6月3日に「森の中のお話し会」を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター第207信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、先日は長女の結婚披露宴にご列席いただいたばかりか、祝いの法螺貝の献奏、祝辞に乾杯のご発声まで、誠にありがとうございました。ご厚情に、心より感謝いたします。この1カ月はじつに多くの心に残る出来事がありましたが、まずは少し時間を遡りたいと思います。


渋澤栄一の玄孫・渋澤健氏と

 

5月23日、佐賀に出張しました。副会長を務める一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の九州ブロック研修会に参加するためです。会場に着くと、その日の講師である渋澤健氏と控室で面談し、拙著『論語と冠婚葬祭』(現代書林)を献本しました。じつは、博多から佐賀行きの列車の中で渋澤氏の監修書『超約版 論語と算盤』(ウエッジ)を読んでいたら、同じ車両に渋澤氏が乗っておられました。渋澤氏は1961年生まれ、「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一の玄孫(直系五代目子孫)です。コモンズ投信株式会社取締役会長。JPモルガン、ゴールドマン・サックスなど米系投資銀行でマーケット業務に携わり、1996年に米大手ヘッジファンドに入社、97年から東京駐在員事務所の代表を務めています。2001年に独立し、シブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業。07年、コモンズ株式会社を創業(08年にコモンズ投信株式会社に社名変更し、会長に就任)。経済同友会幹事。


『論語と算盤』と『論語と冠婚葬祭』

 

渋澤健氏の講演は、「渋沢栄一の『論語と算盤』で未来を拓く~持続可能な社会と企業経営~」の演題でした。渋澤氏は最初に「わたしは、渋沢栄一の孫の孫です。彼は『日本資本主義の父』と呼ばれ、500社もの企業を創設したことで知られていますが、子孫には1株も遺してくれませんでした。しかし、言葉を遺してくれました。それが『論語と算盤』です。現在でいえば、サスティナブル(持続性)とインクルージョン(包摂性)に通じると思います。すなわち、SDGsですね。しかし、『論語と算盤』の醍醐味は『と』にあると思います。&の発想で未来を拓いて下さい!」と熱いメッセージを送ってくれました。わたしは、渋澤氏の「と」の思想の話にハッとしました。もともと、日本は「と」の国です。日本人の心は神道「と」儒教「と」仏教の三本柱から成り立っていますし、冠婚葬祭業はウェディング「と」フューネラルの二刀流事業です。さらには冠婚葬祭「と」互助会を合体させる物凄い発明をした我が業界は偉大だと思いました。


松柏園の茶室でカンパイ!

 

6月4日は長女の結婚披露宴の前日でしたが、その日、翌日の披露宴に参加のために島薗進先生とTonyさんが小倉にお越しになられました。『グリーフケアの時代』(弘文堂)、『満月交心』(現代書林)などの編集を手掛けられた内海準二さんも一緒でした。わたしを含めた4人は、松柏園ホテルの茶室で会食しました。内海さんとはよく東京で打ち合わせしますが、島薗先生とTonyさんにお会いするのは、上智大学グリーフケア研究所での最終講義が行われた今年3月11日以来です。


長女と妻が挨拶に来ました

 

この日は、仕事の打ち合わせの後、久々にグリーフケアのこと、神道のこと、マルチバースのこと、その他もろもろについて大いに語り合いました。最近は、島薗先生が『教養としての神道』(東洋経済新報社)、Tonyさんが『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』(ビジネス社)、わたしが『論語と冠婚葬]』(現代書林)といったように、それぞれが憑き物が落ちたように(笑)自分の専門分野に関する著作を世に問うています。この日は、それぞれの著作についても忌憚のない感想を述べ合い、活発に意見交換させていただきました。途中、翌日の結婚式を控えた長女と妻も茶室を訪れ、みなさんに御挨拶をさせていただきました。


親子3人で入場

 

翌5日は朝から小雨でしたが、雨の日の結婚式は新郎新婦の人生に幸運をもたらすと言われています。場所は、松柏園ホテ]の新館「ヴィラルーチェ」のピュアホワイト・チャペルです。新婦の父親であるわたしは、長女と腕を組んで入場しました。長女と腕を組んだことなんて初めてなので落ち着きませんでしたが、そのまま前に進んで、新郎とバトンタッチしました。そのとき、ブログ「そして、バトンは渡された」で紹介した映画のクライマックス・シーンが頭に浮かびました。「娘の結婚」をめぐる映画には、小津安二郎の「晩春」「麦秋」「秋日和」「彼岸花」「秋刀魚の味」などがあります。なんだか、それらの小津映画を観直したい気分になりました。


父と娘

 

結婚式は粛々と進んでいきました。仕事柄、数えきれないほどの多くの結婚式に立ち会ってきましたが、やはり自分の娘の結婚式となると格別です。さまざまな感情が心に湧いてきました。長女は、2013年1月13日に成人式を迎えましたが、あれから9年後に花嫁になりました。わたしは、成人式の本質は卒業式に似ていると思います。というよりも、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないでしょうか。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。 結婚式というものも、やはり卒業式でしょう。花嫁の父はなぜ涙を流すのか。それは、校長である父親は家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからだと思います。


結婚の誓いを終えた新郎新婦

 

そして、葬儀は「人生の卒業式」です。 長女が成人式を迎えた年の正月、妻の父親、つまり義父が亡くなり、葬儀をあげました。家族を心から愛し続けた義父は、77年の人生を堂々と卒業していきました。わたしは、喪家の一員として葬儀に参列しながら、「死」はけっして不幸な出来事ではなく、人生を卒業することにほかならないのだとしみじみと思いました。義父が存命なら、きっと孫娘の結婚を心から祝ってくれたことでしょう。この日の結婚式には、わたしの父も参列してくれましたが、きっと目には見えなくても、義父も参列してくれているような気がしました。


家族写真を撮影しました

 

感染防止への配慮から、この日の結婚式は親族のみの参加となりましたが、コロナ前なら友人や知人も参列してくれたことでしょう。この後の披露宴は、感染対策を万全にした上でみなさんも参列して下さいます。まさに、新郎新婦を取り巻く「縁」と「絆」が見える化される場となるわけで、わたしはかつて詠んだ「目に見えぬ 縁と絆を目に見せる 素晴らしきかな冠婚葬祭」という歌を思い出しました。11時からの結婚式の後、11時半から松柏園ホテルのスタジオで親族写真の撮影が行われました。親族写真の後は、家族写真の撮影です。嫁ぐ長女と、東京で就職したばかりの次女と一緒にカメラの前に立ちました。


祝辞を述べる福岡県の服部知事

 

そして、12時からは結婚披露宴が開かれました。この日は二部制で、第一部は松柏園ホテルのメインバンケット「グラン・フローラ」で開催されました。もちろん感染対策には万全に配慮をし、本来は300名の披露宴が可能な会場に108名の出席者で行われました。アクリル板も置きました。まずは来賓祝辞です。最初に、福岡県の服部誠太郎知事に祝辞を頂戴しました。現在は仲人による新郎新婦紹介がないので、服部知事が新郎新婦の略歴を紹介して下さる形となりました。


祝辞を述べる武田良太元総務大臣

 

次に、元総務大臣で衆議院議員の武田良太先生から祝辞を頂戴しました。じつは服部知事は小倉高校の先輩で、武田先生は後輩です。日頃より親しくさせていただいている高校の先輩と後輩から心あたたまるメッセージを頂き、わたしは感無量でした。ご公務が多忙な中のお二人の御列席には感謝しかありません!


祝辞を述べる全互協の山下会長

 

その後、新郎が勤務している設計会社の社長さんによる祝辞の後、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の山下裕史会長からの祝辞がありました。山下会長は、わたしとの出会いが処女作『ハートフルに遊ぶ』であったこと、わたしが全互連の会長を務め、全互協の副会長、冠婚葬祭文化振興財団の副理事長、グリーフケアPTの座長を務めたことなどを紹介して下さいました。山下会長は業界でも屈指のスピーチの達人ですが、この日の祝辞も天下一品でした。


祝辞を述べるTonyさん

法螺貝を献奏して下さいました

 

そして、いよいよ京都大学名誉教授で宗教哲学者のTonyさんのご登場です。まことに心のこもった祝辞を述べていただいた後、祝いの法螺貝を献奏して下さいました。法螺貝の音を初めて聴いたという方も多かったのではないかと思いますが、みなさん荘厳な音色に陶然と聴き入っておられました。Tonyさんのご発声でシャンパンで乾杯した後は、感染防止に配慮をしながらも披露宴は盛り上がりました。アクリル板が置かれた各テーブルで食事をしながらの歓談が始まりました。


長女のアテンドをする次女

 

長女がお色直しのために退場するとき、妹である次女が手を引いてアテンドをしました。二人はずっと東京で一緒に生活してきた仲良し姉妹です。幼い頃の二人を知っている方々から、「二人とも綺麗になりましたね」と言っていただき、嬉しかったです。途中、妻と一緒に各テーブルを回って挨拶をしました。政財界の方々、同業者の方々、ロータリー関係の方々と、さまざまな方とマスク越しに言葉を交わしながら、「ああ、縁とは本当に有難いなあ」としみじみと思いました。その後、新郎新婦のプロフィール映像が流れました。


新郎新婦が番傘で登場

 

その後、新郎新婦が番傘を持って和装で入場。次は、友人のスピーチタイムです。新郎の友人は京都大学のグランドホッケー部時代の友人で、楽しい思い出話を披露してくれました。グランドホッケーといえば、妻の姉の夫(妻の義兄)が慶應義塾大学のグランドホッケー部で日本代表にもなった選手であり、「おお、新郎はグランドホッケーやってたのか!」と非常に反応していました。(笑)新婦の友人スピーチは長女の小学校時代の同級生の横田さんがやってくれましたが、長女が書いた創作童話をよく読ませられていたエピソードなどを楽しく披露して下さいましたが、最後に「今にして思えば、さすがは一条真也さんの娘でしたね!」と言ってくれました。自宅も近所だった横田さんのことは小学生時代からよく知っていたので、成長して美しくなった姿を見て、また心のこもったスピーチをしてくれて、わたしは感動で涙が止まらなくなりました。


染織家の築城先生がアテンド

 

その後、新婦が二回目の退場ということで、今度は日本を代表する染織家の築城則子先生が手を引いてアテンドして下さいました。築城先生は、徳川家康も愛した小倉織を復興された方ですが、わが家のクリスマス会に毎年お越し下さり、娘たちを幼い頃からよくご存知でした。築城先生は「お父様のことはシンさんとお呼びしているんですが、シンさんのちっちゃなお嬢ちゃんがこんなに美しく成長して、花嫁さんになって、わたしはもう胸がいっぱいです!」と心のこもった一言を頂戴しました。


父(佐久間進)と島薗先生が初対面!

ロシナンテス・川原理事長&抱樸・奥田理事長と

 

新婦が退場した後は、また会場のあちらこちらで会話の花が咲きました。わたしの父である佐久間進は、島薗進先生と初対面して喜んでおりました。Tonyさんが「進」つながりの島薗先生を父にご紹介下さったようで、ありがとうございました。わたしも会場を回って、いろんな方とお話ししました。北九州というより日本を代表する認定NPO法人であるロシナンテスの川原理事長、抱樸の奥田理事長とも歓談しました。川原理事長はアフリカのスーダンから、奥田理事長は日曜礼拝から駆けつけて下さいました。


オリジナルソングを前川清さんが歌ってくれました♪

 

その後、服部知事ともお話しさせていただきました。知事は本当に素晴らしい人格者で、笑顔が最高の方です。ユーモアのセンスも抜群で、思いやりもあり、あらゆる意味で日本一の知事さんだと尊敬しています。その後、披露宴会場にサンレーグループのテレビCMが流れ、わが社のイメージキャラクターである前川清さんが長男であるシンガー・ソングライターの紘毅さんと一緒に登場。紘毅さん作詞・作曲のオリジナルソング「ありがとう」を歌ってくれるというサプライズがありました。歌詞には新郎新婦と両親との思い出が書かれており、感動的でした。紅白歌合戦に29回出場した大歌手自らの歌唱は素晴らしかった!


新婦が両親への手紙を読み上げる

涙が止まらなくなりました

 

いよいよ披露宴もクライマックスに近づきました。両家の両親がステージに上がり、4人で並びました。反対側の雛壇から新婦が「両親への手紙」を朗読し始めましたが、最初の「パパとママへ」のところから涙腺が緩みそうになりました。でも、この後、新婦の父親として挨拶をしなければならないので、グッと堪えようとしましたが、幼い頃からいつも映画に連れて行ったこと、出張先からいつも絵葉書を書いて出していたこと、東京に行ったときはいろんな所へ連れて行ったこと・・・・・・さまざまな思い出を波状攻撃のように繰り出してきたので、完全にダムは決壊しました。60年近く生きてきて、こんなに感動した経験はありません。


長女がブートニアを差してくれました

 

その後、新郎新婦がわたしたちのステージまで歩いてきて、長女が妻に花束を、わたしの胸にはブートニアを差してくれました。新郎のお父さんの中島みゆき「糸」を取り上げた挨拶の後、わたしがマイクを持ちました。わたしは、「おかげさまで、矢野家・佐久間家結婚披露宴をつつがなく執り行うことができました。本日は、若い二人の門出にあたり、お忙しいところ、また雨でお足元の悪いところ、さらにはコロナの不安が残るところを、ご列席を賜り、誠にありがとうございました」と言いました。


新婦の父として挨拶しました

 

また、わたしは「コロナといえば、日本中で結婚式の延期や中止が相次ぎ、ホテルや結婚式場は甚大な被害を受けました。加えて、世界では戦争も始まりました。ウクライナからは毎日のように悲しいニュースが流れてきます。でも、わたしは『結婚は最高の平和である』と思っております。ぜひ、これからは日本中で、いや世界中でたくさん結婚式が開催されることを願います。ぜひ、これからは日本中で、いや世界中で、たくさん結婚式が開かれることを切に願います。今月10日から、外国人観光客の受け入れも再開されます。長かったコロナ禍もようやく落ち着きつつあるようです。しかし、本日ご列席いただいた皆様は、まだ不安が強く残る時期に、『出席』のお返事を下さいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と述べました。


本日は、誠にありがとうございました!

 

そして、わたしは「皆様の御厚情、そして御恩は絶対に忘れません。ここにおります新郎新婦も、皆様への感謝の気持ちを一生忘れないことと思います。まだまだ未熟な二人でございます。今後の人生は平坦な道のりばかりではないでしょうが、ぜひ二人で力を合わせて乗り越えてほしいと思います。どうぞ皆様、今後ともご指導・ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願いいたします。本日は、誠にありがとうございました」と述べました。それから、新郎の挨拶がありました。エンドロールが流れて、新郎新婦が退場。披露宴は15時にお開きとなりました。新郎新婦および両家の両親が並んで送賓をしましたが、縁と絆のある方々から心あること言葉をかけていただくと、また心が動かされました。


妻のアテンドで新婦が退場

 

約2時間の休憩の後、17時からは第二部の披露宴が開催されました。場所は、松柏園ホテル新館ヴィラルーチェの「ザ・テラス」です。外は、けっこう雨が降っていました。第二部では、サンレーグループ役員・取引関係の方々を中心に御列席いただきました。長女が幼い頃から可愛がってくれた方々も多く、アットホームでハートフルな祝宴となりました。


第二部の最後でも挨拶しました

 

約2時間半の披露宴の最後は、わたしが両家を代表して挨拶しました。その後、新郎新婦が退場する時にプールから花火が上がりました。それから、新郎新婦と両家両親の計6人で送賓しました。みなさんをお送りするとき、さらに感謝の念が強く湧いてきました。激動の1日でした。8回ボロ泣きして、ものすごく疲れました。今度、「大泣きビックリ人間大会」に出場したいと思います。Tonyさんからは、「新婦の父として、大きなイニシエーションを通過されましたね」という心あるメールを頂戴しました。何から何まで、Tonyさん、本当にありがとうございました! それでは、次の満月まで!

2021年6月14日 一条真也拝

 

Shinさん、最愛のご息女(長女)の麻佑さんと、大変優秀な京都大学工学部建築学科出身の一級建築士の貴大さんとのご結婚、まことにおめでとうございます。父としての熱い、熱い、大量の涙・涙・なみだ、たいへん共感できます。会場のみんながうれしいもらい泣きをしました。Shinさんのお気持ちがすべての会場の方々に伝わったとおもいます。

Shinさんは「一条真也の新ハートフルブログhttps://shins2m.hatenablog.com/entry/2022/06/05/073824」」の中で、「長女が生まれたときは、会社が危機的状況にありました。(中略)わたしは『これから、会社はどうなるんだろう?』『この子を無事に結婚させることができるだろうか?』と不安でいっぱいでした。でも、わたし以上に大きな不安をがあったはずなのに、何も文句を言わずに幼子を抱いて小倉までついてきてくれた妻が支えてくれました。また、ここにおられるサンレーの皆様が一生懸命頑張って下さって、わが社は奇跡的な復活を遂げました。取引先の皆様も、真心で助けて下さいました。本当に、感謝の申し上げようもございません」と書いています。

そして、続けて、

<「わたしは、いつか、この子の結婚式を松柏園で挙げたい」という夢を持ちました。2001年10月に社長に就任してからも、ずっとその夢を持ち続けました。さらに20年以上が経過し、2022年6月5日の今日、その夢はついに叶いました。夢は叶いましたが、わたしは常々、『夢よりも志が大事』ということを言っております。夢は自分が『幸せになりたい』ということであり、志とは他人を『幸せにしたい』ということだからです。サンレーは、『太陽が万物に光を降り注ぐごとく、あらゆる人に冠婚葬祭を提供したい』という志を抱いています。わたしは、冠婚葬祭ほど人を幸せにできるものはないと確信しています」と述べました。>

と書いています。

「夢」と「志」の両方を強く持ち続け、それを実現したShinさんの人生を心からお祝いし、乾杯の声を挙げたく思います。ほんとうに、ほんとうにおめでとうございました! 佐久間家・矢野家、ご両家のお喜びはいかばかりかと察します。Shinさんも「父としてのイニシエーション」を立派に果たされ、愛娘とそのパートナーの新たなる船出に心からの真直なる励ましと愛を注ぎ込まれました。お二人の人生の門出に、忘れることのできない父・義父の「涙・涙・涙」の「ダム決壊」だったと思います。お父上(新婦の祖父)の佐久間進サンレー会長も感無量で、喜びも一入だったことでしょう。ほんとうによかったです。

 

じつは、わたしは、6月4日、結婚式の前日の夕方に松柏園ホテルに行く前の日に、阿蘇山の一角のTAO塾でトークをしました。リトリートのできるとても落ち着いた山中にTAO塾はあり、身心ともに解放されたリラックスした状態で1時間ほど話をし、その後、タオ塾代表の波多野毅さんと大変有意義な対談をすることができました。

その時のことを、波多野さんがTAO塾のブログに書いてくれています。波多野毅さんのプロフィールは同ブログにこのように書かれています。

<1962年阿蘇小国町生まれ。一般社団法人TAO塾代表。食エコロジスト。 熊本大学大学院修了。熊本大学客員研究員(紛争解決平和構築学)。 祖母の死がきっかけで東洋哲学・東洋医学を研鑚、鍼灸と食養の資格取得後、 アメリカのKushi Institute留学。欧州無銭旅行の後、1994年、故郷にUターンしTAO塾創設。阿蘇の自然の中で、心と体の癒しのセンター「TAOリトリート」を運営しながら、様々な大学で特別講師を担当するほか、国内外で笑いのうちに楽しんで学ぶエデュテイメント講演を展開中。著書に「東洋医学の哲学」「自遊人の羅針盤」「医食農同源の論理」等。先頃、平成30年度環境大臣賞受賞。>

 

このTAO塾でのトークに、サルタヒコフォーラムの活動をしていた時代の旧友である湯布院の「空想の森美術館」館長の高見乾司さんやアーティストの鈴木寅二啓之さん夫妻が聞きに来てくれて、旧交を温める機会となり、たいへんうれしかったです。高見乾司さんには、以下の2冊の近著があります。

高見乾司『帰る旅―空想の森へ 地域アートの試みの中で』花乱社、2018年

高見乾司『神楽が伝える古事記の真相―秘められた縄文の記憶』廣済堂新書、2017年

機会がありましたら、ぜひお読みください。同じ九州の隣県でのことでもありますし。特に、高見さんの『帰る旅―空想の森へ 地域アートの試みの中で』(花乱社、2018年)は、大変共感でき、かつまた面白かったです。この本は、高見さんの生育史・ライフヒストリーに従って時系列に書かれていますが、同時に、時代の地域アートシーンの証言となっていて資料的価値も持っています。21頁から24頁の間には、高見さんが29歳の時に出した第一詩集『石切り場』(葦書房、1977年)の中に収めた詩篇「希望」「痛む手」「指」「崖」の4篇が採録されていて、胸を打ちます。

このタオ塾でのことを、高見さんが自分の「森の空想ブログ」で次のように書いてくれています。

高見乾司「森の空想ブログ」  森の中のお話し会にて/鎌田東二詩集「絶体絶命」(2022/土曜美術社出版販売)[本に会う旅<71>]  – 森の空想ブログ (goo.ne.jp)

 

じつは、この企画が実現したのは、シンガーソングライターの藤川潤司さんと川原一紗さんのおかげでした。藤川潤司さんが早稲田大学文学部の学生であった頃、Shinさんの出身学部の政治経済学部での「宗教学」の授業を聴きに来てくれて、それ以来、親しくなり、彼らがやっていた「縄文サンバ」というユニットといろんなところで協演したりして遊んでいました。その藤川君が、熊本県玉名市の名刹蓮華院誕生時の河原英照住職の長女の川原一紗さんと結婚して、その仲人をわたしたち夫婦が務めたのでした。その結婚式というのは、実に面白くて、披露宴会場を開け放って、新郎新婦を仲人であるわたしが法螺貝を奉奏しながら先導して導き、新郎新婦席に案内するという、世にも稀な画期的な結婚式でした。しかも、披露宴最中に、新郎新婦が共に、会場真ん中に置かれたグランドピアノやパーカッションで演奏するという、これまた世にも稀なる画期的なものでした。その藤川潤司・川原一紗夫妻がわたしをTAO塾につないでくれたのでした。潤ちゃん、一紗さん、ありがとう!

6月3日、一紗さんがソロ演奏している「アルバーロ」という自然食レストランに行って、久しぶりに一紗さんの歌唱を聴きました。神道ソングライターとして、大変勉強になりました。以下は、その時の動画です。

川原一紗演奏会 2022年6月3日:動画リンク:https://youtu.be/LYZMr9BXTa4

また、藤川君や一紗さんや子どもたちや、波多野毅さんたちと阿蘇の押戸石を参拝した時の動画は、以下のものです。

押戸石参拝 (阿蘇の天地に向かいて祈りのバク転1回) 2022年6月4日

動画リンク:https://youtu.be/1j3TmdH0hc0

フンドシ族ロック+世界フンドシ黙示録@タオ塾 2022年6月4日 動画リンク:https://youtu.be/obA1iFy6yyc

弁才天讃歌@タオ塾2022年6月4日 動画リンク:https://youtu.be/ewI1SCORku0

 

さてわたしは、5月末に、第四詩集『絶体絶命』(土曜美術社出版販売、2022年5月30日)を刊行しました。全体を三章で構成し、

Ⅰ 大国主
Ⅱ 痛恨
Ⅲ 破産
とし、それに序詩「常若の教え」と終詩「聴耳頭巾」を前後に挟みました。特に、「大国主」では、神道的「神の痛みの神学」(一般に、プロテスタント神学者の北森嘉蔵の神学を指す)を叙事詩的に表現しました。そのテーマを、3編の長詩、<なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?>、<たすけ>、<国譲り>で問いかけました。ぜひShinさんのブログで自由自在に書評してもらえるとうれしいです。

また、7月17日には、まったく同名の神道ソング集のサードアルバム『絶体絶命』をリリースします。レコーディングはすべて終え、今はマスタリングも終わっている頃かと思います。アルバムジャケットデザインも出来ました。全13曲で、内容は、第四詩集『絶体絶命』とは全く異なりますが、しかし、共通の危機感や悲哀に貫かれています。

『絶体絶命』曲順
1.「神ながらたまちはへませ」
2.「ある日 道の真ん中で」
3.  「南十字星」
4.  「みなさん天気は死にました」 (第三詩集『狂天慟地』より)
5.「 フンドシ族ロック+世界フンドシ黙示録」
6.「探すために生きてきた」
7.「犬も歩けば棒に当たる」
8.「「北上」
9.「時代」
10.「夢にまで見た君ゆえに」
11.「メコン」 (第三詩集『狂天慟地』より)
12.「銀河鉄道の夜」
13.「巡礼」

特に、この中の12曲目の「銀河鉄道の夜」のベースとコーラスは、元YMOの細野晴臣さんが参加してくれて、2001年に出した『この星の光に魅かれて』の中の「銀河鉄道の夜」とは、また異なったテイストとなっています。70歳を過ぎた2人の高齢者・交霊者?(細野晴臣さんはまもなく75歳、鎌田東二は71歳)が、ジョバンニとカムパネルラの役をやるというのは、拙著『翁童論~子どもと老人の精神誌』(新曜社、1988年)そのものでもあり、有機因果交流電燈の点滅現象(宮沢賢治『春と修羅』1924年)でもあります。じつに、ギクリとしますよ。聴いて、びっくり! 出来上がりを楽しみにしていてください。

 

また、来たる7月10日には、第3回「いのちの研究会」を開催します。今回は、身心変容技法研究会の風雲児である御殿場の「ありがとう寺」の住職である広島大学名誉教授の比較宗教学者の町田宗鳳さんがメインスピーカーとなり、「無意識の扉を開く」というテーマで、基調講演とディスカッションを行ないます。慶應義塾大学名誉教授の内科医・加藤眞三さんや東京大学名誉教授の島園進さんや東京工業大学副学長の上田紀行さんもディスカッションに加わります。興味津々、面白くも有意義な催しとなるはずです。概要は以下の通りです。

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プログラム「いのちの研究会」シリーズセミナー「アフターコロナ時代のいのちとケアの文明にむけて」
第3回「無意識の扉を開く」

日時;2022年7月10日13:00~16:00  (12:30開場)
場所;半兵衛ガーデン(岐阜県垂井町)会場の定員 50名(先着順)
および、Zoomミーティングでの参加の定員200名(先着順)
参加費 無料
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総合司会 町田宗鳳
13:00-13:15 開会にあたって 鎌田東二
13:15-14:00 基調講演「無意識の扉を開く」 町田宗鳳
14:00-14:15 パネリストより発言 上田紀行
14:15-14:30 休憩時間
14:30-14:45 パネリストより発言 加藤眞三
14:45-15:00 パネリストより発言 島薗 進
15:00-16:00 総合討論 全パネリスト
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当日のセミナーを録画したものを、後日YouTubeにて配信します。
参加申し込み方法:下記のGoogleフォームより登録下さい。
会場参加  (https://forms.gle/7pkbca8jgCCFVo9G9)
オンライン参加 (https://forms.gle/q5kPMwceybJbUNmQA)
登録ができない際などの問い合わせは右記まで(inochi.kenkyukai@gmail.com

第3回いのちの研究会ポスター

「いのちの研究会」シリーズセミナー「アフターコロナ時代のいのちとケアの文明にむけて」
シリーズセミナー開催の経緯と趣旨
「いのちの研究会」は町田宗鳳が2002年から2005年にかけて科学研究費基盤研究(B)の「脳死・臓器移植に関する比較宗教学的研究」のために結成した研究者チームの名称です。その研究概要は以下のような言葉でくくっています。
「科研費助成による本研究は、一応終止符を打つことになったが、「いのちの研究会」全員が、さらなる研究発展のために共同することを約している。それは、われわれが欧米先進国から導入された生命倫理を鵜呑みにするのではなく、アジア文化の中で育まれた固有の生命観に考慮を加えながら、商業主義に冒されず、しかも普遍性をもつ新しい生命倫理を樹立し、それを社会に向けて発信していくことを念願としているからである」
研究会のメンバーは、その後各自がそれぞれの場で発信を続けてきましたが、メンバー同士が個別に会うことはあっても、チームとして集い発信する機会を持てないままに過ごしていました。2021年3月、チームを再結成しシリーズセミナーを開催することにしました。
ちょうど、コロナパンデミックが訪れ、ロシアのウクライナ侵攻など社会全体が大きく変わることを余儀なくされている時期でもあり、文明史的にみても現在大きな転換期を迎えているとのことでメンバーの意見は一致しました。そして、これから訪れる時代を「いのちとケア」を大切にする文明とするために、社会に向けて発信したいと考えています。1年に3回のペースの開催で計6回のシリーズセミナーを開催する予定です。
第3回目は2022年7月10日に、会場参加とオンライン参加にて開催致します。今回は、町田宗鳳が「無意識の扉を開く」をテーマに基調講演をおこない、島薗進、鎌田東二、上田紀行、加藤眞三の計5人でパネルディスカッションをする予定です。
参加申し込み方法
参加を希望される方は、下記のGoogleフォームより登録下さい。
会場参加  (https://forms.gle/7pkbca8jgCCFVo9G9)
オンライン参加 (https://forms.gle/q5kPMwceybJbUNmQA)
登録ができない際などの問い合わせは右記まで(inochi.kenkyukai@gmail.com
皆様のご参加を心よりお待ちしています。
「いのちの研究会」メンバー:町田宗鳳、島薗進、鎌田東二、上田紀行、加藤眞三、八木久美

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その前に、今週末の6月18日(土)に、「戦争と文学ー中島敦・安部公房・遠藤周作の植民地体験」の第3回目(最終回)を行ないます。東京自由大学のHP

安部公房(1924‐1993)は、1歳から15歳まで、満洲の奉天(瀋陽)で育ちました。
中島敦(1909‐1942)は、11歳から17歳まで、朝鮮総督府の統治する京城(ソウル)で育ちました。
遠藤周作(1923‐1996)は、3歳から10歳まで、満洲の大連で育ちました。

幼少年期に植民地の「外地」で育った彼らの言語・民族・国家・文化・自然に対する意識と観念は、厳しい「他者性」と触れることなく同調圧力の強い「内地」で育った者とは違う感覚と思想を醸成したことでしょう。そんな彼らの「外部」と「内部」、自然と文化、特殊と普遍、言語とコミュニケーションと文学的表現について、考える講座です。

 

ところで、5月30日に第四詩集『絶体絶命』を出し、中1日置いて、6月1日に、『教科書で教えない 世界神話の中の「古事記」「日本書紀」入門』(ビジネス社、2022年6月1日刊)を出しました。宗教には、神話・儀礼・聖地が三大要素としてありますが、その中核をなす物語神話では、創世神話(宇宙の始まり・人間の始まり・文化の始まり)が語られます。『古事記』と『日本書紀』の神話表現を、各地の神話と対照させながら考えてみました。最近、10歳の時に出会った日本神話やギリシャ神話をもう一度総括してみたいという思いを持ち始めています。これにより、わたしも古代の「吟遊詩人」の仲間入りできたのではないかと思っています。

ぜひ多くの方々に読んでほしいです。たぶん、今を生きるヒントもいろいろと含まれていると思います。

そんなこんなで、上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻+グリーフケア研究所特任教授を退職して、念願の「吟遊詩人」として活動を始めましたが、これがけっこう忙しく、慌ただしくて、週1回の子供のバイエルからのクラシックピアノのレッスンと、英国人俳人でも「生け石」アーティストでもあるスティーヴン・ギルさんとラフカディオ・ハーンエッセイ「KITSUKI」(出雲大社参拝記)を共に読む英語のレッスンも重なり、右往左往する毎日です。そんな中、比叡山登拝は786回重ねました。天地人に捧げる祈りとしてのバク転3回も山頂付近で続けていますが、つつじヶ丘のつづじの満開は終りました。そこの「つつじ天国」は最高の華やかさであり、絶景であります。

以上が近況になります。それでは次回、7月のム―ンサルトレターを楽しみにしています。次回は、サードアルバム『絶体絶命』をリリースした報告ができるとおもいます。

2022年6月15日 鎌田東二拝