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シンとトニーのムーンサルトレター第208信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、毎日暑いですが、お元気ですか?
7月10日、第26回参議院選挙の投開票が行われました。わたしは全日本冠婚葬祭互助会政治連盟の副会長ですので、固唾をのんで選挙の行方を見守りましたが、結果は自民党が単独で改選議席の過半数となる63議席を獲得し、大勝しました。

 

その2日前の8日午前11時半頃、奈良市内で街頭演説をしていた安倍元首相が銃撃され、山上徹也容疑者(41)が殺人未遂の現行犯で逮捕されました。安倍元総理は、ヘリコプターで救急搬送されましたが、午後5時過ぎ、病院で死亡が確認されました。山上容疑者は、その犯行動機として「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある安倍元総理を狙った」と供述したと報じられました。TVニュースでも新聞でも、この「特定宗教団体」の名前を明らかにしないことには違和感がありました。

 

山上容疑者は「母親が宗教団体の信者で多額の寄付をして破産させられた。宗教団体にのめり込み、恨みがあった。幹部を襲撃しようとしたが、接触が難しかった。宗教団体と安倍元首相がつながっていると思ったから狙った。以前から元首相と宗教団体の関係について、調べていた」と供述したそうですが、選挙後にその宗教団体の名前も一斉に報道されました。これはテレビ局も新聞社も必ず知っていたと思いますので、参院選に影響するので選挙が終わるまでは報道を控えるということだったのでしょう。それにしても、安倍氏暗殺から暴露系YouTuberのガーシー当選まで、この3日間の日本は「何でもあり」というか「絶体絶命」というか、まさにカオスの只中にあると感じました。


『絶体絶命』

 

「絶体絶命」といえば、Tonyさんの最新詩集『絶体絶命』(土曜美術社出版販売)を拝読しました。第一詩集『常世の時軸』、第二詩集『夢通分娩』、第三詩集『狂天慟地』から成る「神話詩三部作」に続く第四詩集となりますね。「神話三部作」の完結後、Tonyさんは「詩人」としてはしばらく「休火山」とし、溜まっている論文や本の執筆に注力されると宣言しました。しかし、あくまでも「休火山」であり、「死火山」ではありません。 『絶体絶命』をもって鎌田休火山は再び噴火したのでした。同書を読んだ率直な感想は、「前の3冊に比べて、読みやすい!」です。

 

ムーンサルトレター第205信において、Tonyさんは『絶体絶命』の再校ゲラを抱えて出雲大社を訪れたとして、「2018年から2019年にかけてつづけさまに3冊の詩集を出したので、もう詩集は出さないつもりでしたが、2月24日にロシアによるウクライナ侵攻があって緊急出版することにしました。侵攻1ヶ月後の3月24日から4月4日までの間の10日間で全詩篇を書き上げ、5月中旬に出来上がります。これを書いたからと言って何かが大きく変わるわけでもないのですが、しかし、平和を作り上げるとはどんなことなのか、神話や歴史から深く考えていくきっかけを持つことができるとおもっています」と述べています。


『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』

 

『絶体絶命』の序詩「常若の教え」には「もはや通り抜けすることが出来ぬほど 顕幽の境を往き来する銀河鉄道も 赤字累積で廃線を決意した」というフレーズがあります。銀河鉄道が顕幽の境を往き来する臨死体験列車であることを、Tonyさんはすでに著書『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)で詳しく述べていますが、「銀河鉄道」と「赤字累積」という2つの言葉の組み合わせには意表を衝かれました。わが社も顕幽の境を往き来する冠婚葬祭の仕事に携わっていますので、赤字累積しないように、いや赤字にしないように気をつけたいと思います。


加賀大観音像の威容

 

それから、「赤字累積で廃線を決意した」という言葉から、わたしは最近訪れた加賀大観音像のことを思い浮かべました、わたしが加賀大観音像の中へ入ったブログ記事をお送りしたところ、Tonyさんからメールが届きました。そこには、「凄い観音像ですね。中の展示もよく出来ているように思います。しかしながら、経営は難しいのではないでしょうか? というのも、物は必ず崩壊する時が来るからです。特に、巨大建造物の崩壊は、後始末が大変です。賞味期限というか、利活用期限も限られていると思います。それは、法隆寺の様なお寺とも違うし、奈良の大仏や鎌倉の大仏のような世界遺産とも異なります。近代の大観音像などの仏像は、いずれすべて取り壊しになると思っています」と書かれていたのですが、そのとき、「常若の教え」の「赤字累積」「廃線」という言葉が頭に浮かびました。


加賀大観音像の内部で

 

また、Tonyさんは、ハートピア計画時代からのわたしの「宗遊」計画は、まさにこのような施設を含むものだったと指摘しています。なので、わたしの志や理念やヴィジョンやプランと、今回の加賀大観音像は親和性があると述べた上で、メールには「それゆえ、思いは、よく理解できます。問題は、現実的な経営だと思います。それが軌道に乗せられるかどうか、わたしは経営者ではないので、何とも言えませんが、残念ながら、うまく維持されていくようには思えません」とも書かれていました。Tonyさんがここまで言って下さることは「ありがたい」と思いました。著者とは「魂の義兄弟」と思っていますが、わたしにとっては「人生の師」でもあり、いつも感謝しています。

 

さらには、『絶体絶命』に収められた「始発」という詩が心に残りました。この詩を読んだ直前に、わたしは「きさらぎ駅」というJホラー映画を観たのですが、映画のイメージが「始発」のそれと重なりました。この映画は、2004年に「はすみ」と名乗る人物がインターネット掲示板「2ちゃんねる」に書き込んで以来、いまだ話題となる都市伝説をモチーフにしています。民俗学を専攻する女子大生が、異世界の駅の謎に迫ります。「きさらぎ駅」という都市伝説は、日本人には馴染みの深い異郷訪問譚の一種です。現世の地上世界、『古事記』などの神話であれば葦原中国から、それ以外の異郷を訪れる話ですね。よく知られている例としては、伊邪那岐命の黄泉国訪問、浦島子の竜宮訪問、大穴牟遅神の根国訪問譚、火遠理命の綿津見宮訪問譚、神功征韓譚、「舌切り雀」の雀のお宿などがあります。

 

これら日本人によく知られた異郷訪問譚の現代版として、「きさらぎ駅」をとらえることができるでしょう。ちなみに「きさらぎ駅」には、「伊佐貫(いさぬき)」と言う名称のトンネルが登場しますが、これは「伊邪那岐(いざなぎ)」と関連していると思われます。「鬼」という漢字を「きさらぎ」と読むこともできることから、きさらぎ駅には黄泉の国のイメージが強く漂っています。「始発」の最後には「はじまりのはじまり おわりのおわり おわりのはじまり はじまりのおわり はじまりのはじまり 始発で発車されないまま永遠に行き違った」とありますが、まさに黄泉国を強くイメージさせると思いました。


天河大弁才天社にて

 

詩集『絶体絶命』を読んで、わたしが感じたのは、「黄泉国をはじめ、さまざまな異世界へとトリップできるトラベルガイド・ブックのようだ」ということでした。「始発」の前に置かれた「破産」という詩には「世界は多孔体だから」というフレーズがあります。著者によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。そして、「精神世界の六本木」と呼ばれた天河大弁財天社にしろ、伊勢神宮や出雲大社にしろ、神社とは穴の開いたパワースポットなのでしょう。『絶体絶命』を読みながら、それらのパワースポットを訪れた記憶が蘇ってきました。この詩集は異世界に通じている・・・わたしには、そんな気がしてなりません。


『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』

 

『絶体絶命』に続いて、ご高著『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』(ビジネス社)も読みました。Tonyさんは、ギリシア神話や『旧約聖書』、北欧神話など西洋世界の神話と、『古事記』『日本書紀』など日本神話を比較すると、地球が抱える問題の解決法や、国家間・民族対立の課題を考えるヒントが見えてくると訴えます。さらに、神話には人間の生き様、死生観、リーダーの在り方に対する答えも書かかれており、本書は古代人の叡智が凝縮された神々の物語を、現代に生かす試みの書となっています。

 

『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』の「はじめに」の冒頭でTonyさんは「世界各国に神話があります。もちろん、日本にも神話があります」とし、各国や各民族の神話比較は多くの発見に満ちており、さまざまな国々の文化の「根源」(根っこ)を知ることができると述べています。それを通して、自分たちの国の「特質」をはっきりと浮かび上がらせることもできるようにるとも述べます。神話はこの世界(宇宙)や人間存在の起源や成り立ちやありようを説き明かす根源的な物語であり、物語の中の物語とも、物語の基盤をなす物語とも、物語を超える物語ともいえると述べています。それほど、大切で重要な物語の根っこであり、幹なのですね。

 

日本神話といえば、『古事記』『日本書紀』の神代の物語の総称です。『古事記』が編纂されたのは(序文の記述が正しければ)和銅五年(712年)。『日本書紀』が編纂されたのは養老四年(720年)です。いずれも冒頭に天地創成と神々の誕生の話が置かれ、イザナギ、イザナミやアマテラス、スサノヲなどよく知られた神々の神話が続きますが、両書の内容はかなり違うとして、Tonyさんは「『古事記』の神話はドラマチックで、まるでオペラかスペクタクル映画のよう。一方、『日本書紀』は神話をアーカイブのように、いくつもいくつも併記していきます」と述べます。この日本人の二大神話についての表現は見事ですね!

 

さらに、『古事記』や『日本書紀』の神話と、世界各国の神話を比べていくのも興味深いものであるとして、Tonyさんは「実は、私が神話の世界にはまり込んだのは、小学校五年生のときに学校の図書室で『古事記』と『ギリシア神話』を読んだことがきっかけでした。たまたま『古事記』を読んで、すっかり夢中になった私は、続けて『ギリシア神話』を手に取りました。すると、『古事記』のイザナギとイザナミの黄泉の国での物語と、『ギリシア神話』のオルフェウスとエウリュディケーの冥界での話があまりにも似ているので、まったく度肝を抜かれたのです」と述べています。このエピソードは、Tonyさんの数多くの著書にも書かれていますが、改めてこの原体験が本書執筆の契機となったことに納得しました。

 

「そもそもなぜ世界中のどこにも神話があるのか」では、世界中のどの文化圏にも神話があること自体が不思議な話であるとして、Tonyさんは「なぜ人類は、そういった話をつくらなければいけなかったのでしょうか。それは『生きるため』「生き抜くため」だったのだろうと、私は考えます。なぜなら、われわれは苦しんでいるとき、生き抜いていくために、苦しみから抜けるための出口を探します。出口を探していくときに、いちばんのきっかけになるもの(力の根源、考え方の根源になるもの)が神話なのです。神話が、考え方の類型の『拠り所』になっているのです。神様でさえ、このように苦しい目に遭っていたのだ。天岩戸の前で太陽神が隠れてしまって世界が真っ暗闇になるようなクライシスもあったが、そのクライシスを切り抜けるために祭が行なわれて、光がもう一度再生したのだ──。このような話を持つことによって、われわれに生きる力がもたらされる。新たな展望・展開を生み出すもととなる。ものの考え方や発想について、『新しい地平の形成』『新しい関係性の形成』『新しいシステムの構築』といったものを教えてくれる。つまり、神話がわれわれを支えてくれているのです」と述べます。


『儀式論』

 

「神話がわれわれを支えてくれている」という部分は、本書の中でも最重要であると思います。「人類は神話と儀礼を必要としている」とはTonyさんの持論ですが、その神話必要論の根拠が書かれています。儀礼必要論のほうは、拙著『儀式論』(弘文堂)に詳しく書きました。神話に話を戻すと、アメリカでは何層もの神話がせめぎあっています。もともとは、アメリカ先住民たちの神話がありました。そこへアングロサクソン系の人々がやってきて、キリスト教的な神話観に基づいてフロンティア(新しいエデン)を創造しようとしました。しかし、そのとき、先住民は虐げられました。さらに黒人奴隷がやってきました。黒人奴隷は差別されながら、アメリカの豊かさをつくりあげていくための労働力とされました。Tonyさんは、「まさにメソポタミア神話における下級の存在としての人間、ロボットのような存在としての扱いを受けた。しかし、アフリカの人たちは人類の祖先ともいえる、人類のいちばんの源ともいえる場所から来ているので、もっとも古い神話や儀礼などの物語要素を持っていた」と述べます。


『死を乗り越える映画ガイド』

 

先住民の神話の世界、白人の神話の世界、そして黒人の神話の世界がアメリカの中で三つ巴になっており、それらは折り合わさっているといいます。しかし、「それらの神話は間違いなく、アメリカのエネルギーを作りあげ、アメリカの生きる力を形成してきました」と、著者は言います。わたしも、その通りだと思います。しかしながら、まったく別の見方をすると、アメリカの歴史には神話の亜種のようなものが存在したと思います。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、建国200年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家であり、統一国家としてのアイデンティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要でした。それが、映画です。映画はもともと19世紀末にフランスのリュミエール兄弟が発明しましたが、他のどこよりもアメリカにおいて映画はメディアとして、また産業として飛躍的に発展しました。

 

アメリカにおける映画とは、神話なき国の神話の代用品だったのです。それは、グリフィスの「國民の創生」や「イントレランス」といった映画創生期の大作に露骨に現れていますが、「風と共に去りぬ」にしろ「駅馬車」にしろ「ゴッドファーザー」にしろ、すべてはアメリカ神話の断片であると言えます。それは過去のみならず、「2001年宇宙の旅」「ブレードランナー」「マトリックス」のように未来の神話までをも描き出します。そして、スーパーマン、バットマン、スパイダーマンなどのアメコミ出身のヒーローたちも、映画によって神話的存在、すなわち「神」になったと言えるでしょう。たとえば、ブログ「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」で紹介した映画で暴れるスーパーマンは、まるで日本神話の「荒ぶる神」であるスサノヲのようでした。ブログ「ワンダーウーマン」で紹介した映画が面白いのは、本物のギリシア神話とアメコミの世界を結びつけたところでしょう。ワンダーウーマンことダイアナ・プリンスはギリシア神話の最高神であるゼウスの娘ということになっているのです。また、物語には軍神アレスも登場します。

 

「人類の想像力・創造力を生む根源的なイメージは神話にある」では、神話がメッセージとして伝えてくれているものは、過去の人類の最大の知の遺産であると指摘し、著者は「われわれの世界がどんなに苦しい状況に直面しようとも、スサノヲやペルセウスが知恵と勇気によって苦難を乗り越えたように、必ずや打開の道があるはずだ──そういった物語を持つことで、われわれが生きていくビジョン、勇気、探求心、忍耐心、さらなる冒険心といったものを持つことができる。それによって、未来に向かって、新たな世界が創造されていくのです。また、人類の誕生以来、数々の芸術作品が、神話に基づいて生み出されてきました」と述べています。「スター・ウォーズ」などの映画も、ジョーゼフ・キャンベルの英雄神話研究に大きな影響を受けています。キャンベルには『神話の力』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)という名著があります。


『神話の力』

 

神話はずっと壊れずにわれわれの中で生き続け、考えさせる力、考えさせるきっかけとなり、そこからいろいろなヒントや解釈をつくりだしているとして、Tonyさんは「ある意味では、神話は、われわれの身の回りにある思いがけない宝物ともいえるでしょう。また、各国各地の神話と比較して、われわれの思考のパターンをいろいろなかたちに組み替え、攪拌して、リフレッシュさせていくこともできます。神話はそういう役割も果たしてくれます。どのような時代になっても、神話的な物語こそが、新しい技術、新しい発明、新しいシステム転換を生み出していく大きなきっかけをつくってくれる。人類の想像力・創造力を生み出す根源的なイメージは、やはり神話にある──そう私は思うのです」と述べるのでした。


人類は神話と儀礼を必要としている!

 

「テンミニッツTV」で収録した内容が原話となっている『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』は、まことに読みやすく、面白い神話の書でした。わが社の社名の由来である「産霊」についての詳細な記述も勉強になりました。わたしたちは、もう18年近くもこの「ShinとTonyのムーンサルトレター」を交わしていますが、その中で「人類は神話と儀礼を必要としている」と言う言葉が2人の合言葉のようになっていますね。「人類はなぜ儀礼を必要とするか」については日頃から考え続けて、そのことについての本もたくさん書きましたが、同書を読んで、「人類はなぜ神話を必要とするのか」がじつに明快に書かれていると感じました。わたしたちは「神道と日本人」をテーマにした対談本を出す予定ですが、やはり「神話と儀礼」がメインテーマになるのではないかと思いました。それでは、Tonyさん、次の満月まで!

2021年7月14日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

Shinさん、ムーンサルトレター208信、ありがとうございます。返信が遅くなりましたが、7月8日以来、安倍晋三元首相殺害の報道に明け暮れていますね。本年2月4日にはロシアによるウクライナ侵攻があり、その報道で夜昼明けぬほどでしたが、今は安部元首相暗殺と山上容疑者が反感を募らせていた「旧統一教会(世界平和統一家庭連合)」問題でもちきりです。

Shinさん同様、7月8日から参議院選が終わるまでの選挙報道についての違和感は強烈にあり、そのことを「一般社団法人宗教信仰復興会議」のWebサイトの「真空」欄に記事を書きましたので、お読みください。(https://www.hukkoukaigi.or.jp/%e7%9c%9f%e7%a9%ba/

この問題を深掘りすると、戦後の自民党政治と宗教団体との協力関係とか政治資金献金・寄附とか、その見返りとか、政教分離と信教の自由と表現の自由とか、日本国憲法に関わる問題にもなり、極めて大きな問題になってきます。いずれ、骨のあるジャーナリストがそのあたりを明らかにしていくでしょうが、大手報道機関はけっこう「忖度」機関になり下がりましたね。そのことがはっきり見えた事件だと思います。

 

Shinさん第四詩集『絶体絶命』と神話論の『教科書で教えない 世界神話の中の「古事記」「日本書紀」入門』の紹介、まことにありがとうございます。書評ブログでも詳しく紹介していただき、ありがたくおもいます。じつは、この『絶体絶命』は詩と歌の2つで1つ、セットとなっています。最初は、歌だけのつもりでしたら、途中から詩が生まれて来て、詩集『絶体絶命』の方が先に出来てしまいました。

本レターでも何度か言及して来ましたが、わたしは、昨年12月から、サードアルバム『絶体絶命』のレコーディングを重ねて来て、ようやく7月7日にCDが出来上がり、昨日、7月17日にリリースとなりました。昨日は、祇園祭の前祭りの山鉾巡行の日で、京都は14万人の人出となりました。最盛期は50万人とも70万人とも言われているので、それに比べるとずっと少ない人数ですが、2020年のコロナパンデミック以来、山鉾巡行が出来なかったので、3年ぶりの開催となり、その意味では関係者もまずは喜んでいると思います。コロナ感染の拡大中ですが、抑制されながらもさぞかし「爆発」したことでしょう。何と言っても、祇園祭は、いのちの爆発と拡充の「疫病退散」祭りですので。

また、昨日は、300回以上通ってきた奈良県吉野郡天川村の天河大辨財天社の例大祭日でもあり、わたしにとっては2つの縁日が重なる特別の日でした。

その特別の日に、思いと祈りを込めて、サードアルバム『絶体絶命』(CD)をリリースしたわけです。京都にとっても、天河にとっても、特別の祭りの日である7月17日をリリース日=発売日とし、Shinさんもご存じの大野邦久さんと珠希さんの厚意で、昨日より以下から注文発送できるようになりました。http://kt-project.myshopify.com/

このサードアルバム『絶体絶命』のテーマは、「絶望と痛みと悲しみの底の底からの祈りと希望の希求と探究」だとおもっています。

そんな特別の日の7月17日に、わたしは徳島にいました。じつは、7月16日、天河大辨財天社の宵宮祭、祇園祭の前祭りの宵宮の日に、故瀬戸内寂聴さんの寄附などでできた徳島県立文学書道館で「コロナ時代を生きる」と題して講演を依頼されていたので、その日、京都駅から高速バスで徳島に向かいました。

そこで、現状の危機の時代認識を踏まえてケアの時代の到来とその実践諸相について、90分話をし、最後に石笛・横笛・法螺貝を奉奏し、サードアルバム『絶体絶命』の1曲目の「神ながらたまちはへませ」を歌いました。終了後、久しぶりで旧友たちと新町川の橋のたもとのオープンカフェで食事をしながら懇談しました。高野山真言宗の地元の名刹・般若院住職の宮崎信也さん、元徳島市議会議員で現在移動スーパーとくし丸・Tサポート社長の村上稔さん、元県立文学書道館学芸員のインド舞踊家の亀本美砂さんと、4人で。

久しぶりで、たいへん開放的で愉快なひと時でした。新町川も徳島湾の汽水域なので、海水が入って来て、海の香りがします。どこか、ラテン的で、パリのセーヌ川のほとりのカフェテラスやナポリの海沿いのレストランを想い出しました。気分はラテンで、サイコー、でしたね。

特に、村上稔さんの車の中で聴いた話はたいへん心に染み渡りました。徳島のビーチで、サーフィンをした、ボブ・マリーの息子のジギー・マーリーの歌「Love is My Rligion 」を聴いて、こころの転換が起ったこと、たいへん心に沁みました。ちなみに、わたしの歌の師匠は、第一にジョン・レノン、第二に都はるみ、第三にボブ・マリー、第四に美空ひばり、ですが、そのボブ・マリーの息子のジギー・マーリーのことはまったく知りませんでした。彼の名前「ジギー」って、デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」から採っているのでしょうかね? わたしは、デヴィッド・ボウイも、ジギー・スターダストも大好きです。わたしも一粒の「ジギー・スターダスト」だと思っていたくらいですから。

Ziggy Marley:”Love Is My Rligion”

Love is my religion, Love is my religion, Love is my religion
I’ll take you to the temple tonight
All my days I’ve been searching, to find out what this life is worth
Through the books and bibles of time I’ve made up my mind
I don’t condemn, I don’t convert, this is a calling have you heard
Bring all the lovers to the fold, cause no one is gonna lose their soul
Love is my religion, Love is my religion, Love is my religion
Hey you can take it or leave it, and you don’t have to believe it
I don’t want to fight, hey let’s go fly a kite
There’s nothing that we can’t cure, and I’ll keep you in my arms for sure
So don’t let nobody stop us, free spirits have to soar
With you I share the gift, the gift that we now know oh oh oh
Well I’m done searching now, I found out what this life is worth
Not in the books that I find, but by searching my mind
I don’t condemn, I don’t convert
This is the calling have you heard, bring all the lovers to the fold
No one is gonna lose their soul

その夜は阿南市の姉の家に泊まり、翌17日に鎌田家先祖代々の墓参りをし、墓の前でも石笛・横笛・法螺貝を奉奏し、1曲「神ながらたまちはへませ」を歌いました。こうして、わが「吟遊」の旅事始めは、まずは出身国の阿波国からということにあいなりました。それを16分余の以下の動画にまとめましたので、ご笑覧ください。行きに鳴門大橋から久しぶりで大きな渦潮を見ることができました。飛び込みたくなりましたね、この雄渾に逆巻く渦潮の中に。わたしは龍巻フリーク映画『ツイスター』をわざわざ2度も観に行った渦巻き~洞窟フリークなので、渦巻きや洞窟にはトランス的な魅惑をかんじてしまいます。復路では吉野川の大きさ、雄大さを改めて感じました。「吉野川」、名前のとおり、吉き野川です。

吟遊事始め 四国・阿波国篇 2022年7月17日 明石・鳴門、桑野川、墓参り、那賀川、吉野川、淡路島、東寺、東本願寺、京都祇園祭り山鉾巡行の後の四条通りと比叡山

動画リンク:https://youtu.be/LGnI3Vcs-Sg

姉は今月73歳となり、わたしは71歳となりましたが、17歳になったばかりの春に四国~九州を旅して帰って来て初めて詩を書いた時の気持ちが甦っています。徳島県阿南市桑野町を出発して、まず、琴平(金毘羅さんの地)にいた姉を訪ねて行ったのでした。1967年の3月のことでした。

第四詩集『絶体絶命』は1週間で書き上げました。毎日1篇か2篇詩を書き続け、最後に冒頭の第1章に収めた長編叙事詩「大国主」と序詩と終詩を一晩で全部書きました。なんか、「絶体絶命」の八十万の神々や霊たちに憑依されているような感じでしたね。この第四詩集『絶体絶命』(土曜美術社出版販売、2022年5月30日刊)は。

 

そして、その翌々日に、『教科書で教えない 世界神話の中の「古事記」「日本書紀」入門』(ビジネス社、2022年6月1日刊)を出したのでした。だから、詩集『絶体絶命』と神話論『教科書で教えない 世界神話の中の「古事記」「日本書紀」入門』は、わたしのなかでは兄弟姉妹のようなものです。1つは詩で、1つは論で、「絶体絶命」の中にあるいのちの危機の「岩戸開き」を希求するものです。

それから、2022年7月20日付けで、島薗進編『宗教信仰復興叢書1 宗教信仰復興と現代社会』(国書刊行会)を出します。7月17日、サードアルバム『絶体絶命』のリリース日に国書刊行会から出来上がってほやほやの新刊本が届きました。この本『宗教信仰復興と現代社会』の目次構成は次のようになっています。

宗教信仰復興叢書の創刊に当たって 水谷周
序章 本書の主題について  島薗進

第一部 論集 現代における宗教信仰復興の諸相

第一章 プロテスタント─再生と抵抗の原理としての信仰復興運動  小原克博‌
第二章 無仏で災厄の時代こその仏教  岡田真水
第三章 「時のしるし」を読む信仰の感覚 ─ 「日本の教会」の信仰復興  原敬子
第四章 日本におけるスピリチュアリティの発生と展開  堀江宗正
第五章 世界のイスラームの動向と日本  水谷周
第六章 神道の未来  鎌田東二
第七章 非宗教者の信仰復興─福島県下の大規模災害を事例として  弓山達也
第八章 新宗教と利他のゆくえ─現世主義的楽観からの展開  島薗進

第二部 座談会「宗教信仰復興と現代社会」島薗進・水谷周・弓山達也・加藤眞三・鎌田東二 コメンテーター:伊藤東凌
(一) 宗教信仰復興とはなにか
1 シンポジウムの四つのテーマ/2 「医師」と「信仰」の立場/3 宗教信仰復興とプロテスタント/4 イスラームの宗教信仰復興/5 神道の信仰復興運動/ 6 他の宗教を認める「宗教信仰復興運動」のありかた/7 バブル経済期のカルトの出現/8 禅の立場からの信仰復興
(二) 今、どういうふうに、宗教信仰が興っているのか
1 信仰復興の多様性と浄化・純化/2 信仰と信心
(三) どんな宗教信仰が望まれているのか
1 宗教における利他主義、他の人のためにする活動/2 此岸と彼岸~この世の秩序と利他
3 イスラームから見た日本文化への違和感
(四) 私たち一人ひとりにとって、信仰復興とはなにか
1 人間の限界を見つめる/2 非常時の信仰復興/3 信仰復興の地道な取り組み
4 宗教と教育/5 水俣と宗教信仰復興/6 結びのことば
終章 「時のしるし」を読む時代に  鎌田東二
おわりに  弓山達也
執筆者・登壇者略歴

全353頁のけっこう濃密な本となりました。この「宗教信仰復興叢書」は全7巻+別巻1巻の全8巻の刊行予定で、すでに2冊の本が出ています。わたしも年内に『身心変容技法と霊的暴力~オウム真理教事件と悪の想像力』と題して、1冊を出す予定です。本当は2年前に刊行予定だったのが、遅れに遅れています。お粗末!

 

さて、あさって、7月20日から25日まで沖縄にまいります。7月20日から24日まで沖縄県立博物館で行なわれている「須田郡司写真展」のオープニングトークとして、「自然災害と巨石信仰と聖地巡礼」というトークを須田さんとします。須田さんは群馬県沼田市の生まれですが、海を見たくて琉球大学法文学部地理学科に入り、写真クラブで写真を撮るようになり、「巨石ハンター」を名乗る巨石写真家となりました。その須田さんとは、1991年以来、国内外の聖地巡礼を共にしてきています。聖地巡礼の「同行二人」的道連れです。この30年余。そしてここ10年あまり、13回東日本大震災の被災地約1000キロ(福島県から青森県まで)を訪ねてきました。それを踏まえての写真展となります。

7月22日には、久高島で「大重祭り2022」https://phdmoon.sakura.ne.jp/ohshige/を次のプログラムで行ないます。

【2022年7月22日「大重祭り2022」を久高島とオンラインの併用で開催します。ぜひご参加ください。(2022年7月13日現在案)Zoom情報は、以下の通りです。

大重祭り2022 2022年7月22日13時~17時
時間: 2022年7月22日 12:30 PM 大阪、札幌、東京

Zoomミーティングに参加する
https://sophia-ac-jp.zoom.us/j/98832211294

ミーティングID: 988 3221 1294
パスコード: 250756】

スケジュール(2022年7月5日時点の情報)2022年7月22日13時~17時頃 (久高島対面とオンラインで開催)

趣旨:未曽有のコロナ禍の中、いのちの讃歌を歌い続けた映像詩人・故大重潤一郎監督の命日に、大重さんの遺志とメッセージを確認しつつ、未来につなぐ橋を架けよう!

スケジュール概要:

13時 法螺貝奉奏・黙祷・読経・場開きジャンベ奉納(約10分 鎌田東二+高橋慈正+SUGEE)
ご挨拶 13時10分~13時20分 開会の辞 鎌田東二+高橋慈正(曹洞宗僧侶)

第一部:大重祭りトーク&パフォーマンス13時20分~15時20分頃 (司会進行:神田亜紀・比嘉真人)
出演:
1,久高島より中継(60分)~演奏とトーク
内間豊(久高島島民、NPO法人久高島振興会副理事長、「久高オデッセイ三部作」出演者)
小嶋さちほ「アマノマイ」奉納(シンガーソングライター、沖縄県南城市在住)
比嘉真人(沖縄映像文化研究所代表、「久高オデッセイ第三部 風章」助監督、沖縄県南城市在住)
岡野弘幹(音楽家・大重映画「縄文」「ビックマウンテンへの道」音楽担当、大阪在住)

JUN天人(舞踏家・大重映画「縄文」主演、大阪在住)

2,各地から中継①(30分)~トーク (オンライン接続)
島薗進(「久高オデッセイ第三部 風章」制作実行委員会副委員長、東京大学名誉教授、NPO法人東京自由大学学長、東京荻窪在住)
須藤義人(「久高オデッセイ第一部 第二部」助監督、沖縄大学教授、僧侶、沖縄在住)
矢島大輔(「久高オデッセイ」について新聞記事を執筆。朝日新聞社記者。学生時分に大重監督と出逢う)
矢野智徳(NPO法人杜の園芸代表、「久高オデッセイ第一部 第二部」出演者、東京在住)
須田郡司(巨石ハンター、「久高オデッセイ」@出雲上映者、出雲在住)
木村はるみ(元山梨大学准教授、「久高オデッセイ」等@山梨大学上映者、山梨在住)
今村達也(医療法人ささえ愛よろずクリニック理事長、精神科医、新潟在住)

3,各地から中継(40分~歌&パフォーマンスとトーク・オンライン接続)
ラビラビ(音楽家、東京在住)

稲垣遼(ディジュリドゥ奏者)

結【YUI】(奄美三味線と唄演奏)

藤川潤司・一紗(シンガーソングライター)

第二部:大重映画上映&トーク:15時30分頃~16時頃

映画上映「水の心」(1991年製作、30分)

第三部:自由トークと閉会の辞16時~17時頃(司会進行:高橋慈正・鎌田東二)
市東宏志(「黒神」など初期大重映画の製作にかかわる)

市川文武(「能勢」「光りの島」「久高オデッセイ」などの整音)

武藤和雄(「利根川」音響)

塚本真理(ヨガインストラクター)

水崎真奈美(装丁家)

山口卓宏・祐子(NPO法人東京自由大学監事・会員)

樂園学会共同世話人:谷崎テトラ(京都芸術大学客員教授・放送作家)+椚座信(NPO法人久高島振興会理事)ほか
鎌田東二(ホラ貝・歌2曲「フンドシ族ロック+世界フンドシ黙示録」「神ながらたまちはへませ」)

大重祭り呼びかけ人:鎌田東二、比嘉真人、高橋慈正、神田亜紀、大重生

技術サポート:K・O、結

 

それが終わって、翌日の7月23日には「樂園学会」第1回大会を以下の概要で同じ久高島で行ないます。

樂園学会 樂園学会 第一回大会 7月23日@久高島 オンライン配信

https://rakuengaku.square.site/

<開催概要>
・7月23日 13:00〜19:00 久高島よりオンライン配信
13:00〜18:00  シンポジウム
18:30〜19:00  樂園ライブ
<シンポジウム>(敬称略)
場開き
・鎌田東二(京都大学名誉教授)
・岡野弘幹(名古屋芸術大学客員教授・音楽家)
ご挨拶+オープニングトーク
・谷崎テトラ(京都芸術大学客員教授)
・西村勇哉 (大阪大学特任准教授)
・椚座信  (久高島振興会理事)
記念講演「楽園」と「修理固成」(『古事記』)~ゆめとうつつのサーキュレーション
・鎌田東二 (京都大学名誉教授)

招待講演
・大室悦賀(長野県立大学グローバルマネジメント学部教授)
・村川治彦(関西大学教授・健康科学部学部長・同研究科科長・宗教学・身体文化論)
・渡邊剛 (北海道大学大学院理学研究院地球惑星科学地球惑星システム科学科講師)
パネルディスカッション1「水と樂園」
・西村勇哉(進行)
・鎌田東二(京都大学名誉教授)
・ツェンコバ ルミアナ(神戸大学特命教授)
・岡野弘幹(名古屋芸術大学客員教授・音楽家)
パネルディスカッション2「樂園創造のために」
・谷崎テトラ(進行)
・椚座信  (久高島振興会理事)
・仲隆介  (京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科デザイン・建築学系教授)
・福本理恵 (東京大学未来ビジョン研究センター 客員研究員)
ご挨拶・総括トーク
・大野木啓人(京都芸術大学常務理事・教授)
<LIVE>
・岡野弘幹(名古屋芸術大学客員教授・音楽家)
・岩崎園子(声楽)+谷崎テトラ(LIVE PA)

 

それが終わり、京都に戻って、7月30日から8月11日まで、新潟市秋葉区滝谷町4-20の「医療法人 ささえ愛よろずクリニック」において、「ささえ愛よろずケアタウン開設10年」記念イベントして、「須田郡司・鎌田東二写真展~東日本大震災の記録と巨石文化の甦り」を開催します。同医療法人の今村達也理事長(精神科医)は、彼が新潟大学医学部学生だった時、「一日丸ごと宮沢賢治」を、1992年当時の新潟大学教授だった斎藤文一先生たちと開催した時からの付き合いです。今村さんの活動の根底に、宮沢賢治の羅須地人協会の理念があります。わたしは当クリニックの「芸能部」顧問の就任依頼を受けて、二つ返事でお引き受けしました。ケアに、「芸能・芸術・アート」的要素とワザは不可欠です。〒956-0854 新潟県新潟市秋葉区滝谷町4-20[地図]

こうして、本年4月より歩き始めた「吟遊詩人」としての游吟の旅は、四国阿波国の次は、越後国の新潟市となります。そして、その後、秋になって、9月17・18・19日は、北海道の旭川・札幌・函館の3ヶ所で詩の朗読会+ミニライブ、9月23日には、横山市高島台のシェアハウスヒルズで「TONY&KOW絶体絶命~いのちのよみがえりライブ」と続きます。

そんなこんなで、退職後の「吟遊詩人」の活動の方がかえって忙しいくらいになりました。これによる金銭的な収入はほとんどありませんが、しかし精神的な収入は絶大なものがあるようにかんじています。物質的エネルギーではなく、霊的エネルギーに満ちてきているような。これからもわが芸道・アート道を邁進する所存です。それではまた次の満月まで。ごきげんよう。

2022年7月18日 鎌田東二拝