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シンとトニーのムーンサルトレター 第053信

第53信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、新年あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。お正月は、いかがお過ごしになられましたか。わたしは、例年通り、九州最北端にある門司・青浜の皇産霊神社に会社の幹部一同と元日参拝しました。雪の影響で、あいにく初日の出も今年最初の満月も見ることはできませんでしたが、元日に神社を参拝するというのは、じつに気持ちが良いものです。

 Tonyさんは昨年も大活躍でしたね。じつに興味深い著書も続々と上梓されました。超常的方法で口述筆記された『超訳 古事記』(ミシマ社)は大変好評で、版を重ねておられますね。また、『神と仏の出逢う国』(角川選書)が新聞各紙の書評でたくさん取り上げられていましたね。本当にすばらしいことです!

 わたしも新春早々に新しい本を出しました。現代書林より刊行の「日本人の癒し」シリーズ第4弾『香をたのしむ』です。約4000年前の古代インドで生まれた香を精神文化の域にまで高めたのは日本でした。仏教とともに日本に伝来した香は、多くの日本人の祈りの場で使われ、死者との交流を助けてきました。また、信長、秀吉、家康といった天下人をめざす者たちの最高の宝ともなりました。

 人の心を安らかにし、それを嗅ぐだけで、あたかも龍の背中に乗って翔ぶがごとくに、空間も時間も超えてどこにでも連れていってくれる香り。この世とあの世との間に通路を開いてくれる香り。まさに香りとは、魔法の絨毯にして、あの世からの贈り物ではないでしょうか。そんな香りへの想いを書いてみました。お香や香水に関するさまざまな情報も満載です。さらには、わが国の薫香製造最大手である日本香堂の小仲正克社長、香販売の老舗である香十の稲坂良弘社長との対談も収録され、盛り沢山の内容となっています。Tonyさんも、よければお読みいただき、ご批判下されば幸いです。

 それから、経営者としての今年の抱負ですが、これまで通り、いやこれまで以上に日本人の「こころ」を追求し、日本人の「こころ」のお世話をするという「こころの仕事」に努めたいと思っています。昨年、サンレーグループの施設で施行された結婚式、葬儀の感動実話が、それぞれ『むすびびと』『最期のセレモニー』として出版されました。『むすびびと』には、「こころの仕事」というサブタイトルが使われています。いかにも直球ど真ん中の言葉ですが、冠婚葬祭業とはまさに「こころの仕事」だと思います。

 また、わたしはTonyさんとのご縁で、「京都大学こころの未来研究センター」の共同研究員を務めさせていただいています。そのため、いつも「こころ」については考え続けているつもりです。「こころ」といえば、夏目漱石の小説『こころ』を思い浮かべる人も多いでしょう。日本の近代文学を代表する名作として、いまだに人気の高い作品です。そして、気がつくことは、日本人は「こころ」という言葉そのものが好きであるということです。「こころ」という言葉を聞くと、なんとなくホッとする。

 Tonyさんには「釈迦に説法」で恐縮ですが、日本人の「こころ」好きの源流をたどると、平安時代の仏教にさかのぼるとか。山折哲雄先生によれば、日本の仏教は、最澄や空海以来、「心」を探求する道として発展したそうです。最澄の「道心」、空海の「十住心」がまさにそうでした。その伝統が鎌倉時代の道元にいたって「心身脱落」というところまでいきます。最澄から道元まで、心を重視する態度は一貫しています。ここに、日本人の「こころ」好きの源流が見られるのですね。

 日本人の「こころ」好きを考える上で、興味深いのが江戸中期に起こった「心学」の存在です。石田梅岩の心学の特徴は、神道、仏教、儒教の三宗教の融合が見られることです。もちろん、神道も仏教も儒教も、宗教です。宗教には、ふつう教義があります。しかし、心学では「最初に教義ありき」ではなく、「最初に心ありき」でした。

 それゆえに、神道でも仏教でも儒教でもその他のものでも、心を磨く材料になる立派な教えさえあれば、それを使って磨けばいいという立場なのです。心学では、人間に「こころ」があるということが第一です。この人間の「こころ」を磨くにはどうしたらいいかを考える思想が心学なのです。

 日本では、心学の他にも、神道・仏教・儒教の三宗教が融合した文化があります。たとえば、かつて新渡戸稲造が著書『武士道』で明らかにしたように、武士道がそうです。また、冠婚葬祭がそうです。日本の葬儀は完全な仏教の儀式ではありません。そこには儒教の要素が多く入っていますし、清めの塩などの習俗は完全に神道から来ています。つまり、神道、仏教、儒教が混ざり合っているのです。

 その宗教融合を最初に成し遂げた人物こそ、かの聖徳太子だと思います。「憲法十七条」や「冠位十二階」に見られるごとく、太子が行なった宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、今日にいたるまで「冠婚葬祭」という日本人の生活習慣に生きています。日本人の「こころ」の中には、神道も仏教も儒教も息づいています。日本古代史における最重要人物でもある聖徳太子は、日本人の「こころ」そのものをデザインしたのでした。わたしたち冠婚葬祭業者は、太子がデザインした日本人の「こころ」をお世話するという非常に尊い仕事をさせていただいています。

 そんなわけで、さらに日本人の「こころ」を深く知るべく、日本人論を中心に今年の読書をスタートさせました。最初に、内田樹氏の『日本辺境論』(新潮新書)を読んだのですが、なかなか面白かったです。内田氏は、「日本人とは何ものか」という大きな問いに、「日本人とは辺境人である」と正面から答えます。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人であるというのです。そして、辺境人には国民としての「初期設定」がありません。2009年1月20日、バラク・オバマはワシントンで歴史に残る感動的な就任演説をしました。内田氏はこのオバマ演説について、次のように述べます。

「どこが感動的かというと、清教徒たちも、アフリカから来た奴隷たちも、西部開拓者たちも、アジアからの移民たちも、それぞれが流した汗や涙や血はいずれも今ここにいる『私たちのため』のものだというところです。人種や宗教や文化の差を超えて、『アメリカ人』たちは先行世代からの「贈り物」を受け取り、それを後代に伝える『責務』をも同時に継承する。アメリカ人がアメリカ人であるのはかつてアメリカ人がそうであったようにふるまう限りにおいてである。これがアメリカ人が採用している『国民の物語』です。」

 内田氏によれば、アメリカ人の国民性格はその建国のときに「初期設定」されているというのです。だから、もしアメリカがおかしくなったら、それはその初期設定からの逸脱である。アメリカがうまく機能しなくなったとしたら、誤作動したコンピュータと同じで、初期設定に戻せばいいわけです。ここが正念場というときには「私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という起源の問いに立ち戻ればいいというのです。

 これは、国家のみならず企業においても通用することだと思います。そもそも企業というものは創業者の使命感や志を反映したものであり、会社がおかしくなったら創業時の理念を思い起こす必要があります。わが社が「天下布礼」とともに「創業守礼」の旗を掲げているのも、そのためです。企業にも国家にも初期設定というものがあるのです。

 しかし、日本という国には初期設定があるでしょうか。内田氏は、「私たちは国家的危機に際会したときに、『私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか』という問いに立ち帰りません。私たちの国は理念に基づいて作られたものではないからです。私たちには立ち帰るべき初期設定がないのです」と述べています。

 日本人の初期設定について考えたときに司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた「明治という国家」が思い出されます。NHKの大河ドラマスペシャルにもなりました。しかし、「健全な」ナショナリズム賛歌として見られがちな『坂の上の雲』という物語、あるいは日露戦争までの明治という時代は、それを高く評価する人とともに、逆に批判する人も多く、けっして日本人の初期設定にはなりえないと思います。

 いっそ『古事記』の世界を初期設定にすべしという考え方もあるかもしれませんが、わたしは、やはり聖徳太子の時代こそ、日本人の初期設定になりうる可能性を持っているような気がします。そもそも、太子が「世界の中心」である隋の皇帝に対して「日出づる処の天子、書を、日没する処の天子に致す」という親書を送ったことこそ、日本が辺境であることを逆説的に告げたわけですし、日本が太陽の生まれる国、つまり「日の本」であることの宣言でもありました。そして、何よりも太子は神仏儒を平和的に共存させた日本人の「こころ」のデザイナーでした。その平和的精神の最大の表現でもある「憲法十七条」が発布された604年を「日本人が誕生した年」にすればよいのではないかと思います。

 辺境人としての日本人の国民性格とは、何よりも「何でもあり」であり「いいとこどり」です。そして、内田氏も指摘するように、辺境人の「学び」は効率がいい。日露戦争から太平洋戦争までは、「日本こそ中華」と錯覚し、辺境人としての立場を忘れた特異な時期だったのかもしれません。日本人は今後も辺境人を自覚して、その道を堂々と貫くべきです。そして、ジャンルを問わず海外の良いものは何でも貪欲に吸収していけばいいと思います。

 最後に、今年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」です。いま、第1回目の放送を見終わったところです。龍馬役の福山雅治や姉の乙女役の寺島しのぶの演技もなかなかでしたが、圧倒的な存在感を示したのが岩崎弥太郎を演じた香川照之でした。大河スペシャル「坂の上の雲」での正岡子規役に続いての大役です。病苦という理不尽に子規が流した涙、上士と下士という身分差別の理不尽に弥太郎が流した涙、どちらの涙にも胸を打たれました。それにしても、香川照之は日本を代表する凄みのある役者になりましたね。わたしは、彼にいつか宮沢賢治を演じてほしいです。そして、「永訣の朝」の涙を見てみたい。

 わたしは、かつて『龍馬とカエサル〜ハートフル・リーダーシップの研究』(三五館)という本を書きましたが、西洋社会において最高のリーダー像がカエサルであるように、志半ばで倒れたにせよ、日本における理想のリーダーは龍馬ではないかと思います。龍馬には、まず真摯さがあり、信頼があり、責任があり、コミュニケーション力があり、多くの後輩や部下を育てたコーチング力がありました。

 ドラッカーは、近代国家としての日本を創った人物として福沢諭吉、渋沢栄一、岩崎弥太郎の三人をあげ、それぞれ「実務家」「倫理家」「起業家」と称しています。ドラッカーはまた、日本の明治維新に大きな関心を抱き、世界史上で最も成功した「社会的イノベーション」であると高く評価しています。この社会的イノベーションがあったからこそ、「実務家」「倫理家」「起業家」の三人は新しい日本をデザインすることができたわけですが、それを呼び込んだ張本人こそ龍馬でした。ぜひ、わたしも龍馬のように未来を見つめて、自分なりの「船中八策」を実現したいものです。

 そんなわけで、Tonyさん、今年もよろしくお願いいたします。では、次の満月まで、オルボワール!

2010年1月3日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、正月早々、書初めムーンサルト・レターをお送りいただき、まことにありがとうございます。先回は、わたしの返信が遅れに遅れ、ご心配とご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。ごめんなさい。

 Shinさんが次々の新著を出されていることを心強くも、大変感心することしきりです。お世辞ではなく、すごい、ですよ。社長業と著述業をこれほど見事に両立できるのは。両方とも半端にしているわけではなく、精魂込めてやっていて、しかも特色と独創性を打ち出している。なかなかできることではありません。前にも言いましたが、おそらく、日本の社長さんの中で、これほどたくさんの本を書いた人はShinさん以外にいないのではないでしょうか? いたら、その人を教えてください。その人の著作を読んでみたいと思います。また、Shinさんのものと読み比べてみたいと思います。

 Shinさんは、新著『香をたのしむ』(現代書林)の中で、「心で見る」とは「感じる」ことだと述べ、その根源に嗅覚と香を位置づけ、そして日本に最初に香の道を打ち立てたのが聖徳太子だと論じていますね。推古天皇3年の595年に香木が淡路島に流れ着き、朝廷に献上された時、聖徳太子はその木を「沈香木」であると知り、その一部で仏像を作ったと書いていますね(36、51頁)。わたしも「香禅道」を唱えた福澤妙喜さんとは30年来の古い知己なので、香のことは福澤さんからいろいろと聞いておりました。今回のShinさんの著作でその香と感覚と仏教との関係がよくわかりました。

 ところで、Shinさんは書初めレターの中で、内田樹さんの『日本辺境論』を取り上げていますが、Shinさんも内田さんも実はわたしが進めている研究プロジェクトの「こころとモノをつなぐワザの研究」(通称:ワザ学研究会)のメンバーになってくれています。内田さんには、しかし、何度か、研究発表をお願いしたのですが、その日がいつも先約があってこれまで実現しておりません。Shinさんの研究発表もまだなので、そのうち、よろしくお願いしますよ。現代の冠婚葬祭業におけるワザの問題について鋭く切り込んでほしいと思います。

 今、冠婚葬祭業も出版業も大変ですね。冠婚葬祭業は、従来の神前結婚式は激減し、人前結婚式が増えていますね。チャペルでの結婚式はまずまず多いでしょうが、しかし無宗教結婚式は増え続けているように思います。葬儀も、従来の仏教式葬儀は減少し、自然葬が増え、また無宗教の葬儀も増えてきています。現代日本人の死生観も、お墓についての意識も、先祖観も変わりつつある中で、どのような冠婚葬祭が今後行われていくのか、他人事ではなく、切実な関心を持っています。

 出版業界も、インターネットなど電子メディアに押されに押され、本の売れ行きは毎年減少しています。それを出版点数でカバーしようと自転車操業的な回転数を増やして何とかもたせていますが、このやり方も蟻地獄のような悪循環に入っています。

 じっくりと丁寧な本作りをして、自信を持って世に問えるいい本をじっくりと丁寧に売っていくというようなやり方がユートピアのような状況になっています。でも、そんな時だからこそ、そんな反時代的な本作りが必要だとも思います。

 昨年11月にミシマ社から出した『超訳 古事記』は、ある意味では時代錯誤的にというか、未来先取り的にというか、過去のまっとうな商法にのっとってというか、丁寧な気合を入れた本作りと本の販売をしてくれています。ミシマ社は、内田樹さんの『街場の中国論』とか『街場の教育論』とかも出していて、それは7刷にもなっています。日販とか東販とかの大手取次ぎを通さずに、地道に本を置いてくれる店を開拓しながらいろいろな話題作を出しているのだから、ミシマ社もすごい、です。社員・スタッフ一同、一丸となって取り組んでいます。そんな企業はこれからも、いい仕事をしていくでしょうね。

 そのミシマ社が、来る1月11日(日)に、<ブックラボ書楽 北与野店3階ギャラリー>で、『超訳 古事記』の朗読ライブを企画してくれました。(『超訳 古事記』については、次の共同通信ウェッブ書評もご参照ください)http://www.47news.jp/topics/entertainment/2009/12/post_2759.php

 「古事記ルネサンス」の運動を展開する本屋との提携企画を作ってくれたのです。その記事をミシマ社のホームページから以下に借用します。


【ミシマ社HPより】 http://blog.mishimasha.com/?day=20091204

古事記ルネサンス2
古事記ルネサンス・プロジェクト、西だけではありません。
新春早々、フリーランス神主でもある鎌田先生みずからが、古事記ルネサンスに向け動きだします!

2010年1月11日(月祝)
さいたま市のブックデポ書楽さんにて、『超訳古事記』刊行記念イベントを実施します。

『超訳古事記』鎌田東二朗読・神道ソングライブ&サイン会
 日時:  2010年1月11日(月祝)
      15:00〜16:30(開場14:30)
 場所:  ブックデポ書楽北与野店 3階ギャラリー
      埼玉県さいたま市中央区上落合2-3-5 アルーサB館 (詳しくはこちら
 行き方: JR埼京線 北与野駅北口ロータリー前すぐ。(国道17号線沿い)
      *さいたま新都心駅からも徒歩5分。*駐車場200台完備。

 参加費:無料(要予約)
 定員:80名(申込先着順)
 申込方法:店頭で申込書記入か、電話による申込。(ブックデポ書楽まで。TEL:0120-4946-19)
すごいことになると思います。
「神道ソングライター」でもある著者のミニライブもあるとかないとか!
リアル古事記の世界が体験できる、興奮の90分。
奮ってご参加くださいませ!
皆様にお会いできるのを、楽しみにしております!
2009.12.04 Friday by mishima


 ありがたいことです。わたしは小学5年の10歳の時に『古事記』を読んで救われましたが、60歳近くなってもう一度『古事記』に生命力を賦活され、タマフリされています。本年、2010年は平城京遷都1300年で、さまざまな記念行事が行われる予定です。そして、『古事記』編纂は、平城京遷都の和銅3年(710年)の2年後の和銅5年(712年)ですから、平成24年(2012年)が『古事記』編纂1300年になります。そこで、わたしは平城京遷都1300年に絡め、「古事記ルネサンス」運動を展開し始めています。その「古事記ルネサンス」運動の実践の第一段階が1月11日、1・11、なのです。

 今時、このような企画を全社挙げて意気に感じて面白がってやってくれるところはミシマ社くらいかもしれません。そんなことが可能になったのも、ミシマ社の代表者の三島邦弘さんとの不思議な縁のためです。実は、彼が京都大学文学部社会学科を卒業生して入社したPHP研究所で最初に任された仕事が、わたしの本『神道とは何か——自然の霊性を感じて生きる』(PHP新書)を編集することでした。わたしは、三島さんを前にして、今回の『超訳 古事記』と同様に、ひたすら語りに語り、それをテープ起こししてその本ができたのでした。そして、それはわたしの書いたものの中では比較的「わかりやすい」という評価を受けました。

 それはそうでしょう。三島さんという、またとない初々しい聞き手を得て、その聞き手を前に好きなように気楽に語ることができたのですから。そんなホップの段階があって、今回のステップの段階があったのです。とすれば、次は、ジャンプの段階?

 とまれ、そんな「古事記ルネサンス」を始めようとしているわたしからすれば、内田さんの言われる、「私たちは国家的危機に際会したときに、『私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか』という問いに立ち帰りません。私たちの国は理念に基づいて作られたものではないからです。私たちには立ち帰るべき初期設定がないのです」という見解とは少し違った見方が生まれます。わたしの中では、「立ち帰るべき初期設定」はまずは『古事記』です。

 ですが、わたしは『古事記伝』を著した本居宣長のような古事記第一主義者(古事記原理主義者・古事記絶対主義者)ではありません。『古事記』のすべてを偽書とは言いませんが、『古事記』は特殊な書かれ方や意図を持った書物だと考えています。そして、ある部分は間違いなく平安時代初期の記述の挿入(上書き)であると思います。

 そんな『古事記』が果たして「立ち帰るべき初期設定」になるのか、という問いもあるでしょう。当然です。ですが、わたしは『古事記』と『日本書紀』と『風土記』と『万葉集』は日本人にとっての「立ち帰るべき初期設定」だと考えています。少なくとも「日本」という「国」や「文化」の連続性は、それをどう考えるかは別にして、そこを一つの中継ダムとして担保されてきたからです。『坂の上の雲』の主人公の正岡子規はどうして明治31年(1898年)に「歌よみに与ふる書」を発表して、源実朝を激賞し、「(紀)貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と『古今和歌集』を否定して『万葉集』を評価したのでしょうか?

 正岡子規はこう言っています。「(賀茂)真淵は力を極めて実朝をほめた人なれども真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて他の半面を知らざりし故に可有之候。/真淵は歌に就きては近世の達見家にて万葉崇拝のところなど当時に在りて実にえらいものに有之候へども生らの眼より見ればなほ万葉をも褒め足らぬ心地致候」と。子規は、翌明治32年(1899年)に根岸短歌会を作り、万葉ぶりを称揚し、それが「アララギ」派の前身となりました。

 わたしは正岡子規とは違い、最近『古今和歌集』や『新古今和歌集』を評価し始めているので見解は相違しますが、しかし、子規が「立ち帰るべき初期設定」として『万葉集』に目を向けたことは痛いほどよくわかります。そこに、日本の詩や歌の素の姿が可能性の海として拡がっているのが見えたのでしょう、きっと。『古事記』や『日本書紀』や『風土記』にも、同様の事態と消息があるとわたしは思うのです。

 かくして、総じて言えば、やはり奈良時代の初期古典、すなわち『古事記』『日本書紀』『風土記』『万葉集』が「立ち帰るべき初期設定」だとわたしはまずは考えます。もちろん、それらの書を絶対視するものではありません。『古事記』以前の伝承世界のこともよくよく考えなければならないでしょうし、日本最古のテキストとされる『古事記』が本居宣長が評価するほど「和」のものではなく、また『日本書紀』も本居がけなすほど「唐(漢)」ものでもありません。むしろ、わたしは漢文調で書かれたと言われる『日本書紀』の方に、構造的な「和」の思考と感覚が潜在しているとこの10年あまり主張しています。そしてその思いはますます強まっております。

 というわけで、「初期設定」を聖徳太子に求めるShinさんの見解に反対ではありませんが、しかし、その典拠となるテキストが定かではない今、わたしは上記四書と大宝律令や養老律令がとにもかくにも日本の初期設定であると言いたいのです。そこから、どのような思考と吟味や批判と可能性を汲み出すことができるのかが問われていると考えます。

 ここでわたしは、中国を「史の国」だとすれば、日本を「詩の国」だと位置づけたいと思います。別の言い方をすれば、それは歴史よりも神話が優先するということです。そしてその神話とはいにしえの詩であります。イザナギ・イザナミのミコトは、「みとのまぐはひ」をして国生みする際に、互いに詩を投げ掛け合います。「あなにやしえをとこを」「あなにやしえをとめを」と。これが歌であり、詩でなくてなんでしょうか? そして、スサノヲのミコトは「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」と短歌を歌ったのでした。そう、伝承されるのでした。そして、『万葉集』は次の雄略天皇の第1番歌に始まり、大伴家持の第4516番歌で閉じられるのでした。

<籠よ み籠持ち掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われにこそは 告らめ 家をも名をも>(万葉集巻一・一)

<新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事>(万葉集巻二十・四五一六)

 日本は確かに辺境の国ですが、辺境の国であるが故の溜めを持っています。その溜めは詩・歌・神話として保持され、それがいわゆる「冠婚葬祭」の元となったと考えます。

 Shinさんは佐久間庸軒を名乗る歌人でもあり、歌カレンダーを作ってもいるので、わたしの詩・歌・神話と冠婚葬祭の四位一体のことはよくよくお分かりのことでしょう。それゆえに、わたしにとって「古事記ルネサンス」とは「詩のルネッサンス」ということになります。お金が無くなるよりも、詩心が無くなる時の方が危機は深いと思います。そして、まさに今がその時です。

 そこでわたしは無謀にも、「古事記ルネサンス」の声を上げることにしたのです。それは『古事記』の再評価を求める運動ではなく、詩を通して生きる意味と力を自ら深く「感じとる」「自由」運動なのです。「自由」、すなわち「自らに由ってあること」、そこに詩も神話もおのずと生まれる。そのことを自由自在に展開したいのです。遊びましょう! 遊びをせんとや生まれてきたこの世で、共に!

2010年1月3日 鎌田東二拝