岸部約450キロを追跡調査していたのでした。石の聖地の写真家の須田郡司氏と2人で、昨年の5月2日から5日まで仙台市若林区から久慈市までの沿岸部約350キロを第1回目の調査をしたのを皮切りに、昨年10月10日から13日までを同地域の第2回目の追跡調査をし、今回の第3回目は、逆ルートでさらに長距離の追跡調査をしたのでした。今後も、半年に1回、最低トータル5年は続けようと思っています。(詳しくは、モノ学・感覚価値研究会のHP「研究問答」欄をご覧ください。)

 レターを受け取った夜、FM仙台で放送する番組「心の相談室」に出演して、その事務局長の鈴木岩弓東北大学教授や「カフェ・デ・モンク」(僧侶の主宰するカフェ・カフェで文句を言い合うというダブルミーニングを持つ)を主催する僧侶金田諦應さん(曹洞宗通大寺住職)や三浦正恵さん(曹洞宗鶴翁山玄松院副住職)たちと晩御飯も食べずに熱心に話をし、12時前に深夜のビジネスホテルの部屋にチェックインしてShinさんからのメールを受け取ったのでした。

 Shinさんは、レターで、韓国での「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のことを書かれていましたね。そして、『ロマンティック・デス』が韓国を代表する冠婚葬祭互助会の「漢江ライフ」会長の金相元氏の愛読書であったことなどが書かれているのを読み、「縁は異なもの乙なもの」という諺を思い出しました。実に不思議というか、奇遇であり、得難い縁ですね。

 5日、わたしは石巻市雄勝町から牡鹿郡女川町を通り、石巻市、東松山市、塩竈市、多賀城市を抜けて仙台に入ったのですが、その時、女川湾から満月(14夜か?)が登り始めました。そこで、最近、35年ぶりに手にし始めたカメラを向けました。それが、下の写真です。女川の廃墟のようになったビル群はすべて撤去されていて、町中はガランとした状態でほとんど何もありません。そのような中に満月が射し昇ってきました。それを見て、能の「融」を思い出しました。

女川湾から登る5月5日夕べの月

女川湾から登る5月5日夕べの月石巻の大和鯨煮の倒壊した巨大宣伝タンク

石巻の大和鯨煮の倒壊した巨大宣伝タンク
 「融」は、次のような内容です。——中秋の名月の日、諸国一見の僧が京の六条河原院で奇妙な老人を見かけた。その老人は汐汲みの田子を背負っていた。六条河原で汐汲みとはこれ如何に? と不審に思った僧に対して、老人はそのいでたちを次のように語った。ここ、河原院には昔、河原左大臣と呼ばれて権勢を誇った嵯峨天皇の皇子の源融のおとど(大臣)が住んでいて、陸奥国の美しい塩竃の景色を庭園に移し取って住んでいたと。その時、折しも、満月が登って、六条河原と塩竈とが重なる幽玄なる景色が現出する。融のおとどは毎日難波から潮を運ばせ、庭で塩を焼かせるのを楽しみとしていたが、しかし今はもうそれも昔のこととなってしまい、誰もその跡を継ぐ者はなく、河原院も荒涼たる廃墟となってしまったことを知った僧は、老人が融のおとどの亡霊であったことに気づく。その夜、僧の夢の中で、かつての権勢を誇った融大臣が現れ、月下に優美に舞を舞い続け、夜明けとともに消えていったのだった。——

 何とも、幽玄至極な複式夢幻能ではないでしょうか。世阿弥は過去の栄光と現在の廃墟を満月だけが変わらずに煌々と照らし出し、その中で老人と融の大臣に二極化した姿をはかなくもうつくしく描き出します。女川の満月を見上げながら、世阿弥が舞った室町の舞台を思い描きました。そして、石巻に達すると、上記写真のような「大和鯨煮」の巨大タンクが津波でさらわれ打ち上げられて、今なお倒壊したままの姿で横たわっているのを見ました。タンクの周囲には油絵のような絵が立てかけてあって、震災メモリアルアート化していました。これは津波記念碑とするのでしょうね。

 震災とアートや芸能と関係することですが、5月5日の端午の節句には、石巻市雄勝町大須の八幡神社で奉納された国指定重要無形民俗文化財の「雄勝法印神楽」を見学しました。岡野玲子さんや手塚真さんも来ていました。去年の今ごろは津波で家屋のみならずほとんどの神楽装束も流され、神楽の奉納上演どころではなかったと思います。復旧・復興、ライフラインの確立、生活再建etc……。

 しなければならないことは山ほどあったでしょう。けれども、ハード面での復旧・復興だけでは、町の人たちの活力は深いところからは甦ってきません。やはり、年に一度、あるいは二度の、春祭りや秋祭りの際に奉納される神楽の奉納が雄勝町の心や魂を賦活するのです。ですから、今回の5月5日の神楽の奉納には特別の思いがあったことと推察します。

石巻市雄勝町大須の海に入る八幡神社の神輿

石巻市雄勝町大須の海に入る八幡神社の神輿雄勝法印神楽「日本武尊」

雄勝法印神楽「日本武尊」
 Shinさんは、「冠婚葬祭業」の経営者であり、その意味で、「葬儀」のプロでもありますが、今回の東日本大震災は、「死」と「葬儀(弔い)」の問題を日本の民俗文化の根深いところから問いかけたと思っています。そして、その問いは今も続いています。5月6日に仙台市若林区の荒浜と名取市閖上地区に向かいました。去年の5月と10月の2度若林区に来ていますが、今回初めて荒浜まで降りました。そしてそこに慰霊碑・供養塔が建てられているのを知り、その前で須田郡司さんとともに般若心経を唱え、鎮魂の法螺貝を奉奏しました。この前来た時には慰霊供養塔はなかったと思います。「葬儀」「慰霊」「供養」の問題はこれからも問われつづけるでしょう。

仙台市若林区荒浜の慰霊塔

仙台市若林区荒浜の慰霊塔名取市閖上地区の慰霊塔

名取市閖上地区の慰霊塔
 今回は、放射線量が高くて立ち入り禁止区域になっている浪江町と南相馬市小高地区との境界のところまで行きました。そこから先は入ることができませんが、そこで働いているのがすべて20代と見える若者ばかりであったことには大変に違和感を感じました。危険区域の管理や労働を下請けに回して維持しているのだと思いますが、そこには産業構造と雇用の歪みが露呈していると思わざるを得ません。ハイリスク・ハイリターンという構造がもたらしたツケが何であるか、わたしたちはこの身に引き受けなければならないのだと思います。しかしそうした中でも、うまく立ち回り、しぶとく焼け太りし、生き延びていく輩と、より深い致命的なダメージを受けて生涯引きずらざるを得ない者との格差もまた拡大しつつある現状があります。生存と労働と産業の関係構造が、自然と文明の相克的な破綻の中でグシャグシャになってきている。そこにおいて、人類は明確な生存戦略を持っていない、と思わざるを得ません。なし崩し的な、対策とも言えないような対応に追われているのが現状のように見えます。未来の社会ビジョンはありません。脱原発しても、廃原発にして危険を封じ込める道筋すら見えません。

仙台市若林区荒浜

仙台市若林区荒浜南相馬市小高地区と浪江町との境界の立ち入り禁止地点

南相馬市小高地区と浪江町との境界の立ち入り禁止地点
 上の写真は、左が津波が一気に押し寄せてきた荒浜、右が高放射線量立ち入り禁止地点です。一方は自然のいとなみがその渚という自然の境界を越え出、もう一方は原発の爆発により人工のいとなみが人工的に作った境界を越え出ていく、その境を写しています。わたしたちはもはや境を仕切ることなどできないのではないでしょうか? 前からしばしば言ってきたように、自然からの警告的な破壊・破局がわたしたちの「想定」を次々となぎ倒して、追いついていかないような変化と変動をもたらすのではないでしょうか? そのような変動への覚悟と備え(といっても、想定外に対する備えですが)が必要だと痛感しています。

 今年は、『古事記』1300年にして、『方丈記』800年です。その両著の周年を、神道の「ムスビ」と仏教の「無常」が同時に問われているのが今であると受け止め、5月26日(土)から連続3回の「古事記1300年〜鎌田東二の超古事記論」というシリーズ講座を開きます。その中で、「My古事記」と「未来古事記」をともに破壊的に再創造できればと考えているところです。どんな話になるか、計画はしていますが、現場においては想定外が起こることでしょう。それでは、次の満月まで、ごきげんよう。

2012年5月13日 鎌田東二拝

現代霊性学講座第2弾「古事記1300年〜鎌田東二の超『古事記』論」

第1回 「古事記ルネサンス」と「超古事記」
神話とは、決して壊れないもののこと◆作られたものとしての『古事記』『日本書紀』◆しかし、その神話世界には変わらない豊かさがある
 日時: 5月26日(土) 14:00〜18:00
 会場: 角川第2本社ビル(角川学芸出版)二階会議室
☆大重潤一郎監督作品『光りの島』上映 14:00〜15:00
映画は一人の男がサンゴ礁の無人島に現れるところから始まる。母の言葉を胸に自然の中でいのちの意味を問う作品。大重監督は東京自由大学副理事長。沖縄の神の島といわれる「久高島」再生の映画「久高オデッセイ」に10年がかりで取り組んでいる。
◆ 6月2日(土)から「大重潤一郎監督作品連続上映会」もスタートします。

第2回 「怪物退治」と「うたの発生」
剣とペン—外的世界を鎮める武と、内的世界を鎮める文◆力の場をどう整序するか?◆八岐大蛇とスサノオの相互交換性◆ヤマトタケルと伊吹山の神(古事記:白猪、日本書紀:大蛇)◆三輪山の神・大物主神(蛇)と崇りと鎮めとしての祭り◆ロゴスとしての言語(哲学・科学)とパトスとしての言語(神話・歌)◆去勢としての言語と開放ないし越境としての言語
 日時: 6月30日(土) 14:00〜17:00
 会場: 東京自由大学(詳しくはこちら

第3回 「神々/動物/聖地/芸能」
神々の暴発力動と禁忌の発生◆アマテラスとスサノオの「ウケヒ」の理と力◆神の無垢と残虐(折口信夫)と超越・垂直軸の必要◆神々が最初に罪を犯してくれた?—危機と救済と赦しの始まり◆「人でなし」になるワザ—神≒動物になる技法◆「神体」と「身体」—神と人と動物と◆トヨタマヒメはなぜ「八尋鰐」に変身したのか?◆高天原と黄泉国の写しとしての伊勢の神宮と出雲大社◆出雲と幽り世と他界への孔◆スナノオはなぜ「鼻」から化生したのか?◆アメノウズメはなぜ「ホト」を開示するのか?◆神楽と申楽(能)
 日時: 7月28日(土) 14:00〜17:00
 会場: 東京自由大学(詳しくはこちら