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シンとトニーのムーンサルトレター 第171信

第171信

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、なかなか梅雨が明けません。NHK朝の連続テレビ小説のタイトルにように「なつぞら」が見えませんが、いかがお過ごしですか。

夏が来ると、わたしは、いつも先の戦争のことを考えます。6月23日は、戦後74年目の沖縄の「慰霊の日」でした。1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなみ、アメリカ施政権下の琉球政府および沖縄県が定めた記念日でます。毎年、この日には糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。

今年の「慰霊の日」には、石垣島でわが社のセレモニーホール=コミュニティセンターである「石垣紫雲閣」がオープンしました。石垣紫雲閣の前には、見事なさとうきび畑が広がっています。歌手の森山良子さんが歌って有名な「さとうきび畑」という名曲があります。作曲家の寺島尚彦さんが1964年に本土復帰前の沖縄を訪問した際、摩文仁の丘を観光して着想した作品です。この歌、じつは11連まであり、全部歌うと10分以上かかります。第二次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が眠る、夏のさとうきび畑に流れる風の音が繰り返されます。

石垣紫雲閣前のさとうきび畑で

石垣紫雲閣前のさとうきび畑でさとうきび畑を歌に詠み込みました

さとうきび畑を歌に詠み込みました

第二次世界大戦を通して、沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜きました。激戦であった沖縄戦において、日米両国、無数の人々が敵味方として殺し合い、そして集団自決するという悲しい事実もあったことを忘れてはなりません。沖縄本島と同じく、石垣島でも激しい戦闘や戦時に蔓延したマラリア等の疫病により、多くの犠牲者が生まれましたが、数え切れないほど多くの方たちが今なお「さとうきび畑」の下に眠っているとか。

名曲「さとうきび畑」の中では「ざわわざわわ」という風の音が66回も繰り返されますが、まさに慰霊と鎮魂の歌であると思います。石垣島をはじめ、沖縄の人々は亡くなると海上の理想郷である「ニライカナイ」へ旅立つという信仰がありますが、わたしは石垣紫雲閣を「魂の港」として、1人でも多くの方をニライカナイへ導いてさしあげたいです。石垣紫雲閣の竣工式で主催者挨拶をしたわたしは、最後に「さとうきび ざわわざわわと風に揺れ 青い空には紫の雲」という短歌を披露しました。

沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。もともとは琉球の宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったようですが、わたしは「礼」を「人間尊重」という意味でとらえています。沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。日本でも最高の「礼」を実現していると思っています。すべての日本人は無縁社会を乗り越えるために、「本土復帰」ならぬ「沖縄復帰」するべきではないでしょうか。

さて、Tonyさんの第二詩集である『夢通分娩』鎌田東二著(土曜美術社出版販売)をご恵送下さり、誠にありがとうございました。心して、拝読させていただきました。学問のみならず、音楽活動に詩作と、Tonyさんのマルチな活躍ぶりには目を見張るものがあります。Tonyさんは自身の詩のことを「神話詩」と呼ばれていますが、本当に古代の神々の世界とつながっているような、また宇宙のかなたに通じているような、不思議な味わいの詩の数々は「神話詩」と呼ぶにふさわしいと思います。

鎌田東二著『夢通分娩』

鎌田東二著『夢通分娩』

冒頭の「天令」にはなぜか「花形刑事」という謎の固有名詞が登場しますが、「夢通分娩 Ⅰ」「夢通分娩 Ⅱ」に収められた20の詩にも、摩訶不思議な固有名詞が続々と登場します。例えば、1「産婆」には「太古の海」、2「生命の樹」には「イシュタルの神殿」、3「神剣」には「世界樹」、4「猛霊」には「渤海」、5「通信放下僧」には「サハラ砂漠」「インド洋」、6「出雲鳥兜」には「生類憐みの令」、7「秘儀伝授」には「始祖鳥」、8「秘文字」には「株式情動」、9「妹の力」には「シジフォス」「ペルセウス座流星群」、10「少女雪乃」には「プレサイボーグ」、12「少女始原」には「分子生物学」、13「秘密漏洩」には「テラバイト」、14「相続」には「アマルカンド」、15「天狼」には「ペリエ」、16「空舟」には「マジンガーZ」、20「海月なす漂へる国」には「矢車剣之助」といった具合です。

そんなミステリー・ワード、マジカル・ワードから、読者はさらなるドラマを想像し、詩の背景にある神話世界は深まっていくのでした。本書に収められた詩作の中で、わたしが最も好きなのは「夢底開闢」の參「亀嶋の翁」です。この「亀嶋の翁」には洞窟が登場しますが、ご高著『聖地感覚』(角川学芸出版)の第一章「聖なるエネルギーと情報」の三「聖地の特徴」には、宮沢賢治が『龍と詩人』の中で、夢見の場所とも異次元孔とも言える場所を、詩人が詩想を得る場所として描き、それを龍の棲む洞窟のある岬の上に設定していることが紹介されています。洞窟に関しては、やはりご高著の『世阿弥』(青土社)で詳しく論じられています。宗教的修行の重要な舞台となった洞窟について、Tonyさんは同書でこう述べています。

「洞窟は、カトリックにおける『ルルドの泉』を持ち出すまでもなく、世界各地で聖地霊場となるところが多いが、このような霊験譚が加わることによって今日まで霊験新たかな空間として連綿と保持されてきたところが少なくない。国土の75%近くを山林が占め、四方を海に囲まれた日本はどこに行っても洞窟がある。その洞窟が神話伝承の神聖空間となり、さまざまな儀礼や修行が行なわれる場所になることには必然がある」

その日本における洞窟について、Tonyさんは「イザナミが赴いた黄泉国がある種の洞窟的な空間として描かれているようにも見えるのだが、それはまた古墳の玄室など、墓地の内部空間のイメージともつながっている。そして、そうした洞窟は死を孕みながら絶えることのない生の源泉ないし供給源としても思念された。そのことは、熊野(三重県熊野市)にある『花の窟』からもうかがい知れる」とも述べておられます。

日本の洞窟といえば、なんといっても沖縄のガマが思い浮かびます。普天間基地のすぐそばにある「普天間宮」の奥宮が祀られている洞窟には、3000年前の土器が出土し、2万年前のシカの骨が出ています。

わたしは、2016年4月に普天間洞穴の中に入ってみました。いやもう、言葉にできないほどの感動をおぼえ、さらには「儀式も神話も哲学も芸術も宗教も、すべては洞窟の中から始まった!」という直観を得ました。拙著『儀式論』(弘文堂)では「空間と儀式」という一章を設け、洞窟における儀式の発生について詳しく述べています。

さて、洞窟神話詩ともいえる「亀嶋の翁」を読んで、わたしは英国のロマン派詩人であり、批評家、哲学者でもある、S・T.コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)の3大傑作の一つといわれる「忽必烈汗(クブラ・カーン)」(“kubla khan”)を連想しました。忽必烈汗(クブラ・カーン)とは、モンゴル帝国の皇帝から初めて中国元朝の皇帝になった、フビライ・カンのことです。コールリッジは、ザナドゥにフビライ・カンが造った夏の宮殿についての一節を読みながら、阿片を吸って眠りに落ち、目覚めるとすぐに書いたといわれています。バイロンに勧められて、1816年に出版したこの54行の長編詩は、現代、高く評価されています。「忽必烈汗」は、英詩の中で最も美しいと言われているものです。あらゆる詩美の芳香を蒸留したエキスのような作品です。「亀嶋の翁」にも「忽必烈汗」と同じエートスを感じます。よもやTonyさんがコールリッジのように阿片を吸引していたことはないでしょうが、彼のように天上からインスピレーションも受けたことは間違いないと思います。

じつは、この「忽必烈汗」こそは、わたしの最も好きな詩であります。1991年2月15日に上梓した拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)でも全文を引用・紹介しているほどです。当然ながら、「忽必烈汗」と同じく洞窟が舞台となる幻想詩である「亀嶋の翁」も非常に気に入りました。コールリッジには「老水夫行」という有名な詩もあるのですが、「亀嶋の翁」には「老水夫行」と「忽必烈汗」を合わせたような魅力があると思います。

それから、『夢通分娩』で強く印象に残った詩は17「死ステム」です。宮本武蔵や佐々木小次郎が登場する詩で、わたしは最近観たばかりの日本映画「武蔵−むさし−」を連想しました。この映画は、従来の武蔵のイメージが一変するような斬新な作品でした。史実に基づくリアルな武蔵を中心とした群像劇ですが、武蔵がまるで“殺人マシン”のように描かれています。たしかにそういった一面があったことは否定できないにせよ、彼が書き残した『五輪書』の内容などを読むと、やはり崇高な哲学を持った超一流の武芸者であったと思います。

武蔵の生まれについては諸説ありますが、現在の兵庫県西部にあたる播磨国の生まれという説が有力です。戦国時代後期から江戸時代初期に生きた剣豪ですが、武蔵はその時代に生きる様々な剣豪と戦って勝利を収め、「生涯無敗」と言われました。特に有名なのが、巌流島の決闘で知られる佐々木小次郎との対決です。武蔵の名声は、昭和の作家・吉川英治の『宮本武蔵』によって不動のものとなりました。

わたしは2013年のサンレーグループの新年祝賀式典の社長訓示で、武蔵の「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」という言葉を紹介しました。吉川英治の『宮本武蔵』では、武蔵が吉岡一門との決闘にたった1人で出かける際、ある神社の前を通りかかって武運を祈ろうとしますが、「神仏は崇拝するものであって、利益を願うものではない」と思って、そのまま通過するという場面があったと記憶しています。わたしは、このエピソードから「人事を尽くして天命を知る」という言葉を連想したものです。

映画「武蔵−むさし−」の第二部は「二天」と名付けられ、武蔵が二刀流に開眼したくだりが描かれます。それを見て、2014年1月28日にTonyさんと一緒に小倉の手向山に登って、二人で「二天一流」について大いに語り合ったことを思い出しました。武蔵は二刀流で有名ですが、Tonyさんはわたしに向かって、「社長業と作家業を両立させているあなたの生き方そのものが見事な二刀流ですよ」と言って下さいました。著者によれば、「仕事をする人」や「物事を深く考える人」は世の中に多くいますが、「物事を深く考えながら仕事をする人」は少ないそうです。それを両立できる人こそが「世直し」を実現できる人なのだとか。恐縮の至りです。

そして、Tonyさんはわたしに「天地二刀流の開祖になりなさい」と言われたのです。「天地二刀流」とは天と地、太陽と月、そして生と死を結ぶワザだそうです。それはそのまま「産霊(むすび)」そのものであると言えますが、からのミッションをわたしは慎んで拝命しました。しかしながら、本書『夢通分娩』を読み、わたしは、Tonyさんこそは学問と芸術(音楽&詩)の二刀流の達人であることを痛感したのであります。

第二詩集である本書を上梓したばかりのTonyさんですが、なんと9月には第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)を上梓されるとか。いやはや、Tonyさん、凄すぎます!

もうすぐ島薗進先生(上智大学グリーフケア研究所所長)、Tonyさん、小生の3人の共著で『グリーフケアの時代』(弘文堂)という本が刊行されますが、『夢通分娩』の巻末に収められた「ピアニッシモは震えた」は、まさに慰霊と鎮魂とグリーフケアの詩であると感じました。それでは、月の満月まで!

2019年7月17日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

ムーンサルトレター第171信、ありがとうございます。この満月文通も170回を超えたのですね。ということは、14年も続いているといういうことになります。それ自体、凄いですね。快挙、です。

ところで、石垣島の「石垣紫雲閣」オープン、まことにおめでとうございます。わたしも沖縄本島の南城市や久高島にしばしば行きますが、石垣島や宮古島にも時折参ります。石垣島は素晴らしい島だと思います。また西表島や新城島や波照間島や与那国島も大変心に残る島々でした。中でも、西表島と新城島のアカマタ・クロマタの祭りと波照間島の法然斎の祭りは忘れることのできない強烈なものがありました。沖縄の方々の死生観も非常に奥深いものがあると思っています。

わたしは明日7月21日から23日まで南城市と久高島に参ります。22日には久高島で、故大重潤一郎監督を偲ぶ「大重祭り」を兼ねた「2020年ヤポネシア音楽祭@久高島」のキックオフミーティングをするので、島に渡ります。その音楽祭は、2020年10月10日・11日に開催予定です。

ところで、7月19日に、北鎌倉円覚寺塔頭龍隠庵で、「天空教室開講式 『夢通分娩』を詠む夕べ」を開催しました。そのことを報告したいと思います。わたしは昨年7月に第一詩集『常世の時軸』(思潮社)を出し、Shinさんにもブログで書評していただきましたね。意味不明・理解不能の狂気じみた作品という印象を持たれたのではないかと思いますが、続く第二詩集『夢通分娩』(土曜美術社出版販売)をちょうど1年後の今月刊行しました。そこで、7月19日にそのお披露目を兼ねて、『夢通分娩』の朗読会と鼎談会を行なうことにしたのでした。そしてそれは、「天空教室」開講式ともなりました。

これから、細々とではありますが、円覚寺塔頭龍隠庵で「天空教室」という塾のような現代寺子屋教室を開いていこうということになったのです。それは、天空教室世話人の石毛教子さんの発案によるものです。その第1回目の催しとして、出たばかりの第二詩集『夢通分娩』の朗読会と鶴岡賀雄東京大学名誉教授と龍隠庵の太田周文住職とわたしの3人で、「夢通する宗教と芸術」というテーマで鼎談する会を開催したという次第です。

この催しは、おかげさまで、演者(朗読芸能者)・関係者・スタッフのみなさまの力で、とても奔放闊達なる不思議な天空教室「夢幻開闢」空間として現出し、バラエティーと示唆に富む有意義な朗読会・鼎談会となったのではないかと思っております。関係各位に心より感謝申し上げます。

朗読者には、天空教室世話人スタッフだけでなく、東京ノーヴィーレパートリーシアター女優の中村恵子さんや映画女優(俳優)の鶴田真由さんが参加してくれました。中村恵子さんは畏友のロシア人演出家レオニード・アニシモフさんの指導を受けてきた劇団のベテラン女優ですし、鶴田真由さんはShinさんも共演したことのある女優であるだけでなく、「久高オデッセイ第三部 風章」のナレーターを務めてくれた方でもあるので、それもしっとり、しっくりと詩の世界に入って来てくれました。とりわけ、中村さんの歌うような朗読と鶴田さんの不思議な声の魔力は観衆の方々に強烈で深い印象と余韻を与えたのではないでしょうか。とても不思議な夢幻で幽玄なひとときだったと思います。

とりわけ、Shinさんが気に入ってくれた「亀嶋の翁」は、東慶寺に生まれたけれども、禅僧にはならずに神奈川県の職員となり、NPO法人東京自由大学の事務局長も務めてくれた井上喜行さんが歌入りで朗読してくれ、大変情趣とユーモアと異界性に溢れた世界を現出してくれました。Shinさんに見せたかったなあ〜。

最後に、土曜美術社出版販売の「詩と思想」の編集委員をしている詩人の小川英晴さんと太田周文住職さんが締めのあいさつをしてくれ、これからの展開に期待を抱かせてくれました。小川英晴さんには『死者の書—復活』(銅林社、1999年)など、多数の詩集があります。

ところで、次の第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)は来月8月20日頃出来上がる予定で、発行の奥付は9月1日の予定ですので、それが出てしばらくして紅葉の美しい時期になったら「天空教室」第二弾を同じ龍隠庵で行なうことになるかと思います。龍隠庵は円覚寺の中でも最も気の良いところで、五木寛之さんも百時巡礼で円覚寺を訪れた時、この龍隠庵まで来て、「ここは凄い!」と言ったそうです。わたしもまったく同感です。凄いところです。まさに「龍隠庵!」。

鼎談のゲストとして参加してくれた宗教学者の鶴岡賀雄さんは、東京大学の名誉教授ですが、神秘主義の研究者で、特にスペイン神秘主義や十字架のヨハネの世界的研究者としてよく知られています。その鶴岡さんは少年時代から文学に造詣が深く、詩にも深い理解と洞察を持っています。その鶴岡賀雄さんが第一詩集『常世の時軸』に続き、第二詩集『夢通分娩』も書評新聞の「週刊読書人」(2019年7月19日付け)で書評してくれました。それが以下の書評記事です。

「週刊読書人」(2019年7月19日付け)

ここで、鶴岡さんは、「母さん ぼくがあなたを産んだ日 あなたはぼくを捨てた」で始まる冒頭の「産母」と最終詩の「ピアニッシモは震えた」を吉田一穂(1898‐1973)の有名な『海の聖母』(1926年)の詩「母」と関連づけてくれています。ありがたいことです。それは次のような詩です。

母 吉田一穂
あゝ麗はしい距離(デスタンス)、
つねに遠のいてゆく風景……

悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。

文学に精通した鶴岡賀雄さんならではの指摘ですが、これまでまったく気がつきませんでした。「わたしが母を産んだ」という感覚は、わたしが小学校2〜3年の時から持ち始めた感覚で、「ピアニッシモは震えた」という言葉は、昨年の10月に比叡山から降りてこようとした時に腑ッと湧いてきたフレーズでした。ちなみに、比叡山はわたしにとっては神仏の霊山でありますが、同時に母なる山でもあります。鶴岡さんが比べてくれた吉田一穂はわたしも好きな詩人で、昔々、彼の『神曲』という童話を35年ほど前に詩劇に演出したこともあります。

昨日、第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)の再校ゲラを版元に返却しましたので、8月末には出来上がり、9月1日に刊行(奥付)します。これにより、わたしの「神話詩三部作」は完結します。この第三詩集もぜひ鶴岡賀雄さんに書評してもらいたいですね。わたしの処女作『水神傳』(泰流社、1984年)も、鶴岡賀雄さんが1984年に日本心霊科学協会の機関誌の『心霊研究』誌で書評してくれたのですよ。ですので、わたしの「詩業」の全行程を鶴岡賀雄さんは看取ってくれているのです。その意味で、鶴岡賀雄さんはわたしの「死人(詩人?)看取り人」です。

詩集『狂天慟地』

レター冒頭に書きましたように、わたしは明日から久高島に参ります。7月22日は、Shinさんも協力してくれた「久高オデッセイ第三部 風章」の故大重潤一郎監督(1946‐2015)の4年目の命日になり、大重潤一郎さんを偲ぶ「大重祭り」(7月22日@久高島)を行ないます。そんなこんなで明日から沖縄に行って参りますので、次回はそのことも含めてご報告できるかと思います。久しぶりの沖縄ですが、参議院選の当日でもあり、日本の未来を占う日ともなります。結果はどのように出るか、それを沖縄でしかと確かめ、「狂天慟地」の未来を見据えたいと思います。

2019年7月20 鎌田東二拝

「週刊読書人」(2019年7月27日付け)