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シンとトニーのムーンサルトレター第197信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、お元気ですか? 東京五輪閉幕後、日本は感染大爆発しています。20日、政府は新型コロナウイルス対策として東京など6都府県に発令中の緊急事態宣言の対象地域に、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の7府県を追加しました。宮城、岡山など10県には、「まん延防止等重点措置」を適用。いずれも期間は9月12日までですが、どうなることかわかりません。人流の抑制を中心に対策を強化するとのことですが、正直、「またか」という思いです。政府はお盆の帰省を控えるように強く訴えていましたが、それならば東京五輪の強行開催も控えてほしかった。わたしは、オリンピックなどよりも、お盆で先祖供養し、祖父母と孫が顔を合わせることの方がずっと大切だと考えています。

それにしても、今年も九州をはじめとした大雨が各地に甚大な被害をもたらしました。犠牲となられた方々の御冥福を心よりお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。13日の金曜日、わたしの住む北九州市を含む九州北部では過去に前例がないほどの大雨が降りました。各地の方々からは「九州、大丈夫ですか?」とのメールやLINEを頂戴しました。九州だけでなく、全国に長雨による洪水や土砂崩れなどの警戒報道が出ており、引き続き警戒が必要です。特に、わが社の施設は災害避難所に指定されており、一刻も気が抜けません。

 

水害といえば、この夏は、ある日本映画のブルーレイ4Kデジタルリマスター版を何度も繰り返し観ています。1979年に公開された篠田正浩監督作品「夜叉ヶ池」です。泉鏡花が夜叉ヶ池の竜神伝説を元に書いた戯曲の映画化で、歌舞伎役者の坂東玉三郎が初めて出演した映画でもあります。権利の問題から今までビデオ化もされず、テレビ放映もほとんど叶わなかった幻の作品です。このたびアメリカの会社が版権を取得したことによって、じつに42年ぶりにブルーレイ化され、WOWOWで放映もされました。この映画のラストには、大洪水で村が消滅するシーンが登場します。龍神との約束を守らずに鐘を撞かなかったために大洪水が起こるのです。『旧約聖書』の「ノアの大洪水」をも連想させるスペクタクル・シーンでしたが、地球環境破壊に対する自然界からの警告のようにも思えます。


『狂天慟地』(土曜美術出版社)

 

Tonyさんは、30年も前から現在のような異常気象を心配されていました。Tonyさんの第三詩集である『狂天慟地』(土曜美術出版社)には「みなさん、天気は死にました」と書かれていますが、まさにその通りの状況になっています。わたしと同じく42年前に映画「夜叉ヶ池」を鑑賞されたというTonyさんは、わたし宛のメールに「まだまだこれよりも深刻な状況が生まれます。企業としても、これを踏まえて維持し、収益を上げられる『世直し的企業』が必要になってきます。今後ともぜひよろしくお願いします」と書いて下さいました。心して受け止めさせていただきます。


ヤフーニュースより

 

豪雨、洪水、津波といった水害に最近の人類は翻弄されていますが、一方で地球温暖化による猛暑にも悩まされています。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は今月9日、人間が地球の気候を温暖化させてきたことに「疑う余地がない」とする報告を公表しました。人類はまさに「火」と「水」をコントロールできずに窮地に立っているわけですが、そのことは2008年に上梓した拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)で指摘したことでした。火と水。わたしは、ここに人類の謎があるような気がします。人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。もともと世界は水から生まれましたが、人類は火の使用によって文明を生みました。ギリシャ神話のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。そして、文明のシンボルとしての火の行き着いた果てが核兵器でした。

 

「ヒロシマ ナガサキ」という原爆のドキュメンタリー映画があります。その映画に登場する広島で被爆した男性が「原爆が落ちた直後、きのこ雲が上がったというが、あれはウソだ。雲などではなく、火の柱だった」と語った場面が印象的でした。その火の柱によって焼かれた多くの人々は焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を・・・」と言って死んでいったといいます。命を奪う火、命を救う水という構造が神話のようなシンボルの世界ではなく、被爆地という現実の世界で起こったことに、わたしは大きな衝撃を受けました。考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。火焔放射器という、そのものずばりの兵器などもあります。

 

兵器だけではありません。自動車も飛行機もロケットもパソコンもスマホも、文明の利器というものは基本的に「火」のテクノロジーです。わたしたちは、もはや火と別れることはできないのでしょうか? しかしながら、水が人類にとって最も大切なものであることも事実です。ならば、どうすべきか。わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないと思います。人類の役割とは、火と水を結婚させて「火水(かみ)」を追い求めていくことではないでしょうか。「火水(かみ)」とは「神」です。これからの人類の神は、決して火に片寄らず、火が燃えすぎて人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように、常に消火用の水を携えてゆくことが必要ではないかと思います。

 

そして、人類は火でも水でもない新たな難敵と遭遇しました。新型コロナウイルスです。東京五輪の直後から、日本各地で感染者数や重症者数が過去最多を更新。12日午後に開かれた東京都の専門家会議では、「かつてない速度で感染拡大が進んでいて、『制御不能』な状況となっている」など、強い危機感が示されました。菅首相があれだけ「安全安心」と念仏のごとく繰り返した東京五輪の閉幕直後、日本では「災害レベルの非常事態」にまで感染大爆発したわけですが、これが世界中に波及し、東京が武漢に代わって「パンデミックの原産地」とならないことを願うばかりです。

 

制御不能なのは、ラムダ株などの新型コロナウイルスだけではありません。温暖化による猛暑も、やはり温暖化による豪雨も制御不能です。そう、人類は火も水もコロナもコントロールすることができないのです。ITに代表されるテクノロジーの進歩で人々が「万能感」を抱く傾向にありますが、自然の脅威の前にはそんな万能感などたやすく挫かれてしまいます。人類はもっと自然を畏れ、人智の限界を謙虚に悟ることが必要でしょう。しかし、最も問題なのは人間の「こころ」だと思います。東京五輪といえば、開会式の前日までゴタゴタがありました。音楽担当者の「いじめ自慢」、演出責任者の「ユダヤ人虐殺ギャグ」などが大問題となったからです。

 

ゴタゴタ続きの東京五輪は閉幕しましたが、その後も、メンタリストDaigo氏の「ホームレス差別発言」が大問題になりました。彼はなんと月収9億を豪語していていましたが、YouTuberとしての成功体験もふまえ、やはり歪んだ「万能感」が仇になったように思います。そもそも、メンタリストなどと称して「人間の心はコントロールできる」と考えること自体が不遜であり危険なわけですが、「こころ」を扱うという意味ではグリーフケアにも言えることであり、気をつけなければいけないと痛感しています。


秋松紫雲閣竣工式にて

 

さて、この1カ月間の出来事を簡単に振り返りたいと思います。7月30日、福岡県飯塚市秋松に「秋松紫雲閣」がオープンし、その竣工清祓神事が行われました。竣工神事は、地元を代表する神社である椿八幡宮の秀村長利禰宜にお願いいたしました。サンレーグループとしては、福岡県内で48番目、全国で90番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。神事後の主催者挨拶で、わたしは、「日本人の『こころ』は神道・儒教・仏教の三本柱によって支えられているのがわたしの持論ですが、いずれも先祖供養というものを重んじています。今日も猛暑ですが、8月になれば、日本人にとって最大の先祖供養の儀礼である「お盆」がやってきます。盆踊り、精霊流し、花火・・・・・・日本人は、死者を供養するさまざまな文化によって、『こころ』を豊かにしてきました。そして、暑い夏を無事に乗り切って秋を心待ちにしてきました。この秋松紫雲閣は、そんな『こころの館』としてのコミュニティホールを目指したいです」と述べ、最後に「暑き夏 御霊迎へて また送る 秋まつ人の こころの館」という道歌を披露いたしました。


『心ゆたかな読書』(現代書林)

 

それから8月3日には、わが最新刊である『心ゆたかな読書』(現代書林)が発売されました。表紙には、開いた本の中から木が生えているイラストが描かれ、「心の森」が表現されています。また、 「ハートフル・ブックス」というサブタイトルがついています。そう、本書は125万部を発行する「サンデー新聞」に連載中の書評コラム「ハートフル・ブックス」で取り上げた至高の150冊を紹介したブックガイドなのです。

わたしは、本が好きで、とにかく毎日読んでいます。会社を経営しているので、もちろんビジネス書も読みますが、その他にも歴史や哲学や科学の本、それに小説など、とにかく何でも読みます。本好きが高じて、自分でも本を書きますし、最近は大学の客員教授として学生さんたちに読書指導も行っています。経営者としてのわたしは、『論語』やドラッカーの経営書などを繰り返し読み、その教えを活かしています。読書の最大の目的とは、心をゆたかにすることだと思います。よい本は心のごちそうです。体はスリムな方が健康によいですが、心には栄養をたっぷり与えたいものです。

秋季例大祭のようす

 

それから18日の早朝から松柏園ホテルの顕斎殿で秋季例大祭を行いました。わが社は「礼の社」ですので、コロナ禍にあっても祭礼や儀式を重んじるのです。もちろん、全員マスクを着けた上でソーシャルディスタンスを十分に配慮しましたが、心が洗われるようでした。わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津隆彦神職が神事を執り行って下さいました。祭主である佐久間進会長に続いて、わたしは参列者を代表して玉串奉奠しました。参列者のみなさんの健康・幸福、社業の発展、そして新型コロナウイルス感染の終息を祈願させていただきました。神事の後は、朝粥会が開かれました。ソーシャルディスタンスに徹底配慮し、松柏園ホテルの大宴会場を使い、1テーブルに1人しか座らないというように徹底的に感染対策を取りました。「共食信仰」という言葉がありますが、社員のみなさんと一緒に同じものを食べると、「こころ」が1つになるような気がします。

天道塾のようす

 

秋季例大祭の終了後は、恒例の「天道塾」を行いました。佐久間会長の訓話に続いて、わたしが登壇し、講話を行いました。わたしは、「心のケアの時代」について話しました。新型コロナウイルスの登場をはじめ、社会が激変しています。あらゆる局面でグレート・リセットが求められていますが、そこでは「サービス」から「ケア」への転換が行われ、縦の関係(上下関係)であるサービスと横の関係(対等な関係)であるケアの本質と違いが重要になります。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるようにケア業はカネのためにはできません。特に、無縁社会に加えてコロナ禍の中にある日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。

「心のケアの時代」について

 

さらには、「ケアすることは、自分の種々の欲求を満たすために、他人を単に利用するのとは正反対のことであり、相手が成長し、自己実現することを助けること」などのケアについての自分の考えを明らかにしました。葬祭業は、サービス業というよりもケア業です。他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」あるいは「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれるでしょう。これは葬祭業に限らず、ブライダル・ビジネスでも同様です。これからの冠婚業は新郎新婦をはじめ、祝われる方々のさまざまなケアを心掛けなければいけません。


心のケアが世界を救う!

 

そして、何よりも重要なことは、「ケア」というのは他人を尊重し、他人のために尽くす営みであり、「いじめ」や「差別」などの対極にあるということです。いくらカネを稼いでいるビジネスマンや膨大な再生回数を誇るYouTuberであっても歪んだ万能感を抱き、「いじめ」や「差別」を肯定する者など人間失格です。彼らの仕事はブルシット・ジョブです。反対にハートフル・エッセンシャルワーカーとしてのケア業に従事する人々は「人間尊重」の精神に基づいています。そして、わたしは「心のケアが世界を救う!」と言ってから降壇しました。ということで、まだまだコロナ禍も猛暑も続きますが、コロナ感染と熱中症に気をつけて、御自愛下さい。では、次の満月まで!

2021年8月22日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

九州を含め、日本各地で発生した8月の長い大雨による洪水や土砂崩れで犠牲となった方々を心から哀悼します。また、ご家族を亡くしたり、家を失ったりされた方々の困難と苦悩を思うと、青年期に土砂崩れで生家を完全に失ったわたしには、その痛みを想像することはできても、どんな慰めの言葉をかけることもできません。まさに無力ですが、しかし、この無力は人間が引き起こしてきた人類史的な人間災に実効性のある手立てを立てることができなかった底なしの無念と苦く痛い慙愧に射し抜かれています。

今、まもなく2年近くになるコロナ禍と自然災害の挟み撃ちになって、世界中が満身創痍状態になっていますが、このような事態はすでに60年ほど前からある程度正確に予測できていました。レーチェル・カーソンはすでに、1962年に発表した『沈黙の春』で人間が引き起こしている人間災の形である公害を明確に指摘しています。良心的な科学者はみな程度の差はあれ予測できた未来だと思いますが、科学も政治も、見え見ぬふりか、過小評価か、先延ばしして、この今の結果に至っています。

たとえば、環境省ですら、平成26年(2014年)の『環境白書――循環型社会白書/生物多様性白書 我が国が歩むグリーン経済の道』の「1 地球が直面する課題 (1)気候変動に関する政府間パネルからの報告」の冒頭で、すでに、次のように述べているのですよ。

<温室効果ガスによる気候変動の見通しや、自然や社会経済への影響、気候変動に対する対策など、2,500人以上の科学者が参加し、最新の研究成果に対して評価を行っている「気候変動に関する政府間パネル」(以下「IPCC」という。)において、第4次評価報告書から7年ぶりに公表される第5次評価報告書の作成が、現在進められています。IPCC評価報告書には3つの作業部会報告書がありますが、そのうち地球温暖化などの気候変動に関する自然科学的根拠を評価している第1作業部会報告書が、平成25年9月にIPCC総会にて採択されました。

ア 自然科学的知見に基づいた気候変動の状況(第1作業部会報告書)

第1作業部会報告書では、地球温暖化については疑う余地がないことを改めて指摘しました。観測事実としては、主に以下の4つがあります。

[1]世界の平均地上気温については、1880年(明治13年)から2012年(平成24年)までの期間で、0.85℃上昇したことが観測されています。

[2]過去20年にわたってグリーンランド及び南極の氷床の質量が減少し、氷河はほぼ世界中で縮小し続けていると報告しています。

[3]海面水位は上昇し続けており、1901年(明治34年)から2010年(平成22年)までの期間で、19cm上昇していると報告されています。

[4]1971年(昭和46年)から2010年(平成22年)までの期間で、海洋の表層(0~700m)の水温が上昇したことはほぼ確実であるとともに、また、1992年(平成4年)から2005年(平成17年)の期間に、3,000m以深の海洋深層においても水温が上昇している可能性が高いことが初めて指摘されています。>

https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h26/html/hj14010101.html

科学的に明白でも、政治的にも、経済的にも、産業構造や文明構造的にも、また一人ひとりの市民の生活文化的にも、この問題は先送りされ、後回しになっていたということでしょう。もちろん、今のコロナ対策と同様に、政府も経済界も何もしなかったわけではなく、環境省を先頭に、脱炭素社会に向けての策を練り、いろいろと「やってる感」を出しはしていますが、問題解決に追いついていない、どころか、どんどん事態が深刻化している、ということですね。アルファ株の後に、デルタ株が出て来て、さらに深刻な感染拡大状況が生まれてきているという事態に似ているところがあります。

水俣病に対する国の対応、福島原発による放射能汚染がアンダーコントロールされているという元安倍晋三首相の発言などなど、極めて多くの政治的対応や政策が大企業の収益や経済成長を最優先する現代社会の隠された「累積赤字」により、収支決算はボロボロになって、現在の環境問題に至っているということだと思います。

コロナ禍の中で、身心霊のバランスを崩す人が大勢出てきているように思いますが、地球環境自体が身心霊のバランスを崩してきたとも言える状態なので、負の連鎖が起きて当然だと思うし、まだまだ予測しがたい事態が出来することも念頭に置きながらこれからを生き抜いていく覚悟と準備が必要です。しかしながら、そうは言っても、その「覚悟」も「準備」も、思いがけない事態の急変の中でどう転変するかわからないところがあるので、どのような約束手形を出すこともできないのが現状です。

わたしの方は相変わらず比叡山を登拝する日々ではありますが、この間の8月大雨・長雨で比叡山行きは回数が減りました。雨天の中を登拝した日もありますが、危険度は増しています。市中から比叡山を眺めると、今までなかった崩落した地肌が剥き出しになっていて、大変痛々しい感じがします。通常歩く雲母坂沿いの谷筋にも崩落はあり、谷を渡って繋がっている「京都トレイル」の山道が崖崩れで道がなくなり、迂回路を作りましたが、それもまた次の大雨で被害を受けるといういたちごっこが続いています。

 

 

このような事態が日本各地、いや世界各国の各地域で起こっており、国際報道を注意して見ていても、気候変動がもたらす各所の熱波(摂氏50度近い)や山火事、洪水、土砂崩れ、地震・噴火、竜巻、台風と、その被害の頻度と度合いと範囲が桁違いに拡大していて、「狂天慟地」そのものの状況だと思うものの、それに対する効果的な対応が取れていないことに忸怩たる思いがあります。

この環境変化に対して、もう手遅れだという思いと、手遅れかもしれないけれども、しかしそれでも何とか次善の策を講じ続けていかなければならないという思いと、それにしても有効な手立てを明確に打ち出すことができずになし崩し的に事態の悪化を見ているしかないという現状の中で、残された時間とのせめぎ合いに投げ込まれています。

Shinさんは父上ゆずりの「何事も陽に捉える」という視点をお持ちですが、「みなさん、天気は死にました」という17歳から出発したわたしなどは、いたずらに悲観的にはなりませんが、この30年以上、「たのしい世直し」を掲げてはきたものの、何がどこまでどのように出来てきたかを収支決算すれば、赤字も赤字、大赤字が続いているので、これでこの闇の深まる中で「赤い家」をどう回していくことができるのか、ほんとうに維持していくことが可能なのか、「陽の方策」を心から求めています。

「天の岩戸開き」を待ち望みます、というより、新アメノコヤネの「太祝詞=グランドデザイン」と新アメノウズメの「神懸り=ワザヲギ・テクノロジー」を創造するほかないといつも思っていますが、さてどこからどのように、大設計図と具体的な施工をしていくか、あまりにも事が大きすぎ、それに反比例して、自分の居場所が小さすぎるので、そのアンバランスの中で、途方に暮れながら比叡山を往復し、岩戸開きの鍵穴を探しているところです。

藤原定家は、

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ

と『新古今和歌集』で歌っていますが、そして、武野紹鷗や千利休はこの歌こそが「侘茶」の精神だと言っていますが、ふりかえって見わたす拠点となる「浦の苫屋」、すなわち、海辺の粗末な家すらも、流されてなくなってしまっているという事態に見舞われているのです。

今日は「陽にとらえる」一筋の話もできず、ごめんなさい。くれぐれも御身お大事にお過ごしください。

2021年8月26日 鎌田東二拝

追伸

この夏中、わたしは、『福岡甲児著作集』全五冊(虎谷久雄・佐藤二三男編纂、2021年6月15日刊)と福岡甲児著『宗教の原理』(1967年4月11日刊)を読んでいました。どちらも非売品の内部資料です。

わたしは福岡甲児氏(1924‐1988年)の遺志を実現するために、確か、1990年頃から10年ほどかけて、島薗進さんや志村正雄さんや井村君江さんたちとともに、大本から別れ出た世界救世教の教祖の『岡田茂吉全集』全34巻の編纂に関わってきました。その『岡田茂吉全集』の編纂は、故福岡甲児から託されたと思っています。

『福岡甲児著作集』の中で論じられているのは、宗教とは何か? 信仰とは何か? 教祖とは? 教主とは? 教団とは? 自分たち信仰者のアイデンティティとは? などなどの、実に重要なテーマで、それらは、宗教の本質や世界救世教の信仰や教学の根幹をなす問いであると思います。その『福岡甲児著作集』全五冊を読みながら、福岡甲児氏の粘り強い、屈折した、しかし、真っ直ぐな思索と探究とまことごころに深く打たれるものがありました。

福岡甲児さんは、大正13年(1924)11月23日に生を享けました。父親が鉄道省に勤めていたこともあり、5歳まで東京で過ごしますが、5歳にして母親を亡くしたために、父親の実家でもあった岐阜県関市小瀬にある曹洞宗の古刹松尾山永昌寺住職である祖父の下で育つことになります。この祖父が非常な教養人であり、また底深い旅心を持つもののあはれを知る人でした。福岡さんは、自分はこの祖父に一番似ていると述べています(「祖父の血を一番強く引いているのはこの私である」『福岡甲児著作集』第四分冊「生命(いのち)ある限りの」北海道紀行(一)『地上天国』誌、昭和44年8月号、97頁)。

福岡さんが何歳で得度したのかははっきりとはしませんが、曹洞宗の総本山の永平寺でも修業をして僧籍を得ています。いつか、祖父の跡を継いで実家の住職になってみようかという気持ちも少しは持っていたと聞き及びます。曹洞宗の宗門大学である駒澤大学に入学したのも、その意志があったからでしょうし、またそのような周りからの期待もあったからでありましょう。

わたしが初めて福岡さんとお会いしたのは、たぶん今から40年ほど前、昭和57年(1982)頃であったとおもいます。その頃わたしは、美学者でシュタイナー思想の探究者であり実践者である高橋巖氏からシュタイナーの神秘哲学を学んでいました。そして、高橋巖氏を通して親交のあった福岡甲児氏や志村正雄氏を紹介されたのでした。そして、福岡甲児さんの小説『野辺山の歌』(水盛煌士著、イザラ書房、昭和59年)と高橋巖さんの『岡田茂吉における宗教と芸術』(書肆風の薔薇、昭和59年1月刊)が同じ1984年に出版された時、合同出版祝賀会を横浜の東急ホテルで開催したのですが、その時の司会を任されたことがあります。

その時わたしは、福岡甲児さんの小説『野辺山の歌』を読んだと思いますが、ほとんどよく覚えていません。その福岡さん自身の「熊谷陸軍飛行学校軽井沢教育隊・野辺山教育隊」の飛行学徒の経験を元に書いたと思われる小説は、その時のわたしにはよくわからなかったし、ピンとこなかったのでしょう。独特の昏さと陰鬱さが印象に残っただけでした。

しかし、この夏に、福岡さんの論文集の他、この小説を読み、福岡さんの青年期の経験と壮年期の経験をともにある程度知ることができました。

1980年代後半に、福岡さんは何度かわたしを世界救世教の研修会などに講師として招いてくれたことがあります。まだ30代の若造をどうして大宗教教団の教学研修に招いてくれるのかよくわかりませんでしたが、おそらく『古事記』や神道など、日本人の宗教心の根幹にある心や精神性ないし霊性を教団のこれからを担う専従者に喚起してほしいと思ったからでしょう。またわたしが岡田茂吉教祖が壮年期に属していた大本(教)の研究もしていたからでもあったでしょう。当時のわたしから見ると、岡田茂吉教祖は、大本的霊性をベースにしつつそこから一歩を進めて、この時代の病理と苦悩、すなわち病貧争の「時代苦」を解決して「地上天国」に導く大本系世直し運動の次代の担い手でした。

このような過程で、福岡さんは昭和が終わる頃には、会うたびに、わたしに「岡田茂吉全集」の編纂と研究が必要であると熱っぽく語ってくれたのでした。それが『岡田茂吉教祖全集』全34巻に結実したのは、その十数年後のことでした。

この夏、福岡甲児さんの主著と言える『宗教の原理』を読みましたが、A4サイズ290頁にもなるこの内部資料は、「神と人とを結ぶもの」「宗教と歴史との関係」「追体験の原理」「宗教の基本的構造」「絶望」「回心」「信仰」などを深く考察した、一般出版社からぜひ刊行したいと思わせる本でした。宗教学者が書いた宗教概論よりもよほどこの福岡さんの本が深く宗教の信仰や力動に迫っていると思いました。

ここには、宗教一般の原理的考察が深く追及されていますが、同時に、世界救世教の信仰と教学にとって、第一義的に重要となる神観、教祖観、教主観、教団論、聖地論、教化論、芸術論、日本文化論、信仰育成などにも触れられていて、その思考と洞察の数々は実にスリリングで示唆に満ちています。実に、熟成された豊かな智慧の木の実がたわわに実っています。それは智慧の大果樹園だと思いました。そしてそれは、世界救世教の関係者だけでなく、宗教と芸術に関心を持つすべての人に届く言葉の深みと霊性を内包していると思ったのでした。

これをわたしはぜひ一般の出版社から出せるようはたらきかけたくおもいます。