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シンとトニーのムーンサルトレター 第179信

 

 

 第179信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、第179信目のレターをお送りします。次回は第180信、なんとムーンサルトレターを開始してから丸15年目となります。すごいですね!

 さて、新型コロナウィルスの猛威はいまだに拡大を続け、さらに世界中で事態は深刻化しています。日本では、安倍首相による全国での臨時休校要請で大混乱しましたが、東京ディズニーランド(TDL)、東京ディズニーシー(TDS)、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)も、2月29日から3月15日まで休業になりました。大相撲春場所は「無観客」で開催されていますし、3月23日から始まる春の甲子園大会も「無観客」となります。大相撲や高校野球はまだ開催されるだけいいほうで、他の主なスポーツイベント、文化イベントは軒並み「中止」です。プロ野球の開幕は延期になりました。わたしが楽しみにしていた上智大学死生学公開講座も動画配信のみとなり、まことに残念です。一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)からの100名を超える参加者が四谷に集まるはずでした。わたしも大変楽しみにしていたので、喪失の悲嘆を感じています。

 全国の小中学校・高校を一斉に臨時休校にするという判断は、明らかに極端すぎると思います。世間で言われているように、東京五輪開催のための窮余の策なら、あまりにも馬鹿げており、本末転倒です。すでに各種イベントの中止・延期で、経済的な損失は計り知れません。全国のホテルなどでは宴会のキャンセルが相次いでいます。とにかく、あらゆる業界や国民は「東京オリンピック」のために我慢するしかないのでしょうか。東京五輪のための国家総動員法といった感じです。

 イベントの自粛もきついですが、一番の問題は工場や会社が閉鎖されることです。そうなれば日本経済は瀕死の危機となります。結婚式などのキャンセルも相次ぎ、冠婚葬祭業界も混乱していますが、1件の結婚式は五輪よりも重いのではないかと思います。キャンセルをお考えの方には、「延期ならいいですが中止は絶対にやめたほうがいいです。後で必ず後悔しますから」と言いたいです。「内閣支持率の向上」や「五輪の利権」といった下らないもののために人生の重大事を放棄してはなりません。「オリンピックは平和の祭典」などと言いますが、結婚とは「最高の平和」であり、結婚式こそは「最高の平和のセレモニー」なのです。

 結婚式だけではありません。卒業式や入学式も大切なセレモニーです。儀式は「こころ」を安定させる「かたち」です。卒業式や入学式や結婚式や葬儀を行わなければ、人間の「こころ」は不安定になるのです。不安定な「こころ」が増えれば、社会は崩壊します。

 全国の小中学校、いや高校や大学の卒業式や入学式も中止になる可能性があるそうです。結婚式のキャンセルも相次いでいます。しかしながら、人生の重大事である卒業式、入学式、結婚式を中止してまで、東京オリンピックを開催するというのは馬鹿げています。こうなったら、東京五輪のスローガンである「感動で私たちは1つに」どころじゃないでしょう。いま大きな話題になっている『AKIRA』の予言のセリフではありませんが、「もう、中止だ中止!」と言いたくなります。派手なイベントよりも国民の平和な生活が第一。くれぐれも、アメリカのTV局の都合に合わせて運営されるような拝金主義のオリンピックの犠牲にしてはなりません。

 熱くなりすぎたようですので、話題を変えましょう。Tonyさんにもメールでご紹介した「VRで故人と再会する」話をしたいと思います。東洋経済ONLINEで見つけた「ニューズウィーク日本版」ウエブ編集部の「死んだ娘とVRで再会した母親が賛否呼んだ理由」という記事には考えさせられました。VR(バーチャルリアリティー)では、ヘッドセットとゴーグルをつけ、誰でも簡単に仮想現実の世界へ入って行けます。いまやテクノロジーの驚異的な発達で、その技術はエンターテインメントにとどまらず、さまざまな場面で活かされています。映画配給コーディネーターのウォリックあずみ氏が書いた同記事では、「VRで3年前に亡くなった娘と『再会』」として、2月6日に韓国で放送された「MBCスペシャル特集—VRヒューマンドキュメンタリー”あなたに会えた”」という番組を紹介しています。

 番組の内容は、2016年に3年前に血球貪食性リンパ組織球症(HLH)を発症し、7歳で亡くなってしまったカン・ナヨンちゃんとその家族、主に母親との再会の話です。ナヨンちゃんは発症後、ただの風邪だと思い病院を受診したところ、難病が発覚し入院しました。その後たった1カ月で帰らぬ人となりましたが、家族は3年以上たった今でもナヨンちゃんの事を思い続け悲しみに暮れていました。そこで、MBC放送局はVR業界韓国内最大手である「VINEスタジオ」社と手を組み、ナヨンちゃんと母親を仮想現実の中で再会させてあげたのです。

亡くなった娘とVRで再会した母親

亡くなった娘とVRで再会した母親再会後、さらに心を痛めないか?

再会後、さらに心を痛めないか?
 その動画をわたしも観ましたが、もう泣けて仕方がありませんでした。亡くなったわが子に会いたいという想いが痛いほど伝わってきました。わたしの2人の娘はともに元気ですが、彼女たちがじつは幼い頃に死んでいて、VRで再会したシチュエーションを想像すると、もうボロボロ涙が出てきました。

 わたしは、VRは、今後のグリーフケアにとって大きな力になるような気がします。もちろん、韓国の人々が危惧したように「再会後さらに心を痛めるのではないか」という問題もあります。しかし、その点に注意しながら、グリーフケアにおけるVRの可能性は探るべきでしょう。仮想現実の中で今は亡き愛する人に会う。それはもちろん現実ではありませんが、悲しみの淵にある心を慰めることはできるはずです。何よりも、自死の危険を回避するだけでもグリーフケアにおけるVRの活用は検討すべきではないかと思います。緊急処置としてのVRで急場を切り抜けて、その後にカウンセリングなどによって「愛する人を亡くした」現実の人生を生きる道を歩み出すことができればいいのではないでしょうか。くれぐれも、「たらいの水と一緒に赤子を流す」という愚を犯してはなりません。

 Tonyさんもメールに書かれていましたが、VRでの死者との再会は恐山のイタコを通した死者との対話である「口寄せ」を連想させます。イタコの姿や声そのものが変化しないことで、あくまで「死者そのものは生前と同じ状態でその場にいない」ことが理解できるように、死者と生者という、分かちがたい境界を意識させるものが、遺族のためにも存在しなければならないと思います。そうした倫理的な区分さえしっかりとしていれば、VR技術の進歩と連動して、これを適切な利用に導くグリーフケアの担い手となることでしょう。仮想現実の中で今は亡き愛する人に会う・・・・・・それはもちろん現実ではありませんが、悲しみの淵にある心を慰めることはできるはずです。何よりも、自死の危険を回避するだけでもグリーフケアにおけるVRの活用は検討すべきではないかと思います。いずれにしても、現在はやはり技術的な側面からの議論が先行している印象がありますので、死者の「魂」という宗教的な視点からの議論も必要でしょう。

 最後になりますが、Tonyさんの最新刊『南方熊楠と宮沢賢治』(平凡社新書)についての感想を申し上げます。わたしは、「日本的スピリチュアリティの系譜」というサブタイトルを持つこの本の刊行を心待ちにしていました。版元から献本されるとすぐ、出張先の神戸に向かう新幹線の車中で貪るように読みました。令和の時代に日本思想史の謎を解く稀有な名著が誕生したという印象です。

 この本の最後には、「昭和8年(1933年)の9月21日、一人のM・K宮沢賢治は強い思いを残しながら、満37歳の若さでこの世を去った。そして、もう一人のM・K南方熊楠は、その8年後、昭和16年(1941年)12月29日に満74歳でこの世を去っていった。二人のM・Kが遺したメッセージを、『如是我聞』、私はかく(本書)の如く聞いた」と書かれています。

 宮沢賢治も南方熊楠も、すでにこの世の人ではありません。著者は二人の死者のメッセージを聞いたのです。すなわち、本書は死者の霊魂と会話する「交霊の書」です。そして、二人の霊魂を慰める「慰霊の書」であり、鎮める「鎮魂の書」でもあります。

『南方熊楠と宮沢賢治』(平凡社新書)
 賢治も熊楠も、その思想の最重要部分の難解さで知られていました。特に、賢治の「透明な幽霊の複合体」と熊楠の「複心」には、多くの研究者が悩まされてきました。高校時代に小遣いを貯めて、筑摩書房の『校本 宮沢賢治全集』や平凡社の『南方熊楠全集』を買い込み、彼らの思想の到達点に迫ろうとしたわたしも、最後は「透明な幽霊の複合体」や「複心」の前に苦悶の表情を浮かべながら頭を掻きむしったことを記憶しています。その「透明な幽霊の複合体」や「複心」の謎も本書で見事に解き明かされました。

 なぜ、彼らがそのような謎めいたメッセージを残したかというと、別に後世の読者を困らせてやろうとしたわけではなく、時代の制約からそのような表現しかできなかったのでしょう。しかし、自らのメッセージの真意を正確に汲み取られないほど辛くて切ないことはありません。物言えぬ死者ならば、なおさらです。まさに「死んでも死にきれない」といったところです。それを大正も昭和も平成も通過して令和の時代になって、著者であるTonyさんがついに死者のメッセージをダブルで解読したのです。快挙です。さぞ、二人の霊も浮かばれたことでしょう。

 Tonyさんが成し遂げたのは、死者たちが遺した謎のメッセージの解読だけではありません。それはもっと高次元の道へと続く仕事です。それはアニミズムとトーテミズムと仏教を内包した2つのマンダラ的思想、南方マンダラと宮沢マンダラをアウフヘーベンしたことです。それはもはやTonyさんオリジナルの「鎌田マンダラ」とでも呼ぶべき新思想であり、「新しき科学」です。

 Tonyさんは、1992年に刊行された『「気」が癒す』(集英社編集部編、集英社)に「野の科学 ──宮沢賢治と南方熊楠」(『エッジの思想──イニシエーションなき時代を生きぬくために 翁童論 Ⅲ』新曜社、2000年に収録)という本書の基になる論考を書いています。そこで、「今、都市全体が、ひいては地球全体が『注文の多い料理店』になりつつある時代に『すきとほったほんたうのたべもの』をみのらせ食べることができなければ、都市は滅び、文明は自滅するしか道はないであろう。そのことをこの二人は愚者の笑いと叡智をもって発信しつづけているのである」と述べています。

 それから、およそ30年近い時がめぐり、機が熟して本書が誕生しました。Tonyさんが言うように、30年前に比べて「野」の事態はいよいよ深刻になっています。「世直し」が必要です。今後の日本における「世直し」には、間違いなく「グリーフケア」が最重要になってきます。不肖の「魂の弟」であるわたしは、これからもTonyさんの「楽しい世直し」の道をともに歩いていく覚悟です。
 では、記念すべき第180回目の満月までにはコロナ騒動が収束することを願いつつ、オルボワール!

2020年3月10日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 ほんとうにたいへんな事態ですね、新型コロナウィルスの感染の拡大。当分、収まらないのではないでしょうか? もちろん教育の世界もそうですが、特にShinさんの業種は冠婚葬祭という対人関係職種なので、人と人との接触や支援やサービスのありように直接響きますね。このことで世界中が大混乱しています。この前、『ヒューマンスケールを超えて——わたし・聖地・地球(ガイア)』(ぷねうま舎、2020年2月25日刊)と題する対談集を出しましたが、視点を変えれば、それはあくまでもヒューマンスケール、つまり人間界の大混乱です。株の暴落を含め、人間世界の秩序や制度を根幹から揺るがしつつある事態が起こってきているということです。これにどう向き合うのか?

 これを機に、さまざまな制度設計、産業構造、文明形態、交通・交流など、人間世界のありよう、ヒューマンスケールやヒューマンサイズを再吟味し再構築して行く必要があると思います。かつて文明史家のイマニュエル・ウォーラスティン(1930‐2019年)が「世界システム論」の議論の中で、資本主義は不平等を解消するどころか拡大していくので、近い将来にシステム転換を余儀なくされると予測していましたが、その通りと思います。人間社会はさまざまなレベルで「搾取」を拡大しつづけ、自然界のバランスシート(貸借対照表)を破壊し、負の遺産を膨らまし続けて来ましたから。

 拙著『南方熊楠と宮沢賢治——日本的スピリチュリティの系譜』(平凡社新書、2020年2月14日刊)でも取り上げた宮沢賢治は、大正10年(1921年)に「龍と詩人」と題する童話を創作しました。そこで、スールダッタという青年詩人が詩のコンクールで優勝するのですが、そのスールダッタの詩人としての在り方は次のように示されています。

風がうたひ
雲が應じ
波が鳴らすそのうたを
ただちにうたふスールダッタ
星がさうならうと思ひ
陸地がさういふ形をとらうと覺悟する
あしたの世界に叶ふべき
まことと美との模型をつくり
やがては世界をこれにかなはしむる豫言者、
設計者スールダッタ

 とても示唆的です。本当に必要としているのは、「星がさうならうと思ひ/陸地がさういふ形をとらうと覺悟する/あしたの世界に叶ふべき/まことと美との模型をつくり/やがては世界をこれにかなはしむる豫言者、/設計者」ですよね。そんな「預言者」や「設計者」を求め、目指し、生きようとするということがこれから大事になるのではないでしょうか? それにはとても難しいことだと思われるかもしれませんが、それぞれが「詩人」となって、「星」や「陸地」や「あしたの世界」の声や意思を聴き取ることができなければなりません。少なくともそのような「耳」を育てていくしかないのではないかと思います。それはどのようにしてできるのでしょうか?

 この1年余りで、わたしは3冊の詩集(『常世の時軸』『夢通分娩』『狂天慟地』)を出してきましたが、それはわたしにとっては、自分なりの一つの「時」と「星」と「陸地」と「世界」の「声」の聴き方であったと思っています。わたしは2006年以来、平均すると1週間に1度くらいは比叡山に登拝してきました。本年2020年1月末から3月中旬にかけては、4日に1度くらいの頻度で比叡山に登拝しています。今年の特徴は、例年に比べて積雪が非常に少なく、降ってもすぐに溶けてしまうことです。その比叡山登拝行の「東山修験道」も、もう600回を超えました。その中で、比叡山と向き合い、対話してきたように感じています。そこで学んだ最大のことは、自分の小ささです。わたしを含め、人間は、この自然界の中では「いと小さきもの」です。その小ささの自覚がなければならないと肝に銘じられます。

 人間はこの自然の世界の中心ではない。だから、自然への、宇宙への、存在への畏怖・畏敬を忘れてはならない。わたしたちは、自然の中の「いとちいさきいのち」であること。しかし、それであるがゆえに、かけがえがないこと。いといとおしきこと。この比叡山で1000年以上前に、「草木国土悉皆成仏」と命題化される天台本覚思想が生み出されてきた由来と意味を比叡山に登りながらいつも問いかけています。人間だけが成仏するのではない。草木国土、この存在世界が「悉皆成仏」しなければならないのだ。みなが成仏するのだ。いや、すでに成仏しているのだ。天台本覚思想は究極の存在讃美、いのちの讃嘆です。

 Shinさんとのムーンサルトレターが次回で丸15年180回となり、これは大快挙と思っていますが、わたしの比叡山登拝も13年半で600回を超えました。毎回、比叡山山頂近くのつつじヶ丘で、般若心経や各種真言を唱え、バク転3回して、琵琶湖や水井山や比良山を望み、大原の里を見晴らし、北山の峰々、西山の峰々を仰ぎ、いつも六方拝をします。つつじヶ丘から見るその清清しくも雄渾な美しさに大きな変化はありません。ここからの光景には、いつも「草木国土悉皆成仏」を実感させられます。人間が特別であるという特権意識を抜き取られます。

 昨日、わたしは比叡山に登拝しました。新型コロナウィルスの感染拡大で騒然としている状況の中ではありますが、比叡山は不動の姿で美しく、つつじヶ丘から見えるパノラマ的な美しい眺望にも大きな変化はありません。その清冽な光景を前にして、杜甫(712‐770年)の詩を思い浮かべました。

国破山河在  国破れて山河在り
城春草木深  城春にして 草木深し
感時花濺涙  時に感じて 花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心  別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
烽火連三月  峰火 三月に連なり
家書抵万金  家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短  白頭掻けば 更に短く
渾欲不勝簪  渾(す)べて簪(しん)に 勝(た)えざらんと欲す
(杜甫「春望」)

 この「春望」と題した五言律詩を何度も思い出しました、この時期。まさに身に染み入る詩です。2011年3月11日の東日本大震災の後にもこの詩をよく思い浮かべました。が、あの時は違う意味でもっと深刻でした。放射能汚染が広がりつつあった時期で、収束点も見えなかった(もちろん今でも見えていませんが)ので、「国破れて山河在り」どころか、「国破れて山河も破れ」という感じでした。それは仏教の存在哲学である「諸行無常・盛者必衰・栄枯盛衰」とも響き合いました。杜甫は安禄山の乱により捕まり、唐の都長安に閉じ込められ、田舎に住む家族を想ってその不遇な境遇を儚んでこの詩を書き、それが杜甫の代表作としてよく知られるようになりました。特に、冒頭の「国破れて山河在り」という一行は知らない人は少ないのではないでしょうか?

 ——安史の乱によって都の長安はこれまでの秩序も制度も大きく喪ってしまった。しかしそれでも周りの山河は以前と変わることはない。世界は確かに諸行無常ではあるが、人間世界だけは盛者必衰、栄枯盛衰の理を繰り返している。それでも自然は律儀に季節の巡りをはたし、長安城は春となり、春の草木も芽吹いてきた。けれども、この時代の状況の変化を見て、わたしはどうにも悲哀を感じざるをえない。美しい花を見ても泣けてくるのだ。遠く離れ離れになってしまった家族との別れも悔やまれて辛く、微笑ましいはずの春の鳥の鳴き声を聞いても心が傷み、やるせないのだ。戦乱の狼煙は三ヶ月もの長きにわたっており、この間、家族からの便りも途絶えがちで、たまに便りが届くと、それは万金にも値するくらい貴重なものと思ってしまう。わたしももう46歳になり、この度の心労ですっかり白髪になってしまった頭を掻くといっそうその髪も薄く少なく短くなり、冠を止める簪(かんざし)を挿すこともできないほどになってしまったよ……

 1月末のダイヤモンド・プリンセス号の新型コロナウィルスの感染をどう食い止めるかというところから、まもなく2ヶ月が経とうとして、春の気配が濃くなっているこの時期であれば、よけいにこの「春望」を想い起してしまいます。明日、3月11日は東日本大震災から丸9年となります。政府は主催してきた東日本大震災追悼式を中止にすることを決めました。官邸で閣僚たちが黙祷を捧げるというレベルではなく、何らかの形で「追悼式」という「儀式」を実施すべきだったと思います。安倍政権の政策が後手後手になっているという批判もその通りですが、これほど疾病を含め、自然災害を繰り返し経験してきた島国であるにもかかわらず、対策や対応が迅速に行われないというのは、また、情報も透明性を以て精確に伝えられないというのは、ガバナンスの仕組み自体に欠陥があるとしか思えません。やはり防災全般に対する体系的な研究対策機構が必要だということでしょう。それが防災省という形がよいのか、それとも内閣直轄の機構がよいのかと言えば、独立しつつも中央と地方と国際機関と緊密に連携できる研究と対策の専門機関がわたしは絶対に必要だと思ってきました。

 「平成」の元号になった1989年頃から「現代大中世‐スパイラル史観」を提起してきたので、この30年で、ある程度十分な準備期間があり、1995年の阪神淡路大震災やオウム真理事件もあり、2011年の東日本大震災と原子力発電所炉心溶融事故があって、その間、いくつかの大学などに防災研究所ができていたのに、それらを繋ぎ、総合し、統合する体系的機構ができなかったのは、縦割り行政を変えられない、変えたくない、族議員や官僚が支えてきた統治文化と制度の問題なのだと思っています。

 ところで、今回の事態で、このままイベント自粛が長引くと、人の集まりが仕事の基盤となっているさまざまな業種にたちまち被害が及び、持ちこたえる資源や資産や体力のないところは倒産という事態も生まれて来ます。もうすでにいくつかの旅館や飲食店などの廃業や閉店なども報道されています。イベント中止や延期が続くと、特に諸種のアート関係の領域で、フリーランス的なライフスタイルを貫いてきた人たちに大きなダメージが生まれます。もちろん、とりあえずお金がなくても文化的なアート的な活動がすべてできなくなるわけではありませんが、継続していくこと、生活しながら活動を続けていくことが困難になって来ることは否定できません。

 わたしの親しい友人の中にはアーティストやミュージシャンが何人もいます。今回、大阪のライブハウスがクラスター発生場として報道されましたが、それによりライブなどの活動ができなくなると、彼らの活動の場が失われ、ギャラももらえず、食うに困る事態が生まれて来ます。はたして政府はそれを補助金や支援金などで賄うことができるのでしょうか? 疑問です。一時的にはいくらか可能であるかもしれませんが、国家社会主義的な政策は結局は金を出すから口も出すという、さまざまな制約を設け、八百万的で多様な創造力や芸術活動を制限圧縮してしまう危険を持つと思うのです。そのような中、自由であり多様でありつつも寛容と調和と共助やバランスを生み出していく生態智的構造とシステムが必要だと痛感しています。25年前に起こった阪神淡路大震災の時、「ボランティア元年」と呼ばれるほど助け合いの実践が起こりました。四半世紀経って、確かに不当な格差や不平等や差別が深刻になって来ている面がありますが、同時に共助や支援の形と実践も多様に試みられるようになっています。最澄さんの『山家学生式』の「一隅を照らす」運動ではありませんが、小さなところに希望も光明もある、生まれている、これからも生まれてくると思います。

 昨年、わたしの住む京都市左京区一乗寺界隈では、5月連休明けになるまでウグイスが鳴かず、生態系の異変が起こったのかと大変心配しました。しかし、今年は2月下旬には早々とウグイスが鳴き、この春は毎日、何度も何度も美しい歌声を響かせてくれています。この点ではとても安心しているのですが、一方で新型コロナウィルスの感染拡大が止まらず、もっと深いところで生態系の崩落が充分に気づかないところで深刻に進行しているのではないかと心配しています。

 昨日、比叡山登拝から下りてきた時、一乗寺の里付近、特に鷺森神社や曼殊院の辺りで、ウグイスの鳴き声を何度も耳にしました。それに応えて、ウグイスの鳴き真似をして口笛で何度も返しました。わたしはいつもウグイスが鳴いたら口笛で返事するのです。そんなウグイス交流をこの13年半、毎春続けて来ました。昨日は途中で下り道の方向が道が分からなくなって困っていた、たぶん中国からの観光者の人に、この道を下りればいいのだと身振りを交えて日本語で伝えましたが、なぜかその振る舞いはどこかウグイスのようでもある思いました。

 日本最大の観光宗教歴史都市京都は、かつて1000年以上続く「平安京」という都でした。しかし、その「平安時代」が終わる12世紀に、源平の合戦などが起こり、鴨長明の『方丈記』(1212年著)に詳しくドキュメントされているように、戦乱のみならず、地震や疾病がたびたび起こり、都の市中に42300人もの屍体(「死首」)が転がっていたと書いてあります。それを仁和寺(真言宗)のお坊さんが大勢のヒジリの僧や修行者たちと一緒に、屍体(「死首」)の額に梵字を記して結縁供養して廻ったというのです。

「仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もあるべからず。いかにいはむや、諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝるためしはありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、かなしかりしことなり。」

 このような厳しい状況下に法然さんの「称名念仏」の信心と実践も生まれてきたのです。それは、「地獄」がリアリティを持った時代の切実なる処方箋だったと思います。そして現代も、法然や親鸞や道元や日蓮や一遍などのラディカルな新仏教僧が出てきた激動の中世のような状況だと思っています。未来を切り拓く宗教家よ、出でよ!

 さて、Shinさんが紹介してくれた「VRで故人と再会する」話ですが、大変興味深いですね。わたしは、この話をShinさんから聞いて、すぐに青森県のイタコを通した死者との対話、「口寄せ」を想起しました。この2年ほど、観世流の機関誌『観世』(檜書店)に、「神仏と能」と題する連載をしており、1週間ほど前に連載の10回目の原稿を書いたところですが、能もまた幽霊との対話し鎮魂供養する「VRで故人と再会する」一種のVR演劇だと思います。

 特に、世阿弥が大成した複式夢幻能においては、西行法師がモデルとなった「諸国一見の僧」が「諸国」を「廻国」し、その土地に絡む悲嘆を抱える不成仏霊と出遭い、その霊のグリーフ(悲嘆)とスピリチュアルペイン(霊的痛み)の声を聴き取って、心からの祈りを捧げて成仏を願い、鎮魂供養する中で、悲しみと痛みを持った幽霊は浄化され、一舞舞って橋掛かりを通ってあの世に還ってゆくというスピリチュアルケアの物語が展開されます。

 『平家物語』に材を採った有名な「敦盛」などは、源平の合戦で平敦盛を討った熊谷次郎直実(1141‐1207年)が出家得度して菩提を弔う僧侶となり、再び一の谷の一騎打ち現場を訪れるという設定から物語は始まります。その素材となった『平家物語』「敦盛の最期」の段は、熊谷直実と平敦盛との一騎打ちが哀愍を伴う悲劇的な語りで表現されていますが、能の「敦盛」は、その『平家物語』の「敦盛の最期」を踏まえて、敦盛の死後のエピソードと成仏可能性を「敦盛の最期の最期」として上書きしていきます。そして、「因果は巡り逢ひたり、敵(かたき)はこれぞと討たんとするに、仇(あだ)をば恩にて、法事の念仏して弔はるれば、終には共に生まるべき、同じ蓮(はちす)の蓮生法師、敵にはなかりけり、跡弔(あととむら)ひて賜(た)び給へ、賜び給へ」と救済の方向が示されて終わります。このようにして、能「敦盛」は、元武士の熊谷直実が出家僧としての務めを果たしたと後日談を物語ることで、戦乱の後始末としての鎮魂供養の成就を「天下の御祈祷」(世阿弥『風姿花伝』)として表現したのす。今まさに、そんな「天下の御祈祷」が必要な時期ですね。

 このような観点から見れば、神楽の始まりを物語る『古事記』や『日本書紀』の天岩戸神話やさまざまな霊界訪問神話も「人類史的VRワーク」と見ることも可能です。この神楽と能が持つVR効果は絶大なものがあったと思います。それが、現代のテクノロジーによって形を変えてより個々の現場で現前化してきたということだと理解しました。この方向は今後もさらなる展開を見せていくのではないでしょうか。

 それはともかく、先に書いたように、わたしは「平成」以降の現代が中世的な状況の拡大再生産期であることを「スパイラル史観」として『世直しの思想』(春秋社、2016年2月刊)などで主張してきました。しかしながら、正直に申せば、前回のレターにも書いたように、今、オオカミ少年のような心境なのです。何とも表現し難い複雑な思いです。これだという明確な解決策も特効薬もすぐには見出せませんから。でも、このような時こそ、「あさってを向いて生きる」という生き方をしようと、東日本大震災後に覚悟したのですから、明日できることはすぐにはわからなくても、「あさって」に向けて何ができるか、考え、想像(創造)し、用意していきたいと思っています。

 俯瞰して言えば、『ヒューマンスケールを超えて』でも論議したことですが、どこを切り取るかで見え方がかなり違うということす。まさに「ヒューマンスケールを超える」ことができるかという問題になります。

 「みなさん 天気は死にました」から始まる神話詩三部作の最後の第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売、2019年9月1日刊)を出した時、さまざまなレベルの「天気の死」を想定していました。自然災害・飢餓・疾病・戦争、それらの連鎖などです。これは「いのち」の元である「天気」の異変から来ているとわたしは考えていますが、今、医療やガバナンスの収束地点は見えません。混乱と混沌はもっと深まるのではと思っています。その中で、ヒューマンスケール、ヒューマンサイズを再定義し直すということになるのではないでしょうか?

 『狂天慟地』には、「みなさん 天気は死にました」と題する2つの詩を載せましたが、そのパート2の最後はつぎのようなものでした。

みなさん天気は死にました
ても 死んても終わりてはありません
死んて花実か咲くものか
と言いますか
死んて花実も咲きまする

みなさん天気は死にました
ても 死んたあとはよみかえるたけ
あとは野と成り山と成る
みなさん天気は生まれます
みなさん天気は阿礼まする
みなさん天気に生まれませ (『狂天慟地』132‐133頁)

 また、「狂天慟地」と題した詩には、

狂天慟地
何が起こるか分らない
たとえそうであっても
ゆるがずに往け
たおやかに遊べ (同上19‐20頁)

 と書きました。そうありたいとこころからおもいます。

 振り返ってみると、わたしたちは、1998年に「東京自由大学」という市民大学を、これからの災害多発の時代の中の友愛の共同体としてみんなで協力して立ち上げようとし、その少し前の1996年秋から「天河護摩壇野焼き講」という「講」を立ち上げる準備をしましたが、これからは民間の多様な(多々神楽・太太神楽)「講」のようなものが生まれてくるように思います。またそれが必要だと思います。移動制限などが起こり、さまざまな機能が停止しても、その先に、いやその底に、その中で、新しい多様な「講」を編成してつながることができれば、新しい「神楽」やアートや「遊び」や「うたげ」をすることは不可能ではないと思うのです。 2月21日、東京の青山ブックセンターで『ヒューマンスケールを超えて』のトークイベントを対談者のハナムラチカヒロさんとしました。会場が満杯で、関係者を含め、50名ほどの方々がいたと思います。その時、わたしは突然、いきなり立ち上がって、「この光を導くものは」という歌を歌い始めました。この光を導くものは この光と共に在る
いつの日か 輝き渡る いつかいつかいつの日か

あなたに会ってわたしは知った このいのちは旅人と
遠い星から伝え来た 歌を歌をこの歌を

導くものはいないこの今 助けるものもいないこの時
いのちの聲に耳を傾け 生きて生きて生きてゆけ

 この歌は、2000年か2001年頃に、JR渋谷駅の山手線の階段を上っている間にふと宙から降ってくるようにして生まれてきた歌で、わたしは毎晩、お風呂を真暗にして湯船の中で歌っています。この「この光を導くものは」と東日本大震災の復興を祈念して作った「北上」という2曲を。なぜかふと、この「この光を導くものは」を歌いたくなったのです。特に、三番目の「導くものはいないこの今 助けるものもいないこの時/いのちの聲に耳を傾け 生きて生きて生きてゆけ」というフレーズを自分にも言い聞かせるように歌いました。真暗なお風呂の中で歌っているように。

 また、2月26日には、地元の京都市左京区一乗寺の恵文社というとても個性的な本屋さんで、『ヒューマンスケールを超えて』の京都版トークイベントを行ないました。政府発表があってコロナウィルスの感染拡大防止のために大規模イベント中止の要請が出た数時間後で、前日まで開催するか中止をするか関係者で議論しましたが、小規模ということと細心の注意を払うということとこの時期でなければ言えないことがあるのではということなどがあり開催し、30名近くの熱心な方々が参会してくれました。イベント終了後、本当は徒歩3分ほどの「高野のラーメン街道」で一緒にラーメンなどを食べながら懇親したかったのですが、文化イベントや食事会も中止を要請されているさ中ですので、多勢の近距離濃厚接触は避けることにして緑の自転車で帰宅しました。

 その時のトークの最後の方で、このところ読み返していた、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』とユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21レッスンズ』などの著作や日蓮さんの話をしました。最近、宗教や思想の持つ生態学的意味というものを考えているからです。念仏信仰も、『法華経』に基づく「草木国土悉皆成仏」という比叡山で発達した天台本覚思想も、両方ともに重要であると思っていますが、同時に、今のこの時代を生きる者にとっては念仏でも草木国土悉皆成仏でも救済不可能であるという日蓮さんの思想的葛藤と法華経信仰に基づく題目の創出も、とても切実に響いてきます。

 時間認識、つまり、今を生きる歴史をどう捉えるかという問題になり、そこから日蓮さんの法華主義と「題目」という新型処方箋が出て来ましたが、それも「南無阿弥陀仏」と唱える法然さんの「称名念仏」が先行していなければ出てこない方策でした。とすれば、思想が錬磨されていく思想生態学的環境があり、そのダイナミズムこそ、生き延びるために必要なうごめき、生命力なのかと考えています。そんな時代認識と宗教的処方を、『予言と預言——出口王仁三郎と田中智学』として、宗教生態学的な観点で次なる本にまとめたいと考えています。

 今の新型コロナウィルスの感染拡大による世界的混乱が収まらない状況は、ちょうど110年前の明治43年(1910年)5月19日にハレー彗星が到来してガスが充満し人類が滅亡するのではないかという不安と流言でパニックになったことを想い起させます。Shinさんが詳しくブログ書評をしてくれ、また今回のレターでも改めて取り上げてくれた『南方熊楠と宮沢賢治—日本的スピリチュリティの系譜』の第三章「1910年の熊楠と賢治——ハレー彗星インパクトと変態心理学」の中でかなり詳しく考察しましたが、南方熊楠と宮沢賢治が1910年以降の激動の時代の中で、彼らの宗教観と科学観に基づく生態智的探究を実現しようとしていたことは、今もなお多大なヒントと指針をもたらしてくれると思っています。ハナムラチカヒロさんとの対談集『ヒューマンスケールを超えて——わたし・聖地・地球(ガイア)』も、熊楠と賢治の活動にも言及しつつ、同様の危機からの脱却についてさまざまな角度から議論していますので、現今の状況の認識に参照できる論点があると思っています。

 わたしは、「松のことは松に習へ。竹のことは竹に習へ」(『三(さん)冊子(ぞうし)』)と言った松尾芭蕉をとても尊敬していますが、その松尾芭蕉が特別に師として仰いだ一人が西行でした。その西行(1118‐1190年)こそ、平安時代の終りの「地獄」がもっともリアルになった12世紀を生き抜いた詩人(歌人)でした。その西行が3月の満月の頃に「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」と歌い、その歌通りの時期に亡くなったことはよく知られたエピソードです。西行とわが先祖の鎌田正清(1123‐1160年)はまた従兄弟くらいの遠縁だったようで、わたしはそのことがあって、拙著『歌と宗教——歌うこと、そして祈ること。』(ポプラ新書、2014年)の中で、次のような佐藤西行と鎌田東行との歌合せ(歌合戦)を試みました。

西行:よしの山 こぞのしをりの道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねん
東行:花祭り 鬼さえ鬼と知らずとて まだ見ぬ君の 天の乳房か

西行:年たけて またこゆべしと思ひきや 命なりけり 小夜の中山
東行:いのちはてて 超えてゆくらむ奥山を 照らせ今宵の 不死の新月

西行:心なき 身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮
東行:身も心も 尽き果ててなお 秋の気配ぞ 立ち惑いける

西行:仏には桜の花を奉れ 我後の世を人弔はば
東行:仏には仏の道の巡り花 神には神の魂寄りの歌

西行:願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月の頃
東行:願うても願うてもうち砕かれて 木端微塵の流星の人よ

西行:身を捨つる 人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
東行:捨つるべき 何ごとのあるや花時雨 道なき道に 拾う神あり

 そして、それを第一詩集『常世の時軸』思潮社、2018年7月17日刊)にも収めました。西行は、『後鳥羽院御口伝』の中で、後鳥羽上皇によって、面白くて心深い「生得の歌人」にして「不可説の上手」であると最大級の誉め言葉をもって称えられています。

 「俊頼の後には、釈阿・西行なり。姿(すがた)殊(こと)にあらぬ躰なり。釈阿は、やさしく艶に、心も深く、あはれなるところもありき。殊に愚意に庶幾する姿なり。西行は、おもしろくて、しかも心も殊に深く、ありがたくいでがたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得(しょうとく)の歌人とおぼゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」

 後鳥羽上皇がこれほどの言葉で称えたのは西行ただ一人です。——西行は面白い。しかもとりわけ心が深い。比べることができないほどの天性の歌の名手だ。だから、凡人などが毛頭真似すべき人ではない。言葉では説明できないほどの名人なのだから。

 そんな当代随一の西行さんにこの東行は無謀にも挑んだのです。今後とも、そんな自由で阿呆な遊び心を忘れたくないものです。松尾芭蕉は西行を師と仰ぎましたが、同時に漢詩人の詩聖・杜甫も大いに尊敬し模範にしています。その杜甫の「絶句」もよく知られている五言絶句ですが、この時期いっそう身に染みます。

江碧鳥逾白  江(こう)碧(みどり)にして鳥逾(いよいよ)白く
山青花欲然  山青くして花燃えんと欲す
今春看又過  今春看(みすみす)又過ぐ
何日是帰年  何れの日にか是れ帰年ならん
               (杜甫「絶句」)

 —— 四川省の都の成都の錦江を流れる水は何とも言えぬ深い緑に澄みわたっており、水上で遊ぶ鳥はいっそう際立って白い。山の木々は青々と芽吹き、対照的に、花は燃えるように鮮やかに赤い。だがそんな美しくも鮮やかな今年の春もみるまに過ぎてゆくのだ。いったい何時になったらわたし(たち)は故郷に帰ることができるのだろうか。

 2020年3月10日 鎌田東二拝