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シンとトニーのムーンサルトレター第224信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

Tonyさん、こんばんは。10月は29日に満月を迎えます。10月の満月は「ハンターズムーン」と呼ばれます。10月は狩猟に最適な月だったことから、アメリカの先住民によって名付けられたと言われています。満月も大いなる自然の神秘ですが、わたしは10月24日の早朝に超弩級の自然の神秘に遭遇しました。なんと、生まれて初めて龍を目撃したのです!


別府湾の日の出に龍が出現!

 

わたしは、23日からサンレー本社の社員旅行に参加していました。24日の朝、別府温泉のホテルの客室で目を覚ましたわたしは、ホテルに隣接した別府湾へ向かいました。年頭所感に使用する日の出の写真を撮影するためです。ちょっと雲があったので心配でした。空が明るくなっても朝日が見えないので、「今年はレンタル写真を使うしかないかな」と半ば諦めていたところ、ついに海の彼方に朝日が出現。感動のあまり、わたしは「お天道さま!」と言って合掌しました。すると、朝日の真上に龍が全身を現したではありませんか!


朝日の上を飛ぶ龍の全身写真

 

龍の姿というのは「吉兆」とされています。何事も陽にとらえるわたしは、「社員旅行のときに龍頭が撮影できたということは、わが社はますます発展するに違いない」と思いました。龍の写真は「福のお裾分け」になるので多くの方々にLINEやメールで送付したところ、皇産霊神社の禰宜でもあるサンレーの瀬津式典長から「差し昇る朝日より出る龍のお姿、誠に勇壮で素晴らしい瑞祥かと存じます。朝日に昇龍、いずれも来年の当社の飛躍を予見させてくださいます、素晴らしいお写真でございます」との返信が届きました。来年は龍年ですので、この有難い写真を年頭所感だけでなく年賀状にも使いたいと思います。


家族での米寿祝いの記念写真

 

今月は、他にも忘れられない出来事がありました。10月7日、小倉の「松柏園ホテル」で、父・佐久間進の米寿を家族で祝ったのです。わたしと妻と長女夫妻、東京から帰ってきた次女が参加しました。妻と2人の娘は揃って着物姿でした。米寿の祝いの色である濃黄色の冠を被り、ちゃんちゃんこを着た父はとても嬉しそうでした。16時から祝いの会食だったのですが、その前にスタジオで写真撮影をしました。やはり、着物姿の女性がいると写真が映えますね。わたしも本当は新調した小倉織の着物を着たかったのですが、今日の主役は父なので控えました。


米寿を祝ってカンパイ

 

16時から会食をしました。最初、わたしがお祝いの挨拶をしました。大好物のシャンパンのグラスを持ったわたしは、「米寿、誠におめでとうございます。88年の風雪を耐えられて、堂々たる人生を歩んでおられることに心からの敬意を表します。次は90歳の『卒寿』、99歳の『白寿』を迎えられることを願っております。それでは、ご長寿とますますの健康、今日ここにいるみんなの幸せを願ってカンパイ!」と言って、祝宴がスタートしました。


似顔絵プレートを持ってニッコリ!

 

松柏園名物でもある小笠原流の茶室が会場でした。調理長が腕をふるってくれて、素晴らしい料理が次々に出されました。社長のわたしが言うのも何ですが、松柏園の祝いの膳は日本一ではないかと思います。父は、9月26日に88歳となり、めでたく米寿を迎えました。食後は、88のロウソクが添えられた巨大ケーキと似顔絵付きのお祝いプレートが出されました。父は大喜びでした。


米寿祝いで笑顔の父(佐久間進)

 

長寿祝いは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であることを示し、「人は老いるほど豊かになる」ということをくっきりとした形で見せてくれます。長寿祝いとは、大いなる人生の祝勝会です。それにしても、家族のお祝いをしながら、美味しい料理とお酒をいただくのは最高です。家族の笑顔を見る以上の幸福はありません。そして、冠婚葬祭とは、人生の四季を愛でる儀式であると再確認しました。


「笑いの会」が開かれた天道館の前で

 

それから、12日の朝、天道館で開催された「笑いの会」に参加しました。今回でなんと、100回目になります。超満員となった「笑いの会」は、10時30分から開演されました。まずは主催者を代表して、サンレー社長のわたしが挨拶しました。わたしは、「みなさん、おはようございます!」と大きな声で挨拶し、「今日は特別な日です。2014年11月13日に第一回が開催された『笑いの会』が、おかげさまで記念すべき100回目を迎えることができました。この素晴らしい瞬間を皆様と共有できることを、心から嬉しく思います」と言いました。


マスクの下は笑顔です!!😊

 

最初はマスク姿で登壇しましたが、「マスクの下は笑顔です!」と言って、マスクを外したところ、大きな歓声が起こりました。わたしは、「この会は、『人は老いるほど豊かになる』という『老福』の考えのもとに始まりました。小ノ上マン太朗先生をはじめ、皆様の支えがあってこそ、コロナ禍も乗り越えて100回という道のりを歩むことができました。2020年には『北九州市健康づくり活動表彰』において優秀賞にも選ばれました。本当にありがたいことです。今日の100回記念イベントでは、楽しい時間を過ごし、新しい思い出を作り、更なる素晴らしい未来に向けてエネルギーを充電しましょう!」と述べました。


「笑いの会」での主催者挨拶のようす

 

さらには、「わたしも今年で60歳になりました。還暦を迎えたわけですが、みなさんから見れば、まだまだ若造かもしれません。あと何年生きられるかわかりませんが、笑いながら楽しく生きていきたいと願っています。これからも、みなさんと共に素晴らしい瞬間を分かち合い、成長していけることを楽しみにしています。それでは、100回記念のイベントを心から楽しんでいきましょう。本日は誠にありがとうございました!」と述べたのでした。


小ノ上マン太朗氏に表彰状を贈呈

 

その後、「笑いの会」の活動に多大な貢献をしていただいた「博多笑い塾」塾長である小ノ上マン太朗氏に表彰状を贈らせていただきました。記念品も添えさせていただきました。マン太朗氏が塾長を務める「博多笑い塾」とは、日本初の「笑い」のNPO法人です。福岡を拠点に、笑いの健康をテーマとして、笑いの医学的効用についての研究や実践を通した活動を行っています。素晴らしい活動だと深く敬意を表します。


100回目の「笑いの会」のようす

 

表彰式授与の後は、小ノ上マン太朗、太丸ばあちゃん、涼風歌萌、吉田シュンシュン、山本譲一といった方々によって会場は爆笑の渦に巻き込まれました。「笑い」は持続的幸福としてのウェルビーイングにとって非常に重要です。拙著『ウェルビーイング?』(オリーブの木)にも書きましたが、わが社は40年前から「幸せ」の追求に取り組んできましたが、「笑い」が大きな役割を果たしました。わが社は「落語の会」や「笑いの会」の開催を通して、笑いによる縁としての「笑縁」作りに励んできたのです。


第1回「笑いの会」のチラシ

 

拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)の「笑――ユーモアと笑顔が福を呼ぶ」にも書きましたが、笑顔は世界共通のコミュニケーションの「かたち」です。わが社の経営理念であるS2Mには「SMILE TO MANKIND(すべての人に笑顔を)」があります。わが社のような「ホスピタリティ」すなわち「親切な思いやり」というものを提供する接客サービス業においては、笑顔・挨拶・お辞儀といったスキルが非常に大切となります。中でも特に笑顔が必要であると言えます。サービスの現場だけではありません。営業においても、明るい笑顔でお客様に接するのと暗い無表情で接するのとでは雲泥の差があり、それは確実に成果の差となって出てきます。


第100回「笑いの会」のチラシ

 

マンカインドとは「人類」であり、「すべての人」という意味です。すべての人は、わたしたちのお客様になりえます。ぜひ、お客様のみならず、取引業者の方や社内の人たち、部下や後輩にも笑顔で接していただきたいと社員の皆さんにお願いしています。冠婚葬祭互助会であるわが社は、死別の悲嘆に寄り添う「グリーフケア」にも積極的に取り組んでいますが、そこでも笑顔やユーモアというものを大切にして、愛する人を亡くされた遺族の方々を対象とした「笑いの会」などを開催しています。葬儀においては、ひと昔前の遺影写真は笑顔がタブーとされてた時もありましたが、最近は笑顔の写真で遺影写真を作られる方も増えてきました。遺影写真は代々その家に残る写真なので、かしこまった写真より笑顔の写真がご遺族も心穏やかに過ごせるのではないでしょうか?


「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」の入口で

 

22日には、JR小倉駅前にある西日本総合展示場で、恒例の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」が盛大に開催。社長のわたしも、来賓として参加いたしました。控室では、2名のプロ棋士(武宮陽光六段、木谷好美三段)と囲碁談義に花が咲きました。わたしは、もともと囲碁は高齢者に向いたグランドカルチャー(老福文化)であると思っているのですが、以前そのことをお話しすると、SUNRAYを意味する陽光という名前の武宮六段は、「まさに、そうだと思います。将棋に比べて、囲碁は負けたときの敗北感が少ないと言われています。その点、将棋の方が勝負論が強いのかもしれませんね」と言われました。将棋は勝敗が一目瞭然ですが、囲碁は(黒白の石を打ちながら)白黒をはっきりとつけません。ストレスの少ない、優しい競技だとうのです。素敵ですね!


囲碁祭りの来賓挨拶をしました

 

会場に入ると、200名以上の棋士が集結して壮観!
「熱気ムンムン」という言葉がふさわしいです。10時からの開会式では、わたしは来賓として紹介されました。その後、大会実行委員会の田畑委員長の「主催者挨拶」に続いて、わたしが「来賓挨拶」を行いました。わたしは、登壇と同時にマスクを外し、「みなさん、おはようございます! 本日は、『サンレー杯 囲碁祭り団体戦』にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。昨年に引き続き、無事開催することができ、これもひとえに、皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上げます」と言いました。また、「藤井八冠の大活躍で将棋に熱い視線が注がれていますが、囲碁も負けずに盛り上げていきましょう!」と言うと、大きな歓声が上がりました。


囲碁は年長者向きのグランドカルチャー!

 

さらに、わたしは「よく考えたら、囲碁ほど凄いゲームはありません。囲碁は、何も無いとこから石を打っていくゲームであり、宇宙創造を模しているとされています。いわば、宇宙の遊びです。スケールが大きく、心ゆたかな文化です。医学的にも右脳を刺激し判断力を高め、ストレス解消や、ボケ防止などの効果があると注目されています」と述べました。また、わたしは「囲碁は、仏教の伝来と共に日本に伝わり、長きにわたり親しまれている日本の伝統文化であるとともに、長年の経験を積むことによる『老成』や『老熟』が何より物をいう文化とも言われています。わたしは、こういった文化を総称して『グランドカルチャー』と呼び、八幡西区のサンレーグランドホールという施設を高齢者複合施設として位置づけカルチャー教室などを通して実践しています」と言いました。


「碁縁」という「御縁」が生まれますように!

 

そして、わたしは「今、日本は人生100年時代を迎えています。重厚なグランドカルチャーの世界に触れて、これからの長い人生を豊かに過ごしていただくことが、老いるに幸福と書いて、『老福』という、充実した人生を過ごす1つの手段になると思っています。競技としては勝敗も大事ですが、老若男女の皆様方に、本日の大会を通じて囲碁仲間やご友人を作っていただき、人生をこれまで以上に豊かにしていただけましたら何よりでございます。そう、『碁縁』という御縁が生まれれば良いですね。参加者の皆様が普段の実力を大いに発揮し、健闘されることを祈念致しまして、開催のご挨拶とさせていただきます!」と挨拶しました。終わると、盛大な拍手が起こって感激しました。


『年長者の作法』(主婦と生活社)

 

さて、100回目の「笑いの会」の翌日となる13日、わたしの最新刊の著書『年長者の作法』(主婦と生活社)が発売されました。「『老害』の時代を生きる50のヒント」というサブタイトルがついています。カバー表紙には、「老いに親しむレシピ」と書かれています。帯には、タレントの梅沢富美男さんの笑顔の写真が使われ、「『老害』なんて言われても気にしない!」「老いていく自分をゆるして、年を重ねてきたからこそできる“ふるまい”でやっていきましょうよ。――梅沢富美男」と書かれています。


年長者のふるまい方とは

 

若者たちができる“ふるまい”と、年長者だからこそできる“ふるまい”は、おのずと違うもの。年を重ねたからこそ実践したい「年長者としてのふるまい」から、「年長者にこそ必要な『対人関係』のコツ」「孤立を防ぐ『縁』のつくり方」「人生の最期に備える覚悟」まで、老いれば老いるほど幸せになれる方法を徹底紹介しています。内館牧子さんのベストセラー小説を読んで、自らのふるまいを見直そうかと考えた人、老親のふるまいを見直してもらおうと考えた人にも読んでいただきたい内容です。


小笠原流の作法も図解で紹介!

 

アマゾンの内容紹介には、「年を重ねることの難しさをあらためて教えられ、そして励まされ、読み終わったあとには明日からの実生活にとても役立つ、中高年層必読の一冊。冠婚葬祭業の会社を経営しながら、小笠原流の礼法家としても活動する著者が、これまで多くの魅力的な高齢者と出会い、学びを得た経験も加えて、シニアが気持ちよく暮らしていくための考え方、日々のふるまい方・作法を徹底紹介しています」「何歳になろうとも、学びはある!」「老親へのプレゼントにも最適!」とも書かれています。


今年、還暦を迎えました

 

今年、わたしは60歳の誕生日を迎えました。ついに還暦を迎えたわたしは、年長者の仲間入りをしました。ここ数年は、コロナ禍のせいで誕生日を祝ってもらえなかった人も多いでしょう。誕生日を祝うとは、「あなたがこの世に生まれたことは正しいですよ」と、その人の存在を全面的に肯定することだと思います。人間関係を良くする最高の方法です。わたしは、誕生日が来るたびに『論語』を読み返しています。『論語』では、60歳を「耳順」といいます。「60歳になれば、人の言うことに逆らわず、素直に聴き入れることができる」という孔子の教えです。わたしは「耳順」を実践し、「従心(70歳になれば、心のままに行動しても、人の道を外れない)」への旅路を進んでいます。


「還暦」の息子と「米寿」の父

 

ふだんのわたしは、冠婚葬祭業の会社を経営しながら、人間尊重の精神である「礼」や、それを形にした「作法」を重んじています。小笠原流の礼法家としても活動しています。これまで多くの年長者の方々と出会い、学びを得てきました。その経験からも、この先の人生を豊かにするためには、「礼」や「作法」が必要であると痛感します。一方で、世間では「老害」などという言葉が使われています。人は老いるほど豊かになる「老福」をめざすべき、というわたしの考え方とは相容れません。社会はもちろん、年長者自身も老いを前向きにとらえることができなくなっています。そこで、年長者が穏やかに、かつ毅然と生きる道を示すべく、『年長者の作法』を書きました。超高齢社会を生きるみなさまの「老福人生」の良きガイドブックになれば幸いです。Tonyさんにも献本させていただきましたが、御笑読のうえ御批判頂戴できれば幸いです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。それでは、Tonyさん、次の満月まで!

2023年10月29日 一条真也拝

 

Shinさんこと一条真也さんへ

10月24日早朝に、朝日の豊栄上りの時刻に、Shinさんの見られた早朝の「龍」雲、確かに「龍体」に見えますね。すばらしい!

それは同時にまた「馬頭観音」に見えますし、右側が「スサノヲの横顔」に見えますよ。まるで、諸星大二郎の『暗黒神話』のようでもあります。いわば、<龍=馬頭観音=スサノヲの三位一体>ですね。すごい!

 

さて、お父上、佐久間進サンレー会長の88歳の米寿の家族でのお祝い、これまたすばらしい! お父上の米寿を心よりお祝いしお慶び申し上げます。ぜひ、90歳の卒寿、99歳の白寿、100歳の百寿(ももじゅ)を超えるまで長生きして、高齢化~「老福」社会のお手本となっていただきたくお願い申し上げます。

 

そうした高齢化・長寿社会において、大きな課題となるのが「死生観」問題ですが、この10月に島薗進さんの新著『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』が出版されましたね。大変参考になります。これについて、版元の朝日新聞出版から出ている広報誌の『一冊の本』にコラム記事を寄稿しました。

その本の書評の掲載を、版元の朝日新聞出版の編集部許可を得ましたので、添付します。

朝日新聞出版のPR誌の「一冊の本」では、字数制限があるので、最初に書いた原稿をずいぶんカットして掲載しましたが、その初稿を以下に掲載しておきます。

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「島薗学」の道行きの決算報告書としての本書『死生観を問う』

島薗進さんとはほぼ半世紀の付き合いである。二十代の半ばに宗教社会学研究会で初めて出会い、関わりのあった同人誌を送って感想を述べてもらったり、神秘主義研究会を一緒に開催したり、猿田彦大神フォーラムでともに活動したりと、さまざまな局面で伴走してきた。

その五十年近くの島薗進の学道探究の旅路を間近に見て来た者として、最新著『死生観を問う――万葉集から金子みすゞへ』は、折口信夫研究(修士論文)から死生学研究(東京大学COE拠点リーダー)を経て、グリーフケア研究(上智大学グリーフケア研究所所長および同大学院実践宗教学研究科死生学専攻委員長)に参入してきた「島薗学」の総括とも集大成とも言える渾身の一冊であると受け止めている。島薗進の眼と心を通して透かし見えた日本の文学(童謡を含む)と宗教(死生観を焦点化した)のきらきらしい陰影豊かな風光。その熟成した味わい深い風光を提示し得た「島薗学」の研鑽と知情意に心からの敬意を表したい。

本書は、読者の死生観形成を促し支援する本であると同時に、著者自身の死生観の練成の過程をも垣間見せてくれる。いわば「島薗死生学」の形成過程を、四国遍路の旅のように、古代から現代までの時系列と各地域の空間系列と文学者や宗教家各人の人物系列を自由に往還し召喚しながら逍遥する一種の「死生観絵巻物」である。その死生観ナラティブは、著者の等身大の関心と探究から発して、無理なく順々と歩まれているので、読者はあたかも四国遍路の弘法大師空海との同行二人のように、島薗水先案内人とともにゆったりじっくりと歩行(ほぎょう)し、自分のペースで行きつ戻りつすることができる。

そのことは、著者みずから、「現代人の死生観の探究の巡礼の旅を一巡して、還ってくるという構成になっている」(23頁)と言っている通りで、「あなた自身の死生観のために」(22頁)多大なヒントと気づきを与えてくれるだろう。穏やかで、よく目配りの効いた見通しのよい死生観巡礼の風光を見せてくれる。

その際のキーワードは、「魂のふるさと」「無常」「孤独」「悲嘆」「慰霊・追悼・鎮魂」「桜」「うき世」であり、取り上げる人物群は、柳田國男、折口信夫、。金子みすゞ、出口王仁三郎、太宰治(第1章)、野口雨情、小林一茶、鴨長明、蓮如、芭蕉、李白、大伴旅人、山上憶良(第2章)、紀貫之、杜甫、菅原道真(第3章)、紫式部、西行、井原西鶴、福沢諭吉(第4章)、夏目漱石(終章)など多様で多彩である。

ここで、それらをコンパクトにつないで見せるのは容易ではないが、特筆しておきたいのは、一方では安心の拠り所とも言える「魂のふるさと」が、他方では「孤独」であるがゆえに思慕され求められるというアンビバレンツが鋭く深く示されている点だ。これこそ、現代人のスピリチュアリティへの関心や探究の基盤にある裂け目であろう。まさしくそれは、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」(「小景異情」その二)であり、石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」(『一握の砂』)心情である。文学も宗教もそのようなアンビバレンツや裂け目を埋めるサムシング・エロスのはたらきと言える。

したがってこのサムシング・エロス(ふるさと思慕と探究)は、必然的に「魂のふるさと」すなわち安心や信頼の拠り所と「孤独」との間の往還となり、そこに「無常」という世界観も、「悲嘆」の感情も、「慰霊・追悼・鎮魂」の儀礼のわざも生まれてくる。それらがさまざまな文学作品や宗教思想や宗教活動となって現われ出る。たとえば「マレビトという言葉は、「魂のふるさと」のよそ者、「魂のふるさと」から追放された人という意味合いも含むものだった。」(「第1章 魂のふるさとと原初の孤独」五二頁)と折口信夫の「原初の孤独」を浮き彫りにする箇所など。

著者はそれらの一つひとつを確かな選択眼と丁寧な手つきで取り上げ、わかりやすく、じつに親切な語り口で読者の心前にやさしく差し出す。その手つき、目配り、心配りに、「島薗学」五十年の発酵と熟成を見る。

本書には、上記の他にも、随所に著者の視点、作品選択眼、独自の解釈と洞察が見られる。たとえば、漢詩と和歌や俳句との違い。鴨長明と小林一茶や野口雨情の無常の違い。折口信夫と出口王仁三郎と太宰治のスサノヲ観の共通項と微妙な差異。紀貫之の『土佐日記』の「悲嘆の文学」の側面のみならず「笑いの文学」や「憤りの文学」の側面の考察(目崎徳衛『紀貫之』の着眼に基づいて)などなど。手堅く、注意深く先行研究を参照しながらも著者独自の考察を上書きし、これまでとは異なる局面や文脈やフレームワークの中に位置付けていく。そこに半世紀の学道の熟成が滲み出る。

そして最初と最後に、若竹千佐子の芥川賞受賞作品『おらおらでひとりいぐも』の、夢の中での八角山登拝の光景とそこでの鮮烈な思いが取り上げられる。「帰る処があった。心の帰属する場所がある。無条件の信頼、絶対の安心がある。八角山へ寄せるこの思い、ほっと息をつき、胸をなでおろすこの心持ちを、もしかしたら信仰というのだろうか。八角山はおらにとって宗教にも匹敵するものなのだろうか。」(11、324頁)

だが、このような「八角山」という「帰る処・心の帰属す場所」を持ち、「無条件の信頼」を寄せ「絶対の安心」を抱くことはそれほど簡単ではない。筆者は2016年の秋から比叡山登拝(標高848メートル)を始め、890回の登拝経験を持つ。自分にとって、「八角山」に相当する山が「比叡山」であるという実感がある。そして、そこに繰り返し登拝することで「無条件の信頼」や「絶対の安心」が生れてくることも体験的に理解できる。

しかしながら、現代の気候危機の中で、比叡山のみならず、世界中の山河が大きく変化している。いつ何どき土砂崩れや崩落に見舞われるかわからない危機的な状況にある。そうした中で、「魂のふるさと」という定点に行き着けず、漂流する死生観を生きるほかない人びとへの次なるメッセージが必要であるように感じている。

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さて、わたしの方はと言えば、10月に約1週間、「ガン遊詩人北海道の旅」をしてきました。函館、札幌、旭川・東鷹栖の3都市で。北海道では旧交をあたためるとともに、本当にいろいろな新たなつながりが生まれ、ありがたくおもいました。長屋のり子さん(屋久島在住の詩人故山尾三省さんの実妹)、札幌の詩人渡会やよひさん、旭川の詩人で詩誌「フラジャイル」主宰者の柴田望さんを始め、関係各位に心より感謝申し上げます。ステージⅣのがんであっても、去年に引き続き訪問することができたことを大変嬉しく有難く思っています。そこで、いろいろな学びと気づきがありました。「一期一会」の思いでいるので、次の機会があるかどうかわかりませんが、1日1日、1回1回を大切にしていくために、記録を残してもいます。

 

以下、「ガン遊詩人北海道の旅」の記録をまとめてみました。お時間のある時にご覧ください。特に、3日目の「暴発と浄化」は、今にもイスラエルのガザ地区攻撃が始まるやもしれない時期、絡みに絡まったこの戦いの連鎖を終結に向かわせることなど、本当にできるのかと、嘆息をつかざるを得ない絶体絶命状況の中で、それでもできることとは何かを問いかけ、意見交換をしております。わたしは、この1ヶ月ほど、安部公房とハンナ・アーレントを読んでいました。特に、アーレントの『人間の条件』と『全体主義の起源』を。

1日目 動画リンク:ファイル名:ガン遊詩人の旅 函館・大沼公園から見上げる駒ケ岳 2023年10月12日

2日目 動画リンク:https://youtu.be/TyY42H4Yb4w
ファイル名:ガン遊詩人北海道の旅第2日 2023年10月13日

3日目 動画リンク:https://youtu.be/8TdPeowTOf4
ファイル名:ガン遊詩人北海道の旅第3日 2023年10月14日

動画ファイル名:鼎談「暴発と浄化ーあらみたまとにぎみたま」2023年10月14日 札幌道民センター

 

動画ファイル名:神道ソング「一霊四魂」2023年10月14日

4日目 動画リンク:https://youtu.be/tflZB_Gphyw
ファイル名:ガン遊詩人北海道の旅第4日 2023年10月15日

東鷹栖公民館講演「安部公房 化仮の文学」:

5日目 動画ファイル名:ガン遊詩人北海道の旅第5日 大重潤一郎映画上映 北海道大学学術交流会館 2023年10月16日

 

6日目 動画リンク:https://youtu.be/JRQJidFOqKM
ファイル名:ガン遊詩人北海道の旅第6日 北の大地札幌から京都に帰る 2023年10月17日

 

ロシア-ウクライナ、イスラエル-ハマスの戦争のみならず、日本全国各地に及ぶ土砂崩れやクマ被害の多発、後者はともに山林とその周辺に住む人間とのかかわりの問題でもあります。国内外の危機はいっそう深刻度を加え、「絶体絶命」を通り過ぎて、メキシコ・アカプルコのハリケーン被害に顕著に顕れているように、各所で激しく壊れています。これからも被害が激発することは避けられません。

が、その中で、どのように生きるか、システム転換をはかるか、人間のありようが問われています。わたしはこれまで「絶体絶命の危機が来るヨ!」と叫び続ける「オオカミ少年(老年?)」でしたが、見栄も恥も外聞もなく、これからは阿波出自の「たぬきジジイ」として「遊戯三昧」に化かしつづけてまいります。もう正攻法では致命傷的に遅いです。

 

昨日、比叡山に登拝したら、バッタリと関テレ「newsランナー」の取材陣に声をかけられたので、インタビューを受けたのですが、最後に、こちらの方から取材陣3人に「逆取材」しました。が、その日は、ハプニングの連続でした。声をかけられたこともその一つでしたが、canonのポケットカメラのSDカードのメモリー切れもありました。また、取材に時間を取られたので比叡山山頂で日没を迎え、下山の際には本当に真っ暗くらになってしまい、いつも以上に大変危険な事態となり、時間もかかりました。

動画ファイル名:東山修験道890 2023年10月30日

 

上の動画中の歌「南無阿弥陀仏マリア」は2001年にリリースしたフィーストアルバム『この星の光に魅かれて』の10曲目です。22年前に歌い、当時のローマ教皇にサンピエトロ寺院で天河大辨財天社の柿坂神酒之祐宮司さんたち一行と謁見した折、ヨハネ・パウロ二世に謹呈したのですが、異教徒の血迷い歌と聴いてくれなかったでしょうねえ…… ざんねんながら…… ヨハネ・パウロ二世にも、今のフランシスコ教皇にも好印象をもっているのですが……

1st アルバム「この星の光に魅かれて」(Moonsault Project,2001年リリース、ラスト15曲目の「まほろば」の短歌を除く全曲作詞作曲 鎌田東二)

01. 弁才天讃歌(5:08) 編曲:古川はじめ
02. 神(4:03) 編曲:古川はじめ
03. ぼくの観世音菩薩(4:41) 編曲:KOW
04. 泥の鳥ブルース(3:17) 編曲:古川はじめ
05. エクソダス(4:44) 編曲:古川はじめ
06. 虹鬼伝説(6:43) 編曲:古川はじめ 【YouTubeでの視聴はこちら】
07. 永訣の朝(3:58) 編曲:KOW
08. 銀河鉄道の夜(6:00) 編曲:KOW
09. ティル・ナ・ノグ(4:09) 編曲:KOW
10. 南無阿弥陀仏マリア(3:01)
11. 鳥は神に向かって飛ぶ(5:42) 編曲:KOW
12. 君の名を呼べば(5:00) 編曲:古川はじめ 【YouTubeでの視聴はこちら】
13. 月山讃歌(5:37) 編曲:古川はじめ
14. この星の光に魅かれて(5:53) 編曲:KOW
15. まほろば(2:59) 短歌:倭健命
total 71分:12秒

また、以下は比叡山登拝「888」回目の節目の東山修験道です。ぜひ見てやってください。

動画ファイル名:東山修験道888 2023年10月26日

 

クマ被害問題では、「京都伝統文化の森推進協議会」を通して、毎日放送(MBS)からの取材も受け、<京都でも『腕や耳が血だらけに』クマ出没増…被害者を救助した人が語った壮絶な状況(MBSニュース)>:https://www.mbs.jp/news/kansainews/20231024/GE00053192.shtmlというニュースの一部に出ています。

原因は、熊の数が増えたこと、エサとなるドングリなどが不作であること、食料が人間社会にあることを知って里や町に出没するようになったことなど、複数があるようです。全国的に、クマ獲りの文化(マタギ文化)が衰退し、野生動物に対する畏怖畏敬もリテラシーを亡くなってしまったことも関係していると思います。

Shinさんとのこの「ムーンサルトレター」の交換でも、何度も何度も口が酸っぱくなるほど言ってきましたが、「人間尊重の精神」とともに、いや、それ以上に、「自然への畏怖畏敬とそれに基づく行動」をわたしたちが取る必要があると思っています。21世紀にそのような行動転換や文明システム転換ができなければ、「人間尊重」どころか、「人類絶滅」に向かうのではないでしょうか?

 

10月20日から22日には、愛媛県松山と町立久万美術館に行っておりました。「顕神の夢」展が、第4回目の会場となる愛媛県久万町立久万美術館で10月21日から始まったからです。その模様とオープニング鼎談を動画公開しています。

オープニング鼎談は、たいへん愉しく、面白く、しかもとても有意義な啓発される内容でした。それぞれの会場、個々の作品が違う表情を響き合い(作品間相互ケアないし対話)をしているひそひそ声を聴き取ることができるようになりました。ちょっと、オカルトかな?

動画ファイル名:「顕神の夢」展オープニング鼎談 土方明司川崎市岡本太郎美術館館長×江尻潔足利市立美術館学芸次長(詩人)×鎌田東二 於:愛媛県久万町立久万美術館(高木貞重館長)2023年10月21日

動画ファイル名:ガン遊詩人松山への旅 2023年10月20日

 

松山には、18歳の時に出逢って、1970年に大阪の心斎橋で一緒に「ロックンロール神話考」と題する芝居を1ヶ月上演した時の親友・故戸田遊くん(49歳で肺がんで死去)がもつ鍋屋をしていたので、20回は来ていますが、今回初めて松山城に登りました。

松山城とその周辺の町づくりを見て、腑に墜ちるものがありました。とにかく、凄いお城で、この城下町に、正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐、石田波郷、中村草田男が出たのがよく分かりました。夏目漱石の『坊っちゃん』が生まれた基盤も。

さすが、親藩の松平藩だけあるわい、と思った次第です。泥棒上がりの阿波初代藩主蜂須賀小六家政から始まる阿波藩とは大違いだわい、とも嘆息をつきながら思いましたね。阿波は、文化果つる地でした。ざんねんむねんながら。嗚呼! 阿波の国は「死国‐詩国」の文化果つる「泡バブル」の国なり。それを何とかしたいわい!

 

そして、10月22日には、松山藩久万町立美術館の美的かつ文化的世界から一挙に東京に飛んで、「顕神の夢」の等身大の当事者版地元語り(比叡山や京都伝統文化の森推進協議会の活動のことなどの話)をしました。東京の下落合にある公益財団法人日本心霊科学協会で以下の動画のような話をしたわけです。おもろかったあ~!

この際、ほぼ10年ぶりで三浦清宏さん(1930年~、現在93歳)と再会し、37年ぶりで江原啓之さんと再会しました。ご存知のように、三浦清宏さんは、『長男の出家』で芥川賞作家となった元明治大学教授の英米文学者であり、心霊研究家です。また、江原啓之さんは、「オーラの泉」などでよく知られている心霊研究家であり、スピリチュアリストです。これまで、3冊危ないシリーズ(『子どもが危ない』『いのちが危ない』『あなたが危ない』、ともに集英社、2004年,2005年,2019年)を出してきて、まもなくその最終章となるシリーズ4冊目の『この世が危ない』を出版するとか。

じつは、1983年9月からわたしは、母校の國學院大學の非常勤講師となり、文学部の「倫理学」「日本倫理思想史」と別科の「倫理学」の3科目を担当するようになったのですが、1986年に別科の学生だった22歳の江原啓之さんがその「倫理学」の授業を受けてくれていたのです。そして、授業で彼が鮮明に覚えているのは、視聴覚教室でアニメ「風の谷のナウシカ」のビデオを見せて感想文を書けと課題を出したことだそうです。

わたしは、1968年に、和歌山県田辺高校3年の田村君が書いた「みなさん 天気は死にました」という詩に串刺しされたまま、それにどう対処するのかという思いを持ち続け、1970年に、大阪の心斎橋で1ヶ月上演した自作・自演出の音楽劇「ロックンロール神話考」を上演しました。

そこでも、冒頭に狂言回しの天気予報士が出てきて、「みなさん、天気は死にました」と宣言するところから始まります。そして、太古の神代の国生みの原父母イザナギ・イザナミのみことが、自分たちはこの日本の国土をはじめ、たくさんの子どもたちを産んだが、その子どもたちが今どうなっているか心配だ、その様子を探りに行こうとします。片や、現代の少年少女たちが自分には血のつながりのある父母がいるが、本当の父母がいるはずだ、その本当の父母を探しにいこうとして、互いに時空を超越してすれ違いながら、様々な事件や出来事に遭遇し、最後に全員死に絶えるが、「ある超越的な力で甦るかもしれない」という暗示で終わります。そんな音楽劇でした。

そんな危機意識が10代の終わりからずっとあるので、江原啓之さんの「危ない」シリーズには、読む前から同感するところがありました。そして、その既刊本3冊を送ってくれたので、『子どもが危ない』『いのちが危ない』『あなたが危ない』の3冊全部を一気に読了しました。

江原さんの論述は、非常に明晰にして理性的で、文章もとても分かりやすいものでした。驚いたのは、その文章力、適確な表現力です。まず、『子どもが危ない』(2004年)と『いのちが危ない』(2005年)を全読して、江原さんの危機巻とわたしの危機巻は共通していると思いました。子どもたちやいのちの置かれている状況、これからの「新しい家族」観、自殺についての考え方、「小我」から「大我」への変容、宿命と運命の違いなどなど、主要な主張点や論点も多く共通しているところがありました。

が、おそらくは英国起源のスピリチュアリズムの霊的世界観を元に霊界や霊のはたらきを説く江原さんと、基本的に古代神道の世界観に基づいて「一霊四魂」(直霊/荒魂・和魂・幸魂・奇魂)のはたらきやスサノヲや大国主神のはたらく「かくりよ(幽世)」を説くわたしの説き方とはだいぶ異なるものがあります。わたしの中には「低級自然霊」という考えは微塵もありません。あえて言えば、進化の頂点にいると思い上がり、戦争を繰り返すニンゲンこそがいちばん「低級」ではないか、と思っているくらいですので。

3冊目の『あなたが危ない』では、

①「人が不幸になるには、自己憐憫、責任転嫁、依存心という三原則がある」(18頁)

②「病にも学びがある」(46頁)ーー 1)「肉の病。過労や不摂生などフィジカルな問題からくる病」、2)「思い癖の病。心配性な人が胃腸を悪くするなどメンタルからくる病」、3)「宿命の病。寿命に関わる病も含め、先天的な病など自分が決めたカリキュラムとしての病」(46頁)

③「安楽死」と「尊厳死」との違い(141頁)

④「スピリチュアルスポット(=神聖なる祈りの場所)」と「パワースポット」との違い(169‐170頁)

⑤「本当の静寂を知るというのは、感性を磨くにはとても大切」(175頁)

などの箇所が印象に残りました。とりわけ、⑤の指摘など、わたし流の言い方では、「聖なる静けさ」が大事という言い方で主張してきたことと重なり、④はもちろん「聖地霊場」と古来言い慣わしてきたことと重なります。

トータルには、生まれてきた意味、生きる意味と人間の価値、生き方指南が、江原さん自身の幼少期からの経験とそこから得た気づきや洞察や教訓から自分の言葉で明晰かつ理性的に語られていて説得力があり、読者の参考になる言葉が多々あると思いました。

そんなこんなで、この時、ここに、 かつて「心霊研究」の編集長であった同志・梅原伸太郎さん(1939‐2009年)が存命でいてくれれば、もっともっとおもろかったのにと思わずにはいられませんでしたが、残念です。梅原さんは、ハリー・エドワーズの『霊的治療の解明』(春秋社、1984年)も翻訳し、1985年に、共に、「精神世界フォーラム」を結成し、また同年「霊学自由大学」を設立して、「霊学」の探究を共に共同作業的に始めていて、「さにわ(審神者)」と「かんぬし(神主)」の問題を喧々諤々議論しておりました。その梅原伸太郎さんとも一緒にセカンドステージの激論を交わしたかったです。ホント、残念、なり。

動画ファイル名:「自然、比叡山、鎮魂、セルフケア」 公益財団法人日本心霊科学協会  三浦清宏さん、江原啓之さんと再会 2023年10月22日

 

ところで、研究会の活動の方は、「ことばと魂」研究会の次のテキストを、アーサー・W・フランクの『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』(鈴木智之訳、ゆみる出版、2002年)に定めて、第1回目を開催しました。

その少し前に、立命館大学で開催された「社会政策学会」第147回大会に参加した日本大学文理学部助手の社会福祉学者の中野航綺さん(東京大学大学院文学社会系研究科社会学専攻博士課程在籍中)がわが家を訪ねて来て、彼が専攻している社会福祉学~福祉社会学のポジショニングをいろいろと意見交換しました。そこで、政治学(社会政策の立案実施過程)と社会学(社会政策へ至る社会意識や社会活動の分析や考察)の間にある、社会実践の学である「社会福祉学」と、福祉を対象として捉える社会学としての「福祉社会学」とをクロスさせながら、より全体的・立体的・ホーリスティックに社会福祉の問題を捉えることが必要だという中野航綺さんの学問的立ち位置をめぐる議論をしました。そして、部分治療である対症療法のようなやり方ではなく、生き方(生活習慣などを含む)と病の過程の全体に向き合う「漢方」のような全体的療法につながるような「社会福祉」の捉え方が必要だという意見で一致しました。

 

これを、アーサー・W・フランクの『傷ついた物語の語り手』に即して言えば、

①回復の語り(restitution narrative)は、どちらかと言うと、前者の「対症療法的」なあり方、
②混沌の語り(chaos narrative)は、そのどちらでもなく、引き裂かれ、分裂・分断した状態、
③探求の語り(quest narrative)は、「漢方」的全体的療法、

です。

 

が、わたしとしては、逆境を学びと経験の得難い機会とするような「自由自在」で「遊戯三昧」なナラティブを目指したいと思わずにはいられません。手前味噌ですが、それが第7詩集『いのちの帰趨』(港の人、2023年7月22日刊)となりました。

そして、上記の問題意識をあえてウィトゲンシュタインの前期の『論理哲学論考』と後期の『哲学的探究』に引き付けて言うなら、対症療法は論理実証主義や分析哲学に結びつく『論理哲学論考』、ホーリスティック~漢方療法は言語ゲームや生活世界の日常言語について向き合おうとする『哲学的探究』ということになるとおもっています。強引な結び付け方ですがね。いずれにせよ、ことば~ナラティブ(語り)のありようの言語性格をよくよく考察する必要があります。

その意味でも、「傷ついた人びとの語り」の問題は、自然災害が多発し、各地で難民化やスラム化が進行している今日的状況において、いっそう切実で重要な問題地平を提示していると思っています。

これまで、「ことばと魂」研究会では、松尾芭蕉『奥の細道』の全体を講読しました。そこから、いろいろと面白く、重要な問題が見えてきました。このテキストを取り上げたきっかけは、井筒俊彦『意識と本質』を半年余りかけて講読・議論して、井筒理論の中での芭蕉の取り上げ方があまりに井筒流で恣意的なとりまとめにも見えたので、ここで芭蕉の代表作をじっくり読みながら、「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」(『三冊子』)と言った芭蕉の句作と記述を具体的に見ていこうということにありました。

そして、冒頭の江戸深川発「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と、末尾の大垣水門川発「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」の対照的対応のレゾナンスというかサンドイッチが、実に巧妙に響き合っているというのも、奥深いケア的要素を持つものと思いました。こうして、『奥の細道』の最終局面で、大垣から水門川~揖斐川を伝って桑名に向かう川筋の道行きを辿ったことの具体相が見えてきて、伊勢までの旅程の持つ意味も考えさせられました。当日の俳句・俳諧は、一種の「芸能」であり、「ケア」の役割も果たしたとおもわれます。もちろん、連歌・連句などの座の文芸のエンターテイメントな要素も含めて。わたしも、がんが発覚して手術をし、入退院中から改めてこれまでよりいっそう「遊戯三昧」を目指すようになりましたが、俳諧も遊戯三昧的ケア文芸と感じます。

 

そのような、自分自身の手術と入院の経験を踏まえて、NPO法人ヒーリングタッチ協会主催の「スピリチュアルケア講座」で、そのあたりのケアと芸能との関係を語りました。10月29日の日曜日の10時~12時にZoomでその「スピリチュアルケア講座」を開催したのです。

 

さて、次は、来たる11月5日から12日まで、山形県鶴岡市の「鶴岡アートフォーラム」です。そこで、東日本大震災の須田郡司さんとの合同写真展と、地元の市会議員の草島進一さんや元東北芸術工科大学東北学研究所教授の舞踏家森繁哉さんとトーク&パフォーマンスを行ないます。山形県周辺に知り合いがいましたら、ぜひご案内ください。
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須田郡司・鎌田東二写真展「東日本大震災の記録と巨石文化」
日時:2023年11月5日(日)~12日(日) 10:00~18:00 入場無料
※11月6日は休館。11月12日、最終日は17:00で終了。
会場:鶴岡アートフォーラム県民ギャラリー1C 鶴岡市馬場町13-3

トークイベント ①、② 共に参加無料 先着20名様(要予約)
①11月5日 14:00~16:00
「東日本大震災と災害多発時代の備えと対策」
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:草島進一(鶴岡市議会議員)

②11月12日 14:00~16:00
「災害と芸能~荒ぶる時代の鎮魂の芸能を求めて」
鎌田東二 × 須田郡司
ゲスト:森繁哉(舞踏家・元東北芸術工科大学教授)

③ライブ&パフォーマンス「荒魂~スサノヲの雄叫び」
鎌田東二+森繁哉+草島進一ほか
会場:フォーラム(交流広場)
開演:18:30~19:30 (開場18:00~)
参加費:2000円 (要予約)当日受付にてご精算ください。

トークイベントとライブパフォーマンスの申し込みは、下記フォームメラー、 https://ssl.form-mailer.jp/fms/1c89bef2778557
またはメールよりお願いします。voiceofstone@gmail.com (スダ)

鶴岡アートフォーラムjpeg

 

最後に、来月、2023年11月に対談集『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)が出版されますね。ぜひ多くの方々に読んでほしいものです。

10月も終わりです。それでは、次の11月の満月の夜に。それまでくれぐれも御身お大事にお過しください。

2023年10月31日 鎌田東二拝