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シンとトニーのムーンサルトレター 第066信

祝!『満月交感 ムーンサルトレター』上・下巻刊行

第66信

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、新年あけましておめでとうございます。そして、昨日は大変お世話になりました。Tonyさんが理事長を務められている東京自由大学の「21世紀地図」講座で講義をさせていただきました。テーマは、「現代の冠婚葬祭」でした。

 (まことに失礼ながら)東京自由大学は小さな市民大学ではありますが、学長の海野和三郎先生、理事長のTonyさんの人的ネットワークもあり、これまで信じられないような豪華メンバーが講義をされてきました。山折哲雄、細野晴臣、麿赤兒、玄侑宗久、島薗進、中沢新一、茂木健一郎、松岡正剛、鏡リュウジ、荻野アンナ、香山リカ、といった方々・・・・・それに、あの美輪明宏さんまで!

 本当に、多種多様なフロントランナーたちが訪れている「神田の学び舎」に呼んでいただき、まことに光栄でした。なにしろ、次回は政治哲学者の小林正弥さん(マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』の訳者)が「正義」について語り、その次は、なんと内田樹さんが「身体」について語るというのですから。うーん、すごい!

 わたしは、東京自由大学こそは「知の梁山泊」であり、真の「リベラル・アーツの殿堂」であると思っています。とういうわけで、東京自由大学で講義をする機会を与えていただき、心から感謝しています。本当に、ありがとうございました。

 さて、当日は第1部として最初に90分の講義、次に60分の質疑応答を含むオープンカフェ、第2部として『満月交感 ムーンサルトレター』の出版記念会という構成でしたね。

『満月交感 ムーンサルトレター』

『満月交感 ムーンサルトレター』東京自由大学で講義する一条真也

東京自由大学で講義する一条真也
 講義に先立って、前日に葬儀が行われたばかりの東京自由大学スタッフであった吉田美穂子さんの御冥福を祈る黙祷が行われました。それから、司会役であるTonyさんが講師紹介をしていただき、さらに法螺貝を吹いて下さいました。

 マイクを渡された後、わたしは「わたしも今日は大いにホラを吹きますので、よろしくお願いします。ウソはつくな、ホラは吹けがわが信条ですので」と言いました。それから、日本における冠婚葬祭の現状や社会背景などを説明し、わが社の取り組み、それからわたしの考え方などをお話しました。

 最初に「天下布礼」について説明させていただきました。冠婚葬祭業の経営、執筆、大学の教壇に立つことを貫く、わたしの活動におけるキーワードです。それは、「人間尊重」思想を広く世に広めることです。わたしは、冠婚葬祭ほど価値のあるものはないと心の底から思っています。なぜなら、何よりもまず、万人にとっての大問題である「結婚」と「死」に関わる仕事だからです。

 「結婚は最高の平和である」や「死は最大の平等である」というお話もしました。ドラッカーに学んだ事業の定義にならえば、結婚式とは「平和」を、葬儀とは「平等」を、そして互助会とは「人の道」を提供するものと信じています。

 それから、『葬式は必要!』に代表される儀礼必要論についても話しました。約10万年前にネアンデルタール人が死者を埋葬した瞬間、サルがヒトになったともいわれ、葬儀は人間の存在基盤とも呼ぶべき文化です。

 孟子は「人生の最大事は親の葬礼なり」と述べ、共産主義の生みの親であるマルクスにもっとも影響を与えた哲学者のヘーゲルも「親の埋葬倫理」を唱えています。

 あらゆる宗教や哲学が肉親を弔うことの重要性を説き、古今東西、親が死んで、葬式を出そうと思えば出せるのに金がもったいないからといって出さなかった民族も国家もまったく存在しません。そんな前代未聞の存在に日本人がなってしまったら、これはもう世界の恥どころではなく、人類史上の恥です。薬物禁止キャンペーンのコピーである「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」にならえば「冠婚葬祭やめますか、そして人類やめますか」というところです。わたしは自分の職業や立場に関係なく、本気でそう思います。そんなことを中心に、「神田の学び舎」で大いに吼えてしまいました。

 質疑応答では、東京大学名誉教授でもある海野和三郎先生が質問して下さいました。わが社の「サンレー」という社名が「SUNRAY」、つまり太陽光線に由来することを取り上げられ、「太陽光線ほど良質のエネルギーは宇宙にない。また、太陽光線ほど良く働くエネルギーもない」とおっしゃっていました。太陽と月の大きさが同じであることの不思議も語られていました。まったく同感です。海野先生のたたずまいは幽玄を思わせ、その思想は非常に深遠です。まさに、海野先生こそは「現代の老子」であると再確認いたしました。

 それから、「命・地球・平和産業協会」の代表である渡辺和子さんも、いくつかの非常に有意義な質問をして下さいました。昨年2月の「いのちを考えるゼミ」で渡辺さんとは初めてお会いしたのですが、その後、わたしの著書をたくさん読んでいただいたようです。この日、便箋7枚にもおよぶ丁重なお手紙を渡辺さんから頂戴し、とても感激しました。

 昨年のセミナーでも、渡辺さんは「志」についての深い質問をして下さいました。そのことをTonyさんに申し上げたところ、「渡辺さんほど志をもって生きている人はいないよ!」と言われていました。本当に、東京自由大学には素晴らしい方がたくさんいらっしいますね。海野先生や渡辺さんの他にも、活発な質問、貴重な意見が多く出されて、1時間のオープン・カフェはあっという間に過ぎ去ってゆきました。

 講義の後は、お待ちかねのイベントです。そうです、新刊『満月交感 ムーンサルトレター』の出版記念会が行われました。東京自由大学の女性スタッフのみなさん手作りの料理がズラリと並び、大変豪華な食卓となりました。誰かが、「こんな御馳走、初めて! 最初で最後の晩餐だね!」と言われ、大きな笑い声に会場が包まれました。そこに、ワインやジュース、お茶などの飲み物も並べられ、さながら「隣人祭り」のような雰囲気でした。そう、まさに「出版祝い隣人祭り」でしたね!

 まず、版元である水曜社の仙道弘生社長が挨拶と乾杯の音頭を取って下さいました。本の出足はなかなか好調で、発売初日にジュンク堂の新宿店では7セット(計14冊)も売れたそうです。いやあ、うれしいなあ!

 みなさんの感想をお聞きすると、とにかく本のカバー・デザインが好評でした。満月に向って吠える二匹の狼が描かれています。わたしは上巻の「まえがき」の最後に、次のような短歌を詠みました。「満月に吠える二匹の狼が世直しめざす人に化けたり」

 でも、最近、鎌田先生もわたしも年男であることに気づきました。二人とも、これほど満月を求めるのは、どうやら干支と関係がありそうです。つまり、二人ともウサギ年生まれなのです。ということは、狼の皮をかぶった二羽のウサギなのかもしれませんね(笑)。

 おいしい御馳走をいただきながら、一人が数分ずつ講義や本の感想などを述べて下さいました。どれもこれも、非常に勉強になるお話ばかりでした。Tonyさんは、部屋を真っ暗にしてギターを弾きながら歌を歌われました。それは、「永訣の朝」という神道ソングでした。宮沢賢治が妹トシを亡くした朝を歌った切ないバラードです。「このときばかりは泣いたよ・・・」というフレーズが心に染みました。きっと、前日、お葬儀に参列された故・吉田美穂子さんを追悼する歌だったのでしょうね。

 最後は、わたしが挨拶させていただきました。みなさんに心からの御礼を申し上げた後、「本書は二人の変わり者の文通かもしれませんが、これほどディープで世直しへの想いにあふれた文通は前代未聞ではないかと思います。日本人の往復書簡集の歴史に残る書として、自信を持って上梓いたしました」と言いました。みなさんから盛大な拍手を頂戴し、まことに嬉しかったです。

出版祝賀会にて

出版祝賀会にて神田のカラオケボックスにて

神田のカラオケボックスにて
 それから、二次会で神田のカラオケボックスに行きましたね。Tonyさんは「シクラメンのかほり」、「朝まで踊ろう」、「琵琶湖周遊歌」などを熱唱されました。わたしも「夜がくる」、「悪魔がにくい」、「港町ブルース」などを歌いました。東京自由大学のみなさんも大いに歌われましたが、「千の風になって」をはじめ、亡くなられた吉田さんを悼む歌が多かったですね。井上喜行さんが「星影のワルツ」の歌詞をすべて「なむあみだぶつ」と替え歌にして歌われたとき、全員で「なむあみだぶつ」の大合唱をしました。泣かれている方もいらっしゃいましたが、吉田さんを直接は知らないわたしも心に染みて、心からの御冥福をお祈りしました。あの歌声は、きっと吉田さんの魂に届いたことと思います。そして、みなさんの心のこもった歌をたくさん聴けて、とても温かい気持ちになることができました。

 それにしても、ついに本書を世に問う運びとなり、わたしは感無量です。わたしは、いわゆる「往復書簡集」の類が好きで、フロイトとユング、夏目漱石と正岡子規、柳田國男と南方熊楠の文通などを愛読してきました。そのわたしが、敬愛してやまなかったTonyさんと21世紀のWeb版往復書簡を交わすなどとは夢にも思いませんでした。ましてや、それが2巻組の単行本になろうなどとは!

 2人の間に交わされた膨大なレターを読み返してみて、自分でもあきれています。よくもまあ、5年の間、いろいろな話をしたものです。お互いの著書のこと、プロジェクトのこと、考えていること。話題も政治や経済、社会から、宗教、哲学、文学、美術、映画、音楽、教育、倫理、さらには広い意味での「世直し」まで。

 まあ、わたしがある話題に終始すれば、Tonyさんはまったく違う話題に終始するといった具合にあまり噛み合っていないこともありましたが、それもまた良し!(笑)お互いが言いたいことをつれづれなるままに書き、たまにはスウィングしながら、少しでも「楽しい世直し」につながっていけばいいなと思っていました。

  上巻の「まえがき」にも書きましたが、進化論のチャールズ・ダーウィンの祖父にエラズマス・ダーウィンという人がいました。彼は月が大好きだったそうで、18世紀、イギリスのバーミンガムで「ルナー・ソサエティ(月光会)」という月例対話会を開いたといいます。わたしたちは、現代日本のルナー・ソサエティのメンバーなのかもしれません。そして、われらのルナー・ソサエティは、ハートフル・ソサエティをめざしています。東京自由大学も、京都大学こころの未来研究センターも、サンレーも、それぞれのメンバーがそれぞれのやり方で少しでも社会が良くなることをめざしたいものですね。

 さあ、いよいよ「世直し」元年が幕を開けました! Tonyさん、今年も、どうぞよろしくお願いいたします。それでは、次の満月まで、オルボワール!

2011年1月23日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、昨日はNPO法人東京自由大学の講座「21世紀世界地図」の講師として、「現代の冠婚葬祭」について、「冠婚葬祭業とは『魂のお世話業』である」、「結婚は『結魂業』、葬送は「送魂業」だ」、「冠婚とは平和作りであり、葬祭とは平等の実現であり、互助会とは人の道の実践である」、そして、グリーフ・ケアのことなどなど……

 すべてにわたり、大変明快で、伝統とアヴァンギャルドがハイブリッドする、パッションとミッションに満ち溢れた講義をしていただき、まことにありがとうございました。いつもながらのご厚情、心より感謝申し上げます。

 また、1月17日に急逝した東京自由大学副運営委員長・理事の吉田美穂子さんへ弔いの言葉をいただき、ありがたく思います。吉田美穂子さんとわたしはまったく同学年、彼女は、享年60歳、でした。

 わたしとは1997年に出会い、1998年8月8日に神戸メリケンパークで行った「神戸からの祈り」、平成10年(1998年)10月10日に鎌倉大仏(浄土宗・高徳院)で行った「東京おひらきまつり」を仲間と共に実施し、1999年2月20日の「東京自由大学」の立ち上げも一緒に行った魂の同志です。

 4年ほど前に乳癌が発見されたようですが、彼女の信仰と信念から現代医療にかかることなく、浄霊と強い精神力で持ちこたえてきました。この間、東京自由大学の副運営委員長として「アートシーン21」の講座やいくつもの大きなシンポジウム、「三省祭り」(屋久島在住の詩人で東京自由大学の創立時からの顧問の故山尾三省氏を称え偲ぶシンポジウムと三省さんの詩の朗読会)やいくつもの夏合宿を担当して、東京自由大学を支え運営してくれる重要な活動を担って来てくれました。

 Shinさんは、昨日の東京自由大学での講義「現代の冠婚葬祭」の中で、「親を亡くした人は過去を失う、配偶者を亡くした人は現在を失う、子を亡くした人は未来を失う、恋人・友人・同志を亡くした人は自分の一部を失う」という、とても印象的なことを言われましたね。まさに、友人・同志を亡くして残された東京自由大学のわたしたちは、「自分の一部を失った」ような気持ちです。

 1月17日(月)のお昼の12時5分に息を引き取り、20日に築地本願寺でお通夜、21日に告別式があり、両方に参列しました。舞踏家で天賦典式の提唱者・大駱駝艦の主宰者・麿赤兒氏や音楽家のあがた森魚氏からの生花が届けられ、お花と心を手向けてくださいました。そして、お通夜と告別式とも、大勢の友人・知人が参列してくれました。吉田美穂子さんの死を悼み、惜しむ縁ある人がこれだけいるのかと、改めて、吉田さんの活動の広がりを感じました。彼女の右に首をかたむけた優しい遺影が心に沁みました。

 沖縄から車いすで駆けつけてくれたNPO法人沖縄映像文化研究所理事長の映画監督大重潤一郎さんが、お通夜のお清めの席で、大きな声で、吉田美穂子さんが亡くなる直前まで気にかかっていた自治会の経理の仕事をして、それをきちんと片付けてから倒れ、意識不明となり、数時間後には息を引き取ったという、遺族から聞いてくれた死の直前の経緯を披露してくれ、参会者の心を深く打ちました。

 お通夜の日の1月20日は、大寒の満月でした。わたしたち東京自由大学の面々は築地本願寺を立ち去り難く、本願寺前の鮨屋で十数名が吉田さんを偲びながら献杯・共食し、夜9時過ぎ、築地本願寺の上に昇った皓皓たる満月を東京自由大学のみんなで見上げ、吉田美穂子さんの遺体と満月に向かって思いっきり法螺貝を吹きならしました。

 みたま安かれと、自由大学のみんなで祈り、吉田さんと築地本願寺上空の満月に向かって法螺貝を吹くと、まるで彼女の魂がかぐや姫のように月に還っていくような錯覚に陥りました。お通夜も告別式も、本当に心のこもったものとなりました。深い思いを長文のメッセージとして寄せてくださった鈴鹿短期大学学長の佐治晴夫さん、天河大弁財天社の柿坂神酒之祐宮司さん、多くの方からの弔電も心を打ちました。

 吉田美穂子さんの東京自由大学での担当の中で心に残ることはいくつもありますが、「宇宙を知るコース」での山尾三省さんの講話集をまとめてくれたこと、「アートシーン21」での細野晴臣さんの話をまとめ、それを細野晴臣・鎌田東二共著『神楽感覚』(作品社、2008年)として出版できたこと、そして、舞踏家・俳優で大駱駝艦主催者の麿赤兒氏の「アートシーン21」での4年間4回連続講演を取り仕切ってくれたことでした。

 また、「東京自由大学は現代の羅須地人協会である」と、宮沢賢治の精神とわたしたちの活動が直結していると指摘してくれたことは、今でも、嬉しく、励みになっています。『満月交感』にも書いたように思いますが、わたしの中での東京自由大学の先達モデルは、ルドルフ・シュタイナーの人智学協会と出口王仁三郎の明光社と宮沢賢治の羅須地人協会ですから。いずれも、芸術と宗教と学問・科学を霊性の基盤に結びつけて、総合的に探究し表現しようとしてきた運動体です。それが、東京自由大学の3先達です。さらには、空海の綜芸種智院なども先達と言えるかもしれません。

 その延長戦で、今年の4月23日(土)に、東京都中野区のなかのゼロホール(小ホール、550席)で、「シャーマニズムの未来」という大タイトルの下、麿赤兒さんの舞踏公演「モノ降りしトキ」とシンポジウム「シャーマニズムの未来」を、佐々木宏幹氏(駒澤大学名誉教授)・小松和彦氏(国際日本文化研究センター副所長・教授)、鶴岡真弓氏(多摩美術大学教授)・松岡心平氏(東京大学大学院教授)・岡野玲子氏(漫画家)・新見徳英(音楽家・桐朋学園大学院大学教授)と麿赤兒氏という、まことにまことに超豪華メンバーで討議するのです。歴史に残る凄いメンバーですよ、これは!

 吉田美穂子さんは、そんな東京自由大学の活動を、最後の最後まで気にかけてくれていました。「シャーマニズムの未来」や麿赤兒さんの公演「モノ降りしトキ」についても、心を砕いてくれていました。

 この「シャーマニズムの未来」は、東京都中野区教育委員会や読売新聞や毎日新聞や東京新聞の後援もいただいています。吉田美穂子さんへの追悼公演・シンポジウムのつもりで、これから東京自由大学の総力を挙げて進めて参りたく思いますので、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

 Shinさん、わたしはこのムーンサルトレターの返信を京都に帰る新幹線の中で書き始めました。列車は先ほど富士山の南を通過したところです。鈍い曇り空の中から富士山の一部と夕日が望めました。

 さて、わたしたちの共著『満月交感』(上下、水曜社)がついに出版されましたね。東京自由大学の講義の後、いつも神田オープンカフェという自由表現の懇親会を開催するのですが、それを兼ねて出版祝賀会を催しました。15名ほどの方が残って大変な手作りのご馳走を持ち寄ってお祝いしてくれました。ありがたいことです、実に。

 そして、Shinさんがレターに書いてくれたように、神田オープンカフェ+出版祝賀会の後は、ビックエコーでカラオケのエコーを響かせましたね。8名が参加して次々と歌を歌いまくりました。吉田美穂子さんへの追悼の想いを込めて。わたしは、神田オープンカフェでは、宮沢賢治が妹とし子の死を悼んで作った詩「永訣の朝」を神道ソングに翻案した「永訣の朝」を歌い、神田ビックエコーでは、布施明の「シクラメンのかほり」、The Boomの「島唄」、舘ひろしの「朝まで踊ろう」、加藤登紀子の「琵琶湖周遊歌」、橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」の5曲を歌いました。Shinさんは、いつもながらわたしの知らない難曲を次々に歌いこなしていましたね。森進一の「港町ブルース」だけはよく知っていましたが……。

 東京でカラオケに行ったのは、20年ぶりくらいです。小倉や博多ではShinさんと会うたびにカラオケに一直線でしたが。東京ではなぜか、そんな気分にはなれないのでした。でも、昨日は別でした。歌を歌わずにはいられませんでした。みんなで一緒にカラオケに行きたかったのです。御相伴、本当にありがとうございました。最後に、われらが念仏の導師・井上喜行さんの先導による東京自由大学准校歌(第二校歌)の「星影のなむあみだ仏」(千昌男「星影のワルツ」の替え歌南無阿弥陀仏ヴァージョン)を全員で合唱して、吉田さんの冥福を心から祈りました。みんなでの追悼の祈り、とてもとても、ありがたかったです。歌の力はすごい、です。歌は祈り、でもあります。神道ソングライターとしては日々そのことを強く感じています。

 わたしは、次の金曜日、1月28日の夜に、阿佐ヶ谷の老舗の音楽喫茶「ヴィオロン」で、シンガーソングライターの曽我部晃(Kow)さんと10年10番勝負第6回目の対決ライブを行ないます。成績は、これまで、わたしの3敗2勝で、負けています。この次は絶対に負けられません。吉田美穂子さんへの追悼の想いも込めて勝利を修めたく思いますので、応援ください。よろしくお願いいたします。

 2月2日・3日・4日には、「天河護摩壇野焼き講」のメンバーで、恒例の天河大弁財天社参拝です。2日の鬼の宿、3日の節分祭、4日の立春祭に参加します。毎年、この3日間の天河で祈りの神事に参加することがわたしたちにとって、新しい年の幕開けです。昨年は、わたしは母の骨壺である「解器(ホドキ)」を作りました。今年の3月で満60歳の還暦を迎えるわたしは、今年から自分の骨壺「解器(ホドキ)」作りをしようと心に決めました。いつ死んでも悔いを残さないように。

 Shinさん、わたしの葬儀は派手にやってください。Shinさんに葬儀委員長をお願いしますから。

 神道式で、祭壇を設けて天河大弁財天社の柿坂宮司さんに偲び詞を上げてもらい、仏教式のお焼香に当たる玉串奉奠の時には、わが神道ソング「なんまいだ—節」や「弁才天讃歌」や「神」や「ぼくの観世音菩薩」や「フンドシ族ロック」や「銀河鉄道の夜」や「永訣の朝」や「君の名を呼べば」などガンガンに神道ソングをかけてもらって楽しく踊ってもらい、また弔辞代わりに神田オープンカフェ方式ですべての参会者に平等で3分の思い出話や自由自己表現をしてもらい、歌あり、踊りあり、武道あり、能・歌舞伎、新劇、アングラ、暗黒舞踏、なんでもありで、追悼ではなく「追東(Tony)」してもらいたいのです。

 「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損!」と、魂踊り、盆踊りを踊ってほしいのです。そして、わたしの骨や遺灰は望む人に食べてほしいのです。わたしは「散骨」よりも「食骨」してほしいのです。それはもう、40年ほど前からのわたしの願いです。

 20歳のころ、野坂昭如さんの『骨噛峠死人葛』という小説だったかで、九州の山奥に死者の骨を噛む「骨噛み」の風習があることを知って以来、親しい人・望む人に自分の骨を食べてほしいと思うようになりました。カレーに入れても、うどんの汁に入れても、そのまま骨を齧っても、違法でなければどのような調理法や食法でもかまいません。人の体の中に入って消えていきたいのです。

 わたしは自分の骨壺である「解器(ホドキ)」を作りますが、しかしその「解器」の中には「空骨」しかないということになります。つまり、空っぽの骨壺であるわたしの「解器」だけが、わが遺物としてこの世に残ります。それが、わたしの玉手箱=魂手箱、というわけです。

 そして、Shinさんには、葬儀委員長として思う存分、一世一代の打ち上げ花火・月面レーザー送魂のハデハデのハチャメチャアヴァンギャルドな葬式をぶち上げてほしいのです。なにとぞ、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。今から、ヤクソク、ですよ〜っ! ヤケクソ、ではありませんよっ!

 わたしは、Shinさん同様、「葬式は必要!」論者ですし、神話も儀礼も必要論者ですからねっ! ヨロシクッ!

 と、葬儀の約束までして、わたくしは安心して、今後、この世でのお務めに専念することにいたします。

 最後に、情報を。1月31日夜20時25分〜20時50分のNHK教育番組に出演します。「極める! 千住明の聖地学」という番組です。観てください。またそれは、テキストにもなっていて、NHKテレビテキスト『知楽遊学シリーズ NHK極める! 千住明の聖地学』(日本放送出版協会、2011年1月)の初めの方に「聖地とは何か」という題でインタビューに答えていますのでご笑覧ください。

 それでは、次の満月まで。オルボワール!

2011年1月23日 鎌田東二拝