NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第180信

 

 

<祝!ムーンサルトレター15周年!(180信)>

 第180信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、ついに緊急事態宣言が発令されました。わたしの住む福岡県も対象ですので、いろいろ大変です。新型コロナウイルスの感染拡大で地球が大騒ぎになっていますが、夜空の満月は美しいですね。それもそのはず、今夜の月は今年最大のスーパームーンです。それから、ムーンサルトレターが180信目になりましたよ。2005年10月20日に第1信を交わしてから、丸15年です。正直、こんなに長く続くとは思ってもいませんでした。想定外です。すごいですね。わたしたちの往復書簡、ギネス級ではないかと思います。本当に、Tonyさんと素晴らしい御縁をいただき、心より感謝しております。

 さて、新型コロナウイルスに話を戻します。中国の武漢から始まった感染拡大が止まるところを知りません。今年の7月からの開催が予定されていた東京オリンピック&パラリンピックも1年延期されることが決定しました。言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典です。悲しいことですが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続でした。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年という説もあります。戦争の根本原因は人間の憎悪であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他国に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いてきたのです。しかし、それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実です。国際連盟や国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した平和のための最大の文化装置がオリンピックであることに違いはありません。

 『サピエンス全史』『ホモ・デウス』といった世界的ベストセラーの著者であるイスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリの最新刊『21Lessons』の第6章「文明」の中で、著者ハラリは「2020年に東京オリンピックを観るときには、これは一見すると国々が競っているように見えるとはいえ、じつは驚くほどグローバルな合意の表れであることを思い出してほしい。人々は自国の選手が金メダルを獲得して国旗が掲揚されるときに、国民としておおいに誇りを感じるものの、人類がこのような催しを計画できることにこそ、はるかに大きな誇りを感じるべきなのだ」(柴田裕之訳)と書いています。

 現在のわたしたちは、深く考えることなく「WHO」や「IOC」などの国際機関の名前を口にしますが、これらは大変な苦労の末に生まれたグローバルな合意の表れなのです。
そして、第一次世界大戦が起こったから国際連盟が生まれ、第二次世界大戦が起こったから国際連合が生まれた歴史的事実を忘れてはなりません。国連もWHOもIOCも、すべて人類の叡智の果実なのです。さらには、グローバリズムの「負のシンボル」がパンデミックであり、「正のシンボル」がオリンピックであることを知る必要があります。

 何事も陽にとらえる。これは佐久間会長から受け継いだわたしの信条ですが、今回のWHOによるパンデミック宣言を陽にとらえると、どうなるか。それはもう、世界中のすべての人々が国家や民族や宗教を超えて、「自分たちは地球に棲む人類の一員なのだ」と自覚することに尽きるでしょう。「宇宙船地球号」とは、アメリカの思想家・デザイナーであるバックミンスター・フラーが提唱した概念・世界観です。地球上の資源の有限性や、資源の適切な使用について語るため、地球を閉じた宇宙船にたとえて使われています。各国の民は国という束縛があってもみんな同じ宇宙船地球号の乗組員だから、乗組員(国家間)の争いは望まれません。

 わたしたちが「宇宙船地球号」の乗組員であることを自覚する、その最大の契機を今回のパンデミック宣言は与えてくれるのではないでしょうか。そのパンデミックですが、わたしは新しい世界が生まれる陣痛のような気がします。考えてみると、こんなに人類が一体感を得たことが過去にあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国がある。自然災害なら被災国と支援国がある。しかし、今回のパンデミックは「一蓮托生」ではないですか。

 「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じようなものです。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にしてくれる外敵なのですから。「人類はみな兄弟」という倫理スローガンが史上初めて具現化したという見方もできます。今回のパンデミックを大きな学びとして、人類が地球温暖化をはじめとした地球環境問題、そして長年の悲願である戦争根絶と真剣に向き合うことを願います。

 人類はこれまでペストや天然痘やコレラなどの疫病を克服してきましたが、それは、その時々の共同体内で人々が互いに助け合い、力を合わせてきたからです。あわせて、新型コロナはITの普及によって全世界にもたらされている悪い意味での「万能感」を挫き、人類が自然に対しての畏れや謙虚さを取り戻すことが求められると言えます。パンデミック収束後に開催されるオリンピックこそは真の人類の祭典であり、わたしも開催を心の底から願っています。その場所が東京であれ、他の都市であれ・・・。

 安倍総理とIOCのバッハ会長は延期される東京五輪について「新型コロナウイルスに人類が打ち勝った記念の祭典にしたい」との見方で一致したようです。これは、よろしいと思うのですが、単なる祝典ではなく、新型コロナウイルスで亡くなった人々の葬送儀礼として意味づけをしていただきたいと思います。古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説ありますが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説があります。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになります。

 21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されましたが、このことは人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じました。アテネオリンピックは、20世紀末に起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタン、イラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできたからです。ぜひ、世界における新型コロナウイルスの感染拡大の収束後に開催されるオリンピックは、犠牲者たちの葬送儀礼にすべきです。そうすれば、利権・金権・政権という「3権」に利用され続け、汚れきってしまったオリンピックも少しは浄化されるのではないでしょうか。

 とはいえ、現実の世界を見ると、感染拡大がすさまじく進行しています。世界各地で外出制限から進行して外出禁止、さらには「集合罪」というべき状況が生まれています。「人が集まる」ことが悪事になっているわけですが、このままでは人間の集団としての「社会」が「個」に分断され、活力を失うことが懸念されます。それにしても、結婚式などの儀式まで禁止されるとは由々しき問題です。葬儀はかろうじて許可されていますが、世界的な感染拡大の中で、医療崩壊を招いた国では助けられたはずの人が次々と亡くなっています。その数は火葬場が足りなくなるほどで、スペインにおけるアイスアリーナ、ニューヨークにおけるビル街のように臨時の遺体安置所が続々と設置されています。葬儀関係者に感染が拡大すれば、医療崩壊の次は葬儀崩壊という事態も想定されます。

 現在、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。志村けんさんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。

 4月3日、「日本経済新聞」にわたしのインタビュー記事が掲載されました。「悲嘆ケア 葬祭業が一肌」の大見出し、「遺族や高齢者に交流の場」「北九州のサンレー 佐久間社長に聞く」として、わが社の葬儀およびグリーフケアに対する考えと取り組みが紹介されています。この記事を読まれたTonyさんからメールが届きました。そこには、「葬儀もできない今の新型コロナウイルスによる死の迎え方は、人類史上究極の事態かと認識しています。危機的な状況で、本人の霊も遺族の心も大きな傷やグリーフやペインを抱えてしまうのではないかと大変危惧します。そのような状況下で、グリーフケアやスピリチュアルケアが必要と思いますが、車間距離のように『身体距離』を取る必要を要請されている状況下、どのようなグリーフケアやスピリチュアルケアがあり得るのかを知恵と工夫を出し合わねばなりません。何かよい知恵と工夫はあるでしょうか?」と書かれていました。

「日本経済新聞」2020年4月3日朝刊

「日本経済新聞」2020年4月3日朝刊
 このTonyさんからの問いかけに対して、わたしは「やはり言葉ではないでしょうか。
『身体』の代わりになりうるものは『言葉』だと思います。わが社の会社儀礼や行事も、ことごとく中止になっていますが、社員たちはわたしのブログなどでわたしの言葉を読んでくれているようです。また、ブログだけでなく、LINEなどもグリーフケア、スピリチュアルケアの良き方法となる可能性を持っているように思います。言葉の他には音楽が求められるのではないでしょうか。アートであり、表現ですね。わたしは、グリーフケアの一助となる本・映画・歌などを渉猟していますが、身体が離れているときは言葉と音楽が大切であると考えています。まさに、言霊と音霊が大切ですね。考えてみれば、儀式とは身体と言霊と音霊の三位一体のワザなのかもしれません」と答えました。

 こんな感染拡大の懸念の中、4月1日、わが社は新入社員を迎えました。例年は各地のグループ企業すべての新入社員を一同に集めて合同入社式を行うのですが、今年は大幅に規模を縮小して本社新入社員のみを対象とした「辞令交付式」を行いました。そこで、社長であるわたしはマスク姿で新入社員に辞令を交付しました。1人ずつ名前を読み上げ、心を込めて交付しました。その後、わたしはマスクを取り、社長訓示として以下のような話をしました。

サンレー新入社員辞令交付式のようす

サンレー新入社員辞令交付式のようす辞令交付後の新入社員への社長訓示

辞令交付後の新入社員への社長訓示
 結婚式や葬儀、七五三や成人式といった冠婚葬祭は不安定な「こころ」を安定させる「かたち」です。冠婚葬祭をはじめ、入学式、卒業式、入社式といった一連の儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。ですから、感染拡大の不安の中で、あえて今日の辞令交付式を行ったのです。儀式とは、人間を幸せにするためにあります。大古から、人類は葬儀と結婚式を世界各地で行ってきました。それによって、喪失の悲嘆からの自死の連鎖を防ぎ、家族の形態を維持し、社会を発展させてきました。いわば、人類が冠婚葬祭を発明しなかったら、とうの昔に滅亡していたと言えるでしょう。また、お互いに助け合う「相互扶助」というものがなくても、人類は確実に滅亡していました。すなわち、冠婚葬祭および相互扶助は人類の本能ともいえるものであり、その二大本能に基づく冠婚葬祭互助会は不滅の産業なのです。冠婚葬祭ほど、みなさんが人生を賭けるに値する素晴らしい仕事はありません。本日は、本当におめでとうございました。そう語りながら、胸に熱くこみ上げるものがありました。

 今月、わたしは『死を乗り越える名言ガイド』『心ゆたかな社会』という2冊の著書(ともに現代書林)を上梓する予定です。その2冊で、ちょうど100冊目の著書となります。

近刊『死を乗り越える名言ガイド』

近刊『死を乗り越える名言ガイド』近刊『心ゆたかな社会』

近刊『心ゆたかな社会』
 また、秋にはTonyさんとのこのムーンサルトレターを書籍化した『満月交心』を刊行したいと考えています。『満月交感』『満月交遊』の続編です。わたしたちの魂の交流も開始から長い時間が経過しましたが、「明るい世直し」の道はまだまだ途上です。今後とも、この「魂の弥次喜多道中」を、どうぞよろしくお願いいたします。それでは、スーパームーンを見上げながら、オルボワール!

2020年4月8日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 昨夜、2020年4月7日、4月8日の花祭り(灌仏会)、お釈迦様の誕生会(え)の前日に、緊急事態宣言が発令されましたね。しかも、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急経済対策の額が煩悩の数と同じ「108」の「108兆円」と安部首相から提示された時には「うう〜ん」と唸ってしまいました。何か、符号というのか、歴史的宿業というのか、因縁というのか、何も「108」でなく、切りのよい「100兆円」でも「110兆円」でもよかったのにとも思いましたが、何かの算出法によりあえて「108兆円」となったのでありましょう。これもまた歴史の一齣として受け止めなければなりません。

 しかし、わたしたちは一個の生命体として、一人の人間として、地域社会の中で、日本という国の中で、アジアという広がりの中で、地球の中に生きています。Shinさんは、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う事態を、バックミンスター・フラーの提唱した「宇宙船地球号」の呼称と関連づけましたね。そして、そのポジティブな意味を次のように意味づけました。

<わたしたちが「宇宙船地球号」の乗組員であることを自覚する、その最大の契機を今回のパンデミック宣言は与えてくれるのではないでしょうか。そのパンデミックですが、わたしは新しい世界が生まれる陣痛のような気がします。考えてみると、こんなに人類が一体感を得たことが過去にあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国がある。自然災害なら被災国と支援国がある。しかし、今回のパンデミックは「一蓮托生」ではないですか。 「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じようなものです。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にしてくれる外敵なのですから。「人類はみな兄弟」という倫理スローガンが史上初めて具現化したという見方もできます。今回のパンデミックを大きな学びとして、人類が地球温暖化をはじめとした地球環境問題、そして長年の悲願である戦争根絶と真剣に向き合うことを願います。>と。

 じつは、Shinさんがブログやムーンサルトレターで詳細に書評してくれた拙著『南方熊楠と宮沢賢治—日本的スピリチュリティの系譜』(平凡社新書、2020年2月14日刊)や、それ以前のいくつかの著作(『魂のネットワーキング—日本精神史の深域』泰流社、1986年など)の中で、この「宇宙船地球号」的な意識の芽生えを、わたしは「ハレー彗星インパクト=1910年問題」として提起しておりました。長文で恐縮ですが、『南方熊楠と宮沢賢治』「第三章 1910年の熊楠と賢治—ハレー彗星インパクトと変態心理学」の中の文章を以下に貼り付けます。


1910年問題 —— ハレー彗星インパクト

 1910年の5月18‐19日、ハレー彗星が地球に最接近した。ヨーロッパでは5月18日に、日本では5月19日にもっとも近づくことになった。それによって世界中に大騒動が巻き起こった。ヨーロッパでは終末論的な破局がやってくるとまことしやかに語られ、日本では、彗星到来時には清浄な酸素を吸収することができないので、洗面器に水を張って長く息を止める練習をする人のことなどが報道された。有毒ガスを含んだ尾が地球を包み、生物は全滅すると噂され、パニックが起こったのである。尾に含まれた大量の水素が地球上で大爆発を起こすと信じられ、欧米では地下室にこもったり、郊外に逃げ出す人が続出し、岐阜県では自殺者まで出た。(中略)
 ハレー彗星は76年周期で地球に接近する。1910年の前には1834年(天保5年)である。後に天保の改革を進めることになる水野忠邦が老中に就任した年であった。前年の1833年から39年までの6年間、「天保の飢饉」と呼ばれる大飢饉が日本列島を襲ったこともあり、水野忠邦が老中職に就任して天保の改革に乗り出したのであった。1836年(天保7年)には、ロシア船が漂流民を護送して択捉島に来航し、翌37年には、陽明学者・大塩平八郎や国学者・生田万の乱が起こり、マカオで保護されていた音吉ら漂流魚民を乗せたアメリカの商船モリソン号が鹿児島湾と浦賀沖に現われ、異国船打払令に基づいて薩摩藩と浦賀奉行が砲撃を行なうモリソン号事件が起こっている。翌38年には、水戸藩主徳川斉昭が内憂外患の状況についての意見書を起筆し、尊王攘夷運動など幕末の動乱に向かって事態が進行していった。
 そのような状況の中でのハレー彗星の到来である。これがわが国・日本の危機の予兆と結びつけられることはあったとしても、地球史的に規模での危機意識に至ることはなかった。日本は鎖国の国であり、正確な世界の状況把握が不十分だったからである。
 しかし、1910年のハレー彗星の到来時は違う。19世紀以来の西欧諸国による植民地支配、通信・交通網の整備、新聞雑誌等の大衆メディアの隆盛によって、ハレー彗星到来問題は全地球的な問題となった。この時、地球という惑星全体が破局を迎えるかもしれないという認識がリアリティを持ち始めたといえる。
 このとき、ハレー彗星の影響によって何が起こるのか、当時の科学技術の精度では正確な予測ができなかったこともあり、さまざまな流言が飛び交うことになったが、しかしながら、地球と生命の危機が強く意識せられ、世界同時性=地球的同時性が認識され始めたことには注目すべきであろう。そこで、この1910年という年を、世界史のターニング・ポイントの年であったということができる。その理由は、ハレー彗星の到来により、地球上に初めて世界同時性についてのリアルな意識と地球史的危機意識が芽生え始めた年であるといえるからである。この年のこの騒動と変化を、「ハレー彗星インパクト」もしくは「1910年問題」と呼んでおきたい。

(『南方熊楠と宮沢賢治』平凡社新書、165‐169頁)


 「1910年」は本当に地球史的因縁の年だと思っていますが、その110年後の2020年の本年・令和2年もじつに根の深い因縁の年になりました。麻生財務相の「呪われたオリンピック」の発言で話題となった40年毎のオリンピックの中止・不開催や不参加開催や延期(1940年東京オリンピック、1980年モスクワオリンピック、2020年東京オリンピック)も、またShinさんが教えてくれた1720年のペスト、1820年のコレラ、1920年のスペイン風邪、そして2020年の新型コロナウイルスという「パンデミック100年周期説」も偶然とは思えぬほどに因縁めいていますが、本年の「2020」年は世界史的・地球史的ターニングポイントであることは間違いないとわたしも思っています。

 わたしはムーンサルトレターでも書いたことがありましたが、これまでずっと「逆境に強い生き方」を求め、実践してこようとしてきました。が、「逆境に強い」などという表現自体に自己中心的な響きがあることに気づきました。そのことを、わたしが研究代表を務めてきた「身心変容技法研究会」の研究メンバーでチベット密教の研究実践者である永澤哲さんが「逆境を道とする」という言い方で諭してくれました。「逆境に強い」というより、「逆境を道とする」という方がずっと素直で謙虚だと思いました。

 これまで610回ほど比叡山に登拝してきましたが、なぜこの比叡山の山中で「草木国土悉皆成仏」を命題とする天台本覚思想が出てきたのか、よくわかります。千日回峰行者は、それを日々実感できたと思うのです。人間だけが成仏するのではない。草木国土もみな成仏する。その天台本覚思想を徹底するならば、新型コロナウイルスも成仏するということになります。本覚思想では「煩悩即菩提」とも「魔仏一如」とも表現しました。その意味するところは深く広大です。もう一度、そのような比叡山の「草木国土悉皆成仏」や「魔仏一如」などの本覚思想の奥深さを、今に伝わる言葉と実践で示すことができればと日々考えています。

 仏教の「覚=悟り」とは、本来慈悲とは直接のつながりがなく、それ自体で成立したと考えられます。しかしながら、仏教は、悟りの智慧と慈悲の実践を両輪として発展しました。仏教の「慈悲」はどのようにして生まれてきたのでしょうか? そこには、まさに「グリーフ(悲嘆)」や「スピリチュアルペイン(霊性的痛み)」に対する深い共感共苦的洞察とそこからの解放への意志があります。したがって、「慈悲」の根拠は、もちろん「自我(Ego)」ではなく、「存在」、というのか、「みほとけ」、というのか、自己を超えて関係性を切り結び包む縁起生的全体存在ということかと思います。それを『古事記』では、「むすひ(むすび、産巣日・産霊)」と表現し、神道の根本思想を成してきました。

 ところで、新型コロナウイルスの感染拡大を避けるために、政府や対策委員や東京都などが「ノー3密(密閉・密集・密接)」と言っていますね。つまり、「密」を離れろ、接近するな、距離を取れ、ということです。それに対して、弘法大師空海が招来した真言密教では、「三密加持」こそが「即身成仏」の道である、と主張しました。わたしは今こそ、この空海の本来の「三密」論が再注目されるべきだと思っています。衆生の身口意の「三業」と大日如来の身口意の「三密」を照応融合させる「三密加持」が実現した時、最高度な免疫力や安心感が得られるはずだからです。マインドフルネスから慈悲の瞑想へ、そして「三密加持」へと、仏教史の流れを包含し、上座部仏教の精髄(ヴィパサナなどの止観)から大乗仏教の精髄(菩薩の思想と実践)へ、そしてそこから密教の精髄へのジャンプする、その仏教史の歴史とその精神遺産をまっとうに評価し受け継ぐべきではないでしょうか。

 そのような「精神史的・霊性史的ターニングポイント」が「2020年問題」だとも思っています。すべての仏教の精神遺産をフル活用してほしいものです。わたしも神仏習合諸宗協働フリーランス神主の立場から微力ながらも「むすび力」を発現していきたいと思います。この時期、「地道」なグリーフケア、スピリチュアルケア、臨床宗教師の活動が求められています。そこで、それぞれの現場でできることをやっていく、編み出していく必要があります。

 現在の新型コロナウイルスの感染拡大状況が引き起こしていることは、たとえば、3人以上集まるような「密室、密集、密接」を「ノー3密」として忌避し自粛するという状況です。当然のことながら、そのために、教会でのミサや、神道の祭儀や祭りや芸能や葬儀や、多くの人が集まること自体、また身近で身体的な距離を密にしながら傾聴するようなことができない、あるいはできにくい状況にあります。あらゆる局面で、車間距離のような身体間距離、社会的距離を取ることが要請されています。その中で何ができるのかが問われているのです。

 そんな中で少しでもできることをやってみようと、「あさってを向いて生きる」ことを目指す映像をyou tubeに友人の手助けを借りてアップロードしてみました。それがすぐに「心のケア」になるとは思いませんが、少しでも笑って見ていただければ幸いです。

 「あさってを向いて生きる〜現代の修験者、鎌田東二」(10分映像、2011年6月制作)https://youtu.be/tXiMiaNp_T0
 細野晴臣・三上敏視・鎌田東二ほか 猿田彦神社おひらきまつり「巡行祭」(23分映像、1997年9月‐10月:https://youtu.be/0wKcJMwWeoc

 また、友人の若い医学生が、2003年に2003枚自主制作してまったく売れなかった拙作CD『なんまいだ—節』」の中の14曲目の「夢 ゆめゆめ」と12曲目の「風が運んでくる想い出」(2003年自主制作『なんまいだ—節』http://moon21.music.coocan.jp/cd02f.html)の2曲をyou tubeにアップロードしてくれました。
 笑って聴いてやってくだされば幸いです(笑えるかどうかわかりませんが・・・)。

「夢ゆめゆめ」:https://youtu.be/7-l9tg9oLh8
14. 夢 ゆめゆめ(『なんまいだ—節』の14曲目・ラスト曲)
夢 ゆめゆめ
恋 来い来い

空に向かって曲がった鉄砲玉のように星を採るために駆け登っていって兜率の天に墜ちた
光を避けて闇を喰らって生きることでどれだけ救われたかもしれない人の悲しみと一緒に眠った

夢 ゆめゆめ
恋 来い来い

天に突き刺さった槍は俺の脳天から心臓まで貫いて君の魂に届く
嵐の晩に眠った夢は風の又三郎と共に北極圏の氷河岬の限界から飛んだ

夢を抱いて
夢を生きて

どんなに闇は深くとも
いのちは永久にまたたく
どんなに悲しみに昏れるとも
いのちに春はめぐって来る

夢 ゆめゆめ
恋 来い来い

あくまで星は星として輝き 人は人として悩み 海は海として満ちる
この世から君がいなくなっても面影は星として輝き 燦然と道を照らすことを止めぬだろう きっと

夢を抱いて
夢を生きて

どんなに闇は深くとも
いのちは永久にまたたく
どんなに悲しみに昏れるとも
いのちに春はめぐって来る
いのちに春はめぐって来る
いのちに春はめぐって来る

「風が運んでくる想い出」:https://youtu.be/bhD1BI2Qf-0
12. 風が運んでくる想い出(『なんまいだ—節』の12曲目)

風が運んでくる想い出 君の匂いととも
いつまでも忘れられぬ 君のしぐさすべて
好きだった すべてをかけて
今はもういない どこにも
君が恋しくて

このまま時が止まればいいと 見つめ合ったあの時
このまま二人溶ければいいと 抱き合ったあの夜
好きだった いのちをかけて
今はもういない どこにも
君に会いたくて

好きだった いのちをかけて
今はもういない どこにも
君が恋しくて
君が恋しくて
君に会いたくて

鎌田東二2ndアルバム『なんまいだー節』

鎌田東二2ndアルバム『なんまいだー節』

鎌田東二2ndアルバム『なんまいだー節』鎌田東二2ndアルバム『なんまいだー節』

 

アルバムジャケットデザイン:ファルコン(青木宏之)
『なんまいだ—節』全14曲
01. 人生
02. 天命
03. 般若心経遁走曲
04. 時を超えて
05. 救いたまえ
06. なんまいだー節
07. 鈴の音清し
08. 生きてゆくのだ 茜空
09. 水の記憶
10. 星の船に乗ってゆこう
11. フンドシ族ロック
12. 風が運んでくる想い出
13. 天から落ちてきた卵
14. 夢ゆめゆめ
        (全曲作詞作曲・鎌田東二、編曲・プロデュース:古川はじめ)

 ちょっとは息抜きし、笑えていただいたでしょうか?

 さて、わたしたちが一貫して追求してきたことは、仏教的に言えば縁起生、神道的に言えばむすび、現代思想的に言えばフラクタルやホーリスティックです。それを何と言ってもいいのですが、本来は、部分と全体は分けることができない。それこそ「密接不可分」なマンダラ的全体なのだと思いますが、現代の分断と分業と分割(科学)の時代にあっては、知性も生き方もすべてにおいて、「分ける(分かつ、分かる、別る)」ことから始まっています。今回の新型コロナウイルスの感染拡大の現象は、そんな別離や分断から、もう一度、地球という全体に立ち還る「生態智」を教え、諭し、警告している事態に見えます。及ばずながら、拙著『南方熊楠と宮沢賢治—日本的スピリチュリティの系譜』(平凡社新書)は、未来への指針、コンパス(羅針盤)として、「二人のM・K(南方熊楠と宮沢賢治)」の思想の分析を通じて、そのような「生態智」思考と生き方を掘り起こそうとしました。

 京都では、満月の今日桜は満開から散りかけていますが、新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、感染者は世界中で140万人を超え、死者は8万人を超え、日本は緊急事態宣言を発出しました。JALもほとんどの国際線が運休状態で、国際間の往来は激減しています。ロックアウトや外出自粛や工場生産停止で排気ガスが減り、大気汚染が劇的に改善されたという報道もありました。生産活動も消費活動も含め、経済活動は大幅に落ち込んでいますが、空気はきれいになりつつあります。そして、生活は大変シンプルになり、単純化しています。朝起きて、テレワークの人は家の中でできる仕事をして、家族のある人は家族とご飯を食べて、少し外に出て散歩などして、子どもがいる人は子どもと勉強や遊びなどして、あるいは読書や音楽鑑賞などして、眠る。その繰り返し。社会的生産力は激減していますが、家族間のコミュニケーションは「ノー3密」どころか、「三密加持」に近づいているかもしれません。もちろん、多くのシングル家庭もありますので、孤立・個別・孤独の状態もより深刻化している面もあります。またDVが増えてきているという報道もありました。負の側面も見逃せません。そうした中で、社会全体での健康とか健全とかの問題、つまり、「パブリックヘルス」、すなわち「公衆衛生」が問題になっているわけです。

 今回のShinさんの「日経新聞」の記事を読んで、Shinさんの志と活動全体がコンパクトにまとめられていると思いました。Shinさんは、これまでつねづね、「冠婚葬祭業」とは「結魂」と「送魂」と両橋(端)とする「魂のお世話業」であり、「礼業」である、そして「礼業」とは「人間尊重業」であり「ホスピタリティ・インダストリー」であると主張してきましたね。Shinさんは、この前、新型コロナウイルスによる肺炎でコメディアンの志村けんさんが亡くなった後、遺族の方が遺体に面会することもできずに悲しみと痛みを感じていたことを問題にしました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないという事態。それを、新型コロナウィルスによる亡くなった方の遺族は二重の悲しみを味わうことになると指摘しました。この時、「身体距離」の代わりになりうるものは、「言葉」だ、身体が離れている時は言葉と表現が大切である、と。

 わたしの博士論文は『言霊の思想』(青土社、2016年)でした。言葉にも、多くの政治家のような見掛け倒しの嘘っぽい言葉もあれば、切実な思いと深い心の宿った言霊を持つ言葉もあります。言葉には、大日如来の言葉=真言から、地獄の言葉=自他を繰り返し限りなく傷つける暴力言語もあります。そんな言葉のちからをよくよく考えねばなければなりませんね。

 わたしは、3月28日に上智大学10号館講堂で行なった無観客動画配信の「死生学公開講座」で、最初に法螺貝奉奏、最後に近作自作の絵本台本「ココ」の朗読、そして自作の「この光りを導くものは」の歌の歌唱、最後の最後に石笛の奉奏をしました。自分にできるすべてのことを精一杯行なったつもりですが、しかし、どれだけ深く届く言葉と響きを発せられたか自信はありません。発信と受信の関係性は不定であり流動であり、「菌」のように謎めいています。

 わたしの住んでいる京都市左京区一乗寺の天台宗五大門跡寺院の一つの名刹曼殊院門跡には、菌の研究者たちが建立した「菌塚」があります。「菌」を供養する塚が「菌塚」です。今は、ほとんどの国が新型コロナウイルスを「敵」とみなしてそれに「打ち勝つ」という言い方をしています。ヨーロッパやアメリカでは「戦争」とか「戦時」という言い方がされています。確かに、それによって8万人を超える死者が出ていますし、いつわたしもその中に入るかわかりません。しかしながら、わたしが新型コロナウイルスに感染して重症になったり死んだりしたとしても、わたしにはウイルスが「敵」だとはどうしても思えません。また到底それに「打ち勝つ」こともできないように思います。「棲み分け」とか「共存」ならばできるかもしれないという気がします。存在世界の摂理は深淵で神秘だと思っています。

 先にも書いたように、わたしは比叡山の麓に住んでいて、比叡山に610回以上上り下りしているので、しょっちゅう天台本覚思想のことを考えています。

「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏」

仏教思想上では、「非情」とされてきた「草木国土」も「悉皆成仏」するということは、全存在界挙げて「悉皆成仏」するということになります。『法華経』の久遠実成の本仏の思想からは、そのような「草木国土悉皆成仏」の思想が導かれ得ます。究極の慈悲の瞑想や菩薩道を徹底すると、そのような帰結になると思うのです。それは、宮沢賢治が『農民芸術概論綱要』(1926年・大正15年)の「序論」で主張した「幸福」論であり、「生物」論であり、「意識」論であり、「道」であります。

近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

                  (宮沢賢治『農民芸術概論綱要』序論)

 曼殊院門跡の「菌塚」は、天台本覚思想の「草木国土悉皆成仏」の現代版とも言えるものとわたしは考えています。曼殊院菌塚資料は以下のサイトに示されています。
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/99ta_life/kinduka.html
http://kinduka.main.jp/page006.html
 それらによると、次のようにあります。


菌塚  曼殊院
所在地: 京都市左京区一乗寺竹の内町42
慰霊の対象 :菌/創設業種: 酵素工業

細菌のお墓がある。見えない生物に対してお墓を作るのは、顕微鏡でいつも菌を見たり、菌を培養して育てたりしている研究者である。細菌などにいっぱんの人々はなかなか思い入れできないと思う。「動物のお医者さん(佐々木倫子)」という漫画の中に細菌を散歩させるというくだりがあって、ありえない話に腹を抱えて笑ってしまうのだけれど、細菌を扱った経験がないと分からない感覚である。
京都の曼殊院に設置された菌塚のいきさつは 「菌塚」に詳しい。

曼殊院門跡〔歴史的風土特別保存地区)
所在地: 京都市左京区一乗寺竹の内町42
題字: 菌塚 東京大学名誉教授 坂口謹一郎先生筆
裏面の碑文:「人類生存に大きく貢献し 犠牲となれる 無数億の菌の霊に対し至心に恭敬して 茲に供養のじんを捧ぐるものなり」曼殊院門跡第四十世大僧正 圓道筆
遺灰 枯草菌 一株の遺灰を漆ぬりの器に入れた
写経 陀羅尼経一巻を写経し  経巻装飾して銅経筒に入れ密閉した。
丹波焼外経筒: 遺灰の入った器。写経の入った筒をこの外経筒に密閉した。この丹波焼の筒を菌塚の地下に埋葬した。
昭和56年(1981年)5月16日(土)曼殊院門跡山口圓道ご門主ご導師により除幕法要がおこなはれました。京都伏見の醸造元増田徳兵衛氏のお供えされた銘酒月の桂を参加者が一酌ずつ菌塚にかけ、数百億の菌に感謝いたしました。毎年、5月の第2日曜日に曼殊院で法要をしていただいております。

菌塚

菌塚曼殊院門跡

曼殊院門跡
「日刊工業新聞」昭和56年5月20日

「日刊工業新聞」昭和56年5月20日


 この東京大学名誉教授の坂口謹一郎さんの歌った歌に次の歌があります。

     目に見えぬ ちひさきいのち いとほしみ み寺にのこす とはのいしぶみ

 いい歌ですね、とても。曼殊院には2つの国宝(古今和歌集藤原行成本と黄不動の掛け軸)があり、それらも大事ですが、わたしはもっとこの「菌塚」の方が凄い「国宝」ではないかと思っているのです。それはまさに、『古今和歌集』「仮名序」に言う「生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける」の顕現だと思うからです。

 南方熊楠は粘菌の研究者でした。そして、宮沢賢治は土壌の研究者であり改良者でした。よい土壌とは豊富な菌類の万華鏡のような世界に他なりません。土壌菌がはたらかなければよい作物は生まれ、育ちません。腸内フローラの細菌のはたらきなしに、健康はないことが実証されています。ある種のウイルスは生命の進化に寄与していると言います。人間に病気をもたらすウイルスもあれば、病気を防いでくれるウイルスもあると言います。ウイルスが生まれてきた意味、はたらき、存在理由を今日の科学的な観点から知ることもとても大切なことと思います。優れた科学者は、自然のしくみに深い畏怖や畏敬や驚きや感謝を感じているように思います。

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で、比叡山の麓に住んで、比叡山の森を神仏と仰ぐわたしは、そこで培われてきた「草木国土悉皆成仏」の思想を、さらに深くわたしたち自身の地球史的問題解決思想として見据え、再活用したいと切に思っています。そして今、その再活用の一つの試みとして、「おやまのなかで」と題する絵本台本を書きました。そこに、「そうもくこくどしっかいじょうぶつ」の祈りを込めました。今はその絵本を出すことに注力しています。

 今回のムーンサルトレターは、大変長文になってしまいました。次の満月夜はどのような事態になっているでしょうか? どのようになっていても、そこから未来を見つめ、歩む活力を発信していきたいものです。引き続きよろしくお願いします。

 非常事態宣言が掛かっていかに外出制限されたとしても、「心の外出は自由」です!

スーパームーンの満月

スーパームーンの満月

 2020年4月8日 鎌田東二拝