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シンとトニーのムーンサルトレター第225信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

Tonyさん、こんばんは。11月の満月は「ビーバームーン」、別名「フロスティムーン」あるいは「ロングナイツムーン」とも呼ばれます。まずは、11月17日に小倉の松柏園ホテルで開催されたサンレー創立57周年記念式典の話から始めたいと思います。この日は朝から同ホテルの神殿で恒例の神事が行われました。わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さいました。わたしは玉串奉奠を行い、会社の発展と社員のみなさんとそのご家族の健康を祈念しました。


創立57周年記念神事のようす

創立57周年記念式典のようす

 

神事の終了後、バンケットに移動して創立57周年記念式典が開催されました。コロナ前は500名を超える社員が参加しましたが、3年前の創立54周年記念式典からは人数を制限して、「創立記念式典」が開催しました。また、新館ヴィラルーチェに第二会場も用意しました。今年は会場は1つのみでしたが、人数は400名以内としました。最初に、社長のわたしが会場に入場しました。今年初めて、佐久間進会長が参加せず1人だけの入場となりました。勇壮な「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて全員でマスクを着けたまま社歌を斉唱し、それから「経営理念」が読み上げられ、これも全員で唱和しました。


マスク姿で登壇しました

 

続いて、わたしの「社長訓示」の時間です。創立記念式典ということで、西陣織のシルクの祝賀用マスクをつけたまま登壇したわたしは、以下のような内容の話をしました。無事に57周年を迎えることができて、大変嬉しく思います。これも日々、各部署で頑張って下さっているみなさんのおかげです。本当に、ありがとうございます。コロナもようやく落ち着いてきましたが、今後どのようなパンデミックが訪れようとも、わたしたちは、人間の「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、冠婚葬祭を守っていかなければなりません。コロナ禍の中で、わたしは冠婚葬祭業という礼業が社会に必要な仕事であり、時代がどんなに変化しようとも不滅の仕事であることを確信しました。


マスクを外しました

 

創立57年周年を迎えたわが社ですが、このまま行けば、過去最高の業績で終えることができそうです。コロナ禍でさんざん苦しんできた冠婚葬祭業ですが、今年に入ってから大爆発。新年からいきなりロケットスタートを切ることに成功しました。互助会業界全体が好調のようですが、その中でも注目されているのが、わがサンレーです。いま、サンレーの時代」であると痛感します。8月22日、ホテルベルクラシック東京で、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の創立50周年記念行事が行われました。理事会の後、「互助会業界将来ビジョン報告会」を開催。互助会業界の若手経営者たちが苦心して作成した将来ビジョンは多くの示唆に富んでいました。


互助会の将来ビジョンについて

 

将来ビジョンの最後は、「即ち、『将来に向けて業界が目指すべき姿』は『生まれてから亡くなるまでの一人ひとりの暮らしがよりウェルビーイングなものになるように〔健康〕〔交流〕〔助け合い〕を軸として、個々の会員としての関係を深め、会員同士のつながりを広げることで〔心ゆたかな社会=ハートフル・ソサエティ〕を実現していくことにある』といえる。まさに将来ビジョンとして、業界が掲げるべきは『冠婚葬祭産業からウェルビーイング推進産業への昇華』であり、その事業活動を通じて、『感動』や『感謝』、『思いやり』に溢れる社会『ハートフル・ソサエティ』の実現に貢献していくことが求められていると考えている。」として、【一人ひとりにウェルビーイングな暮らしを届ける】とまとめられていました。


「ウェルビーイング」が時代のキーワードに

 

これを知り、わたしは非常に感動しました。互助会業界全体のビジョンに「心ゆたかな社会」「ハートフル・ソサエティ」「ウェルビーイング」が入ったからです。これはサンレー思想そのものなのです。「ウェルビーイング」が時代のキーワードになっていますが、その定義は「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。わが社の佐久間進会長はまだ誰も注目していない40年前に、わが社の経営理念として、また社会理念として「ウェルビーイング」を掲げていました。創立20周年のバッジにも、社内報にも「ウェルビーイング!」の文字が踊っています。本当に驚くべきことです。現在、「ウェルビーイング」は、「SDGs」の次に来る人間の本質的な幸福を目指すコンセプトとしてクローズアップされています。


「コンパッション」が不可欠!

 

そして、その次に注目されるであろうキーワードが「コンパッション」です。直訳すれば「思いやり」ということになりますが、キリスト教の「隣人愛」、儒教の「仁」、仏教の「慈悲」など、人類がこれまで心の支えにしてきた思想にも通じます。これはサンレーが提供するケアやサービスに必要不可欠なものです。真の思いやりをもったケアやサービスは、必ずお客様を笑顔にしていきます。そして、笑顔となったお客様は当然、幸せな気持ちになります。同時にお客様を笑顔にすることができた社員自身も幸せを享受することができると思います。幸せの場である婚礼のシーンではもちろんのこと、ご葬儀においても「大切なあの人をきちんとお見送りすることができた」と、笑顔になり、スタッフへ感謝の言葉をかけてくださるご遺族が多くいらっしゃいます。


「CSHW」の実践を!

 

わが社は、「CSHW」の実践を目指しています。これは、Compassion(思いやり)⇒Smile(笑顔)⇒Happy(幸せ)⇒Well-being(持続的幸福)と進んでいくサイクルです。そして、Well-being(持続的幸福)を感じている人は、Compassion(思いやり)をまわりの人に提供・拡大していくことができます。これが「CSHW」のハートフル・サイクルです。すなわち、ハートフル・サイクルはそこで回り続けるのではなく、周囲を巻き込みながら拡大し「思いやり」を社会に拡散をしていくサイクルなのです。


最後に道歌を披露しました

 

このハートフル・サイクルが社会に浸透した状態が「ハートフル・ソサエティ」であり、「心ゆたかな社会」であり、「互助共生社会」です。最後に、わたしは「サンレーは、ハートフル・サイクルの起点となるべく「CSHW」ハートフル・サイクルを回しましょう。そして、58周年、60周年、さらにその先へと進んで行きましょう!」と訴えてから、「おもいやり 笑顔と幸の出づる輪を 回し始めん 心ゆたかに」という道歌を披露しました。


『古事記と冠婚葬祭』

 

それから、わたしたちの対談本である『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)が11月21日に発売されたことを祝いたいと思います。「神道と日本人」のサブタイトルがついた同書は、今年3月8日・9日に小倉の松柏園ホテルで行われたわたしたちの対談が収められています。本書の帯には、わたしたち2人の写真とともに「人間は神話と儀礼が必要! 日本人のDNAに刻まれた神道の姿が明らかに。」「希代の神道学者と儀式の第一人者による奇跡の対談!」と書かれています。「目次」は、以下の通りです。

まえがき
「一条真也は歌う人であり、書く人である。」鎌田東二

第1章 神道とは何か
■三つの道
■キリスト教との違い
■仏教との違いは
■宗教とは何か
■グレート・スピリット
■伝承型宗教
■太陽信仰を考える
■儀礼と神道
■童謡「むすんでひらいて」
■教義のない宗教
■祭りとは何か
■「あっぱれ」と「あはれ」

第2章 神道と冠婚葬祭
■結婚よりも結婚式の方が先?
■神前式夫婦の方が離婚しにくい?
■宗教における葬儀の役割
■「生」と「死」について
■震災と死生観
■禊の重要性
■鎌田東二の死生観
■「人生会議」と「死生観カフェ」

第3章 現代社会と神道
■「ウェルビーイング」と「コンパッション」
■現代の神道
■アップデートする神道について
■アップデートする冠婚葬祭について
■パワースポットブーム?
■教義のない宗教
■「リメンバー・ミー」から
「リメンバー・フェス」へ
■神道の「先祖祭り」から仏教の「お盆」へ
■死者を忘れない

第4章 神話と儀礼
■儒教と神道
■儒教と儒学
■小林秀雄の『本居宣長』
■宣長の人生における最大の謎とは?
■小林秀雄と江藤淳の対話
■「宣長コード」を読み解く
■『古事記』とは何か
■歌物語としての『古事記』
■グリーフケアの書としての『古事記』
■神道ソングライター誕生
■スサノヲノミコトは不調和
■歌は気持ちをあげてくれる
■「宗教」と「礼楽」
■日本人と「見立て」の文化
■能と詩の世界
■神道と礼
■阪神。淡路大震災で変わった死生観
■変容する葬儀
■宮崎アニメ・「君の名は。」・「シン・ゴジラ」
■『鬼滅の刃』と神道
■『鬼滅の刃』と祭りと神話
■ヒノカミとは何か
■日本神話のアップグレード
■鬼滅ブームは夏祭りと盆踊りの代わりだった?
■現代社会は「大中世」
■歌と儀式がめざすもの
■結婚式と長寿祝い
■葬儀はなぜ必要なのか?
■なぜ儀式を行うか

第5章 注目すべき人々との出会い
■聖徳太子は聖人の龍である!
■吉田兼倶から本居宣長・平田篤胤へ
■二宮尊徳の存在
■柳田国男と折口信夫
■南方熊楠と宮沢賢治
■死んだらどこへ行くのか

あとがき
「鎌田東二は、鳥の目と蟻の目で森羅万象を見通す」一条真也


魂の義兄弟のツーショット

 

はじめに「一条真也は歌う人であり、書く人である。」を、Tonyさんは「一条真也は歌う人であり、書く人である。どちらも圧倒的なエネルギーと質量を持っている。余人の追随を許さないほどのボリュームと速度で。すっとばす。かっとばす。ぶっとばす。すごい。すさまじい。すばらしい。すえおそろしい」と書き出しておられます。まことに恐縮です。また、Tonyさんは「一条真也さんに初めてお会いしたのは、1990年の11月。以来、観世音菩薩の化身の数の『33年』が経った。この間に、一条さんは、33冊どころか、その3倍の100冊以上の本を出版した。そして、本書は115冊目となる。凄い!」と書かれています。恐縮です!


わたしたちの共著の数々

 

さらに、Tonyさんは「なぜ、これほどの数の本を短時間で書けるのか? 単純に言うと、そのアウトプットを支えるだけのインプットをしているからである。インプットとは、読むこと、見ること、考えること。つまり、読書と観賞と思考である。本を読み、映画を観、思索する。それを毎日欠かさない。その姿は、まさしく本書の第五章でも触れた二宮尊徳の示した四徳『至誠・勤労・分度・推譲』の実践である。志を持ってまことを尽し(至誠)、心を込めてアクションをし(勤労)、自分自身の等身大のサイズを現状認識して在るべきサイズに修理固成し(分度)、いのちあるものみんなと分かち合ってシェアーし合いリレーし合う(推譲)」と述べておられます。


大いに語る鎌田東二

 

そして、Tonyさんは「一条真也が粉骨砕身して本を書き続けることは、このような四徳の実践でもある。これによって、彼が父から受け継いだ命題『礼経一致的天下布礼的世直し心直し』ができるのである。彼にとって書くことは、私的行為ではない。常に公共的行為として行なう社会発信である。世阿弥が『風姿花伝』で能とは『天下の御祈祷』と何度も強調したことを敷衍して言えば、一条真也の書き物はすべて『天下の御布礼』の道しるべであり、道直しである」と述べられるのでした。もう穴があったら入りたいくらい恐縮の至りです。


わたしも大いに語りました

 

これまでにもTonyさんとは何度も対談やトークショーやパネルディスカッションなどで御一緒してきました。最初は、わたしの対談集『魂をデザインする』(国書刊行会)に収録されている対談が行われた1990年11月でした。そのときに初めて鎌田先生にお会いしたので、わたしたちの親交も33年になります。わたしたちは大いに意気投合し、義兄弟の契りを結びました。今回の対談は、三分の一世紀を共に生きてきたわたしたち魂の義兄弟の一つの総決算となりました。


わたしたち義兄弟の総決算になりました

 

「知の巨人」であるTonyさんの肩書は「宗教哲学者・民俗学者」となっています。宗教学とは個別の宗教現象などを研究する経験主義の科学という性格を持っていますが、宗教哲学は対象そのものを捉えて、その本質を探り、抽象的な思考をするもの。「宇宙とは何か」「心とは何か」「鬼とは何か」といったテーマにも取り組む。それは、数学と天文学をミックスしたような抽象的な学問なのです。


2日目も対談しました

 

一方の民俗学ですが、特定の地域の祭であるとか習俗であるとか、徹底してローカルなテーマを扱います。この「蟻の目」ともいうべき緻密な現場主義が民俗学にはあるのです。Tonyさんは、「宗教哲学はマックスであり、民俗学はミニマムであり、わたしは両方を求めたい」と述べられました。わたしは、これはまったく経営にも通じる考えだと思います。経営には「理念」と「現場」の両方が必要だからです。「理念」だけでは地に足がつかないし、「現場」だけでは前に進めません。マックスとミニマム、鳥の目と虫の目、理想と現実・・・Tonyさんが学問で追及していることは、すべて経営者としてのわたしの課題でした!


2日目の対談のようす

 

その意味で、わたしは「経営も学問である!」と悟りました。けっして経営学のことではない。経営という行為そのものが学問なのです。Tonyさんは現在、ステージ4のガン患者です。ご病気のことはご本人から知らされていました。酒も煙草もやらず、比叡山への登頂を繰り返すTonyさんの生き方を知っていたので非常に驚きましたが、その後も日本全国を飛び回る精力的な活動を続けておられ、勇気を与えられています。本書に収められた2日にわたる対談は、じつに多様なテーマで自由自在、縦横無尽に思考を巡らせ、言葉を紡いできました。


別れ際、固い握手を交わしました

 

対談しているうちに、わたしは「はるか昔にも、わたしたちは語り合ったことがある。それも何世代にも渡って・・・」という不思議な既視感をおぼえました。わたしたちが「魂の義兄弟」なら、その縁は過去からずっと何度かの転生を経て続いてきたものかもしれません。そして、それは未来へも続いていくのだと信じています。本書の最後に、わたしは「いにしへの記憶とともに 語り合ふ 神話と儀礼 未来への道」という道歌を披露しました。わたしたち魂の義兄弟が大いに語り合った『古事記と冠婚葬祭』をぜひ多くの方々に読んでいただきたいと心から願っています。それでは、次の満月まで!

2023年11月27日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

今日は11月27日、残念ながら、京都から満月は見えません。昨夜はお月様がよく見えました。夜中に煌々と照っていて、お月さまの光が顔に当たって目が覚めたくらいです。わたしは毎夜毎夜、カーテンも引かずに寝ていますので。

ところで、Shinさんが社長を務める株式会社サンレーが過去最高の業績だとのこと。まことにおめでとうございます。すごいことですね、それは。社長になってから23年、頑張り通して来ましたものね。それが少し報われましたね。

もちろん、業績がいいと言っても、今後のことを考えると、気が抜けないでしょうが、しかし、社員一丸となって、ウェルビーイングとコンパッション社会の建設に向かっていく父上伝来の「天下布礼」の社是をたゆまず実践してゆくのみですから、「柔道一直線」ならぬ「布礼一直線」です。くれぐれも健康に留意して、「楽しい世直し」を実現していってください。わたしはわたしで、ガン遊詩人として、自分流「おもろい世直し」をやりつづけるのみです。

 

さて、暑かった夏も終わり、すっかり秋めいたこの頃ですが、しかし、比叡山の紅葉も全国の紅葉もイマイチのようですね。昨年は、もっと色鮮やかな赤が見られました。

 

京都のタクシーの運転手さんは言いました。「紅葉は、樹が悲鳴を上げている姿でっせ」と。もし、そうであるならば、わたしたちは木の悲鳴を喜んで聴いているということになりますね。

もう少し、科学的にそのメカニズムを「森林・林業学習館」のサイトで「聞いてみる」と、次のように説明されていました。

 

秋になるとイロハモミジをはじめ、ナナカマド、ハゼノキなどさまざまな木の葉が鮮やかな赤色になります。それは、秋になると葉の中に赤い色素(=アントシアニンと呼ばれる色素)がつくられるからです。https://www.shinrin-ringyou.com/topics/kouyou2.php

ご存知のように、わたしたちは、2007年から「京都伝統文化の森推進協議会」という京都三山を保持していく活動を京都市産業環境局農林振興室林業振興課を事務局にして進めていて、『京都の森と文化』(ナカニシヤ出版、2020年3月30日刊)を出し、来月、2023年12月16日に六条辺にある「ひと・まち交流館京都」で、同名の大きなシンポジウムを行なうので、比叡山にクマが出て女性が襲われたという被害の発生を含め、これらは他人事ではありません。

京都の森は、10年後、20年後にどうなるか?

もちろん、崩落は進み、各所にさらに深刻な自然災害が発生する可能性があります。それをも念頭に入れて、中長期的な「京都の森と文化」を保持していく計画と実践活動が必要です。何と言っても、京都は日本最大の観光地であり、歴史文化宗教都市なのですから。

先だって、11月19日の朝日新聞の「天声人語」に、わが砦から3分の距離にある瑞巌山「圓光寺」(https://www.enkouji.jp/ 臨済宗南禅寺派、本尊:千手観音菩薩)の紅葉のことが次のように出ていました。朝日新聞デジタル 連載 天声人語 記事

(天声人語)古都の紅葉 有料記事 2023年11月19日 5時00分

古都の秋をめでようと京都へ足を延ばした。向かったのは、紅葉で有名な洛北の圓光寺(えんこうじ)。参観者は、枯山水の庭から門をぬけて書院の中へ導かれる。薄暗い室内でひざを折ると、光あふれる「十牛之(の)庭」が絵巻のように広がった▼鮮やかな緑。染まり始めた黄や紅。この時期に初めて訪れた身としては、感に堪…(この記事は有料記事です。残り473文字有料会員になると続きをお読みいただけます。)

 

しかしながら、このような日本の四季の風光も、年々変わってきています。それに伴って、年中行事や冠婚葬祭にも変化が見られます。とくに、コロナを経て、葬儀は急激に簡素化が進み、墓じまいも進みました。このままでは、日本各地で、10年後、20年後には「寺院消滅」「神社消滅」が現実のものとなります。もうすでにそれは始まっています。後継者難(不足)という現実として。

 

ところで、大腸がんの摘出手術をして退院して1ヶ月後の本年3月初旬に北九州の小倉に行って、Shinさんと対談し、それが『古事記と冠婚葬祭』と題する本になりました。

わたしは、その対談のあと、すぐに長崎に行き、長時間バスに揺られて、「長崎市遠藤周作文学館」(https://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/ )を訪ね、隣接したレストラン「ラ・メール」で、カツカレー定食を食べて、その場で「大妣の文学者・遠藤周作に捧ぐ」と題する詩を書き、第7詩集『いのちの帰趨』(港の人、2023年7月22日刊)に収めたのでした。

その朗読会を12月3日に鎌倉で行なうのですが、その成り行きも含め、これらの「詩」は、鎌田東二という「樹」が挙げる「悲鳴=うた」かも知れません。そしてそれは同時に、ガン遊詩人のおもろい世直し・世直りの声でもあるとおもっています。

 

ところで、11月24日と25日、奈良県吉野郡天川村の天河大辨財天社に4年ぶりで詣でました。「宗教を考える学校」第2弾第4回目を、天河大辨財天社の参集殿で行なったからです。コロナになってから天河に入っていなかったので、4年ぶりの天河詣でになりました。天河の柿坂神酒之祐名誉宮司さんは、上智大学グリーフケア研究所名誉所長の高木慶子先生と同学年だったか、現在86歳だと思うので、1996年に開催した第1期「宗教を考える学校」の時は59歳での出講だったということになります。若かったんやなあ~。思えば。

 

天河大辨財天社に最初に参拝したのは1984年4月4日のことでした。それから、350回くらいは天河を訪れたでしょうか。そしてそこで、「神道」の根源と未来を見ました。その「神道」の根源と未来を、今の柿坂神酒之祐大宮司(おおぐうじ)の言葉と声で語ってほしいと思って企画したのが、今回の「宗教を考える学校第2弾の企画でした。

27年前の1996年に1年がかりで行なった「宗教を考える学校」第1弾の第2回目(1992年2月開催)にも、柿坂神酒之祐宮司(当時)に来てもらって発題してもらいました。その時のタイトルは、「超宗教と神道と天河の精神―宗教意識は変化しているか?」でした。

その10年前の1986年秋、柿坂神酒之祐宮司監修の『天河ースーパー・サイキック・スポット』(扶桑社、1986年10月刊)が出たのでした。その本の中に、大祓詞の中の「祓へたまへ、清めたまへ」が、次のように口語訳にされていたのです。

「君の精神が自由でありますように。君の知性が透明でありますように。」

その後、柿坂神酒之祐宮司は、社殿建て替えの「玉鎮めの神事」の際の祝詞奏上の中で、「神社は宇宙ステーションなり」と宣言しました。それらの「神道語」の中に、わたしは神道の未来を、宗教の未来を視たのでした。

それが今、どうなっているかを、確認しました。天河健在なり! 柿坂神酒之祐名誉宮司、大健在なり!

 

11月25日に天河で、オンラインライブ配信の「宗教を考える学校」を終えてすぐに下市口に向かい、近鉄吉野線の急行で終点阿部野橋に行き、リムジンバスに揺られて伊丹空港に着き、20時30分頃のANAの松山空港行きに飛び乗ったのでした。そして、翌朝9時から10時30分まで行なわれたシンポジウムシンポジウム「日本人の中のスピリチュアルケアとは」にスピーカーの1人として参加しました。死の臨床研究会第44回大会の2日目で、愛媛県松山市の県民文化会館で開催された催しでした。

これまで、わたし自身は、天河大辨財天社について、2冊の本を出しています。

1冊は、『天河曼陀羅ー超宗教への水路』(津村喬さんとの共編著、春秋社、1994年)です。

もう1冊は、『天河大辨財天社の宇宙ー神道の未来へ』(柿坂神酒之祐宮司との共著、春秋社、2018年)です。

あのシンポジウムのあと、わたしは、第9会場の俳句のワークショップに参加し、演者の五島高資さん(医師)、加藤直克さん(哲学者・自治医科大学名誉教授)、元埼玉医医科大学外科教授の橋本大定さん(外科医)たちと、「割烹旅館 松風亭」で歓談しつつ実に美味なる宇和島名物の「鯛めし」をいただいてから京都に戻りました。

さて、その際の俳句のワークショップで、最後に質問の後、俳句と短歌のやり取りでどれほどケアされたかという自身の体験談を話しました。

その時に披露した俳句と短歌のやり取りは以下のようなものでした。いずれにせよ、「辞世の句」のみならず、俳句や短歌のやり取りや共有は、緩和ケアやさまざまな機会に有効だと思っています。

この俳句と短歌は、昨年末にステージⅣの大腸がん(上行結腸癌)が見つかり、本年1月10日に再入院して、11日に大腸がん手術をして、乳糜腹水という合併症となり、絶食療法14日目という、かなり衰弱している日に、天河大辨財天社の2月2日の「鬼の宿」のことや、その翌日の節分祭で「鬼は内」と唱えて豆まきする習俗などのことをメールでやり取りした際、これ以上説明するのが億劫になり、俳句と短歌でやり取りした2月4日立春祭の1日のやり取りです。その俳句と短歌のやり取りで、わたしはどれほど救われたことでしょう!

 

鬼ととも 立つ春迎え 峠越ゆ                  東二

連山の その果てまでも 旅往きぬ

同行二人 鬼も来るかや                  ムーンライト

 

大和路を 越えてゆくらむ 鬼影の

足跡を追う こころなみだか                 東二

 

来らば来よ 天河村の 社にて

吾は待つらむ 君の訪うまで               ムーンライト

 

追いゆけど み跡も消えし 鬼の里

この世の痛み 背負いゆくもの                東二

 

何を以て 鬼と呼ばうる 都人

ながこころにも 邪気は 棲みしに     ムーンライト …ヨミ鬼知らず…

 

鬼尽し 彼岸此岸の 花うたげ                  東二

 

そして、第7詩集『いのちの帰趨』(港の人、2023年7月22日刊)にまとめた時に、52‐53頁に、「鬼尽し」と題して、わたしの書いた部分のみを収めました。

 

 

 

ところで、先だって、國學院大學の俳句のサークル誌「國大俳句」復興の発案者の牟禮かおりさん(現在:後藤学園資料室長・理事:後藤かおり、牟禮仁松本深志神社宮司・元皇學館大学教授の妹)と久しぶりで再会しました。20年ぶりになるででしょうか?

来年以降、後藤かおりさんが理事を務めている後藤学園で食と季語の歳時記などをテーマと俳句と食の授業などをしてみたいという思いを持っているようなので、協力します。この「國大俳句」は、確か、角川書店の創業者で折口信夫の弟子の角川源義さんが作ったと思いますが、それを再興したのが牟禮かおりさん(後藤かおりさん)です。

Shinさんには注目してほしいのですが、この「國大俳句」から、今、俳句界で大活躍している2人の俳人が出ています。堀本裕樹さんと榮猿丸さんです。また、芥川賞作家の諏訪哲史さんも短い時期ですが、「國大俳句」に参加していたようです。また、最高にスリリングでラディカルなルポルタージュ作家内澤旬子さんは、「國大俳句」の表紙絵をいつも素敵な切り絵でデザインしてくれていたのでした。そう考えると、「國大俳句」は、けっこう「楽しい世直し・おもろい世直し」の先行事例だったかもしれません。

それもこれも、一介の助教授が学長選に出馬するという無謀なことをやってのけた武蔵丘短期大学での出来事と時期的にも呼応しています。わたしは、1991年から2003年まで12年間、武蔵丘短期大学の助教授でしたので。そして、「國大俳句」は、1990年頃から3年ほど続けたでしょうか? 秩父合宿をして朝から酒を飲んでいたことはよく覚えていますよ。そして、堀本裕樹君と夜空・星空を見ながら語り合ったことも、よくおぼえています。

動画リンク:

ファイル名:後藤学園理事長・武蔵丘短期大学学長・後藤人基氏との再会 2023年11月15日

また、11月には、2週間にわたって「おもろい世直し」をやりつづけましたよ。

 

まず、11月3日に、東京の代々木にある平田神社で行われた例大祭に参列し、直来の後、「いま、なぜ、平田篤胤を問題とするのか?」という<平田篤胤学校氣吹舎(いぶきのや)開校のためのキックオフトークを同神社の平田龍胤宮司さんと行ないました。そして、じつに、不思議なご縁で、「平田篤胤学校・氣吹舎(いぶきのや)」の学頭に任命されることになりました。校長は平田龍胤平田神社宮司です。

わたしは、最初の論集『神界のフィールドワークー霊学と民俗学の生成』(創林社、1985年)でも、かなり、平田篤胤を集中的に論じました。

 

 

そして、その後、『平田篤胤の神界フィールドワーク』(作品社、2004年)を出しました。タイトル通り、丸ごと、平田篤胤論です。

その流れで、2025年、平田篤胤生誕250年の節目の年に、平田神社宮司の平田龍胤さんさんと共著で、平田龍胤検証本を作品社から出すつもりです。これが、<神界フィールドワーク>シリーズの第3作目になるでしょう。まずは、2024年1月21日(日)11時~16時に「平田篤胤学校・氣吹舎」の講義の第1回目を行ないます。

本年令和5年=2023年は、平田龍胤大人没後180年で、令和7年=2025年は生誕250周年となります。現今の国内外の危機的状況を、平田篤胤在世当時の幕末期の危機と重ねつつ、第三次「国学」の必要を訴えます。

ちなみに、第一次国学は、荷田東満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤などです。そして、第二次国学は、柳田國男・折口信夫・西角井正慶などです。そしてまさに今、平田龍胤宮司や鎌田東二は第三次国学を興そうとしているわけです。

 

その「第三次国学」は、医療と死生観・ケアと神道マインドフルネス(久延彦・鎮魂伝)と比較宗教学・比較神話学・比較文明学を踏まえた「神仏習合諸宗共働フリーランス神道」の遊戯三昧のガン遊詩人・神道ソングライターの面白道でもあります。

まずは、「死生観とケア」という観点から深掘りしていきます。

  1. 『古史成文』『古史伝』『古史徴』~神道史を塗り替える
  2. 『霊能真柱』~神道の真髄を深掘りする「幽冥界」研究:妻と子の死を乗り越えて/乗り越えるために(むだにしないために)
  3. 『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』~神界フィールド研究に参入するラディカリズム
  4. 『稲生物怪録』~平田神社に残された社宝を読み解く
  5. 『密法修事部類稿』~密教と道教の秘儀・秘智の探究

などなどを。超おもろくなりそう。

さて、この後、11月5日から12日までまる1週間、巨石ハンターの須田郡司さんと合同写真展を行なったのですが、その際、山形県鶴岡市の鶴岡アートフォーラムで行なった、森繁哉・鎌田東二・草島進一・松本健一・佐藤暁子「荒魂~スサノヲの雄叫び」を鶴岡市議会議員の草島進一さんが動画公開してくれました。こちらも時間のある時に見てください。

 

 

昨日の最終日は、「災害と芸能~荒ぶる時代の鎮魂の芸能を求めて」と題して、ゲストの森繁哉さん(舞踏家・元東北芸術工科大学東北学研究所教授)を迎えてのトークと、「荒魂~スサノヲの雄叫び」と題する森繁哉さんとのジョイントパフォーマンスを行ないました。

以下、その全行程4時間です。

動画リンク:https://youtu.be/I1uM6PA8oZY

ファイル名:森繁哉・須田郡司・鎌田東二鼎談「災害と芸能」 森繁哉・鎌田東二・草島進一・松本健一・佐藤暁子「荒魂~スサノヲの雄叫び」」2023年11月12日

 

また、以下も写真展と巡礼フィールドワークの記録です。

1,須田郡司・鎌田東二合同展覧会 11月5日:

2,日本海東北フィールドワーク第1日 11月6日:https://www.youtube.com/watch?v=QaHzZ7YlIk0

 

3,日本海東北フィールドワーク第2日 11月7日:https://youtu.be/dt9dJ3N71pw

4,東北フィールドワーク第3日 11月8日:https://youtu.be/CNRp5TePHh4

5,東北フィールドワーク第4日 11月9日:https://youtu.be/BG3x4pP14x4

6,東北フィールドワーク第5日 11月10日:https://youtu.be/no034hQb59k

https://youtu.be/no034hQb59

https://youtu.be/no034hQb59

 

7,東北フィールドワーク第6日 11月11日:https://youtu.be/8ivtw9PGfdw

また、山形県鶴岡市の市議会議員の草島進一さんが以下の動画を自身のyou tubeで公開してくれています。

https://youtu.be/MBhr6462ay4 「災害多発時代の備えと対策」鎌田東二×須田郡司×草島進一

https://youtu.be/-1KX_IKsqQw?si=NZjveZk3I8PejH_l  鎌田東二 須田郡司 草島進一 フィールドワーク

「おくのほそみち」の奧は湯殿山

今回の東北巡礼は、まる2週間の旅で、勤めをしていた時にはできなかった長旅でした。体調がどうなるか、予測がつきませんでしたが、問題なくこなせたことは、上記の動画を見ていただけるとわかるとおもいます。

とくに、男鹿半島のゴジラ岩を訪れた時の暴風と高波には細胞の芯から喜びに震え、身心魂が踊り出しました。巡礼フィールドワーク2日目のことでした。それは、サイコーにしあわせな瞬間でした。

ところで、まもなく『新聞詩』という詩誌を出す予定ですが、そこに、最近、こんな詩を書いてみました。

 

「新聞 信聞 神聞」

1 新聞

「新聞」って、

「新しく聞く」って書くんやな。

 

きょう、はじめて気がついたわ。

 

なんで、

「新見」、「新しく見る」とちゃうのんか?

 

「聞」、

つまり、「見る」より「聞く」ってことに意味があるのん?

 

誰かの話を記者さんが「聞き」に行って、それをネタに記事をかくとか。

 

そういや、「ブンヤ」って俗語もあったな。

これは「新聞屋・シンブンヤ」の略称だというけど、ちょっとコバカにしたところが、いけすかんな。

 

ようかんがえたら、

「新聞」の「新」って、なんやろ?

「聞」ってなんやろ?

って、かんがえてもたわ。

 

そやから、いらんこと、いろいろとほじくってしもうた。

わるいくせや。

 

2,信聞

「新聞」は、信頼できる「信聞」であるか?

 

こんなぎょうさんのSNSのある時代になってしもたら

どこに

「信」があるのか、

何が「信聞」できる記事newsなんか、

ようわからんようになってしもた。

 

こまったな、ほんまに。

 

「ぶんや」の記者はんたちも、いろいろといのちがけで

「新しく聞く」ことを書いてはんのやろけど

 

でも、それを審査も審級もできへん

 

それをひとりでやれ、ちゅーても、むりやん、そんなこと。

 

「信聞」にたる記事を見分けることなど、できへんわ。

そんなん、かんたんなことちゃうわ。

 

わてにはむりや。

あんさんは、どないでっしゃろ?

 

3 「神聞」

むかしむかし、あるところに、へんな「声」が聞こえてくる人がいました。

その人の言うことは、いつも、ちょっと変でした。

ここがおかしいで、これは間違っているで、正しいのはこっちやで。

 

その人は、その「声」を「神の声」と言いました。

いや、「天の声」やったかいな?

 

とにかく、その「声」を伝えないかんと、

すごい剣幕で、

ごっつい迫力で、

語り続け、

みんなに訴えましたが、

 

だれも、その「声」を聞こうとはしませんでした。

 

その人の名前は、ノアさんやったかな?

オオカミ少年くんやったかな?

ほらふきやったかな?

 

ともかく、「声」を伝え続けましたが、誰にも届かず、死んでしまいました。

 

注:

そんなことを考えた挙句の果てに、

「心聞」や「真聞」も読んでみたいと思う、今日この頃でありました。

 

 

11月16日付けの「佛教タイムス」に『いのちの帰趨』の書評が出ました。

12月3日(日)には、第77回神道宗教学会で「幽の神学の系譜」と題する研究発表をし、そのあと、鎌倉・雪ノ下の「カフェ・エチカ」で、版元の港の人などの企画により、『いのちの帰趨』の朗読会A+ガン遊詩人のパフォーマンスをおこないます。

それでは、次回、本年最後の満月の夜まで、くれぐれも御身お大事にお過しください。

来年は、いろんなところで、お会いできれば幸いです。

11月27日 鎌田東二拝

PS:2023年12月16日に、京都伝統文化の森推進協議会総がかりで、これまでで一番大がかりなシンポジウムを開催しますので、ぜひとも広報協力をお願いします。ぜひ多くの方々に京都の山々の現状を知ってもらい、京都三山の保持と未来について考えてほしいです。

鎌倉のカフェ・エチカの店主千田さんからの案内文

鎌田東二『いのちの帰趨』(港の人)朗読と歌とお話しの会 〜死と詩について〜

2023123() 18時半から(18時開場)

参加費 2500 +オーダー

カフェエチカ(鎌倉市雪ノ下1-4-32 2F

定員 20

ご予約をお願いいたします

0467-23-7292

chidatetsuya@icloud.com

カフェエチカでは、鎌田東二さんをお招きして、詩の朗読と歌とお話の会をおこないます。

鎌田さんのお仕事は多岐にわたりますが、神道を中心とした宗教哲学者として、日本的な霊性とはなにか、生死とはいかなるものか、などを多くの著作や教育を通して、一般の人にもわかりやすく伝えてこられました。

それは詩のかたちでも表現され、これまで七冊の詩集を発表されています。

 

鎌田さんは、昨年末大腸がん(ステージⅣ)であることが判り、1月に手術、入院をされました。

「これからは死を光源にした引き算の人生になる。自分のやるべきことがよりクリアに、ストレートになった」

そう鎌田さんはおっしゃいます。

入院中と退院後に生まれた詩篇が、港の人より『いのちの帰趨』として出版されました。

 

このたびは、本作の朗読とお話し、“神道ソングライター”としての鎌田さん自身の歌を、皆で分かち合いたいと思います。

鎌田さんの詩を受け止め、自分にとっての生死について想いをめぐらし、素直な言葉を話し合えれば幸いです。

貴重な機会、みなさまぜひお越しください。

鎌田東二(かまた・とうじ)

1951年徳島県生まれ。詩人、神道ソングライター、石笛・横笛・法螺貝奏者。宗教学・哲学。京都大学名誉教授、天理大学客員教授。NPO法人東京自由大学名誉理事長、一般社団法人日本臨床宗教師会会長などを務める。著作は多数あり、詩集に『絶体絶命』(土曜美術社出版販売、2022年)、『開』(土曜美術社出版販売、2023年)ほか、最新刊『悲嘆とケアの神話論−須佐之男と大国主』(春秋社、2023年)。

プログラム

日時:2023年12月3日(日)18時30分‐20時30分

場所:鎌倉市雪ノ下 カフェ・エチカ

第一部 約1時間

1,       法螺貝奉奏

2,       『いのちの帰趨』より「指先に告ぐ」を鎌田が朗読

3,       カフェ・エチカの主人千田さんによる挨拶

4,       鎌田の挨拶

5,       川端美香さんの朗読3篇(「ブランカ」、「とりあえずの君」、「白洲の海」)とゆるやかで自然な意見交換・シェアー①

6,鎌田による神道ソング『般若心経遁走曲』の後に「悲今方丈記」を朗読して、第一部を終了し、10分ほど休憩。

 

第二部 約1時間

1,       休憩の後、「神道ソング」2曲『神ながらたまちはへませ』『銀河鉄道の夜』

2,       川端美香さんによる朗読(「喪の作業」、「よっしゃん」、「鬼しぐれ」)3篇と意見交換・シェアー②

3,       天空一座による詩3篇「しばい」「春」「火伏の山」の群読

4,       鎌田東二による詩2篇朗読「難破船」「大妣の文学者・遠藤周作に捧ぐ」

フィナーレ「いのちの帰趨」を全員で朗読

5,       千田店主の挨拶