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シンとトニーのムーンサルトレター第223信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

Tonyさん、こんばんは。今夜は「中秋の名月」ですね!
今年の「中秋の名月」は満月です。2021年、2022年、2023年と3年連続で満月の日付と一致しましたがが、次に中秋の名月と満月の日付が一致するのは2030年9月12日と7年も先になります。


月への送魂

 

昨日28日の夜は、北九州市八幡西区のサンレーグランドホールで恒例の「隣人祭り 秋の観月会」と「月への送魂」を行いました。今年も、無事に開催できて良かったです。夜空に浮かぶ月を目指して、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送る新時代の「月と死のセレモニー」です。多くの方々が夜空のスペクタクルに魅了されました。


「ロマンティック・デス」の矢を放つ

 

その日の夕方、わたしは「ロマンティック・デス」と書かれた矢を天上に向かって放ちました。「ロマンティック・デス」というのは、今から38年前の1991年10月に上梓した著書のタイトルです。サブタイトルは「月と死のセレモニー」で、「鎌田東二氏に捧げる」という献辞が添えられています。「ロマンティック・デス」とは、「死」に意味を与える思想です。多死社会に何より求められているのは「死」の幸福なデザインだと言えるでしょう。Tonyさんの影響を受けて、わたしは、月は死者の霊魂が赴く死後の世界であると考えています。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わってきました。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然ですね。


「リメンバー・フェス」の矢を放つ

 

また、わたしは「リメンバー・フェス」と書かれた矢も天上に向かって放ちました。「リメンバー・フェス」とは、お盆をアップデートした言葉です。お盆はなつかしい亡き家族と再会できる年中行事ですが、都会に住んでいる人が故郷に帰省して亡き祖父母や両親と会い、久しぶりに実家の家族と語り合うイベントでもあります。そう、それは、あの世とこの世の誰もが参加できる祭りなのです。日本には「お盆」、海外には「死者の日」など先祖や亡き人を想い、供養する習慣がありますが、国や人種や宗教や老若男女といった何にもとらわれない共通の言葉として、わたしは「リメンバー・フェス」という言葉を提案します。『ウェルビーイング?』と『コンパッション!』のWCツインブックスのように、来年はアップデートした『ロマンティック・デス』と『リメンバー・フェス』のR&Rツインブックスをオリーブの木から刊行予定です。


映画ロケの控室で志賀社長&作道監督と

 

「リメンバー・フェス」は、前回のムーンサルトレター第222信に書いたように、ディズに―&ピクサーの名作映画「リメンバー・ミー」から発想した言葉です。映画といえば、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案としたグリーフケア映画「君の忘れ方」(作道雄監督)が製作中です。今月からクランクインしたのですが、10日の日曜日、わたしは埼玉ロケを訪れ、同作に出演しました。撮影場所の「セレモニー浦和ホール」は、埼玉県に本社を置く冠婚葬祭互助会(株)セレモニーさんの施設です。同社の志賀司社長は映画業界でも有名な方で、「君の忘れ方」のゼネラルプロデューサーでもあります。


今回は「おくりびと」の役です!

 

今回のわたしの役は、なんとフューネラル・ディレクター。いわゆる「おくりびと」ですね。黒の礼服に紫雲閣のネクタイを着用しました。わが社のみなさんがスクリーンでわたしの姿を見たとき、「社長が紫雲閣のネクタイをしている!」と気づいてくれれば嬉しいです。撮影現場入りしたとき、助監督から「フューネラル・ディレクターの佐藤役で、この映画の原案者でもある一条真也先生入ります!」との紹介があり、俳優やエキストラ、スタッフのみなさんが盛大な拍手をしてくれました。わたしがある登場人物の遺影を祭壇に飾って、そのままタイトルインするという重要な役です。


祭壇に向かって一礼しました

 

所作の美しさや気品が求められるということで緊張しましたが、なんとかやりきりました。撮影はテイク2でOKが出ましたが、アドリブで遺影に向かって合掌し、祭壇に一礼しました。撮影の翌日、作道監督より「一条先生、昨日はありがとうございました。一条先生に現場に来ていただけて嬉しかったというのが一番の感想です。遺影を祭壇に置き、タイトルを出すというこの映画の要のポイントは、グリーフケアや映画への思いがある方に全うしていただきたいと思っていましたので、それが叶いました。ありがとうございます。祭壇への一礼もそうですし、はけていかれるときのお顔つきもとても良かったです」とのLINEが届きました。良かったです。


原案は『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

撮影後はインタビュー取材を受けました。映画の公式メイキング動画とDVD&Bluerayの特典に収録するためです。インタビュアーから「感想をお願いします」と言われたので、「わたしが『愛する人を亡くした人へ』を書いたのは2007年ですが、当時は誰も『グリーフケア』という言葉を知りませんでしたが、15年が経過して、グリーフケアが全国に普及し、資格認定制度も立ち上がり、こんな素晴らしい映画まで作られて、本当に感無量です!」と言いました。あとは、出演者や関係者への感謝を述べました。チョイ役ながら、今回でわたしの映画出演も4回目になりました。大の映画好きなので、少しでも映画作りに関われることが嬉しいですね。2025年正月の公開予定ですが、その前に各地の映画祭を回る予定です。完成した作品を早く映画館で観たい!


Yahoo!ニュースより

 

わたしの撮影の3日後となる13日の午前7時、「君の忘れ方」の情報がついに解禁され、主演が坂東龍汰と西野七瀬の二人であることが明かされました。Yahoo!ニュースでは、「『君の忘れ方』は、『愛する人を亡くした人へ』(一条真也・現代書林)が原案のラブストーリー。”死別の悲しみとどう向き合うか”をテーマに、恋人を亡くした構成作家の青年が、悲嘆の状態にある人に、さりげなく寄り添う『グリーフケア』と出合い、自らと向き合う姿を描く」と紹介されています。リリースには、「監督・脚本は、国際映画祭で数々の賞を受賞し、第79回ヴェネチア国際映画祭VENICE IMMERSIVE部門の正式招待を果たしたVRアニメーション『Thank you for sharing your world』、ほか映画『光を追いかけて』『アライブフーン』の脚本を担当した作道雄。本作で初めての映画単独主演を務めるのは、若手実力派俳優として振り幅の大きい演技で存在感を発揮している坂東龍汰。映画、ドラマ、CM、舞台と八面六臂の活躍をみせる西野七瀬がヒロインを演じる」と書かれています。


主演の坂東龍汰さんと

 

また、リリースには「坂東は『作道監督の過去の経験も含まれた脚本を読ませていただき共感する部分が随所にありました。その世界観を丁寧に演じるために撮影前から監督と色々な話を重ねて良い準備期間をもって、いよいよクランクインします。自分なりの主人公を表現出来るように全力で悩み、答えを決めすぎず、力みすぎず、楽しみながら挑戦できたらと思います』と撮影への意気込みを語る。また、作道監督は、『難しいテーマでしたので、脚本を書くのにとても苦しみました。いつもは悩むと、一人籠りがちになるし、今作も企画立ち上げの頃はそうでした』と脚本執筆を振り返り、『たくさんの意見や励ましをもらい、3年をかけて脚本を書き上げ、スタッフの力と支えで撮影を開始することができました。その経験はそのまま、人は辛い時に一人になりたがる生き物だが、人の中で生きていく道を消してはならないという、今作へのテーマへ結び付きました』と作品に込めた思いを明かした」とあります。

 

撮影は東京ではじまり、日本アニメ映史上に燦然と輝く新海誠監督の名作「君の名は。」の舞台にもなった岐阜県飛騨市と高山市の雄大な自然を背景にも行われます。これまで秘密だった超人気女優は、西野七瀬さんでした。言わずと知れた、乃木坂46で最多のセンターを務めた絶対エースです。もう一人の絶対エースである白石麻衣さんの方がわたしは好きだったのですが、彼女はグリーフケア映画の主演にしては色気がありすぎるのと、西野さんはなんていっても演技力が素晴らしいことから、今回のヒロインが西野さんに決まって良かったです。なにしろ、彼女は「孤狼の血2」の演技で日本アカデミー賞の優秀女優賞を受賞しているのですから。また、彼女が主演した映画「恋の光」も恋愛の本質を描いた傑作でした。

 

いま、「君の名は。」の名前が出ましたが、新海誠も宮崎駿もかすんでしまうような素晴らしいアニメ映画をシルバーウィークに観ました。タイトルは、「アリスとテレスのまぼろし工場」。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」シリーズの脚本などを手掛けてきた岡田麿里が、「さよならの朝に約束の花をかざろう」に続いて2作目の監督を務めるアニメーションです。製鉄所の爆発事故により全ての出口を失い、時間が止まった町で、少年少女たちの恋する衝動が閉じられた世界を動かしていく。ボイスキャストは榎木淳弥、上田麗奈、久野美咲など。アニメーション制作をMAPPA、主題歌を中島みゆきが担当しています。

 

製鉄所で爆発事故が起き、全ての出口を失った上に、時が止まってしまった町。そこで暮らす人々は、いつかもとに戻るために変化することを禁じられていました。中学3年生の正宗はミステリアスな同級生の睦実に導かれ、製鉄所の第五高炉にやってきます。そこにはしゃべることのできない、狼のような少女がいました。正宗と2人の少女によって、均衡を保っていた日常が崩れ始めるという物語です。タイトルには「アリス」と「テレス」という名前がありますが、この映画のどこにもアリスやテレスは登場しません。間違いなく古代ギリシャの哲学者アリストテレスを意識したネーミングでしょうが、作中に「希望とは目覚めている夢なり」というアリストテレスの言葉が出てきます。

 

また、登場人物の1人が、何気なしにアリストテレスの唱えた「エネルゲイア」についてポツリと語るシーンがあります。「現実態」と訳されることが多いエネルゲイアは、可能的なものが発展する以前の段階であるデュナミスが、可能性を実現させた段階です。例えば、まだ成長していない種子はデュナミスであり、その種子が花となった段階はエネルゲイアということです。さらに可能性を完全に実現して、その目的に至っている状態のことを、アリストテレスは「エンテレケイア」と呼びました。この映画についての情熱的なレポートを書いている映画.com編集部の尾崎秋彦氏は、エネルゲアについて「例えば、仕事をすることが幸福な人は、仕事自体がエネルゲイアだ。一方で仕事を通じて得た金銭に幸福を感じる人は、お金を得ることこそがエネルゲイアである。自分のエネルゲイアを知り、求めて行動することは、人が真に幸福に生きる道標となる」と的確な解説をしています。

 

その上で、菊入正宗と佐上睦実の2人にとっては恋こそがエネルゲイアであるとして、尾崎氏は「エネルゲイア=真の幸福を味わう瞬間にこそ、人は爆発的な力を発揮することが映画では描かれる。物語は予想もつかぬ方向へと舵を切り、やがて幻と現実が混交し、まるで『AKIRA』の終盤みたいなわけのわからぬドライブ感たっぷりの展開をみせてくれるの」と述べるのでした。中島みゆきの主題歌「心音」はまさに恋=エネルゲイアの歌であると言えます。映画ポスターにも抱き合う正宗と睦実の姿が描かれていますが、彼らは最初、お互いを嫌っている(というポーズ)姿勢を見せていました。彼らは中学3年生。神戸連続殺人事件を起こした当時の酒鬼薔薇聖斗と同じ14歳でした。


「恋する衝動が世界を壊す」キス(映画.comより)

 

製鉄所の爆発事故によって全ての出口を閉ざされ、月日まで止まってしまった町。いつか元に戻れるように「何も変えてはいけない」というルールができ、変化を禁じられた住民たちは、鬱屈とした日々を過ごしています。正宗や睦実は学校で「自己確認票」を書かされますが、そこに正宗は「僕は、佐上睦実が嫌いだ」と書き込むのでした。そんな2人が互いの正直な気持ちを告白し、キスをするシーンがあります。彼らがキスをすることによって世界が一変するような凄いキスでした。映画のキャッチコピーそのままに「恋する衝動が世界を壊す」キス。それは、ディズニーアニメが描き続けた「王子様のキス」などを完全に超えていました。

 

ドラマティックな恋愛を描いたアニメといえば、「君の名は。」が連想されます。実際、「アリスとテレスのまぼろし工場」と「君の名は。」は多くの点で似ています。時空を超えたドラマであること、世界の破滅をテーマにしていることなどもそうですが、神道が深く物語に関わっていることもその1つです。Tonyさんは「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」といった一連の宮崎駿監督のアニメ作品を神道的な視点から考察していることで有名ですが、どうして神道とアニメは親和性が高いのでしょうか。わたしが思うに、神道もアニメーションも、その根本にアニミズムがあることが一因ではないでしょうか。「アリスとテレスのまぼろし工場」には、MAD神主が登場しますが、完全に悪役として描かれていました。

 

この映画に登場する製鉄所の内部には神社がありました。物語の舞台は、見伏という街です。「見伏」というのは架空の地名でしょうが、わたしは「見」と「伏」の順番を逆にした「伏見」を連想しました。伏見といえば伏見稲荷で知られる稲荷神の街です。稲荷神は製鉄と何か関わりがあるのでしょうか。國學院大學出身の民俗学者である石塚尊俊の著書『鑪と鍛冶』(岩崎美術社)によれば、金属に関わる神は、鉱山のような採鉱所と冶金・鋳金・鍛金を行う場所とでは守護神が異なるといいます。そのうち、うち、製鉄を行う鑪(たたら)、鋳物、鍛冶の場で信仰されている守護神として、荒神、金屋子神、稲荷神の三系統があるとされます。また同書で挙げられた三系統以外だと、天目一箇神、八幡神なども鍛冶神といえるでしょう。製鉄関連の神社といえば、出雲にある金屋子神社が有名です。ここは、全国1200社を数える金屋子神社の総本山として知られます。春秋の大祭には、たたらの職人をはじめ、製鉄に関わるさまざまな人々が数多く参拝しています。


八幡製鉄所を連想しました(映画.comより)

 

「アリスとテレスのまぼろし工場」の舞台である見伏について、劇中で「この町は、どこにも、気配がある。命のないものが、息をする気配」というセリフがあります。わたしは、北九州市の八幡を思い浮かべました。わたしは昔から北九州市に蔓延する重厚長大な空気が大嫌いで、そのシンボルである八幡製鉄所にも良い感情は持っていませんでした。冠婚葬祭業やホテル業といった根っからのサービス業や超ソフトビジネスの世界に生きていましたから、工場というもの自体が苦手だったのです。しかし、MAPPAが作り出した工場の映像はあまりにも美しかったです。宮崎アニメや新海アニメでも都市や自然を美しく表現した映像はたくさんありますが、ここまで工場を美しく描いたのは世界でも前代未聞ではないでしょうか。その工場=製鉄所が爆発事故を起こすわけですが、煌々と明かりがつく工場を眼下に、煙の狼が空を駆けるシーンは圧巻でした。


製鉄所の上空を煙の狼が空を駆ける(映画.comより)

 

製鉄所の上空を煙の狼が空を駆けるシーンは、まるで稲妻が大気を切り裂いているように見えました。登場人物たちがそれを“神の御力”と直感したとしてもなんら不思議ではありません。わたしは、このシーンを観て、1945年8月9日の八幡製鉄所を連想しました。この日、3日前の広島原爆に続いて小倉に原爆が投下される予定でしたが、当日に投下場所が長崎に急遽変更されたのです。その変更理由については諸説ありますが、八幡製鉄が大きく関与しているという説があります。米軍爆撃機B29の来襲に備え、八幡製鉄所で「コールタールを燃やして煙幕を張った」と、製鉄所の元従業員が証言しているのです。米軍は当初、旧日本軍の兵器工場があった近くの小倉市を原爆投下の第1目標としていましたが、視界不良で第2目標の長崎に変更したとされています。視界不良の原因は前日の空襲の煙とする説が有力ですが、専門家は「煙幕も一因になった可能性がある」と指摘しています。


「毎日新聞」2014年7月26日朝刊の一面

 

戦後70年近く歴史に埋もれていた真実ですが、2014年7月26日の「毎日新聞」朝刊一面で大きく報道されました。わたしにとって、8月9日は1年のうちでも最も重要な日です。わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。本当は小倉に原爆が落ちて母が死に、わたしもこの世に生まれなかったかもしれません。そうであるなら、今ここに生きているわたしは「まぼろし」です。「アリスとテレスのまぼろし工場」の中で街の住人の1人が「俺たちは、まぼろしか!」と叫ぶシーンがありますが、わたしのことを言っているのではないかと思いました。わたしは、死者によって生かされているという意識をいつも持っています。そして、死者を忘れて生者の幸福など絶対にないと考えています。

 

映画の終盤では盆祭りの花火大会のシーンがありました。お盆は、欧米のハロウィーンやメキシコの「死者の日」と同じく死者の祭りであり、リメンバー・フェスの1つですね。花火大会といえば、そのいわれをご存知でしょうか? たとえば隅田川の花火大会。じつは死者の慰霊と悪霊退散を祈ったものでした。時の将軍吉宗は、1733年、隅田川の水神祭りを催し、そのとき大花火を披露したのだとか。当時、江戸ではコレラが流行、しかも異常気象で全国的に飢饉もあり、多数の死者も出たからです。花火には、死者の御霊を慰めるという意味がありました。 ゆえに、花火大会は先祖の供養となり、お盆の時期に行われるわけです。大輪の花火を見ながら、先祖を懐かしみ、あの世での幸せを祈る。日本人の先祖を愛しむ心は、こんなところにも表れています。盆踊りや祇園太鼓と同じく、花火も死者のためのエンターテインメントでした。


『般若心経 自由訳』(現代書林)

 

花火はこの世からもあの世からも眺めることができるといいます。「アリスとテレスのまぼろし工場」で花火が重要な場面で登場したことで、わたしは住民たちが閉じ込められた時間の止まった街とは「死者の世界」であることを悟りました。狼のような少女だった五実は、正宗と睦実の決死のサポートによって現実社会に戻っていきますが、そこは「生者の世界」です。最後に、生者の世界に戻った五実が赤ん坊のように泣いていたシーンを見て、わたしは『般若心経』のことを考えました。『般若心経』には、「色即是空」「空即是色」という言葉が出てきます。この解釈については多くの説がありますが、拙著『般若心経 自由訳』(現代書林)で、わたしは「空」とは実在世界であり、あの世である。「色」とは仮想世界であり、この世である。この考えを打ち出しました。

 

『般若心経』の最後に出てくる「羯諦羯諦(ぎゃあてい ぎゃあてい)」が『般若心経』の最大の謎であり、核心であるといわれています。古来、この言葉の意味についてさまざまな解釈がなされてきましたが、わたしは言葉の意味はなく、音としての呪文であると思いました。そして、「ぎゃあてい ぎゃあてい」という古代インド語の響きは日本語の「おぎゃー おぎゃー」、すなわち赤ん坊の泣き声であるということに気づいたのです。人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、「おぎゃあ、おぎゃあ」と言いながら生まれてきます。


「あの世」とは母の胎内(映画.comより)

 

「はあらあぎゃあてい はらそうぎゃあてい ぼうじいそわか」という呪文は「おぎゃあ、おぎゃあ」と同じこと。すなわち、亡くなった人は赤ん坊と同じく、母なる世界に帰ってゆくのです。「あの世」とは母の胎内にほかなりません。だから、死を怖れることなどないのです。死別の悲しみに泣き暮らすこともありません。「この世」を去った者は、温かく優しい母なる「あの世」へ往くのですから。ということで、古代ギリシャのアリストテレス哲学から『般若心経』まで・・・・・・「アリスとテレスのまぼろし工場」は途方もなく壮大なスケールのアニメ映画であり、世界と人間の本質というものを捉え直す意欲的な作品でした。やっぱり、日本のアニメは最強ですね。それでは、Tonyさん、次の満月まで!

2023年9月29日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

Shinさん。おはようございます。今は、2023年10月2日の朝10時です。京都は曇り。めっきり秋めいてきて、肌寒くなりました。

先回は8月31日に返信、先々回は8月2日に返信しましたので、8月は2回の満月時に2通のムーンサルトレターを交換しました。が、今回はわたしの返信が遅れてしまいました。ごめんなさい。

あまりにも忙しかったので、机に向かってじっくりと返信する余裕を持てませんでした。Shinさんの毎日も超多忙ですが、ガン遊詩人の毎日もけっこう多忙で、がん患者にしては忙しすぎる日々と言えるのではないでしょうか。詩を朗読し、ギター片手に歌い、シンポジウムやトークイベントに参加し、各種研究会を主宰していますので。

研究会の方だけでも、①身心変容技法研究会(不定期開催、昨日第92回目を開催)、②世阿弥研究会(毎月1回)、③「ことばと魂」研究会(毎月1回)、④ヘルダーリンを原詩で読む会(月1回)と4つあり、また毎月1回、NHK文化センター京都で『日本書紀』を全読する講座を足掛け6年やっています(その前に『古事記』を3年かけて全読しました)。世阿弥研究会も、初期の『風姿花伝』から遺作と言える『金島書』まで2度全読し、今は世阿弥も女婿の禅竹の『六輪一露之記』を読んでいます。

 

Shinさんは、読書量も凄いですが、映画を観る回数も半端なく多いので、いつも感心していますが、わたしの方は毎月行なっている研究会がけっこう大変なのですよ。それぞれに、とてもおもしろいのですが、また発見も多々ありいろいろと考察も深められるのですが、Zoom発行やら司会やらで慌ただしいのです。

 

Shinさんは、自著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案としたグリーフケア映画の「君の忘れ方」(作道雄監督)に出演したとのこと。ついに、「俳優」を本格活動されたのですね。何でもできることを、バンバン、ガンガン、やってください。自由自在に。融通無碍に。それが一番です。「自由」を愛し実践して来たわたしにとって、「自由自在」(みずからに由り、おのずからに在る)がモットーです。9月10日の日曜日、Shinさんは埼玉ロケをし、「セレモニー浦和ホール」で撮影されたとのことですが、その日わたしも浦和にいたのですよ。ちょっと、浦和で一緒にコーヒーでも飲みたかったですね。

わたしの方は、9月10日(日)の15時から16時30分まで、北浦和の埼玉県立近代美術館で開催されている「横尾龍彦 瞑想の彼方」と題する展覧会で、水沢勉神奈川県立近代美術館館長さんと対談をしたのです。その後、会場に駆けつけてくれた友人たちと、近くのイタリアンレストランで祝杯を挙げて早めの晩御飯を食べて、急いで妻の実家の大宮に戻って日本臨床宗教師会の理事会をやったのですが、PCのバッテリーを京都に忘れてきて、司会者(議長)が途中で脱落するという大失態をしでかしました。お粗末!

 

横尾龍彦ー瞑想の彼方① 2023年9月10日

 

ファイル名:横尾龍彦ー瞑想の彼方展 神田神社参拝 2023年9月10日‐11日

 

Shinさんも何度もお会いしていますが、2015年11月23日に逝去した画家の故横尾龍彦さんはわたしたちが立ち上げた「東京自由大学」の初代学長でした。そして、Shinさんと同じ小倉生まれの小倉育ちなのですよ。横尾龍彦さんのお母さんは戦前の小倉で神仏習合系のもの凄い霊能者で、敗戦色濃厚な戦争中には、「これからは芸術だ」と言っていたようです。横尾さんのお父さんは画家でした。
https://pref.spec.ed.jp/momas/2023yokoo-tatsuhiko
◆埼玉県立近代美術館「横尾龍彦 瞑想の彼方」展チラシ裏 2023年9月10日対談 (pdf 595KB)
「美術手帖」Webサイト:https://bijutsutecho.com/exhibitions/12091
https://freegreen.jimdofree.com/%E7%AC%AC2%E5%8F%B7/%E6%A8%AA%E5%B0%BE%E9%BE%8D%E5%BD%A6/

 

そんなことを含めて、9月は、9月17‐18日にホリスティックヘルス情報室の「大和歩行」(大和三山と三輪山の登拝と藤原京と山の辺の道を海石榴市(つばいち)から石上神宮まで歩行)、23‐24日は長野市の刈萱堂西光寺でライブと戸隠の旧本坊久山館で「修験道と戸隠曼荼羅」の講演、30日には徳島新聞生活文化部記者の柏木康浩さんと「瀬戸内寂聴の文学と宗教」をテーマに対談(京都市文化博物館)、その後には第16回「ことばと魂」研究会と第92回身心変容技法研究会の開催。そのあらましを動画にしましたので、お時間のある時にご覧ください。

ファイル名:大和歩行 2023年9月17-18日

 

動画リンク:https:https://youtu.be/Rxdc2ujgwqA
ファイル名:戸隠への旅 2023年9月23‐24日

 

ファイル名:世阿弥研究会 2023年9月26日

動画リンク:https://youtu.be/hfOTODjaWJc
ファイル名:「瀬戸内寂聴における宗教と文学」京都文化博物館:大垣書店主催 2023年9月30日

「ことばと魂」研究会第16回:https://youtu.be/xSU-2Heg_9g

動画リンク:https://youtu.be/QDxLzXKf8Ks
ファイル名:第92回身心変容技法研究会 2023年10月1日 加藤敏(自治医科大学名誉教授・小山富士見台病院名誉院長・精神科医・精神病理学者)「アントナン・アルトーと狂気内包性思想~精神病理学の観点から」

とくに、この「第92回身心変容技法研究会」は、大変に刺激的で、過激で、現代―未来的な「身心変容」の問題の速射砲が連打されたと思います。100分の発表は、精神科医で精神病理学者・自治医科大学名誉教授・小山富士見台病院名誉院長の加藤敏さんが渾身の講義をしてくれました。

それによって、アントナン・アルトー(1896‐1948)という演劇人(?)の「器官なき身体」や「裏返しに踊る」というメッセージが、どのような経験と思想背景と危機の過程から生み出されるに至ったか、そのダイナミズムと思想の振幅の振れ幅の大きさを改めてニーチェの系譜を継ぐ「狂気内包性思想」として堪能しました。

が、まだまだ議論の時間が足りず、じっくりと取り組み、一つ一つ丁寧に考えようとすれば、冒頭で申し上げたように、最低3日間の合宿のような濃密な「アルトー漬け」が必要だと思いました。

加藤敏さんは、話の途中、山海塾のBUTOのことを例に挙げましたが、ここはやはり「暗黒舞踏」の創発者の土方巽およびアスベスト館とその分祠としての麿赤兒の大駱駝艦との比較検討をしたいとも思いました。そして、そうした身体表現戦略としての能・申楽の亡霊舞踊・怨霊成仏舞踊が、日本式「聖史劇=神秘劇」であり、世阿弥の愛息の観世十郎元雅(1394?-1432)の<受難能>をアルトーと対比させたい誘惑に駆られましたね。

ご存知のように、観世元雅は天河大辨財天社を詣でて、「阿古父尉」の能面を奉納し、その裏書に「心中所願成就」を墨書しています。

アントナン・アルトーの「残酷劇」と観世十郎元雅の「受難能」のカタストロフィーの後に生起するメタモルフォーゼとはいったい何なのか? どちらも、救いなき苦悩の淵に沈み込みながらも、そこからの自由や解放の底抜けを図ろうとする志向性を強く持っていると思います。

運命的に呪縛する構造的暴力に抗う破壊衝動と否定性の運動。
肯定性に回収されない虚無の深淵。
救済を拒絶した後に訪れる虚無の変容の自由強度。

身心変容技法研究会で議論しながら、精神病院に半収容されていったアルトーと、南北朝後の秩序形成の中で追放され暗殺されていった元雅を偲びました。そしてr、この2人の類稀なる「役者(演劇的身体)」が発する問いにまだまだ浸ってみたいという気持ちになりました。その問いは深く刺さります。

ところで、まもなく、KADOKAWA発行の雑誌『短歌』で、言霊と短歌をめぐる連載対談を、歌集『念力家族』(朝日文庫)『念力図鑑』(幻冬舎)などで知られる歌人の笹公人さんと掲載します。おもろいですよ、きっと。出ましたら、読んでみてください。

それでは、次の満月までくれぐれも御身お大事にお過しください。

わたしは、今日はこれから比叡山に登拝してきます。東山修験道884回目となります。

以下、本日と3日前の比叡山です。

動画リンク:

 

ファイル名:東山修験道884 2023年10月2日

動画リンク:https://youtu.be/L7IYQbqaq-Q

ファイル名:東山修験道883 中秋の名月 2023年9月29日

https://news.yahoo.co.jp/articles/2f5abb27d2a7d40faa0cd9b7a122235598c68338https://news.yahoo.co.jp/articles/2f5abb27d2a7d40faa0cd9b7a122235598c68338

2023年10月2日 鎌田東二拝