シンとトニーのムーンサルトレター第198信(Shin&Tony)
- 2021.09.21
- ムーンサルトレター
鎌田東二ことTonyさんへ
ハッピー・ミッドオータム・ムーン! 今宵は十五夜で、中秋の名月です。日に日に涼しくなって、すっかり秋めいてきましたが、Tonyさんはいかがお過ごしでしょうか?
季節要因のせいか、ワクチン接種の効果なのか、新型コロナウイルスの新規感染者は減少傾向にあります。政府は、今月末に期限を迎える19都道府県への緊急事態宣言について、解除する方向のようですね。昨日の9月20日は「敬老の日」でした。この日の午後、わたしと妻と長女の3人で、わたしの両親が住む実家を訪問しました。両親はとても喜んでくれました。総務省は「敬老の日」に合わせて、65歳以上の高齢者の推計人口(9月15日現在)を発表。高齢者は前年比22万人増の3640万人、総人口に占める割合は同0・3ポイント上昇して29・1%となり、いずれも過去最高を更新しています。働く人全体に占める高齢者の割合も過去最高となっており、政府は高齢者の就労環境の整備を進めているといいます。
ヤフーニュースより
また、厚生労働省によりますと、今月1日時点において、全国で100歳以上の高齢者が8万6510人でした。去年より6060人増えて、これまでで最も多くなったことが分かりました。このうち女性が7万6450人で、9割近くを占めています。国内最高齢は福岡市に住む田中カ子さんで、1903年・明治36年生まれの118歳です。100歳以上の人数は51年連続で過去最多を更新していて、初めて1万人を超えた1998年から比べて8倍以上に増えています。そんな中、超高齢社会なのに、生きがいや健康づくりを目的に地域で活動する「老人クラブ」は細っているそうです。「西日本新聞」の報道によれば、“発祥”とされる福岡市の会員数はピーク時から半数近く減り、全国でも同傾向だといいます。
ヤフーニュースより
老人クラブのメンバー数が激減しているのは、働く高齢者が増えているのが背景にあるようです。コロナ禍の影響でさらに縮小している一方で、地域防災や孤立を防ぐために欠かせないと熱心な地域もあります。高知県立大の田中きよむ教授(地域福祉論)は、「価値観が多様化し『自分はまだ若い』という人も多い。婦人会も含め伝統的な組織は現代のニーズに合わなくなっている。高齢者が積み重ねた経験と技術を生かして、防災や文化振興などで地域に貢献できる組織に転換するべきだ」と発言しています。
わたしも、「まだ老人ではない」という意識の方が増えているように感じます。また、老人クラブに入る年齢になる前の近所付き合いやコミュニティが機能していないため、その年齢になっていまさら老人クラブに入るという意識が希薄なのではとも思います。地域コミュニティの活発化が必要だと痛感しました。高齢者のコミュニティを構築するには「リアルな場」づくりが重要です。わが社は、紫雲閣、三礼庵、天道館、といった諸施設を「人は老いるほど豊かになる」老福社会を実現するコミュニティホールとして位置づけていますが、今後はそれらの施設で展開される活動が老人クラブの代替機能を果たすような気がします。
「日王の湯」の前で
そんな中、このたび、福岡県田川郡福智町にある「ふるさと交流館 日王の湯」をわが社が運営することになりました。リニューアル工事をした上で、9月8日にプレオープン特別内覧会を開催。早速、わたしも朝一番で訪れました。この施設をベースに、無縁社会を乗り越えて、共に入浴する「湯縁」によって有縁社会を再生したいと考えています。「日王の湯」は、平成14年(2002年)5月に福智町の拠点開発施設条例に基づき設置された施設で、正式名称は「福智町拠点開発施設(ふるさと交流館日王の湯)」といいます。
湯縁で有縁社会を!
「日王」は「ひのう」と読みます。設立の目的は、地域資源を活用した健康、保健及びレクリエーションの場を提供するとともに、地域と周辺市町村との交流を図り、併せて地域産業の再活性化と雇用促進の場を創設することとなっており、ゆとりある空間づくりをテーマに、「ゆったりくつろげる憩いの場」として地域に定着しています。お風呂の種類には、大浴場、岩風呂(露天)、水風呂、ジェット風呂、家族風呂があります。 また、サウナは、高温と低温の2種類があり気分や体調により選ぶことができます。休憩室やマッサージ室もあり心身共にリラックスいただけます。さらにはレストラン、大宴会場、宿泊施設も完備しています。
「西日本新聞」2021年9月9日朝刊
「日王の湯」の運営については、事業開始よりこれまで福智町が設立した「一般財団法人健康交流体験協会」が指定管理者として運営を行ってきましたが、令和3年度の施政方針に掲げた民間力の導入・企業連携による持続可能な行政規模への効率化を推進する福智町と、会員サービスの拡充と互助会の新規会員の募集などを目的とした策として温浴施設の活用を模索していたわが社のニーズが合致し、指定管理協定を締結。令和3年9月よりサンレーが新たな指定管理者として運営を担うことになりました。
「日王の湯」の名称は、当館の南側にある「日王山」より命名されています。『金田町史』や『嘉穂郡誌』に記された神話によると、この日王山には「日王」と呼ばれる方丈の瑞石(仏像を刻んだ長さ2メートル、幅40センチほどの自然石)があると書かれています。日王山の頂上から尾根伝いに北へ200メートルほど行ったところに、常楽寺跡の平地があります。この平地の西側に、仏像を刻んだ脊柱があるのです。大きさは幅40センチ、長さ2メートルほどの自然石です。この石が「日王」と呼ばれる方丈の瑞石です。『養生訓』で有名な貝原益軒は、『筑前国続風土記』の中で、方丈の瑞石のことを「豊前・筑前の国境に日王殿(ひおうでん)という、長さ7尺ばかりの石仏がある。その側にお寺があったと見えて礎石が残っている。近くには池があったという。何というお寺か』と書き記しています。また、金田町史や頴田町史にも、『日王と呼ばれる方丈の瑞石』があるから、この山を『日王山』と称するようになった。『方丈の瑞石』は宗像三女神の時代から、この山にあった」と書いています。
「日王」と呼ばれる石は、宗像三女神の時代から存在していたと書かれています。宗像三女神が、天照大神の命を受けて宇佐から筑前国、宗像の移り住む途中、日王山に立ち寄って休憩していました。その側にあった方丈の瑞石を見て、母神の天照大神のことを想い物思いにふけっていたことから、この山を「日思山」とも言うと書いています。「日王」といえば太陽の神様、天照大神のことだと推察できます。景行天皇の御代になって、山頂に日王殿をご神体とし、天照大神と三女神を祭神とする「日王神社」が創建されました。このように「日王」とは、太陽の神様である天照大神ともゆかりが深く、「太陽光」を意味するわが「サンレー」との縁も感じます。コロナが落ち着いた頃、Tonyさんもぜひ、「日王の湯」にお越し下さい!
さて、わたしは相変わらず、多くの映画を観ています。最近はどんな映画を観ても、すべてグリーフケア映画に観えますが、「ムーンライト・シャドウ」という日本映画が心に残りました。北九州では公開されてない作品でしたので、東京の日比谷で観ました。満月の夜が明けるときに愛する死者との再会を果たすという物語だと知っていたので、どうしても観たい作品でした。吉本ばななのベストセラー『キッチン』に収められた短編小説「ムーンライト・シャドウ」を映画化したラブストーリーです。最愛の恋人を亡くした女性が、満月の夜の終わりに起こるという“月影現象”に導かれます。
映画の原作小説「ムーンライト・シャドウ」は、吉本ばなな氏が1987年3月に日本大学芸術学部文芸学科の卒業制作として書いたもので、ベストセラーとなった『キッチン』に収録されています。日大芸術学部長賞および泉鏡花文学賞を受賞しました。同じ1987年には、日本文学史に残る大ベストセラーが誕生しています。村上春樹氏の『ノルウェィの森』です。同作は「死」がテーマですが、𠮷本氏の処女作である「ムーンライト・シャドウ」も、次に書かれた「キッチン」も、その続編の「満月」も、いずれも、「死」がテーマです。どの作品でも、主人公の身近な人間が死んでゆき、読者は「死」について考えさせられます。当時、わたしは、「死」をテーマにした小説が次々と記録的なベストセラーになった現象を社会の「ハート化」の表われの1つとして見ました。しかし、最も注目すべきことは、これらの作品には「月」がいずれも重要な場面で出てくることでした。
『ロマンティック・デス』
80年代後半というバブル絶頂期にこそ、死や月こそが通奏低音であり、それが物質的価値観から精神的価値観(ハート化)への移行を示すものだったような気がしてなりません。1991年に刊行された拙著『ロマンティック・デス』(国書刊行会)には、『ノルウェイの森』や「ムーンライト・シャドウ」について考察しています。両作品とも、満月の光の下で死者の姿が浮かび上がるのですが、満月の夜は幽霊が見えやすいという話をよく聞きます。おそらく、満月の光は天然のホログラフィー現象を起こすのではないでしょうか。つまり、自然界に焼きつけられた残像や、目には見えないけれど存在している霊の姿を浮かび上がらせる力が、満月の光にはあるように思えます。
南方熊楠といえば、日本の民俗学者、人類学者、植物学者として、特に粘菌の研究家として非常に優れた業績を残した「知の巨人」です。彼は20歳でアメリカへ渡って独学をしながら、生まれながらの天才的な記憶力によって広範な知識を身につけます。帰国後、熊野の那智に入り、そこで粘菌や植物の研究をはじめます。その時の不思議な体験を「履歴書」として原稿用紙にして150枚くらい書いていますが、その内容によると、熊楠は幽霊を何度も見たといいます。そこで、「幽霊が現わるるときは、見るものの身体の位置の如何に関せず、地平に垂直にあらわれ申し候」と書いています。熊楠はこの幽霊によって、ナギランなどの新しい植物種のありかをはじめ、さまざまなことを教えられている。しかし彼の最も重要な発見は、幽霊が現われる時は地平に90度の角度で現われるということでしょう。それに対して、幻は見る者の顔に平行して現われるといいます。このへんに、幽霊のホログラフィー性を強く感じてしまいます。
また、オカルト研究の分野で有名だったイギリスの作家コリン・ウィルソンの『ミステリーズ』(高橋和久訳、工作舎)に紹介されているイギリスの民俗学者トム・レスブリッジのエピソードも興味深いです。ある日、レスブリッジは近くの丘に立っていた際に、ふと下方をのぞき込んだところ、少し離れた水車小屋の傍に1人の女性が佇んでいるのに気がつきました。奇妙なことにその女性が身につけていた衣服は40年ほど前の風俗でした。幽霊現象です。普通こういう場合、その女性が過去において、この土地に何らかの因縁を持っていたと考えるもので、ブリッジも当然そう考えました。ところがブリッジが調べたところ、当時、彼が見たような女性はその周辺に住んでいなかったことが判明したのです。
不思議に思った彼は、さらにその一帯の調査を進めました。そしてその結果、レスブリッジはこの奇怪な幽霊の正体について次のような考えに至ったのです。かつて誰かが丘の上に立ってその女性を見たことがありました。その時に引き起こされた激しい情緒が水車小屋のある小川の磁場に刻印され、幽霊現象を発生させた、と。さらに彼は、この体験をきっかけとして研究を進め、超常現象が起きる空間には、大地のエネルギーによって特異な場が形成されているという結論を得ました。つまり、レスブリッジの理論によれば、大地のエネルギー流は空間にホログラフィーを発生させる作用を持つことになるのです。この理論が正しいとすると、心霊現象やUFOの目撃がしばしば特定の地点で多発する謎も説明がつくかもしれません。
わたしも、大地のエネルギー流は人間の感情や意識に影響を与えることはもちろん、過去の映像を記憶する作用をも持っていると思います。そして、その過去の映像は月光によって浮かびあがるのではないでしょうか。おそらく、南方熊楠が那智山中で幽霊を見たのも、レスブリッジが丘の上で奇妙な女性を見たのも、満月の夜だったのではないかと思います。満月でなかったとしても、少なくとも月の出ている夜ではあったはずです。「ムーンライト・シャドウ」に登場する“月影現象”とは、満月の夜の終わりに死者と会えるという現象です。その条件として、必ず近くに川が流れている場所ということになっていますが、まさに、ホログラフィー発生のメカニズムによる現象ではないでしょうか。
大ヒットしたデミ・ムーア主演の映画「ゴースト」(1990年)の日本版には「ニューヨークの幻」というサブタイトルがつけられていましたが、主人公の男性の霊は死んでからずっと自分の存在を生き残った恋人に知らせることができませんでした。しかし、霊媒を通じて自分の存在を知らせ、恋人の危機を救った夜、天上からまばゆい光が降り注ぎます。すると、彼の姿が映像化されて幻のように浮かび上がり、彼女と別れのくちづけをするのでした。そして彼はその天上の光の中に帰っていくという非常に感動的なラストシーンで、この映画は終わります。わたしは、その光は満月から来たものであり、彼の姿が浮かび上がった「ニューヨークの幻」とは、月光による天然のホログラフィー現象と同じ種類のものであると思いました。
「ムーンライト・シャドウ」においても、月が非常に重要な役割を果たします。主人公の女性は、死に別れた恋人と再会するべく、川に来ます。夜明け近くの橋の下には、月光が降り注いでいます。そこで、彼女はなつかしい恋人の姿と再会するのでした。巫女のような仲介者の女性によれば、100年に1回くらいの割合で、偶然が重なりあってああいうことが起きることがあるそうです。場所も時間も決まっていませんが、川のある場所でしか起こりません。人によっては、まったく見えません。死んだ人の残留した思念と、残されたものの悲しみがうまく反応した時に陽炎のように見えるのだといいます。死者の残留した思念と生者の悲しみがうまく反応するのは、月のせいでしょう。死者の思念に月光が降り注ぐ時、ホログラフィーが発生します。それは、ムーンライト・シャドウという「愛の奇跡」なのです。
アメリカの神経学者カール・プリブラムや、イギリスの物理学者デイヴィッド・ボームは、この世界はホログラフィーのように、映し出された立体像の方にではなく、それを映し出した干渉板のフィルムの中にリアリティは巻き込まれているのではないかとの考えを打ち出しました。そして、その1つ1つの部分は全宇宙を宿していて、一即多、多即一、すなわち部分と全体は互いに他を含みあい、かつ空間にみられる巻き込みのように、時間も過去から未来にかけてのすべてがそこに巻き込まれているのではないかという世界のモデルを提出しています。このホログラフィー理論は、全宇宙の記憶が刻まれているというアカーシック・レコードにも通じていますし、実在界と現象界という宗教的世界観とも共通しています。この世(現象界)のすべてのものは、あの世(実在界)から投影されている幻影にすぎないという考え方です。
『唯葬論』(サンガ文庫)
だとすれば、わたしたちもまた、ホログラフィーによって浮かび上がったヴィジュアライズされた霊、すなわち幽霊ということになります。わたしたち自身も幽霊なら、いたずらに霊を恐れずに、死者たちといかに理想的な関係を築いていくかを考えなければなりません。拙著『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館、サンガ文庫)にも書きましたが、死者と生者の間に理想的な関係を築くこと、これこそ、「葬」の最大のテーマではないかと思いました。ということで、ムーンサルトレターにふさわしい「ムーンライト・シャドウ」という映画を紹介させていただきました。これからは気温が下がっていきますので、風邪にもコロナ感染にも気をつけて、くれぐれも御自愛下さい。それでは、次の満月まで!
2021年9月21日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
昨日9月の中秋の名月の満月は、京都でも見えました。拝しました。動画にしました。ご覧ください。
月はわたしたちの心の友であり、架け橋であり、接着ボンドですが、後2回(2信)で、本ムーンサルトレターが200回(200信)となるとか。大大大快挙ですね。否、怪巨?、壊虚?、です。ある人から見たら、大阿呆のように見え、ある人から見たら、大事業に見えるかも。よくもまあ、続いたものだ、続けられたものだ。これは、サステイナブル・ムーンサルトレターとして「殿堂入り?」ですね。
さて、コロナ禍も1年半が過ぎ、緊急事態宣言も繰り返し発出され、東京オリンピックもパラリンピックも開催され、世界は液状化どころか、空状化~エアロゾル化しつつ溶融しているように思えますが、わたしの方は、スサノヲのように暴れてみたくなりました。また、スサノヲのようにさ迷いたくなりました。また、スサノヲのように怪物退治したくなりました。できるかどうか、わからんけど。
現代の怪物は何でしょう? それは間違いなく、人間ですね。人間の心ですね。その心が、こんな行動や混乱を引き起こしているのですから。だから、怪物退治は、一種の「心直し」、ということになります。スサノヲは、じつは、そんな「心直し」の先駆者なんですよ。
小さい時から母の喪失を悲嘆し、それを誰にも分ってもらえず、とうとう大不良少年になってしまいます。当然ですよ、そうなるのは。しかし、彼のやさしい心は、父に勘当されて家出する時、アマテラス姉にだけはスペシャル・エクスキューズ、別れの挨拶をしておこうと思ったのですね。
でもねえ、姉は誤解しました。乱暴で、何をするかわからん暴れ者の弟が、自分の国(高天原)を奪いに来たのだと。それは、じつに、弟の心を傷つけましたね。お姉さん、そんな対応をしたら、どうなるか、どんなリアクションが出てくるのか、予測できなかったのでしょうか? お姉さんはケアの心がわかっちゃいなかった。優等生だったから。お父さんの言いつけをよく守り、不在のお母さんのことには思いをいたさなかったから。
Shinさん、いつの世にも「優等生」というのは、問題なんですよ。優等生が世の中を窮屈にし、秩序を締め上げて破壊にまで持って行く。もとい、墓場にまで持って行く。不良少年少女は、しかし、結局のところ、父母に命じられた「修理固成」をやり遂げるんですね。スサノヲはクシナダヒメを助け、大怪物ヤマタノヲロチを退治しましたね。そして、二人の結婚を自画自賛しましたね。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を
と。これをわたしは、『古事記ワンダーランド』(角川選書、2009年)で、「ヤエガキ・シュプレヒコール」と言ったのですが、これほど情報量の少ない歌もないですね。「出雲にお前(クシナダヒメ)と暮らす家を作ったよ。うれちいな。」というだけの意味内容なんですから。
しかしながら、ミーニングとしての情報量はものすごく少ないのですが、エモーションやフィーリングとしての「情」報量は、メガバイトでも、ギガバイトでも、テラバイトでも受け取ることができないほど大きかった。大容量だったんですよ。それは、お母さんを喪っていた心の空虚を埋める心の友(クシナダヒメ)を得たのですから。底のない心の空虚と暴発が、それによって鎮められ、伊勢湾台風よりも破壊的な心の暴風が収まったのですから。ボクちゃん、うれちいな、と。
スサノヲくん、心直しに成功し、そしてそれをわが国最初の詩文として天地にとどろかせたのですよ。それが「八雲立つ」の「ヤエガキ・シュプレヒコール」なのです。これは涙なしに聞くことができない歌ですね。いい歌です。心の歌です。スピリチュアルケア・ソングです。ゴスペルです。
さて、一昨日の20日は敬老の日で、明日23日は彼岸の中日、秋分の日です。敬老の日には、親孝行のShinさんはお父上・お母上のところに挨拶に行かれたとか。さぞかし、ご両親ともお喜びでしょう。わが子や孫が共に訪ねて来てくれて、「老福」をお祝いしてくれるのですから。さすが、『老福論』の著者ですね。
わたしは、今から33年前、1988年に『翁童論―子どもと老人の精神誌』(新曜社、1988年)を出し、その後、続篇を含めて「翁童論」四部作として、すべて同じ新曜社から出版しましたが、4年前から5冊目の『新翁童論Ⅴ』を新曜社から出す約束だけしていて、まだ原稿が出来上がらずにいます。この33年間の社会変化を踏まえて、超少子高齢化の事態を踏まえて、「新翁童論」としてどんな社会発信ができるか、もうひと暴れもふた暴れもしてみたいと思うこの頃です。コロナで火が点いたかも。点火されて、爆発寸前賀茂?
Shinさんは「日王の湯」をオープンされました。本当におめでとうございます。次々と地域密着型の事業展開をして「老福論」を社会実装していることに、心より敬意を表します。ぜひその次の展開として、「日王の湯」と陰陽対応する「月姫の湯」(ないし「月妃の湯」)をオープンしていただきたく思います。白山比咩神社の鎮座する石川県の金沢近郊などに。そして、福岡県田川郡福智町と石川県の「月姫の湯」のある町とを姉妹都市にしてほしいものです。要は、「物(施設)」にも「物語り」が必要なのです。歌が必要なのです。詩が必要なのです。神話が必要なのです。
今日はちょっと十六夜の月光のせいか、頭が変で、ルナティックで、くどいのか、お念仏かお題目のように、リフっていますね。すごく。
さて、昨夜、わたしたちは、月例の世阿弥研究会を行ないました。もう12年も月1回、世阿弥の著作をすべて講読しています。全著作を読み切って、今は二巡目で、この前、後期の著作『拾玉得花』を読み終わり、今は『五音曲』に入っています。
世阿弥は、この『五音曲』の中で、
①祝言~安楽音の曲
②幽曲~祝言に懸りを添えた曲
③恋慕~柔和なる内にあはれを添えた曲
④哀傷~あはれに感涙を催す心体の曲・無常音の曲
⑤闌曲~高上の音声の曲・是非を一音に混じて類して等しからぬ声のなすくらいの曲
の五種を区分していますが、この五種類の幅が必要なのですね。それは人間の心がそのような幅を持っていて、それぞれの歌(謡)を必要とするからなのです。
その歌の心とは、「あはれ」です。「あはれ」には二種類の「あはれ」があります。一つは「天晴れ」のハレのあはれ。もう一つは「哀れ(憐れ)」の哀しみの悲のあはれ、です。喜びのあはれと、悲しみのあはれ。この両あはれは、「日王の湯」と「月姫の湯」のように引用両極であり、対応・対照し合います。両方があり、両方が必要です。もちろん、その間にはさまざまなグラデーションも生じますが、極の幅が必要です。生じます。
スサノヲは、悲しみのあはれを声にしましたが、それはただただ、母を喪った悲しみの「啼き声」だけでした。その「啼き声」を彼自身では変容させることができませんした。それを変容させるには、二度の追放と、ヤマタノヲロチ退治が必要でした。そしてそれによるクシナダヒメとの結婚が必要でした。悲しみのあはれの「啼き声」があってこそ、喜びのあはれの「八雲立つ」の「ヤエガキ・シュプレヒコール」の歌声が生まれたのです。両あはれがスサノヲの「身心変容」だったのです。
明日、こんな研究会を行ないます。
第82回身心変容技法研究会
日時:2021年9月23日(木・祝日・秋分の日)13時~17時
テーマ:「米国の黒人霊歌とポップミュージックとキリスト教における身心変容技法」
Zoom開催
13時 開会あいさつ・趣旨説明・発表者紹介 鎌田東二(司会進行、10分)
13時10分~14時50分 関谷直人(同志社大学神学部教授・宗教学・キリスト教神学)「ゴスペルからCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)へ」発表100分
14時40分~15時00分 (10分休憩)
15時00分~17時00分 (120分)
コメンテイター:島村一平(15分、国立民族学博物館准教授・文化人類学)
コメンテイター:大野邦久(15分、京都大学大学院理学研究科・霊長類研究所博士課程・情報知覚研究)
コメンテイター:三澤史郎(15分、滋賀医科大学医学部医学科6回生)
コメンテイター:鶴岡賀雄(15分、東京大学名誉教授・宗教学・スペイン神秘主義研究)
コメンテイター:津城寛文(15分、筑波大学教授・宗教学・深層文化研究/頂点文化研究)
討議・意見交換 (60分)
司会進行・総括:鎌田東二(上智大学大学院実践宗教学研究科特任教授・宗教哲学・民俗学)
アメリカの「ゴスペル」がどのような「変容」を遂げたのか、確認したいと思います。その次は、ソニー研究所の阪井祐介さんに発表をお願いしたいと、今、頼んでいるところなのですよ。阪井さんの研究開発している「テレプレゼンス・窓」はShinさんが言う「ムーンライト・シャドウ」にも通じる「窓=異界への通路」となると思いました。これはそれぞれの日常の中に多孔質的に穴を開けて他界からの風を吹かせる「プネウマ・テクノロジー」になり得る可能性を持つものとわたしは見ました。そこで、その可能性を含めて、ぜひ第83回身心変容技法研究会で発表してほしいと思っているのです。阪井さんの承諾を得ることができたら、Shinさんにご案内しますので、ぜひご参加ください。Zoom開催ですので、オンライン参加できます。たのしみ、たのしみ!
それでは、次の満月まで、くれぐれも御身お大事にお過ごしください。
今日、比叡山に登拝しました。736回目でした。途中で雷鳴が鳴り、雨が降ってきました。
https://www.youtube.com/watch?v=p8xw2s7GgYI
2021年9月22日 鎌田東二拝
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