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シンとトニーのムーンサルトレター 第081信

第81信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、各地で桜が満開ですね。一昨日の夜、わたしは東北出張から九州に帰ってきました。仙台ではなんと雪が降って驚きましたが、小倉は桜が咲いていました。松柏園ホテルや小倉紫雲閣の桜も、わが家の桜も、それぞれ老木ながら咲き誇っていました。

 この週末は、東京の上野公園をはじめとして各地で花見が開かれるでしょう。しかも、今夜は満月ですので、花見と月見がダブルで楽しめます。昨年は、東日本大震災の影響で花見が自粛されましたね。「もう、あれから1年か」と思われますが、このたびの宮城出張で被災地の人々の心の傷がまだ癒えていないことを思い知りました。

 大学2年生の長女はいま、横浜の川沿いに住んでいます。そこには桜並木があり、とても綺麗だと言っていました。次女のほうは小学校を卒業し、3月16日に卒業式が行われました。 私立のカトリックの小学校なのですが、3クラス合計で120名の生徒が卒業しました。卒業式では、保護者を代表して、わたしが謝辞を述べたのですよ。

 「謝辞」の書状を掲げながら、わたしは次のように述べました。 「誠に僭越ではございますが、卒業生の保護者を代表いたしまして、お礼の言葉を述べさせて頂きます。本日は私どもの子供たちのために、厳粛な中にも温かく、優しさに満ちた卒業式を執り行っていただき、誠に有難うございました。校長先生をはじめ、担任の先生、諸先生方、子供達を見守って下さったすべての皆様に、保護者一同心より御礼申し上げます。 こうして、卒業証書を手にした子供たちの誇らしげな顔は、この6年間が、彼らにとって本当に充実したかけがえのない時間であったことを、強く感じさせてくれます。6年前、入学式で小さく幼かった子供たちの姿が、つい昨日の事の様に思い出され、感慨深く、胸が一杯でございます」

 それから、どうしても触れたかったことに言及しました。 「昨年は、東日本大震災で多くの方々が被災されました。卒業式を迎えたくても、無念にもそれがかなわなかったお子様もいらっしゃいます。 『人々のために生きる人』として、人の為に役立つことの大事さを、痛感した一年でもありました。そんな中、私どもの子供たちは、心に愛を持ち、具体的な行動によって、様々な形で人の為に役立つ喜びを教えていただきました。このような素晴らしいお導きに、深く感謝申し上げます」

 そして、卒業生の方向を向いて言いました。 「卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
周りの人々の愛に支えられて、今日の卒業の喜びがあることを、決して忘れないで下さい。そして、大きな夢と希望を胸に、羽ばたいて下さい。たとえ、皆さんに数々の試練が訪れても、この小学校で培った精神力で、必ず克服できると信じて頑張って下さい!」

 「二十四の瞳」ならぬ「二百四十の瞳」が、こちらをじっと見ていました。 それから、先生方の方向を向いて言いました。 「先生方、おかげさまで、子供たちはこんなにも成長させていただきましたが、まだまだ未熟でございます。それぞれの希望を胸に、今日、巣立って参りますが、どうかこれからも温かく見守って下さいますよう、お願い申し上げます」

 その後、小学校の益々のご発展と先生方のご健勝を祈念申し上げて、お礼の言葉とさせていただき、最後は「6年間、誠にありがとうございました」と述べました。

 このような学校行事の場で謝辞を述べたことなど、生まれて初めてです。 わたしは、これまで味わったことのない緊張感と高揚感に包まれました。 謝辞を述べながら、次女が体調不良だったにもかかわらず小学校の面接試験で頑張ったこと、小学校へ行く初日に泣いてバスになかなか乗らなかったこと、初めての給食で出されたカレーライスが完食できずに泣いてしまったこと・・・・・いろいろな場面が走馬灯のように、次々と心に浮かんできました。 泣き虫だった次女も、ずいぶん精神的にも体力的にも強くなりました。 そして、この4月からは中学生になりました。本当に、子どもの成長は早いものです。 わたしは、いつも、年中バタバタ忙しくしています。そのため、次女の学校行事に行けないことも何度かありました。でも、最後に卒業式で保護者代表の謝辞を述べさせていただいて、良い思い出になりました。

 卒業生たちが「仰げば尊し」を合唱したとき、会場の感動は最高潮に達しました。 「我が師の恩♪」というフレーズが流れたとき、わたし自身の小学校のときの先生のことを思い出しました。大変なイタズラ小僧で先生方にはいつも御迷惑ばかりかけていましたが、あの頃のワルガキが成人して自分の子どもの卒業式に参列して、しかも保護者を代表して謝辞を述べたと知ったら、みなさん、どんな顔をされるでしょうか。 あの先生方は、まだお元気なのか。それは存じません。しかし、突如として思い出された「我が師の恩」への感謝で、わたしの胸は一杯になりました。

 卒業式というものは、本当に深い感動を与えてくれます。 それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからだと思います。 わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。 七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。 そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのですね。

 結婚式も、やはり卒業式だと思います。なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからです。 そして、葬儀こそは「人生の卒業式」です。 最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。葬儀の場面で、「今こそ別れめ いざ さらば」と堂々と言えたら素敵ですね。

 さて、話題は変わって映画の話です。Tonyさんにはメールでもお伝えしましたが、先日、東京で「世界最古の洞窟壁画」を観ました。この作品は、ショーヴェ洞窟と、そこに残されていた世界最古の壁画をめぐるドキュメンタリー映画で、3D上映となっています。ショーヴェ洞窟とは、1994年12月、ジャン=マリー・ショーヴェが率いる洞穴学者のチームが発見した洞穴です。そこには、なんと3万2000年前に描かれた壁画が奇跡的に保存されていました。3万2000年前といえば、1万5000年前のものとされるラスコー壁画よりも1万7000年も古いわけです。まさに、世界最古の洞窟壁画!

 ちなみに、わたしは「最古」という言葉にめっぽう弱い人間です。そこには底知れないロマンがありますし、なにより「文明」には「最新」という接頭語が似合いますが、「文化」には「最古」が似合うように思えてなりません。そして、わたしは最古の神話、最古の神殿、最古の儀式などに心惹かれてしまいます。

 監督は、「アギーレ 鬼神の怒り」や「フィツカラルド」などで知られる巨匠ヴェルナー・ヘルツォークです。最先端の3Dカメラを携えて洞窟内を探索し、3万2000年前に描かれた壁画を隅々まで余すところなくとらえます。現在のヨーロッパでは絶滅したホラアナグマやホラアナライオンをはじめ、野生の牛、馬、サイなどの動物を、スタンプ、吹き墨といった技法で生々しく描いた壁画をとらえていくのです。

 洞窟内の風景は、「荘厳」そして「幻惑的」と表現する他はありません。そこに浮かび上がる壁画からは、それらを描いた古代人の「こころ」が見えてくるようです。わたしは、次々と映し出されるビジュアルに思わず息を呑みました。映画やアニメーションの原型を思わせる足が何本もある動物など、そのクオリティの高さは信じられないほどです。

 ショーヴェ洞窟に描かれた壁画は、黒のモノトーンです。色では多色使用のラスコーに劣りますが、表現ではショーヴェの方がより現代的な印象です。それにしても、何のために古代人は壁画を描いたのでしょうか。人類学者たちは、絵画を描く行為そのものが「儀式」であったのではないかと推測しています。火の使用とか、石器の発明には、明白な動機が容易に推測できます。しかし、絵画を描くといったような行為の動機は謎が多いです。
 人間の「こころ」の秘密は、明らかに石器よりも絵画に潜んでいると言えるでしょう。

 ショーヴェ洞窟内には、クマの頭蓋骨などを使った祭壇跡があります。そこで何らかの宗教儀式が行われたことを示しているのです。この映画には、「もうひとつの世界」の気配が強く感じられてきました。撮影スタッフは何度も奇妙な感覚にとらわれたそうです。それは、古代人にじっと見られているような感覚で、研究者たちも同じ感覚を抱いたとか。3万2000年前の壁画がそのまま残されているような洞窟では、何が起こっても不思議ではありません。ひょっとしたら、洞窟内の時空が歪み、本当に古代人と現代人が同時にその場所に存在したのかもしれません。

 この驚異的な映画を観て、わたしは特に2つのことが印象に強く残りました。1つは、このショーヴェ洞窟の近くには、かのネアンデルタール人も存在していたこと。ネアンデルタール人には死者を埋葬するという文化がありました。脳の容量も大きかったとされるネアンデルタール人ですが、なぜか現生人類のような絵画のような芸術を生むことはありませんでした。ある人類学者が言っていましたが、古代人たちに壁画を描かせた存在がいて、それは精霊だそうです。その学者は、現生人類を「ホモ・サピエンス」といのは間違いで「ホモ・スピリチュアリアス」と呼ぶべきだそうです。人間にとって「知性」よりも「精霊」のほうが重要だからだそうです。

 もう1つの印象に残ったものは、ラストに置かれたヘルツォークのメッセージです。
 ショーヴェ洞窟からすぐ近くに、原子力大国であるフランス最大の原子力発電所があるというのです。そして、そこには巨大な温室が併設されており、多数のワニが繁殖しています。そのワニたちは、なぜかアルビノになってきています。原子力の熱で温められた陰気な楽園に暮らす多くの白いワニたち・・・・・。そのグロテスクというよりも物悲しい映像から、ヘルツォークのメッセージが痛いほど伝わってきました。やはり、わたしは「最新の文明」よりも「最古の文化」にこそ人類を救う鍵があると思えてなりません。

 ショーヴェ洞窟といえば、Tonyさんは最近、『身心変容技法研究』第1号を創刊され、そこに「身心変容技法生成の場としての洞窟」という巻頭論文を書き、ショーヴェ洞窟や天岩戸のことなどを書かれましたね。わたしも拝読しましたが、非常に刺激的な論考で、いろいろ考えさせられました。「生命孵化器としての洞窟、身心変容誘発空間としての洞窟、原宗教と原芸術の発生場としての洞窟が人類文化史上に立ち上がってくる」という最後の一文が心に沁みました。特に、「原宗教と原芸術の発生場」というキーワードが・・・。

 原子力発電所という「原発」ではなくて、原宗教と原芸術の発生場という「原発」が洞窟なのですね。ということは洞窟と原子力発電所は、いわば正反対の存在ということになるのでしょうか。わたしのいう「最新の文明」と「最古の文化」という対比にも通じます。ショー・・ヴェ洞窟の近くに、フランス最大の原子力発電所が存在することはシンボリックですね。それにしても、「原宗教と原芸術の発生場」というTonyさんならではの言語感覚に感服いたしました。それでは、次の満月まで、ごきげんよう。オルボワール!

2012年4月7日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、次女の娘さんの小学校の卒業式、まことにおめでとうございます。わたしも一二度、松柏園ホテルでお会いしたことがありますね。そうですか。小学校卒業ですか。節目の時ですね。

 実は、わたしは「仰げば尊し」という歌がとてもとても好きなのですよ。特に、サビから三・四行目の「思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめいざさらば」のところが、中でも、「別れめ」のフェルマータの箇所でグッとくるのです。いつも。

 この曲は、スコットランド民謡かとばかり思っていましたが、ウィキペディアによると、『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』という、1871年にアメリカで出版された楽譜に収録されていて、作詞者T.H. ブロスナン、作曲H. N. D.とあります。

 2011年1月24日の共同通信は次のような記事を配信しました。
 http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012401000813.html

「あおげば尊し」原曲の楽譜発見 19世紀米国の歌
 卒業式でよく歌われてきた唱歌「あおげば尊し」の原曲とみられる米国の歌の楽譜を、一橋大名誉教授(英語学・英米民謡、歌謡論)の桜井雅人さん(67)が24日までに発見した。研究者の間で長年、作者不詳の謎の曲とされていた。

 桜井さんによると、曲名は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」。米国で1871年に出版された音楽教材に楽譜が載っていた。直訳すると「学校教育の終わりのための歌」で、友人や教室との別れを歌った歌詞という。作詞はT・H・ブロスナン、作曲はH・N・Dと記されていた。

 旋律もフェルマータの位置も「あおげば尊し」と全く同じという。桜井さんは約10年前から唱歌などの原曲を研究。何十曲もの旋律を頭に入れ、古い歌集や賛美歌などを調べていたところ、1月上旬に楽譜を見つけた。

 桜井さんは「日本にはたどれる資料がなく、今の米国でも知られていない歌。作詞・作曲者の実像など不明な点も多く、今後解明されればうれしい」と話している。>

 そうだったんですね。でも、たぶん、この「H.N.D.」さんは、スコットランドかアイルランドからの移民だったのではないかな。そんな気がします。楽曲の響きの感じが。まちがいなく、アイルランドースコットランドーケルト的です。

 ところで、この原詞(英詞)は次のようなものだということです。

We part today to meet, perchance, Till God shall call us home;
And from this room we wander forth, Alone, alone to roam.
And friends we’ve known in childhood’s days May live but in the past,
But in the realms of light and love May we all meet at last.

Farewell old room, within thy walls No more with joy we’ll meet;
Nor voices join in morning song, Nor ev’ning hymn repeat.
But when in future years we dream Of scenes of love and truth,
Our fondest tho’ts will be of thee, The school-room of our youth.

Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear;
The tie is rent that linked our souls In happy union here.
Our hands are clasped, our hearts are full, And tears bedew each eye;
Ah, ‘tis a time for fond regrets, When school-mates say “Good Bye.”

この直訳が、ウィキペデイアに載っていますが、それは次のような訳です。

私たちは今日別れ、まためぐり逢う、きっと、神が私たちをその御下へ招く時に。
そしてこの部屋から私たちは歩み出て、自らの足で一人さまよう。
幼年期から今日までを共にした友は、生き続けるだろう、過去の中で。
しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。

さよなら古き部屋よ、汝の壁の内で、楽しく集うことはもう無い。
朝に声を揃えて歌うことも、午後の賛美歌も、もう繰り返すことはない。
だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。
私たちの最も大切な思い出は、汝、幼き日々の教室となるのだろう。

さよなら私たちがかく愛した汝よ、さよなら親愛なる級友たちよ。
私たちの魂を、幸せなひとつの繋がりとしてきた絆は解かれた。
私たちの手は固く握られ、心は満ち、そして目には涙をたたえ。
ああ、これぞ惜別の時、級友たちの言葉は「さよなら」。

 すばらしいですね。この原詞。直訳も。わたしたちが歌っている日本語訳よりずっと情感があり、また神への祈りと級友たちとの惜別の念に満ちていて。特に、一番の四行目の「But in the realms of light and love May we all meet at last.(しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。)」のところなど。「いまこそ別れめ いざ さらば」もいいのですが、抽象的です。それよりも、具体的で、キリスト教の祈りを感じます。

 Shinさんの娘さんの卒業式の話を読んで、わたしも息子の卒業式のことを思い出しました。息子が中学三年の時、わたしはPTAの会長を務めました。埼玉県大宮市立大成中学校と言います。ちょうどどの時は、創立50周年だったので、わたしは50周年記念事業の実行委員長も務めることになりました。そんな節目に当たる年に、あの「酒鬼薔薇聖斗事件」起こったのです。わたしの息子は酒鬼薔薇聖斗と同学年でした。その衝撃から、わたしは「神道ソングライター」になったと言っても過言ではありません。

 1998年3月、わたしは校長先生の式辞に続いて、PTA会長として祝辞を壇上から述べました。その時、わたしたちはみなひとりひとりが「世界の果て・宇宙の果て」であるという話をしました。だからこそ、その「世界の果て・宇宙の果て」から、新しい地平を切り開き、新しい海に航海していきましょうというような話をした記憶があります。

 その冒頭で、息子が生まれた時の話をしました。彼はそのころ妻が勤務していた東京の虎の門病院で生まれました。住んでいた川崎市宮前区宮前平のマンションから虎の門病院に初めて面会に行った日の帰り、電車の中で胸の中に火が点ったような何とも言えないあったかい気持ちになりました。その火は今も消えずに胸の奥に燃え続けています。いのちというものは、そのようなあたたかい火なのだと、その時実感し、今もそう感じています。

 Shinさんのレターの感動的な話を読みながら、そんな昔のことをあれこれ思い出して、なんか、なつかしい気持ちに浸りました。そして、「仰げば尊し」の歌詞をもう一度調べてみようといろいろ検索していて、上記の記事に行き当たり、新たな発見に至りました。まことにありがとうございました。

 Shinさんがレターの後半で「洞窟」論を話してくれ、ショーヴェ洞窟の映画を例に挙げられましたが、実はわたしは先月、パリに行った時に、ショーヴェとラスコー洞窟を見学に行こうと計画したのですが、時間不足と実物見学不可能ということで今回諦めたのですよ。

 なぜ、フランスのその2つの同口に行こうと思ったかというと、わたしは、この3月30日に刊行した科研研究年報誌『身心変容技法研究』第1号の中で、「身心変容技法生死の場としての洞窟」という論文を書いたばかりだったからです。その論文を含め、雑誌の全頁を「身心変容技法研究会」のホームページ上でPDF全頁(126頁)公開しました。
 目次は以下の通りです。


『身心変容技法研究』第1号構成(全126頁)
科研研究年報誌『身心変容技法研究』を創刊するにあたって 鎌田東二

第一部 宗教と身心変容技法
鎌田東二「身心変容技法生成の場としての洞窟」
鶴岡賀雄(東京大学大学院人文社会系研究科教授・宗教学・キリスト教神秘主義研究)「西欧キリスト教における「身心変容」研究への展望」
町田宗鳳(広島大学大学院総合科学研究科教授・比較宗教学・仏教研究)「声の力と意識変容体験」
棚次正和(京都府立医科大学大学院教授・宗教哲学・祈り研究)「哲学的反省と神秘的経験の間‐ベルクソンとマルセルの思索を手がかりにして」
津城寛文(筑波大学大学院哲学思想系教授・宗教学・神道行法研究)「宗教の実践と研究–いくつかの先行例を参照して」

第二部 心と身体のワザ学
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授・臨床心理学・ユング研究)「心理療法と身心変容」
井上ウィマラ(高野山大学文学部准教授・スピリチュアケア学・仏教瞑想研究)「研究構想:ヴィパッサナー瞑想、スピリチュアルケアから見た身心変容技法」
倉島哲(関西学院大学社会学部准教授・社会学・身体論)「太極拳と気功における身体的リアリティの変容」
篠原資明(京都大学大学院人間・環境学研究科教授・美学・まぶさび瞑想)「まぶさび、知行遊と身口意」

第三部 身心変容と脳科学
齋木潤(京都大学大学院人間・環境学研究科教授・認知科学)「瞑想と「協調による制御」:試論」
乾敏郎(京都大学大学院情報学研究科教授・認知情報学)「心身変容の脳内メカニズムの検討」
永沢哲(京都文教大学総合社会学部准教授・宗教学・チベット仏教学)「仏教瞑想と脳科学」

第四部 公開シンポジウム記録「身心変容技法の比較宗教学——心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」
基調講演 内田樹(神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長)「身心変容技法としての武道と芸道〜合気道と能を中心に」
講演 町田宗鳳(広島大学大学院教授・比較宗教学・禅僧)「禅と念仏の身心変容技法」
指定討論:認知科学から齋木潤(京都大学大学院教授・認知科学)
     宗教学から棚次正和(京都府立医科大学教授・宗教哲学)
     パネル・ディスカッション
編集後記 鎌田東二・奥井遼・原章

科研研究年報誌『身心変容技法研究』

科研研究年報誌『身心変容技法研究』


同時に、姉妹誌『モノ学・感覚価値研究』第6号を「モノ学・感覚価値研究会」のホームページの「研究年報」欄「本文」のところで全頁(178頁)全文PDF掲載しました。目次は、以下の通りです。

鎌田東二 第6号刊行に際して

第一部 こころのワザ学
鎌田東二「こころの練り方その二 「信心」と「身心」の中世から「性命」と「もののあはれ」の近世へ」
熊谷誠慈「チベット・ブータン仏教におけるこころ観〜こころを観るワザ〜」
濱野清志「わざが生まれる心体—臨床心理学の視点から」

第二部 ワザと地域
シンポジウム記録:2011年11月23日実施「ワザとこころ〜葵祭から読み解く」大重潤一郎・嵯峨井建・村松晃男・やまだようこ他
シンポジウム記録:2011年11月24日実施「沖縄・久高島のワザとこころ」大重潤一郎・須藤義人・坂本清治・やまだようこ他

第三部 アイドルとアウラ
石井匠「アイドルのモノ学」
秋丸知貴「ヴァルター・ベンヤミンの『アウラ』概念について」

第四部 モノ学と「3・11」後のアート
大西宏志「物気色展11・11」
近藤高弘「『命のウツワ』プロジェクト」
鎌田東二+大西宏志+近藤高弘ほか 鎌田座「モノ学的世界観と自然の力と人の営み」
秋丸知貴「物気色11・11」展評
編集後記・奥付 合計 178p

『モノ学・感覚価値研究』第6号

『モノ学・感覚価値研究』第6号


ついでに宣伝してしまいますが、最近、2冊本を出しました。

鎌田東二・玄侑宗久『原子力と宗教——日本人への問い』角川oneテーマ21新書、角川学芸出版、2012年3月10日刊

鎌田東二・玄侑宗久『原子力と宗教——日本人への問い』
角川oneテーマ21新書、角川学芸出版、2012年3月10日刊鎌田東二編『日本の聖地文化——寒川神社と相模国の古社』創元社、2012年3月31日刊

鎌田東二編『日本の聖地文化——寒川神社と相模国の古社』
創元社、2012年3月31日刊
の2冊です。また、ブログなどで書評していただけると幸いです。

 さて、洞窟論ですが、わたしは比叡山に登拝するようになって、改めて山・森・洞窟というものが持つ力に感じ入るようになったのです。山は一つの洞窟だ。森はそれ自体巨大な洞窟だ。洞窟はもちろん洞窟である。母胎・子宮も一つの人体洞窟である。人体もまた一つの洞窟である。この洞窟的な空間が持つ力と機能と創造性に大変興味を持つようになったのです。17歳から聖地巡礼してきましたが、世界中の聖地の原型的空間が洞窟でもありました。そんなことがあって、Shinさんの洞窟論にも大変興味があるのです。

 昨日、わたしはその洞窟の一つ、比叡山という山洞窟に入ってきました。特に雲母坂などは洞窟そのものです。今回は、文章ではなく、写真でいくつか示したいと思います。登拝記については、「モノ学・感覚価値研究会」のホームページの「研究年報」欄の「東山修験道150」をお読みいただければ幸いです。

雲母坂入り口の置き札

雲母坂入り口の置き札 
雲母坂

雲母坂雲母坂

雲母坂
雲母坂

雲母坂雲母坂

雲母坂
第一馬の背から見る行き帰りの堰滝

第一馬の背から見る行き帰りの堰滝第一馬の背から見る行き帰りの堰滝

第一馬の背から見る行き帰りの堰滝
第二馬の背の上のお地蔵様

第二馬の背の上のお地蔵様ケーブル駅下の檜林

ケーブル駅下の檜林
つつじヶ丘のお地蔵様

つつじヶ丘のお地蔵様つつじヶ丘から見た北山

つつじヶ丘から見た北山
西山

西山第二馬の背の上から見た日没

第二馬の背の上から見た日没
雲母坂入り口から見上げた金星

雲母坂入り口から見上げた金星4月7日 満月

4月7日 満月

 どうでしょうか? 今日は、「鎌田東二東山修験道写真展」でしたね。わたしは、26歳くらいの時にカメラを捨て、昨年9月、天河大辨財天社の大洪水水害の被害報告をする際に、35年ぶりにカメラを手にしました。

 昨日の満月にもカメラを向けてみました。一昨日の14夜も東山から登ってくるお月様は心に沁みる美しさでした。「仰げば尊し」という感じを満月はもたらしてくれます。Shinさん、いろいろなことを思い出させてくれて、ありがとうございます。では、次の満月まで、くれぐれも音もお大事にお過ごしください。

 今日はお釈迦様の誕生日ですが、友人の同志社大学教授の中野民夫君たちと江湖館という町屋で学生・教員入り乱れての歌合戦をやります。これから出かけてきます。いざ!

2012年4月8日 鎌田東二拝