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シンとトニーのムーンサルトレター第213信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、いつの間にか、もう師走になってしまいましたね。時の流れは本当に速いものです。先日は、京都でお会いできて嬉しかったです。11月28日の夜、都ホテル京都八条の日本料理店「うおまん」で待ち合わせましたね。


紅葉シーズンの京都で再会

 

いつもはホテルグランヴィア京都の中華料理店でお会いすることが多いのですが、今回は紅葉シーズン真っ盛りということもあって、グランヴィアが予約できませんでした。それでも、「うおまん」の京料理はなかなか美味しかったです。やはり、春夏秋冬の四季があるように、最低でも年に4回はTonyさんにお会いしたいものです。Tonyさんとは、さまざまな話題で盛り合った後、来年こそは「神道と日本人」をテーマにした対談本を作ることも約束して、別れました。Tonyさん、有意義な時間を与えていただき、ありがとうございました。

国立京都国際会館を背に

 

Tonyさんとお会いした11月28日の朝、わたしは小倉から京都に向かいました。わたしが心から尊敬する哲人経営者であった稲盛和夫氏が、8月24日午前8時25分、老衰のために90歳で京都市伏見区の自宅で亡くなられましたが、その「お別れの会」に参列するためです。会場は、「国立京都国際会館」でした。京都駅から地下鉄に乗って、約20分後に国際会館駅に着きました。「稲盛和夫 お別れの会 会場入り口→」という立て看板があったので、その方向に進むと、国立京都国際会館の偉容が姿を現しました。会場に至るまでには、いくつも「撮影禁止」の案内がありました。

「お別れの会」の会場入口の前で

 

禁止ということなので、会場の様子は一切撮影できませんでしたが、故人の名言や人生アルバムを展示したコーナーなどもありました。名言コーナーは、「心を広める」として「勤勉」「熱意」「真摯」「感謝」「反省」「無私」、「経営を伸ばす」として「願望」「進歩」「挑戦」「苦難」「利他」「調和」と大文字で書かれたパネルと故人の写真、そして故人のメッセージが書かれていました。最後は「幸せな人生」というパネルが展示されていました。まるで、『稲盛和夫一日一言』などの名言集のリアル展示会のようでした。


地下鉄で帰りました

 

故人の人生アルバムも珍しいもので、本当は撮影させていただきたかったです。美術館の警備員のような方もたくさん立っており、全体的に物々しい雰囲気でした。公益社さんが設営された大きな祭壇には、故人がナイル川のほとりで微笑む写真が遺影として飾られていました。わたしは、その遺影に向かって「これまでお疲れ様でございました。多くの学びを与えていただき、ありがとうございました。微力ながら、稲盛先生から学んだ利他の精神の普及に尽力させていただきます」と心で語りかけ、献花をしました。会場を出ると、地下鉄で京都駅まで向かいました。

『心ゆたかな映画』(現代書林)

 

さて、わたしの新しい本の話をさせて下さい。11月15日、『心ゆたかな映画]』(現代書林)が発売されました。「HEARTFUL CINEMAS ハートフル・シネマズ」のサブタイトルがついています。480ページのボリュームです。本書の帯には、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」「ネットで大人気の映画レビューが待望の書籍化!!」「世界的大ヒット作からミニシアターの佳作までを網羅した厳選の100本」と書かれています。

読書と映画鑑賞は教養の両輪!

 

本書は、『心ゆたかな読書』(現代書林)の姉妹本です。読書と映画鑑賞は教養の両輪だとされていますが、ともにその目的は心をゆたかにすることにあります。わたしがブログを書き始めたのは2010年からですが、多種多様な記事の中で、最も人気があるものの1つが本の書評であり、映画の感想です。同書に収めた100本の映画レビューも、わたしの公式ブログである「一条真也の新ハートフル・ブログ」に掲載した記事をもとに構成されています。


「一条真也の映画館」TOPページ

 

もともと、読書ブログには大量のアクセスが寄せられていましたが、最近は映画ブログも負けないくらいに注目されてきたようです。新作映画の感想をブログにアップした直後から膨大なアクセスが集中することもしばしばで、ネットの検索結果でもよく1位になっています。ブログ記事は「一条真也の映画館」という映画レビュー専門サイトにも再掲載していますが、こちらもよく読まれています。

『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

わたしが映画の本を書くのは、『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)に続いて、『心ゆたかな映画』が2冊目です。前作では、「あなたの死生観が変わる究極の50本」というサブタイトルのとおりに、映画館の暗闇の中で生と死を考える作品を厳選しました。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを集めてみました。

 

わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると考えています。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。すなわち、写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。

 

だからこそ映画の誕生以来、時間を超える物語を描いたタイムトラベル映画が無数に作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思います。

 

『死を乗り越える映画ガイド』を刊行した後も、わたしはたくさんの映画を観ました。すると、今度は奇妙な現象が起きました。どんな映画を観ても、グリーフケアの映画だと思えてきたのです。ジャンルを問わず、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。この不思議な現象の理由として、わたしは3つの可能性を考えました。1つは、わたしの思い込み。2つめは、映画に限らず物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした映画が増えているということです。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしていました。

『詩学』(光文社古典新訳文庫)

 

わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知ったTonyさんからメールが届きました。それによれば、何を見ても「グリーフケア」に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも「グリーフケア」の要素があるのだといいます。哲学者アリストテレスは『詩学』第六章で、「悲劇」を「悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある」と規定しましたが、この「カタルシス」機能は「グリーフケア」の機能でもあるというのです。しかし、アリストテレスが言う「悲劇」だけでなく、「喜劇」も「音楽」もみな、「カタルシス」効果を持っているので、すべてが「グリーフケア」となり得る。そのような考えをTonyさんは示して下さいました。なるほど、納得です!


『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

グリーフケアと映画といえば、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」の製作も決定し、2024年の公開を予定しています。「グリーフケア」とは心の喪失を埋める営みであり、わが造語である「ハートフル」にも通じます。そして、わたしは映画評にとって最も大切なこととは、それを読んだ人がその映画を観たくなることだと思っています。グッドコメントであれ、バッドコメントであれ、読者がその映画を観たいと思うレビューを心がけて書いてきました。本書で知った映画を観て、心ゆたかになっていただければ、こんなに嬉しいことはありません。


『葬式不滅』(オリーブの木)

 

もう1冊の新刊は『葬式不滅』(オリーブの木)で、12月7日に発売されました。島田裕巳氏の著書『葬式消滅』に対する反論の書です。当初、わたしは本書のタイトルを『葬式復活』にしようと考えていました。誤解のないように言うならば、葬式はけっして消滅していません。ゆえに復活させる必要はありません。では、なぜゆえ「復活」と考えたのか。それは、超高齢社会を迎えたわが国にとって、葬式も変わらなければいけないと思っているからです。ましてや、コロナ禍の今、ポストコロナ時代を見据えて、葬式は変わらなければいけません。要・不要論ではなく、どう変化していくかです。わたしはそれを「アップデート」と呼びたいと思います。その結果、わたしは『葬式復活』ではなく、『葬式不滅』であると思い至りました。また、このタイトルには今年8月6日に逝去された作家の青木新門氏がわたしに語られた「一条さん、葬式はなくなりませんよ。『葬式は、要らない』じゃなくて『葬式は、無くならない』ですよ」というメッセージが込められています。

『葬式消滅』vs『葬式不滅』

 

新型コロナウイルスの収束が未だ見えない2022年6月、『葬式消滅』(G.B.)という本が出版されました。著者は宗教学者の島田裕巳氏。同書のアマゾン内容紹介には、「自然葬、海洋葬を実際に行ない、葬送の自由を進めてきた著者が、現在、そしてこれからの葬儀のカタチを紹介。直葬などの登場でお葬式はますます簡素で小さくなってきました。見送る遺族はお骨を持ち帰らないという葬儀もいよいよ出現。高額な戒名も不要、お墓も不要となってきた新しい時代のお見送りの作法や供養の方法などこれからの時代を見据えた情報を宗教学者が教えます」とあります。そのカウンターブックとして、『葬式不滅』は誕生しました。デザインが似ていることはもちろん、ページ数も価格もすべて同じです。まるで、ブック・ストーカーですね。おそらくは、島田氏も「ここまでやるか!」と思われたのではないでしょうか?


『葬式に迷う日本人』(三五館)

 

島田氏は、2010年に『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)という本を出版され、ベストセラーになりました。わたしは反論本という形で『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。さらに島田氏が2015年、『0葬』(集英社)という本を書かれ、その折も反論という形で『永遠葬』(現代書林)を出版しました。そんな島田氏との因縁に終止符を打つつもりで、ご本人との対談本『葬式に迷う日本人』(三五館)を実現させました。本での論争ではなく、直接対決を試みたわけです。島田氏とわたしは、お互いに相手の話をきちんと聴き、自分の考えもしっかりと述べ合いました。当事者のわたしが言うのも何ですが、このときは理想的な議論が実現したのではないかと思います。けっして馴れ合いではなく、ときには火花を散らしながら、ある目的地に向かっていく・・・今後の日本人の葬送儀礼について、じつに意義深い対談となったように思います。


島田裕巳氏と

 

しかし、直接対決後も、島田氏は『葬式消滅』というタイトルの本を出されたわけです。「三度目の正直」などと言いますが、「正直、島田さんも懲りない方だなあ」と思いつつも、無視できない気になるタイトルでもありました。なぜならそれまでの「葬式の要・不要論」は個人の選択の中にあったのですが、『葬式消滅』のタイトルや内容から感じた印象は「社会が葬式を必要としていない」――そんな印象を持ったからです。コロナ禍で社会が大きく変わろうとしていく中、葬式も含んだ儀式が大きな転換期を迎えているという実感がわたしにもありました。島田氏はそうした世の中の風潮を敏感に感じ取り、センセーショナルなタイトルの本を出されたのではないかと思いました。


島田氏との対談のようす

 

『葬式不滅』を書くにあたって、わたしは、残さなければいけないもの、変化させていいもの(場合によっては取りやめてもいいもの)と精査する時期が来たと思いました。あえていうのならチャンスであり、葬式を営んできた寺、葬儀社や互助会も変わらなければいけないでしょう。でも、葬式は必要です。葬式を消滅させる社会であってはなりません。わたしは『葬式は必要!』を20日間で書き上げて出版したときのことを思い出しました。あのとき、「葬式は必要なのは当たり前。あえて、反論本など書かなくていい」「『葬式は、要らない』なんて本は無視すればいい」という声を数多く聞きました。正論かもしれませんが、しっかり必要性を説くことがわたしは重要だと思い、使命感をもって『葬式は必要!』を書きました。


今回も、あえて反論す!(日経電子版より)

 

ダムは小さな穴から決壊するといいます。小さな穴(『葬式は、要らない』)が生まれた理由があるのです。それはなんの前触れも、理由もなく生まれません。その時に、検証し、考えることが必要です。『葬式は、要らない』→『0葬』→『葬式消滅』という流れは、確実に「穴」が大きくなっている証拠です。個人の選択の問題から、死生観へ結び付き、さらには社会の風潮までもが、変わりつつあるということです。わたしは今回も無視することをやめました。あえて筆をとり、反論を挑みました。もともと、島田さんは「縁の行者」であるTonyさんから紹介していただいた方ですが、またもや浅からぬ縁(因縁?)ができてしまいました。不遜ながら、『心ゆたかな映画』と『葬式不滅』を献本させていただきますので、ご笑読のうえ、ご批判下されば幸いです。それでは、今年も大変お世話になりました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。Tonyさん、良いお年をお迎え下さい!

2022年12月8日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

今日は12月8日の満月で、ちょっと象徴的な感じを持ちます。昭和16年(1941)のこの日、大日本帝国はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。そしてそれは、昭和20年(1945)8月15日に、ポツダム宣言を受諾して、無条件降伏するまでの厳しくも悲惨な戦争の発端となりました。その6年前の昭和10年(1935)の12月8日、大本は官憲により徹底的に弾圧され、出口王仁三郎以下多数の幹部らが治安維持法違反と不敬罪で逮捕されました。

この12月8日は、歴史的に、お釈迦様が悟りを開いた「釈迦成道の日」とされ、また、私の敬愛するジョン・レノンがニューヨークで銃弾に倒れた日でもあります。カトリック教会では、1854年のこの日に、聖母マリアの「無原罪懐胎」の教義が公認されました。重ね重ね、この12月8日、「12・8」という日は、象徴的で、かつ、示唆的です。そして、その12月8日が、激動の令和4年(2022年)の最後の満月の日となりました。何とも言えない複雑な気持ちです。

さて、それはそれとして、Shinさん、新著2冊の出版、まことにおめでとうございます。『心ゆたかな映画』と『葬式不滅』の2冊の刊行、すばらしい! この前進あるのみの「一条真也スピリット」には心から敬意を表します。余人にできることではありません。

しかも、前者『心ゆたかな映画』は472頁の大著で、全10章に各10本ずつの映画評が配されていて構成も見事です。が、何よりも、よくぞまあこの忙しい仕事の中でここまで映画を観られたものだと感心することしきりです。ようやった~!

目次は、次のようになっています。

まえがき

●第1章 ミュージック&ミュージカル
「ボヘミアン・ラプソディ」
「ロケットマン」
「エルヴィス」
「美女と野獣」
「アラジン」
「レ・ミゼラブル」
「ラ・ラ・ランド」
「グレイテスト・ショーマン」
「ジュディ 虹の彼方に」
「ウェストサイド・ストーリー」

●第2章 ラブロマンスに酔う
「マリアンヌ」
「カフェ・ソサエティ」
「君の膵臓をたべたい」
「蝶の眠り」
「ラストレター」
「糸」
「スパイの妻」
「花束みたいな恋をした」
「アンモナイトの目覚め」
「男と女 人生最良の日々」

●第3章 ヒューマンドラマに涙する
「ライフ・イットセルフ」
「ベル・エポックでもう一度」
「ミナリ」
「コーダ あいのうた」
「羊と鋼の森」
「いのちの停車場」
「そして、バトンは渡された」
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」
「ボイリング・ポイント/沸騰」
「トップガン マーヴェリック」

●第4章 ファンタジーで夢の世界へ
「シェイプ・オブ・ウォーター」
「ア・ゴースト・ストーリー」
「ルイスと不思議の時計」
「ジョジョ・ラビット」
「コーヒーが冷めないうちに」
「DESTINY 鎌倉ものがたり」
「今夜、ロマンス劇場で」
「おらおらでひとりいぐも」
「異人たちとの夏」
「夜叉ヶ池」

●第5章 SF映画でワクワクする!
「シン・ゴジラ」
「バッドマンvsスーパーマン」
「ワンダーウーマン」」
「イエスタデイ」
「テネット」
「夏への扉―キミのいる未来へ―」
「レミニセンス」
「ドント・ルック・アップ」
「DUNE/デューン 砂の惑星」
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」

●第6章 ホラーだって心ゆたかに!
「カメラを止めるな!」
「マザー!」
「ファーザー」
「ヘレディタリ―/継承」
「ボーダー 二つの世界」
「ドクター・スリープ」
「アントラム/史上最も呪われた映画」
「ライトハウス」
「アンテベラム」
「ラストナイト・イン・ソーホー」

●第7章 死生観とグリーフケア
「世界一キライなあなたに」
「アマンダと僕」
「君を想い、バスに乗る」
「魂のゆくえ」
「私のちいさなお葬式」
「永い言い訳」
「ハチとパルマの物語」
「ムーンライト・シャドウ」
「ドライブ・マイ・カー」
「アイ・アムまきもと」

●第8章 社会を持続させるシネマ
「ムーンライト」
「グリーンブック」
「存在のない子供たち」
「ジョーカー」
「ザ・ホワイトタイガー」
「ミッドナイト・スワン」
「朝がくる」
「189」
「梅切らぬバカ」
「MINAMATA~ミナマタ」

●第9章 歴史とドキュメンタリー
「キングダム」
「花戦さ」
「三島由紀夫vs東大全共闘」
「最後の決闘裁判」
「オフィサー・アンド・スパイ」
「彼らは生きていた」
「ホテル・ムンバイ」
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
「ハウス・オブ・グッチ」

「オードリー・ヘプバーン」

●第10章 アニメーションの楽園
「かぐや姫の物語」
「思い出のマーニー」
「君の名は。」
「この世界の片隅に」
「竜とそばかすの姫」
「リメンバー・ミー」
「ソウルフル・ワールド」
「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」
「劇場版 呪術廻戦 0」
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

あとがき

とにもかくにも、お見事というほかありません。簡単にできることではありません。まず、観なければならないし、そしてそれを、内容やあらすじの紹介はもとより、批評的に考察し評価しなければならないのですから。そしてそれらを10のカテゴリーに分類して配置する。並大抵ではない知と汗の産物ですね。すばらしい!

Shinさんが挙げている100本の中で、わたしがもっとも感動したのは、「第10章 アニメーションの楽園」の中に収められた「リメンバー・ミー」です。哀切極まりない歌心と、死者との交歓! 死者による導きと大いなる和解。ムーンサルトレターにも書いたことがあったと思いますが、この映画を観てわたしはディズニーを軽く見てはいけないと思い知らされました。

 

そして続けて出た『葬式不滅』。これまた、じつに快挙ですね。昔、「新吾十番勝負」という映画がありました。大川橋蔵が主人公の「葵新吾」を演じていましたが、さて今回の「SS対決(島田×真也)」「SS三番勝負」では、軍配はいかに? その行方は???

しかし、勝敗を抜きにして、ここまで誠実・愚直に付き合うことができるのは、すばらしくも、すごいことです、すてきなことです。まさに、「3S」(すばらしい! すごい! すてき!)であります。これ以上の言葉は出てきません。その心意気やよし! というほかありません。ここまで丁寧に「返礼品」を出されたら、島田裕巳さんも「本望」ではないでしょうか? すばらしいQ&A共作・競作シリーズだと思います。SS対決の。島田さんもShinさんも、それぞれに力投し、現代的意味を問いかけていると思います。

後は、一人ひとりの読者が判断するでしょうが、この関係性はすばらしくも見事です。この三連作のQ&Aシリーズをギネス入りさせてほしいですが、無理ですかねえ~。

 

さて、わたしたちは、11月14日から、京都新聞社の「THE KYOTO」の枠で、京都伝統文化の森推進協議会のクラウドファンディングを始めました。サイトのURLは以下の通りです。https://the-kyoto.en-jine.com/projects/denbunnomori

Shinさんからも、株式会社サンレーからも早速ご支援いただき、まことにありがとうございました。心より感謝申し上げます。また、多くのみなさまのお気持ちとお力をお寄せいただいていること、心からお礼申し上げます。

この「京都伝統文化の森推進協議会」とは、日本有数の寺社が密集する京都三山を守り伝えるために、2007年に宗教学者の山折哲雄先生が中心となって設立したたいへん面白い有意義な任意団体だと思っています。「面白い」というのは、東山山系の主だった寺社や京都市や祇園商店街や学識者や林野庁などなどが一堂に会し、結集していて、多様の中の協働作業をしているからです。この「京都モデル」は未来を切り拓く先駆け的な協働作業だと自負しています。

言うまでもなく、日本第一の観光歴史都市である京都が京都であるゆえんは、京都三山の森の守りと豊富な水資源のおかげです。今年の京都三山(東山・北山・西山の山々)は、例年になく紅葉がきれいで、この2年半観光客が激減した京都にもかなり観光者が戻ってきています。

京都三山が美しい理由の一つは、かつてこれらの山々が清水寺や青蓮院や高台寺・天龍寺・鞍馬寺・延暦寺・赤山禅院などなどの寺社の所領だったことも関係しているでしょう。長年にわたり、各寺社が植林や剪定を行なってきたので美しく保たれてきたというわけです。

もちろん、院政期から鎌倉時代や室町時代や戦国時代など、乱世にあって山も荒れ果てていったようですが、しかしそれでも寺社の聖域として護られてきたと言えます。

ところが、明治時代の京都は、かなりな程度、はげ山になっています。ざっくり言えば、中世には東山には山城ができて、相当切り拓かれ、応仁の乱以降はかなり荒れていたようですが、江戸時代になると、「諸国山川掟」が発令され、森林は基本的に藩の所有となり、「留山」政策で大量伐採を禁じたり植林をしたりして一定の保全が進みます。もちろん、そうでないところもありましたが。

しかし、明治4年(1871)と8年(1875)の2度にわたる「上知令」により、寺社が管理していた山々が国に没収されて、以後、森の管理が充分されず山林の荒廃を招き、明治末年には比叡山もかなりひどいはげ山になったようです。同じころ、東山の清水寺の裏の清水山(音羽山)も荒れて紅葉しなったそうです。

明治末からは徐々に植林が進みますが、多くは杉・檜で、比叡山ケーブル駅などの山頂近くもその際の植林です。が、その杉檜の植林は根が浅くて、2018年9月の台風21号により、比叡山を含め、京都市内の山林で約50万本の寝返り倒木が起き、これが相当なダメージをもたらしています。私は比叡山に822回登拝しているのでその実態をつぶさに目撃し、どうしたものかと思っていますが、残念ながらこの4年間ほぼ放置状態です。どうすることもできません。

しかし、それだと下草も生えず、放置している間に、花崗岩質の比叡山はどんどん崩落が進み、最近、白川通りなどでは、大雨のために比叡山や東山山系から流れ落ちる白い土砂が流出堆積していき、このままではいつ山崩れが起こるのか予測がつかない事態になりつつあります。髪の毛がどんどん抜けるような土砂が抜け落ち、剥げ落ちているのです。そのあたりも含め、現状を正確に把握するために、京都三山の「検地」をしなければならないと思っています。ドローンを飛ばして被害状況を撮影したり、実際に山に入って計測したりする必要があります。

いずれにせよ、このままでは、あと10年か20年の内に日本の山林の崩落はいっそう進行して、手が付けられないような状態になるのではないかと大変心配しています。もちろん、持続的保全には億単位以上、おそらく兆単位の膨大な予算が必要で、これは国や京都府・市が本腰を入れなければどうなるものでもありません。

とはいえ、わたしたちの「京都伝統文化の森推進協議会」は、国・京都市・商店街・寺社・市民が寄り合ってできているので、これからの官民協働の「楽しい世直し」の一モデルになり得るとは思っています。そんなことなどを含め、もろもろ、京都伝統文化の森推進協議会編『京都の森と文化』(ナカニシヤ出版、2020年3月30日刊)にまとめていますので、ぜひ読んでほしいと思います。

ともあれ、この団体が結成された経緯は次のようなものでした。京都の森が荒廃し東山の名刹清水寺の裏の清水山も紅葉しなくなっていったこともあり、このままでは京都の自然が守られないと思った東山山系の主だった寺社や、京都市、祇園町商店街、学識者、林野庁が結集し、1931年生まれで当年91歳の宗教学者の山折哲雄さんが初代会長となって、平成19年(2007)に「京都伝統文化の森推進協議会」が民間の特色のある任意団体として創立されたというわけです。そして、林野庁の許可を得て、京都三山の中の国有林の中に立ち入って林相改善事業を行ない、剪定や多様な樹種の植林や絶滅危惧種の菊渓菊の栽培などを行なってきました。こうして、今では清水山も徐々に紅葉するようになっています。その林相改善事業が評価され、平成29年には全国植樹祭の折に皇太子(今上天皇)より表彰されました。

事業規模にもよりけりですが、京都三山に立ち入って継続的に剪定や植林を行なっていくには最低でも年間500~700万円が必要です。それを、主に、京都市や清水寺や青蓮院門跡などのサポーター寺院からの寄附で何とか行ってきました。が、この約3年に及ぶコロナ禍で京都市も京都の寺社も収入は激減し、支援金も不足し活動のための資金不足に陥ったので、京都伝統文化の森推進協議会では、1年あまりをかけて何度も議論し、とりあえず、目下の林相改善に必要な500万円を目標額とするクラウドファンディングを行なうことにしたのです。

2022年11月14日からスタートし、ありがたいことに、1ヶ月弱で300万円を超える支援金が届いています。しかし、まだまだ足りません。というより、ほんとうは、いくらあっても足りません。そこで、本協議会役員や委員が手分けして、学会・企業・民間団体・個人などに、懸命にご支援・ご協力の呼びかけを行なっております。比較文明学会や日本臨床宗教師会や日本スピリチュアルケア学会など、いくつかの学会や団体にはすでに寄附と情報拡散協力のお願いメールを送信しました。またさらに他の学会や諸団体、諸企業、諸個人、諸MLにも情報告知や拡散に協力してほしいとはたらきかけています。

京都の森や庭園は、日本的な「自然のケア力(自然がもたらすケア力)」をもっとも濃厚に保持し、発揮しているところだと思います。ぜひとも本京都伝統文化の森推進協議会のクラウドファンディングに支援と情報告知協力をお願いしたいものです。これを読まれたみなさまも、可能な範囲でご協力くだされば幸いです。

以下は、12月1日の比叡山の様子です。私は現在比叡山に822回登拝していますが、山の美しさと荒れの両方が映っています。

動画リンク:https://youtu.be/mJ_EHhggRGY

ファイル名:東山修験道821 2022年12月1日

以下が、クラウドファンディングのサイトURLです。

https://the-kyoto.en-jine.com/projects/denbunnomori

京都伝統文化の森推進協議会編『京都の森と文化』(ナカニシヤ出版、2022年3月30日刊)は次のような概要と執筆陣です。

<京都伝統文化の森推進協議会>
宗教学者・評論家の山折哲雄氏が設立発起人代表となり、平成19年(2007)に設立された。再生不能の危機に直面していた京都三山を、世界遺産の清水寺、青蓮院門跡、高台寺、祇園商店街振興組合、そして林野庁近畿中国森林管理局からの協力を得て、伝統に則った森づくりを行い、京都の森を蘇らせる事業を展開している。

執筆者

鎌田東二:京都伝統文化の森推進協議会会長。京都大学名誉教授。著作『言霊の思想』(青土社)他。
勝占保:林野庁近畿中国森林管理局京都大阪森林管理事務所長(当時)。
森本幸裕:公益財団法人 京都市都市緑化協会理事長。京都大学名誉教授。
原田憲一:元至誠館大学学長。元比較文明学会会長。著作:『地球について』(国際書院)他。
中川要之助:応用自然史研究室「人と大地」室長。著作:『人と暮らしと大地の科学』(法政出版)
高原光:京都府立大学大学院生命環境科学研究科教授(当時)。著作:『シリーズ現代の生態学2 地球環境変動の生態学』〔共著〕(共立出版)、他。
黒田慶子:神戸大学大学院農学研究科教授。
高田研一:NPO法人森林再生支援センター常務理事。
安藤信:公益財団法人阪本奨学会理事。元京都大学准教授。著作:『森林フィールドサイエンス』〔共著〕(朝倉書店)
高桑進:京都女子大学名誉教授。著作:『京都北山 京女の森』(ナカニシヤ出版)他。
丘眞奈美:合同会社京都ジャーナリズム歴史文化研究所代表。歴史作家。著作:『松尾大社~神秘と伝承~』(淡交社)他。
梶川敏夫:京都女子大学文学部非常勤講師。元京都市考古資料館館長。著作:『よみがえる古代京都の風景―復元イラストから見る古代の京都―』、他。
吉岡洋:京都大学こころの未来研究センター特定教授(当時)。
高橋義人:平安女学院大学国際観光学部特任教授。京都大学名誉教授。著作:『悪魔の神話学』(岩波書店)他。
広井良典:京都大学こころの未来研究センター教授。著作:『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)他。
田中和博:京都先端科学大学バイオ環境学部学部長。著作:『古都の森を守り活かす―モデルフォレスト京都』(編著、京都大学学術出版会)
○コラム
近藤高弘:陶芸・美術作家
大西宏志:京都造形芸術大学教授
○特別寄稿
大西真興:清水寺執事長。
山折哲雄:京都伝統文化の森推進協議会初代会長。宗教学者。

北村典生:祇園商店街振興組合理事長。いづ重主人

11月14日にこの京都伝統文化の森推進協議会のクラウドファンディングを始め、1週間後の19日には「第88回身心変容技法研究会」を開催し、翌20日には池坊短期大学で「万華鏡シンポジウム」を行ないました。どちらも、超おもろかったです。また、超有意義でした。どちらにも、北海道大学大学院理学研究院の教員で、NPO法人喜界島サンゴ礁研究所理事長の渡邊剛さんが参加してくれて、「サンゴ礁と身心変容」、「サンゴ礁と万華鏡」をテーマに発表してくれました。万華鏡大好き人間のわたしとしては、大大大満足でした。コロナ第8波の時期でしたが、池坊短期大学洗心館こころホールには120名の万華鏡に関心を寄せてくれる人が集まり、興味津々で聴き入ってくれていました。うれしかったですね。とても。

そして、月末の11月27日には、代々木上原にあるイスラームの拠点東京ジャーミイ・トルコ文化センターで「現代における宗教信仰復興を問う①」を島薗進さんや水谷周さんや一般社団法人日本宗教信仰復興会議のメンバーと、東京大学教授の堀江宗正さんや上智大学准教授と原敬子さんたちと行ない、これも大変充実していて、有意義でした。

来年、2023年1月22日(日)には同志社大学良心館で13時から16時30分まで、同志社大学神学研究科教授の小原克博さんや島薗進さんや水谷周さんたちと共に、「現代における宗教信仰復興を問う② 危機の時代における文化の継承と創造」以下の概要で行ないます。

京都会場 シンポジウム「現代における宗教信仰復興を問う」

  2.危機の時代における文化の継承と創造

「京都」は1000年以上の長期にわたる日本の都で、そこでは常に「伝統」と「流行」が緊張感を持ってせめぎ合ってきた。しかし、明治維新後、日本の首都が「東京」に移って、東京がめまぐるしい「近代」を体現する年になったのに対して、京都は過去の歴史文化を保持してきた日本文化の砦のように見なされてきた。だが、実はそこにも「近代」の新しい波が押し寄せ、最古と最新がぶつかり合いながらダイナミックな生成を生み出していた。京都という都市を舞台に展開されてきた危機とその打開の創造を多角的な論者の視点から検討してみたい。また、その議論を通じて、広く現代社会における宗教をめぐる課題についてもアプローチしていきたい。

日時:日時:2023年1月22日(日)13:00~16:30 場所:同志社大学 良心館内

13:00 開会、黙祷(進行 加藤眞三)

13:03 聖書朗読及び祈祷(小原克博)、法螺貝奉奏(鎌田東二)

13:10 島薗進編集長、割田剛雄国書サービス社社長挨拶

13:20 討論開始(司会 小原克博)
シンポジスト 岡田真水、鎌田東二、水谷周、弓山達也

13:00 休憩 13:20 再開  コメント(島薗進、加藤眞三)

16;30 法螺貝奉奏(鎌田東二)、閉会

さらに、12月3日(土)には、ホリスティック医学協会・エネルギー医学研究会で「身心変容技法から見た心とエネルギー」の講演とディスカッション。そして、その翌日の日曜日の12月4日には、なんと、35年ぶりくらいで、古巣の神道宗教学会第76回大会で「痛みとケアの神としての大国主神」という論題で研究発表したのでした。これまたわたしにとっては革命的な変化でした。

この1年半ほど、大国主神の神格・神性・神徳・神威に非常に気になっていて、ご存知のように、第四詩集『絶体絶命』(土曜美術社出版販売、2022年5月30日刊)の第一章を「大国主」としました。そして、来年2月2日に、同じく、土曜美術社出版販売から第五詩集『開』を出すのですが、その第四章を「開放譚 スサノヲの叫び」として、絶体絶命の危機の中からどのような突破口が開けるかを叙事詩の形で模索しています。そんなことも、転機となっています。國學院大學神道文化学部教授で神道宗教学会会長の考古学者の笹生衛さんや、同大学名誉教授で同学会元会長の歴史学者の岡田莊司さんたちが質問や意見を寄せてくれて、これまた大変有意義な学会発表となりました。

その後、笹生衛さんが、下総国の墨書土器に「国玉」とか「大国玉神」とかと記されている考古資料についての論文を送ってくれたり、岡田莊司さんが最新自著の『古代天皇と神祇の祭祀体系』(吉川弘文館、2022年1月刊)を送ってくれたりと、大変刺激的な論点や問題点を示してくれています。これに応えて、わたしも「痛みとケアの神としての大国玉神」と題する論文をまとめて来春には『國學院雑誌』に投稿しようと考えています。折口信夫などもよく投稿していた『國學院雑誌』に投稿するのは初めてのことになります。「吟遊詩人」の旅もそうですが、定年退職後の今年は、けっこう、初めてすること、「初仕事」が多いのですよ。4月から、クラシックピアノのレッスンも始めたし。

ところで、10日後の12月18日(日)に、東京・碑文谷のライブハウス「APIA40」で、サードアルバム『絶体絶命』のレコ発ライブを行ないますが、そのCDのプロデューサー&アレンジャー&シンガーソングライターのKOWさんがプロモーションビデオ(PV)&ミュージックビデオ(MV)の製作してくれました。ぜひその『絶体絶命』PV&MVを観てください。

ファイル名:鎌田東二サードアルバム『絶体絶命』(Moonsault Project,2022年7月17日リリース)PV(2分50秒)

動画リンク:https://youtu.be/YejFNOzAKz0

20年ぶりのフルメンバー5名のライブです。サウンドはガッチリと熱いです。気合いが入っています。メンバーのワザもグンバツ、です。吾の歌は相変わらず下手ですが・・・

とにかく、12月18日は、全力でライブパフォーマンスを遂行します。燃焼し尽くします。見守っていてください。その燃え尽きなさを。

それでは、次の令和5年、2023年のよき新年をお迎えください。これからが正念場、大峠になると思っています。来年から令和「567」、「みろくの年」となり、大正念場、大大・大峠が続きます。

『絶体絶命』レコ発ライブ完全動画配信

2022年12月8日 鎌田東二拝

PS:本日、12月8日20時から20時30分まで「大重潤一郎映画上映会第4回目 『久高オデッセイ第三部 風章』」を行ない、18名の方々と共にオンライン・Vimeo観賞し、感想などシェアーしました。とてもあたたかなよい時間でした。Shinさんの行なっている「隣人祭り」のような。次回、第5回目は、2023年3月9日(木)20時~22時過ぎに、大重さんのデビュー作「黒神」(1970年製作)の上映会と意見交換を行ないます。関心のある方はぜひご参加ください。