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シンとトニーのムーンサルトレター 第172信

 

 

 第172信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、毎日暑い日が続きますが、お元気ですか? わたしは、次回作『ハートフル・ソサエティ2020』(弘文堂)をようやく脱稿したところです。いま、8月15日の午前2時を回ったところですが、超大型の台風10号によって九州の一部が暴風域となりました。明け方には北九州を直撃、記録的大雨が予測されています。

 さて、今回は、7月24日の出来事からお話したいと思います。この日、冠婚葬祭互助会の業界団体である全日本冠婚葬祭互助支援協会(全冠協)主催の講演会が大塚の「ホテル・ベルクラシック東京」で開かれました。全冠協さんといえば、わたしが会長を務めた全互連のライバル団体とされていますが、拙著を御購入いただいている互助会さんも多く、大変お世話になっています。正直、もっとアウェー感があるかと思っていたのですが(笑)、みなさん、とてもフレンドリーに接して下さいました。

 講演会は14時からでしたが、第一部は、上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長が「葬祭の縮小とグリーフケアの興隆〜死生の文化の変容のなかで」をテーマに講演をされました。冒頭、「一条さんのお友達の島薗です」と言われたので、驚きました。恐縮です!

 島薗先生のお話はもう何度も拝聴していますが、今回は互助会の葬祭スタッフ向けということもあり、わたしも互助会の経営者として非常に勉強になりました。日本における宗教学の第一人者だけあって、島薗先生の講演は広範囲にわたるものでした。葬儀も、グリーフケアも、宗教と無縁で語ることはできません。

「グリーフケア」について講演する島薗進先生

「グリーフケア」について講演する島薗進先生わたしは「葬儀」について講演しました

わたしは「葬儀」について講演しました

 次に第二部として、わたしが「なぜ葬儀は必要か」をテーマに講演しました。わたしは、以下のような話をしました。葬儀によって、有限の存在である“人”は、無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけました。

 葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなるように思えてなりません。葬儀という「かたち」は人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。

 水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器という「かたち」です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」はどこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。

 わたしは『儀式論』(弘文堂)を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人だけでなく、わたしたちの直接の祖先であるホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行いました。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。

 じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。最後に「葬祭業ほど価値のある仕事はありません。みなさんは最高の仕事をされているのです。これからも、この仕事に誇りを持たれて、多くの方の人生の卒業式のお手伝いをされて下さい」と述べて講演を終えると、盛大な拍手を頂戴しました。

 講演後は、質疑応答です。葬儀とグリーフケアに関する鋭い質問を2つお受けしました。わたしは真摯にお答えさせていただきました。少し時間が余ったので、葬儀のアップデートの実例として、わが社の紫雲閣で行っている「禮鐘の儀」のPVを流して紹介しました。そして、わたしは「葬祭業は不滅の産業ですが、このままで良いわけではありません。儀式というものは初期設定とともにアップデートが必要です。これからも、みんなで知恵を合わせて、新しい令和の時代の葬儀を創造していきましょう!」「本日は、みなさんにお会いできて嬉しかったです。ありがとうございました!」と述べましたが、再び盛大な拍手を受けて感激しました。

 次に、8月3日の土曜日、今年もサンレー主催の盆踊り大会に参加しました。会場はサンレーグランドホテルの中庭です。地元の方々を中心に700人以上もの方々が集まって、大いに盛り上がりました。盆踊りは、もともとはお盆の行事の1つとして、ご先祖さまをお向かえするためにはじまったものですが、今は先祖供養という色合いよりも、夏祭りの行事の1つになりました。老若男女が音楽で心を1つにして踊る様を見ていると、そこには地域社会のつながりを感じます。小袖や浴衣など、日本の伝統衣装に身を包み、一心不乱に手足を動かして踊れば、わたしたちを遠いご先祖さまと結びつけてくれます。まさに、「血縁」と「地縁」を結び直してくれる盆踊りは、わたしたち日本人にとって必要なものだと言えます。

 わたしは浴衣姿で櫓の上に立って、主催者挨拶を行いました。「盆踊りは『生活の古典』ともいえる日本の大切な年中行事ですが、無縁社会などと呼ばれる現在、残念ながら盆踊りを行うところがどんどん減っています。そんな状況を憂い、この盆踊りを開催させていただきました。この盆踊りが、地域の結びつきを少しでも深め、男女の出会いの場となり、そして結婚にまでつながったりすれば最高だと思います。ぜひ、盆踊りで有縁社会を再生いたしましょう!」と述べました。

サンレー主催の「盆踊り」大会で

サンレー主催の「盆踊り」大会で櫓の上で主催者挨拶を行う

櫓の上で主催者挨拶を行う

 それから8月8日、わたしが監修した『修活読本』(現代書林)が刊行されました。「人生のすばらしい修め方のすすめ」というサブタイトルがついています。「はじめに」で、わたしは、次のように書きました。「人生は100年を迎えています。厚生労働省の『平成29年簡易生命表の概況』によると、現在60歳の平均余命は男性23.72歳、女性で28.97歳。『平均余命』とは、平均的にあと何年生きられるかを示した物です。60歳にこの余命年数を足せばいいわけで、男性も80歳を超え、女性は90歳に迫ろうという寿命になります。『人生100時代』が決してオーバーな表現でないことがわかっていただけると思います。『終活』という言葉が今、大きな高齢者のテーマになっています。終活とは、『終末活動』を縮めたものです。つまり『人生の最期をいかにしめくくるか』ということで、人生の後半戦の過ごし方を示した言葉ではないということです。『いかに残りの人生を豊かに過ごすか』——わたしは人生の修め方として『修活』という言葉をご提案します。本書では、人生の後半戦をより豊かに暮すための情報や知恵を提供したいと思っています。健康寿命を延ばし、生き生きした人生の後半戦を過ごすために、『終活』から『修活』へ。ぜひ本書をご活用ください」

『修活読本』(現代書林)

『修活読本』(現代書林)

 わたしは、常日頃から「人は老いるほど豊かになる」と言い続けています。老いはネガティブに取られがちですが、そんな意識を変えたいと思っています。仏教は「生老病死」の苦悩を説きました。そして今、人生100年時代を迎え、「老」と「死」の間が長くなっているといえます。長くなった「老」の時間をいかに過ごすか、自分らしい時間を送るか——そのための活動が「修活」です。「終活」という言葉がありますが、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を考えてみました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。

 そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。わたしは、「豊かに老いる」そして「美しく人生を修める」ために、あらゆる視点から本書を監修し、作成しました。1人でも多くの方にお読みいただきたいと願っています。

 そして、8月15日になりました。今年も「終戦の日」が来ました。令和最初の「終戦の日」です。日本人だけで実に310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって74年目を迎えました。今年の夏はことさら暑いです。

 先の戦争について思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃、戦艦大和、回天、ゼロ戦、神風特別攻撃隊、ひめゆり部隊、沖縄戦、満州、硫黄島の戦い、ビルマ戦線、ミッドウェー海戦、東京大空襲、広島原爆、長崎原爆、ポツダム宣言受諾、玉音放送・・・挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の戦争だったと思います。実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか・・・・・。「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。戦争というものは、ひときわ歴史の密度を濃くします。ただでさえ濃い物語が無数に集まった集積体となるのです。「巨大な物語の集積体」といえば、神話が思い浮かびます。そう、『古事記』にしろ『ギリシャ神話』にしろ、さまざまなエピソードが数珠つながりに連続していく物語の集合体でした。いま、今日が「終戦の日」であることも知らない若者が増えているそうです。彼らにとって戦争など遠い過去の出来事なのでしょう。それこそ、太古の神話の世界の話なのかもしれません。

 今夜は台風一過で、満月が夜空を照らし、74回目の「終戦の日」を迎えた日本に慈光を注いでくれるでしょうか。ということで、Tonyさん、次の満月まで、ごきげんよう!

2019年8月15日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 本日の終戦の日、敗戦と終戦の出来事を心に刻み問いかけたいと思います。折しも台風10号が日本列島を縦断する時と重なりました。この天地の動きと声にも耳を傾けたいと思います。

 さて、『ハートフル・ソサエティ2020』(弘文堂)と監修本『修活読本』(現代書林)の脱稿また刊行、まことにおめでとうございます。次々、経営者としての本務や客員教授としての仕事を含め、着々と仕事をされていること、心より敬意を表します。

 後者は「人生のすばらしい修め方のすすめ」という副題を付けられたとか。人生100年時代をどういきるか? 難問ですね。豊かな老年は理想ですが、実態は老後破産や老後無残が毎週のように週刊誌で特集されているのが現実です。Shinさんが指摘してくれたように、厚生労働省の『平成29年簡易生命表の概況』では、男性は83・72歳、女性は88・97歳まで生きるということですね。WHO(世界保健機関)の2018年統計では、男女平均最長寿国は日本で、男女平均寿命は84・2歳とのことです。この平均寿命の統計データは、2016年のものを基礎にしているようですので、今はもっと増えてますね、間違いなく。それによると、男性の平均寿命最長寿国は81・2歳のスイス、2位が81・1歳の日本、3位が81・0歳のオーストラリアです。女性は87・1歳の日本がダントツトップで、2位がフランスとスペインの85・7歳で、4位が韓国の85・6歳です。韓国は男女平均で世界第9位の82・7歳です。

 ところで、今月末の8月26日から28日まで、京都市左京区一乗寺の関西セミナーハウス(修学院きらら山荘)で<未来共創フォーラム「第一回老年哲学国際会議」>を開催します。主催は、未来共創新聞社です。

 開催趣旨は次の通りです。
<我が国は65歳以上の方の人口が4分の1を超える超高齢社会となっております。今後、少子高齢化の流れが加速し、そのことに伴う諸課題がマスコミ、書籍等でネガティブに論じられいるのはご高承の通りです。お隣り韓国においても事情は同じで、今後、嫌老の風潮と世代間の断絶・不和・対立の増幅による国運衰退をすら憂慮されています。このような現状を、民衆が共に幸せに生きられる共福社会実現への契機とすることはできないかとの観点から、韓国・東洋日報社企画「東洋フォーラム」主幹の金泰昌氏の呼びかけで昨年8月、韓国・報恩郡の俗離山森体験休養の村で第一回老年哲学国際会議が開催され、「死ねば終わりか」のテーマで韓日の参加者らが対話を深められました。爾来、同年9月、11月、今年3月と4回にわたって同会議を開催してまいりましたが、未来共創新聞社は第一回から全ての会議に参加、取材をして、その概要を未来共創新聞紙上で報道してきました。私どもは第一回未来共創フォーラムにおいて、韓国での老年哲学国際会議の議論の成果を相互発展的に活かし合うという主旨で日本における老年哲学の確立を目指して未来共創フォーラム「第一回老年哲学国際会議」を開催することとなりました。>

 今回「第一回老年哲学国際会議」のテーマは、「死生学と老年哲学の交叉点」で、プログラムは以下の通りです。実はShinさんにもぜひ来てもらいたかったので、不参加はとても残念です。

◆1日目:8月26日(月)9:00〜20:00
開会式:主催者挨拶・山本恭司未来共創新聞社社長、趣旨説明:柳生真未来共創新聞記者、参加者代表挨拶・金泰昌東洋フォーラム主幹
発題1 長谷川敏彦元厚労相長寿計画策定者(元日本医科大学教授)「進化生態医哲学と老年哲学」
発題2 鎌田東二上智大学グリーフケア研究所特任教授(京都大学名誉教授)「翁童論と日本人の死生観の変遷」
発題3 柴田久美子日本看取り士会会長「私の死生観と幸齢者看取りの現場から」
発題4 金石哲京都大学講師「和歌に表れた死生観と老人像」
発題5 北島義信四日市大学名誉教授「韓国の国際会議に参加して感じた死生観と老年哲学」
総合討論
夕食後18:40〜19:40 鎌田東二・新作能舞「比叡死生谷銀河巡礼」の観賞(関西セミナーハウス内の能舞台で)出演:河村博重(能舞)由良部正美(舞踏)鎌田東二(演奏)

◆2日目:8月27日(火)9:00〜21:00
発題6 島薗進上智大学グリーフケア研究所所長(東京大学名誉教授)「死生観と老年哲学の相互関係」
発題7 秦教勲ソウル大学名誉教授・韓国医哲学会顧問(倫理学)「医哲学生死観そして老年哲学」
発題8 元恵英東国大学講師(仏教学)「韓国人の生と老と死」
発題9 金英美大田大学講師(詩人・文学評論家)「現代韓国文学と生死観及び老年像」
発題10 金田諦應通大寺住職(カフェ・デ・モンク主宰)「東日本大震災後の日本人の死生観の問題と仏教の現状と可能性」
総合討論
夕食後:19時〜20時40分映画上映。大重潤一郎監督「久高オデッセイ第三部 風章」(英語字幕付き、95分、2015年制作、制作実行委員会委員長:梅原猛、副実行委員長:島薗進・鎌田東二)

◆3日目:8月28日(水)9:00〜20:00
発題11 劉鐘成東洋フォーラム運営委員長・元教育部高級官僚・元大学総長・教育長(教育学)「老年期になって感じた生と老と死」
発題12 大橋健二鈴鹿医療科学大学講師「老いと現代文明」
発題13 金容煥忠北大学教授「ハン思想から見た生と老と死」
発題14 金泰昌東洋フォーラム主幹(公共哲学者)「韓国と日本との間で体感した生死観・医哲学そして老年哲学」
未来共創への発展協議、晩餐会
(通訳)曺秋龍コットンネ大学教授、金鳳珍金北九州大学教授、李鮮英同徳女子大学講師、柳生真未来共創新聞記者(円光大学研究教授)

 本国際会議参加者の予定人数は20人前後ですが、一般参加も、初日夜の関西セミナーハウスの能舞台での能舞舞踏「比叡死生谷銀河巡礼」の観賞や、2日目夜の「久高オデッセイ第三部 風章」の単発鑑賞も可能です。この催しは基本的に寄附金によって行ないますが、昨今の日韓関係は最悪の状態なので寄附金の集まりは思わしくありません。最後の最後まで寄附の呼びかけなどをしているような状況なので一般参加も歓迎です。3日間通しで5000円です。単発鑑賞は各1000円です。

 今回、上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進さんや元日本医科大学教授の長谷川敏彦さんや日本臨床宗教師会副会長の僧侶金田諦應さんなどがゲストのメイン発表者になりますが、奇遇にも長谷川敏彦さんと「久高オデッセイ第三部風章」の監督大重潤一郎さんとわたしとは1970年依頼の親しい友人です。長谷川敏彦が大阪大学医学部4回生の1970年5月に、わたしが作演出した音楽劇「ロックンロール神話考」を観に来てくれ、その年の秋に大重潤一郎さんの処女作の「黒神」(1970年制作)を大阪大学医学部の大学祭で長谷川さんが中心になって上映したのでした。

 長谷川敏彦さんは、現在、一般社団法人未来医療研究機構の代表理事ですが、1992年7月厚生省九州地方医務局次長、1995年6月国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長、2002年4月国立保健医療科学院政策科学部長、2006年7月日本医科大学医療管理学教室主任教授という経歴を持っています。また、大阪大学医学部を卒業後、インターンを終えて、米国に渡り、1981年6月には、ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程を修了し、日本のみならず、米国の医師免許や外科の専門医の資格も持っています。博士号は東京大学で医学博士号を取っています。また、厚労省が策定した健康長寿計画の立案責任者でした。

 長谷川さんは、1982年頃に日本に帰国し、滋賀医科大学の助手になりましたが、その頃、「現代思想」や「理想」などの思想雑誌に、アメリカで活性化しつつあった医療人類学を日本で最初に紹介しつつ論じた人です。たとえば、1980年代には、「医療人類学の齎したもの」(『理想627号』1985年)「医療の人類学」(『からだの科学134号』1987年)などの論考があります。最近では、「ケアサイクル論—21世紀の予防・医療・介護統合ケアの基礎理論」(『社会保障研究第1号』国立社会保障・人口問題研究所刊、2016年6月)など注目すべきです。

 その長谷川さんがずいぶん前から日本の社会の構造転換を説いているのですが、それがなかなかの提案なのです。わたしは拙著『世直しの思想』(春秋社、2016年2月)の「あとがき」に次のような一節を書きました。

 <進行し続ける少子高齢化問題。近い将来、間違いなく日本の人口は減少していく。人口構成は少子高齢化がどの国よりも進む、これまでの人類社会が経験したことのないような未曾有の超少子高齢化社会にすでに突入している中での「平安都市」づくりを構想しなくてはならない。医療管理学・公衆衛生学・医療人類学を専攻する医師の長谷川敏彦は、日本近代の流れを、①土地とりゲーム(明治維新:軍事大国)〜外からの脅威:外国に合わせて国を作る、②金とりゲーム(昭和敗戦:経済大国)〜すべての破壊から:仕事に合わせて人を作る、③年とりゲーム(平成転換:高齢大国)〜人に合わせて社会をつくる、という三段階の大変化と捉え、未曾有の少子高齢化社会を乗り越えていく道と方法を問題提起している。
長谷敏彦の提唱する解決策は、端的に言えば、増大する高齢者層の再教育と再活用であるが、「成人式」の先に第二のイニシエーションである「成老式」をもうけ、日本社会に高齢者を活かした「第二の産業革命」を起こして持続可能な日本社会を作り上げる必要を説いている。そのような「第二産業革命」が可能だとしても、そこには、持続可能な「自然に対する深く慎ましい畏怖・畏敬の念に基づく、暮らしの中での鋭敏な観察と経験によって練り上げられた、自然と人工との持続可能な創造的バランス維持システムの技法と知恵」である「生態智」がなくてはならない。
わたし自身は、「定年」を迎えた一人として、四〇年近く提唱してきた「翁童論」の延長線上に、「翁媼童ビレッジ」という「国作り(地域づくり・地元づくり)」に参画し、非力ではあるが少しでも役割を果たしたいと思っている。>

 これまで、韓国の忠清道青洲市俗離山で4回実施された日韓の「老年哲学国際会議」の第4回目にわたしも参加し、そこで、かつて論じた「翁童論」の論点を再説しました。そのことは、本年3月21日付けの「ムーンサルトレター167信」に書いた通りです。この国際会議が問題にしているのは、「活老開来」です。それは、「老年哲学」を構築し、それよって老年世代を活かして現状を打開し未来に繋いでいく「活老」を模索する国際会議です。そのありようとしては、「ムーンサルトレター167信」にも書きましたが、
  ①省老(老いを省察すること)
  ②改老(老いのライフスタイル・生き方を改めること)
  ③連老(老いのつながりを形成し、老少の世代間継承を確かなものにすること)
の三種老年哲学の探究です。Shinさんもぜひ次回以降、第5回以降の日韓老年哲学国際会議に参加して、自説を展開してみてください、互いにとって刺激的で示唆に富むと思いますよ。

 長谷川敏彦さんは、今度の発題論文の冒頭を次のように記しています。

 <日本の医療界そして社会も大地殻変動期にある。それは日本が未だ定義さえされていない「異次元高齢社会」に突入しているからに外ならない。一般に用いられる高齢化の指標である65歳以上人口割合でみると、1950年には世界201ヶ国中75位であった日本は、2006年にイタリアを抜いて世界1位となった。そして2007年に21%超え、WHOの定義する「超高齢社会」に世界で初めて突入した。 2019年現在では28%となり、高齢社会の定義の2倍となっている。2015年時点で「超高齢社会」に入っている国は世界で日本、独、伊3ヶ国のみである。しかも2位21.9%であるイタリアとの差は4.7%に登り日本は抜きんでて独走状態にある。2040年には35%と「極高齢社会」ともいえる人類未踏の境地に達する。そして2060年頃には38%で安定すると予測されている。

 しかし今年3月の韓国政府が発表した予測によると、2015年現在世界第52位12.9%、つまり日本の約半分の割合の韓国が、30年後の2045年に日本を抜いて、世界第1位に躍り出、さらに20年後の2067年には46.5%となるとされている。この最新の予測の衝撃は世界に広がっている。人口のほぼ半数が高齢者人口という社会は常識では存在しえない。しかも高齢化の波は津波と同じで、波の高さもさることながら、そのスピードが破壊をもたらす。2015年来2065年迄の50年間に65歳以上人口が、日本は1.4倍に増えるにすぎないが、韓国の場合は3.6倍に登ることになる。

 実は台湾政府も2018年に予測を発表しており、2015年での世界57位が、韓国に遅れること20年、2056年に日本を抜いて世界第2位を占める。さらに2065年には41.2%、超高齢社会の2倍の値となるとしている。このたった40年間で、「日伊独」トップ3が、「韓台日」に入れ替わるのである。この3国が紡ぎ出す人類史上初の、謂わば異様な社会の下では、全くこれまでとは異なった哲学が必要とされる。「100年人生の設計」「独居の家族の展望」「併行する社会の電子化をどう組み込むか」「愛すること結婚することの意義」「仕事すること遊ぶことの意味」「生きること死ぬことの意味」など、この新しい社会ではあらゆる根本的価値観が問い直される。何をかくそう、世界が、人類がこの新しい社会を目指している。たまたまこの3国が世界に先駆け、最初にたどり着くだけである。

 2019年の夏、日本の古都京都で、韓日の思想のリーダーが参集しこのような課題つまり「老年哲学」について語り合う機会が持たれたことは21世紀の人類にとって希望の光である。このような勇気に対して。人類を代表してお礼を述べたい。>

 長谷川さんらしいセンセーショナルな問題提起的な書き出しであり、発題ですが、まず、人口動態や医療行政や政策の現状把握、「進化生態医学Eco- Evolutionary Medicine」構想に基づく「未来医療」のビジョン、そしてそれを踏まえての治す医療から支える医療への転換としての「ケアサイクル」論を長谷川さんは構想しています。長谷川さんの先見の明は明らかですが、彼にはいつも早く本を出してくれと頼んでいるのですが、専門的な論文はいろいろと書いているようですが、この問題を包括して一般書として世に問う本はまだ出ていません。一刻も早く出してほしいので、今回の「第1回老年哲学国際会議」が切っ掛けになるといいと思っています。

 長谷川さんはこう述べています。

 <これまで日本は、1800年代後半にドイツで開発された近代西洋医学を用いてきた。しかし平均寿命が30歳代に創設された近代医療の大系は20世紀の終わりに次第に需要を満たさなくなり、それでも何とか騙し騙し使ってきた。しかしことここに至ってまったく新しい医学を構想する必要に迫られている。 この高齢者を対象にした新たな医療こそが21世紀の最先端医療に外ならない。しかし新たな高齢社会の新たな価値観の下に体系づけられた医学はいまだに確立されておらず、日本いや世界が直面する大きな挑戦である。この体系は「目的」「技法」の介入方法と、評価を導く様態の「診断」、専門家とクライアントの「関係」、実施のための「組織」「経営」「評価」とあらゆる側面で従来の医療とは異なっており、それぞれの研究開発実践評価が必要である。
 新たな21世紀の医学の体系を構築するには、近代医学創設時19世紀にドイツで進められたように医学の持つ思想文化哲学の背景の検討が必要である。その為にもまた「老年哲学」に期待したい。
韓・台・日3国が共に互いに学びあう事により、16世紀から19世紀にかけて伊・独があい継いで近代医学を構築していったように、再び人類の為に21世紀の新たな医学体系を構築し人類史に貢献することを提案したい。>

 現代の医学・医療界の風雲児であった長谷川敏彦さんも、しかし、もう古希を迎えました。とはいえ、「人生100年時代」を先頭を切って走っている長谷川さんには、もうひと踏ん張りもふた踏ん張りもしてもらって、大胆な医学・医療改革と老年哲学と老年生き方の未来を打ち出してもらいたいものです。わたし自身の主張そのものは、『翁童論—子どもと老人の精神誌』(新曜社、1988年)以来、そう大きくは変わっていませんが、よりいっそう深刻化し、ドラスティックに進行する事態の中で、どのような老年哲学と死生観を生き切ることができるのかがリアルに問われてきています。そこで、これまでの「翁童論」四部作を踏まえて、第五冊目の『新翁童論』(新曜社)を来年、2020年には出すつもりです。

 ところで、その前に、第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)が出ます。来週には見本が出来上がって来る予定です。奥付は2019年9月1日です。ぜひまた自由自在に書評してください。以下は、『夢通分娩』(土曜美術社出版販売、2019年7月17日刊)の書評と「神話詩三部作」完結のチラシです。

 2019年8月15 鎌田東二拝

京都新聞(2019年8月5日付)朝刊

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京都新聞(2019年8月5日付)朝刊
中外日報(2019年8月9日付)

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中外日報(2019年8月9日付)
第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)

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第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)