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シンとトニーのムーンサルトレター 第065信

第65信

鎌田東二ことTonyさんへ

 月日の過ぎるのは本当に早く、今年も間もなく終わろうとしています。Tonyさんも、きっと多忙な師走の日々をお過ごしのことと思います。

 わたしは、先程、今年最後の出張先である東京から戻ってきました。3泊4日でしたが、その2日目の朝、東映の本社で行われた映画「手塚治虫のブッダ —赤い砂漠よ! 美しく—」の試写会に行きました。日本マンガ界最大の巨匠・手塚治虫が10年を費やして完成させた大作をアニメ映画化したものです。

 この映画は(財)全日本仏教会が推薦団体となっていますが、わが(社)全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)にも協力か後援の要請が来ていました。以前、全互協は「おくりびと」のチケットを数万枚単位で販売協力し、アカデミー賞受賞に至る過程で支えた実績があります。そこで、全互協の広報・渉外委員長であるわたしは、試写会を訪れたのです。

 「ブッダ」ことゴータマ・シッダールタは、いわゆる「世界四大聖人」の1人ですね。1988年に『世界の四大聖人』というコミックが中央公論社から出版されています。本来の四大聖人とはブッダ・孔子・ソクラテス・イエスなのですが、この本では、「孔子・シャカ・キリスト・マホメット」となっています。注目すべきは、この本が「手塚治虫編」となっていることです。この翌年に、マンガの神様・手塚は亡くなっていますが、大作『ブッダ』を執筆したり、手塚プロが製作したアニメーションの「聖書物語」においてモーセやイエスの生涯を描いたりと、手塚治虫には聖人に対する関心の深さがうかがえました。きっと、発想が人類的というか、とにかくスケールが大きい人だったのでしょう。

 映画「手塚治虫のブッダ」は3部作ですが、本作ではブッダが誕生して、青年時代に「生老病死」を知り、出家するところまでが描かれていました。なかなかドラマティックなストーリーでしたが、シャカ国およびコーサラ国の兵士の姿がどう見てもローマやカルタゴの兵に見えました。また、古代インドにはあったはずのないコロッセオのような円形競技場も出てきます。兵士たちが乗っているインド象には牙が生えていて、どう見てもアフリカ象でした。つまり、古代インドを舞台としながらも、古代ローマも彷彿とさせるような、なんというか無国籍性のようなものを感じました。

 登場人物も、シッダールタよりも存在感のあったチャプラをはじめ、架空の人物が多かったです。また、王子シッダールタが奴隷(シュードラ)の娘ミゲーラと恋に落ちるなど、非常に大胆なストーリー設定もありました。原作者の手塚治虫は、1980年の月刊「コミックトム」のインタビューで次のように語っています。

 「シッダールタのありがたさとか、シッダールタの教えよりも人間そのものを掘り下げたい。仏陀の生きざまを、ぼくなりの主観を入れて描きたかった。しかし、仏陀の生きざまだけでは、話が平坦になってしまうでしょう。その時代のいろいろな人間の生きざまというものを通して描かないと、その時代になぜ仏教がひろまったか、なぜシッダールタという人があそこまでしなければならなかったか、という必然性みたいなものが描けません。ですから、仏陀とまったく関係のないような人を何十人も出して、その人たちの生きざまもあわせて描く。そのことによって、あの時代にどうしても仏教が必要だったというところまでいきたいのです」

 わたしは、現在、仏教界のオピニオン・ペーパーである「中外日報」の1面コラムを連載させていただいており、最近、仏教について考える機会が多々ありました。また、「葬式仏教」といわれている日本仏教の行く末を想ってみたりもします。

 今日、試写会の会場には一見して僧侶とわかる方々がたくさんいました。あのお坊さんたちの目に、差別を憎み、生老病死の問題に悩んだ若き日のブッダの姿はどのように映ったのでしょうか。映画「手塚治虫のブッダ」は、2011年5月28日(土)から全国ロードショーされます。試写会の翌日に開催された全互協の正副会長・委員長会議において、わが業界でこの映画を全面的にサポートすることが決定されました。

 映画といえば、先日、話題の日本映画「武士の家計簿」も観ました。磯田道史のベストセラー『武士の家計簿〜「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)が原作ですが、これを森田芳光監督が映画化しました。江戸時代末期の金沢が舞台ということで、わたしは鑑賞を大変楽しみにしていました。

 この映画を観終わって、まず思ったのは、「これは冠婚葬祭映画である」ということでした。堺雅人演じる猪山直之、仲間由紀恵演じるお駒の祝言、すなわち結婚式をはじめ、袴着という子どもの成長儀礼、そして中村雅俊演じる猪山信之の葬儀など、この映画には次から次に冠婚葬祭の場面が登場します。

 日本映画の巨匠である小津安二郎彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。そして、この「武士の家計簿」の森田芳光監督も、そのことを理解していたようです。冠婚葬祭がいかに家族の絆を結びなおす文化装置であるかをよく描いているのです。また、加賀百万石の風土に根ざした冠婚葬祭の作法などの描写は、金沢で冠婚葬祭業を営むわたしにとって最高の参考資料となりました。ぜひ、サンレー北陸のみんなも、この映画を観てほしいと思います。

 冠婚葬祭映画であり家族映画である「武士の家計簿」には、さまざまな家族関係が生き生きと描かれています。たとえば、直之とお駒の夫婦関係。直之による質素倹約計画に素直に従う妻のお駒が、なんだか楽しそうにしているので、「貧乏が楽しいのか?」と尋ねると、妻は「貧乏だと思うと楽しくありませんが、工夫だと思えば楽しいです」と答える場面は良かったですね。直之とお駒の夫婦は、一家の緊縮財政の中で、どんなに家計が苦しくとも冠婚葬祭はもちろん親戚付き合いを大切にします。

 映画の中には、「一族つまり親戚は大事だから。いざという時に助けてくれるのは親戚しかいないから」といったようなお駒のセリフが出てきて、とても印象的でした。家族や親戚という血縁に勝る「縁」など、この世に存在しないということを再確認する言葉でした。

 この映画では、祖父と孫の関係も情緒豊かに描いていました。伊藤祐輝演じる猪山成之の幼少時には、二人の祖父がいました。父方の祖父、つまり直之の父である猪山信之(中村雅俊)と母方の祖父、つまりお駒の父である西永与三八(西村雅彦)です。雅彦は、算盤修行を嫌う孫に向かって、「殿様の子は殿様になるが、それ以外の家の子はお家芸で身を立てねばならぬ。お前の家のお家芸は、算盤と筆じゃ」と諭します。

 また、満月の夜、孫を背負って散歩していた信之は急に具体が悪くなって倒れこみ、帰らぬ人となります。倒れる前に、月の満ち欠けの図を懐から取り出し、「月はこうやって満ちて欠けるのじゃ。人の命も同じじゃ」と言って、夜空の満月を指差す場面がありました。まさに、わが社がいつも発信しているメッセージでした。わたしは、大変驚くとともに嬉しくなりました。先日放映されたNHKドラマスペシャル「坂の上の雲」での「子規、逝く」の回には、子規の魂が夜空の満月めざして飛んでゆく場面がありました。やはり、月とは人の命のシンボルであり、月こそは死後の魂の赴く場所であるというイメージは普遍的なものなのでしょう。

 月が死後の世界であるというのは、ひとつの物語です。そして、人間とは物語を必要とする存在です。最近、「東京スポーツ」の記事で興味を惹かれたのは市川海老蔵の今回の災難は、市川家にかけられた「呪い」だというものでした。梨園関係者の多くは、市川家にまつわる不幸の系図に気づいており、中には「呪いだ」と断言する人もいるとか。

 現在の海老蔵は、歌舞伎界の名門中の名門である市川團十郎家の第11代目に当たります。この一族、初代が舞台で刺殺され、2代目は歌舞伎界の大スキャンダルとされた「絵島生島事件」に巻き込まれました。また、4代目は22歳で病死、5代目は長男が自殺、6代目は割腹自殺、7代目は舞台に立つことなく41歳で死去、8代目も41歳で死去、9代目は酒の飲みすぎで胃がんで死去、10代目の現團十郎は白血病を患いました。このように、市川團十郎家は不幸続きの家系だというのです。一族の「呪い」は、なんと市川家秘伝の技である「にらみ」芸に由来するという説もあるそうです。「にらみ」にはある種の呪術的なパワーがあり、それをできなくするために顔面を粉砕される悲劇に見舞われたというのです。まあ、ここまで来れば、「東スポ」お得意のファンタジーの世界ですが。

 ところで、わたしは最近、ある70代の女性とメールのやり取りをしています。金沢にお住まいの大浦静子さんという方です。わたしのブログを愛読されているそうですが、数年前、郁代さんという最愛の娘さんを看取られた方です。また、娘の郁代さんとの最後の日々を綴った『あなたにあえてよかった』(北國新聞社)という著書もあります。

 この本は、2007年の「24時間テレビ」で取り上げられました。20分ほどの再現ドラマがオープニングで放映されたのです。郁代さんは、自分の最期の時を悟られてからお別れの旅をはじめられ、国内で30人、海外で30人のお友達に会い続けられたそうです。そのとき、日本武道館で秋川雅史さんが「千の風になって」を歌い上げました。

 大浦さんは金沢で開かれたわたしの講演会に来て下さいましたが、その日、金沢には初雪が降りました。その後、大浦さんから届いたメールには、亡き郁代さんが、九州から来たわたしのために金沢に初雪を降らしてくれたと書かれていました。そういえば、大浦さんのメールには「これも郁ちゃんの仕業かもしれませんね」という言葉がよく出てくることに気づきました。わたしは、亡き我が子を想う母心に感動するとともに、あらためて、人間には「物語」というものが必要であることを痛感しました。葬儀というものの本質も、じつは物語と深く関わっています。葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことに他ならないのです。

 そう、人間は「物語」を必要とする存在です。市川家の不幸の系図は、「呪い」の物語です。郁代さんがわたしのために初雪を降らせてくれたのは、「癒し」の物語です。「葬式は、要らない」という人もいれば、「無縁社会」の恐怖を声高に叫ぶ人もいます。「呪い」は発生したとたん、どんどん自己増殖していきます。それこそ、不幸のチェーン・メールのように。わたしたちは、「癒し」の物語をこそ語り、「かたち」にしなければなりません。そして、その「癒し」の物語を広く伝えていかなければなりません。

 ということで、Tonyさん、今年もお世話になりました。来年早々には、いよいよ、わたしたちの本『満月交感 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)が刊行されます。新しい物語がはじまる予感にワクワクします。それでは、良いお年をお迎え下さい。オルボワール!

2010年12月22日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 一昨日の皆既月食、昨夜の冬至の十六夜、ともに京都は雨や曇りでその神々しいご尊顔を拝することがかないませんでした。まことに残念です。一陽来復の今日、朝方は曇っていましたが、お昼前の今晴れ間が顔をのぞかせています。今年、2010年ももう終わりなのですね。何か、慌ただしく過ぎ去って、何も残っていないような感じがします。今年、何か進展があったかと問い返すと、いよいよ混迷が深まり、にっちもさっちもいかない出口なしが深刻化しているように思います。わたしも自分なりに精一杯いろんなことをやってきたとは思っていますが、同時に、糠に釘、暖簾に腕押し、焼け石に水というような手応えの無さもあります。

 もちろんわたしは、「最大のピンチこそ最大のチャンス」という人生観を持って生きてきましたから、こんなことではへこたれるどころか、逆に闘志が湧いてきますが、それにしても先行きが見えません。いわゆる貧病争の中で年を越すことに不安を抱えている大勢の人々がいると思うと、事態打開できない自分に歯がゆい思いが募ります。

 Shinさん、「手塚治虫のブッダ —赤い砂漠よ! 美しく—」の試写を観賞したとのこと。わたしも、手塚治虫の漫画版『ブッダ』は2〜3回通読しました。確か、全5巻くらいだったような気がします。よく調べてわかりやすくおもしろく描けているなと感心したことを覚えています。

 けれども、ブッダが持っている革新性というか革命性がまだまだ描き切れていない、抉れていないような不満も残りました。常識的なブッダ像の範囲内に収まっているような。

 イエスは革命児でした。同じような意味で、ブッダも革命児だったと思います。昔、小泉純一郎首相は「自民党をぶっ潰す」と主張し、しばらくしてそのとおりになりましたね。イエスはユダヤ教をぶっ潰し、ゴータマ・ブッダはバラモン教をぶっ潰しました。もちろん、既成の宗教勢力であるユダヤ教もバラモン教も、イエスやゴータマの活動ぐらいでぶっ潰れるほどひ弱ではなかったわけですが、しかしその緊張の中から新しい宗教や思想の世界性が浮上してきたのです。

 学問的な観点から言うと、キリスト教にはインド思想や仏教、それも初期大乗仏教の影響があったと思います。イエスが所属したとされるエッセネ派や当時の中東の諸宗教・諸宗派にもインド思想や仏教のことはかなり知られていましたし、影響の跡が見られると思っています。古くは、『ミリンダ王の問い——インドとギリシャの対決』(中村元・早島鏡正訳、平凡社東洋文庫)があり、解説書には、『ミリンダ王——仏教に帰依したギリシャ人』(森祖道・浪花宣明、清水書院新書)がありますが、イエスにも、その後に展開したキリスト教最大の異端宗派グノーシス主義にも、アンモニオス・サッカスやプロティノスらの新プラトン主義にも仏教の影響は色濃いとわたしは考えています。ミリンダ王はメナンドロス1世とも呼ばれますが、紀元前2世紀後半にはこの経典は成立しており、それ以前に、アフガニスタンとインド北部を支配していたヘレニズム系ギリシャ人のミリンダ王と僧ナーガセーナとの間に問答がなされたことは確実でしょう。

 ともあれ、大乗仏教の特質は他者の救済としての利他行すなわち菩薩道ですが、イエスの思想と実践の骨格は菩薩道と共通するものであったと思うのです。手塚さんにそのようなブッダの革新性・革命性を描いてほしいというのは欲張りすぎかもしれませんが、わたしは手塚漫画のヒューマニズムが理解できても、物足りなく思う一人です。ずいぶん昔、手塚治虫氏の逝去の後だったか、『朝日ジャーナル』か朝日新聞の雑誌が手塚治虫特集とした際、一文を求められ、手塚治虫のヒューマニズム(人間主義)に物足りなさを感じるというようなことを書いた覚えがあります。

 わたしの愛の経典は楳図かずおの『わたしは真悟』ですが、ここにはアニミズムとシャーマニズムとメカニズムの奇怪なアマルガムがあります。現代科学技術文明の進展に立ち遅れた古い産業用ロボットの情報プログラム(脳に該当)が依代となって、真鈴(マリン)と悟の愛が憑依し受肉するのです。この三者の愛のせつなさといじらしさは韓流ドラマも何のその、まことに度はずれたもので、驚愕すると同時に、深く共感共鳴共振し涙に搔き暮れるのでありました。とりわけラストシーンの、蛇のようになったロボット=真悟の残骸がひょろひょろと海岸線を這いずっていく場面の凄絶さ。太宰治や芥川龍之介などの文学史に残る純文学作品を超えるものと震撼した次第です。

 まあ、わたしの感じ方は偏っていると言われるかもしれませんが、それが正直な感想でした。

 さてこの1ヶ月、師走の名称どおり、てんやわんやのめまぐるしさでした。授業や定例の研究会のほかにも、諸種の研究会やら展覧会やらシンポジウムやら講演やら研究報告会などが立て続けにつづき、息つぐほどもないほどの忙しさでした。それが終わって少しほっとしたので、2冊の小説を読みました。1冊は、町田宗鳳さんの『法然の涙』(講談社)、もう1冊は、鳥羽森さんの『密室都市のトリニティ』(講談社)で、どちらも2010年の出版で、大学教授の小説デビュー作。町田さんは比較宗教学者で禅僧で広島大学大学院教授、鳥羽森さんは人類学者のフィールドワーカーで京都大学大学院教授。いずれも、学術書・一般書の両方の著作をものしている筆達者の方々です。

 両書とも一気に読了しました。町田さんの『法然の涙』は、五木寛之さんの『親鸞』(講談社)の前編ともなるような作品で、後半のところで親鸞と法然の交わりが描かれていました。が、主体はもちろん法然で、法然の思想と行動の宗教的革新性・革命性がよく描かれています。これは、かつて『法然対明恵』(講談社選書メチエ)などの著作のある町田さんならではの法然理解と表現が随所にあるもので、興味深く読了しました。

 実はわたしは、『乱世の時じく』と題する、保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)・源平の合戦(1180年〜1185年、治承・寿永の乱ともいう)・承久の乱(1221年、承久の変ともいう)までの戦乱の日々を描いてみたいとだいぶ前から考えていました。20年ほど前から。元号が「平成」に切り替わってしばらくしてから。けれども、序章のところで止まっていて、他の仕事で忙しく、それを書き継ぐ暇がありませんでした。

 東京外国語大学教授から広島大学教授に転任した町田宗鳳さんは、安芸の宮島(厳島)を日々目前に眺めながら、着々と小説を練り上げ、書き上げたわけです。先を越されてしまいましたが、まあ、わたしも諦めずに、いずれ完成させます、必ず。

 もう1冊の『密閉都市のトリニティ』はSFミステリーで、相当な教養なしには書けないしろもの。哲学、宗教、生物学、工学など、該博な知識と想像力を駆使して、RCVウィルスに汚染された京都の2010年の出来事が描かれます。帯には、「衝撃のデビュー作 京大教授が挑む、人類進化と狂気のミステリー。テロウィルスに襲われた京都を巡る壮大な陰謀」とあり、さらに、「愛と性と暴力が…ヤバイ! スゴイ! ハンパない!」(関口苑生)、「小松左京『継ぐのは誰か?』×半村良『石の血脈』の興奮。驚愕のSF巨編」(大森望)という推薦文が載っていました。

 読み進めながら、鳥羽森さんの反骨性、葛藤、複雑性、エロス、タナトス、ヴァイオレンス、祈り、生物進化のヴィジョンなどを多面体のように感じました。驚き満載の中、ところどころ笑えるところや考え込ませるところもあって、なかなかやるなあと思った次第。帯の「小松左京×半村良の興奮」とあったのは、わたしの感じからすると、「高橋和巳×沼正三÷山田正紀」というものでした。なぜか、高橋和巳の『捨子物語』や『邪宗門』や『悲の器』や『日本の悪霊』や『生涯にわたる阿修羅として』を想起したのです。

 とりわけ、今峰浩司(モデルは今西錦司)の高弟の洛都大学(もちろんモデルは京都大学)社会科学高等研究所所長(モデルは人文科学研究所)の山神龍生や同大学DNA研究センター長で宗教法人至聖モイラ教院教祖となる黒井正知の姿の中に、どこか、高橋和巳のニヒリズムと「苦悩教」の影を感じ取ったのは、わたしの深読み、横読み、棒読みのせいでしょうか。この至聖モイラ教院の神像というのが三面六臂の「アスラ像」(有名な興福寺の国宝・阿修羅像のこと)ということもあって、いよいよ、わたしは高橋和巳のことを思い浮かべたのでありました。

 しかし、今時、高橋和巳を読む人もほとんどいないし、知っている人も少なくなったでしょうね。わたしは、小説家としては、高橋和巳よりも彼の妻の高橋たか子さんが好きですが、いずれにせよ、2人とも時代の流れの中で埋もれている作家だと思います。

 小説の中身は、読んでお楽しみですので、ここでは書きませんが、ともあれ、2人とも、研究や授業や院生指導や大学学務の合間を縫って、これだけの長編をものする情熱と筆力と根気は凄いものです。こういう仕事をすると、暇つぶしとか好事家的趣味とかとしか思われかねませんからねえ。

 町田宗鳳さんは本の帯の裏面に、「今まで私は、十二世紀という乱世に生きた宗教家・法然の思想を客観分析し、それを思想史に位置づけることに、比較宗教学者としての使命を感じてきた。しかしいつからか、法然という一人の男の中に飛び込んで、彼の眼から世界を見渡しでみたいという衝動に駆られるようになった。そういう思いで書き下ろしたのが、小説『法然の涙』である。なぜ涙なのか。それは、過酷な人生が人間の眼から絞り出す血の涙と、その過酷さを生き抜いた先に見えてくる仏の光が人間の眼に溢れさせる歓喜の涙の双方を描きたかったからである。」と書いています。

 その気持ちはよくわかります。Shinさんもよくご存じのように、わたしは先祖の所業もあり、保元の乱・平治の乱に非常にこだわってきました。そして、元号が「平成」になった時に、これで「乱世・中世」の世の中に逆進化するという暗澹たる思いに突き落とされたものです。

 その中世は宗教の時代でした。信心の時代でした。新仏教や新神道が輩出してきました。それは統一なき乱の時代に根源的な統一を希求する新地平突破の試みでした。そんな冒険的で革命的な乱世の中世がわたしは好きですが、しかし同時に、そのことは、中世の闇・影・陰惨・凄絶・地獄を直視しなければなりません。それは、いささか、体力も気力も持続力も要ることで、それを輪にかけた「大中世」の現代がその下に控えているのですから、生半可では取り組めません。

 そんな中世に遁世僧として、戦いと死を凝視した法然などの新しい仏者が登場してきたわけです。その彼らの生き方と思想は今を生きるわたしたちの時代の生き方にも多大な力やヒントや指針を与えてくれるものだと思っています。

 わたしたちが来年正月早々に出版する『満月交感〜ムーンサルトレター』(上下巻、水曜社)も、口先だけのものではない、生き方としてのいのちの宿った言葉であることを願い、これからも日々更なる歩みをたんたんとつづけていきたいと思っています。新しい年もどうぞよろしく! オルボワール!

2010年12月23日 一陽来復の日に 鎌田東二拝