シンとトニーのムーンサルトレター 第083信
- 2012.06.04
- ムーンサルトレター
第83信
鎌田東二ことTonyさんへ
今夜は、また格別に美しい満月ですね。わたしは、たった今、東京から戻ってきたばかりです。昨日は、板橋区立文化会館で「グリーフケア〜のこされた あなたへ」をテーマに講演を行ったのですよ。「明るい社会をつくる板橋区民の会」のみなさんを中心に、250名以上の方々が集まって下さいました。一昨日は、北九州で世界同時開催の「隣人祭り」に参加した後、東京へ飛び、増上寺で行われた新藤兼人監督の通夜に参列しました。
ところで、Tonyさんは先日の「金環日食」は御覧になられましたか。5月21日の早朝、「金環日食」で日本列島が燃えましたね。全国で部分日食を見ることができるほか、九州地方南部、四国地方南部、近畿地方南部、中部地方南部、関東地方など広範囲で金環日食を見ることができるはずでした。わたしも、事前に太陽グラスの類を各種買い揃えて、金環日食を待ちました。
しかし残念ながら、北九州は雨でアウトでした。まあ、天体ショーの難しさは「月への送魂」でいつも身に沁みています。仕方なくテレビで金環日食を見ることにしましたが、東京のスタジオも曇り模様。それでも、7時32分には雲が動いて、見事な金環日食が見れました。フジテレビ系「めざましテレビ」ゲストのSMAPも大喜びでしたね。
それにしても、天体というものには大きなロマンがありますね。今世紀、ついに宇宙の年齢がわかってしまいました。2003年2月、米国NASAの打ち上げた人工衛星WMAPは、生まれてまだ38万年しか経っていない頃の宇宙の地図を描き出しました。人類がいま、描くことのできる最も昔の姿であり、それを解析することによって、宇宙論研究の究極の課題だった宇宙の年齢が137億年(誤差2億年)と求められたのです。
20世紀末に「宇宙の年齢は何歳ですか」と専門家にたずねても、「まあ、100億年か200億年ですかね」という答しか返ってきませんでした。実に、有効数字が1桁もないような状況だったのです。それが、いまや「137億年です」という3桁の数字で答えられるようになったわけですから、本当にすごいことです。
宇宙を1冊の古文書として見るならば、その解読作業は劇的に進行しています。それというのも、20世紀初頭に生まれた量子論と相対論という、現代物理学を支えている2本の柱が作られたからです。さらにこの2つの物理学の根幹をなす法則を駆使することによって、ビッグバンモデルと呼ばれる、宇宙の始まりの瞬間から現在にいたる宇宙進化の物語が読み取られてきました。
宇宙はまず、量子論的に「有」と「無」の間をゆらいでいるような状態からポロッと生まれてきたといいます。これは「無からの宇宙創生論」といわれているものです。そうして生まれた宇宙は、ただちにインフレーションを起こして急膨張し、インフレーションが終わると超高温、超高密度の火の玉宇宙になり、その後はゆるやかに膨張を続けたそうです。その間に、インフレーション中に仕込まれた量子ゆらぎが成長して、星や銀河が生まれ、太陽系ができて、地球ができて、その上に人類が生まれるという、非常にエレガントな一大叙事詩というか宇宙詩とでもいうべきシナリオができ上がってきたわけです。
「You Tube」に、いろんな星の大きさを比較していく動画があります。初めて観たときは、言葉にならないほどの大きな衝撃を受けました。地球の衛星である月よりも水星や火星や金星は大きく、さらに地球は大きい。その地球よりも土星は大きく、それよりも木星ははるかに大きい。その木星も太陽に比べれば小さなものですが、その太陽がゴマ粒に感じられるぐらい大きな星が宇宙にはゴロゴロしているのです。アルクトゥルス(うしかい座)は太陽よりもはるかに大きく、ベテルギウス(オリオン座)とアンタレス(さそり座)はさらに大きい。
観測された銀河系の恒星のうち、最も明るい超巨星がピストル星です。「ガーネットスター」とも呼ばれるVVCepheiは有名な赤色超巨星です。そして現在までに人類が確認した中で最も大きい星は、おおいぬ座のVYです。その直系は推定25億から30億kmで、太陽の約2000倍、地球の約29万倍の大きさというから凄いですね。人間のイマジネーションのレベルを完全に超えています。
わたしは、仏教の宇宙論をイメージしてしまいます。たとえば、地獄の最下層である阿鼻地獄は「無間地獄」とも呼ばれます。わたしたちの住むこの世界からそこまで落ちるのは自由落下で、なんと2000年もかかる距離です。秒速を9.8/mとして計算すると、約6.1億kmになります。まさに想像を絶するスケールですね。最近、わたしは『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)という本を上梓しましたが、本当に仏教的宇宙観のスケールの巨大さには圧倒されます。同書は、これまでにドラッカーやニーチェなどでベストセラーを連発した中経の文庫「図解でわかる!」シリーズの最新刊です。
わたしは、現代日本人はブッダの本当の考え方を知るべきであると思います。わたしたちは、大きな危機を迎えています。戦争や環境破壊などの全人類的危機に加え、日本人は東日本大震災という未曾有の大災害に直面しました。想定外の大津波と最悪レベルの原発事故のショックは、いまだ覚めない悪夢のようです。
そんな先行きのまったく見えない時代で、必要とされる考え方とは何でしょうか。それは何よりも、地域や時代の制約にとらわれない普遍性のある考え方ではないかと思います。普遍性のある考え方といえば、わたしにはブッダ、孔子、ソクラテス、イエスといった世界の「四大聖人」の名が思い浮かびます。わたしは、『スッタニパータ』という原始仏典の翻訳書をよく読みます。実際のブッダが生前中に残したとされる言葉を集めた本ですが、わたしはそれを古典と思って読んだことは一度もありません。
ブッダの言葉に限らず、たとえば孔子の言葉が集められた『論語』でも、イエスの言葉が記された『新約聖書』でも、ソクラテスの言葉を記録した『ソクラテスの弁明』をはじめとするプラトンの諸著作でも、つねに未知の書物として、それらに接し、おそるおそるそのページを開いてきました。ゆえに、そうした書物に書かれてある聖人たちの言葉は、わたしにとって常に新鮮であり続けています。実際、読むたびに、新しい発見が多くあります。彼らは決して古臭い歴史上の人物などではありません。彼らの思想は今でも生きていいます。彼らの心は現代に生きています。そして、それらの聖人の中でも、これからの人類社会に最も求められる考え方を残したのがブッダではないかと思います。
ブッダは、世界宗教である仏教を開きました。現在、仏教と現代物理学の共通性を指摘する人がたくさんいます。極微という最少物質の大きさは素粒子にほぼ等しいとされています。それ以下の単位は仏教でいう「空」しかありません。ですから、「空」をエネルギーととらえると、もう物理学そのものなのです。また、かのアインシュタインは、「相対性理論」によって、物質とは生成消滅するものだということを説きました。これまで隠されていた物質の本性を初めて人類に明かしました。永遠不滅の物質など存在しないという彼の理論は、まさに仏教の「諸行無常」そのものです。このように、ブッダが今から2500年も前に宇宙の秘密を解明している事実には驚くしかありません。
それでは、ブッダの考え方はスケールが大きすぎて、現代に生きる一般人にはあまり関係ないのでしょうか。いや、そんなことはないと思います。ブッダの考え方には、現代に生きるわたしたちが幸せになるためのヒントがたくさんあります。いま世界で求められる思想は「正義」よりも「寛容」や「慈悲」ではないでしょうか。すなわち、ブッダの説いた仏教思想です。わたしは、ブッダの考え方が世界を救うと信じています。
それから、『図解でわかる!ブッダの考え方』の他にもう1冊上梓しました。『礼を求めて』(三五館)という本です。「なぜ人間は儀式を必要とするのか」というサブタイトルがついています。表紙タイトルの「礼」には、赤と紫が配色されています。それぞれ、「婚礼」と「葬礼」のシンボル・カラーです。
『図解でわかる!ブッダの考え方』
『礼を求めて』
「礼」の文字が入ったタイトルの本を出せて、わたしは感無量です。わたしは、冠婚葬祭の会社を経営しています。日々、多くの結婚式や葬儀のお手伝いをさせていただいていますが、冠婚葬祭の基本となる思想は「礼」です。「礼」とは、「人間尊重」ということだと思います。ちなみに、わが社のミッションも「人間尊重」です。
また、わたしは大学の客員教授として多くの日本人や中国人留学生に「孔子」の思想を教えてきました。主宰する平成心学塾では、日本人の心の柱である神道・仏教・儒教を総合的に学び、日本人の幸福のあり方を求めてきました。さらに、これまで多くの本も書いてきました。孔子や『論語』にまつわる著書もございます。それらの活動は、バラバラのようで、じつは全部つながっていると考えています。それらはすべて、人間尊重思想を広く世に広める「天下布礼」ということだと思います。
冠婚葬祭業もホテル業も、あるいは新たに参入した高齢者介護業も、すべては「人間尊重」というわが社のミッションに直結しています。わが社は「礼」の実践を生業とする「礼業」であると思っています。「礼業」とは「人間尊重業」であり、「ホスピタリティ・インダストリー」の別名でもあります。以前、「思いやり形にすれば礼となり横文字ならばホスピタリティ」という短歌を詠みましたが、東の「礼」も西の「ホスピタリティ」も結局は「思いやり」を形にしたものであり、それが「もてなし」へと発展するのだと思います。
『礼を求めて』に収められた文章は、日本最大のニュースサイト「毎日jp」の「風のあしあと」連載の「一条真也の真心コラム」に掲載されたものです。
関係者の皆様に感謝いたします。なお、この本は5月18日に小倉の松柏園ホテルで開催された小生の「孔子文化賞を祝う会」の引出物として配られました。Tonyさんも発起人をお引き受け下さり、誠にありがとうございました。残念ながら、授業の時間と重なり、当日のご参加はかないませんでしたが、義兄弟である近藤高弘さんともども発起人になっていただいて光栄でした。
『礼を求めて』は、これまでのわたしの総決算のような本です。『図解でわかる! ブッダの考え方』ともども送らせていただきましたので、お時間のあるときにご笑読下されば幸いです。御批判を頂戴できれば、もっと幸いです。Tonyさんとは、次は7月11日に京都で開催される第3回「震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」でお会いできますね。わたしも「東日本大震災とグリーフケアについて」のテーマで報告することになっており、今から身が引き締まる思いです。玄侑宗久さんや島薗進さんに再会できるのも楽しみです。どうぞ、よろしくお願いいたします。それでは、次の満月まで、オルボワール!
2012年6月4日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、『図解でわかる! ブッダの考え方』(中経文庫)と『礼を求めて』(三五館)の刊行、まことにおめでとうございます。もう70冊以上になるでしょうね。単著数が。その旺盛な筆力と行動力にはいつも驚かされると同時に、大変頼もしくも思っています。今の時代に、社長業という経営者の顔と作家という顔の両方を持つことはとても大事なことと思いますので。わたしは、基本的には「神仏諸宗習合論者」ですので、何でも活用すべきだという究極のプラグマティズムを大乗の菩薩道と考えているので、その方向で進んできましたが、その点からいっても、Shinさんの活動は大いに共感できます。ブッダや仏教に対するわたしの基本的な考えは、『聖トポロジー』『異界のフォノロジー』(ともに、河出書房新社、1990年)や『呪殺・魔境論』(集英社、2004年)で書きましたが、特に『スッタニパータ』(中村元訳、岩波文庫)は、わたしが「摩」を体験した際に、それを調律し「解毒」してくれるもっとも有益なガイドブックになり支えになりました。今ではそれに、『天台小止観』(岩波文庫)も加わりますが。
さて、「金環蝕」ですが、わたしはそれを天河大辨財天社の境内で見ました。山の端から差し昇ってくる朝日の金環蝕でした。7時過ぎだったと記憶します。5月21日の早朝5時。天河大辨財天社本殿と高倉山禊殿の両所で「高倉山禊殿御鎮座並びに修復奉告祭」の神事が執り行われたので、前日入りしてそれに参列しました。大峯本宮天河大辨財天社宮司であり、財団法人天河文化財団理事長である柿坂神酒之祐氏からの案内状には、以下のようにありました。
<昨年紀伊半島は、台風十二号、十五号による大災害にみまわれ、未曾有の大雨量(千七百ミリ)によって、天河神社の一部並びに禊殿周辺も大変な大損害を受け、皆さま方には誠こもる御支援を賜りました事に、篤くお礼を申し上げます。 おかげさまで、天河神社は速やかに元の姿に復興を納め、日々多くの方々の参拝を賜り、御神威高揚のおはたらきを賜っております。 しかしながら、禊殿はじめ天河火間並びに周辺も未曾有の大災害を受け、まだまだ禊殿上流の山の大崩壊によって崩れた土砂約百万立方メートルの取り除き並びに砂防工事を含め、林道復興には今後五年程かかる予定であると聞いております。しかし、私達は五年も待つこともできず、あらん限りの力を結集し、禊殿の屋根の吹き替え、社殿色彩(古代色)の塗り替え、天河火間修復など含め、禊殿周辺を元の姿に近い状況に戻すことに日々努力をいたしております。 禊殿上流の崩壊した土砂は、地質学者先生方の言葉をお借りすると、底六千から八千メートルの所から噴き上げてできた山であるとのことで、禊殿の御山は高倉山と称し、五色の水晶の御山で、天常立(あめのとこたち)の神、不津主(ふつぬし)の神、宇賀之魂(うがのみたま)の神のおわす御神体山として称えられています。また日本列島が出来る二億五千万年前の磐境が存在致しております。 天川村が水没しましたときに、出てきました古文書があり、国常立(くにとこたち)の神様が鎮座されている事の文書が発見されました。 今の荒れ狂う世を救済するには、地球の底深く鎮まります国常立の大神(別してガイア神)の御力添えを賜る外、ありません。 御宣託を拝受し、国常立神(ガイア神)を御鎮座願う事に、神のおはからいをもって祭祀を執り行う事を定めました。>
その日の朝4時に起床して、朝のお勤めをすませ、4時40分ごろ神社に行って石笛の奉奏をしました。神事終了後のあいさつの中で、柿坂宮司は、この前の「有史始まって以来の未曾有の大洪水」の際に、古文書も水浸しになったので、それを乾かしているときに、「高倉山」に祀られている神々が、これまで「天常立神、不津主神、宇賀之魂神」とされていたが、その古文書には、「国常立神」が鎮座しているという記事があったので、その「国常立神」を「ガイア(地球)神」として再度祀ることにしたとのことでした。地震・津波・洪水・竜巻など、大地の大変動が起こっている昨今、「ガイアの神・地球の神」としての「国常立神」にお出ましいただき、お静まりいただくよう祈るほかないとの思いから、このたびの「高倉山禊殿御鎮座」の奉斎を執り行うことにしたと言われるのです。
5時半に本殿での奉告祭が終わり、続いて、天ノ川と坪ノ内谷川との合流点にある高倉山禊殿に移動して、神事を執り行った。『地球交響曲(ガイア・シンフォニー)』の監督である龍村仁氏を始め、氏子崇敬者代表を含めて参列者20名ほどの全員玉串奉奠が終わって、禊殿の両脇から回り込んで、全員で高倉山の神域に奉斎された御形代を拝しました。そこで法螺貝の奉奏をしました。法螺の音が高倉山や坪ノ内谷の谷間に響き、反響しました。
高倉山禊殿
高倉山禊殿前で石を持って説明する柿坂宮司。
そうして、天河を去る直前に、金環食の朝日が高倉山にかかる雲間から顔を出す瞬間を見たのでした。くっきりと太陽の周りの輪が見えました。大化の改新の10年ほど後にも、金環食が見えたとのことです、それがその当時の政治や文化にどのような影響を与えたか、前日に京都大学総合博物館で見た「金環食」や「日蝕」についての企画展を思い出しながらこれから先に起こるであろう自然のふるまいの「想定外」のことをあれこれと考えさせられたのでした。これからは「想定外」を生き抜く覚悟です。
わたしは昨年上梓した『現代神道論——霊性と生態智の探究』(春秋社)の中で、歴史が螺旋的に問題状況を拡大再生産している事態を「スパイラル史観」として問題提起しましたが、終末論とか末法史観とか唯物弁証史観とかといった歴史観や歴史哲学のことをよく考えます。危機の時代に骨太の歴史観が成立すると思うのです。たとえば、おそらく天河大辨財天社とも関係したでしょう南朝側の北畠親房の『神皇正統記』(岩波文庫)などはその典型です。そして、NHK大河ドラマの『平清盛』にもこれから登場するかもしれない天台座主・慈円の『愚管抄』(岩波文庫)もその一つです。いずれにしても、わたしの「スパイラル史観」では「古代≒近代」:「中世≒現代」となりますので、慈円や親房の著作にはとても考えさせられるのです。
ところで、Shinさんは、ユダヤ教における『【旧約】聖書』の構成とキリスト教聖書における『旧約聖書』の構成の違いをご存知でしょうか?
ヘブライ語聖書は、大きく、トーラー(律法、モーセ五書、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)と、ネビイーム(預言書、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記、イザヤ・エレミヤ・エゼキエル・12預言者)と、ケトウビーム(諸書、詩篇、箴言、ヨブ記、雅歌、ルツ記、哀歌、コヘーレト書、エステル書、ダニエル書、エズラ記、ネヘミア書、歴代誌)に分かれますが、最後は「歴代誌」で終わります。
しかし、キリスト教旧約聖書の最後は「マラキ書」なのです。つまり、バビロニア捕囚とエルサレム神殿の建設という、ユダヤ人の王国の滅亡と再建への予兆を記した書を最後に置くか、エリヤという預言者の派遣の予言を最後に置くかという違いがあるのです。そこには、イスラエルの再建を待ち望むか、エリアの言う「父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」存在、すなわちそれこそキリスト=メシアを待ち望むかの「史観」の違いがあるのです。そんな「歴史認識」に大変興味があります。
「歴代誌」の冒頭は、「アダム、セツ、エノス、ケナン、マハラレル、ヤレド、エノク、メトセラ、ラメク、ノア、セム、ハム、ヤペテ。(中略)セルグ、ナホル、テラ、1:27アブラムすなわちアブラハムである。」と父系系譜が長々と記され、最後は、「その先祖の神、主はその民と、すみかをあわれむがゆえに、しきりに、その使者を彼らにつかわされたが、彼らが神の使者たちをあざけり、その言葉を軽んじ、その預言者たちをののしったので、主の怒りがその民に向かって起り、ついに救うことができないようになった。そこで主はカルデヤびとの王を彼らに攻めこさせられたので、彼はその聖所の家でつるぎをもって若者たちを殺し、若者をも、処女をも、老人をも、しらがの者をもあわれまなかった。主は彼らをことごとく彼の手に渡された。彼は神の宮のもろもろの大小の器物、主の宮の貨財、王とそのつかさたちの貨財など、すべてこれをバビロンに携えて行き、神の宮を焼き、エルサレムの城壁をくずし、そのうちの宮殿をことごとく火で焼き、そのうちの尊い器物をことごとくこわした。彼はまたつるぎをのがれた者どもを、バビロンに捕えて行って、彼とその子らの家来となし、ペルシャの国の興るまで、そうして置いた。これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息をうけた。すなわちこれはその荒れている間、安息して、ついに七十年が満ちた。ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。となります。
つまり、バビロン捕囚とペルシャ王クロスによるエルサレム神殿建設のことが記されて終わるのです。そしてそれは「エレミヤ」の預言の成就でもあるとされます。
これに対して、「マラキ書」の最後は、「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万軍の主は言われる。あなたがたは、わがしもべモーセの律法、すなわちわたしがホレブで、イスラエル全体のために、彼に命じた定めとおきてとを覚えよ。見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである。」と終ります。
つまり、そこには「預言者エリヤ」が遣わされて、父(神ヤハウェー)と子供たち(イスラエルの民)の和解させる救済の希望が語られています。これがイエス・キリストの到来とつながってくるわけです。
このように、起承転結ではありませんが、最後の「結」に何を持ってくるかによって、『聖書』もその思想性と未来性を大きく変えるということになります。とすれば、目次立てや構成をどうするかというところにも、意識的にか無意識的かそれぞれの「史観」が貫徹されているということになります。慈円も北畠親房も、「こんな時代に誰がした?」「どうして、こんな乱世になっちゃったのか?」という「道理」や必然を必死で説明しようとしています。納得のいく答えを探し求めて、今ここにある現実を捉えるまなざしを「史観」としてまとめ上げていきます。
そのような「史観」が今、わたしたちには必要だと思われてなりません。わたしは末法史観の持ち主ではありませんが、現代が深刻な危機の時代であるという認識は「平成」という元号に変わった年にはっきりと持ちました。以来、歴史の推移と動向に注視してきましたが、時代はこれからもますます「乱世・悪世」になると思っています。
そんな世であればこそ、慈円の『愚管抄』や北畠親房の『神皇正統記』ばかりでなく、法然の『選択本願念仏集』や道元の『正法眼蔵』や日蓮の『立正安国論』が身に迫ってきます。そんなこともあって、今年は大学院の授業で中世テキストとして、鴨長明の『方丈記』と法然の『選択本願念仏集』を読んでいます。『方丈記』は全文を読んで、鴨長明が禰宜になりたかった河合神社や下鴨神社(賀茂御祖神社)を大学院生と一緒にフィールドワークし、下鴨神社の嵯峨井禰宜さんにいろいろとインタビューしました。次は、『選択本願念仏集』を読み進めた段階で、法然ゆかりのお寺の法然院を訪ねて、梶田住職さんにいろいろとお話をうかがってみようと考えています。
法然さんは、こんな五濁悪世の乱世であれば、そんな時代を生きる愚鈍なる「凡夫」はどのように厳しい聖道門の修行を積んでも悟りに至ることはできないのだから、そのような自力修行をすべて捨てて、絶対他力の弥陀の本願に恃むしかないということを実に巧みに説得的に論じています。その時代の叡山の堕落ぶりを見れば、彼の主張にはとても説得力があったと思います。そのような時代意識と認識の中で、彼は「選択本願念仏」の教えと実践を伝えていくのです。その論拠の示し方とシンプルな称名念仏の実践法は、まさに「末法の世」の末世の凡夫観と史観に貫かれていて、実に明晰な「史観」に照らし出されています。
京都に来て9年。「住めば都」ではありませんが、1000年の都である京都にいることのメリットは、歴史が時間軸のみならず、今ここの空間軸において手繰り寄せられる点にあります。『方丈記』を書いた鴨長明が逍遥した河合神社や糺の森、法然が拠点とした東山の黒谷、慈円が住んだ青蓮院や延暦寺などなど、そこここに場所の記憶の回路が設けられています。そんな「歴史街道」が京都には条理のように走っているのが見えます。
ところで、Shinさんとは、7月11日の「震災関連プロジェクト こころの再生に向けて」の第3回目のシンポジウムでご一緒することができますね。グリーフケアについての問題提起、心して受け止めたいと思います。よろしくお願いいたします。
2012年6月7日 鎌田東二拝
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